「やあ」
フジ鉱山から久しぶりに学園に戻ったライたちを、迎えたのはスザクであった。わざわざクラブハウスの入り口で待っていた、という時点で、話の内容は見当がついた。
「……ふっ!!!」
いきなりの、鉄拳。それをライはあえて受けた。手加減一切なしの一撃に、尻餅を余儀なくされた。
「…どうして避けなかったんだ?」
「どうして殴ったのか、それを説明する方が先だろう」
理由は、簡単である。スザクが『蒼』の正体に気付いたというだけだ。その確信に至った理由もまた、簡単なことである。
「ウラノス奪取は軽率だったね。君だって白状したようなものだよ」
軽率と言われるもやむなし、というのはライだって自覚があった。しかし、それでも欲しかったのだから仕方ない。そう言うと、スザクは真顔を崩し笑い出した。
「ごめんごめん。…でも、君にもそういう子供っぽいところがあるんだなって」
そしてスザクは、今度は手を差し伸べた。
『蒼』の正体を隠し、学園の皆を騙していたこと。これは言い逃れできない事実である。スザクには、許せることではない。
「だから殴った。ただの、このアッシュフォード学園の一生徒である、枢木スザクとして」
しかし、それはあくまで私人としての怒りである。公人としての行動は、また別だ。だからスザクは、ライに手を差し伸べた。
「皇女ユーフェミアの騎士、枢木スザクとしては君と手を組みたい。行政特区計画の成功のために」
「……ユフィを利用したことについてはいいのか?」
その問いに、スザクは「良くはない」と答えた。ただ、本人は「利用されたことは事実でも、良い方に向かったのもまた事実」と言い、問題にしなかった。
ユフィもまた、気付いていたのである。そして、今後のためにはむしろ全面的に手を組むべきだと判断した。であれば、選任騎士としてその意向に従うべきだろう。
「面倒な男ね」
呟いたのはネージュである。それに対しスザクは、「それが僕だ」と笑った。昔なら、笑うことなどできなかっただろう。
「………ところで君、断られたら本当にフジ鉱山を爆破するつもりだったの?」
スザクには考えられないことだ。フジ鉱山を失えば、確かにブリタニアには痛手だろう。ただ、それと同等に日本にとっても痛手なのである。
ただ、「やるかもしれない」という恐怖は、ブリタニア内でも共通していた。
「まさか、一度断られた程度でやるはずないだろう。……まあ、地上部分を吹き飛ばすくらいなら」
全山爆破は最後の手段である。それまでに取るべき手段はいくつもあった。例えば、貯蔵分を吹き飛ばす。鉱脈の一つを採掘不能にする。撤退し駐屯した敵軍ごと採掘プラントを壊滅させる。
そして全てが駄目ならば、戦力を保ちつつ、次の機会を探る。
「………」
苦笑いせざるを得ない。今回、講和で得をしたのはブリタニアの方ではないのか。話を聞いていると、そんな気がしてくる。今後誠意を見せる限り、この男が敵となることはなくなったのだ。
そして、カレンとルーミリア。実は紅蓮の操縦者と、『天叢雲』の実質的な副司令官だという。この二人も、相当な逸材であることは間違いない。
わからないのは、連れの中の少女のことだ。説明を求めるが、誰も引き受けようとしない。冷厳なルーミリアさえ、視線を逸らした。
「えっと、君…」
全く知らないわけではない。スザクが転校してすぐのころ、二言三言会話したことはある。
「あ、アーサーだ」
どこからともなく現れた猫のアーサーが、そのネージュの胸に飛び込む。抱きかかえたネージュが、くるくる回る。絵としてみれば、とても微笑ましい光景である。
「……君たち、こんな女の子まで戦わせていたの?」
批難するようにじろっと見る。しかしそれに対し、本人が「私は18歳以上ー!大人ー!」と叫ぶ。そういう態度がこれまた子供っぽい上、仕返しも子供の残酷さを秘めたものだった。
「行けっ、アーサー!」
猫は意を受けたように、「にゃー!」とスザクに襲い掛かる。ネージュの言葉に謝るべきなのか迷った分、逃げ足が一歩遅れた。
「いったああああぁぁぁぁ!!!!」
がぶりといつもより深く噛みつかれたスザクの悲鳴が、辺りに響いた。
「……………なるほど。にわかには、信じがたい話ですが…」
ユフィとスザクに対し、ライはすべてを語ることにした。それに対しユフィは、少なくとも真面目に聞いてくれた。それだけでも感謝するべきだろう。
「ライのこと、私のこと、ギアスのこと―。素直に信じろっていう方が無理だけど、作るならこんな与太話じゃなくてもう少しまともな話にするわよ。そして肝心なのは―」
「特区政策の成功のためには、あなたたちと手を組むべきである。その点は、何も変わらないということですね」
ぴく、とネージュの眉が動いた。ユフィの返答が気に入った、ということである。なるほどこの世界は以前の物とは全く別な方向に向かう。この皇女が生きている限り、そうなる。
ユフィとて、馬鹿ではない。特区政策は、今までのブリタニアのやり方から見れば異端の政策である。これを成功させるには日本側の協力はもちろん、ブリタニア内部で発生する障害を跳ね除ける力がいる。
「……故に、わたくしは皇帝の位を目指します。たとえ、お姉様と戦うことになっても」
特区だけではない。それを手始めにブリタニアを変えるとなると、皇帝の権力が必要不可欠となる。そして「いつか誰かが」という他力願望では何も変わらない。やるなら、自分がやるしかない。
ただ、ユフィに絶対的に足らないのは、現実の政治力である。理想論だけでは政治はやっていけない。理想を現実に則した形に合わせ、そして現実を理想に近づける力が、ない。
それゆえ、そこを補ってくれる誰かが、絶対に必要なのである。そしてぴったりな人材が、目の前にいる。
「一つ頼みがある。彼を、君たちの下で使ってほしい」
そう言い、引き合わせたのはロロであった。一通りのことは教え込んだ。あとは、自分の下よりユフィの下の方が伸びる。そう考えて、本人に事前に言い聞かせてある。
「それが命令であれば」
というのが、ロロの返答だった。未だ、『駒』として扱われてきた思考が抜けきっていないということだ。そこを、ユフィに叩き潰して欲しいのである。
「では、これからよろしくお願いしますね、ロロ」
皇女に頭を下げられて、明らかにロロは戸惑った。V.V.ともネージュともライとも違う。今まで会った誰とも当てはまらない存在を、自分の中でどう評価したらいいのか迷っていた。
「問題はマリーカだと思うけど……」
スザクが遠慮がちに口を挟む。マリーカの兄のキューエルが退役したのは、『蒼』との戦闘で負傷したためであった。つまり、やったのはライだ。
「……どうするかは、彼女次第だろう」
恨みたいなら恨めばよい。ただ、あれは戦争だった。黙って討たれてやるつもりなど、ない。
「………」
机の陰でぎゅっと握りしめたカレンの拳を、ルーミリアがそっと抑えた。顔を見つめると一つ頷いただけだったが、何を言いたいかは伝わった。やるなら私がやる、と。
「…それで、あなたたちはどうするの?」
もう一人、この場に同席していた人が重々しく口を開いた。生徒会長のミレイである。普段の飄々として何事もお祭り騒ぎにしてしまうような軽さは、今の彼女にはない。
彼女にも、すべてを伝えるべきだと考えた。どうせ九州戦が終わり、特区成立時の式典となれば素顔を晒さねばならなくなるだろう。少し早くなった、というだけだ。
「……ご迷惑をおかけしました。ミレイさん」
頭を下げるしかない状況である。正体不明の記憶喪失者を受け入れてくれた上、義理の弟という立場までくれた。それに対し、自分は厄介事を持ち込んだだけだ。
講和成立でアッシュフォード家が法的な罪に問われることはないにしろ、白眼視されるのは確実だろう。祖父の悲願である貴族への復帰も、どうなることやら。
「別に爵位なんてどうでもいいって思ってたから、それはいいのよ。……あなたに、何としても護りたい人がいたってことは解るつもりだし」
ぱちんと、カレンに片目をつぶって見せた。受けた方は、赤面せざるを得ない。
それにミレイにとっては不都合ではないかもしれなかった。彼女には、貴族という立場に未練などない。見合いの話が来なくなれば、個人的には万々歳だ。
不安なのは学校経営が傾くことくらいだが、そうなったらそうなったで何とかなるだろう。日本に賠償を求める手もある。
「…あなたたちの主任との縁談話も、これで完全に立ち消えかもね」
伯爵家との見合いということで本人除くアッシュフォード家側は大乗り気だったのだが、「忙しくなったから」という理由で先延ばしされていたのである。
祖父などは「決して断られたわけではない」とまだ諦めてない様子ながら、さすがにこうなると先方から断るに違いない。
「………」
スザクは無言で通した。普通ならそうだろうとは思うのだが、その『普通』に当てはまらないのがロイドという男である。下手なことを言って、外れるのが怖い。
ウラノスの件に関しても、そうだ。九州戦後の返還が決まり喜ぶのは当然としても、「このまま正式に貸し出そう」とシュナイゼルに働きかけているという。データさえ取れればどこの所属でも構わないらしい。
相も変わらず、研究が第一、他はどうでもいいという人なのだ。そして問題がもう一つ。科学の常識を超えた存在ともなれば、これまた興味を引くだろう。
「だから、ネージュのことはロイドさんに教えない方がいいと思う。……絶対、『研究させて』って言ってくるから」
ネージュを護るように、カレンが抱きかかえた。解剖される、とでも想像したのだろうか。聞いたところでは「生物学は専門じゃない」らしいが…。むしろ、医療関係が本業のラクシャータの方が危険かもしれない。
「………何と言うか、『お母さん』そのものねぇ」
それはともかく、ネージュを抱きかかえるカレンの姿を評したミレイの言葉がこれである。スザクやユフィも何と反応したらいいのか、曖昧な笑みを浮かべるだけだ。
慌ててカレンが身を離すが、一度固まったイメージを覆すことはできそうもない。と言うより、当人たちが自然に上塗りを重ねるからどうしようもないのである。
さらに話が続き、最後にネージュが「ミレイにお願いがある」と言い出した。「え?」と言う表情をしたのはライとカレンである。そんなことなど、聞いてなかったからだ。
「ライたちがここを出て行くとしても、今日くらいはいいでしょ?私も、ここに泊まるー」
「ふぎゃーーーーー!!!」
ネージュが、叫び声をあげた。それをカレンが「大人しくしなさい」と押さえつける。……何ということはない。シャンプーが、目に入っただけである。
「…もう、今までどうしていたのよ」
真っ白で長く、艶のある髪。同じ女性なら、垂涎ものだ。手入れも相当大変なはずなのだが、本人曰く「何もしていない」らしい。
「……だって、体を再構築すれば全部元通りなんだから」
そうだった。この子は人知を超えた存在なのだ。ついつい忘れてしまうことを、再確認したカレンであった。
本来なら、風呂も必要ない。それなのに「入るー」と言い出したのである。しかも、最初はライと一緒に入ろうとしたのを、カレンが一緒に入ることを条件に止めたのだ。
(本当に、甘えん坊なのよね)
永遠の生。これまで、どんな寂しさの中にいたのだろうか。せめて今くらいは甘えさせてやりたいと思う。50年や100年など、彼女にとっては須臾の間なのかもしれなくとも。
「……ねえ、カレン。まだ許せない?」
不意に、ネージュが超越者らしい顔になった。こういう表情を見せた時の彼女に、何を、ととぼけるのは無意味だろう。
「……そうね。素直には喜べない、というところかしら」
講和成立後、ユーフェミアの補助を行う。その考えを、理性では理解できる。ブリタニアが裏切れば、すべてが元の木阿弥になる。それは誰の目にも明らかだ。
ならば、どうすればいいか。結論を言ってしまえば、ブリタニアの征服主義を変えればいい。相手を利用するだけ利用して攻め滅ぼすような国から、覇権の盟主にふさわしい国に変えてしまうのだ。
「それで、真の『
ユフィの覚悟を聞き、ライは新たな構想を立ち上げた。そしてユフィもその考えに賛同した。戦いは、新たな局面に入ったのである。
ただ、どんな理由があろうとも、『ブリタニアに手を貸す』ということに変わりはない。
「……正直言うとね、私は講和という方針自体乗り気じゃなかった。…必要だって、頭では理解できるわよ。でも、いざ現実になってみたら、心の方が駄目だったの」
それに気付いたのは、ライが「ブリタニアも祖国」と言った時だ。自分には、そんな考え方はできない。
『ブリタニアを滅ぼす』という、絵空事を言っていたころは良かった。現実を認識せず自分の殻に閉じこもり、調子のいいことを言っていただけで済んだ。
それを変えたのは、間違いなくライだ。現実を直視しろ。扇グループのメンバーに対し、彼がまず言ったのがそれだった。
それから、カレンとて自分なりに成長したという思いはある。以前の自分が目の前にいたら、その甘ったれた考えを殴り飛ばしてやりたいと思うだろう。
それでも、心の底では『ブリタニア』という国を認めていない。許していない。
「……講和が成れば、私たちは日本で暮らすと思っていた。ライは皇家の血族として重要な役職に就き、みんなその下で働く。……今までが、続くものだと思ってた」
ブリタニアとは直接の関係を持たず、日本人として生きていける。それなら講和も悪いことではない、と考え、自分を納得させていたところがある。
「……………どうしたらいいと思う、ネージュ?」
これから先、彼についていくことはできるのだろうか。ネージュに対して、初めて漏らした弱音だった。
「…私に答えを求められてもね。それは、あなたの問題なんだから」
ライ陣営とユフィ陣営の協調関係成立。
目指すはブリタニアの力で世界の均衡を保つ、日本の徳川幕府のような時代です。
あとは、その頂点に立つ国が良き調停者であればよい、ということ。
ただ、カレンさんの怨恨は根深いので……。