Angel Beats! ―SCHOOL REVOLUTION―   作:伊東椋

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EPISODE.15 Everyone's Commemoration

 あの照りつけるような灼熱の太陽。

 顎から落ちる汗が吸い込まれる地面。

 野球部に所属していた俺は、どこにでもいる普通の球児のように、甲子園を目指していた。そしてあの死ぬような暑さの中、口の中が泥の味でいっぱいになっても、俺はずっとそこに立ち続けていた。それだけは、異様にも、覚えている。だって、俺のポジションはいつもそこで、いつも苦しい練習だって耐え抜いてきたのだから。

 あの学生生活最後の地方大会の最終回。ツーアウトでランナーが二、三塁にいた。正に、今と同じ状況下。

 頭が熱にやられそうになっても、酸素が乏しくなっても、俺はただ、ずっとそこで立っていたんだ。

 そしてこの耳で、確かに聞いたんだ。

 観客の応援の声まで遠くからしか聞こえていなかったのに、妙にそのバットがボールを打った音だけは、間近のように聞こえたんだ。

 カィン、と。高く打ち上げられたボールを、俺はゆっくりと見上げた。

 日の光にボールが見え隠れしていた。それでも、俺は両目を開けて、鼓膜が光に焼かれようが、じっとボールを見据えていたんだ。

 それは、簡単なセカンドフライだった。

 

 ―――ほぼ定位置。

 

 ―――ただ、それを捕れたのか。

 

 ―――落としちまったのか。

 

 ―――それだけは思い出せねえんだ……

 

 

 

 「いや……捕れてたなら忘れるはずがねえよな」

 「……………」

 「―――きっと捕れなかったんだ……」

 

 

 そして、俺はきっと惨めな姿を晒してたんだろうな。

 試合が俺のせいで負けて、最後の試合がそれで終わって、一生懸命やってた他の仲間たちが、俺を責めるんだ。

 ―――掛ける声も見つからねえな―――

 ―――皆の三年間の努力を、一人で無駄にしちまったんだもんなぁ―――

 ―――強烈な疫病神だぜ―――

 ま、責められてもしょうがねえよな。全部、本当のことだからな……

 そして、俺はずっと一人で、惨めになって……

 みんながいなくなった後、俺は誰かと会った。多分、先輩だろう。先輩は落ち込んだ俺に、何かを手渡した。

 それが何なのか。思い出したくもねえな。

 だけど、俺を更にクズにさせるには十分すぎる“薬”だったことは確かだな。

 そうして、最後まで惨めにクズをやっていた俺は、ある日トラックに轢かれてあっさりと死んじまったわけだ。

 こうして振り返ると、本当に、俺はクズな人間だったな……

 

 

 生前の過去を語り終え、黙り込んだ日向を見て、俺は一瞬だけ、岩沢のことを思い出していた。

 先に消えた岩沢。

 家庭に恵まれない過酷な環境で生前を過ごし、そしてこの世界で報われて、消えていった少女。

 そして、目の前で自分の人生を語った日向―――

 「お前……消えるのか?」

 俺は聞いた。

 日向は微かに驚いて、苦笑を浮かべながら否定したが、俺は真剣だった。

 「消えるかよ……こんなことで……」

 日向は否定したが、俺は真剣に考える。

 もし、その時と同じ状況が再現したら、きっと日向は消えてしまう……

 少なくとも、その可能性は大いにある。

 岩沢の前例がある。だから、俺は二度とそれを繰り返さないために、決意を固めて再びマウンドに戻る。

 その場にいる全員が見守る中、俺はボールを握り締め、そして構える。

 「決めろ、音無ッ!」

 日向の声が背後から伝わる。

 そう、俺はこれで決めなければならない。

 セカンドの日向の所にだけは、飛ばしてはならない。

 「――――ッッ!!」

 俺は思いきって、振りかぶった。

 渾身の速球が、ストライクゾーン目掛けて特攻する。だが、相手バッターがバットを振った時、グラウンド中に響き渡るような高い音が――――

 

 キィン――――!!

 

 

 「な……ッ!?」

 ボールは、高く打ち上げられる。

 しかも、セカンドフライ……

 「(まさか……)」

 その現象に、一番驚いているのは、日向自身だった。

 「(あの時と、同じだ……)」

 日向がそんなことを思った瞬間、あの時の光景と、今の光景が、重なった―――

 

 「日向ぁぁッッ!!」

 

 俺は日向に向かって叫び、マウンドから駆け出す。

 だが、日向はゆっくりと、両手を上げる。ほぼ定位置に落下するボールを捕るために。

 あの時捕れなかったボールを、もう一度捕るために……

 

 「こいつを捕れば、終わるのか……?」

 

 あの時手に入れられなかったこの試合の、勝利としての結末。

 

 「そいつは……最高に気持ちがいいな……」

 

 日向が、満足そうな表情を浮かべている。グローブを上げ、ボールを捕ろうとしている。

 きっと、あのボールを捕ってしまえば、日向は消える。

 自分の人生に納得して消えていった岩沢のように。

 

 ―――捕るな、日向…ッ! 俺は、お前に消えてほしくない……ッ!!

 

 日向が、消える。

 ボールがもうすぐ、日向のグローブに……

 

 その時、俺は目の前で信じられない光景を目の当たりにした。

 日向のグローブにボールが落ちる直前、それはほぼ同時に起こった。

 その場に響き渡る乾いた音。それが聞こえたかと思うと、宙にあったボールが突然、破裂した。

 「え……」

 そして、その直後、もしくはほぼ同時に―――

 「隙ありぃぃぃッッ!!」

 「ぐほぉぉぉッッ!!?」

 突然の、日向に対するユイの突貫。思い切りユイの突撃を受けた日向は地面に倒れこみ、そして上に乗っかってきたユイが日向に対して今までのお返しと言わんばかりに締めつけていた。

 「よくも卍固めにしまくってくれたなコノォォォッッ!」

 「ぐおおおお………」

 そしてぽかんと二人を見ていた俺の前に、ひらひらと落ちてくるボール……いや、元はボールのなれの果て。俺はそれをグローブの中に受け取ってみせると、今まで同じく呆けていた審判も、「あ、アウト…」と告げていた。

 

 「はぁッ!!?」

 

 相手の野球部レギュラーたちが審判の判定に驚愕の声をあげる。

 審判本人は、まるで自分が何を言い出したのかわからない始末だった。

 「おい貴様ッ! 何故今のがアウトになるんだ…ッ! 神……ではまだなかった。 副生徒会長である僕を愚弄する気か……ッ!」

 「え、いや、でも……ボールはあの通り、グローブに収まっていますし……」

 「破裂したボールの切れ端を受け取ってアウトなど、そんな馬鹿なことがあってたまるかッ!」

 直井はさすがにキレ気味になって本性を露にするが、審判も言いだした手前、前言を撤回することが中々出来ず、苦し紛れに応対していた。

 ぎゃあぎゃあと言い合う副生徒会長と審判のやり取りを一瞥し、今度は、反撃を開始した日向とユイの二人を含めた音無たちをじっと見詰めた。

 「………疲れたわ」

 ただ一言こぼしながら、小さく溜息を吐く天使だった。

 

 「このぉ……、こんな時に……なにキレてるんだよぉぉッ!!」

 「ズビマセン……ッ! 今度からはちゃんと頃合いを見計りますぅぅッッ!!」

 「知るかあああああッッ!!」

 さらにユイの首や色々な所を締め付ける日向。

 とりあえず、俺たちのチームが勝ったらしいことと、日向が消えずに済んだこと、両方に喜ぶしかないか。と言っても、今の俺の気持ちは、喜びというよりも安堵の気持ちでいっぱいだった。

 「……まったく、お前らは」

 俺は自分でもいまいちわからない笑みをこぼす。

 「本当にお似合いだよ……幸せな家庭でも築いてくれ……」

 俺は冗談混じりに、目の前で制裁を下している日向とまるで屍のようになり果てているユイの二人を前に、そんなことを言っていた。

 ひとまず、日向が消えずに済んだこと。そして俺たちのチームは球技大会に見事優勝することができた。

 それは、俺たちメンバー全員の勝利だった。

 そう。

 あいつも含めて、な―――

 

 

 とりあえず試合が落着して、生徒会チームが撤退したグラウンドで日向たちが他の戦線チームのメンバーと勝利に喜び合っている時、とある一人の少女が、その光景を遠くから見届けると、ふぅ…と一息付いて、構えていたライフルを持って立ち上がり、振り返った。

 「よう」

 「ッッ!?」

 その少女の目の前で、俺は挨拶する。それは久しぶりのことだった。

 「な、なによあなた……」

 少女はライフルを胸に抱き、焦った雰囲気で後ずさる。俺はその少女が持っているライフル、そしてそのすぐそばにある樽を一瞥して、苦笑混じりの溜息を吐いた。

 「やっぱりお前か、沙耶」

 「……………」

 その少女は、俺のパートナー。沙耶だった。微かに頬を朱色に染め、ライフルを胸に抱いた沙耶は、俺から少し後ずさっただけで、それ以上は距離を離すことはなかった。

 「……いつから気付いてたの?」

 「随分始めの方からだな。 試合中も色々とおかしなことがあったしな。 大体、そんな樽に隠れていたって、逆に目立つぞ」

 グラウンドの片隅に置かれた樽。一般生徒たちからはかなり注目されていたが、試合に夢中だった日向たちにはなんとか気付かせることはなかった……と思う。だが、気付かない方がおかしいかもしれない。あまりに場には似合わない物であるし、明らかに怪しいからだ。

 それを指摘され、沙耶はぼっと顔を赤くして反論した。

 「そ、そんなはずはないわ…ッ! 完璧に隠れてたはずよ…! 誰にも気付かれてなんかいないんだから……ッ!」

 いや、ほとんどの人に気付かれていたと思うが。

 というか、よく生徒会が来なかったなとつくづく思う。

 「少なくとも、俺には気付かれていただろ?」

 「ぐ…ッ」

 言い返すことができなくなったのか、沙耶は顔を真っ赤にしながら、ぷるぷると震えて俺を睨んでいるだけだった。そんな涙目で睨まれても、全然怖くないんだけどな。

 今まで俺が見てきたものと、目の前の沙耶のライフルを見る限り考え付くのはこれだ。沙耶は俺たちを陰からサポートするつもりで、このグラウンドの片隅で、樽の裏に隠れており、そこからライフルで、俺たちの危険球を狙い定めて撃っていたんだ。

 たまに点を取られそうになったボールが何かに当たって、変な軌道を描いて俺たちの捕りやす所に飛び込んできたことがあったが、きっとそれが沙耶の仕業だったんだろうな。

 最後の最後で、日向へのセカンドフライのボールは、少しやり過ぎた感があったが。

 「そうよ……こんなヘンテコな樽の裏で隠れて、そこからボールを狙っては撃って、援護射撃してたのよッ! だって、岩沢さんを目の前で消えるのを見過ごしたあたしが……しかも岩沢さんが消えたのはあたしのせいでもあるのかもしれないのに……どんな顔して音無くんやあの人たちと会えば良いって言うのよ…ッ! 笑いたければ笑いなさい、罵りたければ罵りなさいよッ! こんなあたしを…ッ!」

 「……沙耶、それは違う」

 「何が違うって言うのよ…ッ! 音無くんに、あたしの何がわかるって言うの…ッ!?」

 「岩沢が消えたのは、岩沢が自分で歌いたい歌を歌って、そして納得したから消えたんだ。 誰のせいでもない」

 「そんなの、嘘よ…ッ!」

 「嘘じゃない。 それに、誰もそんなこと考えてないし、沙耶はいなくなった岩沢や日向たちと同じ、俺たち戦線の仲間だよ」

 「あたしは……ッ」

 「しかも沙耶。 お前、救ってみせたんだぜ」

 「え……?」

 「日向に落ちて行くボール、あっただろ。 あれ、お前がボールを撃って破壊してくれたおかげで、日向はボールを取らずに済んだんだ。 ユイが飛び込んできたのもそうだけど、沙耶のやったことは完璧に日向の消える要因を木端微塵にしてくれたんだ。 それに、試合は俺たちの勝ちになった」

 「……………」

 「あの勝利は、俺たちの勝利。 それは勿論、沙耶も含まれてるんだぜ?」

 そう、あの大会に沙耶は直接参加していなかったけど……

 紛れもなく、沙耶は遠くから俺たちの試合に参加していたんだ。

 そして最後の瞬間も、沙耶のおかげで勝利に結びつくことができた。

 「それにな……俺はお前のパートナーだ。 お前が言い出したんだぞ。 だから、沙耶のことは他の誰よりはわかっているはずだ」

 「な……」

 また顔を赤くする沙耶。だが、俺は構わず続ける。

 「ま、何はともあれ、俺たちの勝利だ。 さぁ、行こう」

 「行くって、どこに……?」

 「あいつらの所に決まってるだろ」

 俺は沙耶と共に、グラウンドの向こうで浮かれあっている日向たち戦線メンバーを見据える。

 「行こう、沙耶。 みんなが待ってる」

 「……………」

 俺は沙耶に、手を差し伸ばす。

 沙耶は俺の手を見詰め、おずおずとした動きで手を伸ばしかけたが、俺はその手を掴み、引っ張った。

 「ちょ…ッ! 音無くんッ!?」

 「沙耶。 あれが、俺たちの勝利の宴だ」

 そして俺は沙耶を連れて、日向たちのもとへ加わる。

 俺は沙耶を連れ、事の経緯を話した。その間、沙耶は小さく縮こまり、最後にはごめんなさいとみんなに謝っていたが、他のメンバーたちには「やるな新入りッ!」「まさかそんなスパイ染みたことしてくれるなんてな」「今日のMVPはこいつだなッ!」とそれぞれ称賛をあげた。沙耶は恥ずかしそうに応対していたが、俺はこれが、今まで俺以外とあまり接しなかった沙耶への良い機会であると思えた。

 そして、俺たち優勝チームはメンバーで記念撮影をすることにした。

 最初は優勝チームである俺と日向たちだけで撮る予定が、ゆりの一言、「あなたたちの勝利はあたしたち戦線全員の勝利よッ!」によって、全員が無理矢理入ることになった。主に優勝チームメンバーが前に出て、後の奴らは後ろから入れ乱れるような感じになる。

 「はいは~いッ! 私が優勝トロフィーを持ちますよ~ッ!」

 「落とすなよ」

 ユイが優勝トロフィーを掲げ、そのそばで日向が不安に染まった言葉を投げ付ける。

 「松下五段ッ! テメェ元々は別のチームだろ! お前が前に出たら他の奴らが映らないじゃねえかッ!」

 「ん、そうなのか」

 「Foooo! All brothers!」

 「TKェッ! テメェいきなりダンスの勢いで飛びついてくるのやめろぉッ!」

 「うるさいよ、藤巻」

 松下五段、TKに怒鳴り散らす藤巻を、冷めた目で刺さるような言葉を投げるひさ子。

 「おい、ゆりっぺ。 なんでお前が真ん中なんだよ」

 「ふふん、あたしはこの戦線のリーダーなのよ。 当然じゃない」

 「一人だけ高見の見物してたくせに……」

 「なんですってぇッ!?」

 「おい誰だ、今ゆりっぺを侮辱した奴はッ! この俺が許さんぞッ!」

 「大山君でーす」

 「ええッ!? な、なに言ってるの日向くんッ? の、野田くんッ! 決して僕じゃないからね! いや本当に…!」

 野田が騒ぎ、大山が動揺する。

 しかしゆりはすっかり、今のことはすぐに忘れて、ものすごい笑顔に戻っていた。余程、天使に勝ったのが嬉しいのだろう。

 「まったく、相変わらず馬鹿ばっかね……」

 沙耶がクスリと笑う。

 そんな沙耶を見て、フッと微笑む音無。

 「それじゃ、撮りますよー」

 「いいわよ、竹山くん」

 「では撮ります。 あと、僕のことはクライストと……」

 「早く来ないと写真に映らなくなるぞ、竹山」

 「おおっと…!?」

 竹山がカメラのタイム制のシャッターを押し、慌ててみんなの輪に入る。

 「それじゃ、みんな。 行くわよ~。 はいッ!」

 ゆりの合図に、みんなが一斉にカメラの方に視線を向ける。

 「一たす一は~?」

 危うくこけそうになったゆりの合図に、なんとかみんなは耐えるが―――

 「「「に~ッ!」」」

 文字通りみんなは笑顔になったが、その瞬間、遂に後ろの山が崩れた。土砂崩れのように崩れていく仲間たちの前で、優勝した日向チームのメンバーたちは、それぞれの笑顔と後ろで起こった崩壊に驚く表情、それぞれの表情でカメラの光を浴びた。

 そして、その時に撮った戦線メンバーの記念写真は、思い出の一つとしてみんなのかけがえのない一枚となったのは、言うまでもなかった。

 そしてその写真には、かつては決して訪れることがなかったその笑顔を、満面に輝かせている一人の少女がいた。


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