科学の都市の大天使   作:きるぐまー1号

22 / 67
ep.21 9月19日-5

 

 地面に降り立った勇斗の背から、白銀の翼が溶けるように消えていく。

 

「……サンキュー勇斗。助かった」

 

「間一髪だったな。間に合ってよかったよ」

 

 上条は大きく安堵のため息をついて、そして勇斗はホッとしたような声色で上条の声に応えた。

 

「……魔術を打ち消す力、の次は、天使の姿をした少年、ねえ」

 

 そんな勇斗と上条の様子を楽しげな表情で眺めながら、オリアナは嘯く。

 

「学園都市って、随分とまあ珍しい子を集めてるのね。ふふ、お姉さん興奮してきちゃった」

 

 その言葉と共に、オリアナは新しいページを口で破り取った。同時、振るわれた左手に暗闇が収束しその手に剣が出現する。そしてそのまま、しなる鞭のような動きで一気に長さを増して、2人に襲い掛かった。

 

「……興奮するのは勝手だけどさ」

 

 一歩前に出た上条の右手が影の剣を打ち消したのを横目で確認して、呆れたような表情をありありと顔に張り付けて、

 

「他人をそれに巻き込むなよ。迷惑だ」

 

 勇斗は能力で力場を手繰り寄せ、練り上げた不可視の弾丸をオリアナに向けて撃ち放つ。無防備に受ければ人の意識程度簡単に刈り取れるほどの威力を秘めるその弾丸は、しかしオリアナに触れるか触れないか辺りのところで甲高い硬質な音と共に霧散する。勇斗はスッと、目を細めた。記憶に残っている。今のは、シェリー=クロムウェルが防御術式を展開していた時のものと同じ感触だ。

 

「……まさか、『原典』の自動防御術式が働くなんて。ふふ、今の君の攻撃はよっぽど激しかったんだね」

 

「意識はブッ飛ばせる程度の威力で打ったからな」

 

 そんな言葉を発しつつ、勇斗は胸の辺りがざわつくような感じを覚えた。攻撃に用い、しかし結局オリアナの『壁』に跳ね返されたAIM拡散力場。それを再び能力で捉え直したのだが、その瞬間に全身に震えが走ったのだ。こんな感覚は初めてだった。胸の奥にのしかかってくるような、快不快では言い表せない、不思議な感覚。今まで一度も感じたことは無かったのだが。魔術と触れることで、力場が何らかの変質を起こしたか。

 

 それでも、ひとまず考えることを後回しにして。勇斗は動揺を外に漏らす(アウトプットする)ことなく2発目、3発目を連続してオリアナに叩き込む。しかし、いずれも有効打とはならなかった。やはり、防御術式によって攻撃を防がれている。

 

「これは……天使の力(テレズマ)……? いや、これは……」

 

 そして彼女の側も防御と並行して力場の解析を進めていたのか。オリアナは訝しげな表情を浮かべていた。

 

「……学園都市にいる人間がそんなもん扱えると思ってんのか」

 

 そんなオリアナに向けて、呆れかえった声と共に勇斗は一際強烈な一撃を叩き込む。銅鑼を叩いたような音と共に攻撃自体は防がれたものの、その余波でオリアナの体が後退(ノックバック)した。

 

 ――――そこに、上条が飛び込んだ。固く握りしめた右手を武器に、オリアナの懐に飛び込む。

 

 いや、飛び込もうとした。

 

 防御しているその体ごと後退させられるという予想外の事態に直面しつつも、オリアナは冷静に新たな1ページを噛み取っていたのだ。黄色のインクで書かれた[Wind Symbol]は、どちらも風の属性を象徴する。増幅された風の魔術が発動し、直後、上条の真後ろから突風が吹いた。男子高校生の体を吹き飛ばすほどのその突風は、上条の足を無理矢理に加速させる。

 

 と、足をもつれさせ、たたらを踏んだ上条のもとにオリアナは自分から距離を詰め、右脇に抱えた看板を跳ね上げた。頭を揺らす、顎を狙った強烈なアッパーカット。痛々しい音と共に、上条の視界がどうしようもなくブレた。上下左右前後全ての感覚が、顎から広がる激痛で塗りつぶされる。

 

 何もわからないまま、与えられた運動ベクトルに従って力なく、なすがまま後方に飛ばされる上条。その上条のがら空きとなった腹部に向けて、オリアナは看板の角の部分を叩き込もうとする。

 

 ――――そこでそれに気づくことができたのは、オリアナのプロとしての鋭敏な感覚によるところが大きい。目元にわずかに影が差したかと思えば、間髪入れずに横合いからの風切り音が鳴り響いたのだ。そして、顔面に迫る、もう1人の少年が放った蹴り。

 

 とっさに振り上げた看板を顔と迫りくる足との間に滑り込ませ、オリアナは勇斗の蹴りを受け流した。その衝撃で彼女の手から看板が吹き飛んでいくが、運動エネルギーの全てを使い果たした勇斗は無防備に彼女の前に浮かんでいる。

 

 口角を吊り上げるようにしてわずかに笑みを浮かべ、オリアナが単語帳のページを破った。描かれていたのは、赤色の[Water Symbol]。『火』と『水』の象徴が溶け合い、1つの魔術が発動した。

 

 ――――虚空に水球が現れ、一瞬にして膨張し、指向性を持たされた水蒸気の爆風が至近距離から勇斗に向かって炸裂する。

 

「ッ――――!!」

 

 勇斗はとっさに、練り上げた力場を爆風にぶつけることでその衝撃波を相殺しようとするが、……そのわずかな時間での『収束』では、絶対量が足りなさすぎた。衝撃波が勇斗の全身を叩き、その体が錐揉みしながら後方に吹き飛ばされる。

 

 突然に回りだす景色に一瞬にして酩酊しそうになりながら、くらつく頭で体に必死に受け身の姿勢を支持する。最小のダメージしか負わないように体を捌き、体勢を立て直す勇斗。気づけば上条の隣まで後退していた。

 

 と、そんな2人を見ながら、オリアナは単語帳を口元近くで弄ぶ。

 

「ッ、まずい勇斗、耳を塞げ! アイツは一定以上のダメージを負った人間を昏倒させる術式を持ってる!」

 

「な!?」

 

 上条が発した叫び声に、勇斗はとっさに耳を塞ごうとするが、

 

「それに関しては安心していいわよ。お姉さん、一度使った術式は二度と使わない主義だから」

 

 そう言って笑って、ページを破り取るオリアナ。

 

 緑色の、[Fire Symbol]。

 

 オリアナの周囲に出現した火球が剣に変貌し、勇斗と上条のもとに殺到した。

 

「っ、チクショウ!」

 

 まだふらつく体に鞭打って上条が動く。――――しかしそれより早く、放たれた不可視の弾丸が全ての炎剣を打ち消した。

 

「……やるじゃない。お姉さんの予定では、迂闊に攻撃すれば爆発するように設定してたのに、それごと弾き飛ばすなんてね」

 

 言葉とは裏腹に、余裕の言葉でオリアナは言う。1つや2つ術式が破られた程度では、彼女の余裕は揺らがないのか。

 

「……余裕だな。色と文字の組み合わせなんざ精々20通りかそこらしかないだろ。こんなにあっさりと術式を破られて、すぐに手札がなくなっちまうぞ」

 

「うふふ。その点の心配はいらないわ」

 

 勇斗の言葉に、余裕の笑みを変えることなくオリアナは返答する。

 

「組み合わせているのは『それ』だけではないの。……さて問題、それ以外に組み合わせているものは何でしょう。答えられたらご褒美をあげるわ」

 

 艶めかしく、オリアナはページに舌を這わせていく。

 

「ヒントは、それは西洋占星術の基礎の1つである、という点かしらね」

 

 その言葉で、勇斗はすぐに何かに気づいたように顔を上げた。

 

「……なるほど、『角度』か」

 

「…………あなたって、見た目だけかと思ったら魔術の知識も持ってるのね。驚いたわ」

 

 余裕の中に、わずかながらに本物の驚愕を浮かべて。

 

「様々な座相法則(アスペクト)と、それに基づく『星座と惑星の関係はその角度によって役割を変える』っていう理論ね。まあそれに加えて、ページ数の数秘的分解なんかも取り入れちゃったりしてるから、組み合わせはもっともっと多いわよん」

 

 そう楽しげに告げて、そしてオリアナは舌で湿らせていたページを一度離す。そこに見えるのは、赤色の[Wind Symbol]。

 

「……さて、少しばかりおしゃべりが過ぎたかしら。申し訳ないけど、お姉さんにも仕事があるからお遊びはこれでおしまいね。……角度はジャスト0度、総ページ数は577枚目。名づけた魔術は、『明色の切断斧(ブレードクレーター)』」

 

 オリアナは、意味ありげにそこで一度言葉を切った。

 

「追いかけてきたいというのなら止めはしないけど。そこから動いたら死んじゃうからね? あ、ちなみに動かないと次の一手でチェックメイトだよ。その場合は殺しはしないけどね」

 

 そう告げて、勇斗と上条の返答を待つことなく、オリアナはページを破り取る。

 

 ――――オリアナを中心として出現した円から、毛細血管のような細かい紋様が縦横無尽に広がった。その色は、まさしく血のような赤。不吉な図形が、次々と地面に描かれていく。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 図形の広がりと共に、勇斗の『内側』に走るノイズがさらに強くなった。つい先刻、魔術に触れたAIM拡散力場を補足し直してから、ずっと感じ続けていた『揺らぎ』が、一際強く勇斗の中で暴れ回る。

 

 それは力の強弱の波ではない。それよりもっと、何か根本のところで。自分の内側の何かが、蠢いているかのように。

 

 しかし、その力は決して不快なものではなく、どこかそう、そこはかとない懐かしさすら感じさせるものだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……当麻、立てるか?」

 

「……なんとかな」

 

 よろよろと、上条が立ち上がる。

 

 しかし、言葉を交わす2人の周囲では、地面に描かれた紋様が不気味な音を立て始めていた。スズメバチか何かの羽ばたきにも似た、不気味な振動音が2人を取り囲む。

 

「……どうする勇斗、このままじゃ終わりだぞ」

 

「………………それなんだけどな」

 

 場にそぐわない、不自然なまでに落ち着いた様子で、勇斗は上条の問いかけに反応した。

 

「それに関してはアテ(・・)がある。俺が何とかするから、お前は走り出す準備をしててくれ」

 

「……勇斗……?」

 

 困惑の表情を向ける上条。そんな彼の前で、音も無く、勇斗の背から再び翼が広がっていく。

 

「ッ、勇斗! 翼が……!」

 

 そこに表れた翼は普段の――――ついさっきまでの様子とはかけ離れた様相を呈していた。

 

 勇斗の内面の『揺らぎ』が、翼を通して現実世界に出力されたのか。白銀の翼の至る所にノイズが走る。まともな状態には思えない。まるで、本来なら使えないOSを無理やりパソコンにぶち込んだせいで誤動作を起こし、処理落ちを起こしてしまったような。

 

 それでも勇斗は動揺を見せない。ただ無言のまま一度だけ、その背の翼を、振るった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 『明色の切断斧(ブレードクレーター)』によって隔離された2人を離れた所から見つめながら、オリアナは新たな術式、『昏睡の風(ドロップレスト)』を発動するためのページに舌を這わせた。それは体に傷をつけることなく、ただ意識を奪うためだけの魔術。オリアナには、何でもかんでも血を血で洗う死闘で解決しよう、なんてことを考える趣味は無い。無傷で終えられるなら、それが最善手であると考えている。

 

(あの子たちには悪いけど、ここでご退場を願おうかしらね。1日くらいベッドで眠り続けてもらいましょうか)

 

 彼女と、そしてリドヴィア=ロレンツェッティが進めるとある『計画』は、今日中には終わる。翌日彼らが目覚めたときには、もうすべてが終わった後だ。そう決めて、そしてそこで『明色の切断斧(ブレードクレーター)』が完全に発動する。紋様に沿って真空の刃が出現し、彼らの元に襲い掛かる。そこまで確認して、彼女は単語帳のリングからページを引き抜き、2人に向けてその魔術を撃ち放つ。

 

 ――――撃ち放とうと、した。

 

 しかし、その瞬間。

 

 膨大な、正体不明の力が吹き荒れ、『明色の切断斧(ブレードクレーター)』の紋様と、それによって生み出された真空の刃がすべて吹き払われる。

 

「な……!?」

 

 オリアナは目を見開いて驚愕する。視線を向ける先には、背に翼を出現させた少年がいた。その姿と、そしてオリアナの魔術師としての感覚が、衝撃的な現象を彼女に告げていた。

 

(今のは……魔術によって発生した物理現象に対しての迎撃じゃない……。魔術の構造そのものに対する干渉……? 術式の魔力を、それ以上の魔力で吹き飛ばした……? いや、でも、この子は魔力を扱えないはず。じゃあ、一体何が……!?)

 

 先程までの余裕の表情はすっかりと消え去り、困惑の表情を隠しきれなくなったオリアナ。

 

 そんな彼女に向かって、事前の打ち合わせ通りに上条が踏み込んだ。力強く右手を握りしめ、真っ直ぐに飛び込む。

 

 状況を呑み込めず、驚愕で初動が遅れたオリアナ。硬直する思考と体を何とか切り替え、とにかく目の前の敵を倒す事に意識を切り替える。吐き捨てたカードに記されているのは、緑色の[Wind Symbol]。死のように深い眠りに誘う、昏睡の風――――。

 

「喰ら―――ッ!!」

 

 しかし、最後まで言い終える前に。飛び込んでくる少年の右の拳が、昏睡をもたらす風の槍を真っ向から殴り飛ばした。そのたったの一撃で、風の槍は砕け散り、形を失い、ただの空気となって周囲に霧散する。幾度となく見せつけられた、強制的な魔術無効化(マジックキャンセル)。勇斗と呼ばれている翼の少年が見せたような強引な力技ではなく、ただ触れただけで、魔術を無効化される。

 

 ――――気づけば、その少年はもう目前に迫っていた。悠長に『原典』なんて出している暇はない。オリアナの体が迎撃に動く。突っ込んでくる勢いを、そのまま相手に叩き込んでやるカウンター。動きを見極めて、オリアナの足が動く。

 

 そこで。

 

 金属質な音と共にオリアナの足が弾かれる。音の正体は防御術式が何らかの攻撃を防御したもので。その攻撃の正体は恐らく……。

 

 足払いを掛けられたような恰好で体勢を崩すオリアナ。憎々しげに歪められた彼女の視線と勇斗の視線が、わずか一瞬、交錯する。

 

 ――――そして、上条の右拳が雄叫びと共にオリアナの顔面に炸裂した。彼女の体が軽々と吹っ飛び、地面を転がっていった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 あっさりと、周囲には静けさが戻ってきた。

 

「……やった、のか?」

 

「こんな所で変なフラグ立てんじゃねーよ」

 

 気の抜けた上条のセリフに、警戒を途切らせることなく勇斗が応える。

 

「……でもまあ、とりあえずこれで『刺突杭剣(スタブソード)』は回収できる。土御門の症状やら、学園都市に潜伏してるらしいコイツのお仲間とその取引相手の件はまだ解決してないけどな」

 

「……一応、一段落ってとこか」

 

「だから余計なフラグは立てるなと」

 

 小一時間、と勇斗が続けようとしたところで。不意に、突風が吹いた。そしてその風に乗って、倒れたままのオリアナが建物の屋上に運ばれてゆく。それは、あっという間の出来事で。

 

「ふふ。全く……、意外とやんちゃなのね、この街の男の子たちは」

 

 ダメージを感じさせない軽い声で、オリアナは立ち上がってからそう言った。

 

「……早速フラグ回収とか、やはり流石だなフラグマイスター上条」

 

「え!? 今の俺のせいなの!?」

 

「冗談に決まってんだろ」

 

「……ふふ、そんなに元気があるなら大丈夫そうね。私はここで一旦引かせてもらうわ」

 

 余裕の笑みを取り戻し、楽しそうに2人を見下ろしていたオリアナ。そんな彼女の言葉に、勇斗が反応した。

 

「……おい、忘れ物じゃねえのか、ソレ」

 

 勇斗の指は、地面に転がる看板――――もとい、『刺突杭剣(スタブソード)』に向けられている。

 

 しかしオリアナは、ここまでで一番意味深な笑みを浮かべると、

 

「ふふっ。それはあなたたちに預けておくわ。た・だ・し、燃えてくるのはこれからよん♪」

 

「「……は?」」

 

 予想外のその言葉に勇斗と上条の気の抜けた声がハモる。

 

「ふふふ。その疑問の答えを探ってみるのも面白いと思うわよん」

 

 そう言って彼女は再び単語帳からページを噛み取り、そして一瞬にして姿をくらました。真意の読めない不可解な行動に首を傾げ、オリアナを取り逃がしてしまったことを歯噛みしつつ、しかし2人はとにかく行動を起こすことにする。

 

 土御門の携帯からステイルに連絡を取り、指示を仰げば帰ってきたのは『刺突杭剣(スタブソード)を破壊しろ』という単純明快な答え。

 

 ――――しかし、梱包をといた2人の前に現れたのは得体のしれない霊装などでは無く。

 

「……ただの、看板だって……?」

 

 呆然とした様子の上条の声が、青空に溶けていく。

 

 その横で、勇斗は大きくため息をついた。

 

 魔術という異分子(イレギュラー)を孕んだ世界最大の体育祭は、やはり一筋縄では行ってくれないらしい。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。