Silent 60'S Mind   作:D'

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Silent 60'S Mind

 白鷺のような少女だと、久しぶりに出会った僕は思った。バスターミナルのベンチから杜王町の田園風景をじっと眺める姿がそう見えた。すらりとした体型と、育ちのよさそうなピンとした背筋がそう思わせたのかもしれない。彼女の纏う白地のケープはまさに折りたたまれた羽だ。

 僕が少女を初めて見たのは、彼女がまだ生まれて間もない赤ん坊の頃の事だった。彼女からしてみれば、僕とは初対面になる。赤ん坊の頃の事を覚えている人はいないだろう。

 

 奇妙な話だけれども、僕は彼女の『顔』を見た事はなかった。僕の友人も、彼女の『顔』を直接見た人はいないだろう。

 僕は今日この日を楽しみにしていた理由の一つだ。他にもいくつかあるけれど、彼女の『顔』を見る事が一つ。

 彼女は僕のイメージ通りのままだった。もちろん、背格好の話ではない。僕の中の彼女のイメージは、サングラスだった。赤ん坊の時にかけていたからだ。当然理由もある。それは誰も『顔』を見た事がない理由にも繋がる話だ。

 十三年も前になる。僕はひょんな事からとある事件に巻き込まれ、奇妙な能力を手に入れた。細かい事は省かせてもらうが、とにかく、普通では体験できない経験だった。

 赤ん坊だった彼女に出会ったのも、その事件の一環ともいえる。

 

 十三年前の杜王町にはある物が存在していた。【弓と矢】。事件の中心ともいえる代物だ。

 形状は至って名前の通り。年代物といえるくらいには古い物だった。

 大事なのはこの【矢】に突き刺された者は不思議な能力を得る、という事だ。

 困った事に僕も矢を刺された事がある。そのおかげでこの力に目覚める事が出来た。

 

 Stand by me. 傍に立つ者、【スタンド】と呼ばれる能力だ。

 

 僕には音に類する能力がある。そして、十三年前、杜王町にはたくさんのスタンド使いが生まれた。

 話を戻そう。彼女は恐らく、その一連の事件の中で生まれた赤ん坊のスタンド使いだった。

 

 透明の赤ん坊。

 

 それが彼女の能力だった。自身と、果ては周囲の物まで透明にする能力。彼女はその能力で常に透明となっていた。故に僕たちは彼女の素顔を知らない。透明だった彼女を見つけたのは、今の彼女の養父、ジョセフ・ジョースターその人だった。

 透明な彼女を可視化するために衣服と、周囲に不信に思われない為にサングラスをかけた赤ん坊。それが彼女。

 

 ベンチに座った彼女を見る。つくづく十三年とは長い年月だと感じた。今の彼女は中学一年生といったところか。女の子は男の子より成長が早い。身長の低い僕よりも、彼女のほうが身長は高そうだった。待ち合わせの午前十時よりちょっと前。僕のほうが遅かったけど遅刻ではない。さて、まずは挨拶だ。

 

「こんにちは」

 

 声を掛けると、彼女はゆっくりこちらを向いた。

 

「静・ジョースターさんですね? 僕は広瀬康一。キミの……お父さん、でいいのかな。日本に滞在する間の世話を頼まれた者です」

 

 彼女は一度ペコリと頭を下げると、サングラスを外した。

 僕は驚いた。

 サングラスの奥に隠されていた彼女の瞳は、なんと青かった。カラーコンタクトだろうか。いや、十三歳にしては大人っぽい雰囲気の子だと思ったが、そうじゃない。

 

 彼女は日本人ではなかった。

 静・ジョースター。杜王町で拾われた彼女は当然、日本人だと思っていた。 多分、ジョセフ・ジョースターだってそう思っていただろう。 だから日本風の名前をつけたのだ。

 だけど彼女は白人だった。それが周知になったのはいつの事だろうか。彼女のスタンド、透明になる能力を、自力で操作できるようになって、初めて分かった事なんだろう。早くて三歳か、いや五歳か六歳か、ともかくとして、すぐには分からなかった事だろう。

 彼女は、失礼にも面食らった僕を不思議がる事も、侮蔑する事もなく、口を開いた。

 

「広瀬康一さん。聞いています。パパと空条おじさんの友人だって」

 透き通るような、綺麗な抑揚の声だった。細かい仕草も整っている。そういえば、ジョースター家はお金持ちだった。彼女はお嬢様だ。

「よろしく。えーっと、なんて呼んだらいいかな」

「お好きなように。静と呼んでくださっても構いません」

「じゃあ、静さん。一つだけ。一つだけ聞いてもいいですか?」

「どうぞ。何でも、お答えします」

「キミが日本に、杜王町に来た理由の事です」

「――パパから聞いているのではありませんか?」

「聞いてます。聞いてるから、ちょっと納得がいかないというか、差出がましい話だけど、ほんのちょっぴりだけ気に入らないという気持ちがあるんです。――実の両親を探しに来たって本当ですか?」

 

 僕の問いに、彼女はにべもなく頷いた。

 

「本当です。私の本当の両親を探す事。私がここにきた理由。……優しい方なんですね。広瀬さんは」

 

「え?」

 

 ドキリとした。優しいと表現されるとは思ってもいなかった。僕の静かな怒りは、彼女にとって関係のないもので、家庭の事情に首を突っ込まれる不愉快な事でしかない。予想外だ。ほんの少しくらいムッとしてもよさそうなのに。

 

「ご心配はなく。パパとの関係は悪いわけではありません。私はパパに不満を持ってはいない。素敵なパパだと思っている。自慢のパパ。ママだって素敵な人だった。ママが亡くなったのはとても悲しい事だけれども、私は素敵な家族を持ったと思っている」

「ならどうして、と聞いてもいいかな?」

「ちょっとした好奇心、というのが私の本音です。私は理解しています。子どものちょっとした好奇心が、親を傷つける事もあるって。でも私の実の両親の事を気にかけているのは、本当はパパのほう。私が気にするよりも先にパパは実の両親を探していました。

 私は自分の境遇を理解しています。透明になる能力。そのせいで実の両親とはぐれた事を。パパも理解しています。

 私は捨てられた訳じゃない。実の両親は今でも私を探しているかもしれない。パパはそれを気にしている。亡くなったママも気にしていました。

 だから私は日本に来ました。でも、見つからないだろうとも思っています」

 

「……それは何故?」

「パパはスピードワゴン財団を通して実の両親を探しました。でも見つからない。大勢の人とお金をかけても見つからないのなら、私が簡単に見つけられる筈もありません。

 見つからないだろうと思っているけれども、期待もしています。血縁とは断ち切られる物ではないという事を。きっといつか、何かに引き寄せられるようにめぐり合うかも知れない。小さな期待です」

 

 そう言った彼女はベンチから立ち上がり、傍に置いてあった大きな旅行カバンを持った。

 僕は彼女の話からどこかチグハグな印象を受けた。両親を探す。でも見つからないと考えている。ならばわざわざ日本に来るだろうか。妙な感じだ。彼女には日本に来なければならない理由があるような気がする。今は長期休暇の季節じゃない。日本の学校も休みではないし、僕は詳しくは知らないけれどもアメリカの学校だって休みではないだろう。

 わざわざ学校を休んでまで日本に来る。それほどの意志がある。なのに、彼女の言葉からはそれを感じられない。チグハグだ。嘘をついているのだろうか。それとも、まだ話していない理由があるのだろうか。

 

「今日の予定は決まっているの?」

「ありません。ホテルに行こうと思っています」

「わかった。カバン、僕が持つよ。重いでしょう?」

「ありがとうございます。お願いします」

 

 彼女からカバンを受け取った。見た目よりも重くは無かった。あまり荷物は多くないのかもしれない。ついてきて、と一言かけて、僕は歩き出した。先には一台のセダンが止まっている。

三ヶ月前に買った僕の愛車だ。自動車の免許は三年前に取得したけれど、車は両親の物を借りて運転していた。自分で働いたお金で買った、自慢の愛車だ。トランクを開けて彼女のカバンを入れてから、彼女を助手席へ座らせた。僕は運転席へ座り、エンジンをかける。ドルン、ドロロロ……初めてこの車のキーを回した時のワクワクを思い出した。いつまで僕はこのワクワクを覚えているだろうか。まだ三ヶ月だ。まだまだ味わえるだろう。

 

 車を走らせて杜王グランドホテルを目指す。十三年前、空条承太郎が使っていたホテルだ。内装は中々豪華で、一泊のお値段も安くはない場所である。やっぱり彼女はお嬢様だ。何泊するかは聞いていないが、社会にでるようになって思う。僕にはこんなお金の使い方はできそうにない。彼女の面倒を見る、という期限も決まっていない不確かな事を引き受けられたのは、ジョースターさんから仕事として依頼されたからだった。彼からしたらお小遣いかチップをあげるような気持ちだったかも知れないが、そうじゃなければ気軽に引き受けられなかったと思う。

 

「所で、承太郎さんは元気? 僕は全然会えてないけど、静さんはどうかな」

「――空条おじさんはいつもお仕事で忙しくしています。私もあまりお会いしません。でも、元気だとは思います。ただ――」

 彼女が言い淀んでしまった。何かあったのだろうか。彼の事だ。また何事か事件に巻き込まれているのかもしれない。

「空条おじさんのお嬢さんが逮捕されて裁判に掛けられたと聞きました。今はそちらの関係で慌しくしています」

「た、逮捕!? ……それは、なんといっていいやら。というより子供いたんだ……」

「私も詳細は知りません。親子仲もよくなかったと聞いています。今、スピードワゴン財団もそちらのほうに力を貸しているようです」

「……へぇ~。ううん。その子は幾つくらいなの? 静さんよりも下だよね?」

「いいえ、私より六つ年上です。今は十九歳だったかと」

「ええ!? び、びっくりだ。という事は僕が承太郎さんと知り合った時には娘さんがいたのか……」

 

 そんな話は何一つ聞いていなかった。風貌からしてかなり若い印象の男性だった。私生活が謎めいていたのも家庭を持っている、というイメージとはかけはなす要因の一つに思う。そうか、あの時には六歳の娘がいたのか……。なんだかショックだ。

 

 僕は実の所、ジョースター家について何も知らないのかも知れない。聞けばもっとびっくりするような事が飛び出してくるのかも、と少し怖くなった。そもそもスピードワゴン財団と密接に関わっている理由も僕は知らない。あまり聞かないほうが幸せかも。

 そんな事を考えていると、車がガタンと大きく揺れた。話に夢中で何かに乗り上げたのだろうか。お嬢様が小さくきゃッ、と悲鳴を上げた。何とも可愛らしい事だ。

 

「ごめんごめん、道路に出っ張りでもあるのかな、運転に集中するよ」

 

 平坦な土地の多い杜王町の風景は、車で走ると気持ちが良いときもあるが、代わり映えのない風景は退屈にも繋がる。都会の詰まるような道路は考えるだけで辟易するが、一度くらいはそういう所も走ってみても良いかも知れない。でも今は、この代わり映えのない道を楽しもう。

 法定速度を守りながらアクセルを踏む。すると、ヘソの下が浮き上がるような感覚が生まれた。

 

 ギョっとした。浮いている。シーソーに乗って浮き上がるような感じ。アクセルを吹かしただけで? 何かに乗り上げた? 違う、ちゃんと前を見ていた。何か乗り上げる物もなければ、道路も綺麗だった。動物が飛び出して轢いた訳でもない! なのに前輪が浮かんでいる!

 

「キャアッ!」

 

 お嬢様の悲鳴を横目にアクセルから足を退かしてブレーキを踏んだ。何が起こったか分からないが、これで前輪が落ちる筈だ。せっかくの新車なのに、なんでこんな目に会うんだ! 傷でもついたら大変じゃないか!

 前輪が落ちる筈。それが僕の予想だった。というよりも常識で考えればそうなる筈だった。しかし、ブレーキを踏んでも変わらない。ブレーキ音が響かない。車が静止しない。

 

「な、何が起こってるんだ?! あ、ああ、車がまだ動いてる! 後輪が滑っている!」

 

 何が起こっているのか理解ができない。車でウィリーをしている状態だ。車はそんな事ができるようには作られていない。まさかこれ、動転していてよく分からないけど、後ろで車体が擦れているんじゃないのか!? じょ、冗談じゃないぞ! 新車なんだ、自分で貯めて買った車なんだ!

 問題は前輪が浮いているという事だ。まずは浮き上がった前部分を落とさなくちゃいけない。後輪が滑っている理由は分からない。けれど、問題を一つ一つ処理してる暇はない。同時に解決するッ!

 

「エコーズact3!」

 

 運転席の前に、フロントガラスを突き抜けるように縁日のお面を被った小柄な少年のような像が現れた。僕のスタンド。僕の能力。十三年前も、これがあったから生き延びる事が出来た。

 

「act3! 車体を重くしろォォ! (でも傷つかないように優しくね?)」

『了解シマシタ。3 FREEZE! ソット重ク、タイヤガ少シダケ凹ム程度ニ!』

 

 ズン、という音と共に車が落ちた。僕のスタンド、エコーズACT3には物を一つだけ重くする能力を持っている。今、僕は車自体を重くした。……車は並行、走行も停止。ふう、ようやく落ち着いても大丈夫そうだ。キーを回してエンジンを止めた。

 

「……静さん、大丈夫? 怪我はない?」

「――フゥ、大丈夫、です。びっくりしましたけど。何だったんですか? 氷でもはってたんでしょうか」

「分からない。水溜りもなかったけど。一度車を降りてもらえる?」

「はい」

 

 二人して車を降りる。車の外から見ても、原因は分からない。

 

「あ、ああ! やっぱり擦ってる! リアバンパーが! うう、何でこんな……」

「……広瀬さん。提案があります」

「うう、何? もう少しだけ感傷に浸らせてほしいんだけど。傷くらい、いつかはつくって覚悟してたけど早すぎる……」

「トランクを開けてもらえますか?」

「え? ……いいけど――はい、開けたよ」

 

 ガタリとトランクの鍵が開くと、彼女は中から旅行カバンを引っ張りだした。う、もしかして何か大事な物でも入っていたのだろうか。もしかして、割れるような物とか。あんな運転しちゃった手前、壊れてたら僕のせいだ。感傷に浸ってる場合じゃなかった。

 

「広瀬さん。ここからは徒歩で行きましょう。ホテルまで、そう遠くではないと思います」

「え? な、なんで? もしかして怖がらせちゃったかな? いや、うん。あんな運転したから怖がるのも無理はないかも知れないけど――」

「違います。それは勘違いです。でも、車は危険かも知れません。私も確信はないんです。でも、危険になるかも知れない。半信半疑ですけど、聴いてもらえますか」

 

 ――そう言う彼女の表情はこわばっている。少し汗もかいている。僕の運転で怖い思いをしたからだと思ってた。でもどこかおかしい。やっぱり彼女はチグハグだ。何を考えているかが分からない。車が危険? いや、危険になるかも知れない? もしかして、彼女は知ってるのか? このお嬢様は、何か身に覚えがあるのか?

 

「もしかして、これは僕の思い過ごしかも知れない。だけど聞かずにはいられない。襲われているのか? 今僕たちは危険な状況にいるのか? 僕には分からない。何の事情も知らないし、僕には身に覚えがない。キミはあるのか? お嬢様には、今の状況が理解できているのか?」

「……言ったはずです。半信半疑です。まさかこんな強硬な手段をとるとは考えていませんでした。慎重な奴だと思ってた。何より、スタンドを知ってるとは思っていなかった……」

 

 スタンド! やっぱり、僕たちはスタンド使いの攻撃を受けている! 分からない、訳が分からないけど、ここは逃げたほうがいい!

 

「お嬢様、荷物を貸して! 走ろう! スタンドの姿も本体の姿も見えない今は危険だ!」

 

 彼女の手からカバンを奪い、僕は走りだした。お嬢様も後ろから走ってついてきている。

 

「ACT3! 後ろを見ろ! 追ってくる奴がいないか探せ!」

『スデニ見テイマス。……車ノ下ニ何カガ居マス。ノソノソ動イテイル』

 

 車の下! スタンドか、本体か、どちらにしろ何かがいる!

 走りながら振り向くと、何か小さい物が動いていた。バスケットボールくらいの大きさだ。あれはスタンドだ。本体の場所は不明。決め付けは危険だけど、遠距離タイプのスタンドだろう。頭に9と書かれた小さなトカゲ男のような姿をしている。敵スタンドは走る僕たちを見据えると、追いかけてきた。もう三十代間近だっていうのに、スタンド使いに狙われる事になるなんて!

 

「静さん! キミの能力は透明になる能力だろう!? 透明になって隠れよう! 隙を見て逃げるんだ!」

「広瀬さん。こんなお願いをするのは間違ってると分かってます。危険な事に巻き込んだ咎は私にあって、貴方は安全な場所にいるべき人です。それを棚に上げてお願いがあります。私と一緒に戦ってほしい。私は逃げたくない」

「な、何を言ってるんだ!? お嬢様のキミが戦う? 冗談じゃない! 無理に決まってる! 殺されちゃうよ!」

「死にません。死ぬつもりがないからこそ戦うんです。逃げても隠れても駄目なんです。立ち向かわなくちゃいけない」

 この子は何を言っているんだ!? 状況を分かっているのか!?

「広瀬さん。私のカバンを捨ててください。走るのに邪魔なカバンを今すぐに。悟られちゃ駄目です。あたかも邪魔だから捨てるように」

「え?」

「早く」

「え、え~い! どの道逃げるんだから! 大事な物とか入ってないよね? 物が壊れても知らないよ!?」

 

 抱え込んだカバンを投げ捨てた。ドスンと音を立てて道の脇にカバンは倒れた。悟られるなだって? 何を考えてるんだ?

 

「大事なのは把握する事です。相手が何を考えているのか。相手の目的は何なのか。私の命か、それとも別の何かなのか、まずは把握する事が大事なんです」

 

 そのまま走り続けると、カバンが落ちた所まで敵スタンドは走ってきていた。カバンを通りすぎるか、と言ったところで、敵スタンドは停止してしまった!

 

「カバンを見つけたみたいです。足を止めた。私たちを追っていた筈なのに、追うのをやめた。つまり敵の目的は私のカバン。私の持つ『何か』が欲しくて襲ってきたという事」

「何か? キミは何かを持っているのか?」

「いいえ。でも、何かを狙っている。私にも分からない何かを。カバンの中には衣類しか入っていない。上着とスカート、パンツ、靴下、ブラジャー、ショーツ。まさかそんな物がほしい変態さんだとは思えない。何かを持っていると思い込んでいるんです。カバンの中に目的の物がなければ、今度こそ私たちを追ってくる。広瀬さん、手を繋いでください。どこにいるか分からなくなっては困ります」

「え? え?」

 

 強引にぎゅっと手を掴まれると、彼女は立ち止まった。

 

「アクトン・ベイビー」

 

 彼女が言うと、彼女は途端に目の前から消えてしまった。しかし手を握られている感触はそのままだ。透明になる能力。彼女は赤ん坊の頃からこれを使えた! 僕の体を見てみると、僕も透明になっていた。自分の体が見えないなんて、ちょっと不思議な光景で気持ちが悪い。

 

「透明になって観察しましょう。ときどきやるんです。透明になって観察すると、以外な物が見えてきます。ひっそりと、息を潜めて。私たちは空気です。誰も私たちを見る事はできない。草を踏まないようにしてください。アスファルトの上に立って。じゃないと足跡を見られてしまう」

 

 何なんだ。本当にただのお嬢様なのか? チグハグすぎる。男の僕よりも早く覚悟を決めている。襲われる事を想定していた? でもさっきの反応はまさかと言った感じだった。意味が分からない。

 

 9番の描かれた小さなトカゲ男の形をしたスタンドは、カバンの回りをぐるぐると回っている。何度か開けようと試みているが、鍵を開けるパワーがないのか、開ける事が出来ないでいる。

 

 そんなトカゲ男の様子を僕らはしばらく見続けている。一体いつまでこうしているつもりなのか。どう考えても今のうちに逃げるべきだ。透明になる能力しかないお嬢様が戦える訳がない。そうしたら、戦うのは僕じゃないか。一緒に戦ってほしい? 冗談じゃない。代わりに戦えと言ってるようなものだ。

 

 どうするか考えていると、ブロロンとエンジン音が遠くから聞こえてきた。……ハーレーのエンジン音だ。だんだん近づいてくる。カバンの傍でハーレーは止まった。ドルドルドルドル。どう考えてもあいつが本体だ。日本人じゃない。ピンク色が痛々しい短髪の男だ。男の声がエンジン音に紛れて聞こえてくる。

 

「女の荷物。俺のラブ・ポーション#9じゃ開けられなかった。もともとパワーなんていらねー能力だったのにこういう時に不便だと気づかされたぜ。カバンを捨てたのは男のほうだ。女じゃない。女が捨てたのなら大事な物が入ってないと分かる。だけど男。何も伝えてなかったから間違えて捨てたなんて事もあるかも知れねぇ。可能性は潰しておかないといけない。一つ一つ潰して最後の可能性まで潰す。チェックメイトとはそうやって掛けるんだ。マヌケにはできねぇ」

 

 男はポケットから小さな折り畳みナイフを取り出した。鍵をこじ開けるつもりのようだ。少しの間、ナイフをカバンの鍵付近に突き立てていると、ようやくカバンを開けた。思うが、カバンの中身はお嬢様の衣類だと言っていたけど、知らない男に漁られるのは恥ずかしくないのだろうか。下着もあると言っていたのに。

 

「――布だけじゃねーか。何にも入ってねぇ! 肩身離さず持ってやがるのか? 可能性はあと幾つある。女が持ってる、男が持ってる、女が隠した。ダーメだいっぱいあるじゃねーか! 俺はマヌケだ!」

 

 男がカバンを放り投げた。お嬢様の衣服が舞った。サイテーな奴だ。僕たちの足元まで服が飛んできた。

 

「糞……あの男はスタンド使いだった。厄介だ。護衛か? もしかして女もスタンド使いか? クライアントは何も教えてくれなかった。しらねーっていう可能性もある。あいつらは逃げたのか? 俺がカバンを見てる間にどこまで行ったんだろうな。走って逃げたな。まだ追いつくか。いや、タクシーを拾う可能性もあるか。どこに逃げたか分からなくなったな。面倒臭くなっちまった」

 

 男はブツブツと独り言を良いながら考え込んでいた。

 

「ん? んー? うん、手がかりがある可能性を見つけた。俺はマヌケじゃねーかも知れねえ。でかしたぞラブ・ポーション#9!」

 

 びっくりした。カバンよりも遠くに止まっていた筈の僕の車が動いて近づいてきていた。

 見るとあの男の小さなスタンドが僕の車を持ち上げている。どういう事だ? アイツのスタンドはパワーが弱いんじゃないのか? 僕の車を持ち上げているじゃないか! 僕のACT3でもあんな事はできないぞ!?

 

「よーしよーし。そこに降ろせ#9」

 

 男は道路の脇から大きめの石を手に取った。

 待て、待て待て、何をするつもりだ? やめてください、やめてくださーい! まだ三ヶ月しか乗ってないんですぅ~! それだけはー!

 

 ガシャ~~ッン!。願いは届かず、男は石をウィンドウガラスへ叩き付けた。割れた窓から手を入れ、ドアの鍵を解除。声を上げてしまいそうだった。隠れてるのがバレる所だった。でも今の僕は好戦的かも知れない。透明のまま近づいてACT3で倒す、いいかも知れない。そうするべきだ。

 

「イィィヤッホ! 俺はマヌケじゃなかった! マヌケはあいつらだ! 免許証が置いてあるぜ! 住所が書かれてる! 手がかり発見だ。女に直接たどり着かなくても男に聞けばいいんじゃないか? よしよしよし」

 

 住所? 住所だと? 待て、今度こそ本当に。冗談じゃないぞ、僕はまだ実家に住んでいる。免許証の住所に向かうという事は実家に向かうという事だ。こいつはいつかの玉美のように、僕の家に上がりこむ気か? その時、家族はどうなる。こいつは穏便な男か? いや、今までの挙動を見るにそうは見えない。一般人がいても遠慮するような男には見えない。こいつは、僕の家族に危害を加える可能性がある!

 

 いまだ僕の手を握ったままのお嬢様を振りほどき、僕は男に近づいた。僕は透明だ。気づかれる筈がない。相手は一人でいると思っている。完全な無警戒。3 FREEZEでしとめる。その為には五メートルの距離まで近づかなければならない。射程距離という奴だ。重くするには近づかなければ……。

 

 男は免許証を発見した事に満足したのか、車から降りてハーレーに向かっている。ゆっくり近づけ。

 一歩、二歩、三歩、四歩、五歩、忍び足で近づく。音を立ててはいけない。あと三歩。三歩で射程距離だ。一歩、二歩。

 

 

 パキッ。

 

 

 ッ! 音を立てた! 僕の足音! 何かを踏んだ? ガラス! 僕の車のウィンドウガラス! 割れて砕け散った破片を踏んでしまった! 男は僕のほうを見ている! じっと、穴が開くほどに。

 

「……パキッつったな。俺じゃぁない。俺の足元からじゃなかった。そっちからだ。何かを踏む音だ。そう、ガラスの破片。踏み砕く音だな。誰かいるのか。そこに隠れているのか!?」

「ACT3! アイツを重くしろ!」

「飛びつけ#9!」

 

 同時だった。僕と、あの男のスタンド攻撃は同時に決まった。

 

 僕の腹部にはアイツのスタンドが張り付いた。力は弱い。痛くもかゆくもない。

 一方僕のACT3の攻撃も決まっている。重くした。重くしてやった。訳の分からないスタンド使いの男は膝をついてハーレーにもたれ掛っている。

 

「お、重い! これが能力か! 重くする能力!」

 

 僕の姿はいつの間にか透明じゃなくなっていた。お嬢様から離れたからだろう。

 

「……あんたが何者か僕は知らないし、何故襲ってくるかも僕には分からない。でも僕の家族が危険な目に会うかもって考えると僕はキミを許せそうにない。降参してよ。もう勝ち目はないよ」

「……勝ち目がない? 俺のラブ・ポーション#9よりもお前のスタンドのほうが強いっていうのか?」

「僕に傷一つつけられないパワーのないスタンドで何をするつもりだ? 何か出来るのか?」

「パワーのない? どうだろうな。試してやるぜ! 俺が動けなくても俺の#9はお前に張り付いたままだぜ? マヌケがッ!」

 

 そう、油断があった。僕はスタンド使いと戦うのは本当に久しぶりで、スタンドがどういうものなのか忘れていた。致命的だ。あの男の言うとおり、マヌケは僕だった。

 パワーのないスタンドだった。カバン一つ開けられないスタンドだった。お腹に張り付いたときも、だからどーしたって感じだった。

 だけれど。男がスタンドに命じた瞬間、僕は男の小さなスタンドに投げ飛ばされていた。

 

「ウォォアアア! な、なんだー! つ、強い! 強いパワーのスタンドだ!」

 

 スタンドに投げ飛ばされ、僕と男の間に五メートル以上の距離が開いてしまった。3 FREEZEが解除された。

 

「オーイおいおい、射程距離がずいぶんと短いじゃないか。だからあんな近づいてたのか? お前の能力が解除されちまったぜ。何にもできねーパワーのないスタンドはお前だ」

「なら! ACT3! このトカゲを重くしろォ!」

 

 そう言った瞬間、もう一度お腹をスタンドで殴られた。吐きそうだ。いきなりパワーが上がっている。しかし、吹っ飛んだと同時にスタンドは剥がれた。これで殴られる心配はない。

 地面を転がりながら痛みに耐える。腹部に手を当てると、何かが手にベタリとくっついた。まさか出血してるのかと焦ったが、見ると透明な粘液だった。まるで唾液だ。いや、あのスタンドの唾液か何かだろう。

 これのせいか? これのせいで敵のパンチが強くなったのか?

 

「何の能力なんだ……この唾液が関係してるのか?」

 

 風が吹いた。音にするならフー、という感じの草花を撫でる程度の風だ。しかし、僕の体はそんな風にすら異常を感じた。

 

「う、うわ、何だ? 吹き飛ばされそうだ! 音じゃ全然対した事ないのに! 飛ばされる!

 ACT3!」

『重クシマスカ? 自分自身ヲ』

「早くやれー! 飛ばされるぅ!」

『S.H.I.T ヤレヤレッテヤツデス。3 FREEZE!』

 

 ズシリという感覚。浮き上がっていた体が地面に縫い付けられた。重いけど、でも地に手足がつくというのは安心があった。だが、もしかすると、分かったかも知れない。敵の能力!

 

「まさかだけど、僕の似た能力なのか? 重くする僕の能力と反対に軽くする能力なのか? この唾液で軽くなるのか? 僕が軽いからパワーの弱いスタンドでも殴り飛ばせて、パワーが弱くても車を持ち上げられたのか? そう考えるとつじつまが合う! 風にも飛ばされそうになった!」

 

「大、正解だマヌケ! だけど訂正、似てるが全然違う。俺のほうが断然に上だ! 射程距離も、能力も! 近距離でしか重くできないテメーと遠距離でも軽くする俺。どっちが強いか明白だろ。さて……質問タイムだ。女はどこに逃げた。お前の家か、ホテルか。この町にホテルってどのくらいあるんだ? 面倒臭いよな、可能性がいっぱいだ。お前がきっと教えてくれる。嘘をつかずに教えてくれる。そんな可能性に掛けてるぜ、俺は」

 

 男の狙いはお嬢様だ。間違いない。だが、この状況を一体どうすればいい。助けを求める相手はいない。僕の手で何とかしなくちゃならない。お嬢様の能力は戦闘なんて無理だ。

 

「答えてくれよ。どこに逃がしたのか。命を掛けて女を守り通す、なんてダッセー可能性は期待してないんだぜ?」

 

 男が一歩一歩近づいてくる。しかし、きっと五メートルまで近づいてこないだろう。そんな楽観はできない。どうすれば……。

 

 

 ドルン、ドロロロロ……

 

 

 聞き覚えのある音が響いた。何の音だったか。エンジン音だ。男のハーレーか? いや、違う。この音は。

 

 僕の車だ。

 

「ンンン? 車の音がするぞ。エンジンの音だ。ずいぶん近いぞ? だが車が見えない。周囲には何にもねぇ…………ンンン!? マヌケだったのか? 俺がマヌケだったのか!? この男の能力は『重くする事』だ! こいつは最初、透明になっていた! 透明にする能力! もう一人いる! 女だ! 静・ジョースター! アイツもスタンド使い! そして、さっき俺が漁った車がどこにも見当たらない! まさか、まさかまさか!」

 

 ウォォォン、と男の悲鳴に答えるように車が唸った。アクセルを踏んだらしい。

 

 僕もまさかと思った。お嬢様だ。外側も内側も、完全なお嬢様だと思っていた。僕は半ば馬鹿にするようにお嬢様と呼んでいた! だけども、だけれども! 彼女はお嬢様なんかじゃあなかった! 彼女は戦うと最初に言った。本気だったんだ。本物の覚悟だったんだ。ただのお嬢様なんかじゃあなかった!

 

「ラブ・ポーション#9! 車を探――」

 

 男は、そう言った次の瞬間。

 

「――せぇぇッブッバハァァァァ!?」

 

 ドン、と鈍い音を響かせて、透明な車に轢かれて飛んだ。

 

 侮っていた。僕は彼女の能力を侮っていた。赤ん坊が透明になるだけの能力だと思っていた。

 

 そんな事はなかったようだ。反省しなくちゃいけない。

 男は気を失ったのか、はたまた不幸な事に死んでしまったのか、僕の体は普通の重さに戻っている。ザッと僕の隣で地面を蹴る音が聞こえた。何もない空間から、すぅーっと彼女は現れた。

 

「パパはスタンドの事を、守護霊のように『傍に立つ』者と教えてくれた。でも私はそうは思わない。困難に立ち向かうもの、私はそう解釈している。広瀬さんのおかげでアイツの注意を逸らす事が出来ました。ありがとうございます。おかげで困難に勝つ事ができました」

 

「ああ、うん。お役に立ててよかったよ。でも僕の車がベコベコだよ。保険効くかな」

「弁償くらいしますよ。広瀬さん」

「うん、まぁいいけども。それよりも聞かせてくれるんだろうね? 色々聞きたい事があるんだけど」

「……ホテルに着いたら、ちゃんと説明します。散かされた私の洋服、集めるのを手伝ってください。そうしたら、あの男を縛ってホテルに向かいましょう。スピードワゴン財団に連絡して引き取ってもらいます」

「うん。そうしよう。ベコベコの車に乗るのは恥かしいけど、我慢してね。警察に見られたら捕まるかも知れないけど」

「そうしたらまた私が透明にしましょう」

「……それやると後ろの車から全速力で追突されそうだから絶対やめてよね」

 

 

To Be Continued…⇒

 

 




すいません。色々と煮詰まったので新しい物に手を出してしまいました。
という訳でジョジョSS初挑戦です。

以下補足

  本体名:アングル・ビー
スタンド名:ラブ・ポーション#9
スタンド像:頭部に9番と描かれたバスケットボール大のトカゲ男
   能力:トカゲ男の唾液が付着すると体重が軽くなる。軽くなる度合いは唾液の量と比例する。唾液は数分で気化する。べったりと衣服に染み込めばそよ風で吹き飛ぶ程。

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