敗報、と聞いて、コーネリアは耳を疑った。
(トウキョウ租界がそんな簡単に落ちるはずがない!)
第一に考えたのが、それである。狙うなら、やはりコーネリアが留守中で戦力の半減したトウキョウ租界。自分なら、そうする。
「敵、ハコネ基地に襲来!陥落必至、至急救援を乞う、とのことです」
先頭で攻め込んできたのが、あの『ウラノス』だった。ついに『蒼』がその姿を見せたということだ。そして特派から提供されたデータから考えれば、ハコネ基地が防ぎきる可能性は皆無と言っていい。
案の定、すぐさま第二報が届き、陥落したと報告が入った。
トウキョウ租界近郊の戦力は防衛及び対ゼロに必要だから、ハコネ基地が襲われてもブリタニアが即応できる戦力は高の知れたものである。故に、取るのは難事ではない。
「……だが、取ったとて何になる?」
解らないのはその点だ。『蒼』直々に動いたということは、そちらの方こそ作戦の肝であるのだろう。しかしコーネリアの分析の中で、ハコネ基地の戦術的価値は薄い。
訝る彼女の元に、さらなる報告が届く。オオツキとニラサキの両基地も陥落したというのである。
「……………」
数瞬の後、『蒼』の狙いに思い至ってさぁーっと血の気が引いた。ハコネ、オオツキ、ニラサキ。その3点を結んだ三角形の中に、トウキョウ租界を超える重要施設が、ある。
(フジ鉱山!!!!!!)
戦術的価値は何一つとしてない場所だった。だからコーネリアは今の今まで思いもしなかったのだ。
だが、世界のシェアの70%を占めるエリア11産サクラダイトの最大の採掘場だ。その政略的価値は計り知れない。コーネリアの顔色が、真っ青になるくらいである。
「宰相閣下より通信です!」
全軍に停止命令を下し、トウキョウ租界からの通信を受ける。先にも言ったが、フジ鉱山に戦術的な価値はなくあるのは政略的な価値である。
その政略的価値を活かす方法はただ一つ、脅迫だ。
「敵の要望は『戦力を保持した、日本人による自治区の設立』。……妥当な提案ではあるね」
「あ、兄上は認めるつもりですか?」
国家の威信はどうなるのか。それを護るために、今まで戦ってきたのだ。だが、コーネリアはフジ鉱山の価値を充分理解している。それが、彼女の口をどもらせた。
断れば、敵は当然フジ鉱山を爆破すると言ってくるだろう。
そうなった時、責任はコーネリアの首一つなどでは到底収まらない。その後の世界戦略を、根本から見直す必要が生じるだろう。
そして放っておくわけにもいかない。サクラダイトは重要な政略物資だ。備蓄はあるからすぐさま枯渇するわけではないが、フジ鉱山を奪われたまま放置するなど許されざる失態だ。
「これはエリア11の範疇を超えた問題と判断する。故に、帝国宰相である私が預かる。……いいね、コーネリア」
そう言われて、コーネリアはがくりと肩を落とした。この瞬間、『蒼』に対する決定権は自分の手から離れたのだ。そしてそれは、『敗北』ということでもあった。
「………」
握りしめた拳がわなわなと震える。戦術的に負けはしなかった。だがそれが、何だというのか。今、何もできないこの状況は、政略で完全に負けたということなのだ。
おそらく『蒼』は、ゼロとの戦術的勝敗に一喜一憂する自分の姿を見て笑っていたのだろう。
(だが!だが、しかし―!)
『フジ鉱山を質に取る』などという発想は、自分のどこにもなかった。いや、自分だけではない。ブリタニアの中でも、考えられるとしたらモニター越しのこの人だけだっただろう。
「……正直、私も侮っていたよ。君が苦戦するのも無理はない」
慰められるのが、かえって辛い。その後の話はほとんど頭に入らなかったが、「ホクリク戦線は停戦せよ」という帝国宰相の名で命じられたことだけは、忠実に実行した。
「……動いたのはシュナイゼルか」
フジ鉱山、サクラダイト採掘プラント。ブリタニア軍の排除は『ウラノス』の力をもってすれば、容易いことであった。
そしてNACの幹部たちを人質にした…、と言うが、実際にはキョウトの本部である。神楽耶などは、喜ぶ内心を押し隠して迎え入れた。
「正使がシュナイゼル。護衛も数名、という事ですわ」
豪胆と言うか暴挙と言うか、わずかな人数で乗り込んでくるという。ただ、交渉の使者が帝国宰相という事は、ブリタニアも本当に乗る気でいるということだ。
占拠後、通信でこちらの要望をトウキョウ租界に伝えた。シュナイゼルが全面的に出張ってきたのは少々厄介なことと思ったが、大筋では認めるという。細部は、直に会って詰めたい、と。
「さすがにフジ鉱山と引き換えでは、国家の威信などとは言ってられないのでしょう」
ブリタニアという国にとって、日本の価値はサクラダイトの産地であることが第一。第二が中華連邦に対する戦略上の拠点というところだろう。
多少の誇張はあるにしても、ブリタニアはフジ鉱山があったからテロリストだらけの難治の地でも放棄しなかったのだ。そのフジ鉱山を失うという事は、これまでの犠牲を全て捨てるに等しい。
「……いやいや、ここまでとは思いもしなかった。ゼロは保険と考えていたが、さっさと見捨てるべきであったな」
口を挟んだのは桐原だ。表は笑顔だが、内心舌打ちしているのではないか。露骨なまでの擦り寄りとゼロ堕しが、彼の目論見が破綻したことを示していた。
『蒼』とゼロを競わせ、そのバランスは裏でキョウトが操る。ところが、どちらも操られるような男ではなかったのである。
(……まったく、あの小童も情けないわ)
トウキョウ租界侵攻が、桐原にしてみれば想定外の暴挙だった。せいぜい房総を制圧するくらい。そのくらいの勝利を望んでいたのだ。
それで勝ったのならともかく、大惨敗に終わった。房総の占領地も放棄せざるを得なくなり、援助はすべて水の泡だ。おかげで神楽耶に頭が上がらない日々が続いている。
「解放戦線や騎士団の中にも講和締結を望むものがおろう。キョウトとして、帰順を促すことは任せてもらいたい」
そして、桐原も現実は見ている。騎士団と解放戦線が半壊した現状、このあたりが潮時だ。隠れ蓑にしてきたNACの活動も怪しまれている。尻尾を捕まれる前に、安全地帯に逃げ込まねばならない。
「念のためであるが、『講和に応じた者の赦免』をシュナイゼルに明言させることを忘れてもらっては困る。誘い出して一網打尽、という恐れがあるのでな」
応じない者のことまで知ったことではなかった。ここで講和が成るなら、ゼロなど躊躇なく切り捨てる。元々、人質だった敵国の皇子に過ぎない相手に、愛着などない。
「……さて、『君との』講和なら、ブリタニアの帝国宰相として認めぬものではない」
自己紹介も何もなく、シュナイゼルが言った。『君との』という意味は簡単だ。ゼロなど、他の組織に至るまで無条件で許すつもりはない、ということだ。
「実は、ブリタニアでもこういう計画がある。それに参加する、という形なら、賛同も取りやすい」
ユフィの行政特別区計画である。シュナイゼルの提案は、ブリタニアが提唱した計画にそちらが乗るという形にしたい、と言うものだ。
「成程」
当初は武装解除が前提だったが、そこは譲歩。特区の自衛戦力として、天叢雲以下の戦力が参加する。ブリタニアは名を取り、日本は実を取る形になる。
「君には感謝するよ。名目にすぎないことでも、国家には必要でね」
今回の一件は、声明を出さず伝えたのもエリア11政庁だけである。シュナイゼルも即座に緘口令を布いたので、世間にはまだ知られていない。
「私の組織と、私の傘下にあるレジスタンス。『今回』応じた者は反乱の罪を問わず、その自衛戦力に編入されたい」
『今回』とわざわざ言った意味はシュナイゼルなら察するだろう。日本が保有する戦力に、制限をかける。『今回』応じなかった者に関しては武装解除してもよい、と言質を与えたのである。
「また、特区に参加する者については、反逆の罪を問わない」
具体的にはブリタニアに対する戦闘行為およびその支援行為に対して、となる。実はここにも裏がある。戦闘行為に要人暗殺や誘拐、民間人虐殺などの犯罪行為を含めるとは、ライは言わなかった。
「…………ふむ」
特区計画を示した以上、国の威信がどうこうと言う段階は過ぎた。その上で、ブリタニアが受け入れやすいよう日本側も譲歩しよう、ということである。
特区がテロの温床になるというのが、最も懸念されることだ。その点から見れば、参加者を選別するというのは悪くない。
(ただし、この男がいる限り、牙は抜ききれない)
天叢雲とその傘下のレジスタンスには、抵触しないよう条件を出している。ブリタニアがこの講和を反故にすれば、再び牙をむく。そのための軍事力は、絶対に保持する。その気概は、決して失わないだろう。
ただ、逆に誠意を見せれば、この男の牙はブリタニアの外に向く。
「一つ聞いておきたい。ゼロはどうするのかな」
クロヴィスを殺したゼロは、ブリタニアでは大逆の犯罪者だ。これを許すとなると、ブリタニアとしては相当な譲歩となる。何か、特別な事柄がなくてはならない。
無論、ライも承知の上である。それに対する明確な答えは、すでに用意している。
「彼がどうするかは、私の関与するところではない。……もっとも、これ以上の抵抗は諦めるよう諭す所存ではあるが」
C.C.のことがあるにしても、そこまで面倒は見切れない。特区に参加したいなら、ゼロ本人が何とかすべき問題である。生き残るだけなら、取るべき手はいろいろあるだろう。
「……では、自治区の範囲を決めたい。君が掌握している北陸道をそのまま、というのであれば、却下せざるを得ない」
そこまで譲ってもらえると考えるほど、ライも楽観的ではない。この状況なら、指定する場所はまず決まっている。
「ブリタニアとしては、北九州を指定したい」
君たちの手で、中華連邦軍を排除せよ、ということだ。予想通りである。いきなり同士討ちではブリタニアの本気を疑わせることになるから、房総の可能性は低かった。
ただ、これを受けることは中華連邦と対立する、ということである。ブリタニアを盾にして悠々と国力を養わせるほど甘くない、ということだ。
(しかし、この男―)
講和の条件としては、相当緩い。こちら側の言い分をほとんどそのまま呑んだ、というレベルである。フジ鉱山の重要性を考えても、甘すぎる。
「今回のことは皇帝の承認を得て、全世界に向けて公式に発表してもらいたい。それまで、フジ鉱山の占拠は続ける」
ただし、サクラダイトの搬出はこれまで通りとする。それがこちらの誠意である。もちろんブリタニアが反故にするようであれば、即刻次の行動に移る。
「承知した。……ただ、少し時間は必要になるだろうがね」
「………」
シュナイゼルが立ち去ってしばらく、ライは腕組みをしたまま動かなかった。
「やりましたわね、お義兄様」
興奮で顔を紅潮させた神楽耶の声にも、ライは反応しない。シュナイゼルの態度は、欲しければくれてやっても一向にかまわないと考えているとしか思えない。
最後の最後に、つい問いただしてしまった。何を考えているのか、と。
「私が考えているのは、どうしたらこの世界が平和になるかという事だけだよ」
言葉は熱意あふれるロマンチストが言うようなものなのに、声音は冷淡としていた。そのギャップは、この男が途方もなく大きな、何かよからぬことを考えている証ではないのか。
その計画の中では、日本などあっても無くても大勢に影響ない、取るに足らない存在なのだろう。だから、シュナイゼルは甘すぎる講和を呑んだのだ。
(とはいえ―)
今回の目的は、これで果たした。いつかシュナイゼルの意図と激突する日が来るにしても、先のことである。
七日後、『行政特区日本』の設立が、大々的に発表された。
フジ鉱山はこうやって使うものです。