Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION―   作:伊東椋

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EPISODE.66 At the Center of the World

 影の出現は、俺たちには余りに余る程、衝撃的過ぎた現実だった。その衝撃はこの世界の定義をひっくり返す程のものかもしれないぐらいに。

 そして遂に、俺たちのすぐそばで、その最悪の事態が起こってしまった―――

 「……高松(あいつ)の眼鏡だ」

 学園の渡り廊下付近で、日向は粗末に変わり果てた眼鏡を拾った。皆の視線が、その眼鏡に集中している。その眼鏡は、この場にいる全員に見覚えがあった。

 戦線の仲間。俺たちの仲間の眼鏡だけが、そこにぽつんと落ちていた。ひしゃげ、変わり果てた外観は、その持ち主の身に何が起こったのかを、如実に暗示させるものだった。

 「僕……見たんだ……」

 第一発見者の大山が、微かに声を震わせる。

 「影に喰われる所を……」

 「喰われるって……?」

 「僕が出くわした時にはもう、全身が影に覆われていて……」

 泣きべそをかきそうな表情で、大山は事の事情を説明した。目の前で仲間が影に襲われ、何も出来なかった自分の不甲斐無さに、唇を噛みしめる大山。だが、誰も彼を慰めてやる事も、消えてしまった高松が無事なのかも、口に出せる者は誰一人いない。

 「……で、あいつはどこへ行ったんだ」

 「地面に……呑みこまれて行った……」

 俺は、不意に足元を見下ろした。

 「イレギュラーすぎる……」

 ゆりの口から、ぽつりと漏れる言葉。

 これは、今までの何よりも余りに逸脱した事象だった。

 「(何だ……俺たちの思惑とは違う意思が働き始めている……)」

 一体、何が起きているんだ―――?

 だが、その答えを教えてくれる者は、俺たちの中には誰もいない―――

 隣で口を噤む、いつも頼りになる沙耶でさえも―――

 

 

 その日、高松の捜索が命じられたが、既に下校時刻も過ぎたほとんどの生徒がいない学園中を探しても、高松の姿は見つける事が出来なかった。捜索は夜と共に打ち切られ、明日に持ち越しとなった。

 「皆、影の存在には十分に気を付けるように。 出来れば単独行動は控えて、各自解散して」

 ゆりの忠告に、俺たちは深く頷かざるを得ない。また何時、あの影が現れるかわからないのだ。そして、また高松のように消えてしまう事も十分あり得る。

 各自が解散する中、ほとんどが寮に向かう一方、ある男だけが別の方向へと足を向けているのを見つけた。

 「日向、お前は寮に帰らないのか?」

 「悪ぃ。 俺はちょいと野暮用があるんだ」

 日向の乾いた笑みを見て、俺はすぐに察した。

 「……そうか、もしかしてまだいるのか?」

 「ああ、今日もいつも通り練習だろうから、まだ教室にいるかもな」

 日向が足を向けた先には、学校の校舎が見える。そして耳を澄ませば、遠くから演奏の音が聞こえてくる―――

 「……やっぱり、心配なもんは心配だからな」

 日向は少しだけくすぐったそうに、頬を指で掻きながら言った。

 影が現れた手前、日向があいつ―――ユイの事に気を掛けないわけがない。こんな事態になっては、日向もユイの事が心配なのだろう。つい先日、惚れた女に気持ちを伝えた一人の男は、いつの間にかこんなにもキザな奴になっていた。

 「何だよ、変な顔して……」

 「してねえよ。 つーか、日向。 お前こそ危ないだろ、校舎に行くまでの間だとしても、お前一人で行くつもりだっただろ」

 「安心しろ、たとえ影が現れたとしても全然恐くねえよ」

 「だとしても、ゆりが言っていた通りに単独行動は危険だ。 だから、俺も付き合うよ」

 俺の言葉に、日向がへ?と間抜けな表情を浮かべる。

 「い、いいよそんなの…! 何か付き合わせちまってるみたいで悪いし……」

 「何言ってやがる。 お前はユイの事を心配だと言ったが、俺だって日向の事が心配なんだからな」

 「……音無」

 「何だ?」

 「……お前、これなのか?」

 「……………」

 日向が手をある形に添えながら、言葉を紡ぐ。

 俺は黙り込み、日向との間で変な空気が流れ込んでくる。

 ……勘弁してくれ。

 「……いつかの仕返しのつもりか?」

 俺がそう返すと、日向はぷっと吹き出した。

 「ははッ、冗談だよッ! だけどお前も俺の気持ちが少しでもわかってくれただろッ?」

 「はいはい、俺の方も悪かったよ……」

 これは思ったより、される方は結構キツイ事だと言う事を、ここで初めて身に沁みて知る事になった俺だった。

 「……大丈夫よ、音無くん」

 「沙耶?」

 いつの間にか、俺の後ろから沙耶がいた。

 俺の肩にぽん、と手を乗せると―――

 「たとえ音無くんがホ○だとしても、あたしは音無くんのパートナーであり続けるから」

 「……お前も乗ってくるのはやめてくれ」

 凄く優しい目で言われても、俺は沙耶の冗談めいた言葉に笑って済ませる事は出来なかった。

 

 

 

 「で、あれからどうなんだ?」

 「何が?」

 校舎に向かうまでの間、影に出くわす事もなく、俺と日向は空き教室に続く廊下を歩いていた。既に外は夜闇に包まれ、窓から射し込む星の光と月明かりが唯一の足元を照らす明かりとなっている。足元から行く先に光の道を作り出す先からは、バンドの演奏が聞こえてくる。

 「こんな時間まで、ご苦労な事だな……」

 「おい、誤魔化すなよ」

 「……音無、意外とお前ってさ」

 「俺の事は良いからさ。 で、ユイとはどうなんだ?」

 「……別に。 特にいつもと変わんねえよ」

 日向の反応に、俺は驚く。

 「別にってお前……ユイと、恋人同士……になったんだろ?」

 「はっきり言ったなおい……改めて言われて確認すると、結構恥ずかしいぜ」

 ユイを満足させ、この世界から卒業させようとした俺たち。だけど、ユイは生前の未練を晴らした事に代わり、この世界で日向と言う男を未練として、この世界に留まる道を選んだ。日向とユイの仲を知る俺には、それ以上の事を二人の間に干渉する資格はない。

 この二人なら、きっとこの世界における自分たちの行き先を決められる。それは他人が促す程には至らない。

 「……だけど俺は今、ユイとの過ごす時間や、この関係が正直幸せなんだ。 いつも通りにあいつと接するのが、俺とあいつの関係そのものだと思うんだよ」

 「……そうか」

 やっぱり、余計なお世話だったのかもしれない。

 日向の顔を見て、俺は強くそう思った。

 だが、その時―――

 

 闇の向こうから、悲鳴が聞こえた―――

 

 

 「―――ッ!!」

 その悲鳴は、俺たちが知るに当たり前の奴の声だった。

 俺が言う前に、既に日向は悲鳴が聞こえた先へと駆け出していた。俺も、その後を追うように続く。

 今の悲鳴はまさか―――

 もしかして、影か……ッ!?

 俺は、最悪の展開を予想する。それが当たらない事を願いながら、俺は日向の後を追った。

 悲鳴が聞こえたのは、ガルデモが練習している空き教室。

 日向が一番に、飛び込むように教室へと入っていった。

 「ユイ、無事かッ!?」

 日向がユイの名前を呼びながら、銃を持って教室へと突入する。

 立ち止まる日向。

 そして、その後に俺も続く。

 「どうした、日向ッ! もしかして本当に影が―――」

 教室に入り、俺が目にしたもの。

 それは―――

 「ひゃあああああッッ!!? 先輩、お願いですからもうやめてぇぇ……ッ!」

 「ぶっはははは!! いいじゃん、どうせ歌として聞かせるつもりだったんだから!」

 そこには、何故か悲鳴を何度もあげるユイとひさ子の絡みっぷりが展開されていた。ユイが必死にひさ子の手に持っている紙を取り返そうと手を伸ばしているが、そのひさ子に手で顔を抑えられて動けない状態だった。それを他のガルデモメンバーが見守っている感じだ。

 「何やってんだ、お前ら……」

 ぽかんと呆けている日向の代わりに、俺は呆れた調子で目の前の当人たちに訊ねる。

 そこで今更のように気付いたのか、ユイが更に大慌てになって、ひさ子の手に持つ紙を隠すように前に出る。

 「え……先輩方ッ!? いや、これは違うんです……ッ!」

 「何がだ?」

 ユイの動揺っぷりは明らかにおかしかった。そんなユイの背後から、ひさ子がニヤリと笑ってユイを捕まえた。

 「ユ~イ、折角の良い機会だから、聴かせてやれば?」

 「な、なな、何言ってるんですかひさ子先輩ッ!? そんな事、出来るわけないじゃないスかッ!」

 「あはは、恥ずかしがってるユイ凄く面白いわ~ッ」

 「しおりん、そんな風に笑っちゃ失礼だよぉ」

 とりあえず相変わらずのガルデモメンバーの風景に、俺は安堵する。てっきり影に襲われたのではないかと思ってしまったが。

 「ふざけんな……」

 「日向?」

 今まで黙りこんでいた日向が、突然爆発したように声をあげた。

 「ふざけんなぁぁぁッ!! 俺がどれだけ心配したと思ってやがるんだぁぁッ!!」

 「お、落ち着け日向ッ!」

 「わああ、日向先輩がキレたーッ!」

 「何でキレてるんだ、こいつッ!?」

 そんな日向を前に、ガルデモのメンバーは理解できない顔をする。

 「日向、落ち着けッ! 無事だったんだから、良かったじゃないかッ!」

 「それはそうだけど……つーか、紛らわしいんだよッ! 諸悪の根源はこれかぁッ!!」

 「あ……ッ!? だ、駄目……!」

 日向がひさ子の手から、ある紙を取り上げる。咄嗟に声をあげるユイだったが、既に日向はその紙面に目を通していた。

 「何だこりゃ……歌詞?」

 俺も日向の横から覗き込んでみる。紙面には詩のような字面が書かれている。それは正しく歌詞のようだった。だが、その歌詞は今までのガルデモの曲には聞いた事がないものだった。

 「もしかして、新曲か?」

 俺は疑問を投げかけてみるが、当のユイは何故か四つんばいになり、がっくりと項垂れていた。

 ますます理解できない俺と日向に、ひさ子が説明を加えた。

 「それ、ユイが“個人的”に作った曲なんだよ」

 「?」

 ユイの個人的に作った曲。

 俺はそれを聞いて、歌詞を読んでみた。

 そして、ある情景が頭の中に思い浮かんでくる。

 それはまるで、今、目の前にいる二人にそっくりで―――

 「いや、そのものだ……」

 「何がだ? 音無」

 「日向はわかったのか、この曲の意味」

 「いや、意味はよくわからねえけど……」

 日向の言葉を聞いて、ユイが微かに反応したように見えた。

 「でも……良い曲になりそうなのはわかるぜ。 何と言うか、変な所で不器用そうな感じがするよな」

 「お前も人の事は言えないな……」

 「は?」

 日向は未だにこの歌詞の意味を理解していないようだった。

 そして、未だに項垂れているユイに視線を移す。

 今、ユイの表情は見えない。

 だけど、俺はユイの表情が簡単に思い浮かぶ事が出来ていた―――

 「教えてやらないとわからない鈍感男には、やっぱり歌って伝えてやった方が良いぜ」

 「えー、でもそんなに鈍感なら、歌っても余計伝わらないんじゃないんですか?」

 「そんな事はないよ、しおりん。 きっと、歌えば伝わるはずだよ。 だって、ユイが折角一生懸命作ったものだもんね」

 ひさ子、関根、入江が並びたてるように言う。

 そのメンバーたちの言葉に押されるように、ユイがゆっくりと立ち上がる。

 「……歌おうぜ、ユイ」

 「で、でも……」

 「恥ずかしいかもしれないけど、私たちもちゃんと演奏するからさ」

 「きっと大丈夫だよ」

 「……………」

 ガルデモのメンバーに励まされるユイ。

 だが、まだ十分ではない。

 「ユイ、お前もわかっているはずだろ?」

 「ひさ子先輩……?」

 「私たちが最も強く、相手に伝えるメッセージの方法は、歌なんだって事を。 それは、岩沢が何度も証明してみせただろ?」

 「―――!」

 ユイがハッとしたような表情を浮かべる。そして顔を下げて黙り込んだユイに、日向が呼びかける。

 「ユイ……?」

 「わかりました……」

 ぽつりとそう呟くと、顔を上げたユイが引き締めた表情で日向の方に向き直った。

 「ひなっち先輩……!」

 ユイの真剣な表情と気迫に押される。

 「どうか、聴いてほしい歌があるんです。 聴いてくれますか……?」

 真っ直ぐな姿勢で日向の前に立ち、言葉を紡いだユイ。そんなユイを目の前にした日向は、少し驚いた表情を見せていたが、やがて微かにその口元を緩ませた。

 「……仕方ねえ、聴いてやんよ」

 「はい…ッ!」

 日向の答えを聞いた途端、ユイは満面な笑顔を浮かべた。

 

 

 早速、ほとんどが夜闇に支配された学校で、一つだけ明かりを点けた空き教室の中心で、一つのバンドグループが演奏の準備を始めた。見物客の前で、グループの中心に立つ一人のボーカルがマイクを握り締めた。

 「本日は私たちの演奏を聴きに来てくれてありがとう。 一生懸命歌いますので、どうか聴いてください」

 いつもの陽動ライブで始める挨拶のように、ユイは丁寧に俺たちに向かって挨拶をする。

 「なあ、俺もいて良かったのか?」

 「何言ってるんだよ。 別に、構いはしないさ」

 日向は当然のように言うが、俺は正直余計なんじゃないかと思ってしまう。

 先程のユイたちのやり取りや、交わされた言葉を思い出す。

 ユイが個人的に作ったと言う曲。それはきっと、普段のガルデモのような人々へ平等に聴かせるような曲ではない―――

 きっと、その曲を贈る相手がいる。

 それはおそらく―――

 「……これは私が書いた新曲です。 ずっとそばにいてくれると約束してくれた、一人の意地悪な先輩へ贈りたいと思います」

 「……!」

 隣から、日向が息を呑むような気配が伝わる。

 ユイはギターを肩から下げ、マイクに優しく吹きこむように言葉を紡いでいるだけで、日向の方は見ていない。

 ただ、その姿がまるで自分のメッセージをマイク越しに伝えようとしている下準備のように見えた。

 「行きます―――!」

 その瞬間、遂に曲が始まった。

 「Rain song―――」

 

 

 いつだって泣かせては君を困らせてた

 そんな君も大きくなり遠くへ行くって話

 聞いてない! 唐突の雨だ

 傘もなく立ち尽くす

 

 

 ギターを弾き、マイクに吹きこむユイの姿を、俺たちは眺めていた。ガルデモが織り成す演奏により、目の前の迫力は思った以上で、その生きた音と声は聴く者に強くぶつかってくる。

 そしてその想いは、すぐそこにいる奴にも伝わっている事だろう。

 

 

 いつでもふたりで居るって言ってくれたよね たしか

 覚えてたのはあたしひとりだったのかな

 君と見た星忘れて 君と見た夢忘れて

 別々の道を進むなんてイヤだ

 

 

 俺はその曲を聴いていく内に、ある二人の情景を思い浮かんだ。

 その曲はまるで、その二人を表しているよう。

 二人のこんな関係がこんなにも幸せだという事を、教えてくれる。

 

 ―――『君』と『あたし』

 

 もしかして誕生日のプレゼントのことかな

 似合わない そう言って笑うから失くした

 見つけだす! あれはどこだ?

 雨は勢いを増す

 

 ―――それは、当人である二人を指している。

 

 どうして君だったんだろ イジワルしてばっかだった

 思い出せるのは情けない顔ばっかり

 君と見た映画忘れて 君の匂いも忘れて

 別の誰かと生きるなんてイヤだ

 

 ふと横を一瞥すると、日向の少し呆けた横顔が目に入った。

 ユイの曲に聴き惚れているような、まるで恋の告白でも受けたかのような表情だ。

 

 初めて会った日を思い出す

 公園の木に隠れてた君

 それをつついて追い出してみた

 大雨が降ってたのに

 時は過ぎ 今はあたしが

 雨の中 泣いている

 

 強く、優しく、素直に、その思いの丈を伝える。

 彼女の紡ぐ歌声は、きめ細やかな旋律に乗って、世界へと響き渡っていく。

 

 

 あんなに好きだったのに本当に好きだったのに

 君以外の人はどうでもよかったのに

 どうしてその君だけがいなくなっちゃうんだろう

 頭がおかしくなりそうだ もう

 雨は強く打ちつける 体の芯まで冷える

 公園の木にぶつかり 君のように泣いた

 君がいたこと忘れて 君とした恋も忘れて

 君の代わりに泣くのはもうイヤだ……

 

 

 そして、演奏が終わる。糸が張ったようにピンとした静寂が後を継いだ。

 演奏を終え、一息入れる音だけが聞こえる。

 そんな静寂の中、ぱちぱちと、拍手が鳴った。

 「さすがだな、ユイ。 みんなもすげえ演奏だった」

 俺は惜しみなく、目の前で素晴らしい演奏をやり遂げたバンドメンバーに素直な気持ちとして拍手を送った。拍手を受けるメンバーの中で、中心に立ったユイが照れ臭そうな笑みを浮かべる。

 「ほら、日向も何か言えよ」

 「あ、ああ……」

 俺に肘で突かれて、呆けていた日向がハッと我に帰る。

 日向の反応を待ち焦がれるように、ユイが緊張したような面持ちでジッと日向の方を見詰めている。

 日向はそんなユイを見たが、恥ずかしそうに視線を逸らすと、照れ臭そうに言葉を返そうとする。

 「ま、まぁ……良かったんじゃね……」

 「もっと気の利いた言葉の一つや二つあるだろ」

 そんな日向を間髪いれずひさ子が突っ込んだ。

 他の二人も呆れたような反応だった。

 「ぐ……ああもう! はっきり言えば良いんだろッ?」

 「……………」

 ユイがやはりドキドキとしたような表情で、日向の言葉を待った。

 そして―――

 「最高だったぜ、ユイ……あ、ありがとな…ッ!」

 「――――!」

 それは日向なりの、精一杯の気持ちだった。

 だが、それでユイには十分に伝わったらしく、ユイは嬉しそうな表情を綻ばせた。

 「ほ、本当ですか……ッ?」

 「嘘なんか付いてどうするんだよ。 正直、聴き入ってたしな……」

 「先輩……ありが…と……」

 「馬鹿、礼を言うのはこっち―――って、何泣いてるんだよお前ッ!?」

 「う、うりゅ……だって、だってぇ……」

 ぼろぼろと大粒の涙をこぼし始めたユイに、日向は動揺するしかない。

 「あーあー……」

 そして外野である俺たちは、そんな光景を各々の面で見物していた。

 「な、何だよ……お前らッ!」

 「まぁ、ここは二人きりにさせておいた方が無難かねぇ。 馬に蹴られる前に、あたしらはさっさと帰るとしますか」

 「そーですね、見ていて面白いけど……」

 「しおりん、そんな風に言うものじゃないよ……」

 「俺も帰るわ……日向、また明日な」

 「え…ッ? お、お前ら……!?」

 ぞろぞろと立ち去ろうとする俺たちと、涙をこぼすユイを交互に見ながら状況に困惑する日向を置いていく。

 今は、二人にさせた方が良い。それは俺たちの誰もが抱く共通認識だった。

 教室に二人を残し、月光が照らす廊下に出る。

 「全く、やってられないよ」

 「あーあ、私も彼氏欲しいなぁ」

 「あはは……」

 それぞれの言葉を素直に漏らしていくメンバーだが、その内に含まれた仲間に対する思いやりは容易に知る事は出来た。

 「本当に幸せそうだよな、あいつら……」

 閉めた扉越しに、未だに聞こえてくる日向の声とユイの泣き声を聞きながら、俺はそんな言葉をぽつりと漏らす。

 「ま、生前は酷い人生を過ごしてきたんだ。 こんな世界で、生前にはなかった幸福を手に入れるのも、アリなんじゃないか?」

 意外な反応に、俺は少し驚いた。何か思うような表情でいるひさ子の方に俺は視線を向ける。

 「何だよ?」

 「いや、お前もそう思ってるんだなって……」

 「何言ってんだよ……それに、あたしはもうとっくに似たような経験はしてるぜ? この世界に来て、ガルデモッて言うバンドが組めたんだ。 あたしにとっては同じもんさ」

 「ひさ子先輩……!」

 「わ、私たちもですぅ~ッ!」

 「って、おわッ!? い、いきなり抱き付くなお前ら…!」

 ひさ子に抱き付く関根と入江。そんなガルデモメンバーの微笑ましい光景を見て、俺はつい笑みをこぼしてしまう。

 「だーもうッ! とにかく、さっさと帰るよッ!」

 「「は~い」」

 二人の後輩の襟を掴んで、帰ろうとするひさ子たちを、俺は呼び止めてある事を伝える。

 「お前たちも最近、ここで何が起こっているのか聞いていると思うが、なるべく気を付けて帰ろよ?」

 「わかってるよ、あんたも気を付けてな」

 「ああ」

 そうして、彼女たちは俺の前から立ち去っていった。

 一人、教室の前で残された俺は、二人がいる教室の扉越しから視線を向ける。

 いつの間にかユイの泣き声は収まっており、その代わりに話すような日向の声が聞こえてくる。

 「……俺も、帰るとするか」

 盗み聞きは趣味じゃない。後は二人に任せて、俺は一人で教室の前から離れる事にした。

 二人を残し、教室の前から立ち去ろうとした俺が最後に聞こえたのは、いつもの二人の会話だった。それを聞いた俺の頭の中には、教室で幸せそうに会話する二人の光景が思い浮かんだ。


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