ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
「ワォォオオオン!!ウォォオオオン!!」
溶岩の肉体を持つ異形の猟犬、サカズキ・ザ・マグマハウンドが、獲物と定めたプレイヤーを睨みつけながら咆哮を上げる。その度に、ボスの体からは火山の如く炎が噴き出し、噴石の如き勢いで体表を覆う岩が射出されていく。
実体の無いARゲームの立体映像ながら、見ているだけでも汗が噴き出すような光景の中。フロアボス、サカズキが放つ炎の猛攻を紙一重で掻い潜りながら駆け回る一人のプレイヤーがいた。
「クラインさん!まだなんですか!?」
「もう少しだ!あと少しで、ボスの攻撃が止む!それまで粘ってくれ!」
半ば悲鳴に近い声を上げながら、国立代々木競技場第一体育館前の開けたスペースを縦横無尽に走り回るセナ。かつてのSAO攻略組において、最速の回避盾としてその名を知られたその俊足は、リアルにおいても健在だった。
ちなみにSAO事件後は、某校のアメフト部を取り仕切っている悪魔のような生徒に目を付けられ、半強制的に入部させられていたりする。
「サカズキの攻撃パターンは、旧アインクラッドや新生アインクラッドのものとほぼ同じですね。セナの高速の足なら、まず間違いなく逃げ切れる筈です」
クラインをはじめとした風林火山のメンバーと共にボスから距離を取っていたナギサは、オーグマーのカメラ機能を利用してボスの攻撃パターンの分析を開始する。攻略組の偵察部隊として活動してきたナギサは、ボスの行動パターン分析や弱点の割り出すための洞察力に優れていた。ナギサが持ち帰ったボスに関連する情報は非常に正確かつ有用なものばかりであり、攻略時の犠牲を最小限に抑えられたのは彼の実力によるところが大きいという認識が強かった。そんな攻略組の絶対的ともいえる情報力を支えてきたナギサの能力は、今尚健在であり、VRゲームのみならずARゲームにおいても遺憾なく発揮されていた。
「あと二、三発程、火山弾の攻撃が放たれたら、しばらくは特殊攻撃はできなくなる筈です。その間に、メイス持ちが主体となって攻撃をお願いします。弱点は腹部です。横合いから振り上げ、または切り上げの攻撃で狙ってください」
「よっしゃ、任せとけ!」
ナギサのボスの行動分析を聞いたクライン等が、各々の得物を手に攻撃態勢に入る。そして、ナギサが言った通り、セナ目掛けて三発の火山弾が放たれ……途端、溶岩の猟犬、サカズキの攻撃が止んだ。それを確認するや、クライン等風林火山がボス目掛けて突撃を開始する。
「今だ!行くぜ!!」
『応!!』
クラインの呼びかけと同時に、火山弾と噴煙を模した炎の猛攻を回避するために空けていた距離を一気に詰める。そして、連撃が始まった。
「ワォオッ!ウォオッ!」
クライン達を迎撃しようとするフロアボス、サカズキだったが、セナに向けて大量に放った火炎攻撃の反動により、上手く動けずにいた。さらに、ナギサが指摘していた、旧及び新生アインクラッドの時と共通する弱点である腹部目掛けて繰り出される連撃により、HPも大量に削られていた。
「ボスが力を取り戻すまで、残り十秒!炎の範囲攻撃が来るから、すぐに離れて!!」
各々の得物をサカズキの体目掛けて振るい、にダメージを与えていた風林火山一同だったが、ナギサの指示に従い、攻撃を中断すると即座に距離を取った。ナギサの言った通り、サカズキが勢いを取り戻し、全身から炎を噴出し始めたのは、それからすぐにことだった。
「あっぶねえ!もう少しで黒焦げにされるトコだったぜ!」
「けど、ナギサのボスの様子を見て指示を出してくれるお陰で、上手く切り抜けられたぜ」
オーディナル・スケールに出現したアインクラッドフロアボスの行動パターンは、SAOやALOで対峙したモンスターとほぼ同じである。故に、斥候としてフロアボスの行動パターン等の情報収集を行い、それらを頭に叩き込んできたナギサがいれば、後れを取ることはまず無い。
「セナ、もう一度回避盾をお願い!さっきと同じように、ボスの周囲を極力走り回って、移動を最小限に止めるようにして!」
「了解!」
攻撃のターンがボスモンスターへと回ったため、ナギサはすかさずセナへと回避盾を依頼する。本来、アインクラッドのフロアボスモンスターのような強大な敵を相手する際には、ディフェンダー隊や回避盾を充実させた状態で臨むのがセオリーだが、突発的に発生したこのボス攻略イベントにおいては、回避盾をセナ一人に頼るほかない。しかも、現実に体を動かすARゲームともなれば、体力の問題も出て来る。
(幸い、セナがSAOのアバターと同じ、『高速の足』を持っていてくれたお陰で、回避盾は何とかなってる。風林火山のメンバーが攻撃している間に休んで体力を回復すれば、時間的にはギリギリになるけど、ボス討伐はできる筈……)
それが、戦闘開始以降に風林火山のメンバーがボスに与えた攻撃の回数と、ここまでの戦いの流れ、残り制限時間から導き出したナギサの結論だった。
「よっしゃ!ボスの動きが止まった!また行くぜ、皆!!」
『応!!』
そして、セナが回避盾として攻撃を捌き続けたお陰で、再び風林火山へと訪れる攻撃のターン。ボスの残り体力を鑑みるに、恐らくはこれが最後の攻撃になることだろう。そう考えたナギサは、行動パターンを読んで指示を送る役から一転。得物である短剣を手に風林火山と並び、攻撃へ参加しようとする。
そして、風林火山のメンバー六人とナギサの、合計七人による総攻撃が行われようとした――――――その時だった。
「うぐっ……!?」
ゴキリ、という音とともに聞こえた呻き声。一体何事かと、一同はボスへの攻撃を行うことも忘れて振り返る。そこにあったのは、一番後ろにいた風林火山のメンバーが、一人の青年――エイジに腕を極められているという光景だった。
「困るんだよ……あんた等は大事なサンプルなんだからさ。SAOフロアボスとの戦いには、“恐怖”を胸に臨んで、倒れて貰わなくちゃね……」
エイジはそれだけ言うと、関節技を極めていた風林火山メンバーの腕ごとその体を放った。そして、新たな標的目掛けて動き出す……
「――――――え?」
目にも止まらぬ速さでの、肉薄。関節技を極められた状態で報られた仲間の近くにいた風林火山メンバーは、エイジが見せた動きに反応する間もなく、接近を許してしまった。
「うぐっ!!」
繰り出されたのは、顎を狙ったアッパーカット。正確に狙いを定めて放たれたその一撃は脳を揺らした。そして、地面に仰向けに倒れた風林火山メンバーの腹部目掛けて、エイジは掌底を繰り出す。
「がはっ」
顎と鳩尾を立て続けに攻撃され、完全に動けなくなった風林火山メンバー。だが、エイジは目もくれずにすぐさま次の獲物に狙いを定め、襲い掛かった。
「ひっ……!!」
三人目の風林火山メンバーの胸部へ、エイジの右フックが叩き込まれる。先程放ったアッパーカット、掌底と同様、目で追うこともできない程の速度で繰り出された一撃を前に、倒れ伏す風林火山メンバー。打撃と共にゴキリという鈍い音が鳴ったため、肋骨が折れている可能性が高い。
「お前っ!」
「この!」
仲間二人が目の前で一方的に攻撃されたことで、エイジを完全に敵と見なした風林火山メンバー二人が、エイジを取り押さえようと動き出す。だが、エイジは焦る素振りも見せず、軽くステップを踏むような最小限の動きをもって、自身を取り押さえようと二人が伸ばす腕を躱す。結果、風林火山メンバー二人は対象を捕り逃してつんのめることとなった。エイジはその隙を逃さず、手前にいた一人の顔面に膝蹴り、もう一人の横面に回し蹴りを繰り出した。
「……テメェッ!」
「駄目です!クラインさん!!」
たった一人の若い男に、大の大人四人が赤子の手を捻るように叩き伏せられるという光景に戦慄するクラインだったが、仲間達がやられたことに対する怒りの方が勝った。ナギサの制止を振り切ったクラインは、エイジに向かって殴りかかった。
だが……
「おいおい、興醒めだなぁ……」
クラインが振り翳す拳は、エイジに掠りもしない。余裕綽々と言わんばかりの勝ち誇った表情で、次々繰り出される攻撃をひょいひょいと避けるエイジ。先程の風林火山のメンバー四人を戦闘不能に追い込んだ動きも含めて、人間離れしているとしか形容できない動きだった。その姿に、傍から見ていたナギサとセナは勿論、殴りかかっていたクラインすらも驚きを隠せなかった。
「うっ……ぐぁっ!?」
そうして拳を避けられ続けることしばらく。エイジはクラインが殴り掛かった際に繰り出した右腕の手首を掴み、捻り上げた。
「もっと楽しもうぜ……!」
「ぐぐっ……ぐぁぁあああ!!」
クラインの腕を捻り上げる力を徐々に上げていくエイジ。際限なく、強まり続けるその力に現界を迎えたクラインの腕からゴキリという音が鳴り、クラインが苦痛の声を上げた。
「ふんっ……」
「ぐぅうっ……痛ってぇ……!!」
折られた右腕を押さえて地面に蹲るクライン。その付近では、同様に負傷した状態で倒れ伏している四人の仲間達がいる。そして、死屍累々と形容すべきこの状況を作り出した張本人たるエイジは、その中央にて涼しい顔のまま平然と立っていた。
オーディナル・スケールのランク二位のプレイヤー、エイジによって行われた、風林火山に対する一方的な蹂躙。その惨状を、ナギサとセナの二人はその場に立ち尽くして見ていることしかできなかった。
「セナ、逃げるよ……!」
「えっ!?でも、クラインさん達が……」
エイジの恐るべき戦闘能力を目の当たりにしたナギサが下した判断は、この場からの離脱。風林火山のメンバー六人を瞬く間にノックアウトしたその身体能力に、自分達では敵わないと判断したが故の結論だった。だが、この場にクライン達を負傷した状態で残すことに、セナは抵抗があった。
「見ただろう、あの動き。僕等では勝ち目がない以上、今は逃げるしかない。警察に通報して、助けを呼ぶんだ」
「けど……!」
「迷っている暇は無い。あいつがこっちに来る前に、行くよ……!」
クライン達を放置して逃げることには抵抗があったが、今はナギサが提案したように、逃げる以外に手は無い。腹を括ったセナは、踵を返して走り出した。
負傷して倒れ伏したクライン等の苦痛に歪んだ表情を眺め、エイジは一人悦に浸っていた。今目の前にある光景は、自身がこの計画に参加する目的の一つだっただけに、その喜びも一入だった。
「ククク……見たか。これがVRとARの違いだ」
SAOという偽りの世界ではなく、現実の世界において手に入れた、“本物”と呼べる力をもって恨むべき相手を叩き潰す。
中々味わえないその快感に酔いしれるエイジだったが、そこへ水を差す者が現れる。
『エイジ君。お楽しみ中のようだが、二人程取り逃がしているぞ。人のいる場所に出て来る前に、早々に仕留めたまえ』
エイジの背後に現れたのは、重村と並ぶこの計画の協力者――正確には、協力者の分身と呼ぶべき存在――だった。エイジは男からの指摘に対し、興醒めとばかりに内心で舌打ちをしつつ、表情と思考を即座に切り替えた。
「分かっているさ。逃すものか……一人たりとも!」
『期待しているよ。逃げ出した者達の逃走ルートは、これだ』
オーグマーを操作し、男から齎された標的の位置情報を確認したエイジは、標的二名の位置を確認すると、一気に駈け出していった。その背後では、フロアボスである溶岩の猟犬、サカズキの放つ炎に呑み込まれたクライン達の悲鳴が響いていた。
「くっ……駄目だ!車が邪魔で通り抜けられない!」
「おまけに電話も通じないなんて……どうしてこんなことになってるのさ!?」
エイジから逃れるべく、イベントのバトルフィールドとなっていた国立代々木競技場第一体育館の敷地を出たナギサとセナは、人のいる場所を目指して南側へと走っていた。今走っている道を真っ直ぐ行けば、区役所をはじめとした建物が多数ある、人通りの多い場所に出ることができる。オーグマーにて確認した位置情報を頼りに走る二人だったが……その道は車で塞がれて通ることができなくなっていた。
しかも、逃げる最中に助けを呼ぶべくオーグマーの電話機能を使用を試みると、アンテナは圏外で繋がらない。しかも、オーグマーとは別に持っていた携帯電話も同様である。一体全体、どうなっているのだと、セナとナギサは自分達に降りかかる理不尽に声を上げていた。
「こうなったら仕方ない。遠回りになるけど、ケヤキ並木を通っていくしかない!」
「道は一本だけだし……それしかないよね!」
逃げ道は一つしか残されていない以上、迷う暇は無い。二人は再び足を動かし、ケヤキ並木を目指した。そして、七十メートル程の距離を走ったところで、二人は大きな通りに出た。通りの両端に規則正しくケヤキが並ぶこの場所は、代々木公園の観光スポットの一つであるケヤキ並木である。冬のクリスマスシーズンなどは、イルミネーションが飾られて道が照らされているのだが、今の季節は数メートル先までしか視認できない、夜の闇が広がるのみだった。
「どっちへ逃げた方が良いのかな?」
「区役所のある方は……駄目だ。あそこも車が塞いでる」
ケヤキ並木において、二人が立っている場所は真ん中より南寄りの地点だった。南に進めば区役所等のある人通りの多い場所、北へ進めば代々木公園野外ステージへと至る。距離の短い区役所方面へ向かうべきだが、道が塞がれている以上、北方向へ進むしかない。
「さっきの車といい……なんか誘導されている感じ、しない?」
「気のせいじゃないよ、セナ。僕等は間違いなく、何かの罠に嵌められている……!」
セナが恐る恐る口にした推測に対し、ナギサは強く断言した。思い返してみれば、今回のイベントは偶然で片付けるには出来過ぎていることばかりだった。
イベント開催に際して指定された場所は、都内の有名スポットでもある代々木公園の中。時刻は例によって夜中であるために人通りは非常に少ない。結果、クライン率いる風林火山の面々は人通りの無い場所からの遠回りを余儀なくされた。そこへ現れたのは、アインクラッドのフロアボスモンスター。さらに止めとして、圧倒的な戦闘能力を持つランク二位のプレイヤー、エイジがクライン達を強襲、負傷させたのだ。
そして今も尚、現場を脱出したナギサとセナは、車によって通り道を塞ぐことで、人気の無い場所へと誘導されている節がある。
(きっと狙いは最初からクラインさん達だったんだろうけど……今は間違いなく、僕等も狙われている……!)
フロアボスイベントで誘い出したクライン達を、地理的な条件を利用して孤立させ、予期しないフロアボスの出現をもって足止めしたところを強襲する。それが、襲撃者の狙いだったのだろうとナギサは推測していた。
ナギサとセナは、偶然にもクラインと遭遇したことで巻き込まれたのだろうが、今は標的に含まれていると見て間違いない。
(これが全部、仕組まれたことだっていうのなら、一体何が狙いなんだ?そもそも、オーディナル・スケールのイベントを利用してこんなことができるのは――――――)
自分達が巻き込まれた事態について考察を巡らせるナギサだったが、それは目の前で発生した新たな異変によって中断された。
「んなっ!?」
「これって……!」
二人のすぐ目の前の地面から迸る、白い光。SAOのアインクラッド、ALOの新生アインクラッド、そしてオーディナル・スケールに共通している見慣れた現象に、二人は戦慄する。
「ウォォォオオオオオッッ!!」
「アインクラッド十五層フロアボス……『ボルサリーノ・ザ・フラッシュエイプ』!!」
ヒカリの中から雄たけびと共に現れる、金色の体毛をした大猿。果たして二人の予感が的中した通り、かつてアインクラッドにて倒したフロアボスだった。
オーディナル・スケールにおけるフロアボスが、代々木公園内で三体も出現するという異常事態に直面したナギサとセナは、何者かの思惑が働いているという確信を強くする。ともあれ、今はそんなことを考えている場合ではない。一刻も早く、逃げることが先決である。
「セナ、オーグマーを外して!」
「わ、分かった!」
自分達をアインクラッドフロアボスと戦わせることにどのような目的があるかは分からないが、デバイスのオーグマーさえ外してしまえばそんなことは関係ない。ナギサはセナとともにオーグマーを急いで外した。
「野外ステージまで走れば人がいる筈だ!急ぐよ!」
そして二人は、再び走り出す。オーグマーを外したことにより、二人の視界に映っていたファンタジーチックなデザインの大通りは、元のケヤキ並木に戻っていた。夜の闇に包まれ、街灯の薄明りが照らすその道を、とにかく走り続ける。が――――――
「そんなに急いで、どこに行くんだい?」
「「!!」」
突如として目の前に現れた男によって、その足が止められた。運動に適したスポーツウェアに身を包んだその男は、先程遭遇したランク二位のプレイヤー、エイジだった。オーグマーを外したことで、服装がオーディナル・スケールのそれとは異なっているが、間近で見るその顔に間違いは無かった。
(馬鹿な……もう追い付いてきたのか!?)
エイジの非常に高い身体能力をもってすれば、追い付かれる可能性があることはナギサもセナも理解していた。だが、それを考慮したとしても、エイジの動きは速過ぎる。しかも、二人に音や気配を悟らせず、瞬間移動と見紛うようなスピードで現れて見せた。かつてはSAO攻略組においてトップクラスの実力者であり、今は同じ学校に通うクラスメートにして、規格外の身体能力を持つことで知られるイタチこと桐ケ谷和人ですら、こんな動きはできない。
幻覚でも見せられているのではと疑いたくなるような事態だが、オーグマーを外している以上、目の前の出来事が現実であることを認めざるを得ない。
「くっ……わぁぁあああ!!」
「む……!」
「な、ナギサ!?」
目の前の男、レイジからは最早逃げられないと悟ったナギサが起こした行動。それは、姿勢を低くしてレイジに飛び掛かるというものだった。
「セナ、今の内に行くんだ!君の足なら、逃げ切れる!!」
「ナギサ……分かった!」
ラグビーのタックルの要領でエイジの腰へ体当たりをかましたナギサは、セナに逃げろと叫ぶ。二人揃って逃げ切ることは不可能だが、セナの俊足ならば可能性はあると考えた末の捨て身の策だった。
セナもまた、ナギサを見捨てることに逡巡したが、現状ではこれが最善の策であることが事実と考え、後ろ髪を引かれる気持ちを振り切るように走り出した。
「意外だな。SAOでは誰よりもリソースを独占することで自身を強化し、英雄を気取っていた元攻略組のプレイヤーが、こんな献身的な行動に出るなんてな」
ナギサが取った行動に、本心からの感想を漏らすエイジ。彼の中におけるSAO生還者――殊に攻略組というものは、他者を顧みることなく自身が生き残るために攻略に執念を燃やす、自己中心的な人間の集団という認識だった。
ナギサとセナにしても、追い詰められたこの状況ならば、どちらかが片方を犠牲にして自分だけ生き残ろうとするか、仲間割れを起こすかの末路を辿ると考えていたのだ。
「……君が僕達にどんな印象を抱いているかは知らない。あの頃の僕達が、自分のことを第一に考えていたことは否定しない。けど、僕達の中にあったのは、それだけじゃない……!」
「……うざいよ、お前」
対するナギサは、エイジの口から放たれたコメントに対して、反抗的な目を向けてそのような言葉を投げ掛けてきた。対話で時間を稼ごうという魂胆が見えたが、ナギサの態度はエイジの琴線に触れるものだった。苛立ちを覚えたエイジは、圧倒的な膂力でナギサの腕を自身から引き剥がす。そして、鳩尾目掛けて膝蹴りを叩き込んだ。
「ぐぁあっ……!」
「さて、次は……」
痛みに腹部を押さえて地面に蹲るナギサには目もくれず、エイジはもう一人の標的目掛けて駆け出した。
最初の一歩を踏み出したその瞬間から最大速度に加速したエイジは、そのまま先を走るセナへと肉迫していき……瞬く間に追い越した。
「っ!!」
信じられないものを見たと言わんばかりに顔を驚愕に染めるセナを追い抜いたエイジは、前方へ回り込むと右足を地面に突き立てて急停止する。そして、速さによる勢いを利用して、右足を軸に左足による回し蹴りをセナ目掛けて繰り出した。
「がっ……はぁっ……!」
腹部を薙ぐ一撃に、苦悶の声を上げるセナ。体をくの字に曲げたまま、走って来た方向へと吹き飛ばされ、地面を転がっていく。天地がひっくり返るような衝撃と激痛により、セナは立ち上がることすら儘ならない状態になっていた。
「高速の足を持つプレイヤー、セナ。その並外れた移動スピードをもって、攻略組の回避盾として最前線で並み居るモンスター達が雨霰の如く繰り出す攻撃の悉くを、一切のダメージを受けることなく切り抜けた、か……。まさかその俊足が、現実世界でも健在だとは、流石に驚いたな」
地面に横たわるセナに歩み寄りながら、エイジはそのようにコメントを口にした。クラインやナギサに対して投げ掛けていた言葉とは違い、心の底から素直に感心した様子だった。
「認めてやるよ。お前だけは、この現実世界においても真の力を持っていたってことはな」
クライン達風林火山を筆頭として、SAO生還者全てを憎むエイジだったが、目の前のセナだけは別だった。今回の計画において、常人を軽く凌ぐ身体能力を持つエイジに本気を出させたのは、彼一人。故に彼が口にした賞賛には、嫌味のようなものは一切含まれていなかった。
「だが、僕等の計画においてSAO生還者は皆等しく標的だ。悪いが、協力してもらおう」
痛みのあまり、まともに言葉が届いていないであろうセナに対してそう言うと、エイジはセナが手から落としたオーグマーを手に取り、彼に装着させた。そして、その首根っこを引っ掴むと、まるで犬や猫のようにセナを軽々持ち上げて見せた。小柄で体重の軽いセナとはいえ、並の人間の腕力ではない。
「……っ!」
「もっと楽しもうぜ。ほら……恐怖しろ」
オーグマーを装着したことで、強制的にオーディナル・スケールへ再度ログインさせられたセナが見たもの。それは、アインクラッドフロアボス『ボルサリーノ・ザ・フラッシュエイプ』が放つ閃光だった――――――
「ふぅ……ようやく終わったわね」
「お疲れ様です、ママ」
代々木公園にて行われていた戦闘イベントにて、フロアボスモンスターの『ルッチ・ザ・レオパルドモンク』を無事に倒したアスナを、ユイが労う。
「アスナさん、大丈夫?」
「あ、大丈夫です、ランさん」
膝に手をついて息も絶え絶えの状態のアスナの隣に対し、ランがスポーツドリンクを差し出しながら話し掛けた。ランは空手で普段から鍛えているため、アスナ程消耗していないようだったが、激しい運動で僅かに息が上がっているように見えた。
「マコトさん、カッコよかったわよ!」
「ありがとうございます、ソノコさん」
そんなアスナ等から少し離れた場所には、マコトとソノコの姿があった。ラン以上に激しく動いてボスモンスターに攻撃を繰り出していた筈のマコトだったが、疲労した様子は全くなく、普段通りのお自然体だった。ソノコの方は、マコトの勇姿を見て未だに興奮が冷めやらぬといった状態だった。
アスナ達以外のプレイヤー達も、激しい運動で地べたに座り込んでいる者や、達成感に歓喜している者など、様々な反応を見せていた。
そんな中、ふと顔を上げたアスナの瞳が、視界を上下するものを捉えた。人の手のようだが、一体誰だろうと思ったその時。
「おめでとー!」
先程までステージの上で歌とダンスを披露していたAIアイドル、ユナが姿を現した。
「うわわわわわっ!!」
対するアスナは、いきなりユナが近くに姿を現したことと、先日のフロアボス攻略の報酬と称して頬にキスをされた記憶が蘇ったことで、反射的に後退ってしまった。
「そんなに警戒しなくてもいいのに……傷つくわ」
そんなアスナのやや過剰な反応に、ユナは少しばかり残念そうな顔で呟いた。しかし、それ以上アスナに詰め寄るようなことはなかった。
少しばかり距離が開いた状態のまま、ユナがアスナに向けて指を振る。すると、フロアボス攻略の報酬であるポイントがアスナへ付与され、頭上に表示されたランクも大幅に上昇した。周囲に屯していたランやマコトをはじめとしたプレイヤー達も、後から同様に報酬が付与されていった。
「またね……アスナさん」
「!?」
AIであるユナが自身の名前を呼んだことに、少しばかり驚くアスナ。一方のユナは、そんなアスナにウインクすると、あっという間にその場から姿を消してしまった。
そうしてイベントは終了し、集まったプレイヤー達は各々、オーディナル・スケールからログアウトして家路に就き始めた。
「さて……それじゃあ、私達も帰りましょうか」
「そうですね」
オーディナル・スケールからログアウトした蘭に促され、明日奈もまた帰路に就こうとする。そこへ、すぐ傍にいた園子と真も合流する。
「駅までは真さんが送ってくれるってさ。辺りはかなり暗くなっちゃってるけど、蘭と真さんがいれば、譬え殺人犯が出てきても安心ね。むしろ、殺人犯に同情しちゃうくらいかも……」
「ちょっと!それ、どういうことよ!?」
暗に殺人犯よりも危険な人物であると宣う園子に抗議する蘭。事実、探偵たる父親や幼馴染の仕事場でそういった手合いを何人も叩き伏せきた実績――戦績ともいう――がある以上、否定はできない。そんな二人のやりとりを、明日奈と真は苦笑して見ていることしかできなかった。そうして、強力なボディガードを確保することができた明日奈は、三人と共に代々木公園の最寄り駅を目指して歩きだした。
代々木公園のイベント広場から北側へ歩き、赤坂杉並線沿いに西へ向かって代々木公園駅を目指すルートである。
「あれ?」
「明日奈さん、どうかした?」
道路沿いの道に入ってから数分。明日奈の視界が、自分達が進む方向とは反対の対向車線から走ってくる一台のバイクを捉えて足を止めた。その車種と色は、知り合いが普段乗用しているものと同じだった。
それに対して、件のバイクのドライバーは歩道の上に立っていた明日奈達の姿を視認するや、対向車線へと車線変更して近づいてきた。そして、明日奈の目の前に停車すると、ヘルメットのバイザーを上げた。
「こんばんは。明日奈さん」
「和人君!」
バイクの車種やドライバーの体格から、もしかしたらと思っていたが、案の定、和人だった。思わぬ人物の登場に明日奈は勿論、回りにいた蘭、園子、真も驚いていた。
「どうして夜中にこんなところに?」
「知り合いに会いに行っていて、遅くなった。オーディナル・スケールのイベントの告知は聞いていたんだが、間に合わなくてな……」
「残念だったわね!アインクラッドのフロアボスなら、さっき蘭と真さん、それに明日奈がきっちり倒したわ。お陰でポイントもガッポリ貰えて、ランクもかなり上がっちゃったわ」
「園子はほとんど見ていただけだったでしょうが……」
羨ましいだろう、と言わんばかりの園子に対し、ツッコミを入れる蘭。フロアボス戦の最中、園子は真の応援に熱を入れており、観客と化していたのだ。
戦闘には積極的に参加しなかっただけに、園子にとって蘭の指摘は非常に耳の痛いものだった。「うぐっ」と呻くと、先程までの高慢な態度はどこへやら。ジト目で睨む蘭から目を逸らし、ばつの悪そうな表情を浮かべ始めた。
「確かに、園子さんは戦いには参加していなかったかもしれませんが、私達を精一杯応援してくれました。私が頑張れたのは、そのお陰です」
「真さん……」
そんな園子を擁護するのは、恋人の真だった。拳を握り、園子の応援は無駄ではなかったと力強く主張する真に対し、園子は心の底から感激したような視線を向けていた。
そんな二人を、他の三人はやれやれと呆れた表情で見つめていた。園子と真はしばらく放置しておいた方が良いだろうと判断した蘭は、再び和人のほうへ向き直った。
「それで、和人君はこれから帰りなの?」
「ああ。オーディナル・スケールのイベントは、間に合わないだろうと覚悟していたが、明日奈さんが来ていると聞いてな」
「えっ!それって……」
「夜も遅いし、駅まではそれなりに距離もあるから、迎えに行ければと思って来たんだ。しかし……あまり意味は無かったようだな」
和人が心配したのは、明日奈一人に夜道を歩かせることだったのだろう。だが、和人の懸念に反して、明日奈に同行していたのは蘭と真という最強クラスの武闘家である。迎えが必要な状態とはいえない。
「そんなことないよ!」
だが、そんな和人の呟きを、明日奈が否定した。思わず声を上げてしまったことでしまったと気まずい表情を浮かべながらも、言葉を続けた。
「えっと……蘭さん達とは、駅までは一緒でも、帰り道は別方向だから……和人君さえよければ、送ってくれないかな?」
「ええ、勿論大丈夫です」
顔を若干赤くした状態で和人に頼み込む明日奈に対し、和人は二つ返事で了承した。その返事に、明日奈は内心でガッツポーズをしていた。和人が断る筈がないと分かっていたが、この千載一遇の好機を逃してなるものかと強い決意を固めていたのだった。
「それじゃあ、私は和人君に送ってもらいますので。蘭さんも京極さんも園子さんも、今日はありがとうございました」
「ううん、私達の方こそありがとう。気を付けて帰ってね」
一緒に帰っていた明日奈達に礼を言った明日奈は、車道へ出て、和人が乗るオートバイの後部へと跨る。和人は明日奈が腰に腕を回してしっかりホールドしたことを確認すると、オートバイを走らせた。
その道中、ふと和人が明日奈へ尋ねてきた。
「今日のオーディナル・スケールのイベントは、どうでしたか?」
「やっぱりアインクラッドのフロアボスが現れたよ。今回は、『ルッチ・ザ・レオパルドモンク』だった」
「そうですか。何か他に……変わったことは、ありませんでしたか?」
そんな質問を投げ掛けてきた和人に、明日奈は疑問符を浮かべる。一体、何のことだろう、と。
「別に……この前のイベントと同じだったけど?ボスの攻撃パターンはアインクラッドの時と同じだったし、報酬も結構たくさんもらえたし……」
「参加者の中に、ランク二位のエイジというプレイヤーはいましたか?」
「そういえば、今回はいなかったわ。そういえば……クラインさん達も、今日のイベントでは姿を見なかったわね。どうしちゃったのかな……携帯にも出ないし……」
「……」
「和人君は何か知ってる?」
「……いえ。俺の方は、何も知りません」
「そっか。まあ、何か急用が入ったとかでしょう。それより、今日の戦いで蘭さんと真さんが、積極的に前へ出て、とにかく勇敢に戦ってくれて………………」
その後も、明日奈は自宅に到着するまでの間、オーディナル・スケールのイベントに関する話題を中心に、和人と他愛もない話を続けた。背中越しにそれを聞いていた和人は、短い返事を返すばかりだったが、運転をしながらもしっかりと聞いてくれていたことが、明日奈は嬉しかった。
どのような形であれ、期せずして得られた、愛する人と二人きりでいられる貴重な時間である。和人の背中の温もりを感じながら、明日奈は今この時の幸せを噛みしめていた。
和人が一人、険しい表情を浮かべていたことに気付かずに――――――