Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION―   作:伊東椋

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EPISODE.30 One Program

 夢、夢を見た……

 遠い葉が揺れるさざ波の音を聞いているうちに、無意識の内に寝込んでしまったあたし。あたしは寮の門限を遥かに超えた時間帯に、一人、夜の校舎の隅で誰かを待っていた。

 その誰かを待っているうちに、あたしは眠ってしまった。ちょっと壁に寄りかかっていただけだったのに、あたしはその人が来るまで呑気に寝ていたのだ。

 

 

 ―――ぇ―――ねえ、朱鷺―――さん――――起き―――て―――

 

 誰かがあたしを呼び掛ける。でも、あたしは目覚めない。

 目を覚ませば、あたしを呼ぶのが誰なのかがわかる―――ああ、あたしを呼ぶのは誰?

 あたしはゆっくりと、瞳を開き、“彼”の顔を捉えようとした。

 

 

 「……ッ」

 目が覚めると、あたしの目の前には誰もいなかった。それどころか、ここがどこなのかもわからなかった。

 辺りを見渡してみると、どこかの教室であることがわかる。慣れた目が、暗闇の中からうっすらと捉え始めた机や物が適当に置かれている所を見る限り、あまり使われていない教室だというのがよくわかった。

 「ここは一体……いツ…!」

 あたしは今、自分がどのような状況に置かれているのかを、電流のように走った痛みによって知った。あたしは椅子に座らされ、両手を後ろに紐のようなもので固く縛られていた。身体も椅子に拘束されていて、身動きが取れない。明らかに自分が囚われの身であることを自覚させる。

 「どうしてこんな……」

 あたしは何故このような状況下に置かれているのか頭の中を整理させて、すぐにハッと思い出す。

 例の生徒会書記を尾行していたあたしは、彼女に気付かれて、為す術もなく攻撃を受けた。

 情けないことに一撃で意識を失ったあたしは、ご覧の通り目覚めてみればこの有様だ。敵に捕らわれるスパイってどんだけ間抜けなのよ、と自分自身に毒を吐く。

 「(それより……なんとかして脱出を…)」

 しかし尾行していたからと言って、こんな風に拘束されるなんて明らかに異常だ。速やかに現場を離れた方が良さそうだと判断したあたしは、なんとかして脱出を試みようとするものの、両手まで縛られては、自身の拘束を解くという行為だけでも一苦労というものだった。

 

 「……お目覚め、なの?」

 

 「―――!!」

 闇から発せられた小さくもはっきりと通った声に、あたしは拘束されている身を構えた。やがて、気配のする方からコツ、コツと足音を鳴らせて、見覚えのある一人の女子生徒が現れる。闇の中から現れた女子生徒の腕には、『書記』と書かれた腕章が付けられていた。そしてそのエメラルドグリーンの瞳が、無機質のガラスのようにあたしの顔を映した。

 「こんなことして、あたしをどうするつもりかしら……?」

 「……………」

 彼女は答えない。相変わらず表情の色一つも変えず、ただその無機質な瞳であたしを見詰め続ける。

 まるで幽霊のように自分の存在感をゆらゆらと漂わせている、不思議な少女だった。その雰囲気とは相反してガラスのようなエメラルドグリーンの瞳は、見るものすべてを吸い込んでしまいそうなものだった。

 彼女を見ても意図がまったく読めない。何を考えているかわからないし、ただ自分を見て無言を貫いている。

 「………なにもしない。 私はあなたをどうこうするつもりはない、なの」

 「それなら、何故こんな…ッ!」

 「………あなたをここから出させないためなの」

 「なんですって……?」

 ここからあたしを出さないために、あたしを拘束した?

 意味がわからない。まだ、情報が足りない。あたしが何故このような状況に陥っているのか、その情報を。

 「なんであたしを……? あたしをここに閉じ込める理由は?」

 「……………」

 「……ねえ、あなたは……誰? いえ、……何?」

 あたしのゆっくりと、低く紡がれた質問に、彼女は淡々と答えた。

 「……私は、指定された該当目的の行動を監視し、その行動の度合を識別、ある範囲に達した場合にその目標の行動を抑制することが目的」

 「……は? あたしを、監視……?」

 何を言っているのだろう、この娘は。

 色々とわけのわからないことを言っているが、ただ一つ彼女の言葉から取り上げるとなると……監視していたと思ったら、逆にあたし自身が彼女に監視されていたというのか?

 それは本当に―――滑稽な話だ。

 「何故、あたしなんかを監視するのよ…ッ?!」

 「………あなたは、この世界においてイレギュラーな存在だから、なの」

 「…ッ!?」

 あたしは驚愕する。

 彼女の口から紡がれた言葉の真意は、あたしにとっては理解し難いものとなった。

 「あたしがこの世界のイレギュラーな存在って……なによ? ここは、この世界は死んだ者たちが来る世界なんでしょうッ?!」

 そう、だからあたしも、ここにいる。あたしはあの時死んだのだから。

 「……この世界は貴方達が思っている程、簡単には出来ていないということ、なの」

 「?」

 「そして、その世界を構築するのに“制御”が必要である時もあれば、“改変”を実行することも可能なの」

 彼女の口からぼそぼそと紡がれる言葉の羅列に、あたしは一つも理解することができない。

 だけど、彼女の言っていることがこの世界においてかなり重要なものなのではないかと、何故かそんな気を感じさせる。

 「でも、“改変”や“修正”等といったものは私の管轄じゃない。 私は“制御”が本分だから」

 この世界の構築、制御、改変。まるで、よくわからない専門的な話をよく知らない素人が聞いている感じ。適当に例えるなら、コンピュータかシステムか何かの話を聞かされているような感覚だ。

 「この世界がただ存在しているわけではなくて……『何か』で保たれてるってこと?」

 あたしなりに考えて、ふと漏れた詰問だ。自分自身でもよくわからない。だからこそ、彼女に問う。

 「そうであるかもしれないし、そうでないかもしれない。 少なくとも、私は“ただ”自分のやるべきことをやっているだけ、なの」

 「…と、ともかく、あたしが何でこの世界でイレギュラーな存在なのか、納得できないわ。 あたしは死んだのよっ? 何だかんだ言ってるけど、結局はここは死後の世界なんでしょうッ?! そして、あたしは自分が命を落としたことも、ちゃんと自覚してるッ!!」

 そう。あの雨がうるさく窓を叩くプレハブの中で、一人待っていたあたしの虚しい最期。

 土砂に埋もれ、身体が冷たくなり、孤独に死んでいった記憶だけは、はっきりと覚えている。

 “あたしが死んだという事実”だけは、確かに覚えているんだ。

 「……………」

 それとも、あたしが失っている記憶の部分に、何か関係しているのだろうか。

 死んだ瞬間の記憶だけははっきりと覚えている。それ以前の記憶も。

 

 ………。

 

 

 ………。

 

 

 待て。

 

 

 死ぬ以前までの記憶は覚えている。幼い頃から医者という仕事の都合で各国を転々とした父の後を付いていく日々。一時期だけ祖国の日本で男の子と遊んだこと、世界を旅して色んなものを見て、銃の手法を教わったこと、遠い国で出会った日本人から漫画を貰ったこと、そしてその漫画を夢中で読んだこと。

 そう、勿論生きていた頃の記憶はしっかりと覚えている。それは前からわかっていたこと。なら、何故今確認する?

 そして、あたしは帰国した日本で、期待を寄せていた未来も訪れることなく、楽しみにしていた青春を前に、無残に死んだ。

 死んだ時の記憶も覚えている。

 

 あれ?

 

 じゃあなんで―――

 

 

 あたしは記憶が無い、と思っているのか――――?

 

 

 死ぬ以前までの記憶、死んだ時の記憶はある。だから人の命が弾丸より価値が低い国で銃を教わった記憶で、この世界で銃を持って戦うことが出来ている。夢中で読んだ漫画の内容を覚えているから、あたしは「沙耶」という名前を登場人物から取った。そして、死んだ瞬間を覚えているから、あたしがこの世界に来たことを簡単に納得することができた。

 では、あたしは何の記憶を失っている―――?

 名前?それもある。

 実際、あたしが自分がなんて名前か覚えていない。でも、それだけではない気がする。

 もっと重要で、たくさんある何かを、失っているような気がする。

 あたしの記憶は―――

 

 

 “どこから”失っている――――?

 

 

 「う、ぐ……ッ?!」

 それを考えた瞬間、頭の奥がジリジリと焼けるように痛みを感じた。ジリ、ジリと、何かが擦れるように熱い。何かが無理矢理出て行こうとしているが、出口が狭過ぎて擦れているみたいな感覚。そして漏れ出た断片が、あたしの脳裏に衝突する。

 その断片と断片がぶつかり合い、火花を散らすようなフラッシュバックが襲いかかる。

 それは―――断片的な、古びた映画のフィルムを観ているかのような感覚だった。

 

 「あなたはイレギュラーな存在」

 

 彼女の声が、震えるあたしの頭の中に直接入ってくるようだった。

 

 「本来、この世界に来るべき魂(もの)ではなかった」

 

 何故だろう。まるでバットで殴られたような衝撃が脳内で走り回る。突然頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回されているみたいだった。

 

 「この世界の均衡を調整する―――」

 

 少女の異様に光る瞳を見た瞬間、あたしは今この場で起きている全てを察した。

 そして、あたしは震える唇で、言葉を振り絞ろうとしていた。

 やめて。

 あたしの頭を、記憶を、弄くり出さないで―――

 

 「だから――――」

 

 無くしていたはずのものが、忘れていたはずの記憶が、無理矢理地の底から引っ張り出される。

  

 そして、あたしの記憶を呼び起こそうとしている目の前の彼女と目が合った瞬間―――

 

 「―――――ああああああああああああああああ………ッッ!!!」

 

 一気に濁流のように押し寄せてきた記憶の波に、あたしはあっという間に飲みこまれてしまった。そして、自分自身を覆うような記憶の波に、あたしは真っ白な光に包まれるように身を沈めていった


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