我輩はレッドである。 作:黒雛
「帰ってきてたんだな」
「ああ。昨日、マサラに帰郷したばかりだ」
数年振りに再会した幼馴染はかつてのやんちゃな面影はすっかり形を潜めていた。
翡翠の慧眼に、引き締まった顔立ちは、十年もしないうちに精悍と評されるだろう。しかし、今はまだ幼さの方が先に立っているため、グリーンの鋭気な雰囲気はどうしても小生意気な印象を感じてしまう。
レッドとグリーンは最寄のベンチに腰を降ろし、昔のように自然と、一人分の空白を空けていた。
「に、しても随分変わったんじゃねーの?」
ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべながらレッドはグリーンの顔を覗いた。
「前は俺と変わらないくらいやんちゃなガキだったのに、いつの間にそんなカッコつけになったんだ」
「うるさい。そういうお前こそ見るからに性格が悪くなったんじゃないのか?」
「おいおい、こんな聖人君子を捕まえて、なんて言い草だね」
「フン、お前が聖人君子なら世の中の九割が聖人君子だな」
「それ、俺がもうほとんど犯罪者だと言ってるようなもんじゃねーか」
カキカキ。
『ちがうの?』
「おーっと、このガキ。そもそも道を踏み外す第一歩を踏ませたのは貴様だろうが」
アッハッハーと笑いながら、みょいーんみょいーんとラティアスの瑞々しい肌を引っ張る。
ラティアスと出会わなければレッドが前世の記憶を取り戻すことはなかった。もちろんラティアスと出会ったことを後悔なんてしているわけじゃない。
「人間に化けるポケモンか。まさかメタモンの他にもそんなポケモンがいるとはな」
やはりポケモンは奥が深い、と神妙な顔でグリーンは続けた。
ラティアスが元の姿から人間の姿に化けたとき、グリーンは「なッ」と驚愕に目を剥いていた。既に多くの人間が同じ反応を見せていたので、あまり目新しさはなかったが、クールを気取っている奴の化けの皮を剥がすのは中々に痛快である。
「知らないのも無理はないって。こいつはアルトマーレの御伽噺に出てくる伝説のポケモンだしな」
みょいーん、みょいーん。
「……その割には雑な扱いだな」
「愛情と言っていただこう」
中々クセになりそうな柔らかい頬を解放する。ラティアスは自分の頬をすりすりと撫でる。
「しかし、よく伝説のポケモンなんかと出会うことができたな」
そこには少しの羨望が含まれていた。
伝説のポケモンというのは、運命に導かれた一握りの存在にしか姿を見せないと言い伝えられている誇り高い生き物だ。彼らに見初められたトレーナーは即ち伝説から選ばれた存在という証でもあり、トレーナーとしての箔がつく。それだけでも羨望の的になるには立派な理由だというのに、この男はあろうことか手持ちに加えているのだ。嫉妬しないトレーナーなどこの世にはいまい。
そしてもう一匹は6Vだろうぶっ飛びピカチュウ。
この男、主人公補正を遺憾なく発揮していた。
レッドはラティアスの頭を優しく撫でながら、彼女と出会った経緯を話すことにした。
悪いトレーナーに狙われ、傷だらけで倒れていたラティアス。
当初の彼女は人間に強い警戒心を抱いており、レッドを攻撃することもあった。
だけど何とか手を伸ばし、信頼を勝ち取り、穏やかな日常を一緒に過ごした。
そんなときにラティアスを傷つけた男に見つかり、一悶着が起きた。
しかし、その結果、レッドは己の間違いと、本当の願いを悟り、これからもラティアスと一緒に生きていくことを誓った。
――そして男の“きんのたま”はお亡くなりになった。
「おい、最後」
「悪い……! 俺、ギャグを挟まないと生きていけない人種なんだ……!!」
「この三年間で一体何があったんだ……」
数週間前に前世の記憶が目覚めますた。
お察しの通り、ちょっと人間性がイカレておりまする。
「だからお前はポケモンを所有する特別許可証を持っているわけか」
「まあな。そういうグリーンだって持ってるんだろ?」
「ああ。先日、マサラに帰郷するとき師匠から賜ったものだ。修行中、俺に貸し出されていた――このサナギラスと一緒にな」
グリーンは頼もしげにサナギラスの入った“モンスターボール”に触れる。
いいなあ、と思ったが、よーく考えるまでもなく自分のポケモンも羨望の的だった。
あれも欲しい。これも欲しい。もっと欲しい。もっともっと欲しい。
ポケモンとはなんと罪深いものか。
「タンバの修行はどんな感じだったんだ?」
「厳しかった。想像していた何倍も厳しかった。だが、それ以上に自分を見つめ直す良い機会になった。師匠には強く感謝している」
「ふうん……自分を見つめ直す――ねえ」
子どもの台詞じゃないなあ、と苦笑する。やんちゃな面影が消失したのも、そういうことなんだろうか。
「そうだ、レッド。互いにポケモンを持っているんだ」
と、言って。
「なら、やることは一つだと思わないか?」
不敵な笑みを向けてくる。
「バトルだな」
レッドも応じた。
二人はまだポケモントレーナーの資格を取得していないため、厳密に言うとポケモンを所持しているだけの子どもであり、ポケモントレーナーではない。
しかし二人とも、心は既にポケモントレーナーのつもりだった。
自分のポケモンを持つことが可能になる年齢は十二才から。
それは過去の――ポケモンを、生物を育成するという責任を、無自覚な子どもたちが放棄したことにより、多くのポケモンたちが餓死や病死をしてしまった悲劇から端を発した法律だ。
今、この世界において当たり前の常識である。
燦々と輝く太陽の陽射しが照りつける夏の日――虫取り網と虫取りカゴを手に森に出かけた少年が昆虫を捕まえ、最初はちゃんと世話をすると決めたものの、いつしか面倒くさくなり、餌をやることすら億劫になり、夏の終わりに死骸と成り果てた昆虫と対面する。
そこに罪悪感はなく、自分のせいだというのに、その死骸に嫌悪の視線を向けて。
あまりに無責任で無自覚な――子どもたちの無知な悪意。
ポケモン協会は、そんな過去の過ちを繰り返さないため、子どもに自分のポケモンを持たせることを禁止した。これにより子どもたちは親などが所有しているポケモンと触れ合うことしかできなくなり、その責任は所有者が背負うことになる。
故に、子どもだけでポケモンと対面するケースは殆どなくなった。
しかし、中には例外というものが存在する。
それが特別許可証を持っている子どもたちだ。
これはポケモン研究者やジムリーダーなど、ポケモン協会から厚い信頼と期待を寄せられている者たちだけが子どもに授けることのできる権利であり、これを授けられた子どもは例外として自分のポケモンを持つことが許される。
もちろん、誰にでも授けられる権利ではない。
例えば――レッドのように、子どもとポケモンが離れ離れになることが双方に悪影響を及ぼすと判断された場合。
例えば――グリーンのように、ジムリーダーの元で修行を積み、トレーナーとしての知識や心構えを会得して、子どもながらに生き物の命を背負う――その意味を正しく理解できたと判断された場合。
当然、前者の場合は後者のように、生き物の命を背負う意味を正しく理解できていないとポケモンを持つことは許されないことを追記しておく。
そんな権利を与えられた二人の少年は、人気のない町外れの草原に対峙していた。
「準備はいいな?」
「ああ。問題ねーよ」
互いに八才の少年とは思えないほど、その瞳には闘争心に満ちた強い意志を宿している。
沸き上がる高揚感を隠すことなく不敵な笑みを浮かべ、“モンスターボール”を握る右手を交差させた。
「ボールが地についたときが、勝負のはじまりだ」
レッドは頷く。
そして二人は高くボールを天に投げると同時に距離を取り、ベストポジションに移動する。
ボールが地面についた。
ボン! とボールが口を開け、レッドのボールからはピカチュウが、グリーンのボールからはサナギラスが登場する。
「ピカチュウだと!?」
グリーンの驚いた声音。
レッドは自分がラティアス以外にもう一匹ポケモンを所持していることをグリーンに教えていなかった。
だからグリーンはすっかりラティアスが来ると思い込んでいたんだろう。
サナギラスは、ヨーギラスのレベルが30になると進化するポケモンだ。
岩と地面の二種類のタイプを持っており、地面タイプにより電気タイプの攻撃を無効にしてしまうためピカチュウには不利に働いてしまう。だから普通はラティアスを出すべきなんだろうが、如何せんレッドのラティアスはレベルが低いし、サナギラスはエスパーに強い悪タイプの技を習得する。
“かみつく”ならギリギリ耐えられるかもしれないが、“かみくだく”や“あくのはどう”になると間違いなく確一で倒される。
それならタイプ的に圧倒的不利となってしまうが、天賦の才を持つピカチュウに任せるのが適任だ。……ボールの中でぷくーっと頬を膨らませているラティアスには、後でアイスやらケーキやらデザートを用意してご機嫌取りをする必要がありそうだ。
(お前はこれからだから、今は我慢してくれ)
ぷっくー!
もうこれ以上ないくらい頬を風船にしているラティアスに乾いた笑みを返しつつ、レッドはピカチュウに指示を出す。
「最短ルートで“アイアンテール”!」
グリーンが驚いているうちに先制をしかける。
ピカチュウはサナギラスに直進しつつ、そのギザギザの尻尾を変質させた。鋼タイプとなった尻尾を振り上げ、
「っ……! させるかっ。“まもる”!」
ハッと我に返ったグリーンの指示により、サナギラスが守りの体勢に入った。薄い――ガラスのようなシールドが“アイアンテール”を防いだ。
「便利な技を。なら――“くすぐる”」
小さな五本の指がサナギラスの身体を絶妙な匙加減で刺激する。
「サナギラス、“かみつく”!」
「“かげぶんしん”!」
ピカチュウのくすぐりに疑念を抱きながら、グリーンは指示を出す。しかし、すかさずピカチュウは“かげぶんしん”を使い、サナギラスの攻撃を逃れた。
「もう一回、“かげぶんしん”。そして“こうそくいどう”で撹乱するんだ」
現実のポケモンバトルは、当たり前だが、ゲームのような交代制ではない。
素早さが高ければ高いほど技を発動する機会が多く、圧倒的なアドバンテージを稼ぐことができる。電気タイプは打たれ弱いのが特徴だが、素早さが高いのも特徴だ。
無数のピカチュウがサナギラスの周囲をぐるぐると駆け回り、サナギラスは思わず目を回しそうになった。
「惑わされるな!」
しかし、そこにグリーンが一喝。サナギラスの瞳に戦意が戻る。
グリーンはスッと目を細め、ぐるぐると駆け回る無数のピカチュウをジッと見る。
やがて、
「――そこだ! “すてみタックル”!」
カッと目を見開いたグリーンは大きく腕を薙いだ。
グリーンの気合に呼応するように、サナギラスは己の思考を攻撃一辺倒に傾け、圧縮したガスを一気に噴射して弾丸のように飛び出した。
サナギラスの“すてみタックル”が正確無比に本物のピカチュウを穿つ。
「なっ」
と、驚くレッドに、
「これが修行の成果というやつだ、レッド。俺に撹乱技は通用しないぞ。たとえどれだけ“かげぶんしん”を増やそうと、俺は正確に本物を見つけ出すことができる」
吹き飛んだピカチュウは即座に体勢を立て直し、素早さを活かして肉薄するが、
「“こうそくいどう”はポケモンの素早さを高める技だが、ある欠点がある」
「……欠点」
「そう、それは上昇した素早さにポケモン自身の反射と思考が追いつかなくなるということだ。――“がんせきふうじ”!」
草原から隆起した大きな岩がピカチュウに降り注ぐ。
「狙い済ます必要はない。なぜなら、相手が勝手に当たってくれるからだ」
回避しようとしたピカチュウは、しかし、その速度故に視野が狭くなり、降り注いだ岩石に激突してしまった。“がんせきふうじ”の効果により、上昇したピカチュウの素早さが一段階ダウンする。
「こういうことになるから“こうそくいどう”は初心者が使用する技じゃないんだよ。技を十全に活かしたければ、その技をしっかりポケモンに馴染ませる修行をしなければならない」
なるほど、とレッドは為になる講釈に敬意を抱いた。
ゲームのように数値だけじゃないのはわかっていた。
ポケモンバトルは、スポーツの一種だ。レベルを上げたり、努力値を割り振れば終わりというわけじゃない。過酷な修行を積み重ね、よりバトルに適応した肉体造りをしていかなければならないのだ。それは技についても同じはず。
わかっていたはずだったが、それでも心のどこかで後回しにしていたのかもしれない。
レッドはたくさんの技を知っている。
それ故の――罠。
技のレパートリーを駆使することを主力に置いて、一つ一つの技を磨き上げることを怠ってしまった。
(くそ、無能すぎる。……これがトレーナー戦というものか)
リングマと戦ったとき、上手い具合に作戦が進行したのはリングマにトレーナーがいなかったせいだ。
野戦とトレーナー戦では、求められるものが違う。
ルール無用の野戦なら複数で一匹のポケモンを相手取り、相手の動きを封殺しながらバトルを終始一方的に進めることができるので、野戦の場合は、レッドのように技のレパートリーを駆使するのが正解だ。
しかし決められた枠組みの中で戦うトレーナー戦は、ポケモンを翻弄することはできたとしてもトレーナーの技量が高ければ、さっきのグリーンのように不足を補うどころかチャンスに覆すことができる。技のレパートリーに対し、見事なまでに対応してくるのだ。
だからトレーナー戦において必要なのは、レパートリーより技の練度。
的確に、最小の動きで、最大の威力を叩き出す。
そのためにトレーナーはポケモンが使用する技を厳選するのだ。
四つ。
それがトレーナー戦において、もっとも効率よくポケモンバトルを勝利に導く技の数だと言われている。
「しかし、そのピカチュウはかなり優秀だな。本来なら大きくレベル差のあるサナギラスの“すてみタックル”により一撃で倒れていたはずだが、咄嗟に打点をずらすことでダメージを最小限に留めていた。トレーナーと修行を積んでない状態でこれとは末恐ろしいな」
と、グリーンは惜しみのない賞賛をピカチュウに向けて。
「――だが、これで終わりだ! サナギラス、“だいちのちから”!」
サナギラスの立つ草原が割れる。亀裂はピカチュウの下に走っていく。
地面タイプの攻撃は電気タイプに抜群の効果を持つ。
グリーンの言った通り、この攻撃が命中すればさすがのピカチュウも倒れ――たぶん、倒れるだろう。きっと。おそらく。
だから――これで敗北。
レッドの敗北。
これで終わり。
………………。
(じょーだんっ! あるものは何でも使うのが俺の流儀だ!)
レッドたちには技の熟練度なんて無いに等しい。
だけど、ないものねだりはしない。いや、ほしいとは思うが、そこで思考を止めるのは絶対にごめんだった。
ないものは、ないのだから仕方ない。だか、ないものは――付け足せばいいのだ。
技の熟練度がバトルの勝敗を決定付けるものじゃないのだから。
「ピカチュウ! 眼前にある岩石をサナギラスにぶつけろ!」
迷いなくピカチュウは指示に従う。
“アイアンテール”を使い、己が衝突した岩石を痛快に打ち砕く。
散弾となった岩石の礫に打たれ、サナギラスの攻撃はピカチュウに届くことはなかった。
「次! グリーンの手前にある地面に“アイアンテール”!」
指示しながら利便性の高い、“アイアンテール”の修行は真っ先に取り組もうと心に決める。
ピカチュウはサナギラスとグリーンの中間地点に硬質化した尻尾を振り下ろす。
その小さな尻尾に幾許の力が込められていたのか、激しい音が響き、土煙が巻き上がる。
そうしてグリーンの視界は土煙一色に染め上がった。
「なっ、これは……!?」
「これでお前の厄介な洞察力は封じた。ピカチュウ、もう一回、“くすぐる”をして、ひたすら“アイアンテール”を連打ァッ!!」
「応戦するんだ、サナギラス!」
二人のトレーナーの気合に触発されるように。
目まぐるしく攻防を入れ換えながら、二匹の激しい応酬は続いた。
そして――――