魔法世界興国物語~白き髪のアリア~   作:竜華零

81 / 101
アフターストーリー第26話「鳴動の12月」

Side グリアソン

 

市街戦。

いかに近代的装備を整えた軍とは言え、都市内部での戦闘行為は困難を極める。

特にサバのような工業都市になってしまうと、幾何学的な建造物が多く近接戦闘が多くなる。

 

 

帝国人、つまり人族よりも身体能力が高い亜人ゲリラの待ち伏せを受けやすく、かつ野戦のように隊列を組んで押し切る系統の戦闘では無いので、兵の錬度や数の差を活かすことができない。

装甲戦闘車両の大量投入もできず、市街地であるから機竜による絨毯爆撃で焼き払うわけにもいかない。

ウェスペルタティア人の脱出は済んでいるとは言え、帝国人の民間人を無視するわけにはいかないからだ。

 

 

「侵略者として石を投げられるのは良いが、虐殺者として歴史に汚名を残すのは嫌だからな」

 

 

とは言った物の、要塞線の突破の時点で2名だった我が軍の被害がここに来て増加したのは確かだ。

要塞線自体は図面と帝国人の協力のおかげもあって、5日で突破することができた。

艦隊の半数を残して後背の補給線を維持し、同時に駐留帝国兵を要塞内に押し込めている。

そこから2日でサバ近郊にまで進攻し、ヴァイクセル川の渡河作戦、ブッセ高地の占領作戦に成功した我が軍は、工業都市サバの包囲網を完成させた。

 

 

2週間に及ぶ包囲によって敵の補給を完全に遮断し、散発的に包囲を突破しようとする敵部隊を各個撃破し、同時に脱出してくる帝国市民を保護した。

ただし脱出してきた市民の中には、ゲリラが紛れていることもあった。

結果として、我が軍の損害は3週間余りの戦闘で300名を超えた。

 

 

「・・・勝てる、な」

 

 

サバ包囲の前に占領したブッセ高地の仮設総司令部の中で、俺はそう呟いた。

確かに包囲戦によって損害は増えつつあるが、戦いの最終局面はサバ市内に移っている。

サバ市内のゲリラの抵抗で我が軍の占領をそれほど遅らせるとは思えない。

 

 

我が軍の基本方針は、サバ市内を「A」~「H」の8区画に分類し、一つずつ占領して行くことにある。

さらに最新型のPS(パワード・スーツ)を装備した兵士を10人の小規模グループに分け、さらにそれを80人前後の混成部隊としてまとめ、建造物を一つずつ奪取して行くのが個々の戦術になる。

そして現実に、すでに三つの区画からゲリラを完全に排除した。

 

 

「・・・前線の兵士達の様子は?」

「はっ、概ね我が軍の士気は高く、負傷者の後送作業も支障ありません。市内の広場などに戦闘車両と大砲を運び込む作業も順調であります」

「そうか・・・脱落者は?」

「今の所、戦闘に支障を来す規模では無いと思われます」

 

 

通信士官の言葉に、俺は頷く。

我が軍は精強ではあるが、しかし部隊の一部は予備役兵だ。

先週あたりから、予備役兵を中心に精神疾患を訴える兵が増えている。

 

 

いわゆる砲弾恐怖症(シェル・ショック)、戦闘ストレス反応による離脱者だ。

いかに装備が発展しても、この手の戦場特有の病気の予防にはならない。

長時間に渡り戦場と言う極限状況に放り込まれれば、精神的に参るのはある意味で当然だ。

戦友の手足が吹き飛ばされる姿がフラッシュバックしたり、、物音をゲリラの足音と過度に恐怖したり・・・そうして、過度のストレスからヒステリーを起こす。

 

 

「全く、昨今は軟弱な兵が増えたものですな」

「そうか? 俺など未だに恐怖で眠れない夜があるがな」

 

 

年配の幕僚の言葉にそう返答すると、司令部のスタッフが驚いたように俺を見てきた。

・・・忘れているかもしれんが、俺も最初から元帥だったわけじゃ無いぞ?

それに・・・戦場で自我を保っていられる方が、人間としては異常だと思う。

士気を下げるので、口には出さないが。

 

 

いずれにせよ、兵も人間である以上、ストレスを感じるし疲労もする。

定期的に部隊を交代させ、休養させつつサバ市内の制圧に当たらせるしか無い。

まぁ、それもあと数日の辛抱だと思うが・・・。

 

 

「・・・司令官閣下、本国から定期連絡です」

「うむ・・・?」

 

 

その時、通信士官が通信内容を書いたメモを持ってきた。

司令部のスクリーンに映さず、どうした物かと思ったが・・・。

 

 

「・・・何?」

 

 

そこに書かれていた情報に、俺は眉を顰めた。

クルト・ゲーデルめ・・・だから無理だと言ったのだ。

 

 

 

 

 

Side リュケスティス

 

「ほぅ、グリアソンはサバの占領に成功したか」

 

 

部下の報告に、俺は笑みを浮かべる。

厳密には占領はまだだが、グリアソンが都市に引き籠るゲリラごときに遅れを取るとは思えない。

数日後には、サバ地域は王国の支配下に置かれるだろう。

これで国内の財界人を黙らせることもできるし、領内の帝国人2万人を故郷に送り返すこともできる。

 

 

しかし問題は、グリアソンのサバ地域では無く・・・「イヴィオン」連合軍が進攻したシルチス地域だ。

そこにはパルティアとアキダリアの混成軍が進攻したのだが・・・これが、完膚無きにまで敗北した。

敗因は、政治的な問題に起因している。

 

 

「帝国領シルチスに進行した混成軍は、功を焦ったパルティア軍の敗走を端緒に・・・」

 

 

エリジウム進攻戦の例にも見てとれるように、「イヴィオン」加盟国軍は極めて脆弱だ。

敗因は、いくつかある。

シルチスの軍閥のリーダーにそこそこの軍事的才能があったこと、戦闘中にパルティア・アキダリア本国で領土紛争が再燃したため連携を欠いたこと、などだ。

 

 

とにかく、強行着陸した両軍はシルチスの軍閥部隊の奇襲によって敗走。

加えてどちらが先に撤退するかで揉め、一部では同盟軍にも関わらず交戦したとすら報告されている。

結果、シルチスに投入された「イヴィオン」軍4個師団は7割の損失を出し、敗退した。

 

 

「パルティア、アキダリア両政府は王国に救援を求め、クルト宰相は遺憾の意を表明。本国からジョナサン・ジャクソン将軍とホレイシア・ロイド提督がシルチス進攻軍を率いてすでに進発したとのことです」

「ほぅ、ジャクソンもロイドも、とんだ貧乏クジを・・・」

 

 

引かされたな、と言いかけて止め、少し考える。

元々、「イヴィオン」混成軍にシルチスの占領は無理だと軍部を中心に反対論があった。

だがあのクルト・ゲーデルがその反対論を抑えて、外交的配慮から承認したと言う流れだが。

 

 

・・・あのクルト・ゲーデルが、資源地帯のシルチスを他国に渡すはずも無い。

そして、今や「他国に求められて」「仕方無く」シルチスの占領に動いている。

これは果たして、偶然だろうか。

それに、待ち構えていたかのようなジャクソンらの派兵・・・。

 

 

「・・・そう言えば、この件に関して我が女王は何と? さぞやお心を痛めていることだろうな」

「あ、いえ・・・陛下はお世継ぎのご出産に備えておられて、その・・・」

「・・・ああ、そうだったな」

 

 

そう言えば、もうそんな時期だったか。

我が女王は元々、自分から政治を主導することは少なかったが、それでも周囲の部下の手綱を握っていることは間違いが無かった。

 

 

それが今は女性と言う身体特性上、避け得ない事態のために動けずにいる。

・・・つまり、あのクルト・ゲーデルは今や野放しで動いているわけか。

我が女王の意では無く、あのクルト・ゲーデルの意が王国の最高意思と言うわけか。

総督と言う特殊な地位にある俺も、今やあのクルト・ゲーデルに使われる立場か。

 

 

「・・・近衛近右衛門は、どうしている? 大人しくしているか?」

 

 

話題を逸らそうとして、クルト・ゲーデルと並んで疎ましい人間の名を口にしてしまった。

言ってから後悔したが、部下はあの後頭部の長い老害が健康に生きていることを伝えて来た。

その話はさっさと終わらせて、俺は次にガイウス提督が抑えている南エリジウムのデモについての話題に転じた・・・。

 

 

 

 

 

Side 近衛近右衛門

 

牢の中で外の情報を得るには―――それも、法に触れずに―――牢番と仲良くなるのが一番じゃて。

特にワシはヨボヨボの爺じゃからして、相手も油断すると言う物じゃよ。

 

 

「じゃからのぅ、ワシは総督閣下が心配なだけなのじゃよ、わかるじゃろ?」

「うーん、俺はただの牢番だから、そう言う難しいことはなぁ」

 

 

新グラニクス郊外の監獄、ここは階層ごとに犯罪者のランクが別れておる。

軽犯罪者は1階、強盗以上は3階、と言う風にの。

ちなみに、ワシは2階じゃよ。

2階の隅の牢屋で、鉄格子越しに牢屋番と話しておる所じゃ。

 

 

「しかしのぅ、年を取ると心配性になるのじゃが・・・ワシは一応、女王陛下の勅任を受けて配属された政務官じゃろ?」

「まぁ、そうらしいな。良くは知らないけど」

「じゃからして、女王陛下に窺いを立てること無く拘引して、果たして総督閣下の将来の禍根にならぬのかどうか・・・ワシはそれだけが気がかりでのぅ」

 

 

まぁ、現実には何の問題も無いじゃろうが。

何、年寄りの世迷言と思うて聞き流してくれい。

 

 

「実際、ほれ、以前に総督閣下に不穏の気配ありとの噂があったじゃろ?」

「でも、ただの噂だろ?」

「もちろんじゃとも。ワシは総督閣下を露ほども疑ってはおらん。それは総督府の者なら誰でも知っておる、総督閣下ほど清廉にして鋭敏な御方はそうそうおらんて・・・牢番の質も良いしの?」

「いやぁ、おだてんなってじーさん」

「いやいやいや、お主はなかなかに見所がある。じゃからこそ、話すのじゃがな・・・」

 

 

あえて声を落として、ヒソヒソと話す。

 

 

「・・・どうも王都の宰相閣下が、総督閣下の罷免を考えておるそうなのじゃよ」

「えぇ・・・?」

「先の総督閣下の王都訪問の際にも、罷免の上奏を陛下に行ったと言う噂じゃ。その時はほれ、英明な女王陛下が拒絶なされたそうじゃが・・・今はその女王陛下もご出産のために休養中じゃしのぅ」

「いや、でもなぁ・・・」

「最近、南で暴動が頻発しておるじゃろ? 宰相閣下はその件で総督閣下の統治能力を疑っておるのじゃ。いや、もしかしたら本国以上に豊かなエリジウムを統治する総督閣下に、嫉妬しておるのでは無いかのぅ?」

「うーん、そんな人かな。いや、でも何かどっかで妙な噂を聞いたような・・・」

「それとじゃ、今、本国では選挙じゃろ? つまりはのぅ・・・そう言うことじゃよ」

 

 

噂とは、病に似ておる。

それは、ある意味では真実を突いておる「かも」しれぬことじゃ。

あり得る「かも」しれん未来の、一つの可能性と言う話じゃな。

結構、当たっておる「かも」しれぬのぅ。

 

 

「まぁ、年寄りの戯言じゃよ。ふぉっふぉっふぉっ・・・」

「じーさんは本当に変なことを考えてんなぁ・・・おっと、交代の時間だ。じゃあな、じーさん、大人しくしてろよ」

「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ・・・」

 

 

髭を撫でつつ、牢屋番がいなくなるまで笑ってみる。

・・・ふぉふぉ、まぁ、今日はこんなような物かのぅ。

 

 

『・・・思ったより、楽しそうでは無いかね』

「ふぉ?」

 

 

その時、牢屋の椅子の向かい側の壁・・・つまりワシの目の前の壁に、黒い染みのような紋様が浮かび上がったぞい。

禍々しい気配を発しておるそれは、まさしく・・・。

 

 

「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ・・・これはこれは、伯爵殿」

『捕らえられたと聞いて、見に来たのだが・・・助けが必要かね?』

「いやいや、それには及びませぬぞい。わざわざ済みませぬのぅ」

『いや何、こちらも兵力補充のついでだからね』

 

 

正直な所、今はこうして牢にいる方が得策じゃよ。

手は打ち、やるべきことはしたしのぅ、後は中心から離れることが肝要じゃよ。

中心から離れておることが、生き残るための必須条項じゃからな。

そうである限り、ワシの身はワシを捕らえておる者が保証してくれる。

それは地位ある人間かもしれぬし、あるいは法かもしれぬがのぅ。

 

 

それに・・・助けを求めるにしても、相手を選ばねばのぅ。

助力の代償の大きさも考えずに、助けを求めるのは・・・身の破滅を呼ぶからの。

 

 

「ワシのことは、路傍の小石のごとく捨ておいてくれて構いませぬ。それよりも彼らを頼みますぞい」

 

 

そう、彼ら。

はて、さて・・・。

 

 

「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ・・・」

 

 

・・・誰と誰が、消えてくれるかのぅ。

人生まだまだ、これからじゃて。

ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ・・・。

 

 

 

 

 

Side クルト

 

政争の季節・・・特に王国史上初の選挙となる今回は、そう言う雰囲気にならざるを得ないでしょう。

選挙権は男女共に18歳以上、所得などの制限は無しの普通選挙です。

最初の選挙では有権者を制限してはとの声もありましたが、あえて制限無しです。

 

 

厳密には今回は地方選挙であって、国政選挙とは異なります。

とは言え地方議会や市長などを決める統一地方選ですから、国政にとっては重要です。

貴族院の議席の半数は貴族で占められ、若干名は女王の勅撰議員。

残りの半分は、地方議会の最大会派の代表で占められるのですから。

 

 

「投票の際には、我が党に是非とも清き一票をお願い申し上げます!」

 

 

新オスティアの街並みには、現在、このような声が溢れております。

まぁ、当然と言えば当然ですが・・・極端な話、清くなくても良いので票を寄越せと言うのが本音でしょうね。

政治家などと言うのは、選挙間近で無いと国民に優しくなりませんので。

 

 

だからこそ、政党を超越した存在としての女王の存在が、重要なのです。

まぁ、そうは言っても議会が開かれてしまえば・・・もうこれまでのように私とアリア様のみの意思で国を動かすことは難しくなるでしょう。

さらば、私とアリア様の超・独裁時代と言うわけですね。

もちろん、私が選挙で首尾よく勝利を収めれば続行可能でしょうが・・・。

 

 

「いや、なかなかに厳しいですねぇ」

「お疲れ様です」

 

 

選挙用の車両の上で街頭演説を行った後、また次の場所へそのまま移動です。

今日は朝から、ひたすら演説ですね。

移動中の車両の中で、ヘレンさんからタオルやら栄養ドリンクやらを受け取ります。

 

 

いやはや、帝国の混乱への干渉政策で随分と私も支持率を下げましたからねぇ。

介入するにしては小規模で、非介入を決め込むには不十分ですから、仕方がありませんが。

それに不味いことに、今回の出兵が内政上のミスを誤魔化すための手段だ、などと新聞に書かれてしまいましたし。

私が宰相に就いて6年ですから、そろそろ飽きが来ていると言うこともあるのでしょう。

 

 

「まぁ、政府を攻撃するのが野党とジャーナリズムの存在意義ですからね。仕方が無いでしょう」

 

 

とりあえず、それで納得することにしています。

ジャーナリズムが政府を攻撃できるのは、健全な証拠ですし。

野党は、まぁ・・・政権党になって苦労すれば良いと思いますし。

口で言うほど自分達が政権を担うに相応しい能力を持っているかどうかは、政権について見ないとわかりませんから。

 

 

「今回はアリア様が無事にお世継ぎをご出産された後の宰相と政府を決める選挙、と言うわけですが」

 

 

となると、私が宰相でいられるのは最短で1月末までと言うことになりますね。

それまでに、いろいろとカタをつけておきませんと・・・。

またぞろ、妙な噂が流行っているようですが・・・まぁ、選挙中ですからね。

 

 

「・・・ま、勝てれば良いのですがね。いやいや、そんなに心配しないでください」

 

 

世論調査では、私もまだまだ勝てる可能性がありますから。

だからそんなに不安そうな顔をしないでくださいよ、ヘレンさん。

・・・ああ、これがアリア様だったらこのクルト、勇気がリンリンなんですけどねぇ。

 

 

 

 

 

Side 4(クゥァルトゥム)

 

・・・先の労働党の混乱以降、政党に対する監視は強化されている。

だが、阻害しろとも阻止しろとも言われているわけでは無く、過激派のテロを防止するための物だ。

任務としては、退屈極まる物だが・・・。

 

 

『有権者の皆様、人生と言うものは自分の力で創り上げるものです。そして人は、そうして出来上がったものをこう呼ぶのです・・・「運命」と』

 

 

ガジッ・・・と、手に持った赤いリンゴを齧る。

それを口の中で咀嚼しながら、僕は新オスティアの広場の一つを借りて立会演説を行っている女を監視している。

 

 

僕が少し離れた路地の陰から見ているその女の名は、保守党の党首プリムラ・ディズレーリ。

広場に設営された演説用のお立ち台の上で、数百人の聴衆を前に政策演説を行っている。

拡声器を使って話しているそれは選挙のための物であって、実に退屈極まる。

どうして僕が、あんな女を見守らなければならないのか・・・。

 

 

「兄貴、兄貴」

「・・・」

「兄貴、姐さんとは別れたんですかい? それで次はあんな年増を・・・はっ、まさか兄貴は熟女好きぃいあああぁぁっ!?」

「「「ぱ、パープル――――っ!?」」」

 

 

横に落ちていたゴミを踏み潰した後、僕はリンゴの食べカスを後ろに投げた。

後ろで残りの実を取り合って揉める音が聞こえるけれど、そんなことは知らない。

今の僕の任務は、労働党過激派のテロを防止することだからだ。

 

 

「ははっ、バカだなぁパープル。兄貴の女があの姐さんだぜ? きっと兄貴はムッチリした熟女よりもむしろぉっふぉっ!?」

「す、すんません兄貴ぃ! 兄貴の女を侮辱するつもりにゃばっ!?」

 

 

・・・コイツらは、いったいどうして僕に纏わりついて来るんだ?

鬱陶しいことこの上ないんだけど。

 

 

「・・・つーか兄貴、あの年増女は何を喋ってやがるんですかい?」

「・・・選挙のための演説」

「センキョ?」

「・・・キミらだって、投票用の資格証明書が送られているだろう」

 

 

新オスティアだけで無く、王国の有権者全ての家に投票の有資格証明書が発送されているはずだ。

それを持って投票所に行けば、一人に就き一票、投票できるシステムだ。

・・・まったく、こんなことに何の意味があるんだか・・・。

 

 

「へぇ、そんなもんがあるんですねぇ」

「・・・キミ達の所にだって、送られているだろう」

 

 

まったく、人間と言うのは・・・。

 

 

「あーいや、俺らは住所とか無いんで、そう言う手紙とか受け取ったこと、無いんスよ」

「・・・ああ、そう」

 

 

・・・まったく、人間と言うのは。

本当に、面倒だ。

 

 

「あれ? 兄貴、どこに行くんで?」

「あの年増女、まだ喋ってますぜ?」

「・・・」

 

 

貧民街(スラム)の連中の言葉を聞き流しながら、僕はその場で跳んだ。

跳んで・・・建物の屋上へと出る。

眼下では、まだディズレーリとか言う奴が演説をしている。

 

 

『行動したからと言って、いつも幸福が約束されるわけではありません・・・しかし! 行動しなければ、永久に幸福は訪れないのです!』

 

 

・・・それを見下ろしながら、僕は。

苛立ちに任せて、足元に唾を吐いた。

・・・くだらない。

 

 

 

 

 

Side 5(クゥィントゥム)

 

先の労働党の混乱以降、著名な政治家に対するテロの危険性は増している。

特に選挙期間中は年末にも関わらず、多くの人が街頭を練り歩いている。

だからこそ、僕達のような存在が目を光らせておく必要がある。

 

 

特に、女王陛下(あねうえ)の目が届かない今の時期はね。

だからこうして、僕は自由党のエワート・グラッドストン氏の演説会場にやってきている。

 

 

『どのような地位も財産も、愛の前には何の意味も持たない!!』

 

 

公会堂を借りきって行われている自由党の演説会。

数百人の聴衆が詰めかけているその場に、僕もいる。

まぁ、演説自体には興味は無いけれど。

正装を着た中年の男性や女性に混じって、場に合わせた正装を着て足を組み、グラッドストン氏の演説を聞いている。

 

 

内容は、今の政権を批判する物がほとんどだ。

彼の主張は主に帝国主義的な拡張政策の即時撤廃と、エリジウム大陸の信託統治領の即時放棄、サバ地域を含む帝国内乱への干渉政策の即時廃止、女王大権の縮小と議会権限の拡大・・・などだ。

 

 

『自由主義とは、思慮分別に慣れた人々の分別である。そして保守主義は恐怖政治に慣らされた人々の不信でしかない! よって、人々は特定の個人による抑圧から解放されねばならない!』

 

 

・・・彼は、特に共和主義者と言うわけでは無いけれど。

 

 

「聞きようによっては、女王と宰相を非難しているようにも聞こえるね」

「・・・龍宮真名」

「隣、良いかな?」

 

 

その時、僕の隣の席に一人の女が腰かけた。

長身で、完成されたプロポーションを持つ褐色の肌の若い女。

黒に近いグリーンのイブニングドレスと、対照的な淡い色のショール。

大きく開いた胸元と背中、加えて、長い脚を組むと深いスリットのために太腿のかなり上の部分までが露になる。

 

 

・・・随分と、挑発的な格好ではある。

と言って、僕自身がそれに対して何かを感じたりするわけじゃない。

ただ、周囲の男性がぎょっとした顔をするくらいだ。

 

 

「なかなか言うね、あのご老体も」

「・・・体制側の人間として、それはどうなんだい?」

「私は傭兵だ。別に王国自体がどうなろうと、知らないね」

 

 

どこか楽しそうな顔で、龍宮真名は言う。

確かに彼女は傭兵で、クライアントである女王陛下(あねうえ)以外のことには興味が無いのだろう。

・・・それよりも。

 

 

「・・・何か、用かい?」

「何、キミに会いたくなってね・・・・・・冗談だよ」

 

 

苦笑して、龍宮真名は視線を僕からグラッドストン氏に戻す。

わざわざ隣に来ると言うことは、何か用があるのだろう。

無かったとしたら、その行動に意味が無い。

 

 

「・・・例の噂が、裏でぶり返しているようだ」

「噂・・・?」

「ただの噂だし、それほど信憑性があるわけじゃないけどね」

 

 

・・・今度は僕が、龍宮真名の横顔を見ることになった。

一方の龍宮真名は、淡々とした表情で演説を聞いていた・・・。

 

 

 

 

 

Side ナギ

 

選挙期間中は、王族の外での公務も控えることになるんだと。

何でも特定の政党に肩入れしてると思われると不味いとかってんで、おかげで外にも出れねぇ。

まぁ、孤児院だり養老院だりに行くぐらいしかねーけどな、公務っつってもよ。

 

 

「これは・・・スタン殿、ようこそおいでくだされた」

「げ」

「げ、とは何じゃ、げ、とは」

 

 

でもだからって、スタンのじーさんの方からやって来ることはねーだろ。

アレか、曾孫が楽しみで仕方がねーってか?

 

 

「当・然・じゃ! 村人一同が楽しみにしておるわい!!」

「わ、わーった、わーったよ・・・」

「有難いことです。スタン殿、本当にありがとう」

「いやいや、アリカ様もご苦労なさっておられるでしょうが・・・」

 

 

・・・そして、俺の嫁さんとスタンのじーさんの仲が良くなっていくんだよな。

何でだ・・・似た者同士なのか? 頑固で素直じゃねーとことか。

 

 

とにもかくにも、スタンのじーさんが午後のお茶の時間にやってきたわけだ。

まー、別に良いけどよ。

ただ、書類仕事とどっちがマシかってーと、結構なレベルで甲乙つけ難いってーか。

 

 

「・・・せっかくおいで頂いたのですが、今日はその・・・アリアは会えぬと思います」

「ほぅ、どうかしたのかのぅ?」

「頭痛が酷くて死にそうなんだと。まったく・・・頭痛なんて、なぁ? 大したもんじゃねーよなぁ?」

「「ナギ?」」

「・・・すんません・・・」

 

 

嫁さんとじーさんに、すげー睨まれた。

いや、冗談だって冗談・・・俺も心配はしてるんだぜ?

えーっと、9ヶ月目に入ったあたりから、こうアリアは情緒不安定っつーか・・・とにかく、また急に調子が悪くなってきやがったからな。

 

 

「何で女の人しか妊娠できないんですか!?」とか、意味不明なこと言ってやがったらしいし。

頭痛と不眠が酷いってんで、軽く風邪気味になってるらしいし。

侍医団がやたらに忙しそうにしててよ、俺とアリカも面会に行けねーんだわ。

どうも、かなりカリカリしてるらしくてな・・・。

 

 

「・・・ふむぅ、難しい時期じゃからのぅ」

「はい・・・」

 

 

・・・まぁ、だからってアリカやスタンのじーさん並に深刻ぶることもねーけどな。

アリカだってネギとアリア産んだし、アリアも大丈夫だろ。

何にも、心配することなんてねーって。

 

 

・・・そういや、のどかちゃんはどうなってっかな。

ネギの奴が連れてったはずなんだが・・・あの悪魔と一緒に。

・・・別に、ネギがネカネやのどかちゃんとここを出て行ったこと自体は、良いんだ。

それはアイツらが決めることで・・・まぁ、結果どうなるかは、アイツらが責任とんなきゃいけねーんだが。

 

 

「そうですか、街はそんなにも・・・」

「うむ、まさに選挙一色でございましたぞ。中でも王国民主党などは、大家族の党員が多く・・・」

 

 

新オスティアの様子について話し出した嫁さんとじーさんの様子を見ながら、俺は考える。

不眠ってんなら、この2人も良い勝負だよな、とかな。

・・・ネギ、男なら・・・わかってるよな?

 

 

 

 

 

Side ネギ

 

僕は・・・たぶん、たくさんの人に迷惑をかけたと思う。

正直、どうしたら良かったかなんて今でもわからないけれど。

だけど・・・少しだけ、行動の指針ができたような気がするんだ。

 

 

父さんだったら、どうするか。

 

 

父さんが・・・ナギ・スプリングフィールドが僕の立場だったら、どうするか。

結局の所、僕にはこれしか無いことに気付く。

そう思い至った時、僕は思わず笑った。

でも今は、昔と違って僕は父さんのことをちゃんと知ってると思う。

だから・・・そんなに、外れて無いと思うんだ。

 

 

「結局、僕って父さんのこと以外、何も無いんだな・・・」

 

 

その父さんのことだって、結構・・・怪しいけどね。

それにネカネお姉ちゃんのこととか、のどかさんのこととか・・・産まれてくる、子供のこととか。

いろいろと考えなくちゃいけないことは、あるんだろうけど。

どうすれば良いかなんて・・・わからない。

 

 

だから、行動する。

行動して・・・考えて、それでもってやっぱり、行動する。

それでも・・・きっと正解じゃ無い。

 

 

『もし何をすれば良いのかわからないのなら』

 

 

・・・昔、あの夢の中で、僕はザジさんに言われたことがある。

僕は独りで・・・何も無いと。

 

 

『自分の感情をそのまま口にすれば良い』

 

 

だけど、もし本当に独りで、何も無かったのなら。

ネカネお姉ちゃんは、僕に優しくしてはくれなかった。

タカミチは僕に修業をつけてくれなかったろうし、ザジさんは僕を助けてくれなかったと思う。

明日菜さんは僕の姉になろうなんてしなかったろうし・・・のどかさんは、傍にいてくれなかったと思う。

 

 

『貴方が、それを望んだからです』

 

 

父さんことは、今でも僕の唯一で。

他のことは、二番目かもしれないけど・・・いや。

全部、きっと大切な何かだと思う。

だから・・・。

 

 

「・・・もし、父さんが僕の立場だったとしたら・・・」

 

 

『魂の牢獄』のカードを持った右手は、今でも疼く。

闇と魔力・・・詠唱魔法の失われたこの世界でも、この力は消えなかった。

消えずに、残っている。

 

 

これに・・・何の意味があるのかはわからないけど。

だけど、何か意味があるんだと信じたい。

 

 

「・・・絶対に、ただ言いなりになったりしない」

 

 

・・・そうだよね、父さん。

右腕と、ほぼ全身に広がりつつある紋様が・・・疼いた。

 

 

 

 

 

Side 宮崎のどか

 

「・・・は、ぁ・・・はぁ、ぁ・・・っ」

 

 

お昼ご飯を食べた後から、少しだけどお腹が痛くなってきました。

最初は30分間隔くらいで、少しずつ短くなってきて・・・今は、15分間隔くらいです。

本で読みました・・・10分間隔くらいになると、もうすぐ産まれるサインだって。

 

 

陣痛。

 

 

私の・・・ネギせんせーの、赤ちゃんが産める。

痛い、けどとても幸せな気分です。

あの悪魔さんと契約してから、右眼が熱くて痛くて碌に眠れなかったですけど・・・。

でも、それもこれも今日のため。

だからとても、嬉しいんです。

 

 

「でも、ここだと不味いです・・・よね・・・っ」

 

 

額に汗が滲むのを自覚しながら、私は深く息を吸っては吐き、呼吸を整えて椅子から立ち上がります。

ゆっくりと立ち上がると、少し楽になりました。

確か、寸前までは動き回った方が良いって・・・。

 

 

「いや、待たせて申し訳ないね、お嬢さん」

 

 

その時、私の部屋の扉が開きました。

そこにいたのは、ネカネさ・・・ヘルマンさん。

ネカネさんを経由して契約した、私の悪魔さん。

 

 

ヘルマンさんの後ろには、見たことが女の人が何人かいました。

髪や瞳の色は違うけど、皆、同じ顔をしています。

どこか・・・あの人に似ているような気がします。

つまり、あんまり好きじゃない顔です。

 

 

「ああ、気にしないでくれたまえ。彼女らは私の従者だ」

「従者・・・悪魔ですか・・・?」

「魂だけね。何分、この身体では召喚ができない。だが幸い、この大陸にはちょうど良い『人形』があったようで、その身体に魂を定着させて貰った。私の目であり・・・口でもある」

「・・・はぁ」

 

 

何を言っているのか、意味がわかりませんが・・・。

いずれにしても、徐々に強まる腹部の痛みのせいで、あまり考えられません。

 

 

「彼女らが出産を手伝う。何、人間の医者よりはるかに優秀だから安心してほしい。ほら、そこのソファに横になりなさい」

「あ、ありがとう・・・ございます」

 

 

悪魔と言うのは、残酷なイメージがありますが・・・契約者には優しいことが多いとも聞きます。

それは、もちろん後で魂を食べるからですけど。

私の魂・・・死後、私の魂はこの悪魔さんの物になります。

それでも良い。

それで、赤ちゃんやネギせんせーが助かるなら・・・。

 

 

「大事な大事な契約者だからね、気を付けないといけないよ」

「・・・はい」

「本当にね・・・何しろ」

 

 

私の魂なんて、どうなっても・・・。

 

 

「何しろ、元気な契約者を産んでもらわなければいけないからね」

 

 

・・・・・・え?

 

 

「おや、どうしたのかね・・・私は最初に言ったはずだよ、お嬢さん。魂を一つ、捧げて貰うと」

「それ、は・・・私の・・・」

「いやいや、キミのようなお嬢さんの魂を食べるなど・・・悪魔と言えども、心が痛む」

 

 

・・・どう言う、こと?

ううん、わかってる、けど。

わかりたく、無い。

 

 

悪魔さんの、ネカネさんの顔から、人間らしい表情が消える。

浮かんだ笑みは・・・絵に描いたような、「ニタリ」とした笑みで。

 

 

 

「契約者は、お嬢さんのお腹の子供だよ」

 

 

 

ギシリ、ト、ナニカガキシムオト。

ソレハサイショハチイサク、シダイニオオキクナッテ。

ソシテ。

 

 

 

 

 

Side ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・へルマン伯爵

 

『あアあああああぁァぁあああぁアぁあああァアぁぁっ、ぃアアあああアあぁあぁぁああァああああぁあああぁああァァッッ、うあああぁぁあぁああああああああああぁあぁぁああああぁぁあぁっっ!!!!』

 

 

扉の向こうからは、断続的にお嬢さんの悲鳴が響いている。

うむ、嘆かわしい。

人間の女性にとって、出産とはかくも過酷な試練なのだろうか。

人間の聖典によると、出産は神が女性に与えた罰だと言う。

いや、神は本当に人間を苦しめるのが好きだね。

 

 

考えてみれば、人間を滅ぼすのはいつだって神だ。

だと言うのに、人間は神を信仰する。

不思議な生き物だよ、理解し難い。

 

 

「キミも、そうは思わないかね?」

 

 

人間の願いを叶えるのは、いつだって我々悪魔だ。

正当な報酬さえ支払えば、人間の願いを叶えるために行動する。

それが、悪魔なのだから。

 

 

「・・・ネギ君」

 

 

お嬢さんの部屋の前の廊下、そこには私の他にもう一人いる。

ネギ・スプリングフィールド・・・サウザンドマスターの息子。

そして、我ら悪魔に近い闇色の匂いをさせる青年。

 

 

ネギ君はしかし、何も答えてはくれなかった。

ふむ、寂しいね。

外はどうやら激しい雨のようで、雷も鳴っているようだ。

 

 

「懐かしいね、ネギ君。麻帆良でキミと再会した時も、こんな天気だったかな?」

「・・・」

 

 

ネギ君は私の思い出話には関心が無いようで、何も言わず、シャツを脱いだ。

なかなかに鍛え上げられた身体だが、何より目を引くのは、身体中に這いまわる闇色の紋様。

稲光に照らされるそれは、悪魔の私から見ても禍々しい。

 

 

「ふむ・・・良いね、ネギ君。前にも言ったかもしれないが、私は才能のある人間を見るのは好きだよ。そう・・・キミには『見所』がある」

「貴方を、倒します・・・ヘルマン」

「ほぅ・・・大きなことを言うね、ネギ君」

 

 

どうやら、何か準備をしているようだが・・・どうするのかな。

私のこの身体は、本体では無い。

本体は未だに、あのアリア君のカードの中だ。

長く生きているが、あんな物は初めてだ。

まぁ、6年間でジワジワと穴を開けて、こうやって部分的に出ることはできたがね。

 

 

・・・背後の扉からは、未だにノドカ嬢の悲鳴が聞こえる。

従者達がお嬢さんを傷付けることは無い。

だからと言って、叫べば出産を止められる物でも無い。

・・・なかなかに、美味だよ。

 

 

「キミは、どんな味なのかな・・・ネギ君」

 

 

そう言って、一歩を踏み出す。

すると・・・足元で何かが輝いた。

視線を下ろせば、そこには魔法陣。

 

 

それも、ただの魔法陣では無い。

あのカードに、この娘(ネカネ)の血で描いた印と同じ物だ。

封印の、仲立ち。

 

 

「ネカネお姉ちゃんの血よりも・・・僕の血の方が『近い』」

 

 

再び視線を戻せば、ネギ君が右手を前に突き出している。

掌の上には、あのカード・・・『魂の牢獄』が浮かんでいる。

 

 

「なるほど素晴らしい、しかし私を再封印することはできないよ、ネギ君。キミにはそれは『使えない』だろう?」

 

 

私の言葉に、ネギ君は少し表情を歪める。

心のざわめきは、まさに私の好み。

何とも・・・悪魔を魅了してやまない青年だよ。

 

 

「・・・確かに、僕にはこれは使えないし、使う資格も無い」

 

 

淡々と・・・強いて淡々と、ネギ君は告げる。

その全身の闇色の紋様が、黒い光を浮かべている。

詠唱魔法が使えないこの世界で、良くもこれだけの術式を動かせる。

とても人間とは、思えない。

自然と私の口元に笑みが浮かぶ、良いね・・・。

 

 

「・・・それでも、貴方をネカネお姉ちゃんの身体から引き剥がすことくらいはできる!」

 

 

ぐんっ・・・と、ネギ君が右の拳を握り込んだ。

カードとの間で魔力が拮抗し、反発し・・・右手の皮膚が弾け、血が飛び散る。

苦悶に歪む顔、分不相応な術式の展開は彼の身体と魂を蝕む。

・・・素晴らしい!

 

 

「ふ・・・ふふはははっ、良いね! 素晴らしい・・・それでこそ、サウザンドマスターの息子だ!」

 

 

実に惜しいね、その才能。

才能だけは豊かな、歪んだ不安定な自我と肉体。

それが壊れる様を、是非とも見てみたい!

 

 

「ありがとう―――――最高の、褒め言葉です」

 

 

次の瞬間、硝子のの器が砕けるような音が響いた。

自分の顔の前で、ネギ君が『魂の牢獄』のカードを握り潰す。

いや、握り潰したように見えただろう。

 

 

ネギ君の全身の闇色の紋様が輝き、魔力の圧力が暴風となって周囲を襲う。

仲立ちの紋章・・・契約印によって縛られた私は、それをあえて見ている。

砕かれたカードは、細かい粒子となって未だに存在し、私を封じている。

何か、抗いがたい力に引き寄せられるのを感じるよ・・・!

 

 

「―――『固定(スタグネット)』、『掌握(コンプレクシオー)』―――」

 

 

ぐんっ・・・と、身体が・・・否、魂が引かれる。

 

 

「『魂の牢獄:ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・へルマン』――――――!!」

 

 

引かれて、惹かれる。

素晴らしい・・・!

 

 

 

 

 

Side リュケスティス

 

・・・俺自身の所に「噂」が届いて来たのは、我が軍がシルチスへ進軍を始めたと言う報告を受けた3日後のことだ。

大した経路を辿ったわけでは無く、いつものように出勤してきた俺を、従卒が不安そうな顔で見ていたので問いただしただけだ。

 

 

どうやらエリジウムの街々ではまことしやかに囁かれている噂らしいのだが、それだけに俺のような公人の耳に届くまでには時差(タイムラグ)があったらしい。

とは言え、噂自体は真新しい物では無い。

 

 

「王都では女王陛下のご不在を良いことに、宰相クルトが専横を極めている。そして宰相クルトは自分に比肩しうる政敵であるエリジウム総督リュケスティス元帥を追い落とすべく画策している・・・」

 

「その原因は、エリジウム総督リュケスティス元帥が宰相クルトの裁可無く高官を粛清したことである。エリジウム総督リュケスティス元帥は宰相クルトの風下に立つことに不満を持っている・・・」

 

「ために、宰相クルトは女王陛下のご不在にかこつけてエリジウム総督リュケスティス元帥を罷免し、彼を粛清しようとしている・・・」

 

「これを恐れるエリジウム総督リュケスティス元帥は、軍事的蜂起(クーデタ)によって政権を奪取し、逆に宰相クルトを粛清すべく先制の一撃を与えようとしている・・・」

 

「そしてエリジウム総督リュケスティス元帥は自身の権力の正当性を訴えるため、女王陛下をエリジウム視察と言う名目で呼び寄せようとしている・・・」

 

「しかしそれを知っている宰相クルトは、自身の権力維持のために女王陛下を王都に留めて離さず、出産を名目に拒絶し、エリジウム総督リュケスティス元帥の召喚状を女王陛下に書かせるだろう・・・」

 

「身重の女王陛下は狼狽して成す所を知らず、宰相クルトとエリジウム総督リュケスティス元帥の確執を止められないだろう・・・」

 

 

・・・そこまで聞いた所で、俺は従卒を執務室から下がらせた。

どうやら配慮が足りなかったようで、若い従卒は恐縮しきって部屋から出て行ったが・・・。

想像以上に不愉快な噂を聞かされた俺としては、それくらいのことは許して欲しいとも思う。

 

 

噂の大枠自体は、単に俺が叛逆すると言う先だってよりあった噂だ。

だが先の噂は、未だ政治の第一線にあった我が女王に取り上げられもせずに握りつぶされたでは無いか。

それでもなお噂が続いていることは不愉快でならないし、さらにより不愉快なのは、この噂がいずれは王都にまで届くであろうと言うことだ。

噂とは流行病のような物であって、止めようとして止められるような物では無い。

 

 

「それにしても、良くできた噂ではあるな。俺があのクルト・ゲーデルを毛嫌いしていることは事実だし、脚本としては2流程度にはなっているだろう」

 

 

俺がクルト・ゲーデルを気に入らない理由は・・・まぁ、まずは生理的に無理と言うのもあるが。

何より合わないのは、先代のアリカ女王に対する視点の違いだろう。

俺と・・・そう、俺やグリアソンは、先代のアリカ女王を名君とも賢君とも思っていない。

 

 

だが、奴は違う。

奴はまず、先代のアリカ女王の名誉を回復するために今の我が女王を押し立てたに過ぎない。

なるほど、全ての原因はメガロメセンブリア元老院の陰謀だったのかもしれない。

だがそれは原因であって、結果では無い。

結果に対する責任が、先代女王アリカにはあるはずだった。

 

 

「今でも、我が女王よりは先代女王への忠誠が勝っているだろうよ」

 

 

その点において、俺とグリアソンは一致している。

・・・そうか、今はグリアソンも王都にいないのだったな。

 

 

我が女王が俺を粛清するはずも無い、現に先の王都訪問の際、話題にすらしなかったでは無いか。

叛逆の噂を黙殺し、俺に王室御用達(ロイヤルワラント)のガラスペンを賜れた。

だが、その我が女王が思うに任せて動けぬとあれば・・・。

 

 

「・・・今、本国は統一選挙の真っ只中、か」

 

 

噂自体は、恐れるに足りぬ。

ただ一点、気に入らない点があるとすれば・・・我が女王を、身重だと言うだけで何もできぬ無能だと誹謗している所だろう。

 

 

我ながら度し難いとは思うが、俺は我が女王を先代女王アリカより上位に置きたいし、事実として上位だと思っている。

だからこそ、先代女王アリカを優先するあのクルト・ゲーデルと本質的な点で対立もするのだろう。

・・・つまりは、妊娠などで我が女王の聡明さが陰るわけが無いと思い込みたいのかもしれなかった。

 

 

「・・・政務官を―――牢屋にいる方じゃ無いぞ―――呼んでくれ、本国へ送る公式文書について協議したい」

『はっ』

 

 

机の通信機を動かして、公式文書の起草の担当官を呼ぶ。

本国へ書き送る公式文書は、招聘状。

 

 

内容は・・・我が女王に、新グラニクスの建設状況を視察して頂くと同時に、南エリジウムの民の慰撫を依頼する内容になるだろう。

つまり、我が女王を・・・エリジウム大陸へ招聘する。

・・・あえて、噂に乗ってやろうでは無いか。

 

 

 

 

 

Side エヴァンジェリン

 

やれやれ、アリアの奴は今日も不機嫌だったな・・・などと考えながら自分の執務室にいたのは、ほんの30分前の話だ。

何しろ昼食の時に「野菜スープって何ですか! 苺持ってきやがれですよ!」とか言って、マジギレしていたからな・・・。

 

 

・・・いや、それは良いんだ。

もうすぐ10ヶ月目、臨月だからな。

いよいよ、本気で出産間近だ・・・さよの時は傍にいてやれなかったが、今回は傍にいてやれる。

 

 

「準備はバッチリです、マスター」

「ケケケ、バッチコイだぜ」

 

 

茶々丸とチャチャゼロもノリノリだし、若造(フェイト)も無表情に黙々と準備している。

ナギやアリカ、その他の侍医や侍女達のシフトも決まって準備万端だ。

とうとう、赤ん坊が産まれる。

・・・・・・だと、言うのに!

 

 

「どおおおおおおぉぉぉぉ言うことだゲーデルううううぅぅぅぅぅっっ!!」

「・・・・・・いや、本当にもう勘弁してくださいよ・・・・・・」

「知るかぁっ! お・前・は! いつでもどこでもどんな時でも碌な事しやがら無いんだからな・・・!」

 

 

そして今、私はゲーデルの執務室で奴の首をへし折ろうとしている所だ。

ところがコイツもこれでなかなかの使い手なので、ギリギリへし折れない。

仕方が無いので、ガクンガクンと首を揺らしてやることにする。

 

 

「あ、あわわわ・・・!」

 

 

アリアの後輩でゲーデルが囲っていると噂のヘレン・キルマノックがオロオロしているが、そんなことはどうでも良い。

選挙演説や普段の政務でグロッキー状態のゲーデルを、ひたすら問い詰める。

 

 

「ちょ、おまっ・・・今回は本当にバカだろ!?」

「ちょ・・・本気で勘弁してくださいよ、選挙活動って体力勝負なんですから・・・」

「死ね! たぶん、お前が死んだら世界平和が来そうな気がする!」

「たとえ私が死んでも、必ずや第二第三の私が・・・」

 

 

貴様が2人も3人もいたら、ウザいを通り越して殺意を覚えるわ!

・・・ともかく、私は今回、真面目にキレている。

何故なら・・・。

 

 

「アリアがエリジウムに行くとは、どう言うことだ!?」

 

 

女王アリアが、エリジウムへ行幸する・・・。

と言う話が、ある。

正直に言って、冗談では、無い!!

 

 

「お前だって知ってるだろ! アリアはお前、来月が臨月でお前・・・バカだろ!? お前はアリアのことでは手抜きをしない男だと思っていたぞ!?」

「な、何をバカな、私はアリア様の第一人者ですよ。検定があれば一級は間違い無いです」

「だったら、何故!?」

 

 

何か知らんが、リュケスティスの奴が招聘状を出したと聞いたぞ。

詳しい話は知らんが、ややこしい政治的事情がどうとか言う話だったと思う。

何度でも言うが・・・アリアは、来月が臨月だ。

 

 

今から行幸の準備などをしていては、臨月に長旅をすることになってしまう。

常識的に考えて、あり得ない。

リュケスティスの奴も、何を考えて・・・。

 

 

「何故、アリアをエリジウムに行かせるんだ!?」

「・・・・・・はい?」

「・・・あ?」

「・・・さっきからいったい、何の話ですか?」

 

 

・・・何か、いつかのパターンだった。

 

 

「確かにそう言う噂があるのは知っていますが・・・まだ、正式に招聘状は来ていませんよ?」

「は・・・?」

「仮に来たとしても、流石に臨月にそう言うことは・・・」

「・・・だ、だよな」

 

 

・・・ゆっくりと、ゲーデルから手を離す。

な、何だ・・・ただの噂か。

そりゃそうだよな、ゲーデルがいかに鬼畜で陰険で眼鏡とは言え、流石にそこまでは。

 

 

「あ、あの・・・」

 

 

その時、恐る恐ると言った具合に、ヘレン・キルマノックが口を挟んできた。

 

 

「せ、正式な公文書はまだですが・・・通信での仮申請書は、本日の執務書類に入ってますけど・・・」

「・・・! ゲーデ・・・・・・ル?」

 

 

騙されたかと思ったが、ゲーデルの顔は、ことのほか深刻そうだった。

ここ数日は選挙対策に忙殺されていたから、くたびれたサラリーマンみたくなっていたが・・・。

 

 

「・・・マクダウェル尚書」

「あん?」

「その話、どこから拾ってきたんですか・・・?」

「あ、いや・・・私も詳しくは。エリジウムに出張してた工部省の官僚がそんな話を・・・って」

 

 

・・・何故、公文書よりも先に?

いや、噂が先なのか・・・どう言うことだ?

いかん、混乱して来たぞ・・・混乱?

と言うか、何でもう行くことが決定みたいな流れに・・・?

 

 

「・・・どうも、選挙にばかりかまけてる場合では無いようですね」

 

 

眼鏡を光らせながら、ゲーデルがそう言った。

どうやら政治的な話になりそうだが・・・私は一つ、心配なことがあった。

・・・仕事に餓えてるアイツが聞いたら、どうするか・・・。




ウェスペルタティア王国宰相府広報部王室専門室・第24回広報:


アーシェ:
ハイッ、こちら王都です!
いやいや、盛り上がってますね~・・・選挙です!


アーシェ:
はいっ、では次回は1月に突入。
あ、言ってませんでしたけど・・・。
・・・女王陛下の予定日は、結婚記念日だそうですよ。
では、今回はここまでっ。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。