ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第百四十三話 記憶【resource】

それは、今は既に過去の話となった、ゲームであってゲームではない……そんな世界における、命懸けの戦いに臨んだ日々。世界初のVRMMOにして、前代未聞の大量殺人事件を引き起こしたゲーム、『ソードアート・オンライン』が正式サービス開始日を迎えてからの、激動の日々の記憶である。

 

「なあ、頼むよ!俺はクライン、よろしくな!」

 

ログインして間もない自分に対して最初に声を掛けたのは、クラインだった。レクチャーを乞われた自分は、クラインとともにその足で――――――へと向かった。

 

「たった一ヶ月で、一千人も死んだわ。でもまだ、最初のフロアすら突破できていない。どこでどう死のうが、遅いか早いかだけの話………」

 

それが、SAO事件における、自分と――――――の最初の出会いだった。流星もかくやという速度で繰り出される細剣系ソードスキル『リニア―』をもって敵モンスターを消滅させた少女フェンサーはその後、疲労困憊で倒れた。

 

『……だいぶ時間が余っちゃったね。それじゃあ、折角クリスマスだし、歌を歌います。曲名は、『――――――』です』

 

SAO事件が始まってから、二度目のクリスマスイブの夜。イタチのもとへ届けられたサチからのメッセージが込められたクリスマスソング『――――――』。

サチ曰く、どんな人でも、きっとそこにいる意味はあるということを思い出させてくれるその歌は、イタチの心に陽だまりのような温もりを与えてくれた。

 

「……イタチさん、あたしだけじゃありません。きっと、みんなあなたを――――――。だから、あなたも――――――!」

 

サチ同様、レッドギルド絡みの事件に巻き込まれた少女、シリカが、自身の複雑な家族事情を話した時に掛けてくれた言葉。シリカが――――――の大切さを教えてくれたからこそ、その後のアインクラッド攻略での軋轢は少なくなり、仲間との連携も上手くいくようになったと言えるだろう。

 

「アスナやあたしが大変な想いして作った剣なんだからね。大切にしないと、承知しないわよ」

 

ユニークスキル『二刀流』を習得して以降問題となっていた、もう一本の剣を手に入れるために頼ったのは、アスナの親友であるリズベット。紆余曲折を経て受け取った『――――――』は、自分のことを戦闘的にも、精神的にも支えてくれた。

 

「全部、分かってます。それが、他の皆の事を想ってのことだということも……むしろ、どんな形であれ、パパが私のことを頼りにしてくれたことの方が嬉しかったです。だって、パパはいつも、――――――じゃないですか」

 

エラーを蓄積させた末に不具合を起こし、アインクラッドを彷徨った末に自身の元へ辿り着き、自身とアスナの娘となったユイが掛けてくれた言葉。

今思えば、あの言葉があったからこそ、ALO事件もGGO事件も、Lこと竜崎や他の仲間達を頼ることができたのだろう。少なくとも、昔程は――――――しようとは思わなくなった。

 

「私はあなたがどんな秘密を持っていたとしても、私はあなたを信じている。そして、だからこそ私は、あなたのことを――――――」

 

SAO事件の黒幕であるヒースクリフこと茅場晶彦を倒し、夕暮れの中でアインクラッドが崩壊する光景を眺める中で、アスナが口にした気持ち。薄々勘付いていた、アスナから自分へ向けられていた、――――――という想い。それがために、多くの大切なものを失ったがために忌避しがちだった感情だったが、これを機会に改めて向き合おうと決意した。

そして、終わりの時は訪れた。アインクラッドが完全に崩壊し、アスナとともに、自分の身体も光に包まれ、そして――――――

 

 

 

 

 

 

 

「!」

 

そこで、目が覚めた。和人が横たわっていたのは、自宅のベッドの上。枕もとに置いていた時計を見ると、時刻は朝六時。

 

「……夢、か」

 

『おはよう、和人君』

 

「ヒロキ……」

 

ベッドから起き上がった和人に声を掛けたのは、部屋の中のPCモニターに映し出されたヒロキだった。どうやら、昨日のオーディナル・スケールのイベントに際して発生した戦闘において負傷した和人を心配して来たらしい。

 

『やっぱり、調子が優れないようだね。今日の会合は、出られそうかい?』

 

「……問題無い。予定通り、所定の時間に行く。竜崎にもそう伝えてくれ」

 

『分かった。けど、あんまり無理はしないでね』

 

「善処する」

 

平静を装って返事をした和人だったが、ヒロキの反応を見る限り、大丈夫そうには見えないらしい。身体的な負傷については、昨日の時点で応急処置ながらある程度治療はできている。問題なのは、イベント時にHPを全損したことで発生した影響の方だろう。和人自身もその影響を受けている自覚はあり、それは昨晩見た夢という形で表れていた。

しかし、これから行われる捜査メンバーや、暫定を含むその他協力者達との話し合いには、和人の存在は必須である。事態が急展開を迎えている今、状況をいち早く把握するためにも欠席するわけにはいかない。

 

『ワタリさんが車で迎えに来てくれるらしい。八時くらいに来る予定だから、それまでに準備をしておいて。僕は先に、本部の方に行っているから』

 

「ああ、分かった」

 

ベッドから立ち上がった和人の返事を聞いたヒロキは、パソコンのモニター電源を切ってその場を後にした。和人はそのまま部屋を出てリビングへ向かうと、先に起きていた詩乃とともに、直葉と翠のいないい桐ケ谷家の中で、朝食や身支度を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

電人HALによるゲームの提案、もとい宣戦布告が行われた昨晩は、話し合い等は行われることなく、一先ず解散となった。HALから齎された情報があまりに衝撃的だったことから、真偽の確認と精査が必要と判断されたことと、各々の気持ちの整理をつける必要と判断されたことが理由だった。

そして一夜明けた今日、再度皆で話し合いのために集合し、Lが進行役となって情報の共有を行おうということになったのだった。

 

「おはよう、和人君。しののんも」

 

『おはようございます。パパ、詩乃さん』

 

集合場所である名探偵Lの本拠地のビルに来た和人を出迎えたのは、明日奈だった。肩の上には、ユイが乗っている。

 

「おはようございます。明日奈さん、ユイ」

 

「おはよう、二人とも」

 

「和人君……体調は大丈夫?」

 

「打撲した箇所に少々痛みが残っていますが、問題はありません」

 

『パパ……』

 

「早く会議室に行きましょう」

 

今朝のヒロキと同じ質問を投げ掛けてきた明日奈に対し、和人はいつもと変わらない、平静を装った態度で返した。しかし、ユイだけは不安そうな表情のままだった。MHCPであるユイには、外見だけの誤魔化しは効かないのかもしれない。襤褸が出るまでに話を切り上げるべきと判断した和人は、そのまま会議室を目指して歩き出す。

和人との間のやりとりは無いままに、エレベータの乗り、廊下をしばらく歩き、和人等は話し合いのために使用する会議室に到着した。扉を開いて中を見渡すと、新一や藤丸といった捜査メンバーは勿論、明日奈以外のめだかや蘭といった協力者も既に全員集まっていた。

ちなみにLは昨晩同様にワタリの持っているモニター越し、ヒロキはオーグマーを装着することで見えるアバターでこの場にいた。

 

「……どうやら、最後に到着したのは俺達のようだな」

 

『所定の時間通りの到着です。何も問題はございません』

 

「和人君と詩乃ちゃん以外は皆、都内在住だから早く到着できて当然だしね」

 

「俺とLに至っては、ここに泊まってたしなぁ……」

 

捜査メンバーの一人にしてL専属のハッカーでもある藤丸は、捜査すべき事件が起こればこの建物の中に缶詰状態になることがしばしばだった。今回の事件も例に漏れず、ここ数日は自宅へも帰らずにこの建物の中で捜査活動を行っていた。

 

『それでは、全員揃ったことですし、そろそろ始めましょう。藤丸君、お願いします』

 

「あいよ」

 

出席者全員が揃い、会議室内の席に着いたことを確認したLは、藤丸へと指示を送る。藤丸がそれに従い、手元のパソコンを操作すると、会議室のプロジェクターの電源が入った。

 

『それでは、まずは私と藤丸君で昨晩、収集・精査した情報について皆さんにお知らせ致します』

 

その言葉とともに、スクリーンには映像が映し出される。上空から俯瞰するアングルで撮影されたその映像には、闇夜の中に佇む大型の施設が映し出されていた。

 

『電人HALから齎された情報の中にあった、スフィンクスがインストールされたスーパーコンピューターがある施設の一つ、未来物理研究所です。これは昨晩、ワタリに急遽飛ばしていただいたドローンで撮影した映像です。藤丸君、次の画像をお願いします』

 

「了解」

 

藤丸がコンソールを操作すると、スクリーンに映し出された画面が切り替わる。次に映し出されたのは、施設により接近したアングルから撮影された映像だった。

そこには、夜の暗闇に包まれた敷地内を、懐中電灯も持たずに歩く二人の男性の姿があった。ミリタリーなデザインのズボンとジャケットを身に纏ったその恰好は、とても警備員には見えなかった。

敷地外のすぐそこで滞空していたドローンは、敷地内を歩いていく二人の後ろを追って飛んでいく。そして、敷地内へと進入したその時――――――映像が激しく揺れた。

 

「!!」

 

その映像を見ていた全員が、一体何が起こったのかと驚愕に目を剥く。その原因は、辛うじて滞空していたドローンが映し続けていた映像の中に捉えられていた。ドローンが追跡を試みようとしていた二人の男は、その手に拳銃を持っていたのだ。どうやら、サイレンサーに付いた拳銃による銃撃を受けたらしい。背後を取って気付かれないように飛行していた筈のドローンを、二人の男は振り向くこともせずに撃ち抜いてみせたのだ。

拳銃による射撃を受けたドローンは、カメラこそ破壊されていなかったものの、プロペラを損傷して飛行能力とコントロールを失い、激しく映像を揺らし、あらぬ方向を向きながら地面へと落下し、そこで映像は途切れた。

 

『この後、何度か別の場所からドローンを飛ばしてみましたが、敷地内へと進入した途端に銃撃を受けて撃墜されました。夜間の射撃にも関わらず、狙いは極めて正確であり、施設の防衛には死角らしい死角が全く確認されませんでした』

 

「電子ドラッグによって脳改造を受けた兵士、か……」

 

『そのようです』

 

その恐ろしいまでの射撃能力を、身をもって知っている和人だからこそすぐに分かった。昨晩HALが言った通り、施設の防衛は、電子ドラッグによって洗脳された人間に武装させて行われているのだ。

 

『他の二つの施設についても同様の偵察を試みましたが、施設内に入ったドローンは全て撃ち落とされました。あらゆる方法で施設の様子を遠隔で偵察を試みましたが、相当な数の兵隊が配備されているようです。確認できただけでも、百名はいます。施設の中枢の守っている、潜在的な兵力もある筈ですから、総合的な戦力は計り知れません』

 

「強行突破は無理、というわけか……」

 

昨晩、和人を襲撃した三人のような戦闘能力を持つ兵士が少なくとも百人はいるのだ。HALが言っていたように、強行突破してスーパーコンピューターを叩くのは戦力的に至極困難であり、よしんば突破できたとしても、罪も無い多くの人間の血が流れることは間違いない。

 

「それにしても、サイレンサー付きの拳銃なんてどこから調達したんだ?」

 

『その調達元については、既に特定しています。どうやら、闇の武器商人を通じて大量の重火器を密かに仕入れていたようです』

 

「監視カメラの映像とかの電子的な痕跡は一切残してなかったから、足取りを辿るのにはかなり苦労したけどな」

 

Lの説明に対し、藤丸は欠伸をしながら付け加えた。目の下には隈ができており、非常に眠そうにしているのを見るに、どうやら徹夜で調べたらしい

 

『密輸された武器の中には、手榴弾や機関銃、RPGといった強力なものも確認されています』

 

「……やっぱり、正面から攻めてスーパーコンピューターを破壊する策は却下だな」

 

『はい、その通りです。確実な方法ではあったのですが、残念ながら実行は不可能です』

 

「やはり、HALの提示したゲームに勝つ他に手段は無さそうだな……」

 

現実世界のスーパーコンピューターへの直接攻撃が封じられたとなれば、HALが提案したゲームに乗る他に道は無い。不確定要素の多い、圧倒的に不利な条件での戦いになることは間違いないが、イベント開催に際してSAO生還者を大勢呼び込むとも言っていたのだ。犠牲者が大勢出る事態を看過することはできない以上、不参加という選択はどの道取れない。

 

「というより、そもそもの話なんだけど……あのHALとかいう奴は、オーディナル・スケールを使って一体何がしたいワケ?」

 

「電子ドラッグなんて物騒な物を作って、たくさんの人を操って……それでやっていることが、ARゲームのイベントですもんね。私達のようなSAO帰還者を狙っているみたいですけど、里香さんの言うように、目的がよく分かりませんよね」

 

里香と圭子が口にしたのは、今回の事件における根本的な部分の疑問だった。電人HALのその創造者である春川英輔と、その協力者である重村徹大。主犯と目されるこの二人の目的は、未だにはっきりとしていない。このような途方も無い手段を講じてまで進めている計画というものは何なのか……

分かっていることは、オーディナル・スケールにおける一連のアインクラッドのフロアボス出現イベントは、標的とされるSAO生還者を呼び込むことを目的として開催されていたこと。そして、時にエイジという実行役を投じて、SAO生還者を直接攻撃してまで、HP全損へと誘導させていたということだった。

 

「その件について、私の方で掴んでいる情報がある」

 

里香と圭子が発した疑問に対し、和人や新一といった捜査メンバーを除く一同が首を傾げる中、めだかが口を開いた。

 

「問題になっているオーディナル・スケールのイベントに参加して、HPを全損したSAO帰還者達に起きた異変だ。これは、私がこの件について気付いたきっかけでもある」

 

「一体、何が起こったっていうの?」

 

めだかが口にした異変という言葉に反応した詩乃が、その詳細を説明するよう追及する。昨晩、イベントに参加してHP全損したという和人のことが気になって仕方が無いのだろう。

一方、問題のイベントでHPを全損したSAO帰還者当人である和人は、その表情を僅かに強張らせていた。

 

「イベントでHP全損指定以降、ある限定的な記憶障害が起こっているらしい。それがために、特定の記憶が思い出せなくなっているという」

 

「記憶障害、ですって……?」

 

「……一体、何の記憶が思い出せなくなっているんですか?」

 

記憶障害という捨て置けない単語に対し、動揺を露にする一同。そんな中、明日奈はその表情を険しくしてめだかへ詰め寄り、その先を促す。

 

「イベントにおいて、フロアボスの攻撃を受けてHPを全損したSAO生還者達は……“SAO事件当時の記憶”が思い出せなくなっているらしい」

 

その衝撃の事実に、会議室に集まった捜査メンバーを除く者達は目を見開いて驚愕する。中には、その言葉を真実として受け止められずにいる様子の者もいたため、めだかがさらに説明を付け足す。

 

「信じられないことだろうが、事実だ。現に私も、一護、アレン、葉かと話をして確認している。三人とも、SAO攻略組として活動していた時の記憶が完全に抜け落ちていた」

 

「そんなことが……っ!」

 

「横浜港北総合病院でメディキュボイドを取り扱っている倉橋医師にも確認したが、同様の症状を同様のタイミングで起こしている患者が何人も確認されているらしい。違うか、和人?それにL」

 

「………………」

 

めだかからの説明が終わり、問い掛けられた和人は、一言も言葉を発さないままその場で暫し瞑目する。

被害者本人達から話を聞いた上、明日奈等もよく知る専門家にも確認を行っている以上、言い逃れは通じない。

意を決した和人は、ワタリが持つパソコン――正確には、パソコンのカメラ――へ視線を向け、無言で頷いた。それと同時に、パソコンのスピーカーから、通信相手であるLの声が響いた。

 

『めだかさんの説明は、全て事実です』

 

Lからの肯定の言葉により、めだかの捕捉説明が事実であったのだと、その場にいた全員が改めて認識し……それと同時に戦慄した。

そんな一同の反応を余所に、めだかから引き継ぐこととなった今回の事件に関する説明が、Lによって続けられていく。

 

『オーディナル・スケールのイベントでHPを全損したSAO生還者の脳には、限定的な記憶スキャニングが行われた形跡があったそうです。SAO時代の記憶を強く励起させる出来事を体験させることにより、記憶のキーとなる単一ニューロンを特定し、そこに電磁パルスを集中させて強制的にイメージを読み取ったと思われます』

 

「SAO時代の記憶強く励起って……まさか!」

 

『はい。フロアボスとの戦闘……その最中でダメージを負って、HPを全損することなのでしょう』

 

常に死と隣り合わせだったSAO事件当時において、特にその恐怖を強く感じる機会があったのは、他でもないフロアボスとの戦闘だった。明日奈はやめだかといった攻略組プレイヤー達も、死を覚悟した場面は一度や二度ではない。HP全損ともなれば、否が応でも、当時の記憶が呼び覚まされるトリガーとしては十分だった。

 

『記憶障害は、おそらく記憶スキャンの影響で起こっているのでしょう』

 

「……つまり、一連の事件は、SAO生還者の記憶をスキャンして、収集するために引き起こされたっていうことなの?」

 

『そのような結論に至ります。彼等が収集した記憶で何をしようとしているのか、まではまだ分かっていませんが』

 

首謀者達がこのような計画を立てた真の目的までは分からかったが、計画遂行に当たってどのような手段を取っているかはこれではっきりした。だが、その手段の代償が、SAO事件当時に限定されているとはいえ、記憶障害である。どのような目的があったとしても、あらゆる意味で許容できるものではない。

尤も、だからこそ重村や春川は、水面下で誰にも悟られないように、HALや電子ドラッグを駆使して計画を進めてきたのだろうが。

 

「ちょっと待って。記憶障害は、被害に遭ったSAO生還全員に起こっているのよね?なら……」

 

そこまで話したところで、全員の視線が一人の人間に集中する。他でもない、昨日のイベントでHPを全損した和人である。

ことここに至っては、誤魔化しは一切通用しないことは言うまでも無い。皆から無言の視線による圧を受けた和人は、静かに口を開いた。

 

「はい。昨晩から、SAO事件当時の記憶が一部思い出せなくなっています」

 

何でもないことのように、淡々とした口調で肯定してみせた和人。だが、その場にいた全員は騒然としていた。特に明日奈と詩乃が強く衝撃を受けた様子だった。

 

「大変じゃない!こんなところにいないで、早く病院で診てもらわないと!」

 

「受診したところで、症状が改善することはありません。それに、SAO事件の記憶全てが消えているわけではありません。捜査に支障はありません」

 

「そういう問題じゃないでしょう!!」

 

自身の記憶障害を、気に留める程の事でも無いと言わんばかりの和人の態度に、明日奈はその端正な顔を怒りに染めて、声を荒げる。あまりの剣幕に、周囲はビクリと震えて思わず後退りした程だった。だが、当の和人はどこ吹く風といった様子でその表情を崩さない。

そんな中、めだかがかずとの言動を訝り、口を挟む。

 

「今、妙なことを言ったな。今回の事件で被害に遭ったSAO生還者達は、事件当時の記憶は全く思い出せなくなっている。なのにお前には、どうして事件の記憶が残っているんだ?」

 

「言葉通りの意味だ。原因は分からんが、どうやら俺は、スキャニングが上手くいかなかったようだ。当時の記憶は三割から四割くらいが虫食い状態で思い出せない部分があるが、消えずに残っている記憶もある」

 

スキャニングが上手くいかなかった正確な原因は、和人自身にも分からない。だが、仮説は立てられる。

和人は異世界の忍者である、うちはイタチの前世の記憶を引き継いでいる。その人生は、常在戦場で、常に死と隣り合わせと言っても過言ではなかった。そしてその末に、本物の死を……それも二度も経験しているのだ。

SAO事件の記憶をスキャンするためのトリガーが“死の恐怖”だとするならば、死を誰よりも身近な存在として感じてきた前世を持つ和人には、事件当時の記憶を呼び起こすには十分な刺激足り得ない。それが、スキャニングが上手くいかなかった原因なのかもしれない。

 

「ともあれ、フロアボス攻略に関する情報に関しては、幸いなことに七十五体分全て思い出せる。さっきも言ったが、捜査を続けるのに問題は無い」

 

「あのねえっ!」

 

「それより、話の続きだ。HALを止めるには、スフィンクスの排除は必須だ。現実世界からそれができない以上、危険を承知で奴が提示したゲームに身を投じる他に手は無い」

 

『あのう、そのことなんですが……』

 

怒りが収まらない明日奈を余所に、HALが開催するゲームへの参加を改めて表明する和人。だがそこで、ユイがおずおずと手を挙げた。

 

『昨晩のイベントで、パパがHP全損した時に、オーグマーから光の球体が出てきていました。恐らくあれが、スキャンされた記憶のデータだったんだと思います』

 

「本当なのか?」

 

『はい。記憶データの光球は、オーグマーから出た後、上空を飛んでいたドローンに吸い込まれていきました。多分あのドローンは、通信状況緩和に加えて、データを回収するためのものだと思うんです』

 

『光球が出てきて、ドローンに吸い込まれたところは、僕も確認している。尤も、仲に侵入したところまでは良かったけれど、危うくHALに捕まるところだった。ユイちゃんが助けてくれなかったら、本当に危なかったよ』

 

苦笑しながらユイの話を肯定するのは、同じプログラムであるヒロキだった。

 

『それで、思ったんですけど……あのドローンをどうにかできれば、計画を止めることはできるんじゃないでしょうか?』

 

「成程……記憶を収集する装置を破壊する等して無力化すれば、連中の計画は滞ることになる、というわけか」

 

めだかの問いに、ユイは強く頷いた。

ドローンが記憶データ回収のために必要な装置ならば、それを排除することで計画を中止、或いは遅延させられる可能性がある。上空を飛行するドローンならば、電子ドラッグで強化された人間であっても、守り切ることはできない。狙撃等の遠隔手段で撃ち落とせば、リスクも無い。和人達も、罠と分かっているゲームに赴く必要は無くなる筈、とユイは考えていた。

 

「残念だが、それは却下だ」

 

『ど、どうしてですか!?』

 

「ドローンの破壊は確かに有効な方法だ。だが、それを行えば、HALはより危険な手段を講じて計画を強行するだろう。それこそ、昨晩の俺への襲撃のようにな」

 

『!!』

 

和人の言葉に、しかし誰も否定することはできなかった。現に昨晩の和人襲撃は、大怪我どころか命の危険すらあったのだ。電子ドラッグを使用し、闇の武器商人から銃火器を買うというとんでもない手段を実行しているHALである。春川英輔の目的のために、ただただ忠実に計画を遂行するプログラム然としたその行動には、躊躇というものは全く感じられなかった。

 

「よって、HALが提示したゲームへの参加は確定だ。他のSAO生還者も多数呼び込むと言っていた以上、罠であろうと、どの道放置するわけにはいかない」

 

「そうよね……」

 

「今から説得するなんて、多分無理ですもんね……」

 

オーディナル・スケールのイベントで起こっている出来事をネット上で拡散して、SAO生還者に参加自粛を呼び掛けるという手段は使えない。誰も信用しないだろうし、公的な場所へ訴えかけたとしても、証拠が足りない。それに、譬え警察や政府の関係者を動かせたとしても、HALが手を回している可能性もある。

 

「クォーターポイントのフロアボス三体か……」

 

「かなりヤバいって話だけど、やるしかないみたいね」

 

フロアボスの能力的にも、HALの仕組んだゲームという点からしても、困難な戦いになることは間違いない。だが、最早戦う以外に道は無い。会議室に集まった面々は、改めて覚悟を決めた。

 

「それで、ゲーム参加に当たって、一つ言っておきたいことがある」

 

そうして本格的な作戦会議を始めようとした時。和人が待ったをかけた。そして、真剣な表情で言った。

 

 

 

「明日奈さん達には、今回の事件からは、手を引いてもらいます」

 


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