我輩はレッドである。 作:黒雛
ポケモンマスターになる。
前世の記憶を取り戻したレッドは再び決意した――のはいいのだが、残念なことにまだ八歳のレッドにはトレーナーになる資格がない。
ポケモントレーナーになるには試験を受けて資格を取得する必要があり、試験を受けるには、成人と定められている十二歳を迎える必要がある。つまりレッドは四年間、ポケモントレーナーになることができないのだ。
資格を取得すると同時に譲渡されるポケモン図鑑とトレーナーカード。特に後者がないとフレンドリィショップで“モンスターボール”を買うこともできない。まあ、無知な子どもに“モンスターボール”を持たせるとろくなことにならないから敷いて当然の法律だ。
ラティアスの世話もあり、フィールドワークはおろか迂闊に遠出することもできないレッドはとにかく暇を持て余していた――と、思いきや、意外と充実した日常を送っていた。
「おっきくなーれ、おっきくなーれ、トーテムポール――」
と、少し意味不明な歌を歌いながら如雨露に汲んだ水を畑に注いでいた。
ここはレッドの両親が生前に耕していた畑だった。レッドの実家は普通の農家だったのだ。
両親が不幸な事故に遭い、数年の月日が経過した畑はすっかり荒れ果てていたが、なんとかレッドはナナミ――否、ナナミ様の協力により畑に再び生命の息吹を吹き込むことに成功した。
ポケモントレーナーになることは当分叶うことはないが、下準備はできるし、やるに越したことはない。目的が定まっている以上、怠惰な日常を過ごすのは有り得なかった。
レッドがこの四年間を利用して身につけようとしているのは、努力値などを度外視したポケモンの育成方法だ。
努力値を割り振り、後はトレーナー――というよりプレイヤーの読みが勝負の肝となるゲームと違い、こちらでは技の熟練度や応用だけじゃなく、メニューを組んでポケモンの身体作りを並行する必要がある。スポーツ選手のように、ポケモンを役割に適した形に鍛え上げるのはゲームの知識では不可能な領域だ。だから片っ端から育成の参考書を読み漁り、必要な知識を身につけようとしていた。
凄腕のトレーナーがいればアドバイスを貰うことができるのだが、残念なことにそういうトレーナーはポケモンのトレーニングにつぎ込む時間を惜しみ、こんな田舎町に訪れはしない。オーキド博士は若き頃、レッドの求めた凄腕のトレーナーそのものだったらしいが、研究に忙しい博士の邪魔はできない。参考書を読み耽ることが今のレッドにできる最大限の努力だった。
そして、もう一つレッドが着目したのが、この畑である。
かつてはいろんな野菜を育んでいたであろう畑は現在、たくさんの木の実が植えられている。
ポケモンバトルとポケモンコンテストにおいて、木の実の力は高い効果を発揮する。バトルなら木の実を持たせておくことで体力の減少や状態異常になると、ポケモンが勝手に木の実を食べて不利な状況を覆してくれるのだ。コンテストの方は言わずもがな。
レッドは木の実の上手な育て方を学びながら、収穫した木の実で旅の資金を蓄えるつもりだった。前世の記憶はこういうところでも役に立つ。旅は計画的に。
「おっきくなーれ、おっきくなーれ、トーテムポール――」
上機嫌に歌うレッドと同じように、興味津々とラティアスも木の実を植えた部分に水遣りをしていた。
ラティアスを匿うようになり、もう四日目になる。傷はもうほとんど癒えており、後二、三日もしないうちに旅立つことになるだろう。
少し――いや、かなり寂しいが、仕方ないことだ。
こうして変な歌を口ずさんでいるのも、もしかすると寂しさを紛らわせるためだったのかもしれない。
「やってるわね、レッドくん」
水遣りをしているレッドに柵越しから話しかけてきたのはナナミである。
「あ、ナナミ様」
「私、いつの間に様づけされるほど偉くなったのかしら?」
「いや、なんかもー世話になりすぎて、さんじゃちょっと足りないかなって」
この木の実もナナミがくれたものなのだ。
「お願いだから今までのように呼んでほしいわ」
困ったように額に手を当てるナナミに「了解ッス」と内心だけにしようと心に決めた。了解したとか言いながら。
「ラティアスも頑張ってるわね」
ナナミがラティアスに声をかけると、ラティアスが如雨露を放り投げてナナミに抱きついた。
「あらあら、うふふ」
さすがナナミ様と言うべきか、とてもラティアスが懐いている。
はじめは理由をつけて二人を会わせることはしなかったが、以降もラティアスにご飯を届けに来てくれるナナミにいつまでも会わせないのは不義というものだった。ラティアスもどんな人が作っているのか気になったのか、少し不安げながらも頷いたのだ。
ナナミは初めて見ることになったポケモンに驚いたものの、その可愛さ極振りの姿に一瞬でお気に入りになったようだ。ラティアスもポケモンコーディネーターとして活躍するナナミの世話を受けるうちにすっかり打ち解けている。
「ラティアスも手伝っていたのね? よしよし、良い子良い子」
美少女と可愛いポケモンのコラボレーションはとても眼福である。
なぜカメラを所持していないのか、レッドは愚かな己に激怒した。
「レッドくん、木の実はちゃんと同じ種類同士、隣り合わせに植えた?」
「なんでです?」
「同じ種類を隣り合わせに植えると純度の高い木の実ができるのよ。味もしっかりしているし効果も高いわ。だけど隣に別の木の実を植えるとその木の実の味やクセが混ざり合ってしまうの」
「なるほど。…………だからか」
「なにが?」
「いえ――俺がほしい木の実ってトレーナー御用達の体力や状態異常回復の効果を持つ木の実じゃないんですよ。突然変異で生じた木の実がほしいんです」
「突然、変異? …………あ! た、確かに別の木の実を隣り合わせに植えると、その二つとはまったく異なる木の実が稀にできるって聞いたことあるけど、あれは食べたポケモンを弱くさせる失敗作なのよ?」
ナナミは戸惑いながら言うが、レッドはポケモンを弱くするという言葉を聞いて、ビンゴ! と笑みを深くした。
弱くする――つまり基礎ポイント、努力値を下げる効果があるはずだ。
「あれにはあれでかなり有用な使用方法があるんです。だからナナミさんのおススメとまったく正反対の――別の木の実を隣合わせに植えてますよ」
マゴの実とイアの実、カゴの実とキーの実、モモンの実とオレンの実、ナナシの実とヒメリの実、フィラの実とバンジの実、ラムの実とオボンの実を――それぞれ隣り合わせに植えていた。
これで目的の木の実ができるはず。
育成の書物を読み漁った結果、努力値という存在は、八割以上あると断言していい。ただその仕組みを解析するには至っていない。
つまり――必然的にレッドが先駆者となるのだ。
そして努力値を下げる木の実があることを知っているのはレッドのみ。
努力値を下げる木の実を集中的に栽培する物好きもレッドのみ。
努力値という存在が完全に世の中に明るみになれば――ほぼすべてのトレーナーがこれらの木の実をほしがるだろう。
(そうなると、どうしてもトレーナーは俺から木の実を購入するしか努力値をリセットすることができないんだ。つまり――多少、法外な値段で売りつけようとトレーナーは買ってくれるわけでェ…………あはははは! 金儲けの匂いがぷんぷんしますなあっ! 億万長者の座につける匂いがぷんぷんしますなあっ! 未来が、未来が光に輝いておるわーっ!)
凄まじいレベルのクズ野郎がここにいた。
普通に販売するんじゃなくてオークションにすれば間違いなくかなりの値段で売れるんじゃないですかね。高給取りのジムトレーナーや四天王はもちろん、金に糸目をつけないおじょうさまやおぼっちゃまも余裕で大金を払うはずだ。ワクテカ、ワクテカが止まりませんなー! と脳内で激しい高笑いがひたすら反響している。
「どうしたの、レッドくん。顔がにやけてるわよ?」
「いや、なんでもないです! ちょっと未来が明るいなーと思っただけです、はい」
「そう……?」
と言いながらナナミは小首を傾げて不思議そうな顔をする。
ラティアスがくんくんと鼻を鳴らし、ナナミのバッグに視線を向ける。ジーと、向ける。
「お前、もう少し自重しなせいや」
「うふふ、いいわよ。お待ちかねだったみたいだしね」
ナナミは微笑みを浮かべ、バッグからラティアスのおやつを取り出した。
キラキラと目を輝かせるラティアスにおやつを渡すと、ラティアスは嬉々として木陰に移動してパクパクと食べはじめる。
「可愛い子ね」
「ちょっと欲望に忠実すぎる気もしますが」
「仕方ないわよ。あの子はまだ子どもなんでしょう?」
「まあ、実物をこの目にしたわけじゃないんですけど、成体はもう一回り以上大きかったはずです」
「それなら多少は大目に見てあげないとダメよ。まだあの子は甘えたい盛りなんだから」
「あー、そういうもんですかねー」
「そういうものよ」
ナナミはうふふと笑い、大人の余裕を感じさせた。敵わないなぁ、とレッドが苦笑していると、ナナミがレッドの頭を撫でる。
「レッドくんも、まだまだ甘えたい盛りなんだからもっと甘えて構わないわよ」
「…………くそぅ」
前世の記憶があるから問題ないはずなのに、嬉しいと感じている単純な自分に羞恥する。僅かに顔を赤くするレッドに、ナナミはやはり大人の笑みを浮かべていた。
そして不意にナナミは切り込んできた。
「あの子のこと――どうするつもりなの?」
「――どう、とは」
一瞬、息が詰まった。
「これからもレッドくんが面倒見るつもりなの? それとも怪我が治ったら野生に帰すつもりなの?」
「……野生に帰すつもりです。あいつは人間が苦手ですから」
レッドとナナミが例外なだけで、ラティアスはまだ人間に苦手意識を抱いている。
そんな状態でわがままを言い、一緒に暮らそうものならラティアスは間違いなく疲弊するはずだから、
「でも、野生に帰したらあの子はまた悪い人間に追われる可能性もあるわ。おじいちゃんですら知らないポケモンだもの。きっと凄く珍しいポケモンなんでしょう?」
「……それはここに暮らしていても言えることじゃないですか。人間が暮らしている場所なんですから、尚更悪い奴に狙われます。ポケモンを持ってない俺じゃ、あいつを護り切れない」
「そういうときのためにコレがあるのよ、レッドくん」
ナナミは一個のモンスターボールを取り出した。
「モンスターボールに捕獲したポケモンは、法律がしっかり護ってくれるわ。だけど野生のポケモンは違う。――正直、私はあの子が人に捕まらないまま逃げ切れるとは到底思えないの。だって、あの子ったら臆病なくせに警戒を解くのが早すぎるんだもの」
二人は視線をラティアスに向ける。
喜色満面におやつを頬張るラティアスの姿は非常に癒されるが、もう哀しいことにレッドとナナミには、あのラティアスが残念な娘にしか映らなかった。
ナナミは苦笑してから、もう一度真剣な眼差しをレッドに向ける。
「だから、もう一度しっかりと考えてみて。貴方自身の本当の想いと、ラティアスの想いをちゃんと考慮してから結論を出してほしいの。きっとレッドくんとラティアスは、とっても素晴らしいパートナーになれると私は思うわ」
そう言って、ナナミはモンスターボールをレッドに手渡した。
レッドは空っぽのモンスターボールを握りしめ、ジッと眺める。
「意外と重いんだな……」
それは、一つの命を預かる重さだった。