果て無き黎明   作:村雨ハル

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アリアハン篇 「旅立」 4/5

   

 

 

 草の海を踏み締めて歩いた。

 麗らかな春の日差しが降り注ぐ街道はどこまでも続き、それを辿ってアルトたちも歩いていく。アルトたちの目的地はアリアハン大陸北東の都市レーベであった。

 レーベはアリアハン大陸の酪農を担う地域で豚肉や野菜、米、麦などといったものはここからアリアハン全土へと流通されている。そこへと向かい、アリアハン大陸から出るための手段について聞かなければならないからだ。

 

 そこに至るまでの道は穏やかであった。幸い激しい天候の変化はなくあっても小雨が降る程度のものだった。時折、魔物の襲撃があったもののずっと鍛錬を重ねてきたお陰か難なく撃退できている。尤もアリアハンの魔物は騎士団の兵力が高いのと、ギルドによる討伐が盛んなお陰でそう凶暴な魔物は少ないのだが。

 アリアハンを旅立って数日、レーベの町並みが見えてきた。

 

「で、目的の場所はどこだ」

 立ち止まってバーディネが確認し、アルトに問う。

「確か街の中心にある湖のところに住居があるって聞いたけど」

 

 サルバオ王から謁見の間で告げられたのはその協力してくれる人物はレーベ中心にある湖の麓に住む老魔法使いレギンス・クリストフという人物だと教えられている。

 

「わかった。まずはそこに行く」

 バーディネが指示を出して、アルトたちは了承する。アルトも、シエルも、ルシュカも経験も何もこれが旅に出るのが初めてのことだ。魔物の気配の察し方や回避法、食べれる野草の見分け方、街までの距離の目測など旅慣れたバーディネの知恵や経験は実際に旅の大きな助けとなっていた。

 のどかな昼過ぎの街を進む。通り過ぎる人々は皆、麦を抱えていたり、重そうなミルク缶を運んでいたり、酪農のための牛や豚を牽いていたりと農作業で忙しなく行き交っていた。

 

 教えられた場所は街の北西部の最奥にあった。

 灰色の石壁、赤い屋根の拍子抜けしてしまうくらいにごくごく普通の邸宅であった。疑いを立てようにも表札にはレギンス・クリストフという名が刻まれておりここで間違いないようだ。

 呼び鈴を鳴らして、待っていると独りでにぎい、と鈍い音を立てて開く。

 

「ど、どういうこと?」

「入ってよいぞ」

 

 ルシュカが戸惑って尋ねると、窓の奥から声がした。出てきた好々爺然とした老人が少年たちを歓迎していた。

 

「あの…あなたがレギンス・クリストフさんでしょうか?」

「お主がアルティス・ヴァールハイトか。王宮から知らせは届いておる」

「はい、初めまして」

「こんな所で立ち話もなんだし、わしも疲れる。入りなさい」

 

 老人に促され、邸宅に足を踏み入れる。入った瞬間に鼻腔についたのはなにやら薬品のような独特な無機質な匂いが出迎える。レギンスに案内されたのは書庫だった。レギンスがソファに重々しく腰を下ろす。

「適当に座るがよい。くつろいでもよいぞ」

 ソファや床、窓などに腰を掛ける。壁を覆い尽くすような本棚に圧倒されつつ、レギンスが煙管を取り出し、一服し始める。

 

「この一服がないと落ち着かん。わしの人生の潤いじゃな」

「……はあ」

 喫煙者の楽しみというのはまだ成人したばかりのアルトにとってはわかりかねるものがあった。成人したのだから酒も煙管、葉巻も楽しめるのだが楽しもうと思う気にはなれない。

 

 

「はっはっはっ、お主にもその内、こいつの美味さがわかるじゃろうて」

 もう一服老人がし始めるのだが、とてもアルトには美味しそうに見えなかった。

 

「まあ、わしの潤いはまだまだあるのじゃが」

「それはなんでしょうか?」

 おずおずとシエルが聞く。シエルはソファに腰を掛けている。

 

「知りたいか。それはじゃな」

「なんでしょ……わひゃあ!?」

 シエルが頓狂な声をあげる。レギンスの指がわさわさとシエルの胸を鷲掴みにして揉み始める。シエルは驚きのあまりに耳まで顔を真っ赤にして、身体を硬直させていた。

 

「ほほう。これは中々の……」

「やめんか!」

 ご、っという鈍い音がした。バーディネがレギンスに拳骨を叩き込んで、それを静止する。老人が硬直させた隙にシエルが指先を無理やり引っぺがして逃げるように窓際に移動した。

 

「なんじゃい。せっかく楽しんでるところを。逃げられてしまったではないか」

「やかましいわスケベ爺」

 嘆息混じりにバーディネが言う。

 

「お前もお前だ。嫌なら自分から悲鳴を上げるなりなんなりしろ」

「だ、だってお爺さん相手に乱暴なんか出来ないし、逃げるにも無理に身体を動かしたらお爺さんを怪我させてしまいそうだし、悲鳴なんか上げたらみんなに迷惑がかかる気がするし、かと言っていつまでも触られているのも嫌だしで、どうしたらいいのかわからなくなっちゃってそれでそれで」

 わたわたと一気にまくし立てるシエルは涙目になっていた。

 

「楽しみって…」

「女子と戯れることじゃが、なんか文句あるかの」

「いい御歳なんですからもうちょっと自重してください……」

 呆れ半分にアルトが言う。ほっほっほっ、と好々爺然とした笑い声をあげていた。

 

「それでアリアハンの王宮から頼まれてた脱出するための手段ってどんなの?」

「おお、おお、そうじゃったそうじゃった」

 ルシュカが話を切り出して、今、思い出したかのようにレギンスが大袈裟に頷いて、書棚の引き出しから小箱を取り出してアルトに差し出した。

 

「これは…?」

「開けてみい」

 

 レギンスに促されて、アルトが小箱を開く。中に入っていたのは掌程度の大きさの小さな宝玉であった。見つめると無色透明の中に炎が迸ったようにも見えた。

 

「魔法の球という。ミスリル鉱で出来ておる。わしのイオのマナを込め、ミスリルを精製したものじゃ」

「ミスリルってあのミスリル?」

 

 ルシュカがアルトの背後から小箱の中を覗き込んで尋ね、レギンスが肯定する。

 アリアハンとサマンオサとで所有権を巡って、争乱が起きた金属で精製されたものが、今、アルトの目の前で静かな白銀の光を湛えている。こうして手に取ってみるとただの美しい宝玉にしか見えない。

 

「これが…本当に?」

「なぜサマンオサがこれを欲したかはお主の目で確かめるがよい。論より証拠じゃ」

 猜疑の念で尋ねたが、老人によっていなされる。

 

「このレーベより南西の山脈に祠がある。そこが封印された場所だ。そこでこいつに魔力で念じるがよい。それで封印が解ける」

「その封印ってのはなんなんだ」

「封印はかつて百年ほど前に起きた大戦の残り香での」

 

 バーディネの問いにレギンスが煙管で一服し、灰色の吐息が吐き出してから答え始めた。

 レギンスが語るには百年……文献にその開始時期が不鮮明ぐらい前にかつて世界全土を巻き込んだ大戦が起きたらしい。このアリアハンも戦火に見舞われた。

 アリアハンは強国としての地位を当時で既に確立していた。艦隊戦、陸戦、魔術戦、そのどれもが他国を圧倒し、幾度となく圧倒した。

 

 そのアリアハンに奇襲を掛けるために、魔術で別の場所とを繋ぐ扉を常時発生させ、そこから軍を送り込む。その予期せぬ蹂躙に対応が遅れ、辛うじてアリアハンがその戦線では勝利を収めたものの酷い損害を被らざるを得なかった。レーベはこの時に一度壊滅し、王都の寸前まで進軍を許すほどであったと伝えられる。

 二度とこのような事態に陥るのを防ぐために、扉を封印し、使用できなくした。それがアリアハンで伝えられる封印の真実である。

 

「その封印を解かねばならないほどの事態が起きているのは間違いないのう」

「魔王はそれに見合うだけの脅威ってことか」

 ルシュカに、うむと老人が同意する。

 

「オルテガはヤツに届かず果てた。今はどれだけの存在に化けてるか想像だにできぬ」

 

 レギンスの視線が落ちてゆき、煙管の燃えカスを叩いて出す。ぽとりと落ちた灰が灰皿の上で静かに消える。

 

「お主は曲りなりにもオルテガの意思を継いだ者じゃ。希望を託すだけの価値はある」

「希望……」

 

 アルトが小箱を握り締めて、その言葉の重みを確認するが如くに何度となく口の中で転がした。

 

 

 

 

 夕闇がレーベの町並みを包み込んでから、夜闇が街を支配するまでは早かった。農作業や酪農、仕事に終われてた人々は帰路につき、それぞれが明日に備えて寛ぐ時間帯を迎えていた。

 レーベで宿を取り、早朝街を発つことにした。案内された宿の部屋はベッドが四つと机のみの簡素な部屋だった。食堂と浴場は宿にある利用者が共通で使用するものがあるため、問題はなさそうだった。

 

「うわ、久々のベッドだ」

 勢い良くルシュカがベッドに飛び込み、大の字になる。野宿が続いたため、布団の温かみに懐かしさすら覚える。

 

「旅に出てから久しぶりに温かく寝れそうですね」

「そういうこと」

 

 満足気にルシュカが言う。シエルもベッドの上に座り、荷物の中から眼鏡と本を取り出して、眼鏡をかけてから読み始める。

 

「何、読んでるの?」

「呪文書です。これからの旅に備えて少しでも新しい呪文を取得していきたいと思いまして」

 シエルが微笑み、また本に視線を戻す。呪文は呪文書によって取得する。構築法と理論を学び、実践して覚えていく……基本的には学問と同一なのだが、自身の体内の魔力、マナを御しなければならないのが呪文が難しい部分でもある。

 

「暇だからちょっと見せて」

「いいですよ」

 

 シエルから渡された書物にルシュカが目を通す。

「………さっぱりわからない」

 シエルが困ったように失笑していた。一切の呪文について学んでこなかったルシュカにとっては異国の言語のようなものだろう。シエルの手元に戻ってきてまた一字一句頭に叩き込むように、シエルは呪文書を読み耽っていた。それに声を掛けるのも憚られる。

 

 静かな時間が続いて、ルシュカはベッドの上で寝息を立てていた。また明日には暫く歩き詰めの日々が続くのだから今はゆっくりと休ませてあげようとアルトは思い、掛け布団を彼の上に掛ける。

 

「ちょっと外の空気を吸ってくるね」

「はい、でもあんまり遠くにはいかないでくださいね。時間も時間ですし」

 

 シエルに微笑み、アルトが静かにドアを閉める。そのまま宿を出て、街の中心にある湖まで足を運ぶ。宿からそこまで遠い距離ではないこの場所は街の名所として知られている。昼の間は透き通った青も夜闇に染め上げられて漆黒に堕ちていた。月光の光がそのまま湖を照らし、天と地に二つの月が鏡合わせになっている様子は幻想的で美しかった。

 

 

 昼にレギンスに告げられた希望という言葉がアルトには重く感じられる。

 多くの人間が自分に期待し、希望を託している―――それは理解は出来ている。

 だが、それを背負って戦う。それは本当に自分でいいのか。占いで選定され、勇者の血族であるというだけで世間から見れば自身が成人を迎えたばかりの青二才だという自覚はある。

 

 確かにこの二年祖父に教えを請うて、鍛錬を重ねてきた。しかし、実践を経験したことがない。魔族との戦いはあの日の一度だけ。しかもそれは雷光の光を解き放ち、その雷に全てが昇華されたことで有耶無耶になってしまったものも多数ある。アゼルスの遺体もそのせいか消えてしまった。

 アルトが自身の拳を見つめ、そっと握り締める。あの日の雷は使えた試しがなかった。念じても、解き放すことは出来ず、この掌に雷の光は宿ることはなかった。魔族を撃ち払うだけの雷光。

 

「こんな時間で単独で動くのは危ないぞ」

 

 背後から声がして、アルトが振り返る。月光を浴びて絹糸のような銀の髪の青年……バーディネだった。

「ごめん。それにレーベは危険じゃないよ。たぶん」

「まあな。長閑なもんだ」

「バーディネは、色んな場所を見てきたの?」

「ああ……ロマリアも、ポルトガも、アッサラームの方も、それよりも西にも行った事がある」

「色んな場所に行ったんだね」

「これからお前が巡るかもしれない」

 

 これから先、向かうかもしれない国々だ。己が目で、己が経験として旅をしていく。バーディネはそうやって冒険者として巡ったのだろう。ふと、思い立ち、アルトが尋ねる。

 

「どうして僕の旅に同行しようと思ったの?」

 

 アルトが尋ねてみた。そうやって様々な場所を巡った彼ならもっといい条件の仕事を選ぶことが出来ただろう。

 

「理由は聞かないんじゃなかったのか」

「そうじゃなくて、本当に嫌なら断ることだって出来たじゃないか。でも、バーディネは断らなかった」

 

 ルイーダの斡旋があったとはいえ、魔王討伐を命じられた勇者の護衛など断ることだって出来たはずだ。だが、彼はそうせず依頼のままにアルトの旅に同行してくれている。普通なら逃げたって誰も文句は言わないだろう。

 

「断るほどの理由がなかっただけだ。各地をどの道、流離うんだ。利がある判断をしただけってことだ」

「利? 得をするの」

「勇者と旅をしたというのはそれだけ箔がつくってことさ。お前自身がどういう人間であれな」

「なんか納得がし辛いものがあるけど……」

 

 むう、とアルトが顔を顰める。

 

「お前こそ、逃げようと思わなかったのか」

 

 バーディネが遠くの湖畔に反射した月を見据えて、呟くような声で尋ねる。

 

「こうやって勇者を名乗ったからには人には勝手な期待をされ、親父や兄とは比較される。人は人であるはずなのに、我を無視してまるで同じ様に評される。そこから逃げ出そうとは考えなかったのか」

「最初からわかってたことだもの。わかっているんなら耐えられるし、僕が戦わないと結局は誰かを殺して、誰かの笑顔がなくなってしまう。そのほうが僕には辛い」

 

 アルトが微かに笑む。全て、最初から覚悟していたこと。バーディネの指摘通りに血筋で定めを決めたかのように期待されたこともある。それより、自分が逃げ出すことで踏み躙られるものの価値のほうが少年の中では大きかった。ただそれだけの話だった。

 

「それが、お前が勇者であることか」

「まあ……そういうことかな」

 頷きを返すアルトに、バーディネの紫の瞳が少年の姿を映し、真っ直ぐに射抜く。

 

「お前は甘いヤツだが、その覚悟だけは信用させてもらう」

 

 バーディネが踵を返して、宿の方に歩いていく。銀色の髪が月明かりに照らされて煌いていた。

 見据えたバーディネの眼差しに何か遠い郷愁の念が見え隠れしたのは錯覚だったのか。それとも、誰かと重ねてたのか、それはアルトにはわかることのない問いだった。

 

 

 

 

 


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