「それじゃあ、奏の副長就任を祝って…、乾杯~!!!」
井上、小笠原、桐生の三人が大ジョッキを打ち付けて、中のビールを飲み進める。こうやって、女性だけで飲みにくるというのも久しぶりのことだった。
「やっぱりこの品揃え…。悪いけどゲットーとは比べものにならないわね。…ねえ、何から食べる?」
以前の日本であれば、居酒屋くらいある程度都会の駅前ならどこにでもあったであろう。チェーン店はブリタニアの統治下で姿を消し、ゲットーで細々とやっている店はあるが、当然ながら品揃えは悪い。
この店は、ブリタニア所管の区画、つまり(隅の隅ではあるが)租界の内にある。内装は綺麗だし、仕入れもNACが協力しているので充実していた。
「…こういう光景を見ると、頑張ったかいがあったって実感するわ」
シンジュクゲットー再開発区。行政区分では租界の一部となったこの一角では、かつてのようなチェーン店の居酒屋が復活していたのである。
「皇女殿下サマサマってね。シンジュクも、昔のにぎやかさを取り戻せばいいんだけど…」
シンジュク事変にて廃墟となったゲットーの土地を強権発動で接収し、更地にするところからユーフェミアの復興事業は始まった。道路や水道などのインフラを整え、家を建て、NACと協力して企業を誘致する。
他には憩いの場として日本古来の様式に忠実な庭園を造ったりなどして、『入れ物』の建設はどんどん進んでいるのである。
だが、中身がなくては『入れ物』は用をなさない。その中身が、今回の再開発がこれまでと違う、という証拠であった。
用地押収ならこれまでにもたびたびあったが、そこに住んでいたイレヴンは何の補償もなく追い立てられた。そして造られたのは『ブリタニアのための施設』である。
今回は、そこにイレヴンを住まわせる。職を提供するのもNACが主体で、言ってみれば税金の納め先がブリタニア、というだけの日本人街ができたのだ。
「……祝ってくれるのはいいけど、まさか私が選ばれるなんて思ってなかったから、聞いた時は正直戸惑ったね。木下さんの代わり、務まるか不安だわ」
カレンに対して影響力のある旧知の二人が推挙してくれたのかと思ったが、それは否定された。その関係も考慮に入っているのだろうが、カレンは自分の意思で彼女がいいと選んだのである。
「でも、責任重大だよ。何しろうちの棟梁はあの子にお熱だから。何かあったら、本当に首が飛ぶかもね」
「やめてよ、晴香」
小笠原の冗談は冗談で済むかどうかわからない、という事は二人も知っている。河口湖の件は、幹部には話されていた。
当然、その時ライが「カレンをひっぱたいた」だけの解放戦線の兵士を斬り殺した、ということも。
「本当に愛されているわよね、あの子」
しかし、その先はため息となる。妹分がいい相手を見つけたというのに、姉分の井上と小笠原には相手がいないのだから。
(ま、私は違うんだけど…)
二人にも内緒にしているが、実は彼氏持ちな桐生である。相手はごく普通の日本人男性で、名誉ブリタニア人になって租界で働いている。リフレインの一件で改善されたおかげで、待遇は決して悪くない。
「そうは言っても、相手としてどうかと思う男ばかりだし…」
扇は真面目なだけでつまらなそう、玉城は下品、卜部は食べ物の趣味が駄目、南はロリコン…、と次々に組織の男を酷評していく。アルコールの力によって、毒舌は滑らかだ。
ちなみに村上は妻子持ち、小野寺は故郷に許嫁がいるというので、評価対象から除外されている。
「朝倉君は?」
その中で桐生が挙げた名前に、小笠原が考え込む。確かに、同僚の中では最上の選択肢かもしれない。しかし井上は、自分にその気がない事を明確にした。
「……あいつは駄目。だって、明らかに好きな奴がいるから」
誰、とは言わなかった。井上から見ると明らかなのに、目の前の本人が気付いてないのが何とも歯がゆい。
「むむむ、ナオツーは候補外か…。そうなると、本当にいい相手がいなくなるぞ…」
どうやら鈍いのは、ライとカレンだけではなかったらしい。これは朝倉も苦労するだろうと、井上は友人のために息をついた。
「へっくし!!!」
「……どうかしましたか、朝倉さん?」
心配する小野寺に対し、風邪ではないと思うが、と歯切れ悪く返す。しかしそれは、なら女の人が噂してるんじゃないですかとさらなる返しで報われた。
「………あのな、小野寺。俺が女の噂になるような男だと思うか?」
「思いますよ。自覚なかったんですか?………それに今日、井上さんが友人を連れて飲みに行ってるって話でしたし。思い人が噂してるのだといいですね」
にや、と小野寺が笑う。『蒼』は無頓着だったが、彼は気付いていた。朝倉が自分の部下に井上を希望したのは、その友人である小笠原が訪れてくることを期待してのものだったということにも。
「………『月下』のシミュレーション、もう一戦行くか?」
殺意を込めた目で促す。シミュレータであるから怪我一つ負うことはないが、何であろうとボコボコにしないでは気が済まない。
ちなみに朝倉と小野寺の実力は、ほぼ互角。村上は老練さで二人の半歩先を行き、卜部はやはり一段上の存在だった。
「いいですね。俺だって生き残らなくちゃなりませんから。生き残って、許嫁と結婚するんです」
小野寺は、元々キョウト六家の親衛隊。言ってみれば「いいとこ」の生まれである。家の都合もあり、幼いころから結婚相手を決められていた。
「でもいい人ですよ。家ぐるみの付き合いがあって、俺より三つ上の姉みたいな人でしたから」
俺たちの人生が誰かによって作られた物語なら、間違いなく今のは死亡フラグだな、と朝倉は物騒なことを思う。しかし小野寺は、それも弁えて言ったのだ。
「大丈夫ですって。『蒼』はちゃんと、俺たちが死なないように考えてくれますから」
そう信じられる人だからこそ、小野寺は残ったのだ。「御国のために死ね」などとほざく指揮官であれば、いくら神楽耶の命令であっても見限っていた。
「俺は日本を取り戻したいですが、それは彼女と幸せな家庭を築くための前提ですからね。もちろん皇家に対する忠誠だって嘘じゃありませんけど、彼女に比較できるものなんて存在しませんよ」
にっと笑いながら言う相手に、なるほど、こいつは死なないなと何となく納得した朝倉である。追い込まれようが、ちゃっかり生き残る要領のよさがある。
その後のシミュレーション勝負は一戦で終わらず、それまでと合わせて5勝4敗で朝倉が勝った。最後の一本について、「実機なら殺してでも勝つ気でしたね、あれは」とは小野寺の感想である。
「……ところで、二人とも新型を使うんでしょ?」
少々声を潜めて、井上が聞く。四人用の個室ではあるが、具体的な名称を出さない程度の用心はしている。
「私の方は、数が余れば、だと思うけど。晴香は間違いないでしょうね」
「そうなんだけどねー。ぶっちゃけ不安」
真田が抜けて、通常部隊は五部隊編成になった。隊長を務める五人の中で、自分が最も弱いという自覚が小笠原にはある。
「何であたしがいまだ隊長やってるのか、自分でもわからなくなることがあるんだよね。そりゃ操縦にはそれなりの自信があったけど、せいぜい『上手いアマチュア』だよ、あたし」
それは違う、と井上は思う。小笠原が『アマチュア』なら、自分など素人でしかなくなってしまう。ライやカレンを基準として考えているからおかしくなるのである。
(でも、下手に持ち上げて天狗になるよりか卑下していた方が…)
そう思ったのは桐生も同じらしく、二人ともあえて慰めの言葉を一切口にしなかった。
「……もちろんあたしだって死にたくないから、誰かに教えを請おうとか考えてはいるんだけど」
誰に請うか、が問題なのである。ライの緻密さは真似できない。カレンは同じ感性タイプであるが故、教官とするには不安がある。ルーミリアは後衛であり、戦闘スタイルが違う。
「うちのカルテットで残るはネジュちゃんってことになるんだけど、幼女に教えを請う光景を想像してみてよ…」
その躊躇は理解できる。はっきり言って、情けない。隊長の威厳など木端微塵に吹っ飛ぶだろう。
「そうなるとやっぱり朝倉あたりに相手してもらえばいいんじゃない?私、頼んでみようか?」
「うーん、やっぱりそれがいいかなあ…。よし、お願いするわ!」
援護射撃はしてやったぞ、後はがんばれ。そう井上が思った時、小野寺と対戦中の朝倉がまたくしゃみをしたかは定かではない。
「………で、あのネージュって子、何者なの?後になって知ったんだけど、参入者の選別はあの子がやっているとか…」
当然、桐生もその洗礼を受けた一人である。その時は扇の隣にちょこんと座っているだけで何でここにいるのかと思ったのだが、裁定はその少女が握っていたのである。
「ぶっちゃけ、あたしたちにもわからんのよ。よくよく考えてみるとあんな子供がいるなんておかしいと思うのに、何でだか『あの子は例外』って認めちゃっててさ」
戦う意志も力もある。決して強制したわけではない。そうは思うのだが、どうも認めた後の言い訳に思える。どうして認めたのか、その最初の所がわからない。
「催眠術でも使われたのか、ってくらい不思議なのよね。あの子のことで知ってることなんて何もないくらいなのに、別に変だって思わないのだから」
噂レベルでなら、いろいろある。例えば素性に関してならブリタニア皇帝の隠し子、EUの大物政治家の娘、実はライの娘、と言った具合だ。
ちなみに最後の噂については、本人曰く「天涯孤独」らしいのでカレンが養女にして引き取ろうと考えているとかいないとか。
「…まあ、強くて頼りになる味方だっていうのは間違いないから、根掘り葉掘り追求する気はないんだけど。そのうち本人が話すでしょ」
桐生もすっかり懐柔された一人らしい。井上や小笠原はネージュにいろいろな服を着せて楽しんでおり、遠目から見るだけだった彼女も実は興味津々だったのである。
ちなみに、撮った写真の売り上げは山分けされ、この飲み会の軍資金になっていた。
「そうだねー。そういうことはいつかのことにして、今日は楽しみましょ。…おっ、来た来た」
その豊富な軍資金を使って、三人は天然物の刺身十点盛りや黒毛和牛のすき焼きといったこの店の高額品をどんどん注文していく。少なくとも玉城主催の飲み会ではありえない豪華さである。
「んー、やっぱりこういう時は贅沢しなくちゃね~」
これだけでも、ネージュには感謝するべきではないか。三人揃ってそんなことを考えながら、夜は更けていった。
内容は井上、小笠原、桐生の三人が飲みに行ったというだけ。
何でこんなのを書いたかというと、桐生というキャラについて盛大な勘違いをしていた人がいたためです。
(名前が「
ちなみに小笠原さんの名前は「晴香」にしました。
2014/08/13 居酒屋について指摘があったので加筆しました