一週間が過ぎた。
租界および関東エリアは、表面上平穏な日々が続いていた。租界の復興のため重機の駆動音と槌音はそこかしこで鳴り響いているが、銃声はどこからも聞こえることはなかった。
騎士団および解放戦線は外に向かう力を失い、それを受けて泡沫のレジスタンスも鳴りを潜めている。コーネリアの統制の下、暴動が起きたという話もない。
一方で、九州ではブリタニアと中華連邦の対峙が続いていた。コーネリアは最も信頼するダールトンに西日本全軍の指揮権を任せ、中華連邦の本州四国上陸を防がせた。
が、ダールトンと言えどそこまでが限界だった。租界防衛戦の生き残りKMF百数十に地方軍を併せて、掌握する戦力は三百機ほど。
対する中華連邦軍のKMF戦力は、
何とかして九州に橋頭保を確保すべく上陸したブリタニア軍は、曹将軍によって叩き返された。
とはいえ、中華連邦軍も順風というわけではない。後続が全く来ないのである。
「洛陽は何を考えているのか!!!!」
沖縄方面から侵攻する予定だった江南軍管区の孫将軍、遼東軍管区以上の戦力を保持する河北軍管区の袁将軍など、動員予定だった部隊が続く気配がない。
孫将軍からは「勅令で動けない」との連絡を受けている。騎士団の敗北を知り、大宦官が尻込みしているのは明らかだった。
手持ちの戦力では北九州の制圧と維持で手一杯で、九州戦線は両陣営とも本意ではないまま長期戦へ突入する見込みが大、となった。
「ライー、入るわよー」
返事はない。おかしいと思ってカレンが突入した部屋は薄暗く、甘い匂いが漂っていた。
「………」
匂いはいい。被災者の慰めになろうかと、何か菓子を作るという話があったことは知っている。一度に大量に作れる焼き菓子を作ったのだろう。
ルーミリアがその手伝いをしているはずなのだが、その彼女の姿も見当たらない。
「何してんじゃー、あんたはーーーー!!!!!!!!!」
嫌な予感がして寝室に駆け込んだカレンは、ベッドで同衾している二人を見つけて絶叫した。
「………くすっ。何って…、見ての通りですけど?」
起き上がったのはルーミリアだけである。その姿は、何と全裸。あまりのことに絶句するカレンに対し、ルーミリアは調理場を指差した。
「パウンドケーキの風味付けにお酒を使ったんです。そうしたら、その匂いだけでライさんは酔っぱらってしまって…。お酒に弱いにしても、ここまでとは思ってませんでした」
それはカレンも知っている。玉城がいたずらでジュースと騙してカクテルを飲ませたら、一杯も飲めずに倒れてしまった。急性アルコール中毒にはならなかったので、厳重注意だけで済んだのだが。
「それで、介抱しようとベッドまで運んだんですけど、酔っぱらったライさんは私をベッドに引き込んで…」
しかし、事の直前で寝込んでしまったという。目覚めたらすぐ続きができるよう、準備して待っていた、と。
「作文するな作文!どうせあんたが酔いつぶれたライを襲ったんでしょ!!!」
そう言われても、ルーミリアは悪びれる気振りすら見せない。さも心外だと言うように、頬に手を当てて答えた。
「まあ酷い。普通、こういう場合は男性から疑うものでしょう」
「相手があんたの場合は女の方から疑うわよ!!!!」
「………うー。あれ、カレ…」
騒ぎでさすがに目を覚ましたライが、ぴしりと固まる。この状況が何を意味するかということくらい、どんな朴念仁でも理解できる。
「あら、目を覚まされましたか?」
平然としているのはルーミリアだけである。先ほどカレンに否定された話を、何の躊躇もなく繰り返す。
「だ、騙されちゃ駄目よ!そんなの、絶対嘘に決まってるんだから……」
「……本当だったらどうするんですか?」
自信満々なルーミリアを前に、カレンも言葉に詰まった。否定する、証拠がない。
「も、もちろん、僕にできることであれば、どんな責任でも取るけど……」
「なっ!!!駄目よ駄目!!!どうせ『愛人にしろ』とか、ろくでもない事を言ってくるに決まってるんだから!」
それを受け、仕方ないとルーミリアは妥協する気振りを見せた。愛人は取り下げる。その代り、他の願いならいいだろう、と。
嫌な予感が消えたわけではないが、相手が一歩引いた以上こちらも引かないわけにはいかない。しかしカレンは、ルーミリア・フェン・シェルトという女を甘く見過ぎていた。
「では、ライさんの子供を三人ほど………」
「もっと悪いわーーーーー!!!!!!!!」
「………で、本当のところはどうだったのよ」
「さあ?ライさんは何も覚えていませんし、私が何を言ったところで意に沿わない事ならカレンさんは信じないでしょうし…」
とぼける相手を濃厚な殺意を込めた視線で睨みつけるカレンだが、その程度で動じるルーミリアではない。それどころか、彼女に言わせればカレンが悪いのだと言う。
「そもそも、カレンさんが今に至るまで事に至らない、というのが問題なんです。いい加減、ライさんも無聊を託つこと久しいのでは…」
それに、女としてファーストキスをささげた相手にすべてをささげたいと思うのは当然ではないか。
「今更純情ぶるな!!!あれはあんたが無理矢理奪ったんでしょうが!この強姦魔!!!」
「まったく、胸の大きさに対し気の小さいことですね。私より大きいくせにその活用の仕方も知らないなんて、何ともったいない……」
「胸の大きさと何の関係があるって言うのよ!!!!!」
顔を真っ赤にして叫ぶカレンと、そういうネタを表情一つ変えずに話すルーミリア。漫才のごとき形式美は、もはやこのクラブハウスの定番だった。
「ああ、もう…。頭痛い……」
天叢雲では誰よりも頼りになるくせに、学園では誰よりも嫌な敵となる。思考が自分とは違う次元を進んでいるとしか思えない。
結局、ルーミリアは条件を保留にした。いくらカレンが嘘だと主張しても何があったか知っているのはルーミリアだけである以上、取り下げさせることはできなかった。
とりあえず最悪の事態は回避したものの、次はどんな事を言ってくるのか、全く予想できない。
「少しは反省しなさいよね。ライ、思い切り落ち込んでたじゃない」
酒癖が悪いと信じ込んで自己嫌悪したのだろう。好きな相手を陥れるとは、どういう神経をしているのか。だが彼女にしてみたら、最後のところで甘さが出てしまったという。
「その点については反省すべきですね。やはり、有無を言わさず既成事実まで持ち込んでおくべきだったかと…」
「ふざけんなこの淫売!!!!!」
この女は、どうしてそっち方面にばかり突き進むのだろうか。男女の交わりというのはもっとピュアでロマンチックなもの…、と思うカレンにとって、ルーミリアの言動は刺激が強すぎる。
「そういう心のつながりはカレンさん一人で充分じゃないですか。ですから、私は愛人らしく体のつながりを重視してですね…」
「からっ!!!!!」
カレン、真っ赤になって思考停止。回復後、むしろ別次元の思考でよかったのではないかとカレンは思う。この女の思考は理解できない以上に、理解したくない。
「あら、マリーカさん」
「うっ、ルーミリアさん…、に、カレンさん」
廊下の向こうから、ライの部屋に向かってくるマリーカの姿があった。一瞬後ずさったところを見ると、どうやら今だルーミリアは苦手なようだ。
ルーミリアの方もルーミリアの方で、マリーカに対しては底に敵意が見え隠れする。カレンに対しては冗談交じりに楽しんでいるような感じがあるが、マリーカにはない。
「また『ウラノス』のテストでライさんを呼びに来たのですか?」
この一週間ライが何をしていたかと言うと、『特派に入り浸っていた』のである。騎士や武士が名馬に焦がれるように、彼は『ウラノス』に惹かれていた。
そして、マリーカとの仲が何やら急接近しているようであった。今回のことは、それが一因でもある。ルーミリア曰く「そろそろ私も身を固めておくべきかと思いまして」らしい。
もっとも、もちろんそういう話は一切ない。ナイトメアの操縦、それに軍略や政略の話といった、堅い話だ。ユフィの補佐役候補、ということである。
とはいえ、女の方からしてみたら消えかかっていた火に息を吹きかけられた気がするのも無理はない。
それにしても、ルーミリアの厚顔にはカレンも感嘆する。つい先日、ラヴェインを撃墜した張本人などということはおくびにも出さない。
それどころか、ライと一緒に特派にまで平然と出入りする始末だ。二人揃って特派に入らないかと誘われもしたらしい。
「ライさんと一緒なら考えますよ」
ルーミリアの返事はあっさりしたものだが、裏の顔を知っているカレンにすればかなり危ない返答である。ライと一緒なら、という条件付きにせよ、ブリタニアに付くことを否定していない。
さて、マリーカの要件はテストのことではなく、逆にテストが行えなくなるということだった。
「実は、出張と言いますか、ユーフェミア様のお供で遠くまで出かけなくてはならなくなりました」
その上、その出張先にウラノスも持って行くという。戦闘行動ではないので、操縦技術は必要ない。これ以上は軍機に関わるので言えないが、準備も含めて一週間ほどかかる。
マリーカの言葉に、ライは素直に頷いた。しかし、彼女が去った後の表情は『蒼』のそれだった。
「………兄上が来るとはどういうことだ?」
口に出すことはしなかったが、この忙しい時に迷惑な、というのがコーネリアの素直な思いである。
第二皇子、シュナイゼル・エル・ブリタニア。現皇位継承争いの、二強の一人である。第一皇子オデュッセウスは血筋と人柄で、彼は才覚で尊崇を集めている。
もっとも、当人たちにはあまり争っているという自覚はないようだ。兄は弟に劣ることを認め、弟は兄を差し置くつもりがないのか、至って普通の兄弟という関係が続いていた。
コーネリアとも、関係は悪くない。尊敬に値する存在と、互いで認めていた。
そのシュナイゼルは増援を率いてくるという。なんと、本国防衛用の戦力を割いたのだ。本国を少しでも手薄にすることに反対の声も大きかっただろうが、彼はそれをねじ伏せた。
「…そういう果断は、さすが兄上なのだが」
第一報を聞いた時は解任かと覚悟したが、それは明確に否定された。増援部隊も、コーネリアの指揮下に入ることになる。
コーネリアとしては、正直ほっとした。ナリタに租界戦と立て続けに大損害を負った上に中華連邦とも戦わざるを得なくなった現状、戦力が足りないのは明らかだった。
しかし、増援部隊の引率くらい適当な将軍に任せればいいではないか。何も、帝国宰相たる兄が直々に率いてくる必要など、どこにもないだろう。
だから本人には別の目的があり、むしろ増援はおまけというところか。しかし、場所が場所である。
「式根島とは、また辺鄙なところに用があるものだな」
そちらの目的については、まったく聞かされていなかった。迎えも不要というが、さすがに放っておくわけにもいかない。
「ユフィ、任せたぞ」
特派が呼ばれていると言うし、丁度いいだろう。増援部隊は直接トウキョウ租界に来るため、コーネリアはそちらを組織し直さねばならない。
「ダールトンには、苦労をかけるな」
ダールトンはキサラヅでクラウディオを失い、租界戦でバートを失った。愛育してきた養子二人を弔う間もなく九州に出陣し、不十分な戦力での作戦を強いられている。
彼の心情を思えば早く駆けつけてやりたいところだが、ゼロを放置して九州に向かうのは危険すぎた。
ゼロの首さえ取れば、中華連邦など容易く叩き返せる。成算は、充分にあった。
神根島への繋ぎのために作り始めたはずだった今回…。ルーミリアさん大暴走で半分以上がルーミリア回に。
ネタとしてぱっと終わらせる予定だったのが、どうしてこうなった?