悪を名乗りし者   作:モモンガ隊長

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22話 異形の悪

 真夜中の双子岬は打ち寄せる波と吹き抜ける風の音色が海のハーモニーを奏でる。時折刻まれるスクリームが途絶えた頃、ラブーンが牽引するクロッカスの船が岬へと戻って来た。

 

「ご苦労だったな、ラブーン」

 

 クロッカスが労いの言葉をかけると、ラブーンはブォォォォと一鳴きして海底に潜って行く。不気味な静けさと停泊中の海賊船を見て、クロッカスの緊張感がいやが上にも高まる。

 

「無事でいろよ……小僧、小娘」

 

 一抹の不安を胸にクロッカスは小屋へと急ぐ。小屋に飛び込んだクロッカスは、むせ返る雰囲気に思わず腕で鼻を塞いだ。

 

「むっ、これは……」

 

 小屋の中は錆びた鉄の匂いで充満し、床はおろか壁や天井まで赤く染まっている。そこかしこに散らばる肉塊は人間だった頃の面影を残す。さらに家具や壁に刀傷や銃痕などの激しい戦闘の名残があった。

 クロッカスは警戒しつつ周囲を窺う。奥の診療室から気配を感じて静かに接近する。診療室と言えばケアノスが寝ている部屋であり、クロッカスは小さく汗をかいた。入口からゆっくりと部屋を覗き込むと――。

 

「こ、小僧!?」

 

 クロッカスは我が目を疑った。中には血塗れのケアノスがいて、周囲には無数の死体が横たわっている。

 

「……糞遅ェよ、Dr.クソッカス。な~んちゃって、おかえりィ」

「ど、どうなっている? 何を……ッ!?」

「ん? これ? 海賊っすよ、海賊」

 

 そう言ってケアノスは微笑む。しかし、その様子は常軌を逸していた。ケアノスは床に腰を下ろし、指先で器用に塊を回す。その塊は首から上だけとなったエンデュミオンであった。

 

「このゴリオが偉そうに『ぼくエンデュミオン』なんて人間様の言葉を話すからさァ、ちょっと説教してやったンだよォ、フフフ」

 

 エンデュミオンの脳天に人差し指を立て、頬をペチペチ叩いて回転を加速させていく。滴り落ちていた血があたりに飛び散った。

 

「ああ、連帯責任って事で海賊団ごとゴチになっちゃいましたァ。22人しかいなかったけど、それなりには満たされたよォ。だってェ、腹ペコだったしィ、貧血だったしィ、男の子の日だったしィ……エヘヘ」

「どうして動ける? 死んでも可笑しくない大怪我なんだぞ!?」

「えっ、スルー? ツッコめよ! 空気読もうぜ、クソッカスさんよォ。せっかく体張ったってのに、その辺に転がってる船長が不憫だろ? なんつったっけ……えっと、なんとかクス……なんとかクス……シャンクスだっけ?」

「なに、シャンクスだとッ!?」

 

 クロッカスは目を見開き、慌てて死体の顔を確認する。

 

「あっ、違った……リンクスだ! ゴリオも『リンクス船長ォォォォ』って呼んでたしね、アハハハハ」

 

 エンデュミオンの口をパクパクと動かし腹話術の真似事をして見せるケアノス。正気の人間が取る行動ではない。

 

「小僧、あたま……いや、体は大丈夫か?」

 

 クロッカスは怪訝そうにケアノスを見た。昨日までは確かに瀕死の状態であり、それはクロッカス自身が確認している。目の前の現実は信じられない状況に他ならない。

 

「う~ん……大丈夫と言えば大丈夫だけど、大丈夫じゃないと言えば大丈夫じゃないよォ。実際危なかったもん。マジ死にかけたしィ、ガチ殺されかけたしィ、クソじじいは帰って来ないしィ……どんだけェって感じだよォ」

「帰りが遅くなった事は謝る。すまなかったな、言い訳するつもりはない……実は、海軍が街を封鎖していてな「言い訳してるやーん!」むっ」

「フフフ、どう? マオ風ツッコミは?」

「そう言えば小娘は無事なのか!?」

「えっ、マオ? マオはねェ……えーっと、それよりボクのツッコミはどうだったァ? ねェねェ、ボクのツッコミ良かったでしょ?」

 

 ケアノスにとってマオの安否よりもツッコミの評価こそが重要となっていた。クロッカスは呆れるが、そこは彼も大人である。

 

「……悪くなかったぞ。それで、小娘は?」

「フフフ、船室で寝てるよォ。ちょっと殴られてタンコブ出来てるけど、今のボクよりは全然元気さ」

「そうか……とりあえず、“それ”を置け。遅くなってしまったが、治療を再開しよう」

「ホント遅かったねェ……でも、全然ムカつかなかったし、イライラもしなかったし、使えねェジジイはマジ老害だなァとか微塵も思ってなかったから気にしないでイイよォ」

「……思っていたのだな?」

「うげっ、バレた!? ククク、まぁイイや」

 

 ケタケタ笑うケアノスに近寄り、傷の具合を診たクロッカスは驚愕した。奇行ばかりに目を奪われていたが、瀕死の大怪我だったケアノスの傷が癒えてきていたのである。

 

(バカなッ!? 有り得ん! 裂傷や擦過傷はともかく、あの火傷が一日やそこらで治るワケがない。特に炭化した腕は切断するしかないと思っていたが……どうなっている!?)

 

 直接患部に触れて診察を続けるクロッカスの表情はどんどん険しくなっていく。

 

(この銃創はまだ新しいな……しかも、心臓を撃たれているのにほとんど出血しておらん。何かでコーティングしているのか? しかし一番不可解なのは、やはり火傷だな。例え治癒したとしても痕は残るはずだ……なのに)

 

 ケアノスの胸には銃痕はあっても火傷痕は見当たらない。

 

(流石に炭化していた箇所はその名残があるな。完治はしていない……が、確実に良くなっている。いや、良くなると言うよりは――)

「フフフ、医学的好奇心は尽きませんかァ?」

 

 ケアノスはクロッカスの内心を見透かしたように笑っていた。

 

「……ああ、恐るべき回復力だ。実に興味深い」

「だろうねェ。ボクも驚いてるよォ」

「何があった?」

「フフフ、知りたい? 知りたいィ?」

 

 血塗れの顔をグイグイ近付けるケアノス。クロッカスは顔を背けるも、好奇心には勝てない。

 

「……ああ」

「実は鎮痛剤が切れて苦しんでいたら海賊が襲って来てねェ…………治った」

「肝心な所を端折るでないわ!」

「アッハッハッハッハ、ちゃんとツッコめるじゃんかァ。流石はDr.クロッカス! いいでしょう。ドクターは命の恩人だし、少しだけヒントをあげるよォ」

「ヒント?」

 

 クロッカスは怪訝そうにケアノスに睨む。クロッカスが答えを求めている事は一目瞭然であった。そしてケアノスは天邪鬼なのだ。

 

「生物には細胞分裂限界がある事は知ってる?」

「知っている。ヒトの場合、56回が限界だ」

「正解。じゃあ、ボクの分裂限界も56回だと思う?」

「当たりま……ま、まさか……ッ!? いや、有り得ん! そんな事……そんな事が……可能なのか!? 確かに辻褄は合う。お前の回復力は治癒と呼ぶよりも“再生”と言った方が適当だ。だが……有り得るのか!?」

 

 顎に手を当ててクロッカスは思考の海に沈む。

 

(小僧が普通でない事は理解している。あの赤犬を相手にした胆力と戦闘力、ラブーンよりも高い耐性力。これだけでも十分過ぎる程異常と言える……が、今の話が真実なら小僧は本当に人間なのか!? 解せんのは海風疹の症状まで治っている事だ。こればかりは……)

「ククク、どうして免疫の作れないボクがって考えてる?」

 

 またも見透かしたような問いにクロッカスは心臓を掴まれている思いがした。

 

「……ああ」

「フフッ、持ってないモノや足りないモノはさァ――他人から奪えばイイんだよォ!」

 

 その瞬間、禍々しい気が空間を支配した。ケアノスは狂気を浮かべて笑う。クロッカスの背筋は冷たくなり、額に汗が浮かぶ。

 

「な~んちゃって! 今の話が真実なのとそうじゃないの……どっちが面白いかなァ? アハハハハッ!」

「……」

 

 マオにしたのと同じやり取りをしてケアノスは笑っているが、クロッカスに笑みはない。しかし、それは怒っているからではなかった。

 

(……ロジャーよ、もしかしたら私はとんでもない怪物を助けてしまったのかもしれんぞ)

 

 クロッカスの顔に笑みはなく、複雑な感情が浮かぶ中で焦燥と畏怖の念が色濃い。ケアノスの言っている事が正しかろうとそうでなかろうと関係なかった。どっちであろうとクロッカスには肯定も否定もしようがないのだ。彼にはケアノスの現状が理解出来ない。末期癌で余命数日と宣告された患者が一日で根治したのと同じで、奇跡としか言いようがないのだ。

その後ケアノスが事実を語る事も、クロッカスが真相を追及する事もなかった。追及に意味はないと悟ったからだ。死体の片付けと小屋の掃除は夜が明けても終わらず、疲労困憊の二人は一度仮眠を取る事にした。

 眠りに付く者がいれば、目覚める者もいる。ここに来て気絶していたマオが意識を取り戻し、小屋の惨劇と突然復活したケアノスを目の当たりにし、彼女は鬼の追及を始めたのであった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 グランドライン最後の海『新世界』は怪物の温床である。そこにはあの海賊王ゴールド・ロジャーと覇を争い、現在も時代の頂点に君臨し続ける世界最強の海賊がいた。エドワード・ニューゲート、通称『白ひげ』である。70を超える老齢ながら未だ現役であり、伝説や逸話は枚挙に遑がない。『世界を滅ぼす力』とまで称される悪魔の実の能力者であり、覇王色の覇気と超人的な膂力を併せ持つ怪力無双でもある。

 白ひげ海賊団は1600名の船員と16人の部隊長で構成されており、傘下には43もの精強な海賊団を従え、総合的な兵力は5万に及ぶ。白ひげは仲間から「オヤジ」と呼ばれ、白ひげもまた仲間を「息子」と呼んでいる。仲間を家族として大切に想う白ひげは、仲間の死を許さない。これは世界中に知れた事実であり、それゆえ『仲間殺し』は一味最大唯一のタブーであった。

 そのタブーがつい先日破られた。2番隊に所属していたマーシャル・D・ティーチがあろうことか4番隊隊長サッチを殺して逃げたのである。しかし、烈火のごとく怒ると思われた白ひげが仲間に出した指示は意外にも『静観』であった。

特例として追手を出さないと決めたのである。これに対して激昂したのが2番隊隊長エース・D・ポートガスである。彼はこの一件に関して誰よりも強く、そして重く責任を感じていた。だからこそ彼は仲間の制止を振り切り、白ひげの忠告も無視し、ティーチの後を追ったのだった。

 

 

一方のタブーを犯したティーチはと言うと、脱兎のごとく逃げている最中である。

 

「多少計画は狂っちまったが、まぁ結果オーライだ! あと追手が出る前になるべく遠くまで逃げねぇとな。流石にオヤジや隊長達を一度に相手しちゃ殺されるぜ、ゼハハハハッ!」

 

 隙っ歯が目立つ口を大きく開けて豪快に笑うティーチ。ビール腹を揺らしながら勝利の美酒に酔う。白ひげの海賊船から逃げる際に強奪した小船には、食糧と酒が山のように積まれている。彼は自ら『黒ひげ』を名乗り、密かにコンタクトを図っていたラフィット達と合流する為にグランドラインを逆走していた。

 

「長いこと世話になったな、オヤジ。すぐは会いたくねぇが、また次に会える日を楽しみにしてるぜ。それまでは達者でいてくれ、ゼハハハハ!」

 

 ティーチは空に向かって酒樽をかかげ、決別を示す献杯をした。

 

「近い将来、俺はアンタを超えるぜ! プランは練りに練って完璧だ! とびきり強力でイカレたクルーを集めて最強の海賊団を作ってやる! 見てろよ、白ひげ! 海賊王になるのは――この俺だッ!!!」

 

 どす黒い巨大な闇を展開したティーチは自信満々に叫ぶ。その姿は異様であり、悪魔と呼ぶに相応しい。

そしてこの宣言通り黒ひげは凄まじい勢いで台頭していくになる。ただし、それは計画通りではない。

 

 


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