(枢木、か…)
日本人なら、おそらく誰もがこの姓を知っている。ブリタニアとの戦争時の首相であり、日本最後の首相が『枢木ゲンブ』であるのだから。
ブリタニアの圧倒的な戦力を前に、徹底抗戦を唱える軍部を諌めるため自害したという。諦めるのが速すぎると思うが、結果日本が力を残し今に至るまで抵抗を続けられていると考えると、カレンの評価は一定しない。
今回の容疑者である枢木スザクはその息子なのだが、カレンはそこまで知っているわけではない。もしかしたら縁者かな、と思ったぐらいだ。
それはともかく、枢木スザクはあのシンジュク事変の際に政庁に戻ったクロヴィスを追い、隙をついて暗殺したのだという。
(よくやったと言いたいけど…、余計なことをしてくれたものね。…本当なら、の話だけど)
これでブリタニアが本気になる。クロヴィスより有能な人間が総督となり、精鋭を率いてやってくる。クロヴィスは生かしたままであったほうが、日本にとって有益だったのだ。
カレンにそう言った目の前の少年は、翌日になっても眠りつづけたままだ。
「……ねえ、あなたは今どんな夢を見ているの?」
彼の手を握る。そうしてからハッと気づく。この瞬間を誰かに見られたら、あの女子二人に何を言われるかわかったものではない。
どうも最近おかしい、と思いつつあわてて放そうとしたが、その時彼がうめき声を上げた。
「…………う」
これまで眠りつづけるだけだった彼が示した、最初の反応。それを聞いたカレンは、つい放すつもりだった手を握り締めてしまった。
彼のまぶたが、少し動く。そして、はっきり開けられた目の色は、海を思わせる、深い青。
「…………君、あの時の」
「しっ、誰か来たわ。とりあえず後で話すから、私とは初対面ということにして」
カレンが感じた気配の通り、人がやってきた。メイドの女性に押された車椅子の少女。
ルルーシュの妹のナナリーだった。
ナナリーとは、この3日で頻繁に会った。彼がこの部屋に運び込まれてから最も足繁く通っていたのがカレンであるのは揺るがないが、その次はこの少女だったであろう。
話を聞けば、兄妹でこのクラブハウスに住んでいるのだという。すぐ近くに昏睡状態の人間がいれば、気になるのも道理だ。
「こんにちは、カレンさん。またいらっしゃっていたのですか?」
「マリー…シャ…?」
彼が何か、夢を見ているような表情でつぶやいた。
「え?あ、あの…、目覚められたのですか!?す、すいません、私は、ここに住んでいるナナリー・ランペルージと申します」
「そういえば私も名乗ってなかったわ。私はカレン。カレン・シュタットフェルト。それで…、あなたは?」
自分のことを尋ねられたに過ぎない。難しい話は何もないはずなのに、彼は頭に手を当てて考え込み始めた。
「……………ライ」
長い沈黙の後、ようやく答えにたどり着いたという感じで彼が答える。
「……え、えっと。ライ…さん?それで、ご出身は?先ほどつぶやかれた『マリーシャ』さんとは…?」
明らかに、彼の様子は不自然だった。それに気づいたナナリーが質問を続けるが、彼の答えはこの一つだけだった。
「わからない」
彼には、過去の記憶がなかった。
「記憶喪失~!?厄介ね~」
彼の身元を特定する手段は、もう目覚めた本人に聞くしか残ってなかった。その一番確実と思われていた手段がもろくも崩れ去ったことを知ったミレイは、つい嘆息の声を上げてしまった。
「す、すみません…」
「ああっ、あなたを責めたわけじゃないのよ。あなたは何も悪くないんだから」
加わった情報と言えば『ライ』という名前と、彼がナナリーを見て言った『マリーシャ』というのが、おそらく彼の知っている誰かというだけだ。
姓すら「わからない」と答えるばかりでは、身元特定についての進展は何もないと言っていい。
「やはり警察に保護してもらったほうがよさそうだな」
ルルーシュが言う。正論だった。正体の知れない人間を置いておくのはいいことではない。
「んー、でもここまで面倒見たわけだから、最後まで責任取るべきじゃないかなって思うんだけど」
「会長!単に面白がっているだけでしょう!いつもいつも…。はぁ、知りませんよ、ホントに」
最後の抵抗というべき意見を述べるルルーシュであったが、もはや何を言っても無駄だと諦めているのも明らかだった。
「それはたぶん、だ~いじょうぶよ!女の勘ってやつだけど」
理由になってない。だがそれで押し切るのがこのミレイという生徒会長なのである。
「この子、初めて会った時から、な~んか放っておけないのよね。だ・か・ら、ここに迷い込んだのも何かの縁ということで、記憶が戻るまで私が面倒みます!」
ミレイがそう宣言したのでカレンは内心ほっとしていた。彼を警察などに突き出されたら、全てが水の泡だ。そしてここにいてくれるのなら、自分もつながりを持ちやすい。
「私も協力しますから」
だから、真っ先にそう言っていた。だがそれは、正解だったのか失策だったのか。
「ではそういうことで。カレン、この子の面倒は、あなたが見るのよ」
いきなりミレイから、そう言われたのである。
「へっ?」
「彼のお世話係主任に任命します!!!これは生徒会長としての命令!いえ、厳命よ!!!ちなみに拒否権はありません!」
ついで抱きかかえられるように頭を取られ、耳元でささやかれる。
「……彼と二人っきりでいろいろ街を巡れば、一気に距離が縮まるでしょ?それも生徒会公認で、よ。う~ん、我ながらナイスアイディア」
「だから、そういうものじゃありません!!!」
井上と言いこの人と言い、どうして人をからかうのが好きなのか。つい叫んでしまったカレンだったが、次の言葉で言葉に詰まる。
「じゃあ嫌なの?」
「え…?そ、それは…」
メリットは大きい。彼のすぐ近くにいても、正当な理由があると言うことができる。人気のないところで二人きりで話していても、なにも怪しまれないだろう。
だが、そんな打算よりも、何か胸の奥につかえているような気がしてしまい、素直になれなかった。
「まあ嫌なら仕方ないわね…、私だって鬼じゃないから。それじゃ、シャーリーに…」
「いえ、私で構いませんから!」
何故か叫んでいた。ミレイの顔がにやける様子に、自分が何を言ってそれがどう取られたのか気付いたが、それは彼の才覚がレジスタンス活動に必要だから言ってしまったのだ、ということで自分を納得させた。
もう一人の当事者である彼は、少し困ったような表情で頬のあたりを掻いていた。
ライと名乗ったこの銀髪の少年はアッシュフォード学園に仮入学中、という立場でここに住むことになった。
ミレイの手回しの良さ…というよりノリの良さと言うべきか、昏睡中に許可を全て取ってあったのだという。なんと制服や教科書まで用意されていたのだから驚きだ。
「それはいいけど、ここまでさせなくたって…」
翌朝、カレンは早々と学校に来ていた。ミレイから重要指令と言うことで朝食抜きで来いと呼び出されたのだが、内容を聞いて唖然とした。
「彼の朝食の用意、お願いね~」
材料は申し分ない。パン、卵料理、サラダぐらいなら問題ない程度の料理の腕はある。本音を言えばご飯と味噌汁と塩鮭が欲しいのだが、それは仕方ないだろう。
「あれ…?カレン?」
「お、おはよう。ちょ、朝食を用意しろって会長から言われてね…」
彼が寝間着のまま起きてくると、どうにも新婚家庭のような雰囲気になる。そうカレンは気付き、顔中を真っ赤にした。
「そうか、ありがとう」
ニコリと笑った彼の笑顔に、カレンはさらに顔を赤くする。
そのまま向かい合って朝食。ようやく話ができそうだと思っていたのだが、気恥ずかしくてそれどころではなかった。
昨日は話す機会を持てなかったのである。当たり障りのないことなら聞けたが、カレンが話したいことは他に誰かいて聞けるような内容ではない。
(け、けど…、この雰囲気じゃ…)
間が持たずにテレビのスイッチを入れると、ニュースはクロヴィス暗殺とその容疑者である枢木スザクのことで一色に染まっていた。
「茶番もいいところね…。あのブリタニアの指揮官、『純血派』よ」
記者の質問に答えるブリタニアの軍人を見て、カレンが言う。その軍人は『純血派』の象徴である赤い羽根を模した飾りをつけていた。
「『純血派』?」
簡単に言えば国粋主義かつ排他主義の集団である。そうカレンが説明すると、彼もカレンが言った『茶番』の意味を理解したようだった。
「なるほど、日本人への弾圧を強める正当な理由が欲しいわけか」
普通に考えれば、一軍人に総督暗殺などできるはずがない。よほど寵愛されていたのが裏切ったというのなら話は別だが、今回容疑者のスザクは一等兵の上名誉ブリタニア人である。
遠目に見るのがやっとのところ、むしろその機会に恵まれたかも疑わしい。そんな人間をあえて犯人に仕立て上げる以上、目的は別にあるのは疑いようがない。
「そういえば、あなたは『日本人』って言うのね」
「理由はわからないけど、日本人と言ったほうがしっくりくるというか…。おかしいかな?」
確かにブリタニア人ならば珍しいほうに入る。ブリタニア式の教育を受けてきたのなら、ナンバーでの呼び方が無意識に出るようになるはずだ。
しかし、カレンにとってそれは嬉しいことだった。
「おかしくなんてないわ。ここは本当は『日本』という国で、彼らもイレヴンではなく日本人で、また、そう呼ばれるはずの人々なんだから―」
「……クロヴィスを殺したのは君たちか?」
唐突に、ライが言う。その雰囲気はあのシンジュクで見せた指揮官としてのそれだった。
「嘘なんでしょ?記憶喪失って」
「九割方は本当だ」
カレンの詰問に、ライは弁明めいた口調で答える。
本人の談によれば、シンジュクでの記憶は一応ある。夢を見たような感じで、あれからどこをどう彷徨ってこの学園にたどり着いたかは思い出せないという。
そして、それ以前の記憶については全く思い出せない。気が付いたときはシンジュクゲットーの中で座り込んでいたらしい。
答えようにもそれ以上言えることはないと言われ、カレンも追究を止めた。身元不明というのは事実だし、記憶喪失というのが嘘でも本当でも彼がここに留まることは変わらない。
「それで…、クロヴィス暗殺の真犯人だけど…」
「私たちじゃない。それは断言するわ。あなたじゃないのは…、当たり前よね。となると…」
残る人物は一人しかいない。あの白いナイトメアと対峙していた際、いきなり通信を送ってきたあの男だ。
「心当たりは、全くないわ」
「ブリタニアにとって敵、と言うことは明らかだ。ならば、そのうち姿を現す。必ずな」
その『そのうち』は、意外に早くやってきた。
その日の宵、護送中の枢木スザクの前に『ゼロ』と名乗る仮面の男が現れ、自分こそがクロヴィス暗殺の実行者と名乗り出たのである。