学校に皇女殿下がやってきたその日、『天叢雲』の方にも賓客が来ていた。神楽耶である。
「ようやく話がまとまりましたわ、お義兄様」
解放戦線から何人か人材を出向させてくれ、という話のことだ。ただ、神楽耶には満足いく結果ではなかったのか、少し不機嫌そうだった。
「……藤堂だけは、何としても譲りませんでしたわ」
七年前のブリタニアの侵攻で、ナイトメアもなかった日本が唯一勝利した戦い。それを指揮した男が『奇跡の藤堂』こそ藤堂鏡志朗である。神楽耶としては何としても義兄の片腕になってほしい存在だった。
しかし、だからこそ片瀬としては何としても手放したくない存在である。すったもんだの末、さすがの神楽耶も折れざるを得なかった。
「その代り、と言うには口幅ったいが、俺が四聖剣の一人、卜部巧雪だ。まあ、好きなように使ってくれ」
神楽耶の激怒を恐れた片瀬が譲歩したのである。しかし藤堂は反対しなかったのだろうか。一角の欠けた四聖剣の戦力は、一以上の減算を余儀なくされる。連携も考え直さねばならないだろう。
ライが率直な思いを口にすると、卜部はばつが悪そうに頭をかきながら答えた。
「まあ、そうなんだが…。これは他言しないでくれよ。みんな、片瀬少将じゃどうもな…、という思いがあってな…」
卜部の言葉に、後ろに控えていた三人うち一人が沈思で、二人が苦笑いで答える。沈思した一人は四十前後、残る二人は二十代だろう。
「解放戦線中尉、村上武。これよりよろしく願う」
四十前後と思われる男は、短く自己紹介をして黙り込んだ。見かねた卜部のフォローによると、とにかく無愛想で無口な男らしい。
「だが能力は折り紙つきだぞ。仙波大尉の下で副官のような立場だったこともあるしな」
旧日本軍で兵士から叩き上げた、生粋の軍人である。実は彼のような『ベテラン』は天叢雲に欠けていた存在で、経験に裏打ちされた判断力が侮れないことはライも知っている。
「解放戦線少尉、朝倉尚人。扇たちの前リーダーだった紅月は名前が同じだったということもあって、気の合う奴でした」
残る二十代の二人のうち、一人は旧扇グループのメンバーなら知る相手だった。
「朝倉…。お前が来てくれて、紅月も喜ぶだろうよ」
解放戦線の一部隊がトウキョウ租界で作戦を行った際、地元のレジスタンスとして扇グループに協力を求めたことがある。
その時の使者になったのが彼で、リーダーとは名前が一緒だったことから会話が弾み、すっかり意気投合したらしい。
最後の一人は解放戦線ではなく、神楽耶が前々から目をつけていた存在であったという。
「小野寺達之と申します。若輩者でありますが、全力を尽くします」
キョウト六家も親衛隊というべき存在の、独自の軍事力を持っている。その中で若手の有望株を出したのだ。実戦経験は少ないが、軍事エリートとしての教育は受けている。
神楽耶としては、ライの力を吸収して大きく育ってほしいという思いもあるのだろう。
「充分すぎるほどだよ。ありがとう、神楽耶」
ライに頭を撫でられて、神楽耶は満面の笑みを浮かべた。
「……それと、お義兄様にお伝えしたいことが」
神楽耶が居住まいを正し、皇家当主としての顔で言う。今から伝える内容はとても重大なものだろうと判断したライは、自分と神楽耶以外の人間を下がらせた。
「桐原や他の家のことです。私にも内緒で、いろいろ動き回っているようでして…」
先日のホテルジャック事件で使われた『雷光』や、黒の騎士団への隠密裏の援助。神楽耶の前ではさも「ライこそ救国の英雄」という口ぶりであるが、腹の底に別な考えがあるのは間違いない。
「ゼロを使って、お義兄様を抑えるつもりでしょう。桐原達らしい、姑息な考えですわ」
総家の当主として崇めておけば満足するだろうと思っていた少女は、決して人形ではなかった。桐原の行動から見事に目的をあぶりだして見せたのである。
「………」
その程度、ライも感づいている。はっきり言ってしまえば、キョウトで表裏なく信用できるのはこの義妹だけと言っていい。
「お義兄様には、これから私からも情報をお届けしますわ。皇家には、他の六家にも知らせてない独自の諜報機関がありますから」
キョウトの諜報機関は六家が長い年月をかけて日本中、さらには外国にも張り巡らした組織である。しかし、それはまだ表の部分で、その暗部にあるのが神楽耶の言った組織だ。
歴代の皇家当主にのみ忠誠を誓い、場合によっては六家の行動すらも探るという。それがあったからこそ皇家は六家総家の地位を不動のものとしてきたのである。
「もはや桐原達の届ける情報は、完全に信を置けるものとは言えません。そして、私だけは決してお義兄様を裏切りませんから」
それに対し「兄が妹を信用するのは当然だろ」と言われ、この後数日間神楽耶は非常なご機嫌で、付き人たちがかえって気味悪がったほどだったという。
もう一つ、神楽耶が伝えたいのが違法薬物のことである。
「『リフレイン』と申しまして、幸せだった過去の記憶を呼び起こすというものですわ」
日本人をターゲットにした薬物として、これ以上の物はないだろう。ブリタニアにとっても看過できない代物であるが、それ以上に日本にとっては害毒でしかない。
それが、ここ最近とみに蔓延してきている。どうやらかなり太い密売ルートがあるようで、神楽耶はそれを探っていた。
「わかった。それは、僕が潰す」
礼を言い、神楽耶は帰って行った。
「幸せだった過去の記憶を呼び起こす麻薬ね…。理解できないわ」
カレンが「理解できない」と言ったのは、「そんなもので満足する人の気持ちが理解できない」と言ったのである。
その『幸せだった過去』を奪った相手は明確ではないか。ならば戦って、取り戻す。それが、彼女の出した答えだ。
彼らは戦うことを諦め、まやかしを慰めとする。その行為に対する怒りを感情のまま隣の少年にぶつけてしまったのだが、返ってきた答えは彼女の期待していたものではなかった。
「あまりそう言うものではないさ。全ての人に、戦う力があるわけじゃない。泳げない人を水に叩き込むのはただの苛めだ」
「でも!!!」
「………だから、僕たちが戦うんだ。そういう人たちの思いも背負ってね」
そう言われ、カレンの勢いは一気にしぼんだ。
『天叢雲』は、不思議な刀だった。
『汝、いかなる思いで我を佩く』
見ていると、そう語りかけてくるようにすら感じる。その問いに対し、ライは答えを見つけた。
「戦う力のない、弱き者を護る。それが護国の剣を手にした者の責務だと僕は思う」
記憶がなく、成り行きでレジスタンス活動に参加することになり、総司令として祀り上げられた彼が見つけた、戦うべき理由である。
「………なんだか、『正義の味方』みたい」
それもライには似合っているとカレンは思ったが、言われた方は冷たい声で言い返した。
「勘違いしないでほしいな。これは正義の味方では、決してない」
ライが日本人を『護る』ということは、ブリタニアの誰かを『殺す』ということに繋がる。そのブリタニアの誰かにも何か戦う理由があるはずで、それはもしかしたら同じ『誰かを護る』ことかもしれない。
「所詮、戦争はエゴとエゴのぶつかり合いだ。自分に『正義がある』と思うのは、自分のエゴイズムを肯定したいからにすぎない」
人それぞれに正義がある。それを理解せず『自分が正しい』と言う人間は傲慢の塊で、知ってて『正義の味方』などと自称する奴は詐欺師の類だと思えばよい。
(……と、偉そうなことを言ったけど)
自分が戦う本当の理由は、もっと単純なことかもしれない。しかしそれは心の中だけのものでよく、またはっきりとした言葉になっているわけではない。
「……どうしたの?」
いきなり黙り込んだライを、カレンがいぶかしがる。
「……いや、さすが四聖剣や本物の軍人。見事な手際だなって」
モニターに映し出された情報は、全部隊の展開が終わったことを示していた。
リフレイン撲滅のために、ライはほぼ全戦力を動かした。手元に残したのは直轄隊とカレンを隊長とした精鋭部隊のみ。実戦部隊の一~五番隊を五カ所の倉庫にぶつけたのだ。
戦闘隊長とした卜部とその部隊が遊軍。あとは一番隊から順に村上、朝倉、小野寺、小笠原、真田の各部隊になる。小笠原と真田の旧扇グループ二人は頑張っているが、やはり経験の差は大きい。
ライとカレンの部隊は、よほどのことが起こらない限り参戦するつもりもない。起きるはずもなかった。各部隊にナイトメアは六機。麻薬の密売組織などが相手になる戦力ではない。
作戦開始からほどなくして、各部隊から制圧完了の報告が入る。ナイトポリスがいたという想定外の事態はあったものの、損害は皆無と言える程度で作戦は終了した。
押収されたリフレインが、うず高く積まれる。
「ひゅう…。これ全部捌いたらとんでもない額になるだろうな…」
「冗談でも言うものではないぞ、玉城」
たしなめた扇であったが、以前の弱小貧乏グループであれば売り捌こうと考える声はもっと大きかったであろう。扇とて、まったく誘惑に駆られなかったわけではない。
「悪かったよ、後方勤務主任殿。俺だって本心じゃねぇ。こんなものを売った金で弾薬を買ったりしたら、祟りかなにかで暴発するかもしれねーからな」
それも、資金が足りているから言える冗談であった。本当に切羽詰った状況なら、祟りなど気にしていられない。
『天叢雲』成立後、扇に与えられた役職は『後方勤務主任』というものである。簡単に言えば物資、資金の管理や隊員のスケジュール管理の総責任者で、前線からは外れた。
それでよかった、と扇は思っている。足りない物資を手配したり隊員の悩みを聞いたりするのなら、自信を持ってできる。
今回は、リフレイン以外の押収した物資の選別が役割だった。軍需物資などがあれば、それはありがたい。特にグラスゴーを改修したナイトポリスの機体は、最前線は辛いだろうが援護や陽動ならば十分使える。
そして見落としている物資がないか奥の方まで調べに行った扇は、中毒患者の中に見知った顔を見つけた。
ライ君も総司令になって戦う理由をはっきりさせました。ルルーシュが覇道を進むなら、私のライは王道を進みます。
……ですが、本当の理由は誰もがわかっていると思いますけど。