ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
一部読者の方が予想した通りの正体となりました……
「……」
東京都内を走る高級車。運転するのは、白い髭をもつ、眼鏡をかけた紳士――ワタリである。車の後部座席に座っているのは、大人しげな黒髪に、線の細い……それでいて、刃のように鋭い瞳をした少年――和人である。車が向かう先は、埼玉県にある桐ケ谷家……和人の住所である。既に日は落ち、辺りは暗くなっている。時刻は六時を回ったところだろうか。家へ帰れば、母親である翠や義妹の直葉に注意を受けるかもしれないが、和人の思考は別の方向にあった。
(竜崎……)
腕を組んで瞑目する和人の頭にあるのは、今日出会ったSAO事件以来の知己――竜崎のこと。
得られた情報と二人の推理の末、レクト・プログレスが運営するVRMMO、アルヴヘイム・オンライン――ALOにてプレイヤーの精神が囚われているという結論に至った。だが、囚われているSAO未帰還者達の頭脳、その安全を確保するには、ハッキングによる強硬手段で未帰還者達を解放するという手段は適用できない。そこで竜崎が打ち出した策は、ゲーム世界の侵入経路を利用しようということだった。和人が呼び出されたのは、ALOにダイブし、唯一無二の侵入経路であるグランドクエスト攻略を依頼するためだった。
竜崎の申し出に対し、SAO未帰還者の救出という、共通の目的のもと、共闘を決意した和人。だが、竜崎という人間に対して疑惑を抱いたまま依頼を受けることには躊躇いがあった和人は、協力する条件として、竜崎に正体を明かすことを要求した。そして、結果として明かされた真実は、衝撃的な……しかし事情を知れば納得できるものだった。
(まさか、お前があの“L”だったとはな……)
探偵『L』。それは、迷宮入りの事件を含む、三千五百二に及ぶ事件を解決し、世界の警察を動かせる存在として、『世界最高の探偵』、『影のトップ』と呼ばれた人物だった。日本においてその名が知れ渡ったのは、今から四年前……SAO事件発生の二年前に発生した、テロ騒動に端を発する。
当時小学校六年生だった和人の記憶にも、鮮明に残っている大事件。国内のウイルス研究施設で扱っていた新種ウイルスが、テロリストの手に渡ったのだ。テロリストの目的は、ウイルステロによって、人類の人口を大幅に削減させようという、途方もない計画だった。国内で勃発した大事件に、当時日本中は大混乱に陥っていたものだ。
テロ組織の行方も掴めず、国民は恐怖と不安に苛まれる日々を送り、警察の捜査も八方塞がりという状況。そんな中に現れた救世主が、『L』だった。Lと名乗る謎の探偵は、まずクロイスター・ブロックのフォントで描かれた『L』の文字を通して全国中継によるテロリスト達への宣戦布告を行った。それを皮切りに、一気に捜査を進展していったという。結果、介入から一週間足らずでテロリスト達の居場所を突き止め、アメリカ行きの飛行機の内部でウイルスをばら撒き、キャリアを大量に積んだ状態でアメリカへ飛ぶという作戦を、水際で食い止めたのだった。また、キャリアとされた乗客達は、事件発生と共にLが開発を依頼していたワクチンによって、全員一命を取り留めた。というのが事件の顛末である。
(全国放送と偽り、関東圏のみに限定して宣戦布告。Lの介入で浮足立ったテロリスト達は、計画を前倒しするために、成田空港へ向かう。そして水際で追い詰めて、一網打尽にする……SAOの時もそうだったが、見事な手際だ)
当時放送された情報から、和人はLがテロリスト逮捕のために取った手段を正確に割り出していた。忍、それも暗部としての経験が豊富な前世をもつ和人から見ても、Lの手腕は大したものだった。忍世界ならば、暗部のボスや、五影すら勤まるのではと思えてくる。そして、そんなリアルをもつ人物だったならば、SAOにおいてリュウザキが発揮した手腕も全て納得がいくものだった。
(未だに考えの読めない人物だが、事件を解決するという点では、信用できるのは間違いない)
だからこそ、和人はL――竜崎の話に乗ることにした。もとより、SAO未帰還者を前に和人ができたのは、僅かな情報から真実を推理することのみだった。忍の前世をもつといっても、それはあくまで前世の話。この世界を生きる桐ケ谷和人は、うちはイタチのように忍術を使うこともできない、どこにでもいる一人の人間なのだ。個人にできることの限界を感じていた以上、竜崎の誘いは、渡りに船と呼ぶべき話だった。
(明日奈さんを助け、全てのSAO未帰還者を開放する……それを成し遂げるまで、俺の……俺達の戦いは終わらない)
何事も、自分一人で成し遂げられるわけではない。無力を嘆くのではなく、赦すことこそ必要なのだ。そして、自分一人では不完全だからこそ、それを補ってくれる仲間がいる。和人はそのことを、前世と現世で嫌というほど実感していた。
(ならば、まずは仲間を集めねばな……)
今回の依頼は、自分一人では到底達成できるものではない。竜崎の助力を得ても、まだ分からない。ならば、選ぶべき手段はただ一つ。それを実行するべく、和人は動き出す決意をするのだった。
「到着いたしました」
そうこう考えている内に、ようやく自宅へ到着したらしい。窓の外には、慣れ親しんだ日本家屋の桐ケ谷家が見えていた。
「送っていただき、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。竜崎をどうか、よろしくお願いします」
「……受けた依頼は必ず果たす。彼にそう伝えておいてください」
それだけ言葉を交わすと、和人とワタリは家の門付近で別れた。そして、自宅へ戻った和人を待っていたのは、予想通りの声だった。
「和人!遅くなるなら、ちゃんと連絡ぐらいしときなさい!」
「お兄ちゃん、心配したんだよ!?」
「……申し訳ない」
玄関から入って早々、浴びせかけられる母親と義妹の叱責。十六歳という年齢を鑑みれば、それ程遅い時間帯ではないが、現在の和人の身体はSAO事件後のリハビリを終えたとはいえ、全快には達していない。故に、夜道で不審者などに襲われれば、一溜まりも無いのではと、二人は心配していたのだ。実際は、和人の身体は未だ若干骨ばってはいるものの、剣道の試合ができる程度に回復しているわけであり、譬え不意打ちを食らわされても対抗できるだけの体力はあるのだ。しかし、翠と直葉はSAO事件発生以来、和人のことを事件発生時以前より何かと気にかけてくれている。そんな二人に要らぬ心配をかけた以上、謝るのが筋だと和人は考えた。
十分弱の間、二人から説教を受け、ようやく解放された和人は、若干遅めの夕食を摂るべくダイニングルームへ向かう。その後、家族三人で談笑した後、順番でシャワーを浴びた和人は、歯磨きを済ませてそのまま自室へ直行。二人が寝静まったことを確認すると部屋の鍵を閉めて行動を開始する。
(二人には、心配をかけられんからな……)
和人の現世における家族である、桐ヶ谷翠と桐ヶ谷直葉。この二人には、SAOに関わったことで大いに心配をかけてしまった。帰還した自分と対面した時の二人の顔は、今でも思い出せる。直葉は大泣きしながら骨と皮だけに等しい自分の身体に抱き付いてきた。翠に至っては、自分がSAOに関わるきっかけを作ってしまった負い目が大いにあったのだろう、泣きながら何度も謝ってきた。あの反応を見れば、また同様のゲームを、しかも使い方次第で脳を蒸し焼きにすることすら可能なナーヴギアでプレイするなどと言えば、二人とも黙ってはいまい。ALOをプレイするには、誰もが寝静まった夜中か、あるいは二人が出払っている昼間に、鍵をかけた上で自室に閉じ籠もってやるほか無い。
二人に隠れて危険を冒すことへの後ろめたさを、感じながらも、しかし和人は引き返そうとはしなかった。ウォールラックに置かれたナーヴギアを手に取ると、一度ベッドへと座った。
(……もう一度、俺に力を貸してくれ)
本来ならば、総務省SAO事件対策本部によって回収されて処分されていた筈のナーヴギアだったが、明日菜をはじめとしたSAO未帰還者の存在を知った和人は、無理を言って手元に置いたのだ。自分なりに事件解決の道を模索することを決意していたが、まさかこんな形で役に立つとは予想していなかった。
忍の世界から転生して十年以上経過して尚、生き方を見定められなかった和人に対し、前世の幻術を彷彿させる仮想世界を見せた機械、それがナーヴギアだった。ソードアート・オンライン制作スタッフとして仮想世界に関わって以来、和人の中では、自分の生きる世界の境界が曖昧になった。だが、仮想世界であろうと現実世界であろうと、前世であろうと現世であろうと、目に見えるものは全て“本物”なのだ。空も、大地も、人も、物も……何一つ紛い物など存在しない。どこであろうと、この心が感じるもの全てが本物……だからこそ、逃げる事は許されない。全身全霊を捧げて立ち向かわねばならないのだ。そんな当たり前のようで、しかし大切なことを、SAO事件で和人は知った……ナーヴギアが、教えてくれたのだ。だからこそ、二年もの間故障もせずに共に戦い続けてくれた戦友に、和人は祈る。あの世界で戦い抜くための力が欲しいと――――
(取り戻す……必ず、全てを――!)
誓いを新たに、パッケージを開封して小さなROMカードを取り出し、スロットへ挿入。ナーヴギアの電源を入れ、主インジケータが点灯するのを確認すると、ナーヴギアを頭に装着する。顎の下でハーネスをロックし、シールドを下ろして瞳を閉じる。そして、二年前と同じように……しかし、強い決意と共に、異世界への扉を開く。
「リンク・スタート!」
仮想世界へとダイブするその言葉を口にすると同時に、眼の前に虹色の光が弾ける。そして次の瞬間には、視覚、聴覚、触覚と、五感接続がされていくことを示すメッセージが次々表示される。それが終わると、ベッドに横たわっていた重力感覚が消え、『Welcome to Alfheim Online !』というメッセージと同時に暗闇に囲まれたアカウント情報登録ステージに立っていた。
『アルヴヘイム・オンラインへようこそ。最初に、性別とキャラクターの名前を入力してください』
女性の声でウェルカムメッセージが告げられると共に、情報登録のための青白いホロキーボードが眼の前の空間に現れる。
(キャラクターネームか……)
登録すべきキャラクターネームを問われて、和人は逡巡する。SAOの時と同様、『Itachi』で登録することも考えたのだが、その名前はSAO事件解決に貢献した英雄として、須郷に知られている。同じ名前を使っても、須郷がイタチ=桐ヶ谷和人であると気付く可能性は低いし、気付いたとしても、今の和人では何もできないだろうと侮る可能性が高い。だが、万に一つでも要らぬリスクを負う可能性は排除しなければならない。結論として、和人は『イタチ』以外のキャラクターネームを使用することが良策であると判断した。
(……サスケ、名前を借りるぞ)
しばし考えた末に、和人が登録することにした名前は、『サスケ』。最初の前世と二度目の前世において、自分の最後を見届けた弟の名前である。サスケという名前は、イタチの愛する弟の名前であると同時に、前世において自分が所属した木の葉隠れの里長、三代目火影・猿飛ヒルゼンの父親の名から付けられたものである。前世を背負い、使命を果たすために使う名前として、これ以上相応しいものは無いと和人は考えた。
ホロキーボードに『Sasuke』と打ち込み、登録を終えると、次の登録メニューへと進んでいく。容姿は無数のパラメータからランダムに生成されるというそうだが、和人にとってはどうでもいいことだった。
『それでは、種族を決めましょう。九つの種族から一つ、選択してください』
和人の眼の前に浮かぶ、九つのキャラクターの姿。基調とする色や体格、背中から伸びている羽の形状も微妙に異なるらしい。サラマンダーやウンディーネなど、四属性の精霊を筆頭に、聞きなれない種族の名前が出てくる。だが、和人が選ぶべき種族は、協力者である竜崎が領主を努める『スプリガン』と既に決まっている。決まっている、筈だったのだが…………
(ケット・シー…………)
和人の視線が、不意にある一つの種族に止まる。猫妖精族の、『ケット・シー』……否、『ケットシー』。何故だろう、この種族名に心惹かれるものがある。前世の声が、この種族を選べと頻りに呼び掛けているような感覚に陥る。
(……これは俺の物語だ)
無意識に浮かんだ雑念を、首を横に振って振り払い、改めてスプリガンを選択することにする。ケットシーを捨て難いと何故か思う自分がいるが、スプリガンの概要を読んでみると、意外に自分に合う種族だと思った。幻術魔法に秀でている点などは、特に前世を思い出させる。ともあれ、これにてアカウント作成は終了。いよいよ、ゲームに入ることとなる。
『それでは、スプリガン領のホームタウンに転送します。幸運を祈ります――――』
次の瞬間には、和人の視界は白い光に包まれ、小さな浮遊感と共に、太陽が煌めく大空へと放りだされる。ALOの仮想世界は、現在は昼間らしい。落下していく和人――サスケの眼下には、古代遺跡を彷彿させるピラミッド状の建物が中央に建つ、小さな街が見える。あれが古代遺跡地帯にあるスプリガン領の主都、『ジャヤ』なのだろう。空からゆっくりと落下して言ったサスケは、一回転すると、見事に着地した。
(ここがアルヴヘイム・オンラインの舞台、妖精郷アルヴヘイムか……)
世界観は中世ヨーロッパをモデルとしたソードアート・オンラインの舞台、浮遊城・アインクラッドよりもファンタジーな雰囲気だが、その本質はあまり変わらないようだ。太陽の日差しや風の香り、時折舞い上がる砂埃まで、全ては二年もの間自分達を閉じ込め続けたゲームと同じ、紛うことなき仮想世界のものである。
街を歩く事しばらく、サスケはショーウインドウに映った自分の姿を確認した。浅黒い肌に、つんつんと尖った威勢のいい髪型。ややつり上がった大きな眼は、SAOの時にメーキャップアイテムで染めた色がそのまま反映され赤く光っていた。全体的にやんちゃな少年のイメージだが、瞳には外見に反した怜悧さを宿していた。自身の容姿を軽く確認したサスケは、再度街を歩き始める。
(しかし、一種族のホームタウンにしては、プレイヤーが少ないな……)
アルヴヘイムは真昼だが、現実世界の時刻は夜中である。MMOのプレイヤーがログインする時間帯にも関わらず、プレイヤーの姿はSAOの下層程も無かった。予備知識として知っていたことだが、ALOプレイヤーは強力かつ派手な魔法を扱う『サラマンダー』や『インプ』、敏捷や筋力等の設定上の身体的スペックが高い『ケットシー』や『ノーム』に傾倒している。サポート系の魔法・スキルが主流の『スプリガン』や『プーカ』といった種族はマイナーな種族として認識されているせいで、選択するプレイヤーは極端に少ない。竜崎が開始僅か二週間足らずで領主となることができたのも、彼自身が優秀であることに加えて種族人口の少なさ故のものでもあるらしい。
ともあれ、竜崎と共闘することを決めた以上は、ここ最近で鍛え上げたという攻略部隊の力を信じるほか無い。それに、自分の仲間は竜崎だけではないのだから――――
(ともあれ……まずは、情報確認をせねばな……)
一通り街を見終えたサスケは、まず現状を確認することにした。左手の人差指と中指を揃えて縦に振り、メニューウインドウを呼び出す。SAOのデスゲーム時代には無かった、しかし付いて然るべきログアウトボタンの存在を確認して一安心すると共に、次は各種スキルのステータス画面へと移行する。
(成程……竜崎の言った通り、スキル熟練度はSAOに共通するものはそのまま引き継がれているようだな)
サスケことイタチがSAOにおいて習得していたスキルの中で引き継がれているのは、『片手剣』、『索敵』、『追跡』、『隠蔽』、『投剣』、『戦鞭』、『疾走』、『体術』、『暗視』、『限界容量拡張』の十種。ユニークスキルの『二刀流』だけは引き継がれておらず、文字化けしていた。また、影妖精族であるスプリガンの初期スキルなのだろう。『幻属性魔法』なるものが追加されていた。
アイテム群に関しても同様で、全てが二刀流スキルと同様に文字化けして使い物にならない状態だった。と、そこでサスケはあることを思い出す。
(アイテム……もしや……!)
セーブデータがSAOとほぼ同じならば、“あのアイテム”は必ず存在する。否、していなくては困る――!
「あった……!」
文字化けしたアイテム一覧の中から、目的の文字……『MHCP』を認め、思わず安堵の笑みをこぼすサスケ。人気の無い裏路地へと入り、オブジェクト化する。予想通り、サスケの手の平の上に現れたのは、涙の雫を模した水晶型アイテムだった。
(頼む……)
サスケが二度クリスタルをクリックすると、クリスタルは眩い光を放つ。表の路地まで届くのではないかと思う程の光の中、一つの影が現れる。長い髪に純白のワンピースを纏った、一人の少女である。光の中にあるその姿は、天使かと見間違うほど神々しいものがあった。
「ユイ……!」
その姿を見て、普段表情に乏しい筈のサスケが、喜色を浮かべる。そして、笑みと共に思わず零れた声に、少女が反応した。
「ユイ、俺だ……分かるか?」
ALOを始めた事で生成されたアバターは、SAOにおけるそれとはかなり異なる。だが、彼女ならば、必ず分かる筈だ。その確信をもって、サスケは目の前の少女――ユイに語りかける。
対する少女は、眼下の少年――サスケの姿を見るや、笑みと共に目に大粒の涙を浮かべていた。
「パパ……また、会えましたね……!」
空中に浮かんでいたユイは、そのままサスケの胸へと飛び込んできた。サスケはユイの身体を受け止め、ぎゅっと抱きしめてやる。自分を父親と慕う少女には未だ戸惑いがあったが、しかし今はただ、この再会の喜びを分かち合いたかった。
(奇跡……いや、信じる力があったからこそ、なのだろうな)
絶望的に思えたユイとの再会が、奇跡のお陰だったとは、サスケには思えなかった。彼女や、彼女が母親と慕う明日奈の、再会を信じる心が起こした、必然だったのだろうと、サスケにはそう思えた。
ユイと再会の喜びを分かち合うことしばらく。サスケは、アインクラッドにおけるユイとの別れ以降の経過について説明した。サーバーから消去されようとしていたユイを圧縮し、クライアント環境データの一部として保存したこと。ゲームクリアに伴うアインクラッドの消滅。SAOのクリアによって解放される筈だった全プレイヤーの内、三百名が未だ目を覚まさずにいること。そして、その中に明日奈がいること。
「事情は大体分かりました。それで、パパはママを探すためにこの世界へ来たのですね」
「そうだ。この世界で、偶然にも明日奈さんによく似た人物の写真が撮影された。場所は、あの大樹の上とのことだ」
和人が指差す地平線の先にあるのは、空を穿たんばかりに高く伸びる巨大な木。『世界樹』と名付けられたそれは、アルヴヘイムの極東にあるこのスプリガン領からでも分かるほど巨大な存在感を感じさせる。あの大樹の頂上では、今も欲望に塗れた人間による非人道的な実験が行われているのだろうが、それをユイに話すことは憚られた。人間の負の感情によって自己崩壊を起こした彼女には、必要以上に負担をかけたくはなかったという、仮初とはいえサスケなりの父親心だった。
ともあれ、感慨に耽っている場合ではない。目的を果たすためには、世界樹を目指すほか無いのだ。サスケはユイを交えて現状確認を続けることにした。
「そういえば、ユイはこの世界ではどういう扱いなんだ?」
「ちょっと待ってくださいね……」
ふと浮かんだ疑問を口にしてみた。この世界には、アインクラッドのようなメンタルヘルス・カウンセリングプログラム――MHCPと呼ばれるプログラムが存在しているかは分からない。故に、ゲーム世界における存在を確立できなければ、アインクラッドの時と同様、ユイはシステムに消去される可能性だってあるのだ。ユイ本体はナーヴギアの中であるため、完全に消去されることは無いのだが、プログラムとして展開するには別の方法を考えねばならないかもしれない。
考えているサスケを余所に、ユイはしばらくの瞑目の後、瞳を開いて答えを口にする。
「このアルヴヘイム・オンラインにも、プレイヤーサポート用の擬似人格プログラムが用意されているようです。『ナビゲーション・ピクシー』という名称ですが……私はそこに分類されるようです」
そう言うなり、ユイはいきなりぱっと発光する。いきなりの出来ごとに、流石のサスケも若干ながら驚いた様子だった。やがて光が収まると、そこにはさらにサスケを驚かせるものがあった。
「これがピクシーとしての姿です」
身長は十センチ程度だろうか。ライトマゼンダの、花びらをかたどったミニのワンピースを纏い、背中からは半透明の長い翅が二枚伸びていた。サイズは変われど、愛くるしい表情と長い黒髪は、ユイそのものだった。
まさに妖精と呼ぶに相応しい姿に変身したユイに、サスケは唖然として目を丸くする。いつも冷静沈着でポーカーフェイスなサスケらしからぬ反応に、ユイはくすりと笑った。
「パパも、そんな顔をするんですね」
「む……すまない」
「いえ、いいんです」
ユイの変身にフリーズすること数秒。正気に戻るや、軽く謝罪するサスケ。対するユイは、そんなサスケの姿に「意外に可愛いところあるんですね」と思っていたりする。
「ともあれ、これでユイもこの世界で活動できるわけだな。システム権限は、どの程度だ?」
「できるのは、リファレンスと広域マップデータへのアクセスくらいです。接触したプレイヤーのステータスなら確認できますが、主データベースには入れないようです。あまり役に立てないようで、ごめんなさい」
「問題無い。ALO初心者である俺をカバーするだけの能力は十分に備わっている」
自分の力不足故に、明日奈のもとへ容易に辿り着けない現状にしゅんとするユイだったが、サスケは心配ないと慰める。ユイという戦力を新たに加え、置かれた現状を一通り確認し終えるサスケは、視界の端に表示されている現在時刻を見やる。
(竜崎のダイブまでは、まだしばらく時間があるな……一度、フィールドで戦闘をしてみるのも悪くない)
スプリガン領主である竜崎とは、午後十一時半に領主館で会う約束をしている。現在時刻は九時十分を回ったところで、まだだいぶ時間がある。ならば、近場のフィールドに出てALOのモンスターについてSAOの戦法がどの程度通用するのかを調べるほか、このゲーム特有の“飛行”を試してみるのも悪くない。そう考えたサスケは、ユイにフィールドへ出ることを提案する。
「早速だが、フィールドに出て試してみたいことがある。案内してもらえるか、ユイ」
「はい、パパ」
妖精化したユイを肩に乗せると、サスケは彼女の出す指示に従って街の外を目指す。装備品は全て初期のものだが、ホームタウン周辺のフィールドに出没するモンスターは、初心者向けの弱小モンスターと聞いている。と、ステータス画面を再確認していると、ユイが口を挟んできた。
「パパ、アイテム欄のデータは破損しています。消去しておかないと、エラー検出プログラムに引っ掛かってしまいます」
「分かった。そういえば、このスキル熟練度については大丈夫だろうか?SAOのスキル熟練度がそのまま引き継がれているのはありがたいが、運営に目を付けられるのは不都合だ」
「システム的には問題ありません。プレイ時間と比較すれば不自然ですが、人間のGMが直接確認しない限りは大丈夫でしょう」
「そうか」
SAOから引き継いだ桁外れのステータスは、ALOの世界樹を攻略する上で必要不可欠なものである。だがその一方では、同時に運営に目を付けられる危険性について、サスケは不安を拭い去れなかったのだ。
しかし、ユイがこう言っている以上は、問題は無いのだろう。プレイヤーネームに関しても、SAOの『イタチ』ではなく、『サスケ』を使っているのだ。サスケのリアルが桐ヶ谷和人であると知られることはまず無いだろう。
(それにしても、初期で二年分の熟練度を持つプレイヤー……これでは、ビーターというよりチーターだな……)
ALOを真面目にプレイする人間達が知れば、SAOの時と同様、「チーターやん!」と騒がれることは間違いない。尤も、忍という前世を……しかも月読という、この世界の仮想世界に似た幻術の世界を幾度となく行使した経験をもつ自分がプレイしている時点で十分チーターなのは疑いようもないのだが。
そうこう考えている内に、遂にサスケとユイはフィールドへと通じるゲートへと辿り着く。そのまま主街区の外へと出ると、森の中へと躊躇い無く進んでいく。
「さて……まずは、飛行を試してみたい。どうすれば飛べる?」
「補助コントローラがあるみたいです。左手を立てて、握るような形を作ってみてください」
言われるままに左手を動かすと、次の瞬間にはジョイスティック状のオブジェクトが出現していた。
「手前に引くと上昇、押し倒すと下降、左右で旋回、ボタン押し込みで加速、離すと減速となっていますね」
「成程……」
とりあえずものは試しと手前に引いて上昇してみるサスケ。初めての浮遊感に戸惑いながらも、何とか空中でバランスを整える。
「一定時間が経過すると、翅を休ませなければいけません。パパ、気をつけて」
「ああ、分かった」
ユイに注意されながらも、サスケはそのまま飛行訓練を続ける。前世の忍世界にも空中戦の概念はあったが、それらは鳥などの口寄せ動物やそれを模した式神か、あるいはチャクラを練り込んだ砂などの足場を利用するものであり、忍単体で飛行能力を行使する者は非常に少なかった。その数少ない飛行能力を持つ忍としては、塵遁使いの三代目土影・オオノキが挙げられる。
(やはり、簡単には慣れんな……)
桐ヶ谷和人の前世であるうちはイタチの戦闘も、戦場は専ら地上か水中であり、独力で空を飛んだことなど無い。反射神経やバランス感覚に自身のあるサスケだが、やはり飛行は勝手が違うらしい。
(だが、何としてもものにせねばならん)
これから自分は一週間以内に、ALOのグランドクエストたる世界樹攻略を為さねばならないのだ。補助コントローラに頼った飛行は、今日中に卒業し、早急に随意飛行をマスターせねばならない。故に、サスケは飛び続ける。
この世界の真実が眠る場所……世界樹を目指し、ひたすらに――――
本作がもし、『アリシゼーション・ビギニング』まで進んだら、イタチが『トマホークブーメラン』を使う予定です。(嘘です)