「いけーがんばるんだよみつこー!!」
人混みの中に、少女の叫び声が木霊する。普段彼女が身を包んでいるのは純白の修道服(ただし安全ピン付き)なのだが、今は可憐なチアガール衣装に身を包んでいる。本人としても普段着なれない服を着ることでテンションが上がっていたのだろう。つい先程まではかなりのハイテンションで、屋台から屋台へと飛び回っていた。しかし今、そんな少女――――インデックスの視線は、ビル側面の巨大スクリーンに釘づけになっていた。右手のリンゴ飴も、左手の焼イカも、今はすっかり意識から抜け落ちてしまっているようだ。大声を出して必死に友人を応援するそんな姿は、見ていてとても微笑ましい。
(……でも、やっぱりどこか空回りしてるんだよね)
そんな美少女が傍に居ながら、九重悟志は冷静な目で彼女の様子を観察していた。とりあえず勇斗に言われた通りに屋台街を連れ回し、たくさんの食べ物を買い与え、そして知り合いの出る競技の観戦に連れては来たものの、空元気という感はどうしても拭えない。払拭できない寂しさを、必死に押し殺しているような。空しさを、必死に埋めようとしているような。そんな感じがする。
(……ま、原因なんて分かり切ってるんだけど)
心の中で浮かべている苦笑いを、
(申し訳ないけど、僕にできるのは時間稼ぎが精々だよ。ステイルが僕を睨み付けるのも無理はないね)
わずかに肩をすくめ、九重はそう割り切る。この少女の寂しさを埋めてあげるには、自分では役者が足りていない。
(さてさて。僕のボロが出るのが先か、当麻が戻ってくるのが先か、どっちになるかな)
もう一度笑みを浮かべなおして、九重はスクリーンに映し出される映像に意識を戻した。
▽▽▽▽
その電話は、唐突にやってきた。
昼食時間に向けて苛烈な場所取り戦争へと身を投じた上条夫妻、そして御坂ママと別れ、交通整理も終わり、手持無沙汰になってバルーンハンターを眺めていた勇斗。御坂(に見せかけた御坂妹(……?))が善戦空しく失格になったところで、勇斗の携帯がけたたましく着信を告げたのだった。
「……どうしたんだ土御門。やっと俺の出番か?」
やや強張った感じになってしまった勇斗の問いかけに応えたのは、いつも通りの軽口だった。
『ああ。一財銀行ってとこの周辺にでっかい看板を持った外国人の女がいないか探してくれ。カミやんの幻想殺しがその女の何か……、おそらく術式を破壊した。そいつがどうも怪しい』
内容はあまりにもかけ離れた、不穏極まりない物ではあったが。
「……オーケー。ちょっと待っててくれ」
そう一言告げて、勇斗はズボンのポケットから端末を取り出す。それから、
「……、……、……いた。でっかい看板を抱えた、金髪作業着姿の女。 一財銀行から北に150mの大通りだ」
初春謹製のプログラムの
『期待通りだぜい勇斗。助かるにゃー』
「まああれだ、健闘を祈る」
その言葉と共に、通話を終えて。
「……いよいよ、始まったか」
そしてそんなことをポツリと呟いて、勇斗はカメラによる追跡を開始した。
▽▽▽▽
その後、監視カメラ網の死角となる場所に潜り込む女魔術師を、途切れ途切れとはいえ勇斗は追いかけ続ける。途中、死角に逃げ込まれたことで見失ってしまったのか、追跡しているはずの3人の姿が無くなった。しかし、当の彼女はたまに死角に入りこむ以外に何も目立った行動を起こしていない。ただひたすらに、街中を動き回っているだけだった。プロの運び屋とはいえ、敵地のど真ん中でこんな気楽にしていていいのだろうか。いや、プロの運び屋だからこそ、ここまで余裕を持っているのだろうか。画面を眺めつつ、勇斗は思考に沈んでいく。
と、そんな時。再び勇斗の携帯が鳴った。発信者はさっきと同じ、土御門だ。
『……勇斗。第7学区の南中学校周辺でもう1回探索を頼む』
しかし電話口から聞こえてくる声は、さっきまでの気楽な調子の物とは全く違うものになっていた。疲労がにじみ出ているような、痛々しい吐息。そして一言一言に、今までにないほどの固さを感じさせる。
「一応さっきから追跡中だ。カメラの死角に入った時以外はずっとカメラに収まるようにはしてる。……俺の見えなかった所で何かあったのか?」
『……ステイルと、とばっちりで吹寄が巻き込まれた。そんなとこだ』
そっけなく、しかし苛立ちを隠そうともしない厳しい声で土御門は言った。
「……ステイルが言うには、魔術師ってのは一般人を無差別に巻き込むような人間じゃなかったはずなんだけどな」
叫びたくなったのを堪え、落ち着いた声で勇斗はそう問いかける。
『普通はありえない。まあ、こんな敵地のど真ん中を動き回るなんていう状態を普通と言っていいのかはわからないがな。……恐らく、この件に関しては向こうさんも完全に予想外だろう』
「……で、吹寄の容態は?」
『詳しくは省くが、喰らった魔術の効果は生命力の空転……早い話が熱中症を引き起こさせるようなものでな。カミやんが素早く対応してくれたし、その後は
「そりゃ安心だ。あの先生なら何の心配もいらない」
会話をしている間、画面に映る女魔術師には目立った動きは無かった。看板を抱えているというハンデを全く感じさせること無く、移動を続けている。
「で、だ。位置は地下鉄二日駅、北A1入口前を北に向かって進んでる」
『サンキュー』
「っと、電話切らなくていいぞ。ナビを続けるから、そのまま追いかけろ」
『了解。カミやん連れて追いかけるにゃー』
しばらくすると、再び近くの監視カメラの画面に上条と土御門の姿が映るようになった。ステイルの方も探査魔術を発動しているらしく、今は土御門はステイルの方と話をしながら走っている。
『っ、勇斗! オリアナがバスに乗っちまう!』
切羽詰まった上条の声が耳を叩いた。上条と土御門の前方をゆく女魔術師――――オリアナ=トムソンがバス停に到着し、バスの停車ボタンを押した。運悪く、その直後に自律バスが画面の中に入ってくる。
「把握してる。……循環バスのCルート便だな」
画面の中で、オリアナがバスに乗り込んだ。それを確認しつつ、バスの路線図を端末画面の片隅に呼び出す。そして、予想される降車停留所付近のカメラにアクセスを、しようとしたところで。
『は? 何だって? ……勇斗、アイツが乗ってった自律バスに他の客って乗ってたか?』
「……、……乗ってないぞ。でも、それを聞いてどうす、」
土御門と何やら言葉を交わし、それから勇斗にそう問いかけた上条の質問への返答を最後まで言い終える前に。
画面中央にあった自律バスの側面から、紅蓮の炎が噴き出した。
「『……はあ!?』」
電話を挟んでこちら側とあちら側で、勇斗と上条の間の抜けた声がハモる。一瞬遅れて、電話越しにゴン!! という爆発音が勇斗の耳にも飛び込んできた。車体が横滑りし、その勢いのまま横転する。火の手が回り、火ダルマとなった巨大な金属の塊が更に大きな炎を噴き上げた。
それを見て、電話の向こうで上条と土御門が何やら話しているようだ。しかし、断続する爆発音がかき消してしまうせいで、勇斗の耳には何を話しているのか届いてこない。
と、そこで。明確な動きがあった。
無秩序に燃え盛っていた火柱が突如として渦を巻く。それは別に、火災旋風が発生したからでは無く、巻き込んだ炎を吹き消すほどの勢いだ。あれだけの炎が、跡形もなく消えてなくなった。そして炎を吹き飛ばしてもなお、その『竜巻』――――監視カメラのレンズが曇ったところから見れば、恐らくは『霧』だ――――は、生き物のようにうねりながら自律バスの残骸に薄く纏わりついていく。それは高温の残骸を覆い尽くしたにも関わらず、蒸発することも無く逆に炎を喰らい尽くしていく。
そんな、物理法則を明らかに無視した現象。
そして、蠢く霧を逆にたどっていけば、そこには1人の女が立っている。妖しげな表情で上条と土御門を見つめながら、口元には単語帳のようなものを咥えて。
上条と土御門が10メートル弱の間合いを空けて彼女と対峙する。彼らが何かを話し始めたのを見た勇斗は通話を切り、それから監視カメラを集音モードに切り替える。無音だった映像に騒音と話し声が加わった。
『……お前の魔術のせいで吹寄が倒れたんだ。覚えてるだろ、俺がお前の魔術をぶち壊した時に、俺と一緒にいた女だ。お前は魔術のプロなんだろ? お前の目にはアイツが魔術なんてもんを知ってるように見えたのか? ……この街で霊装の取り引きなんてことをやろうとしてる自分に! 差し向けられた追手なんかに見えたのかよ!』
怒りを内包した、わずかに震える上条の叫び声。が、それに対するオリアナの返答はあくまでも軽かった。
『この世に無関係な人間なんていないわ。その気になれば人は誰とだって関係できるもの。近頃SNSが流行っているのなんかはその最たるものでしょう?』
そこまで言って、それから少しだけ声のトーンを落として、彼女は言葉を付け足した。
『……今さら何を言っても無駄だろうけど、あの子を傷つけるつもりはなかったわよ。進んで一般人を傷つけるような趣味なんて、お姉さんにはないもの』
それでも、すぐに不敵な表情を取り戻し、
『……まあ、プロの子は例外だよ?』
そう言って、彼女は単語帳の1ページを口で破り取る。瞬間、ジジッ、という甲高いノイズのような音をマイクが捉え、画面の向こう側で土御門の体が力なく折れ曲がり、ガタガタと震え出した。
『……あら、まだ意識があるのね。それだけの傷を負いながらまだ耐えているなんて、よっぽど魔術の耐性があるのかしら』
慌てて駆け寄った上条と、少しずつ傾いでいく土御門を、場違いに思えるほどの艶やかな笑みと共に眺めて。
『でもね、……遅すぎる男の子も、女の子には嫌われちゃうんだよ』
ふふ、という妖艶な笑い声が引き金となったのか。土御門の体が、地面へと倒れ込んだ。
――――その後、上条が何かを叫び、それに対してオリアナが変わらない調子で、何やら言い合っていたようだが、勇斗はそれら全てを無視した。携帯電話と端末をポケットに仕舞い込み、現在地と『戦場』の位置関係を頭に思い浮かべて。背中に出現させた翼を羽ばたかせ、一直線に空を切り裂く。
▽▽▽▽
上条とオリアナの距離は、たったの10メートル。ほんの数歩程度踏み込むだけで、上条の拳はオリアナに届く。
しかしその数歩が、遠い。
上条が踏み込もうとするたびにオリアナの左手が動き、口に近づけられた単語帳から1枚のページを破り取る。赤、青、黄、緑の4色と、[Fire][Water][Wind][Soil]の4属性を組み合わせた彼女の魔術が上条に襲いかかる。
「……やっぱりその右手、不思議よね。何がどうなってるのかしら?」
上条の右手がその魔術を打ち消し、オリアナが怪訝そうな表情を浮かべる。
「『
再び、オリアナがページを破り取った。緑色の、『Wind Symbol』。この世界で『土』と『風』を司る色と文字。その不一致が反発し、そして混じり合い、複雑に絡み合った魔術が発動する。
2人の間に分厚い氷の壁が出現した。ガラスの様に透き通る氷が、上条に向かって叩き付けられる。
「――――ッ!!」
氷の向こう側、投げかけられるオリアナの視線を受け止めつつ、上条は右手で壁を迎え撃った。手が触れた瞬間、ガラスが砕けるような澄んだ音と共に分厚い氷の壁があっさりと崩れ去る。
そして、この隙に彼女の元へ飛び込もうと足に力を込めたところで、
――――上条の視界から、オリアナの姿が消えていた。
一瞬とはいえ、停止する思考と体。悪寒と共に、時間が限りなく引き伸ばされ。真横から、不気味な風切り音が響く。
(氷を利用した、擬似的な
間延びした感覚の中で、そんなことを思い浮かべて。
上条が右手をあげるより早く、不可視の力が上条に襲い掛からんと飛来していた極薄の石刃を叩き落とし、粉々に粉砕した。石刃の纏っていた烈風が、残滓となって上条の髪を巻き上げる。
その一撃に上条は覚えがあった。学園都市に満ち溢れる微弱な力場を手繰り寄せ、強烈な一撃として撃ち放つことのできる、そんな能力と能力者に。
上条の横に移動していたオリアナが驚愕の表情を浮かべて見上げているその視線の先を辿り、上条も空を見上げる。
予想した通りだった。上条とオリアナ、2人の目に飛び込んできたのは、白銀の翼を背負い、厳しい眼差しをオリアナに向ける勇斗の姿だった。