偽物の名武偵   作:コジローⅡ

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第二章「銀氷の架け橋」突入です。銀氷はダイアモンドダストと読んでいただければ。なぜ振り仮名を書いてないかというのは、タイトルに丸括弧を使いたくないというポリシーみたいなものがあるからです。



第二章 銀氷の架け橋
18.月光の下で


「……お、おい。こりゃ、さすがに無理しすぎたんじゃねぇか……?」

「だ、だな……」

「こっ……この、バカキンジ! あんた、()()()()()()()()なのね!?」

 

 第1女子寮に隣接する、菜園部なんかが利用している温室。

 その中で俺たちは、色とりどりの花々に囲まれながら、重なって横たわっていた。

 見上げれば、ビニール製の天井には大きな穴がぽっかり開いていて、そこから夜空に浮かぶ月が覗いている。

 あの、わけのわからん黒服集団から逃げ出したのはいいんだが、その方法をキンジの馬鹿に任したのは失敗だったかな……。

 

「普通、温室の屋根をクッション代わりにしようなんて思いつくもんかよ……痛ってて……」

「しかたないだろ。()()俺じゃ、これが限度だ」

 

 節々が痛む体をむりやり起こして、俺はキンジに文句を言う。

 まさか、女子寮の屋上から飛び降りる日がくるとは思いもよらなかったぜ。

 まあ、確かにヒステリアモードじゃないお前にスマートな脱出方法が考え付くとも思えねぇが。つか、アリアのやつ、今『バカキンジモード』っつったか? ばれかけてんじゃねぇか、ヒステリアモード。

 で、そのアリアと言えば、落下の際に打ち付けたのか尻をさすりながら立ち上がり、

 

「ま、バカキンジに期待するだけ、損ってもんでしょ。それより……キンジ。あんた、何かあたしに隠してない?」

「な、なにがだ?」

「あんたには、何か急激に強くなるスイッチがある。誤魔化してもダメよ、あたしはもう確信してるから。肝心の、スイッチが入る条件まではわかんないけどね」

「うぐっ……!」

 

 ほらみろ、バレてら。

 てか、肩大丈夫かな。あんな落ち方したんだから、また痛めてっかもなぁ。

 と、俺が軽く右肩に触りながら安否を確かめていると、

 

「――で、錬。あんたもよ」

「あん?」

 

 俺が、なんだって?

 

「キンジに聞いたわ。あんた、理子を見逃したんでしょ?」

「うぐっ……!」

 

 アリアのつっこみに、今度は俺が唸る番だった。

 そうなんだよな。なりゆきとは言え、理子の担当任されたの、俺だったんだよなー。

 だらだらと冷や汗を流し始める俺に、アリアはビシッ! とちっこい人差し指を突きつけて、

 

「あんたの問題は、その甘さよ。いくら理子が武偵高の仲間だったからってねえ、逃がしていい理由にはならないわ!」

 

 は、はい?

 いや、別にそういうのじゃなくて、普通に負けたんですが。

 なにか誤解されているようなので、俺は、

 

「い、いや、それは違くて――」

「だから! あたし、決めたのよ。あんたたちがしっかり戦えるように調教すれば、完璧なパートナーになれるって」

 

 話聞こうよ、アリアさん。

 というか……ち、調教? 

 これは、お前が外国人だから言い間違えただけなんだよな? 本当は訓練って言いたかったんだよな?

 なぜかそこはかとなく、アリアは本気で言っているような気がしつつ、

 

「まあ……とにかく、だ。そろそろここ出ようぜ。いつまでもこんなとこいたってしょうがねぇだろ」

 

 と、俺は露骨に話題を逸らす。

 実際問題、このままここにいたらあの黒服連中が追いかけてくる可能性もあるしな。

 そんな俺の提案に、

 

「……それもそうね。いいわ、じゃあ帰りましょ」

 

 と、アリアは一つ頷いて乗ってきた。

 で、そうと決まれば即行動が神崎・H・アリアという女だ。

「ほら、ぐずぐずしないでさっさと行くわよ!」と、まるで自分が提案したかのように先導する彼女に、俺はため息をつく。

 ……まあ、なんというか。

 

「すっかり元通りになったなぁ……」

「だな」

 

 隣で苦笑するキンジに、俺も同じく苦笑で返し。

 月明かりの下で鮮烈な笑顔を浮かべる、赤紫色(カメリア)()をした女の子を追いかけ始めたのだった――

 

 * * *

 

 夜中ゆえに人通りのない学園島を、俺たち3人は歩く。

 目指す先は、第3男子寮。キンジたちは単純に帰宅(言ってもアリアの方は居候なんだが)のため、俺は当初の予定通り自室に暇つぶしの道具を取りに行くためだ。

 そして、その道中。ふと、思い出したようにキンジが言った。

 

「そういや、アリア。ずっと気になってたんだが……理子が言ってた『オルメス』ってなんのことだ?」

 

 オルメス? なんだっけそれ……ああ、いや。そういや理子のやつそんなこと言ってたな。

 確か、アリアのことをオルメス4世だとか、オルメスを斃さなきゃならない……とか。

 結局、あん時はそれどころじゃなくて、聞けなかったしな。

 ちょうどいいや。ついでに俺も聞いとこう。

 

「ああ、俺も気にな――」

「はあ!? あんた、まだ分かってなかったの!? 信じらんない! ギネス級のバカねあんた! 金メダルバカ!」

「…………」

 

 なんだろう。怒鳴られたのはキンジだけのはずなのに、なぜかとてもいたたまれない。ちょっと泣きそう。

 だが直接言われたキンジは俺の比ではなかったようで、かなりビビッている。

 そんな風に情けない金メダルバカ2人を(彼女の視点ではたぶんキンジのみだろうけど)、アリアは柳眉を逆立てて睨みながら、

 

「ああ、もう! いいわ、もうあんたたちで決定したんだから教えてあげるわよ! あたしの名前は――」

 

 一息吸って、

 

「神崎・『(ホームズ)』・アリア! ()()()()()()()()()()()()()!」

 

 と、両手を腰にあてつつ大声で名乗りを上げた。

 ……。

 …………。

 ………………え?

 ええええええええええええええええええええええええええっ!?

 ほ、ホームズの子孫!? マジで!? こいつが!? 

 唐突かつ驚愕の事実に、俺の心中は一瞬で大荒れと化した。理子がアルセーヌ・リュパンの子孫だと知った時も驚いたが、これはそれ以上の衝撃だった。

 ……いつか話したことがあるかもしれないが、俺には1人、武偵関連の史実の人物で尊敬している人がいる。入試のときに探偵科(インケスタ)を志望していた(結果的に強襲科(アサルト)になったが)のだって、その人が探偵だったからだ。

 100年ほど前に活躍した、イギリスの探偵。拳銃の名手で、格闘術(バリツ)の達人。

 超人的な推理力と高い戦闘力を併せ持った、俺たち武装探偵の始祖。

 曰く、『世界最高の名探偵』。

 そう、彼の名は――シャーロック・ホームズ。

 俺が、尊敬する人……だ。

 だから。

 子孫とはいえ、あのホームズを目の前にした俺の心境は、本来なら歓喜とかになるはずなんだろうけど……。

 

「ホー、ムズ……!?」

「そう! で、あんたたちはあたし(ホームズ)パートナー(ワトソン)に決定したの! もう逃がさないからね! 逃げようとしたら――風穴あけるわよ!」

 

 右手で拳銃の形をつくり、俺たちに突きつけてくるホームズの子孫(アリア)

 いくらなんでも……ありえねぇだろそれ!

 予想を数十段くらい飛び越えた真実に、俺はくらりとなる。

 そんな中、アリアは、

 

「まったく、キンジはホントに戦闘以外からっきしなんだから。錬を見習いなさいよ、こっちはママのことまで調べてたのよ?」

「え……そ、そうなのか、錬?」

「ああ……」

「ほら見なさい!」

「ま、マジか……」

 

 ……あれ? 今、無意識でなんか言わなかったか、俺?

 ま、まあいい。とにかく、だ。

 アリアは、シャーロック・ホームズの子孫、か。……うん、もう納得しとこう。あんまり深く考えすぎると、ホームズのイメージが崩れそうだ。

 ――という感じで、俺がなんとか精神の均衡を立て直した、その時だった。

 

「錬さん」

 

 と、背後から小さな、しかし聞き慣れた声がかけられた。

 誰だ? と思い振り返る。

 そこにいたのは……狙撃科(スナイプ)の少女・レキだった。

 

「え……レキ? お前、なんでここにいるんだ?」

 

 こんな時間にこんなところにいるのもそうだが、俺になにか用でもあんのか?

 そういった意味を籠めた問いかけに、彼女は真っ白な細い喉を震わせて、

 

「あなたを、連れ戻しに来ました」

「は……?」

 

 あまりに意味がわからない彼女の言葉に、俺は思わずそんな呆けた声を出した。

 ど、どういうことっすか?

 さっぱりレキが何を言いたいのか理解できない俺が、彼女に問い返すよりも早く、

 

「――どういうことよ、それ!」

 

 自称・ドレイ有明錬のご主人様ことアリアが、烈火のごとく声を上げた。

 おい、なんでお前が出てくる。ややこしくなるから引っ込んでろ。

 しかも、

 

「アリアさんには、関係ないことです」

 

 よせばいいのに、レキも律儀に返事する。

 ああ、ダメだぞレキ。そういう言い方は、この仔ライオンにとっては火に油を注ぐことにしかならねぇんだ。

 案の定、レキの物言いにカチンと来たのか、アリアは顔を赤く染める。……と同時に、両手が太ももに伸びた。やばい、ガバメント抜く気だこいつ!?

 

「よ、よせアリア!?」

 

 慌ててキンジが止めに入るが、そんな言葉で止まるようなやつじゃない。

 あわや戦闘勃発かと思われたその時――

 

「これは、私の任務ですので」

 

 と、相も変わらず抑揚のない調子でレキが言った。

 それに、アリアはぴたりと動きを止める。

 

「に……任務?」

「はい。これは、私が依頼された任務です。ですので、アリアさんには関係ありません、と言いました」

「な、なんの任務よ!?」

「それは――」

 

 くるり、とアリアに向けていた顔を俺に向けてくるレキ。

 そして、

 

「病室を勝手に抜け出した錬さんを、武偵病院に連れ戻せ――と、矢常呂(やどころ)先生から頼まれました。拒否された場合、実力行使も許可されています」

 

 ガチャリ、といつものことながら背中に背負ったドラグノフ狙撃銃を鳴らすレキ。

 ……というか。

 や、やべぇえええええ! それ、矢常呂先生無茶苦茶キレてんじゃねぇか!?

 しかも、

 

「は、はあ!? 錬、あんた勝手に抜け出してきたの!? なにやってんのよバカ!」

「あーあ。俺は知らんぞ、錬。矢常呂先生が、『白衣の悪魔』って呼ばれてるの、知らないわけじゃないだろ」

 

 掌を返したようにアリアは俺を責め始め、キンジは他人事のように恐ろしいことを言ってくる。

 ああ……これは今度は説教じゃすまねぇかもなぁ……。

 ……しゃあねぇ。

 

「わーったよ。大人しく戻るから、ドラに手をかけるのやめろ、レキ」

「はい」

 

 がしがしと頭をかいて、俺は寮に戻ることを諦める。あーあ、また暇な生活に逆戻りかよ、クソ。

 

「つーことで、俺は病院に戻るわ。……ああ、それとキンジ、悪ぃんだけど、明日俺の病室にPSP持ってきてくんね?」

「ああ、それくらいなら任せろ。学校の帰りでいいか?」

「おう――ほれ」

 

 ひょいっと、キンジに自室のカギを投げ渡す。ゲーム機の置き場所をあいつは知ってるはずだからな。これで明日までの辛抱だ。

 

「ちゃんと体休めるのよ!」

「あいよー」

 

 背後にかけられた声にひらひらと手を返しながら、俺は来た道を戻るように歩き始めた。

 しっかし、どうすっかなー。謝ったら許してくれるかな、矢常呂先生。

 

「…………(トコトコ)」

 

 まあでもしゃあねぇよな。迷惑かけたのは事実なんだ。ちゃんと謝罪はしねぇとな。

 

「…………(トコトコ)」

 

 てか、腹減ったなぁ。晩飯前に空港に行ったから、昼飯から今までなんにも食ってねぇや。時間外だけど、なんかもらえたりしねぇかな。

 

「…………(トコトコ)」

 

 ……つーか、

 

「おい、レキ。なんでついてきてんだ、お前」

 

 RPGのパーティのように後ろを延々ついてきていたレキに、俺は首を回して怪訝な目つきを向ける。

 怖いよ。夜道をずっと追いかけられるって、なんかの心霊体験みてぇじゃねぇか。しかも無言&気配薄いとか、まんま幽霊じゃん。

 俺が立ち止まったからか、レキもピタリと静止して、

 

「私の任務は、あなたを武偵病院まで連れ戻すことです。現状、任務は完遂していません。ですので、私はまだあなたから離れることはできないのです」

「いや、逃げたりしねぇけど」

「口約束は、確実性が低く保障がありません。錬さんが嘘をつくとは思っていませんし、信頼もしていますが、任務に個人的感情を持ち込むことは正しいことではありませんので」

「……固ってぇなぁ、お前。まあ、いいけどさ」

 

 レキの口ぶりからして、ここで俺が拘泥してもこいつは折れねぇんだろうな。

 なので俺はその部分は諦めて、

 

「それでいいから、せめて後ろにつくのはやめろ。ついてくるなら、横に来い」

「……背後からの奇襲を、警戒されているのですか?」

「違う。何サーティーンだよ、俺は」

 

 こいつ、たまに変なこと言うよな。さすがは不思議少女部門1位の美少女(武藤剛気調べ)こと、レキだ。

 

「そうじゃなくてだな、なんつーか、こう……無言で後ろについてこられると、居心地わりぃだろ。囚人と看守じゃねぇんだから、せめて並んで歩こうぜ」

「……わかりました。では――」

 

 俺の言葉に一瞬考えるそぶりを見せたレキは、首肯してから俺の隣まで歩いてくる。

 よしよし、これで少しはマシに――って、

 

「ば、バカ、近すぎだ! もうちょい離れろ!」

 

 誰も腕が触れるほど真隣に来いなんて言ってねぇよ!

 

「……? よくわかりませんが……わかりました」

 

 心の底から「なにが悪かったのかわかりません」といった感じで小首をかしげ、レキはすすすっと横にスライド移動した。

 ロボット・レキ、侮りがたしだな……。

 レキのあだ名を思い出しつつ俺が歩みを再開すると、レキもそれに追従する。

 ……ちらりと、視線を横に向ける。

 そこにあるのは、青白い月明かりに照らされたライトブルーの髪をした少女の顔だ。1年前から変わらない無表情、けれどもその造形は美貌と呼ぶには十分足りている。夜目がきいてきたからか、その造りがよくわかってしまい、なんとはなしに俺は少し気恥ずかしくなった。

 考えてみれば……すげぇ美少女、なんだよな。こいつも。なぜかこの学校には美人が多いせいで、忘れそうになるが。

 そんな女の子と、夜道を2人きりで歩いている……や、やばい。なんか急にこのシチュエーションが恥ずかしくなってきたぞ、おい。

 俺は若干上昇してきた頬の熱を誤魔化すように、前を向いたままでレキに話を振った。

 

「そういや、あー……昨日ハイジャックが終わった後、キンジも武偵病院に来ててな。今日の昼くらいまで、同室だったんだよ。で、その時にいろいろ話したんだが……バスジャックの時の爆弾、お前が処理してくれたんだって? サンキューな」

「いえ。任務でしたので」

「……あ、そう」

「はい」

「…………」

「…………」

 

 ……か、会話終わったよ、おい。

 ぐああああ、なんかもっとあっただろうよ俺! これじゃあ、最初から無言だったより気まずいだろ!

 話題の選択ミスに、俺は内心で悶える。

 ……が、その時、

 

「――『武偵殺し』は、いかがでしたか?」

「え……?」

 

 ふいに、レキがそんなことを聞いてきた。

 お、おお。珍しいこともあるもんだ。まさか、俺に気をつかってくれてるのか?

 やればできるじゃねぇか、レキ! 俺ちょっと感動しちまったよ。

 せっかくレキが振ってくれた話題なんだ、さっそく乗ろう。

 

「ああ、『武偵殺し』なぁ。やばかったぜ、あいつは。通常の戦闘能力もさることながら、なんと実は超能力者(ステルス)――」

 

 ――だったんだぜ、と言いかけて。

 そこで俺は、気づいた。

 俺が今しゃべっていることが、任務の秘匿責任を違反しているから――()()()()

 そもそもの話。

 レキ、お前……なんで、

 

 ハイジャックの犯人が『武偵殺し』だって知ってんだ?

 

 足が、止まる。それに気づいたレキが、立ち止まってこちらを振り返る。

 夜の薄闇に、彼女の金の両目が妖しく輝いた。

 ごくり、と俺の喉が鳴る。

 ハイジャック自体は、もちろん知る者は多い。それこそ知ろうと思えば、俺の友達のようにロンドンからでも知ることはできる。

 だが。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 いや、俺はハイジャックから即病院の流れになったから、もしかしたらキンジたちが話したという可能性はある。守秘義務を知っているあいつらが喧伝する可能性は、かなり低いだろうが、ゼロじゃない。

 なのに……なんだ、この嫌な予感は?

 あの事件の犯人が『武偵殺し』だと知っているのは、俺が知る限り、俺とキンジとアリア、そして本人である理子――そして、()()()()

 まさか、と最悪の想像が脳裏をよぎる。

 ――レキ。

 お前。

 お前は――

 

「お前……『イ・ウー』とかいう連中じゃねぇよな?」

 

 気づけば、俺はそんなことを訊いていた。

 びゅう、と一陣の風が吹く。なぜか、頬を一滴の冷や汗が流れていた。

 ……って、何を訊いてんだ俺は。馬鹿馬鹿しい、そんなわけがねぇだろうに。

 ああ、クソ。やっぱ疲れてんだな、俺。こんなくだらねぇこと考えちまうとは。

 

「いや、悪ぃなレキ、なんでもねぇ。忘れてくれ」

 

 そう、言おうとして。

 しかしそれより早く、レキは言った。

 

()()()()()()()()()()()

 

 ――と。

 ぎちり、と。一瞬確かに、俺の思考は動きを止めた。

 しかしすぐさま脳がレキの言葉を理解し始める。

 

「な、にを……」

「今はまだ、私は何も話せません。あなたやキンジさんはまだ、()()()()()()()に踏み込んだばかりです。ですから、今私に話せることはない」

「ち、ちょっと待ておい! お前なんの話を――」

「――錬さん」

 

 慌てて問いかけようとした俺の声を、レキはさえぎる。

 これもまた珍しいことだ、なんてどうでもいいことを頭のどこかが考える中、

 

「――強くなってください」

「え……?」

「あなたも、キンジさんも、そしてアリアさんも……今は、強くなるべきです。そして、()()()()()までにあなたたちが()()()()()いれば……その時、あなたは知っていることでしょう」

「知っているって……何をだよ?」

()()()

 

 ただの一言。それだけで、レキは簡潔に答えた。

 それはつまり、それ以上を語る気は無い、ということだ。

 ――本当は。

 もっといろいろ、無理やりにでも聞きだすべきだったのかもしれない。あんな目にあった以上、情報は手に入れておいた方がいい。

 だってのに、俺は動くことすらできなかった。

 その金の瞳にか。あまりに意味のわからない話にか。あるいはそれ以外の何かか。

 月光の下で立ち尽くす少女に、俺は何一つ聞く事ができず。

 ただひたすらに……時だけが過ぎていった――

 

 * * *

 

 狙撃科(スナイプ)の少女レキが救護科(アンビュラス)主任・矢常呂イリンに出会ったのは、偶然の感が強かった。

 東京のみならず日本を震撼させたハイジャック事件が終結を見たのは、ほんの昨夜のことだ。日本国内で起きた飛行機を対象にしたハイジャック(本来ハイジャックは飛行機だけに限定したものではない)事件は、歴史を紐解いてもこれで4件目となる。まさしく日本の犯罪史に残る大事件であった。

 その事件を解決したのは、3人の武偵――東京武偵高校の生徒である。

 神崎・H・アリア、遠山キンジ、そして有明錬の3名だ。もっとも、事件解決後に行ったマスコミの取材現場に錬はいなかったし、キンジたちもわざわざ錬のことは口にしなかったので(それどころではなかったという事情もある)、公にはアリアとキンジが解決したことになっていたが。

 とまれ。

 事実としてやはり錬はハイジャック事件解決の功労者の1人であり、そして今彼は事件中にさらに負ったいくつかの傷を治療するため(もともと入院中の身であったことも相まって)、武偵病院に搬送されていた。

 そのことを知ったレキは、翌日の夜にお見舞いに行き、錬の病室をひょいと覗いた所で、「あんのクソガキがァ……!」と憤怒の表情で端整な顔立ちを歪める矢常呂に出会った。

 と、そこで矢常呂はレキの存在に気づき、一瞬で般若のような顔を消すと、

 

「あら? あなた、狙撃科のレキさんよね。どうかしたのかしら?」

 

 その変わりようにさしものレキもワンテンポ遅れて返す。

 

「……いえ。錬さんがまた怪我をして戻ってきたと聞いたので、お見舞いに来ました」

「あらそうなの。でも、せっかく来てもらったのに、ごめんなさい。あのクソガ――有明君、どこかに行っちゃったらしくて、ね」

「…………」

 

 ね、の部分で大人の微笑みを浮かべる矢常呂だが、1分前の彼女を目撃しているレキとしては、なんともコメントしづらい。まあ、それがなくてもおそらく何も言わなかっただろうが。

 錬がいないのならここにいてもしかたがない、と当然の帰結に至ったレキは、そのまま挨拶だけして帰ろうとした。

 が、それより早く、

 

「――あ、そうだ。もし帰りに有明君を見つけたら、悪いけど連れてきてくれるかしら? 誰か救護科(うち)の生徒を適当に探しにいかせてもいいんだけど、さすがに元Sランクの有明君相手に実力行使は無理でしょうから。その点、同じくSランクで去年何度かコンビを組んでたあなたならって思うんだけど……どうかしら?」

「……。それは、依頼ということでしょうか?」

「うーん、依頼というか……まあ、そういうことにしときましょう。頼める?」

「わかりました」

 

 一瞬もためらわず、レキは頷いた。教師という自分より上位の立場から下された命令なら、是非もない。レキの思考回路は、おおむねそんな感じだった。

 以上の経緯を経て、レキは有明錬の捜索に繰り出したわけである。

 そして、その任務は存外早く終わった。とりあえず武偵病院の屋上からドラグノフのスコープで探した結果、第1女子寮の屋上になぜかキンジやアリアとともに錬はいた。

 そんなわけでさっそく向かったレキが女子寮についたころ、彼女の眼は遠ざかる錬たちの姿を発見した。どうやらいつのまにか屋上から降りた上に、女子寮から離れていっていたらしい。

 再び追いかけるレキ。そして彼女は錬に追いつき、ひと悶着あった末に、ようやく錬を武偵病院に向かわせることに成功した。自分という監視付きで、だが。

 その道中。

 有明錬は言った。

 

「お前……『イ・ウー』とかいう連中じゃねぇよな?」

 

 それは、レキにとって予想内の質問だった。

 なぜなら、レキはその直前、錬にとある名――『武偵殺し』という名を出したからだ。

 今回のハイジャック事件は『武偵殺し』が引き起こしたという事実を知っているのは、錬たちや当の『武偵殺し』を除けば、()()()()()しかいない。

 そう。『武偵殺し』が所属する世界最高峰の犯罪組織――『イ・ウー』しか。

 だから錬が、その事実を知るレキはイ・ウーのメンバーなのでは? と疑うことは当然の結果ではあったし、レキ自身もまた話を持っていきやすかったのでそれをあえて否定はしなかった。

 代わりに、何かを言おうとした錬に先んじて、レキは告げた。

「全ては、いずれわかります」、と。

 当たり前だが、そんな一言だけで納得する者はいない。再度問いかけようとする錬に、しかしレキは頑なに、「今は何も言うことはない」と突っぱねた。

 そして、

 

「錬さん――強くなってください」

「え……?」

「あなたも、キンジさんも、そしてアリアさんも……今は、強くなるべきです。そして、()()()()()までにあなたたちが()()()()()いれば……その時、あなたは知っていることでしょう」

 

 レキは錬に、そう言った。

 口調はあくまで平坦に、金の瞳を闇夜に輝かせて。

 ――()()()()()

 錬、キンジ、そしてアリア。彼らがイ・ウーとかかわり続けるかぎり、いやそうでなくても起こるであろう――()()()()が勃発した時。

 その時までに彼らが生き延びていたならば、きっと全てを知ることになる。

 イ・ウーという犯罪組織。

 神崎かなえが拘置されている理由。

 レキという少女が持つ秘密。

 世界を変える『鉱石』と、それを巡る『戦争』。

 そして――『緋弾』。

 その、全てを。

 

(知れば、錬さんたちはもう引き返せない。否が応でも、巻き込まれていく)

 

 その未来はきっと遠くないと、レキは知っている。

 その苛烈さを考えれば、あるいはここで全てを話して無理やりにでも引き返させた方がいいのかもしれない。

 しかしそれでも、レキは言った。強くなれ、と。強くなって生き延びて、そして知れ、と。

 なぜなら、

 

(風が、そう言っているから)

 

 なぜ風がそんな指示を出すのかは分からない。

 だがわからなくとも、レキは従うのだ。

 それこそが、彼女の存在理由だから。

 ――胸の奥の奥で感じる、小さな痛みは無視して。

 

 * * *

 

 結局。

 あの後我に返った俺がいくら話の詳細を聞いても、レキが説明することはなかった。

 そのかわり、「これだけは聞かせろ。お前は、イ・ウーのメンバーなのか?」という俺の質問に対してだけは、否定してくれた。

 まあ……とりあえず、それだけ聞けりゃ十分だ。敵じゃないのなら、今のところ問題はない。レキが何かを知っているのは確実だが、どうせ聞いても答えてくれないだろう。もちろん、いつかは聞き出す必要は出てくるだろうが。

 だが……今は、それよりも圧倒的な問題が浮上していた。

 

「は、はふぅ。ず、ずびばべんでした。も、もうじまべん……」

「まったく、そう言うくらいなら、最初からしないでもらいたいわね」

 

 武偵病院・203号室。

 俺が入院していたその病室で、俺は今顔面の面積を2倍ほどに拡張していた。詳しい説明は省くが、ベッド脇の椅子に座った『白衣の悪魔』にやられたとだけ言っておこう。

 ちなみに後日、「医者が患者をボコボコにしていいのかよ」と抗議したところ、「治すからいいのよ」と返ってきた。怖すぎです、矢常呂先生。

 そんなわけで、俺は今、ベッドに横たわって体力の回復に(強制的に)努めていた。

 そんな俺に矢常呂先生はため息をつき、

 

「本当に、あなたは心配ばかりかけるわ。昨日だって抜け出したと思ったらハイジャックを解決して帰ってくるなんて、思ってもなかったわよ。だから今回も心配したっていうのに、ゲームを取りに行ってただけなんて……少しは主治医である私の身にもなりなさい」

「うっ……そこは、マジで悪かったです」

「もういいわ。とにかく今は、ゆっくり休みなさい。――それじゃあ、お大事にね」

 

 病人に対する常套句を最後に、矢常呂先生は病室から出て行った。

 その後姿を見ながら、俺は「今度はもう脱走なんて企てないようにしよう」と誓った。その理由が、医者に殺されないためというのはなんともな話だったが。

 あー……もう、寝るか。そろそろ。さっき無理に屋上からダイブしたり、いろいろあったから体がきつい。

 と、その前に、もっぺん携帯だけ確認しとくか。

 そう思い立った俺が携帯電話を確認すると……キンジからメールが来ていた。

 俺はメールボックスからその新着メールを呼び出し、開いてみると、

 

『件名:(なし) 本文:たすけ』 

 

 とだけ書いてあった。

 なんだ、こりゃ? わけのわからんメール送ってくんなよなぁ、あいつ。

 俺は携帯をパチンッと畳み、ベッドの横に置かれた棚の上に置く。

 それからあくびを一つして、俺は窓の外に視線を転じた。

 そこには、黒々とした夜空が広がり、ぼんやりと月が光っていた。

 月……か。

 連鎖的に想起されるのは、ついさっきまで話していたレキの姿だ。月明かりの下、まるで猫のような金の目で俺を射抜いていた彼女の姿を、俺は思い出す。

 あいつは言った。俺はいずれ、全てを知る――と。

 そのために、強くなれ、とも。

 レキ。

 お前は一体何を知っていて……俺は、何を知ることになるんだ。

 どうせ聞いたって教えてくれねぇんだろうよ、お前は。一度()()と決めたなら、()()あり続ける。そういうやつだったよな、お前。

 だったら――

 

「上等だ。お前の言うとおり、知ってやるよ。『全て』ってやつを」

 

 遥か遠くに浮かぶ月を睨みながら。

 俺はそう、呟いた。

 

 * * *

 

 東京武偵高の第1女子寮には、使()()()()()()()()()がある。

 無論、それ自体はなんらおかしなことではない。むしろ、全部屋がぴっちり埋まることの方が稀だ。これには、武偵高設立当初、想定していたよりも遥かに進学志望する学生が少なかったという悲劇的な裏話があるのだが、それはともかく。

 第1女子寮にはそういった、いわゆる『空き部屋』がいくつか存在していた。

 しかし。

 その『空き部屋』のはずである一室。ネームプレートがないその部屋には今、一人の少女がいた。

 古めかしい、しかし磨き上げられ銀色に光る西洋式の甲冑に身を包んだ、白人の少女だった。2本の三つ編みを頭頂部で結い、サファイアの色をした氷のような切れ長の瞳は、空気を切り裂くようにまっすぐ前を向いている。

 その姿を、見るものが見れば、こう表現したかもしれない。

『聖女』のようだ――と。

 そして。

 歴史上に、『聖女』と呼ばれた人間がかつていた。

 その内の一人。かつて百年戦争と呼ばれた戦いでオルレアン解放に尽力し、フランスの救世主と崇められた女性。

『オルレアンの乙女』――ジャンヌ・ダルク。

 彼女の子孫こそ……ジャンヌ・ダルク30世こそが、この銀氷の少女なのだった。

 もちろん。

 それは、本来ならあり得ない話だ。なぜならジャンヌ・ダルクの血筋は、10代まで続き、しかしそこで途絶えたからだ。10代目ジャンヌ・ダルクは、オルレアンの包囲網を突破した後にパテーの戦いに勝利し、その後コンピエーニュの戦いで負傷、捕虜として捕らえられ、1431年に火刑に処された。

 だが。

 それは、影武者だった。本物のジャンヌ・ダルク10世は、偽物を仕立て上げるという謀略により、生き延びていたのだ。

『策謀の一族』。それが、ジャンヌ・ダルクという血族だった。

 聖女という表の顔の裏に、魔女という隠された顔を持っていた彼女たちは、以降闇に隠れ潜んで生きてきた。そうして、誇りと、名と、知略を脈々と継いでいったのだ。

 そして今。

 その末裔(すえ)たる少女、ジャンヌ・ダルク30世はとある組織に籍を置いていた。

 その、組織の名は――

 と、そこで静謐な空間を保っていた室内に、ノイズが走った。

 発信元は、ジャンヌが腰を下ろしている床の近くにある、通信機だ。

 スピーカーから、場違いなほど明るい声が流れる。

 

『あ、あー……もしもーしっ。ジャンヌ、聞こえるー?』

「ああ。感度良好だよ、理子」

 

 ジャンヌもまた、怜悧さを含んだ声で答える。

 

『うーオッケーだよぉ! んじゃ、定時連絡始めよっか!』

「……ん? 待て、まだ夾竹桃(きょうちくとう)との通信が繋がっていない」

 

 ジャンヌは、この定時連絡に参加するはずの最後の一人が通信を繋げていないことに気づく。

 夾竹桃。仲間内でも、否、世界でも屈指の毒使いである。

 ジャンヌの台詞に、通信先の相手――峰理子は『あー……』と口を濁してから、

 

『それがねぇ、(きょー)ちゃん、捕まっちゃったんだよね……』

「なに……? あの、『魔宮の(さそり)』がか? 標的(ターゲット)の間宮あかりは、確かEランク武偵だろう?」

『そーなんだけどぉ、あかりんは間宮の一族だけあって、夾ちゃんでも勝てなかったんだよねー。ま、お仲間ちゃんがいたのもあるんだろうけど』

「そうか……それで、あいつはいまどうしている?」

『んー……なんか尋問科(ダギュラ)で漫画描いてるらしいよ』

「何をやっているんだあいつは……」

 

 呆れたように、ジャンヌはうな垂れた。

 ――『GGG(トリプルジー)作戦』。

 現在、ジャンヌ、理子、そして夾竹桃が、彼女たちの所属する組織の命を受けて行っている作戦である。

 各々がそれぞれの標的である少女(ガール)を拉致または殺害する。ゆえに、『3人の少女(トリプルジー)』というわけだ。

 先ほど話に出たとおり、夾竹桃のターゲットは、間宮あかり。神崎・H・アリアの戦妹(アミカ)であるこの少女との対決が行われたのは、昨夜の話だ。そしてその結果、夾竹桃は敗北し、現在は尋問科専門棟に拘置されている。

 そして、同じく昨夜。ハイジャック事件を起こした峰理子のターゲットは、いうまでもなくアリアだった。その詳細はここでは省略するが、結果として理子は今、組織の本拠地たる潜水艦の中から通信を行っている。

 そして。

 

『夾ちゃんは、負け。理子は甘めに見積もって引き分け。残るはジャンヌだけなわけだけど――いけそう?』

「当然だ。このままGGG作戦を白星無しで終わらせるのは、収まりが悪い。きっちり任務は果たそう。神崎・H・アリアも、遠山キンジも、そして有明錬も、私の障害にはなりえない」

『…………へぇ』

 

 瞬間、理子の口調がわずかに硬質を帯びた。

 

『言うねぇ、ジャンヌ。じゃ、そんな自信満々な「銀氷(ダイアモンドダスト)の魔女」に一つだけ忠告してあげるね。――あいつらを、舐めるな』

「…………」

 

 ビリッ――と。

 どこか、雰囲気が張り詰めた。

 それに気づかないジャンヌではない。確実に理子の機嫌を損ねたことは、わかる。なにせ、当の理子が仕留め切れなかった対象こそが、その3人なのだから。

 だが。

 それでも、ジャンヌは訂正しない。ジャンヌ・ダルクという一族の誇りにかけて、必ずや任務を果たすと言外に告げる。

 しかし、そんなジャンヌにも懸念はあった。

 

「わかっている、油断などしないさ。ホームズのほうはともかく、遠山と有明は()()()を破っているのだからな」

『ん……これはまた、懐かしい名前が出てきたねぇ』

 

 理子も、ジャンヌの言葉にわずか過去を想う。

 不思議な沈黙が互いを包んで――その時。

 

「……む。悪いが、理子。通信はここまでにさせてもらう」

『ん? どぉーしたの?』

「――ターゲットが、帰ってきた」

 

 ジャンヌの双眸に映るのは、一台のモニターだ。

 それは、とある男子寮の一室を映している。そこはどうやら、リビングのようだった。

 画面の向こうにいるのは、3人。1人は、遠山キンジ。1人は、神崎・H・アリア。

 そして――

 

()()()()が、帰ってきた」

 

 ジャンヌの瞳が、巫女服を着た少女の姿を捕らえる。

 氷のように白い顔に、笑みを浮かべて。

 世界的犯罪組織『イ・ウー』構成員・『魔剣(デュランダル)』ジャンヌの『計画』は、薄暗い部屋の中で始まりを告げた。




今回と次回は勘違い要素激薄です。2章はなるべくちゃっちゃと終わらせたいので、進行重視したいのです。次回は伏線用に使おうかな、と。
では、また次回。

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