「………」
学校に行こう、とカレンは思った。ここは自分の居場所じゃない。学校に行けば、彼に会える。自分が自分でいられる場所は、そこしかないのだから。
「怪我一つなかったと聞き、お父様にも報告しておきました。本当に悪運だけは強いようで…」
人質から解放されて帰ってきて、継母の第一声がこれだった。「死んでくれていればよかったのに」という内心を隠す気もなく、それだけ言ってさっさと部屋に引っ込んだ。
慣れたと言えば慣れている。自分は愛人の娘であり、彼女は本妻で子供はない。嫉妬と羨望と憎悪と日本人に対する軽蔑が絶妙にブレンドされた物言いは、この家に来てからずっと味わってきたものだ。
どんな家族でも、同じ家に住んでいる以上無事である姿を見せるのが義務。そう思ったカレンは久しぶりにシュタットフェルト家に帰ったのである。
父はいない。今は本国で、貴族としての務めを果たしているはずだ。人脈を広げるためと称して連日パーティにでも参加しているのだろうとカレンは思っているが、確かめたことはない。
父親が何をしてようが、どうでもいいことだった。血縁上の父親というだけで、精神上の父親としてならずっと兄や扇の方がそう思える。
それでも自分が衣食住に困らず、この家から追い出されないでいるのは彼の厳命であるからで、だから継母は嫌味を言うくらいのことしかできないし、旦那の前ではそれもない。
それは、自分の血を引く者がカレン一人だけという理由だろうが、とにかく自分と一人の使用人は狭い物置部屋で暮らさずに済んできたのだ。
久しぶりの私室は、綺麗に掃除されていた。別にカレンが綺麗好きで、きちんと片づけて出かけるわけではない。
むしろ逆で、掃除は大の苦手だ。好きにさせておくと散らかり放題、脱ぎっぱなしの服を片づけようと持ち上げると足元に下着が落ちるなどというのはざらにある。
だから、この部屋が片付いているのは、誰かが片づけたからである。
「………」
カレンの趣味や意向を把握し、文句の付けどころがないほど整った部屋。それが逆にカレンには苛立たしい。だから夜明けも待たずにはね起きて、誰も気づかぬうちに家を飛び出した。
休日の、まだ暗い内。道には人も車も全くと言っていいほど通らない。しかしカレンの心は弾んでいた。
それが『当たり前』になってしまった彼女は気付かなかったが、かつては朝の人通りの多い同じ道を憂鬱に通っていたのだ。ましてや、休日に学校に行くなど考えたこともなかった。
(朝ご飯を作って…、今日は服を買いに行こうかな…)
昨日のホテルジャック事件で、ライはせっかく旅行のため新調した服を血まみれにしたのである。本人は染みさえ落ちれば気にしてないのだが、ニーナなどはトラウマ物だろう。
(彼女、しばらくライと会話ができないでしょうね…)
『蒼』としての顔を知っているカレンでさえ驚いたのだ。他の人なら驚愕というより恐怖であろう。とりあえず現場にいた生徒会女子内だけの秘密ということにして、闇に葬ることに決めた。
学校はひとまずそれでいい。他の客には、軍の関係者という出まかせを信じてもらった。幸いユーフェミアという存在がいたため、その影目付としてついてきた軍人と言えば納得させることができた。
問題は軍部であろう。カレンはなおざりな聴取を受けたものの、人を斬ったライはコーネリアが直々にやってきたらしい。
とはいえ、斬ったのは解放戦線の兵士である。むしろテロリストと戦った勇敢な少年というわけで、危険視されて24時間監視される可能性は低いと考えていいだろう。
コーネリアが個人的に興味を持って調べるくらいはするかもしれないが、それだけで『蒼』と断定はできないに違いない。偽造IDの件が問題になるにしても、それはアッシュフォードの問題である。
あとは、その時になって対応を決めるしかなかった。
「ふぁ…、さすがに眠い…」
学生生活に『天叢雲』の活動、それに主婦業までやっているのだから、疲れるのも当然である。最近はルーミリアと交代制になったが、いくらなんでも今日は早起きしすぎた。
今日の当番は自分だが、部屋でもう一眠りしてから朝食を作っても充分間に合うだろう。
ちなみにクラブハウスでの食事は三人一緒なので、ライバル心剥き出しの女子二人が腕を競い合うのは言うまでもない。下手なものを出すと、相手から蔑みの視線を受けることになる。
「…そうだね、寝よ」
掃除下手でとても人には見せられない、アッシュフォード学園のクラブハウスの一部屋。もう自分の部屋とはそこであって、あのシュタットフェルト家の整った部屋ではない。
そう思いながら自分の部屋に入ったカレンは、すぐにベッドで眠りこんだ。
体が揺すぶられる。
「んー、あと5分…」
「カレン、起きないと料理が冷めるぞ。今日は出かけるんじゃなかったのか?」
男性の声で、はっとした。そうだった。彼の朝食を用意しなくてはならないのだ。三度寝の誘惑に打ち勝ち、体を起こす。
「ご、ごめんなさい、ライ。すぐ用意するから…」
しかし、その相手は真っ赤になって固まった。どうしたのだろうといぶかしんだカレンであったが、理由はすぐに思い当たった。
「………」
この部屋に入って、自分はベッドに直行した。そういえば鍵をかけた覚えがない。部屋は散らかり放題で、そこかしこに脱いだ服が散乱している。
今朝も面倒だから寝巻に着替えることはせず、しかしそのままの格好では寝にくいので脱ぎ捨てた。勢い、下着まで放り投げてしまったことを思い出す。
布団の下の自分がどういう格好で寝ていて、であれば起き上ればどうなるか。それを理解した瞬間、羞恥で真っ赤になった。
「いっやああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
絶叫が、クラブハウス中に響き渡った。
学校は休みではあったが、スザクは生徒会に顔を見せた。生徒会室は休日には談話室となり、大抵いつものメンバーが集まってくるのだ。
ここ最近は特に集まりが良く、その裏にライの菓子という目当てがあるのは間違いない。しかし今日は、どうやらそれどころではなかったようだ。
「ルルーシュ、あの三人、どうしたの?」
ライとカレンは顔を赤らめ、相手の様子をちらちら伺う。そのくせ視線が合うと慌てて逸らす。その隣ではルーミリアが終始不機嫌で座っている。
いつもならルーミリアがライに寄り掛かったりしてカレンが不機嫌になり、しかしそのじゃれ合いをどこか楽しんでいる雰囲気があった。だからいつもと違うということだけは、スザクにも理解できた。
「い、いや、なんでもない。お前は気にしないでいいからな、スザク」
あの絶叫を聞いたルルーシュは事情を知っている。しかし言うわけにはいかなかった。下手に口にしたりすると、それだけでライに殺されかねない。
「まあいいんじゃない?しっかり責任とってもらえば…」
さすがのミレイも、ほんのり頬を赤らめて苦笑いしながら言う。
部活前に顔を見せてこの場に出くわしたシャーリーは「あは…、あはは…」とひきつった顔で笑うだけだ。
ルルーシュは赤くなって口の中で何かごにょごにょ言いながら、目を合わせようとしない。
「あ、あの…、結婚式には私も呼んでください!!!」
ナナリーすら、テンパってこう言い出す始末。
「ライさんに責任とってもらえるならここで脱ぎます!!!」
ルーミリアに至ってはとんでもないことを言い、そして本当に脱ぎ始めた。普段なら制止役のカレンがフリーズしていたため、シャーリーが必死に止めたのだ。
そして今朝の臨時生徒会で、この一件は絶対他言無用と決まったのである。
「……それよりスザク、お前こそどうしたんだ?その頭…」
「え?ああ、この包帯?ちょっと階段で転んじゃって…」
嘘である。とてつもなくベタな嘘であり、一万人集めても信じる人はいないだろう。だがこの親友は、十万人に一人ならいたかもしれない相手だったのである。
「そうか、お前は案外そそっかしいからな。何にせよ気を付けてくれ。ナナリーが心配する」
ライもルルーシュも、明敏なくせにどこか抜けている。そう思ったスザクだったが、他人からすれば彼も同類だろう。
無論スザクの傷は、河口湖で柱に叩きつけられたときにできたものだ。
河口湖で戦ったアンノウン。あれは、ロイドに言わせると「人間の作れるものじゃない」と言う。
「だって僕の『あれ』ですらここまで気違いじみた性能じゃないし、まだ完成してないし…」
『あれ』とは何か。疑問に思ったスザクが聞いてみると、予算無視の妥協なしで、考えうる限りの性能を追求した機体を設計していたらしい。
結果、ラウンズでもその全能力を発揮できないだろうという恐ろしい機体になったのである。完成さえすれば間違いなく世界最強の機体であり、研究者であるロイドの誇りであった。
ちなみに、その機体から「妥協して実現可能な部分を集めて作った」機体がランスロットで、さらにもう一機「一人じゃ乗りこなせないから機能を絞った上二人乗りにしてみた」機体があるらしいが、これもまだ完成していない。
「ブリタニアの技術の粋を集めた『あれ』を上回る機体なんてあるはずないもの。そんなものを開発できる国があったら、今頃ブリタニアは負けてるよ」
さらに、あのアンノウンが使った光学兵器もまだ実験段階の装備だ。ロイドによれば「あと少しで完成」らしいが、とにかく今のところ実戦で光学兵器が使われたという記録はない。
しかもその威力は、ランスロットのヴァリスと比較してなお『桁違い』という…。
「スザク?…どうした?」
「え?…ああ、大丈夫。わかった、気を付けるから」
あのアンノウンが何だったのか。考えても分かるはずもない。とどめを刺されなかった理由もわからない。もう二度と会いたくないと願うぐらいしかできることはないだろう。
とにかく、ランスロットは修理が必要になった。ロイドは意気消沈していたが、スザクは数日は学校に行って穏やかな日々を楽しめる。
その予感は当たり、確かに『数日』は楽しめた。小さな嵐ならあった。翌朝、ルーミリアが寝坊したのだ。
結局、前日は寝坊してしまったカレンに代わって彼女が朝食を作ったのだ。というわけで次の朝はその借りを返すことになったカレンが担当で、別に彼女が寝坊しても問題はない。
だが嫌な予感がしたカレンがライを押しとどめて部屋に行ってみると案の定裸で寝ており、起こしに来たカレンとの間でかなり激しい言い争いが起きたのである。
……ただ、それは本当に小さな嵐であった。その後、とんでもない嵐がやってきたのである。
「あー。いきなりだが、転校生を紹介する」
教師に促されて入ってきた転校生の姿を見て、生徒の何人かは椅子から転げ落ちそうになった。
「ユーフェミア・リ・ブリタニアと申します。学園の外ではいろいろありますが、ここでは普通の生徒としての生活を過ごしたいと思っています。みなさん、よろしくお願いします」
いきなりの皇女殿下の登場に、クラス中が固まった。
「えー、説明すると長いようで短いんだけど…」
その日の放課後、生徒会にて皇女殿下編入のいきさつが語られた。表向きは、エリア11副総督就任前に通っていた学校を中退したことになっているので、足らない単位の取得のため。
もちろん、それは表向き。ミレイが言いよどむ裏の事情を、この皇女はあっさりと言い切った。
「わたくし自身が説明します。ライともっとお話ししたかったからです」
河口湖のホテルで出会った少年に、自分が至らないことを思い知らされた。だからもっと話をしたいと思ったのであるが、副総督であるから気安く会うことができない。
それに妙な男と会っているなどとコーネリアの耳に入ったら、何を言われるかわかったものではなかった。
「ですから、わたくしもこの学園に通うことにしたのです。生徒同士なら気軽に話していても何の問題もありません」
いや、他が問題大有りなんですけど…、とツッコみたい生徒会メンバー一同であった。よくあのコーネリアが許したものだと思うが、何と言ってもユフィが聞かず、しぶしぶ許したらしい。
「そして、わたくしもこのクラブハウスに住み込むことにしました。これならいくらでもお話しできます」
アッシュフォード学園は貴族の子弟も通う学校なので、警備は元から厳重だ。充分コーネリアの基準をクリアしていたし、身の回りについては従卒を一人連れて行くということで話がまとまったらしい。
「本当は自分のことは自分で行いたかったのですが、家事の経験が全くありませんから…。あ、でも、お湯を沸かすくらいならできますよ?」
それは家事と言えるのだろうか…。ツッコむ代わりに、全員がそろってため息をついた。
その従卒も、河口湖に行ったメンバーは知らない顔ではなかった。
「マリーカ・ソレイシィです。私は中等部に所属することになりました」
噂を聞いて、自分から志願したという。本来なら高等部に所属でき、普段の護衛も兼ねられる人材が望ましかったのであるが、いきなりのことなので都合がつかなかったらしい。
最初はまあ皇女殿下の覚えがいい立場だから…、と思ったカレンであるが、ライの方をちらっと見て、気付かれたら慌てて目を逸らしたのをカレンは見逃さなかった。
(この小娘もか!)
女性を引き付けるフェロモンでも発しているのだろうか。ついそう思って隣の少年を見たカレンであったが、さらにその向こうでルーミリアが怖い顔をしているのに気付いた。
「ソレイシィ…、ですか」
ルーミリアのつぶやきは大して大きな声でもなかったにかかわらず、生徒会の空気を凍らせた。
「え、えーと、先輩?あの…、私に何か…」
「別にあなた個人には何もありませんよ。アイザック将軍の息子の末裔ですよね?」
アイザック・ソレイシィ。『王』に抜擢され特に活躍した三人の将軍である『三傑』の一人だ。だからルーミリアの先祖であるエリス嬢と、同じ人に仕えたことになる。
「はい、ソレイシィ家の祖は『王』の重臣であったアイザック将軍です。なるほど、エリス嬢の末裔ならアイザック将軍もご存知…で…」
ルーミリアの睨みつけに、マリーカの語尾が沈む。普通なら『王』の重臣の末裔同士、会話が弾みそうなものだが…。
ルーミリアはおもむろに立ち上がり、生徒会室から出て行ってしまった。
「失礼しました。でも、アイザック将軍の末裔が純血派の領袖というのが、どうしても許せなくて…」
『天叢雲』のアジトに向かう途中、ルーミリアが理由を説明してくれた。その説明によると、アイザック将軍は『王』に抜擢されその思想に沿って戦った人で、この人は尊敬に値する。
問題はその息子だ。リカルドに重用され、彼女に言わせれば「『王』の思想を忘れ果てた」のだという。皇太子との縁談を蹴ったエリス嬢の末裔としては、裏切者に近い思いを抱いていた。
「…まさか、国粋思想も捏造?」
カレンの疑問に、ルーミリアは当然と言わんばかりに頷いた。
『王』といえば国是の体現者。当然リカルドと同じく国粋主義者として語られる。だから純血派の中には、自分たちの行動は『王』の思想に沿ったものだと言う人間もいる。
「『王』は身分出身で人を区別しない人でした。『実力至上主義』というのは確かにあってますけど、その徹底ぶりは今のブリタニアの比ではありません。宿敵であったフランス人すら登用しましたから」
自分が信じてきたものは何だったのだろう、とカレンは思った。ルーミリアが語る『王』の歴史は、歴史の参考書とは正反対と言っていい。
「あれ?でもスコットランドの大虐殺は…」
「それだけは、『王』も人だったということでしょうか…」
珍しく、『王』のことでルーミリアが言いよどんだ。自身がナポレオンと戦っている間、背後で領地を掠め取るスコットランド王国に好意を持てないのも当然だろう。
そして、『王』はこの国のことだけは『北の蛮族』と蔑称で呼んでいた。元々はリカルドのような国粋主義者が使う言葉だったため、『王』が国粋主義者というイメージの元になったのである。
「まあ、嫌いな国があるのは誰だってそうだろうけど…。だからと言って、民衆にまで武器を持たせて玉砕させることはないじゃない」
カレンが批難めいた口調で言う。それについてだけは、ルーミリアも擁護できない。だが、彼女に言わせると「エリス様でも何故そんなことをしたのかわからなかった」らしい。
『王』の最後の戦いは、あまりにも異常だった。援軍を求める使者を出したにもかかわらず城を出て戦い、そして敵味方全滅という結果に終わったのだ。
実家に帰省中だったエリス嬢も、各地に駐屯していた重臣たちも、何故あの『王』がそんな無謀な戦に打って出たのか、誰も理解できなかったのである。
その横で、ライは頭を押さえていた。
「ライ、どうしたの?…また頭痛?」
見えたものは、原野を埋め尽くすほどの死体。二人の会話の光景が、写真のように脳裏に写し出された。
込み上げてくる吐き気を、ライは必死で抑えていた。
今回は、メインヒロインの面目躍如?リフレインで寝ているシーンを見ていたら何か思いついてしまったという…。
そしてルーミリアは全くぶれません。『ライ>>恥』なのが彼女です。そこにルルーシュがいたことなど眼中にありません。
ロイドさんの『あれ』は、『白銀』の方での私の投稿を知ってる人ならわかったかと思います。設定は色々変わりますが、『万能の最強機』でありただ一人を主とする点は不変です。
ちなみにこの話では、「ロイドが作った神虎」という設定です。
そしてユフィ。クラブハウスがさらにカオス化しました。先に言っておくと青月編同様、ルルーシュたちとは表面上「ここで初めて会った」という感じで接しています。
マリーカはルーミリアほど吹っ飛んでない「ライを好きになった一般的なブリタニア人」という立場で考えています。