偽物の名武偵   作:コジローⅡ

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遅くなって申し訳ありません。どうにもこの分量で三日に一話投稿はきびしいので、これからは完成しだい投稿という形になります。よろしくお願いします。


21.おそらくは世界一不適当なプロポーズ

 みなさんは、手錠というものをご存知だろうか?

 そう、あのわっかが2つくっついたみたいな8の字型の拘束具のことだ。主な使用用途は、警察や武偵が犯人を拘束するためだな。

 で、その手錠なんだが、

 

 どういうわけか、今俺の両手にがっちりと嵌められていた。

 

「…………」

 

 意味が、わからないって? 安心しろ、俺だって意味がわからない。

 くすんだ光を放つ鈍色の鉄輪が、「お前は逃げられないんだぞ」とこれでもかというくらいに主張している。

 それを呆然と眺める俺に、ふいに声がかけられた。

 いや、訂正。いままでかけ続けられていた声を、俺がようやく認識した。

 

「――聞いてますか、有明先輩!? あ、あああなたは、少しでも反省の色がないんですか!?」

 

 声質から明らかに怒っていることが見て取れるその人物は、少々特異な格好をしていた。

 濃紺色の上着に、同色のタイトスカート。胸元にはピシリとしたネクタイ、左腕には腕章が巻かれており、桜の紋が入った髪留めで二つくくりにした長髪の上には、つばが内側に折れた丸帽子がちょこんと乗っていた。

 などなど長々と説明したが、ようするに一言でまとめると――婦警さんのコスプレをした少女が、そこにいた。

 いや、正確にいえばそれはコスプレでもなければ、彼女が正規の婦警というわけでもない。それ以外でこんな格好をする場合が、あと一つ残っている。

 ――『架橋生(アクロス)』。

特待中学生(インターン)』や『転装生(チェンジ)』同様、特異性が高い武偵高の中でも、さらに特殊な生徒体系のひとつだ。

 日常的に他組織(主に警察関係が多い)に出入りし、実地訓練という名の研修を行ったり、武偵と他組織の橋渡しとなる役目を負っていたりする生徒たち。それが、『架橋生』だ。

 つまり、目の前にいるこの少女(おそらく中学生くらいか)もまた、武偵高(うち)の生徒というわけだ。インターンでアクロスなんて、滅多にいないけどな。

 そしてその『架橋生』の少女は、いまだ何も答えない俺にびしっと人差し指を突きつける。

 

「まだだんまりですか!? いいかげん、釈明なり謝罪なりしてくださいよ! 私にした――」

 

 そこで一息、息継ぎをして、

 

「――()()()()についてッ!」

 

 と、大声で俺を糾弾するのだった。

 ……本当に。

 一体、どうしてこうなった?

 

 * * *

 

「というわけで、あたしたちは外部から護衛を続けるわよ」

「なにが『というわけで』なのかを、まず説明してくれ」

 

 キンジとアリアのケンカ(俺の推理が正しければだが)から、空けて翌日の土曜日。

 学園島唯一のファミレス『ロキシー』の一席で、制服姿の俺とアリアは向かい合わせで座っていた。

 ことの起こりは、今朝の話だ。相変わらずキンジの家に居候していた俺の下に、一通のメールが届いた。

 差出人はアリアで、内容は「キンジにバレないように『ロキシー』に集合」というものだった。なぜキンジに内緒なのかはわからなかったが、俺は今回の護衛任務の筆頭からの命令に素直に従い、こうして出向いてきたのだ。

 自働ドアをくぐりファミレスの中に入ると、店員が来るよりも早く、禁煙席の一角からキンジ曰くのアニメ声――アリアが俺を呼んできた。

 ので、俺はそちらに向かいアリアの正面に腰を下ろし――開口一番、アリアは冒頭の台詞を告げたのだった。

 

「んもう、察しが悪いわね。おに……錬は、昨日の屋上での会話、聞いてたんでしょ? 『魔剣(デュランダル)』がもう、すぐそこまで迫ってるはずだ、って」

 

 俺の質問に、アリアはそう答えた。

 その途中、何かを言いかけて顔を赤くしてたんだが、何が言いたかったんだろう。

 というか、ぶっちゃけそんな話ひとつも聞いてないんだが、素直にそう言えばまたややこしいことになりそうな気配がしたので、俺はひとつ頷いて肯定する。いいのかな、これで。

 アリアはそれに頷き返し、

 

「でもね、キンジには言ってなかったけど、その話には続きがあるの」

「続き? ただ近くに来てるだけじゃねぇってことか?」

「そう。『魔剣』はね、仕掛けてこないのよ。かなり接近してきてるはずなのに。あたしやレキが張り付いてるから、かもしれないけどね」

 

 眉を寄せて渋面をつくるアリアの言葉に、俺は気になる点を見つけた。

 それは多分アリアが言いたいことの肝じゃないだろうが、()()()()には少し思うところがあったので、思い切って質問してみる。

 

「レキ? レキが、どうしたんだ?」

「え……?」

 

 アリアは一瞬、なにを今更言ってるんだ? みたいな顔になり、しかしすぐに納得がいったように手を打ち、

 

「ああ、そういえば錬には言ってなかったわね。実はね、レキに白雪を遠隔から守るように頼んでおいたのよ。といっても、レキは狙撃競技(スナイピング)の日本代表でアドシアードに出るそうだから、腕の時間貸し(パートタイム)としてだけど。それが、どうかした?」

「いや……なんでもねぇ」

 

 ――『全ては、いずれわかります』

 ふと脳裏によぎったレキの言葉を思い出し、しかしそれを頭を振って追い出した。

 アリアは俺の様子に不思議そうな表情を見せたが、すぐに気を取り直し、

 

「話を続けるわよ。いい? あたしやレキがくっついてるうちは、『魔剣』はきっと襲ってこない。護衛としてはそれでいいのかもしれないけど、それは逆にいえば、逮捕することもできないって意味だわ。だからあたしは、一度白雪のそばから離れることを考えたのよ」

 

 ああ……なるほどな、これで合点がいった。最初の台詞はそういう意味だったのか。

 だが……外部ってのは、どういう意味だ?

 

「お前の考えはわかったが……で? 具体的には、どうすんだ?」

「別に、大したことはしないわよ。むしろ大仰に動けば動くだけ、あたしがボディーガードを放り出したっていうのが(ブラフ)だってバレちゃう。とりあえず、遠方からの監視に留めておくつもりよ」

「遠方?」

「そ。あたし今、レキの部屋に置いてもらってるのよ。あの子の部屋、第2女子寮の最上階だから、監視にはうってつけだわ」

 

 アリアの説明に、俺はなるほどなと頷く。

 確かに、第3男子寮と第2女子寮の距離は近く、位置関係からしてもスコープで覗くことはできるだろう。アリアはつまり、そうやって今度は遠距離から護衛にあたるってわけか。

 

「それは構わねぇが……俺は、どうする? そのままキンジの部屋にいりゃいいのか?」

「? なに言ってるの?」

 

 きょとん、と首をひねるアリア。

 ああ。今のは、失言だった。

 まあ、そりゃそうだよな。徹底主義のアリアのことだ、隙を見せるなら、とことんまでやるだろう。となれば、俺も引き剥がしといたほうが、さらに隙が出たように見えるはずだ。総合戦力的には、たぶんあんまり変わらないだろうけど。

 じゃあ、俺は自分の部屋に帰るってところかな。あるいは、他の連中の部屋に泊めてもらうかだろう。

 あー、でも、理由はどうするかな。アリアはケンカしたという建前がある以上、キンジの部屋を出て行ってもおかしくないが、俺がいきなりそんなことを言い出しても、たぶんキンジは反論するだろう。だって、そうなりゃキンジは白雪と2人きりで生活することになるんだし。

 ――と、そこまで考えたとき、アリアが言った。

 

「あんたも一緒にレキの部屋に泊まるに決まってるでしょ」

 

 一瞬、耳がイカれたんじゃないかと、俺は本気で心配した。

 しかしそれも数秒、俺はすぐにその台詞が指す意味を呑みこんで、

 

「はぁああああああああああああああああ!?」

 

 と、立ち上がって絶叫した。

 瞬間、ファミレス中の視線が俺に集まり、俺は慌てて席に座りなおし、

 

「いやいやいや! なんでそうなんだよ!?」

「バカね、その方が都合がいいからよ。大方、自分の部屋に戻ればいいやとか考えてたんでしょうけど、それじゃ温いわ。やるからには、徹底的に距離を取らないと。で、そういうことならあんたも行動を共にしておけば、いざというときすぐに動けるでしょ?」

 

 アリアは小さく口元に笑みを浮かべながら、自らの策を誇る。

 まあ……理屈的には、間違ったことを言ってるわけじゃないんだが……、

 

「いや……にしたって、さすがにマズイだろう。お前が俺やキンジの家に泊まるならともかく、俺がレキの部屋に泊まるってのは」

「なんでよ? 同居人がキンジからレキに変わるだけよ。たいした違いじゃないじゃない」

「変わるよ! めちゃくちゃ変わるよ、それ!」

 

 というかたとえレキがそれを許可して、俺が受け入れたとしても、女子寮に男が宿泊なんてしてみろ。他の女子にバレたらどうなるか……。

 噂になるくらいなら、まだいい方だ。もし不法侵入として通報されでもしたら、武偵3倍法で何年懲役を喰らうかわからない。いや、それでもまだマシだろう。武偵高の教師連中に連絡されたら……うん、死ぬな。

 というわけで――毅然とした態度で、きっぱり断るんだ、俺よ!

 

「断る!」

「なにか言った?」

「いえ、なにも」

 

 1秒で抜き放たれたガバメントを見て、俺は0.1秒で意見を翻した。

 もうやだよこのパターン!

 

 * * *

 

「そういうわけでな、アリアの面倒は俺が見てやっから、お前は白雪のほうを頼む」

『そうか、レキの部屋に……そんなことだろうとは思ったが。わかった、じゃあ白雪のほうは俺が見てる。アリアは、頼んだぞ』

「ああ、任せとけ。――じゃあな」

 

 別れの挨拶を口にして、俺は通話ボタンを切った。

 隣のアリアが、少しふてくされたような顔をしながら、

 

「……キンジはなんて?」

「ん。白雪はこっちで見とくから、お前のほうは俺に任せたってよ」

「そう」

 

 ぷいっと横を向いて、アリアはそう答える。

 まあ……多分、昨日のことが原因だろうな。不機嫌そうにしてるのは。

 今俺たちがいるのは、ファミレスを出てすぐにあるベンチだ。そこに、2人並んで座っている。

 アリアに説得(物理)されたあの後、俺はここに来てキンジに電話をかけた。内容はもちろん、俺もレキの部屋に泊まることについて。理由は、怒っているアリアをなだめるためという、なんとも適当な理由だ。それでもキンジが了承したのは、やはりケンカした手前気まずかったからだろうか。

 ま、それはそれとして、だ。

 俺はベンチから立ち上がりつつ、

 

「それで? まだ昼前だが、今からレキん家行くのか?」

「ううん。行くのは、まだ後よ。今日は……ちょうどいいから、あんたに会わせたい人がいるの」

「会わせたい人……?」

 

 同じく立ち上がって背伸びをするアリアに、俺は疑問を露にする。

 まあ、別に会わせたい人ってのに会うのは構わねぇんだが……、

 

「いいのかよ? それじゃあ、マジで白雪につくのがキンジだけになるぞ」

「大丈夫よ。レキが、見張っててくれてる。今日は、『総合技能競技(マルチラン)』の練習で狙撃科(スナイプ)のレーンも使うからってことで、レキは完全にオフの日なの。で、レキがついてる以上、きっと『魔剣』は動かないわ。……これはあたしのカンだけど……錬は、信じてくれるのよね?」

 

 少し不安そうにしているアリアに、俺は頷くことで肯定する。

 アリアのカンはともかく、まあ確かに俺が『魔剣』なら、あのSランクの狙撃手に狙われながら動くことなんてしないだろう。

 アリアは曇った顔を晴らして、

 

「うん……うん。じゃあ、行きましょっ!」

 

 たたたっ、と駆け出していった。

 

「え、ちょ……待てよ、おい!」

「はやく来なさいっ!」

 

 いきなりのことに思わず焦って追いかける俺を、アリアは手を振りながら呼ぶのだった。

 ……ところで。

 俺に会わせたい人ってのは、誰なんだろうな?

 

 * * *

 

「初めまして。アリアの母の、神崎かなえです」

「あーっと……ども。有明錬です」

 

 ふんわりと微笑む目の前の女性に、俺は後ろ頭をかきつつ自己紹介した。

 ここは、新宿警察署の中にある、留置人面会室だ。アリアに連れられてやってきたこの場所で、俺は『俺に会わせたい人』とやらと面会していた。

 アクリル板に隔てられた向こう側にいる、ゆるやかにウェーブした色素の薄い黒髪をした女性。全体的にほんわかした雰囲気を醸す彼女は、しかしどこかアリアに似ていた。

 そしてそれは、当然のことなんだろう。なんせ、この女性(ひと)は――神埼かなえさんは、アリアの母だというのだから。

 俺の隣に座るアリアが、かなえさんに微笑みながら、

 

「久しぶり、ママ。今日は、前にキンジをつれてきた時に話した、もう一人をつれてきたわ」

「ええ、ちゃんと覚えてるわ。錬さん、でいいかしら?」

「あ、はい……」

 

 キンジをつれて来た時ってなに? と思いつつも、かなえさんの質問に答える。

 そんな俺に、アリアは、

 

「錬はもう、ママのことは調べたって言ってたわよね? でも、直接会うのは初めてでしょ? この人が、あたしのママよ」

「そうか……」

 

 俺は、なんとかそれだけをアリアに返す。

 ……さて。

 もしかしたらお分かりの方もいるかもしれないが……今俺、テンパってます。

 いきなり警察署につれてかれるわ、なぜかアリアの母親が捕まってるわ(犯罪者なんですか? とか訊けるわけがない)、向こうは俺を知ってるわ、なぜか俺も向こうを知ってることになってるわ。

 ……もうね。意味不明のオンパレードだよ、これ。

 しかし、それら全ての疑問をここでぶちまけるわけにはいかない。なぜなら、面会室に入る前に、アリアに言われたからだ。面会時間は3分しかない――と。

 余計なことが言えるわけねぇだろ、それ。そんな短い親子の対面を、事情がよくわからないという理由で潰せるか? 俺には無理だ。

 ので、俺はなるべく余計なことを言わないようにしておく。

 そんな俺にかまわず(かまってもらっても困るが)、かなえさんがふと何かに気づいたように、

 

「――あら? アリア、あなたなにかあったのかしら? 前に来たときよりも、落ち着いて見えるわ」

「ん……そうね、とっても大きなことがあったわ。時間がないから詳しくは話せないし、ママが捕まってるのにこんなこと言うべきじゃないのかもしれないけど……少し、心に余裕ができたの。――聞いて、ママ。あたし、パートナーが出来たよ。1人は今ケンカしちゃってるけど……それでも、あたしが生まれて初めて信頼できるパートナーよ。あたしは、あたしたち3人なら、きっと『あいつら』に勝てるって思う。ママを必ず救い出せるって、そう思ってるの」

「アリア……」

 

 ヒマワリか、あるいは日輪のように明るく輝くアリアの笑顔に、かなえさんは目じりに涙を浮かべる。

 すばらしい、光景だ。まさしく、母と娘の感動的な場面なのだろう。

 ……言ってることの内容は、9割がたわかってないが。

 というか、俺はホントになんでここにいるんだろう。空気すぎる。いる意味あるのだろうか?

 と、俺が居心地の悪さを感じたその時、

 

「――錬さん。あなたやキンジさんには、ご迷惑をおかけしていると思います。わたしの娘のために……いいえ、わたしがこんな状態にいるばかりに、あなたたちを危険に晒してしまっている。……それでも、罪深さを承知で、お願いします。どうか、アリアのパートナーとして、この子をそばで支えてあげてくれませんか?」

 

 かなえさんが、俺に瞳を揺らしながら尋ねてきた。

 俺の隣で、アリアも伺うようにこちらを見ている。2人とも、真剣な表情だ。

 ……おおう、来たよ。いつもの、いまいちよく状況が読めないときに来る、いまいち内容が掴めない、だけどのっぴきならない質問。

 ど、どうする? とりあえず何か言うべきなんだろうが……適当に答えていい空気じゃねぇぞ、これ。

 おそらく――ここで俺がとれる選択肢は2つ。

 1つは、素直に白状すること。「ぶっちゃけなにをおっしゃっているのかよくわかりません(キリッ)」と、俺が状況を把握できていないことをバラすという選択だ。もちろん、言葉は変えるが。

 もう1つは、流れに身を任せること。空気を読んで、この場で最も適しているであろう返答をするという選択だ。

 悩む暇はない。面会時間は、もう半分もないだろう。すぐに答えないと。

 ぐおおお! どっちだ? どっちを選べばいい?

 素直になって恥をかくか。それとも、いつものようにそれっぽい答えを返して誤魔化すか。

 悩んで悩んで悩んで……やがて、俺は一つの答えを示した。

 ――サムズアップ付きで。

 

「任せてください、お母さん。娘さんは、俺が(友達として)ずっと支えていきますよ」

 

 ……言っちまった。

 よかったのか、俺。本当に、その選択で、台詞でよかったのか。なにか、俺はとんでもない地雷を全力で踏み抜いたような予感がひしひしとするんだが。てか、お母さんてなんだよ。相変わらず焦ると変なことを口走るな、俺は。

 ……い、いや、まあ大丈夫だろ。なにもおかしなことはないはずだ。かなえさんは、娘を支えてくれと言った。そして俺は支えると答えた。それだけだ。

 おそらくあの台詞は、幼いころからアリアを見てきた母親が、娘のぼっちっぷりを心配して言っただけなんだろう。なら、俺の返答は間違ってない……はずだ。

 ですよね、かなえさん? と俺が意識を思考からかなえさんに移すと、

 

「ぐすっ……はい、よろしくお願いします……っ」

 

 な、泣いてらっしゃるー!?

 ななななんで!? 俺、そんなに大層なこと言った!? 

 へ、ヘルプミーアリア! と今度はアリアに助けを求めて顔を向けると、

 

「あ、あわわわ……っ」

 

 こちらは顔を赤く染めて処理落ちなさっていた。

 って、お前もかよ! なんであんたら親子は予想外のリアクションばっか取るの!?

 混迷の度を深めていく留置人面会室。涙を流すかなえさん、赤面のアリア、混乱の俺、という非常にわけのわからない状況が出来上がってしまっていた。 

 そしてその混沌を収めたのは、

 

「……あー、神崎。時間だ」

 

 室内にいた、かなえさんを部屋につれてきた制服警官だった。

 だが、彼の声にも、どこか困ったような響きがある。困ってるのはこっちだぜ、おまわりさん。

 

「……っはい。わかりました」

 

 かなえさんは素直に従い、椅子から立ち上がる。それに合わせて、やっと現実に戻ってきたアリアも席を立ち、

 

「ママ、あたし頑張るから! キンジと錬と3人で、頑張るから!」

 

 警官に連れられて去っていくかなえさんに、そう叫んだ。

 かなえさんは一度だけ振り返り、

 

「――待ってるわ」

 

 一言だけ答えて、そのまま奥の扉へと消えていった。

 シン――と、空間を静寂が満たす。アリアは、かなえさんがくぐっていった扉を、じっと見つめ続けていた。

 ……で。

 俺は結局、正解を選べたのだろうか?

 

 * * *

 

 神崎かなえにとっての有明錬の第一印象は、『普通の男の子』だった。

 眼前に座る錬に自己紹介をしてから、かなえはもう一度錬をよく観察する。中肉中背の体型、雑に切りそろえられた黒髪、ぎらりと覗く鋭い目つき。少々いかめしい見かけといえないこともなかったが、かなえは見た目で人を判断する人間ではない。どちらかといえば、相手の本質を見ようとする女性だった。

 そんな彼女をして、錬は普通の少年に見えた。以前会ったキンジとは、これは異なる評価である。キンジも全体像でみればあるいは普通だったのかもしれないが、ホームズ家という特殊な家で過ごしたかなえにはわかる。キンジはその実、普遍的な人間の、一歩外にいるはずだ。

 翻って錬には、そういうところが見受けられない。無論武偵である以上ある程度の修羅場はくぐっているのだろうが、かといって一般の高校にいたとしても違和感はないだろう。かなえは錬を内心でそう評して、そしてそれゆえに疑問を持った。

 

(この子が、アリアが選んだもう1人……)

 

 それは疑いの感情に近い。もちろん娘のことを信じていないわけでは断じてないが、それでも本当にアリアがこの少年をパートナー足ると認めたことに、わずか疑念を抱いた。

 しかしそれをおくびにも出さず、かなえは錬についての思考を一度脇にやり、アリアとの会話に入った。

 

「久しぶり、ママ。今日は、前にキンジをつれてきた時に話した、もう一人をつれてきたわ」

「ええ、ちゃんと覚えてるわ。錬さん、でいいかしら?」

 

 答えながらかなえは、錬への言葉へと繋げた。彼がどういう人間であるかはともかく、わざわざこんな自分の下へ来てくれた人を邪険に扱うなど、礼に失した行動をかなえは取らない。

 そんなかなえの問いかけに錬はあいまいに返事する。

 その態度がさらに頼りなさを演出してしまっていて、かなえはますます錬についてわからなくなってきた。

 

「錬はもう、ママのことは調べたって言ってたわよね? でも、直接会うのは初めてでしょ? この人が、あたしのママよ」

「そうか……」

 

 アリアとの会話にも、どこかぼんやりとした調子で錬は返す。まるで、心ここにあらずというように。

 

(緊張、しているのかしら?)

 

 かなえは、錬の様子から彼の心理状態を予測する。

 さすがにその理由まではわからないが、どうにもそんな感じがする。一体、なにが彼をこうも緊張させているのだろうか。

 と、そこでかなえは、ふとアリアの()()に気づいた。

 笑っているのだ、アリアが。小さくではあるけれど、確かに。うぬぼれでなければ、おそらくは自分との再会を喜んでくれている。

 それは、以前には無かったことだ。前回アリアがここを訪れたときには、彼女はひどく思いつめたような表情をしていた。パートナーが見つからず、かなえを『イ・ウー』の連中から取り戻すと、そればかりに急いていた。

 だが、今日は違う。どこか穏やかな雰囲気を、彼女は纏っていた。

 それがかなえには気になって、

 

「――あら? アリア、あなたなにかあったのかしら? 前に来たときよりも、落ち着いて見えるわ」

 

 と、アリアに訊いてみた。

 アリアはかなえが捕まってから一度も見せなかったような笑顔を作り、

 

「ん……そうね、とっても大きなことがあったわ。時間がないから詳しくは話せないし、ママが捕まってるのにこんなこと言うべきじゃないのかもしれないけど……少し、心に余裕ができたの。――聞いて、ママ。あたし、パートナーが出来たよ。1人は今ケンカしちゃってるけど……それでも、あたしが生まれて初めて信頼できるパートナーよ。あたしは、あたしたち3人なら、きっと『あいつら』に勝てるって思う。ママを必ず救い出せるって、そう思ってるの」

「アリア……」

 

 アリアの台詞に、かなえは自らの瞳に涙が溜まるのを自覚した。無論それは、アリアが自分を救うと言ってくれたことに対してではない。

 ――パートナーが出来たよ。 

 アリアは、そう言った。キンジと共に訪れたあの日、パートナーなんていらないといっていた彼女が、だ。

 昔から人付き合いが苦手で、親族にすら馬鹿にされ続けたアリアが、ようやく心から信じられる誰かを見つけた。そんな娘の成長に、そしてそれを成してくれた者たちに、かなえの涙腺は自然と緩んだ。助けると言われるより、そっちのほうが遥かに嬉しかった。

 同時かなえは、錬に目を向け、心中で己を恥じた。

 なにが本質を見る、だ。なにが頼りない、だ。

 アリアは確かに3人と口にしたのだ。それは、眼前にいる少年もまたキンジ同様にアリアの支えになっていることの、なによりの証左ではないか。

 かなえは、申し訳なさと、それに勝る感謝の気持ちで、錬に対し言葉を紡いだ。

 

「――錬さん。あなたやキンジさんには、ご迷惑をおかけしていると思います。わたしの娘のために……いいえ、わたしがこんな状態にいるばかりに、あなたたちを危険に晒してしまっている。……それでも、罪深さを承知で、お願いします。どうか、アリアのパートナーとして、この子をそばで支えてあげてくれませんか?」

 

 自分を助けることなど、できなくとも構わない。ただアリアのそばにいてあげて欲しい。

 かなえの望みは、まさにそれだけだった。

 しかし、錬は眉根を寄せて、返答に迷うような仕草を見せた。

 

(当然だわ……)

 

 単純に答えられる質問ではないことは、かなえ自身わかっていた。

 なにせ、アリアの隣に立つというのは、あの強大な犯罪組織『イ・ウー』に関わるということに直結する。本当は、絶対に頼むべきことではない。誰かを巻き込んでいいことでは、もっとない。

 しかしかなえは、それでも願った。いままで孤独だったアリアが報われてほしいと、危険を承知で頼んだのだ。

 そして。

 不安に揺れるかなえとアリアが見守る中、

 ついに、錬は答えを出した。

 

「任せてください、お義母(かあ)さん。娘さんは、俺がずっと支えていきますよ」

 

(え…………ッ!?)

 

 ぴきり、とかなえの頬が引きつった。

 

(はにゃ……ッ!?)

 

 同時、アリアの脳が沸騰した。

 両者ともに、今のプロポーズまがいの……というかまんまプロポーズに、脳内の回路を破壊されたような気分に陥った。

 そしてアリアはそのままオーバーフローへと突入してしまったのだが、そこは大人のかなえ、なんとか意識を持ち直す。

 彼女の視線の先では、錬が親指を力強く立てていた。

 その光景がさきほどの言葉が聞き間違えでなかったことを証明していて、かなえは改めて錬の台詞を認識した。

 しかしすぐに、

 

(い、いえ、なにかの間違いよね? だってそんな、こんな場面でいきなりプロポーズなんてするわけが――)

 

 と、そこまで考えて、かなえはふと思い至った。

 もし。もしも、さっきまで錬が緊張していたのが、これが原因だったとしたら?

 始めから、なんらかの形で母親(かなえ)に挨拶(娘さんを幸せにします的な意味で)するつもりだったのだとしたら?

 それならば理屈は通るが……それにしても、いくらなんでも、とかなえは困惑する。

 困惑して、どうリアクションを取るべきか悩み、そういえば娘はどう反応しているのだろうかと目を向けた。

 その先では、顔を真っ赤に染め、目がきょどきょどと動きまくっている娘の姿があった。

 我が娘ながら、なんて顔をしているのか……と冷や汗を流すかなえは、そこであることに気がついた。

 アリアの口角が、微妙に上がっている。というか、端的に言ってにやけている。おそらく無意識だろうが。

 ――その時、かなえの脳裏に閃きが走る。

 そうか、と得心がいった。

 おそらく、アリアと錬は――いわゆる、相思相愛というやつだったのだ。

 でなければ、言ってはなんだが、恋愛ごとが苦手なアリアが暴れださないわけがない。

 となればこれは、合意の上と見るべきだろう。彼らは、2人で決めて(あるいは錬が男を見せて)、こうして挨拶に来たのだ。

 ほろり、とかなえの目じりから透明な液体が零れ落ち始めた。

 あの、アリアが。幼稚園児のころに男子を10人まとめて泣かせ、小学生のころに(奇跡的に)告白してきた男子を照れ隠しで締め上げ、中学生のころにバレンタインデーの告白ラッシュにかんしゃくを起こして学校中を暴れまわった、あのアリアが。

 ボーイフレンドを作って、挨拶にまで来るようになるなんて。

 

(アリア……大人になって……!)

 

 先ほどとは別方向、あるいは延長線上の成長を見て、気づけばかなえは口を開いていた。

 

「ぐすっ……はい、(娘を)よろしくお願いします……っ」

 

 この瞬間、かなえの脳内から『イ・ウー』なんぞのことはすっ飛んでしまっていたことは、言うまでもない。

 結局、在室していた制服警官が面会時刻の終了を告げるまで、かなえは泣き続けていた。

 ちなみに。

 未来にて、「錬さんとの挙式はいつにするの?」とアリアに尋ねたことでまた一騒動あったりするのだが、それはまだまだ先のお話である。

 

 * * *

 

「ん~~~、っはぁ。なんか、少ししか経ってねぇのに、どっと疲れたなぁ」

 

 面会終了後、警察署内の受付ロビーで凝り固まった背を伸ばしてほぐし、俺は息をついた。

 傍らに、アリアの姿はない。なんでも、偶然かなえさんの弁護を担当している弁護士さんが来ていたとかで、少し話してくるそうだ。だもんで、俺一人だけここでアリアを待っているというわけである。

 ちなみに、結局詳しい事情は聞けてない。単純に、面会室を出てすぐに弁護士さん――綺麗な女性弁護士だった――に会ったからというのもあるが、どうもアリアは俺の顔を見るたびに真っ赤になって、使い物にならなかったんだ。意味不明。

 そんなこんなで一人寂しくアリアの帰りを待っていると――ピリリ、とポケットの携帯電話が鳴った。

 なんだ、メールか。誰からだ?

 携帯を取り出して着信欄から新着メールを開くと……げっ、なんだよまた迷惑メールかよ。最近多いな。今度、情報科(インフォルマ)の連中に相談してみるか。

 しかしまあ、これ系のメールは手を変え品を変え、よくやるよなぁ。

 今度はどんなのだ? と思い、俺は何気なくメールのトップに書かれていた一文を読み上げてみた。

 

「『婦警コスの佐倉(さくら)ちゃん、萌えー! 最高にエロイ姿に、僕の胸はドキドキ☆』……?」

 

 ……なんだこりゃ。品性どころか知性すらなさそうな文章だ。

 まったく、こんなんに釣られてアクセスしちまう連中は、本当に馬鹿だよなーとか思っていると、

 

「せ、せ、セクハラですッッッッッ!」

 

 という大音声が、前方で響き渡った。

 せ、セクハラ? おいおい、どこのどいつだよ。ここは警察だぜ?

 ある意味度胸あるなーとか思いつつ、とりあえず武偵としては見て見ぬふりはできねぇな、とディスプレイから顔を上げ――るより早く、

 

 ガチャリと、俺の腕に手錠がつけられた。

 

 …………手錠?

 ……え!? ちょ、なんだよこれ!?

 慌てて外そうとするも、当然外れるはずもなく、むなしくガチャガチャと音を鳴らすばかりだ。

 というか、これつけたの誰だよ! と俺は犯人を捜すために視線を上げると――そこに、いた。

 婦警さんの格好をした中学生くらいの女の子が、一人。

 

「み、みみ見損ないましたよ有明先輩! 私は、あなたを2年前からずっと尊敬してたのに……こんなのって無いです!」

 

 今にもホルスターに吊った拳銃――S&WのM60――を抜き放ちそうな怒りの形相でこちらを睨む彼女に、見覚えは全く無い。

 背格好からして中学生か高校上がりたてくらいだろうが……誰だ、この子は? おそらく『架橋生』ではないか、とは当たりをつけたが。

 つか、こんなのって無いですはこっちの台詞だよ馬鹿野郎。これは一体、何のマネだ? 俺が一体何をしたってんだ?

 そんなことを悶々と考えている間にも彼女はいろいろと怒鳴っていたらしく、結果的に俺はそれを無視している形になってしまい、

 

「――聞いてますか、有明先輩!? あ、あああなたは、少しでも反省の色がないんですか!?」

 

 いや、反省の色以前に、なにがなんだかよくわかってないんですが。

 

「まだだんまりですか!? いいかげん、釈明なり謝罪なりしてくださいよ! 私にした――セクハラについてッ!」

「せ……セクハラ?」

 

 って、なんのことだよ?

 ようやく声を出せた俺に、眼前の『架橋生』――いや、首から下げてる名札によれば、(いぬい)(さくら)というらしい――はさらに柳眉を逆立て、

 

「とぼける気ですか!? あ、あんなことを言っておきながら……ッ!」

「ま、待て待て待て! 何の話だ!? 俺が何を言ったって!?」

「それは――ハッ!? 今度はそういう魂胆ですか! エロスの塊のような男ですね、あなたはッ!」

 

 会話になってねぇえええええええええ! 話通じてないよ、こいつ! 

 どうしたらいいんだこれ、と俺が頭を抱える――ことは手錠のせいでできないんだが、とにかく抱えたくなったその時だった。

 

「――錬? なにしてるの、あんた?」

 

 廊下の奥から、アリアが戻ってきた。

 それに気を取られたのか、乾が一瞬、アリアの方を向く。

 ――ナイス、アリア!

 俺は、即座にその場で反転、一気に駆け出して逃走を開始した。三十六計逃げるにしかずというのは名言だな、ホント。

 自働ドアが、ぎりぎり通れるくらいの隙間が開くと、俺はそこに体をすべりこませ、外へと脱出していった。……って、うおおおお!? 手錠、超目立つ! 通行人がめっちゃこっち見てるよ!

 奇異の視線を逃れつつ、走ること5分。後ろから誰も追ってこないことを確かめてから、俺は大きく息を吐いた。

 

「――ぷはぁっ! な、なんだったんだあいつは……」

 

 人目を避けるために入っていた裏路地の壁に、背を預ける。

 ホントに、なんだったんだ、あの乾とかいうやつは。セクハラって、なんの話だよ?

 つーか……どうすんだ、手錠(これ)

 俺が両手を拘束する鉄の錠の扱いに悩んで……丁度その時、アリアから発信がかかった。

 幸い携帯は手に持ちっぱなしだったので、すぐに電話に出れた。

 

「はい、もしもし?」

『錬ッ! あんた今、どこにいるの!? なんか、警察署にいた「中等部(インターン)」の子が、あんたがセクハラしたとか騒いでたんだけど!?』 

 

 う、うおー。お怒りになってるぞ、こりゃ。

 俺はとりあえず裏路地から出て、周囲を見渡して現在位置を確認しつつ、

 

「知らねぇよ、そんなこと言われても。俺だってなにがなんだか、全然わかってねぇんだ」

『知らないって……じゃあ、なんであの子はあんなこと言ってたのよ?!』

「俺がききてぇよ……。とりあえず、今の場所だけ教えるぞ」

 

 俺は、今いる位置をアリアに伝えた。

 すぐに行くから待ってなさい! と怒鳴って切られた携帯をポケットにしまい、言われた通り待っていると……早い、もうきやがった。2、3分しか経ってねぇぞ、まだ。

 で、当然のごとくアリアは烈火のごとく質問(例のセクハラ云々について)してきたので、俺はその全てに正直に答えると、一応は鎮火してくれた。

 

「――じゃあ、なに? あんた、本当になにもやってないの?」

「ああ。というかそもそも、知り合いですらねぇ」

「ふうん……? じゃあ、なんであの子はあんなに怒ってたのかしら? それに、有明先輩って、あんたのこと知ってる風だったわよ」

「そう言われてもな……」

 

 開錠(バンプ)キーで手錠を開けようとしてくれているアリアに、俺は生返事で返す。

 まあ、向こうが俺を知ってるのは、あり得ない話じゃない。以前、間宮とかいう後輩が知っていたように、俺の名前はそれなりに知名度があるらしいからな。迷惑なことに。

 ――と、かちりという音がして、ふいに俺の手首から圧迫感が消えた。

 

「はい、解除できたわよ」

「おー、さんきゅ。さすがにこれで街中は歩けねぇからな」

 

 こきこきと窮屈だった手首を鳴らしながら、俺はアリアに礼を言った。いや、このままだったらマジで通報されそうな勢いだったぜ。

 さて、と。これで晴れて自由の身になれたことだし、

 

「で? なんか変なごたごたは起きちまったけど、かなえさんに会うって目的は果たせたんだ。これからどうする? 予定通り、レキの家に行くのか?」

 

 という質問を俺がアリアにすると、アリアはなぜかうぐ、と口ごもり、

 

「そ……それなんだけど、ああああんた、さっきのは本気で言ってたの?」

「本気? なんのこった?」

「だっ、だから! 娘さんのことは僕がずっと支えますって言ってたでしょ!?」

 

 がうっ、と頬を紅潮させながらアリアは言う。

 あー、あれね。そういや、そんな台詞だったっけ。俺がかなえさんに言ったの。

 まあ、本気か嘘かで言えば、

 

「嘘じゃねぇよ。それくらいの約束は守るぞ、さすがに」

 

 俺にだって、人情くらいある。さすがに親にまで頼まれるレベルのぼっちを見捨てるのは、良心が痛みますよ、ええ。

 という意味の俺の答えに、アリアは口をわぐわぐと動かし、

 

「(き、キンジはキスするし、錬はプロポーズしてくるし……もう、わけわかんないよう……)」

「なんか言ったか?」

「な、なんでもない!」

 

 怒ったようにアリアは怒鳴って、ドスドスと大またで歩き出していく。

 俺はその後を慌ててついていきながら、

 

「お、おいおい! 結局どこ行くんだよ!」

「レキの部屋よ! 文句ある!?」

「いや、ねぇけど……」

 

 妙な機嫌の悪さですごんでくるアリアに、俺はたじろいだ。

 結局レキの部屋につくまでとりつく島のなかったアリアの後ろを歩きつつ、俺は嘆息する。

 まったくもって本当に……なんかマズイことしたのかな、俺?

 

 * * *

 

 乾桜にとって最も尊敬する先輩を1人挙げよと言われれば、しかしこれには2つの名を挙げざるを得ない。

 その2人は、共に桜の2つ年上の先輩である。東京武偵高高等部に特待中学生として通う中学3年生の桜の2つ上、つまり現高等部2年生の先輩たちだ。

 そして同時に、その2人は中学時代の先輩でもあった。桜が籍を置く東京武偵高中等部の、卒業生なのだ、彼らは。

 当時1年生だった桜が中等部の学び舎で彼らと共に過ごした期間は、わずか1年しかない。それでも中学進学と同時に武偵への道を進み始めた桜にとって、その2人の姿は鮮烈に焼き付いたという。

 では、その2人とは誰か?

 1人は、鈴木時雨。中等部において前代未聞の3年連続生徒会長を務めた、生ける伝説だ。桜は、求心力において、あるいは統率力において彼女を上回る人間などいないのではないかと、半ば以上に信じている。

 そして、もう1人は有明錬。桜たち当時の新入生と同時期に3年に編入し、彗星のごとく瞬く間に、実力においてトップに立った少年だ。2年前の文化祭で行われた『撃ち上げ(カーニバル)』というイベントにおいて、彼が当時学園最強だった時雨を下したことは、未だ鮮明に記憶している。

 ここでなぜ桜が鈴木時雨と有明錬を尊敬するに至ったかを説明するには、まず乾桜という少女について語らなければならない。

 乾桜。通称、『何でも持ってる桜さん』。

 成績は非常に優秀、運動神経に秀で、父親は麻布警察署の署長という生まれに加え、さらに生来の生真面目かつ勤勉な性格に起因するたゆまぬ鍛錬により、戦闘訓練は無敗、無遅刻無欠席という完璧な経歴も()()()()()

 そんな完全無欠な桜は、だからこそ『自分が持っていないモノ』を持つ人間に敬意を表する傾向がある。

 しかしもちろん桜より強い者もいれば、賢い者もいるし、家柄がいい者もいる。それらすべてを併せ持ち、なおかつ桜を上回る者もいるだろう。

 それでも桜が時雨と錬を敬うのは、それは彼らが持つ『モノ』が、飛び抜けていたからだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 全てを呑みこむような、鈴木時雨の求心力。全てを吹き飛ばすような、有明錬の戦闘力。それこそが、乾桜を惹きつけてやまないモノだった。

 そして。

『架橋生』として赴いた研修先で、桜はその内の1人に出会った。

 

(あ、有明先輩……? なんでこんなところに?)

 

 桜が、彼――有明錬を目撃したのは、新宿警察署の受付ロビーだった。本来強襲科(アサルト)()の生徒が警察関係の施設にいるのは珍しいことなのだが(桜も強襲科生ではあるが架橋生は例外である)、なぜか錬はそこにいた。

 

(わ、わわっ……どうしよう? は、話しかけてみようかな?)

 

 不意の邂逅に、桜は内心で慌て始めた。

 実を言えば、桜が錬(時雨もだが)と直接相対したことはない。ある種、有名人と偶然会ってしまったような(東京武偵高という括りで言えばあながち間違いでもない)状況である。

 

(――うん。話しかけてみよう。こんな機会、滅多にないし)

 

 逡巡は数秒。すぐに桜は、行動を決めた。

 中学時代は、よく錬の周りに学園十傑と呼ばれる『10(ディエーチ)』メンバーがいたので話しかけづらかったし、高校に上がってからは(正確には特待生扱いだが)架橋生として方々に飛び回っているので、確かに話しかける機会はほとんどない。

 そうと決まれば、と桜は錬の正面から歩み寄り、

 

「こんにちは、有明先輩。私、中等部からの後輩で、乾桜って言います」

 

 と、心中の緊張をおくびにも出さずに声をかけ――ようとしたその寸前、

 

「婦警コスの桜ちゃん、萌えー! 最高にエロイ姿に、僕の胸はドキドキ☆」

 

 という、ちょっと地球の言語なのか疑いたくなる台詞が、目の前の人物から発せられた。

 

(…………にゃ?)

 

 思わず心の中で猫語が出てしまうほどに、桜は意味がわからなかった。

 ちなみに、なぜ猫語なのかは、彼女が密かに「警察戦隊ピーポニャン」なる戦隊番組の大ファンだからという背景があるのだが、それはともかくとして。

 思考回路のショートは数秒間続き、しかし復旧しだい先ほどの台詞と誰が言ったのかを理解して、

 

「せ、せ、セクハラですッッッッッ!」

 

 気づけば桜はそう叫び、次いで衝動的に『尊敬する先輩』改め『セクハラ男』有明錬に手錠をかけていた。

 錬は、なにが起こったのかわからないという顔で、手錠を見つめる。

 その姿が、さらに桜の火に油を注ぐ。

 

(いきなりあんなことを言っておいて、そんなとぼけたような顔を……! 私は、こんな人をずっと尊敬してたの!?)

 

 冷静に考えれば錬が自分の名を知っているとは思えなかったし、彼の一人称は確か「俺」だったはずだし、錬が目を向けていたのは自分ではなく今も手に持つ携帯電話だったので、何かおかしいと気づいてもよかったはずだ。だが、憧れからの落差が激しすぎて、桜は正常な状態ではなかった。どころか、携帯で盗撮していたのでは? と疑う始末である。

 

「み、みみ見損ないましたよ有明先輩! 私は、あなたを2年前からずっと尊敬してたのに……こんなのって無いです!」

 

 桜は怒りに顔を赤く染め上げ、キッと錬を睨みつける。

 無論そんな桜の事情など錬が知るはずもないので、逆恨みの感が強いのだが、いわばアイドル像を壊されたようなものなので、そのショックは大きかった。

 その後も桜は錬を責め立て、その最後に先ほどのセクハラについて申し開きを要求すると、

 

「せ……セクハラ?」

 

 と、何の話だ? とでも言いたげな表情で、錬が鸚鵡(おうむ)返しに問い返してきた。

 

「とぼける気ですか!? あ、あんなことを言っておきながら……ッ!」

「ま、待て待て待て! 何の話だ!? 俺が何を言ったって!?」

「それは――ハッ!?」

 

 桜は、錬が言った台詞を復唱しようとして、そこで錬の狙いに気づいた。

 

(ま、まさか私にあの台詞を言わせて、さらに辱めようとしているのでは!? なんたる策士ですか、有明先輩……!)

 

 遥かに斜め上方向の推理をしていることからわかるように、桜は現在混乱の極みにあると言っていいだろう。

 

「今度はそういう魂胆ですか! エロスの塊のような男ですね、あなたはッ!」

 

 さらに糾弾する桜。ますます困惑に顔を染める錬。

 そろそろ周りの視線も厳しくなったその時、

 

「――錬? なにしてるの、あんた?」

(え……?)

 

 背後から錬を呼ぶ声がして、桜は一瞬振り返った。

 そこにいたピンクのツインテールの少女には、見覚えがある。確か強襲科の先輩である神崎・H・アリアだ。

 そんな人までなぜここに? と疑問に思うのも数秒、桜はすぐに錬のことを思い出し、再び正面を向いて、

 しかしそこに錬の姿はなく、ガラス製の扉の向こうに、走り去る錬の背中があった。

 

「に……逃げたっ!?」

 

 桜は慌ててそれを追いかけようと足に力を籠める。

 しかしその力が解放されるより早く、むんずと首根っこを掴まれた。

 

「きゅぷっ!?」

 

 気道が絞まり変な声を上げた桜が肩越しに振り返ると、桜の研修を担当してくれる予定のリアル婦警さんがいた。

 ――その後の話を簡単にすると、結局桜は錬を追いかけることは叶わなかった。なんとか事情を説明しようとするも、時間が押しているからという理由で却下された。

 ずるずると首根っこを捕まえられたまま廊下を引きずられていく桜は、決意する。

 

「絶対……絶対、謝らせてみせますよ、有明先輩!」

「うるさい」

 

 直後、婦警さんに拳骨を落とされた。

 

 * * *

 

 ――時間は、少々遡る。

 留置人面接室から、かなえが退出した直後のことだ。

 制服警官に付き添われながら留置室に向かうかなえは、ふと思い出したように小声で言った。

 

「そういえば……」

 

 その先を、聞いた者はいない。

 かなえ本人以外は、ただの一人も。

 ――かなえは、言った。

 

「錬さんにわたしは……どこかで会ったことがあるような――?」




今回は、閑話的なお話でした。と言っても、本筋に関わる話でもあるんですが。
次回は、アドシアード突入までを書いていこうかなと思います。
では、また次回。

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