ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第百十六話 届けた空がまだ孤独なら

「着いたぞ、木綿季」

 

『ありがとう、和人』

 

木綿季が帰還者学校への初の登校を果たしたその日の放課後。和人は木綿季に頼まれ、保土ヶ谷にあるという、かつて木綿季が暮らした家を訪れていた。

和人の目の前にあるのは、白い壁と緑色の屋根の家だった。周囲の住宅に比べてやや小ぶりだが、芝生のある広い庭を備えており、赤いレンガで囲まれた花壇もあった。

しかし、長年放置されていたのだろう。家の壁の塗装は若干剥げている。庭も荒れ放題で、備え付けられていたベンチもテーブルも色がくすんでおり、花壇にあるのはただの黒土とそこに生えた黒い雑草のみだった。

そんな、人が生活していたとは思えない程に変貌した我が家を目にした木綿季は何を思っているのか。和人の肩に乗るカクカクベアー君は黙ったまま、動きもしなかった。かつての自宅を前に、何を考えているのか……その真意は、和人には分からない。だが、今の木綿季と同じ気持ちだったであろう人物を、和人は知っていた。

 

(サスケ……お前も、同じような気持ちだったんだろうな……)

 

一族全員を自分が殺したがために、独りぼっちになってしまった弟……サスケ。彼もまた、日々このような静寂に満ちた家へと帰っていたのかもしれない。そう思うと、うちはイタチとしてかつての自分の行いに対する罪悪感が増していった。唯一の救いは、自身が未来の火影と信じて疑わなかったナルトのような親友を得られたことだろう。ならば、弟に対する直接の罪滅ぼしにはならないが、せめて今自身の傍にいる少女にだけは、そんな思いはさせないようにしようと、改めて決意をした。

 

『懐かしいなぁ……この家で暮らしたのは、ほんの一年くらいだったんだけどね。いつも姉ちゃんと走り回って、バーベキューしたり、パパと本棚を作ったりして……本当に、楽しかった』

 

「……中に、入ってみるか?」

 

『ううん、これで充分。今日は本当にありがとうね、和人。街の中まで見て歩いてくれて』

 

「気にするな」

 

木綿季に頼まれた和人は、かつての家以外にも、当時通っていた学校や通学路、馴染み深かった店等も巡っていた。学校が終わってからは、ほぼずっと歩き続けていたが、和人にとってはそれほど苦にはならなかった。

むしろ、かつて自分が暮らした街を再び見て回れたことに喜んでくれた木綿季の声を聞けただけでも、その甲斐は十分にあったと和人は感じていた。

 

「既に夕方だが、家の方には既に連絡を入れている。他に行きたい場所があるなら、一カ所くらいは行けるぞ」

 

『それじゃあ……最後に、行ってほしい場所があるんだ。ここからちょっと行ったところにある教会なんだけど……』

 

木綿季が最後に希望したのは、昔家族で通っていたという教会だった。時間も時間なため、恐らく既に閉まっているだろうが、それでも行ってみたいと言うので、和人は木綿季の案内に従って向かうことにした。

そうして、歩いていくこと十五分ほど。和人はかつて木綿季が家族とともに訪れていたという教会に辿り着いた。教会の門は既に閉じており、中には誰もいない様子だった。

 

「やはり、閉まっていたな」

 

『あ~……まあ、仕方ないかな。確か、ここは七時には閉まっちゃうから。けど、良いよ。この教会をまた一目見ることができただけでも、満足だから』

 

教会が閉まっていたことについては既に承知しており、気にしてはいなかったらしい。かつて通った年季の入った建物が、以前のままその場所にあることを確かめた満足したところで、和人はその場を後にしようとした。

 

『あ、和人。すぐそこに公園があるから、そこにちょっと入ってみて』

 

「……ああ、分かった」

 

木綿季に言われるままに、教会から歩いてすぐそこにあった公園へと入っていった。日中は近所の子供連れ等が訪れているのだろうが、この時間帯は完全に無人となっていた。

一先ず、公園全体を見渡せるベンチへと座った。恐らくは、木綿季やその姉である藍子も、この公園で遊んでいたことだろう。そんなことを考えながら、公園を眺めることしばらく。唐突に、木綿季が話し始めた。

 

『ここも、思い出の場所なんだ。教会からの帰りに、姉ちゃんや近所の子たちと遊んでさ』

 

「そうか」

 

『ママは、教会でお祈りの時に、いつも聖書に書いてあることを教えてくれたんだ。例えば、イエス様は、私達に耐えることのできない苦しみはお与えにならないっていうこととか。特に、ボクと姉ちゃんが薬を飲むのが辛かったりした時にね』

 

カクカクベアー君の首を教会の方へと向けて、木綿季はかつて家族と過ごした日々を懐かしみながら語っていた。恐らく今の木綿季には、家族とともに祈りを捧げる自分や、公園藍子と遊ぶ自分の姿が見えていることだろう。

和人はそんな木綿季の思い出話を、黙ったまま聞いていた。

 

『ママは、聖書に書かれていることをたくさん教えてくれた。けどね……本当は、少し不満もあったんだ。イエス様の言葉も大切だけれど……ボクは、ママ自身の言葉で話して欲しかったんだ』

 

「………………」

 

『けどね……今日、あの家へまた行ってみて、分かったこともあるんだ。ママはいつも、ボクや姉ちゃんのことを想っていてくれた。言葉じゃなくて……気持ちで、ボク達を包み込んでいてくれた。この先も、真っ直ぐ歩いていけるようにって、ずっと祈っていてくれたんだ』

 

「……自分の子供のことを大切に想わない母親はいないだろう。自分が病に侵されて、先が短いとなれば猶更だ」

 

和人の前世たるうちはイタチが、まさにそれだった。だからこそ、木綿季と藍子のことを想っていた母親の気持ちは、和人にも分かった。

しかしそこで、木綿季は『でもね』と言って言葉を区切った。

 

『気持ちってさ……やっぱり中々伝わらないものなんだよ。ママの気持ちだって、今になってようやく分かったんだもの。伝えたいことがあるなら、ぶつかるしかないんだよ。言葉にせよ、他の方法にせよ……』

 

「だから、明日奈さんとも真っ向から向かい合え……と、いうことか?」

 

和人が発した言葉に、スピーカー越しの木綿季の声がはっと息を呑んだように聞こえた。それを聞いた和人は、やはりな、とばかりに肩を竦めた。

 

『えっと……もしかして、気付いていたの?けど、いつから?』

 

「昼休みに、めだかに同行したいと言ったあたりからだ。恐らく、明日奈さんの問題で何ができることが無いかと、めだかに相談しようとしていたんだろうと思っていた」

 

『全部お見通しだったか……やっぱり、和人には敵わないなぁ……』

 

恐らく、仮想世界の中では、頬を掻きながら気まずい表情を浮かべているであろう木綿季の反応に、和人は最後まで知らないフリをするべきだったかと少し後悔していた。

フォローを入れることも兼ねて、和人は自身の考えを口にすることにした。

 

「俺も、明日奈さんが抱えている問題を解決したいと考えていたところだ。それも、今まで可能ならばと避けてきた……お前の言うように、ぶつかってみるやり方でな」

 

『和人……』

 

柄にもないことを口にしていたと自覚していたのだろう。自身の想いを口にする和人の声は、若干固かった。もしかしたら、ほんの少しだけ照れ臭かったのかもしれない。

そんな和人の姿に、木綿季は少し驚いていたが……同時に、微笑ましくも思っていた。

 

「だが、俺一人の力では、それも難しい……情けない話だがな」

 

『大切なのは、足りないものを補い合うための“チームワーク”でしょう?ボク達も明日奈も、同じパーティーで冒険をして、同じ学校に通う仲になったんじゃない。なら、ボクだって喜んで力を貸すよ!』

 

「そうか……お前がそう言ってくれたお陰で、俺も腹が決まった。それでは改めて言わせてもらいたい。明日奈さんの問題を解決するために、俺に力を貸してくれないか?」

 

『おぉっ……和人が素直にお礼を言って、ボクにお願いをするところなんて、初めて見たよ!』

 

「悪かったな……」

 

『ごめんごめん。それじゃあ、明日奈のこと、一緒に助けに行こうか!』

 

木綿季のその言葉に対し、和人は頷くと同時にベンチから立ち上がった。公園を後にして歩き去る和人の足取りは、木綿季の協力を得られたお陰か、いつもよりも軽かった。今は一人などではなく、自身の隣に並んで歩く心強い仲間の……木綿季の存在を、確かな繋がりのもとで感じていたのだから――――――

 

 

 

 

 

 

 

「待たせたな、木綿季」

 

「ううん、全然。ボクも今来たところだよ」

 

ALOの舞台であるアルヴヘイムの中心に位置する世界樹。その頂上に存在するイグドラシル・シティの展望デッキにて、和人のアバターであるイタチと、木綿季のアバターであるユウキが向かい合っていた。

現実世界において、明日奈の問題をどう解決するかについて、木綿季と帰路で話し合った和人は、自宅で遅い夕飯と入浴を手早く済ませた後、ALOへとダイブしていたのだった。待ち合わせ場所は、二人ともアバターがイグドラシル・シティにあったため、お馴染みとなったこの展望デッキとなった。

 

「ララとめだかには連絡済みだ。向こうの動きに合わせて、こちらも予定通り……アスナさんを、例の場所へ連れていく」

 

「うん、任せてよ!」

 

自信満々に胸を叩くユウキに対してイタチは頷き、二人は目的地へと視線を向けて飛び立った。二人が翅を広げて目指す先にあるのは、空に浮かぶ鋼鉄の城――アインクラッドである。

 

「待ち合わせ場所は、二十四層の北にある観光スポットだ。このまま一気に行くぞ」

 

「分かった!」

 

イタチにユウキが追従する形で飛行し、世界樹の東側を浮遊していたアインクラッドの二十四層を目指した。アルヴヘイム全域を周回しているアインクラッドは、現在はアルンからやや離れた場所にあったが、全力のスピードで飛行すれば十分ほどで辿り着ける位置だった。その道中、ユウキがイタチに問い掛けた。

 

「ところでイタチ。心の準備とかは、大丈夫なの?」

 

「問題ない」

 

これから直面する困難を前にして、いつものように冷静いられるのかと心配していたがユウキの問いに、しかしイタチは即答してみせた。相変わらず表情も声の抑揚も乏しいイタチだったが、そこには揺るぎない決意が感じられた。

 

「俺がどうするべきなのか……いや、どうしたいのか。そして、そのためには何をするべきなのか。その答えは、既に出ている」

 

「そっか……なら、安心だね!」

 

「目的については、本当は前から分かっていたことだ。尤も、それを叶えるための手段については、昔の俺ならば、考えもしなかったものだがな……」

 

フッと微かに自嘲するイタチだったが、昔とは違う、今の自分自身を不快に思っている様子は無かった。

 

「決意させてくれたのは、ユウキ……お前だ。感謝している」

 

「っ……どういたしまして!」

 

ユウキに対する感謝を素直に口にするイタチ。その顔に微かに浮かんだ穏やかな笑みに、ユウキは少しばかり驚きながら言葉を返した。

 

「そろそろだな」

 

「あ、そうだね!」

 

そうこうしている内に、二人はアインクラッドのすぐ傍へと到着した。外壁の手前五メートル程の地点へと辿り着いたふたりは、そのまま垂直に上昇し、目的地である二十四層『パナレーゼ』へと入り、北部の小島へと向かった。湖にいくつもの小島が浮かんだ圏外エリアの上を飛行しながら、目的の小島を探す。

 

「ララの話では、巨大な樹が目印らしい」

 

「う~ん……けど、この階層って小島は結構あるよね」

 

指定した待ち合わせ場所とはいえ、イタチもユウキも、あまり訪れたことの無いエリアである。目的の人物がいる島を見つけることは、簡単とは言えなかった。二人して視線を巡らせながら島を探すこと数分。イタチがそれらしい小島を発見する。

 

「あったぞ。あの島で間違いない」

 

「あ、本当だ!う~ん……ボクの方が早く見つけられると思ったんだけどなぁ……」

 

やや悔しがっているユウキだったが、イタチはそれを無視して小島へ向けて降下していった。島へ着陸し、中央を目指す。新たな階層が解放されてからあまり時間が経っていなかったためか、二人が降り立った小島の中には、他のプレイヤーの姿は全く無かった。そして、歩くことしばらく。島の中央にある、開けた場所へと到着した。すると、そこには……

 

「イタチ、君……?」

 

ウンディーネ特有の青い色の髪を靡かせた少女――アスナが、そこにはいた。その隣には、今回この場を設けるにあたってイタチの協力者となったレプラコーンの少女――ララの姿もあった。

イタチが現れたことが予想外だったのだろう。やや驚いた様子で硬直したアスナに対し、イタチの方から声を掛けた。

 

「お久しぶりですね、アスナさん」

 

同じゲームをプレイし、同じ学校に通う間柄ながら、ここ最近は出会う機会が極端に少なくなっていた。仮に偶然顔を合わせることがあっても、ゲーム・リアルを問わずアスナは無視するのみで、イタチも声を掛けられずにいた。

故に、こうして言葉を交わすのも久しぶりなのだが……アスナの方は、イタチの姿を見たことによる驚きから覚めた途端、キッと鋭い視線を向けた。どう考えても友好的とは思えない反応である。次いで、隣に立つララを睨み付けた。

 

「ララ……あなたが仕組んだのね」

 

「ごめんね、アスナ。けど、こうでもしないと、イタチと話をしてくれないでしょう?」

 

「余計なお世話よ……気分転換にALOで散歩しようって言ってついてきてみれば……!」

 

イタチの顔を見て、かなり苛立っているのだろう。イタチと示し合わせていたのであろうララを辛辣な口調で責め立てた。そこへ、イタチが割って入った。

 

「ララは何も悪くありませんよ、アスナさん。全て、俺が頼んだことです」

 

「……悪いけど、イタチ君と話すことなんて無いわ。ララ、私は先に帰らせてもらうわよ」

 

取り付く島もないとばかりに、イタチとの会話を頑なに拒否し続けるアスナ。ララとイタチが止めようと声を掛けるも、全く耳を貸す気配が無い。そのまま、翅を広げて空へと飛び立とうとする。だが、そこへ、

 

「待って、アスナ!」

 

飛び立とうとした先の空中に先回りしたユウキによって進路を遮られ、飛行を止められた。そんなアスナの左手に、ララがしがみついた。

 

「お願いだから待って!イタチの話も、少しは聞いてあげて!」

 

「放して!」

 

尚も食い下がる二人に対し、アスナは冷たい態度を取り続けた。左手を乱暴に動かして、ララの手を強引に振り解こうとする。だが、そうしている間に、今度は地上に降りてきたユウキに右手を拘束されてしまった。

 

「イタチだって、アスナのことで真剣に悩んで……その上で、ここに来たんだよ!イタチが今、アスナさんのことをどう思っていて……どうして欲しいのかくらい、聞いてあげなくてどうするのさ!?」

 

「そうだよ、アスナ!」

 

意地でもイタチとは話すまいとしているアスナだが、ユウキとララも、だからといって諦めるつもりは無かった。しがみつく両手に力を込めて、この場所から逃がすまいとしていた。勿論、イタチもそれは同様であり、アスナを見据えて一歩も退こうとはしなかった。

 

「………………」

 

ユウキとララに両手を掴まれたアスナがイタチを剣呑な眼差しで睨みつけ、イタチはそれを真剣な面持ちで受け止めていた。そうして、四人全員が膠着した状態で睨み合うこと数分。先に居れたのは、アスナだった。

 

「……分かったわ。イタチ君の話を聞くわ。だから二人とも、手を放して」

 

二人の粘り強い説得に、諦めたようにそう口にすると、アスナは手に加えていた力を抜いた。それでも二人は、手を離した隙に逃げ出すのではと身構えていたが、「逃げたりしないから」とアスナが一言口にしたことにより、二人は引き下がった。

そして、アスナとイタチが改めて向かい合う……

 

「それで、イタチ君。私に話って何?」

 

変わらず刺々しい口調で問い掛けるアスナだったが、イタチはそれを気にすることは無く、冷静に受け止めていた。

 

「まずは、お詫びをさせてもらいます。アスナさん、あなたの苦しみを理解しようとせず……逃げ続けてきて、申し訳ございませんでした」

 

「……何よ今更。そんな口だけの謝罪で、私が許すと本気で思っているの?」

 

頭を下げて謝るイタチに対し、アスナは変わらず辛く当たる。傍で見ていたユウキとララは、「何もそこまで言わなくても」と眉を顰める。しかし、対するイタチ本人は、当然の報いと自覚しているためか、アスナの口にすること全て甘んじて受け入れていた。

 

「俺は昔から、あなたから逃げ続けてきました。あなたの気持ちに気付きながらも……問題を先延ばしにしてきたのが、今の結果です」

 

「………………」

 

「SAO事件から一年が経過した今になっても、優柔不断のまま……あなたの気持ちに対する答えは見つからないままです。そんな俺が、許されるとは思ってはいません。しかし……今のアスナさんを、このまま看過することはできません」

 

初めから許してもらおうなどという虫の良い考えでこの場に来たのではないと断ってから、イタチはより真剣な表情でその先を口にした。

 

「アスナさん。もう一度、あなたのお母さんと向き合って、話をしてください」

 

「……やっぱり、それが目的だったのね」

 

イタチが口にした要望は、アスナにも予想できていたのだろう。これ見よがしな溜息を一つ吐くと、瞼を閉じて左手の指先で米神を押さえながら首を横に振った。

アスナが無意識の内に出したこの相手を威圧する間の取り方は、母親である京子がやっていることと同じものだった。家庭内で日常的に見ていたこともあるのだろうが、これも血の繋がった親子故とも言えることだろう。ちなみに、イタチもアスナが取ったこの態度に、京子の姿を想起していた。

 

「お母さんとは、話すことなんて何も無いわ。自分のキャリアのために、私を思い通りに動かしたいみたいだけど……そんなのはごめんよ。勝手に人生のレールを切り替えられるくらいなら、あんな家……自分から出て行くわ」

 

「……まだ学生であるあなたが家を出て、一体どうするつもりですか?」

 

「そんなの、イタチ君の知ったことじゃないでしょう。私がどこでどんな風に生きていこうと、私の勝手よ」

 

イタチの言葉に耳を貸す気も、母親である京子との対話に臨む気も無いアスナに対し、イタチだけでなく、ユウキもララも説得するための言葉が見つからない。一時の感情に駆られての家出と考えていたが、流石のイタチもここまで拗らせていたとは思わなかった。最早、結城家家庭内問題に関しては誰が何と言おうと、アスナは頑として聞き入れることは無いだろう。

決意を固めてこの場へ臨んだイタチだったが、今のアスナにはどんな言葉も届かない。最早、言葉による説得は諦めざるを得なかった。

 

 

 

そう、“言葉”による説得は――――――

 

 

 

「……アスナさん」

 

「……何?私はもう話すことなんて無いんだけど」

 

これ以上の問答を続けるつもりは無いという反抗的な意思を示すアスナに対し、イタチが改めて名前を呼びかける。対するアスナは、まだ何かあるのかと言いたげな表情ながら、足を止めてイタチの方を振り返った。そして、イタチは――

 

「あなたに、デュエルを申し込みます」

 

左手でシステムウインドウを操作し終え、イタチはそう言い放った。そしてつぎの瞬間、アスナの眼前に、デュエル申請のウインドウが展開された。

 

「……どういうつもり?」

 

「御覧の通りです。このまま問答を続けても平行線が続くのみならば、デュエルで決着をつける他に無いと判断しました」

 

常の冷静で荒事を望まないイタチらしからぬ過激な提案に、デュエルを挑まれたアスナは勿論、隣のララも同様に驚いていた。ただ一人、ユウキだけはこの展開を予想できていたのか、苦笑してその様子を見ていた。それと同時に、自身と同じ行動を選択したイタチに、親近感も抱いていた。

 

「私がそんな提案を受け入れるとでも?」

 

「SAOでは、あなたも俺に対して同じ提案をしていました。そして、俺はそれを受けました。である以上、あなたが同じ立場に置かれた時に逃げるというのは、不公平ではありませんか?」

 

イタチが口にした指摘に、アスナは押し黙ってしまった。思い出すのは、SAO事件当時のこと。攻略の方針を巡って対立したアスナは、イタチに対して攻略方針の主導権を賭けたデュエルを申し込んだのだ。結果はアスナの敗北となり、以後の攻略においてはイタチの要求が反映されることとなったのだった。

そんな経緯があった以上、かなりのごり押しとはいえ、イタチの提案を撥ね退けることはできない。何より、母親の理不尽を嫌って家を飛び出し、ララの実家まで巻き込んだ騒動に発展させたアスナである。今ここでイタチのデュエルを断れば、それはイタチの言うように不公平であり……アスナの母親と同じ、理不尽な行いをすることとなる。それは、他でもないアスナ自身が許せなかった。

 

「言葉によるやりとりだけで問題を解決できない以上は、あとは剣で語るほかに無いでしょう。もとよりそれが、SAO生還者である俺達のやり方だった筈です」

 

「………………」

 

抑揚に乏しいながら、明確な強い意思を感じさせる言葉で語りかけるイタチの言葉に、アスナは押し黙る。それまで聞く耳を持たなかったアスナだったが、イタチが投げ掛けた言葉によって、心が揺らぎ始めていることは、傍から見ても明らかだった。

 

(だが、決めるのはアスナさんだ……)

 

自身にとって有利な展開に持ち込むために、このような提案をして、アスナに揺さぶりをかけたイタチだったが、内心では断られるのではという不安もあった。SAO、ALO共にトップクラスの強豪プレイヤーと知られるイタチとアスナだが、デュエルの勝率ではイタチに圧倒的に軍配が上がる。つまり、イタチの提案を受けるということは、イタチの言うことを聞き……母親との対話に臨むことと同義なのだ。いくらSAOでアスナが行った方法をそのまま実戦しているとはいえ……イタチにとって有利な条件を提示するのは、アンフェアと言わざるを得ない。故に、アスナがここでイタチの提案を呑んでデュエルに臨んでくれるという絶対の保証は無いのだ。

しかし、イタチとてそんなことは提案する前から承知していた。それでもこのような提案をしたのは、アスナが今回の家出騒動における落としどころを探しているのではという予測があってのことだった。アスナとて、家出したこの状況をいつまでも持続させることができないことは理解している筈であり……いずれは母親と和解しなければならない。であるならば、このデュエルはそのためのきっかけになるの筈。

果たして、イタチの目論見は――――――

 

「……分かったわ。イタチ君、あなたのデュエルを受けるわ」

 

やがて、決意が固まったのか、アスナの口から、デュエルを受ける旨の返事がイタチに対して発せられた。それを聞いたイタチは、心の中で安堵の溜息を吐いていた。

 

「けど……私が勝ったなら、もう二度と私の事情には関わらないって約束してもらうわよ」

 

 

「勿論です。その代わり、俺が勝ったならば……もう一度、あなたのお母さんと対話をしてもらいます」

 

「……分かったわ」

 

併せて出された勝利時に呑むべき条件についても、互いに了承したところで、デュエル開始の流れとなった。そこで、ふとイタチは自身とアスナのやりとりを見ていた、ユウキの方へと視線を向けた。すると……

 

「イタチ!頑張ってね!」

 

「………………ああ」

 

思わぬ応援を受けてしまった。イタチもまた、若干驚きで間が空いてしまったものの、短く返すのだった。

本来ならば、イタチとアスナが互いの思いを打ち明け合う場を設け、対話による解決へと至る筈だった。それが、まさかのイタチが取った手段により、当初の平和的な解決からかなりかけ離れた手段となってしまった。故に、発案者のユウキとしては、不本意な展開の筈なのだが……むしろ応援していたことに、イタチは僅かに驚いていたのだ。

しかし、冷静に考えてみればそれほどおかしなことではない。彼女もまたSAO生還者達に非常に近しい気質を持つ剣士なのだから、正面から向き合いさえすれば、剣で語り合う解決方法も十分許容できるものなのだろう。ついでに言えば、ユウキ自身がイタチとアスナの全力でぶつかり合うデュエルを見たかったということもあると思われる。

そんな考えをイタチが抱いている間に、アスナがデュエル申請ウインドウの『全損決着モード』を選択してOKボタンをクリックした。そして開始される、六十秒のカウントダウン。その間に、両者はそれぞれの得物を手に取った。

 

「……イタチ君は、二刀流じゃないの?」

 

「ええ」

 

細剣を持つアスナに対峙するイタチが持っている得物は、右手に握る片手剣のみ。しかも、先のクエストで入手した伝説級武器『聖剣』エクスキャリバーではなく、ワンランク下のエンシェント・ウエポン級の装備で、比較的軽量型でややリーチの短い片手剣。左手には盾も装備せず、空きのままとなっていた。

それを見たアスナは、苛立ち交じりの声で、問いを投げた。

 

「……馬鹿にしているの?それとも、私相手に二刀流を取り出すまでも無いと、そう言いたいの?」

 

二刀流は、SAO時代のイタチを象徴する戦闘スタイルである。攻略組を率いて数多のフロアボスやレッドプレイヤーを相手に猛威振るい、立ちはだかる障害を悉く薙ぎ倒してきた無双の剣技として知られたそれを、イタチはALOにおいてもOSSとして保有し続けていた。

故に、二刀流を用いないと答えたイタチに対し、アスナがむっとなるのは無理も無いことだった。

 

「いえ、俺は本気です。二刀流は確かに強力ですが……あなたを相手するには、分が悪い。このデュエルには、剣士としてではなく……本当の意味の“忍”として臨ませていただきます」

 

イタチの口にした、「“忍”として臨む」という言葉。それを聞いたアスナは、イタチが口にしたことに嘘は無く、間違いなく本気であるのだと悟る。『黒の忍』と呼ばれるイタチだが、それは黒ずくめのに額当てという装備故に付いた二つ名であり、他者に対して『忍』や『忍者』と名乗ることは、前世の秘密を語る時以外には無かった。

故に、今のイタチは本気なのだ。アスナを含めた数名しか知らないイタチの秘密である――それでいて、その詳細を知る者はアスナを含めて誰もいない――前世のうちはイタチとしての己を前面に出そうとしている以上、戦闘能力は計り知れない。

 

「「………………」」

 

互いに剣を構えて向かい合うことしばらく。デュエル開始までの数十秒が、アスナには長く感じられた。相対するのは、付き合いの長いアスナですら見たことが無かった、“忍”としての全力を発揮したイタチ。一体、どんな戦いになるのか……全く予想のつかない勝負に緊張ばかりが増していく中……遂に、カウントダウンがゼロになり……両者は、激突した。

 


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