開いたダンボールが室内のあちらこちらに散乱し、お世辞にも綺麗とは言えない帝都大学内にある香月 夕呼の部屋に二種類の香りが運ばれてきた。
夕呼の秘書官でもあるイリーナ・ビアティフ中尉が銀色の盆に二つのカップと一つの湯呑みを載せて折り畳み式のテーブルとパイプ椅子という侘しい応接セットに座る三人の下へと近づく。
「失礼いたします」
最初に飲み物を渡されたのは客人であり階級が一番高いシンジだった。 彼の前には茶の葉の清々しい香りがする緑茶が置かれ、続いて鎧衣、夕呼とコーヒー入りのカップが各人の目の前に置かれていく。
シンジは飲み物を持ってきてくれたビアティフに「ありがとうございます」と笑顔で礼を言うと、茶の温度で温められた湯呑みを両手を添えて持つと眼前に持って行き香りを楽しんだ。
将官らしくない丁寧な礼に意表を突かれ一瞬きょとんとした表情をビアティフは見せたが、直ぐに持ち直すと一礼をして退室していく。
部屋を退室したビアティフは再び給湯室に入り、コーヒーを二つ入れると秘書室で待つノイマンの前にカップを一つ置いた。
「サンキュウ」
「いえ。 …あの?」
素っ気無く礼を言うノイマンに、彼女としては珍しく戸惑いがちに何かを尋ねたいようだった。
「なんだ?」
「…藤枝准将はいつもあのように振舞われる方なのですか?」
コーヒーに注がれた視線を上げてビアティフを視界に収めたノイマンは、一度カップに口をつけるとテーブルに置いて口を開く。
「ああ。 いつもあんな感じだ。 変な奴だろ?」
やれやれと苦笑して自分の上司であり将官でもある人物を変人扱いするノイマンに、同意したいが失礼ではないかと再び戸惑うビアティフであった。
シンジとビアティフのやり取りを目を細めながら観察していた夕呼は、ビアティフが退室してシンジが嬉しそうに湯飲みに口を付けたのを見ると自分のカップに口を付けながら内心でニヤリと笑って見せる。
事前に調べた情報通りに藤枝 慎治と言う男は女性… それも美人に弱いようだ。
コーヒーを飲み喉を湿らせながら夕呼は目の前の男のプロフィールを思い出す。
シンジ・フジエダ、藤枝 慎治。 性別 男。 年齢は24歳で独身。 黒髪にブラウンの瞳で身長173センチの中肉中背。 顔は良く言えば温和な、悪く言えば締りの無い顔をしている。 造りはまあまあか…
ラグランジュポイントに突如現れたロンデニオンコロニーの管理者を名乗り、BETA戦で人類側としての参戦を望んでいる。
地球の技術レベルを遥かに超えた技術を持ち、ロンデニオンの真意は定かではないが取り敢えず懐柔策で取り込もうとした日米両国から異例中の異例として3つの軍籍と技術准将の地位を得る。
日米両国に対する接し方は至って穏健で、利害を無視した様なやり方は逆にロンデニオンの真意が伺えず未だにその目的は見えないが、今のところ人類に対して害意は無い。
アメリカが第五計画への協力を得ようとして強引な方法を取ろうとした時にも、敵意を見せずに交渉に拠って収める。
実にこちらの物差しで計りにくい相手だ。 まあそのお陰で第四計画の首は繋がったが… そもそも彼が現れなかったら第五計画は予備として採決されても第四に支障は出なかったのだからプラスマイナス0で感謝する謂われは無い。
未だに人類が作りえぬ核融合炉を戦術機サイズの機体に収められるレベルの物を始めとした技術を惜しみなく公開してはいるが、まだまだ奥の手が有りそうだ…
国籍に関しては表向きは無いために日米両国が与えたが…
とにかく彼の保有する技術は魅力的だ。 先日のお披露目に出てきたMSという機体に搭載されているであろう高性能コンピュータ… あのガンダムという名の機体と同じ動きを戦術機にさせようとしても戦術機に搭載されたコンピューターでは処理が追いつかない。 しかもあのコンピューターは模擬戦の最中で相手の動きを学習し、自らの糧にしてしまうとんでもないモノだ。
興味があるところだが… ガードが甘そうだしいけるか?
いやしかし油断できる相手ではない。 未だに姿を表さない彼のバックボーンも考慮しないと… 最悪、00ユニット構想と同じく、実はBETAが送り込んだスパイとも考えられるし…
思考しながらも、視線は茶をほっこりと啜るシンジを油断無く観察する夕呼。 さて、どうやって相手から情報を引き出して自分の糧にしてやるかと彼女が心中で舌なめずりしていると、獲物たるシンジが満足げな顔で湯飲みから顔を上げる。
「結構なお手前で」
「はぁ? …あっ、いえ。 ご満足頂けたのでしたら良かったですわ。 准将は緑茶の方がお好きだとお聞きしたので…」
なんだコイツの言い回しは? 普通に饗されたお茶程度でなんでその言葉が出る? ここは茶室か? シンジが発した場違いな言葉に、彼女はいきなり調子を狂わされる。
「あの…」
「…何でしょう?」
突然緩みまくった顔を引き締めシリアス顔のシンジに気合を入れて姿勢を正す夕呼。
「お茶… もう一杯頂けますか?」
「…少々お待ちを。 …ええ、准将にお茶のお替りを、…私はいいわ」
「香月博士、私にもお替りを。 今度は准将と同じ緑茶で」
「…お茶もう一杯追加で。 ええ、鎧衣課長に」
出てきた言葉にいささか脱力し、少し肩を落としてデスクの上にあるインターフォンで隣室のビアティフにお茶のお替りを頼む夕呼。
便乗して鎧衣も飲み物のお替りを頼むが、夕呼にキッと睨まれる。 それでも客人のシンジが居る手前、無碍にも出来ずにお替りを追加するしかない彼女は肩を震わせた。
暫らくするとドアをノックする音が聞こえてビアティフが湯気の立つ湯飲みを二つ載せた盆を持って入室し、シンジ達の前に静かにお茶を置く。
「どうぞ」
「お手数を掛けてすみません。 お茶、美味しいです」
「…ありがとうございます」
シンジの気安いというか、人懐っこいというかそんな態度にやはり少々困惑するビアティフ。
それを傍で見ていた夕呼は何故か少しイラッときた。 イラッと来たが表には出さずに話を進める。
「それで藤枝准将、本日お呼びしたのは…」
「はい?」
緊張感の無い声で返され再びイラッと来る彼女。
(コイツの緊張感の無さは何なの? 馬鹿なの? 死ぬわよそんなんじゃ?)
内心で苛々としながらもそれを表に出さず、根気強く話を続けようとする彼女だが内心で罵倒しつつも何となく案じてしまうのは彼女の根底が悪いものではないからだろうか?
冷酷な魔女だとも呼ばれる香月 夕呼だが…
そんな彼女の内心を知ってか知らずかシンジは穏やかな笑みで彼女を見つめる。
(悪い人じゃない… この人にあれ程の非情をさせたのは状況がそうさせたんだろうな… そうじゃなきゃ自分の大切な人まで… 俺が同じ立場にあったら…)
「…ロンデニオンが第四計画に協力して頂けるという事ですが?」
「出来得る限りの協力をします」
初手の探りの言葉に真っ直ぐに言葉を返され、一瞬訝しげな表情を夕呼だが直ぐに表情を戻す。
「出来得る限りですか…?」
「はい。 出来得る限り」
「…あのMS…、ガンダムでも?」
「直ぐには無理ですが、先行量産タイプの試作品でよろしければ」
出てきた言葉に顔を引き攣らせ、頭痛を覚える夕呼。 先行量産品とはいえ、ロンデニオンの最新鋭機を逡巡無く渡すと言い切るシンジに彼女は頭を抱ええたくなった。
取り敢えず相手が呑めないであろう条件を出し、そこから妥協点を探ると見せかけて自分の本命を引き出そうと交渉の初手から入ろうとした彼女であったが、初手でいきなり本命以上のモノが釣れてしまった…
「…ご冗談を」
「いえ、マジ… 本当ですが?」
夕呼にとって拙い事態になった。 ガンダムが丸々一機貰えるのは良いが、世の中ギブアンドテイク。 早々旨い話が有る訳がない。
いったい何を見返りに要求されるのか…? まさか00ユニットのデータか? 何を要求されるか分かったものではないのでこの件は冗談として流して、本命のコンピュータの方へとさり気なく誘導しなければ。
そう思いつつも今後の交渉の目安、相手が何を求めているのかを探るため、ガンダム一機に対する見返りを聞いてみようと考える夕呼。 聞くだけならタダなのだ。 彼女は女性らしいしなを作りシンジを妖しく見据える。
「ふふふっ、いやですわ准将。 おからかいになって… もし頂けるとしても見返りに何を望まれますの?」
「えっ…? ああ、そうですね~ 見返り、見返りっと…」
ふん、スケベが下手な芝居で白々しい。 彼女の色香に当てられて一瞬反応が遅れ、目の前で悩むシンジを見て夕呼はそう思った。
夕呼が見詰めるなか、結論が出たのか腕を組んで悩んでいたシンジがついっと顔を上げる。
「…私の話を黙って聞いて頂くのを条件では駄目でしょうか?」
話を聞くだけ? 夕呼は出された条件を怪しむ。 ただ話を聞くだけで未知の技術の塊であるMSを差し出すのか?
思考するために形の良い顎に手を当てシンジから視線を一時逸らした夕呼が視線を戻すと、そこには表情が抜け落ち能面のような顔をした彼の姿があった。
あまりの豹変振りにシンジの隣に座る鎧衣も湯飲みを持ったままで彼を凝視する。「…聞くだけでよろしいのですか?」
「ええ、聞くだけで良いんです。 聞いてどうするかは貴女の自由…」
先ほどまでと違い、抑揚のない声で話すシンジに二人は息を飲む。
やがて彼が語る話の内容は二人の想像の範囲外であった。
BETAの正体とその組織形態。夕呼の現在の構想での00ユニット完成までの障害になるポイント。詳細は不明だが新理論による00ユニット完成の可能性。そして00ユニット使用時の危険性…
語られる度に二人の、特に開発者たる夕呼の顔は段々と険しくなって行く。
「…と言うわけで、00ユニットがハイブ反応炉に接触すると相手の情報を引き出すと同時に此方の情報も引き出される可能性が有るのですよ… ですからその辺りの対策を………撃ちますか?」
シンジが俯かせていた顔を上げて夕呼へと向けると、彼女は席に座ったままに白衣の下に忍ばせていた拳銃を握っていた。
拳銃を握った手は怒り、怖れ、そしてその事に気付かれた困惑で震えている。
表向きはシンジと同じく無表情を通しているが、その内心は嵐の如き様々な感情と思考で吹き荒れていた。
「何者?」
「シンジ・フジエダ。人間… それ以上でも以下でもないですよ… 博士は私が嘘を言ってるかどうかを確かめる方法が有る。それを試されても結構ですよ?」
薄い笑みと諦観したような瞳で夕呼を見上げるシンジ。
その最後の言葉にピクリと体を震わせ反応を示しながらも、夕呼は瞳をより鋭く細めて口を開く。
「よくご存知のようね… けど本当に良いのかしら?」
「勿論」
挑発するような彼女の声に僅かに肩を竦ませながら答えるシンジ。 そしてその二人を黙って観察する鎧衣…
数分後。
夕呼がインターホンで隣室に居るビアティフに指示を出し、ビアティフに連れられて白いワンピースを着た銀髪の小さな少女がシンジの前に現れる。
「来たわね。社(やしろ)。準備なさい」
「はい…」
社と呼ばれた少女はソファーに座る夕呼の背後に回ると、その瞳で静かにシンジを見詰める。
自分を見つめ、一瞬体を震わせて怯えた様子を見せる少女に薄く笑みを返し、改めて姿勢を正すシンジ。
「では、先程と同じ話をもう一度します。もし私の話に嘘が有れば遠慮なく申し出てください。それとこの話以外の質問は無しでお願いします。…よろしいですか?」
シンジの言葉に鋭い目つきで夕呼が返すと先程と同じ内容の会話が繰り返される。
その情報の一つ一つを聞く度に夕呼は背後へと視線を向けるが、社はその言葉に嘘が無いことを彼女に伝えるべくその細く華奢な首を横に振った。
そして最後の言葉。自分は人間であると言い終わるとシンジは静かに目を閉じた。
その最後の言葉に嘘がない事を社が伝えると夕呼は細めた目をシンジへと向ける。そして…
「大変失礼いたしました藤枝准将… しかし最後に一つだけお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「その情報源はどちらから?」
閉じていた目を開き真っ直ぐに彼女を見詰めるシンジ。
「そうですね… 平行世界の未来情報… と言えばお分かりになりますか?」
「っ!?」
思わぬ答えに目を見開き息を詰まらせる夕呼は急ぎ振り返り背後の社を見る。
少女は静かに首を横に振った…
「ふむ。准将。今更ですが、私がこの話を聞いても…」
「構いませんよ。帝国の方に伝えるのも鎧衣さんの判断に任せます」
今まで口を挟まずに事の成り行きを見守っていた鎧衣の言葉に、いつもの気の抜けた雰囲気に戻ったシンジが答え。その言葉を聞き逃さなかった夕呼は鎧衣に睨むような視線を送っている。
その視線を「報告するな!」と受け取った鎧衣は苦笑を浮かべながら首を横に振った。
「おいそれと報告出来るよう内容ではないですね…」
「第四計画にとってマイナスになるものも有りますから、直ぐには無理でしょうね… けれど何れは鎧衣さんの方から広めて頂きたいのです。私が進言するよりも鎧衣さん経由で伝わったほうが信憑性も秘匿性も高くなるでしょうから」
「はっはっはっ。准将は私を買い被っておられる」
「いいえ。裏の世界で貴方ほど分かりやすく信用できる人物は居ないと私は思いますが? その点では香月博士も同じですね。だからこそ互いに信用されていらっしゃるのでは?」
その言葉を受けて夕呼と鎧衣は互いに見合わせると、一方は嫌そうに顔を逸らし、もう一方はフムと頷き深みのある笑みを浮かべて相手を見詰める。
そんな中、少女は一人の人物を黙って見続けていた…
会談が終わり、シンジが去った部屋には三人の姿が残っていた。
先程までとは違い、足を組んで尊大な態度でソファーに座って淹れなおしてもらったコーヒーを啜る夕呼に、その隣でちょこんと座りココアをチビチビと飲む少女、社 霞。
夕呼の対面には相も変わらず飄々とした態度でお茶を啜る鎧衣が座っている。
「で、なんでアンタはまだここに居るのよ?」
「いや~ 待っていれば面白い話が社君から聞けそうなので」
「帰れ!」
期待するように社を見詰める鎧衣に目を鋭く細めて不機嫌そうに言い放ち、「しっしっ」と手を振る夕呼。
未だに社を部屋に留め置かれていたのは、藤枝 慎治なる人物のリーディング結果を聞く為であった。
人の思考を色やイメージとして捉える事の出来るリーディング能力を持つ少女は彼の人物を捉えたのか? 未だに謎多き人物の情報はBETAのモノと並んで得難く、各陣営は少しでも情報を得たいと思っている。
鎧衣個人にも悠陽や榊総理大臣から直々に調査をきており、特に榊の入れ込みようは大きなものであった。
悠陽からの指示では「相手側の心象を害さない範囲での調査」に対し、榊からは「出来うる限りギリギリの…」限りなく黒に近い灰色の手段を取っても情報を引き出すようにと指示を受けていた。万が一の取り成しは総理たる自分が責任を持つとの言質と共に…
悠陽の言葉は裏の指示としては甘いものだと鎧衣は思う。思うが、それは敬愛する幼き主君の美徳なので責める気持ちはない。
むしろあのような方だからこそ周りの心ある者は支え、お守りしたいと思っている。たとえ我が身を汚泥に塗れさせ外道に堕ちようとも…
まあ自分を始めとして帝国とアメリカの諜報員が色々と仕掛けてはいるが、あの妙に勘が鋭い若き准将殿は悉くを神業的に回避しているが…
仕掛けの前までは無防備にひょいひょいと来るくせに、罠を目前にしてこちら側が成功の確信を抱くと同時に避けてしまい。思わず「リーディング能力でも持ってるんじゃないか?」と疑いたくなる始末。
話が逸れたが榊もまた悠陽を、帝国を支え守りたいと思う無私の人なのである。故に自らが泥を被る事を辞さずに裏事にも進んで手を染めていく。
本人を知らぬ者が見れば、悠陽を差し置き強引に進める人物だと思われがちだが、本人は一切の弁解をする事無く黙々と成すべきことを行っていた。
口にこそ出さないが、友人、同志と心の内で認めている鎧衣は、この不器用な人物の事を心配している。いつかその生真面目さが彼を窮地に落とし入れるのではないかと… その点では目の前の彼女も似たようなものかと…
顔を背けていた夕呼は溜息を一つ吐くと社に彼の人物をどう感じ取ったのかを尋ねる。鎧衣の事情も背後も承知している彼女は、自分の第四計画を支援している帝国と人物達に貸しの一つでも作って置くかと自分を納得させたのだ。
二人の大人の視線を受けて、少女は行儀良く手にしたカップをテーブルの上に音も無く置くとしばし黙考して逡巡する。
「社が感じたままでいいから話して… 初めて見たときはどう思った?」
「はい…」
夕呼にしては珍しく声音に優しさと労わりが僅かに含まれており、それを感じ取った社は落ち着きを取り戻す。
「最初は怖かったです…」
「どうして?」
「空っぽだったから… あの人の中が何も無い真っ暗な世界だったから… でも…」
「でも?」
「でも… よく見ると、真っ暗な世界の奥の方に光が見えたんです…」
「光? どんな光?」
小さな目を瞑り、少し前に見たイメージを思い浮かべようとする少女。彼女の脳裏に浮かぶのは…
「ゆらゆらとしていて… 色んな色に輝く光… です…」
「ゆらゆらと色んな色か… オーロラみたいなものかしら?」
少女の脳裏にこの土地に来るまでの短い旅の道中、輸送機の窓から見えた故郷の風景が蘇る。
「そうです… オーロラ… 大きなオーロラみたいな光です… 色んな色の小さな光が集まって出来た… 暖かくて…優しい光…」
何も無い闇の中だからこそ、その奥に見つけられたモノ。幾つもの小さな光たちが寄り添いあい、虹色のオーロラを作り出す。
少女は知らない。
かつて彼女が触れた人達の奥底には同じモノがあったのかも知れないという事を…
それは誰もが持ちえ、奥底に眠る人の…
沈み始めた夕陽に照らされる公園のベンチで、表情の抜け落ちた顔でぼんやりと砂場で遊ぶ子供達を見詰める男が一人…
会談を終え、帰りの車の中で少し外の空気を吸いたくなった男は車を止めてもらい。 近くにあった児童公園で脱力していた。
其処に缶コーヒー二つを片手に持ったノイマンがゆっくりと近付いていく。
そんな彼の前を、まだ遊び足りない子供達の集団が駆け抜けるが、最後尾の一人がノイマンの近くで転んでしまう。
膝を擦り剥いた痛みからか、泣き出した子供にノイマンは溜息を吐くと近付いてしゃがみ込んだ。
「おら、泣くなよ」
缶コーヒーを地面に置いて、泣きじゃくる子供を抱え上げて立たせる。
「ひっく、だって…!」
「男だろ?」
泣きながら応える子供に、面倒くさそうな表情でノイマンは子供の頭を乱暴に撫で付けた。
ベンチに座っていたシンジは先ほどの表情とは打って変わり、彼の不器用さを微笑ましげに見詰めている。
「…ぐすっ。 泣かない」
「よし! えらいぞ」
しゃがみこんで目線を合わせると、アメリカ人らしい闊達な笑みを浮かべたノイマンに釣られて子供の顔にも笑みが浮かぶ。
そんな二人の周りには何時の間にか他の子供たちが集まり、小さな輪を作り出していた。
「ねえねえ。 おじさんは、アメリカの兵隊さんなの?」
「おじさ…」
「ぷっ…」
子供の一人が、好奇心と憧れでキラキラと輝く瞳で青い瞳を見詰めながら尋ねられ、その呼び方に絶句していると背後から小さく噴出す声が聞える。 直ぐに背後を振り向いて、キッと声の主に鋭い視線を向けた。
すっ呆けた表情のシンジに顔を顰めながらも、子供たちの純粋な視線に当てられたノイマンは、頬を夕焼けに染めながら「おじさんじゃねえよ」と顔を逸らしながら少々ぶっきらぼうに応えながらも頷く。
「すげえー!」 「おじさんも、せんじゅつきのえいし?」 「ろぼっとの人?」
「だから、おじさんじゃねえよ。 …そうだよ。戦術機の衛士だよ」
途端に子供達から歓声が巻き起こった。
そして子供達からの好奇心溢れる視線と言葉にたじろぐ彼は、助けを求めるようにベンチへと顔を向ける。
ベンチに座って微笑ましそうに様子を見ていたシンジは、ノイマンからの助けを求める視線に良い笑顔で応えた。
野郎、面白がってるな? その笑顔の意味を正確に読み取ったノイマンは羞恥で頬を引き攣らせる。
そして一秒にも満たない思考の後で彼は、こう口を開いた。
「坊主達。 あそこに座って嗤っているお・じ・さ・んは、凄い偉い兵隊さんなんだぜ?」
その言葉に今度はシンジが顔を引き攣らせ、子供達の視線が一斉にベンチへと向かう。
まだ過酷な現実を知らない幼い瞳達に見詰められ、苦笑しながら応対するシンジのココロの奥底で、霞が見た光が少しだけ強く揺らめき輝いた。
それは何気ない日常の、かけがえのない風景…
それから数日後、様々な人々に影響を齎した富士の裾野の黒き大地に見慣れぬ機体が無限軌道の跡を残しつつ進んでいた。
この世界では奇抜な形をした機体…
特徴的な不等辺三角形を成す無限軌道を両側面に配した車体の上には、長大な砲身を両肩上に配した水色の人型上半身らしきものが乗っており。両腕に当たる部分の先端には指が無く、代わりに束ねられた4本の銃身が伸ばされていた。
コックピットに当たる頭部前面には透明度の高いキャノピーが配され、本来は単座型であるはずが簡易座席が後部に据え付けられて即席の複座型になっている様子が見て取れた。
乗っているパイロットは二人。一人は本来の操縦席である前席に座るインカムを付けて地球連邦軍の制服を着た若い青年。もう一人は即席の後部座席に座った壮年の日本帝国軍士官。
前席に座った青年、シンジは前方のキャノピーに拡大表示された目標にFCSのサポートを受けながら照準を合わせていく。
目標までの距離はおよそ60km。
ミノフスキー粒子が散布されていなければこの機体にとってはごく至近の距離だが、ロケット推進により射程を延ばした日本帝国海軍ご自慢の改大和級戦艦の主砲でギリギリ。アメリカ陸軍の聖騎士の名を関する迫撃砲では到底届かない距離をこの機体に乗せられた120mm砲には至近距離に分類される。
忙しい合間を縫ってお披露目のスケジュールに余裕が無かった事と、その射程距離の長大さからコロニー内での実弾射撃試験が出来なかった為にお披露目で公開するのを控えられたその機体…
RX75 ガンタンク量産型
ペガサス級に搭載されているガンタンクとは別に、ロンデニオンコロニー内で作られた最新鋭MSは先日帝国領内に降下したHLVロケットから降ろされて、日本帝国 征夷大将軍である悠陽からの口添えで使用許可が下りた富士の演習場にて初の実弾射撃訓練が行われていた。
ターゲッティングが終わり後は引き金を引くばかりとなったシンジは後ろを向き、監督官である後席の帝国軍中佐が頷くのを確認すると前を向いて最終確認を行い右の操縦桿に付いた赤いトリガーを引いた。
腹に響く爆発音を響かせて右の砲身から放たれた120mm砲弾は衛星の誘導を受け、僅かな微修正を行いながらロケット推進で飛翔し、60秒後には目標である標的板を見事に貫いた。 続けて発射された左のキャノンから発射された砲弾がほぼ同じ箇所に命中したのを確認するしたシンジは速射砲なみのスピードで左右のキヤノンを交互に発射し、時折同時発射を行うがその全てが標的の至近に纏まり精度の高さを示していた。
キャノピーの拡大映像に映し出された結果を見て後席の帝国軍中佐、巌谷が息を呑む。
技術廠に勤める仕事柄、彼には多くの兵器に関する知識があったがガンタンクのような機体は見たことが無かった。
搭乗前の説明でシンジからこの機体が自走砲に近い運用方法を目的に作られたとは聞いていたが、その性能は近いどころか現在世界で使用されている自走砲を軽く超えてしまっている。
衛星からのサポートを受ければ最大で200kmを超える射程を誇り、最高速度は時速70km。両肩の120mm低反動キャノンの他に自衛用に40mmボップミサイルランチャーを両腕に固定装備で備え、搭乗員はたったの一名…
後ろから見た所、操作はかなり簡潔に纏められており。操縦桿を始めとした機器類も見慣れた物が多く使われている。これならば機種転換訓練の期間を短縮する事も可能だろうと彼は考察した。
なによりもこの性能の機体をたった一人で苦も無く操縦できる恩恵は計り知れない。
通常、内陸部での砲撃支援を担う自走砲や迫撃砲は一門につき複数の兵員が必要になる。砲を運搬する者に射撃を担当する者、砲弾の装填を担う者や通信担当者と指揮官…
しかしこの機体は各作業の高度な自動化によりたった一人で動かす事が出来る。
現自走砲を超える最大射程距離と衛星リンクによる射撃精度、高機動性による展開能力に必要人員の削減でより数を揃え易くなる。
懸念は他の自走砲より口径が小さい120mm砲の打撃力不足と、整備補給等のバックアップ体制だが、前者はその長射程と高い速射性に特殊な弾頭と数を揃える事で対応できるであろう。後者についてはロンデニオンに派遣された整備員の話では通常の自走砲よりも手間は掛かるものの、戦術機の整備に比べれば格段に整備しやすく。また、パーツの耐久性も高いのでその点でも有利であり、何よりも核融合炉搭載機の為に燃料無補給で半年以上は稼動出来るとの事。
なお、核融合炉に関してはロンデニオンから提出された資料に目を通したところ。反応炉の暴走や核爆発の危険は皆無であり、放射能汚染についても特殊なフィールドにより防護されているので最小限で済む事が明記されていた。
「機動時によるミサイルランチャーの性能評価試験に移行します」
その言葉に我に帰った巌谷は前席に座るシンジに再び頷いて返した。
「悪くはないけど微妙だな~ボップミサイルは…」
先程の稼働試験で出た問題点に少し鬱陶しくなってきた頭を掻きながら呟く。
「威力は充分だとは思いますが、装弾数が少しばかり心許ないかと…」
そう言って来たのはガンタンクに同乗した巌谷中佐だ。
ペガサスの左舷デッキには機体を戻し、二人で整備中のガンタンクを見上げながら意見交換を行っていたりする。
HLVで地上に降ろされてきたガンタンク四両は、この後日米両国にそれぞれ譲渡される予定になっている。
ロンデニオンに派遣されてきた日米の砲兵が指摘した、コロニー内では大気圏内での超長距離射撃が不可能だとの意見を受けて、それならば日米両国に稼動データと交換で譲渡して地上でデータを取って貰おうと運ばれてきたのだ。
「この機体の設計思想を考えれば、早々に使うものではないでしょうが… それでも一考の余地は有るかと」
「…因みに中佐ならどうします?」
「…そうですね。36mmケースレス弾を使用する武装などはどうでしょう? これならば自衛力を保ちつつも信頼性も高く、装弾数を上げる事も出来ますし」
「それがベターですかねぇ… 弾の補給もしやすそうだし、腕部を再設計して36mm機関砲使用に… 支援メインにする機体の滅多に使わないであろう自衛兵器だから補給の利きやすい弾薬が良いだろうし、36mmなら戦術機で信頼性が確率されてるし」
ちなみに巌谷中佐が此処に居る理由は、帝国に譲渡されるガンタンクの受け取り先の責任者が彼だからである。
帝国の兵器廟に属し能力的にも不足なく、模擬戦時に親しげに交流していた経緯を知った軍上層部は、彼をロンデニオン兵器に関する責任者に抜擢したのである。
「はぁ… あれもこれも考えたりやらなきゃいけないからパンクしそうです。 あぁ… 体がもう一つ欲しい… 無理か。コロニーの収入も少しは出来そうだし、本格的に人を雇おうかな…」
そう言って視線を動かし、メンテナンスベッドに固定されているプロトガンダムのコックピット上で整備員と何やら話し込んでいるノイマンを見やる。
米軍よりの出向ではあるが、ロンデニオンが正式に雇用した初めての人物であるノイマンはMSのテストパイロットも任されており、暫定的にプロトガンダムの担当になっていた。
シンジにとって彼は気の置けない数少ない人物の一人であった。
異世界へとやってきて出会う人々は敬語等の固い口調で話す人々ばかりの中で、この世界の人間から見たら無礼な口調も彼にとっては気安く、もと居た世界の友人たちを思い出させる。
故に何かにつけてノイマンと行動を共にすることにより数少ない慰めとしているのだが、事情を知らない周りの者達からは彼の態度に対する忠告を受ける事も多い。だがシンジはノラリクラリとそれらの声をやり過ごしているので徐々にその声はなりを潜める。
本来であればシンジに贔屓にしてもらっているとの声も上がりそうだが、ノイマンと彼のやり取りにそんなものが感じられない事もありその点では問題は起こっていない。
「人を雇われるので?」
控えめな声量と探るような目を向ける巌谷中佐に何時もの締りの無い笑みを浮かべながら頷くシンジ。
「ええ。これからの事を考えると人手が足りなくて… 日米両政府から基地設営の追加条件が有ったんですが、ロンデニオンでの起業許可を認めてくれって。ロンデニオンの技術力をバックにした国と民間の共同会社を設立したいという話だったんですが… 他にも日米の民間企業の工場や陸海宇宙航空軍の各上層部が独自に兵器工廠を開きたいとか有るんですよね~ 正直、自分だけで全部対応するのは大変なので、各国各分野の専門担当者をロンデニオンで雇いたいんです。“いろいろ”とやりたいもので…」
「そうですか… 差し出がましいですが、その場合ですとロンデニオンが…」
「仰りたい事は分かります。雇った人たちは当然、ロンデニオンよりも自分の“所属する”国や組織の益を優先するでしょうね… 別にそれは構わないんですよ。別にこれで大儲けしようとか思ってませんし」
「はあ…」
「ロンデニオンが儲けても、そこでお金の流れが止まりそうですからね~ それよりも各国に流した方が健全でしょうし。それに逆に考えれば、そういう人達を雇うことによりその人達のそれぞれ“親元”の意見が纏まって分かりやすく整理しやすいでしょうし」
その言葉に巌谷中佐は頭痛を覚えた。
普通の人間なら諜報員を忌み嫌い、避ける行動を取るところを目の前の人物は敢えて受け入れて、各組織のバロメイター代りに使おうとしているのだ。その神経の図太さに感心していいのやら呆れていいのやら…
「あの、自分も帝国の一員なのでそのような話は…」
「別に隠すような事でもないですし、中佐が誰かにこの事を話して広まったら広まったでこちらの意図を向こうも正しく理解してくれるでしょうから構いませんよ」
何でもないというふうに手のひらを軽くヒラヒラと振る若き准将に「はあ」と気の抜けた返事を返す巌谷であった。
日本帝国の首都が置かれている京都では帝国の若き執政者である悠陽が自分よりも遥かに年を重ねた大人たちに囲まれてある議題を検討していた。
先ごろロンデニオンから提案された琵琶湖基地建設に関しては帝国内で反対の声は殆ど無く、概ね好意的に受け入れられて各部署は基地建設を前提に調整を既に始めている。
今回、帝国の重鎮達が集まったのは別の案件が発生したからである。
帝国、アメリカが琵琶湖基地設営の為の交換条件へのロンデニオンの回答が両国機関を再び震撼させた。
ロンデニオンの両国に対する起業許可と、ロンデニオン“行政機関”への求人案内が発信されたからだ。
云わば地球圏内の自治区であるロンデニオンがその運営の為に地球に住む人類に雇用を募集した。それも今までの一般職の募集ではなく“行政”関係をである。
どう考えても地球圏の勢力ではなさそうなロンデニオンがコロニー運営に地球圏の人員に募集を掛けた意図をロンデニオン代表者の藤枝准将はこう説明した。
「いずれは地球人類が自力でコロニーの“運営”と“建設”を行えるようになる為の下地作りである」と述べた。
更に続く言葉が日米両国の政府機関を阿鼻叫喚の混乱へと叩き落す。
「その先駆けとしてロンデニオンは二つの公社を設立したいと思います。 一つは“コロニー公社”。その名のとおりコロニー建設と運営を担う組織です。もう一つは“資源船団”。地球近郊の小惑星の捕獲、運搬、資源の切り出しと、今は在庫が十分に有るので問題がありませんが将来的に必要になるであろう核融合炉の燃料に必要になるヘリウム3を始めとした資源の確保の為に、木星周辺への調査に採掘基地設営と運搬を担う組織です。二つの公社にはアメリカ、日本を始めとした世界各国からの参加を強く希望したい次第です」
その言葉を直に聞いた日本の外務官と駐日アメリカ大使は呆けた。
シンジが何を言っているのか分からなかった。
そうして漸く理解したが理解できなかった。少なくともホテルの一室で1人の代表者と二人の外交官とで話す話の内容ではない。
世界が、歴史が確実に変わるであろう第一歩に居合わせて歴史に名を残すであろう事実に二人の外交官とその補佐官達は身を震わせた。
一時は頓挫してしまったこの世界の宇宙開発が再び、それも大規模で革新的なものが行われようとしているのだから。
ロンデニオンはこの計画を日米両国の共同提案として国連へと提出して貰い。今や世界を二分する計画派閥のそれぞれの説得を頼むと同時に、両国に当計画の指導者的立場への就任を要請した。ロンデニオンはあくまで補佐的立場に徹するとも明言。
ロンデニオン自らが指導者の立場に立たないのはこの世界の人類の自立を促す為で、指導者的立場を一国に統一しなかったのは地球に存在する各国に少しでも多くの参加を受け入れ易くする為であったが、無論デメリットも存在するであろう事はシンジにとっても承知の上だった。
指導者を日本かアメリカのどちらかにした方が命令系統の統一や計画の進捗でのスマート化に繋がるのは確かだが、それでは恩恵を受けるのが片方の派閥にのみ偏ってしまい好ましくは無い。
多少の混乱や複雑化を覚悟しながらも二つの派閥を同じ席に着かせる事で互いに切磋琢磨する方が好ましいと考えたのだ。
「私は民主主義が好きです。それはより多くの様々な考えを持つ者が同じ席に着く事が出来るからです。人道に反しなければ様々な主義主張、宗教を持つ者が同じ場に共存できる可能性を持つ。例えそれが“建前だけ”のものであってもそれを声高らかに言えるのは素晴らしい事だと私は思います」
清蜀併せ呑む。
そう最後にアメリカの外交官へアメリカ政府へとメッセージを託したという。
「綺麗事だけで上手く行きはしない… それは分かっている… けれど… それでも人を信じたい。 人の可能性を… 希望を… それがガンダムと出会って俺が受け取ったモノなのだから…」
その場で発した彼の小さな呟きは、誰に聞かれることも無く静かに消えた…
「ですから我が省の人間の席を優先してですな…」
「それを言うのであれば、我が省の人間を送り込んだほうが後々の為に…」
ロンデニオンからの雇用枠には限度がある。 予めゼファーによって弾き出され、日米公平に決められた定員数の中に自分達の身内を一人でも捩じ込もうと各省の役人達は自論を展開していた。
政府の文官に果ては各軍の武官達までもが激しく言い合う中、静かに瞳を閉じて上座に座る悠陽はその声を聞いている。
そして考えが纏まったのか、その瞳を見開き座を一度見渡して静かに口を開いた。
「各々の考えは良く分かりました。 ロンデニオンへと送る人員の割り当てに関しては… 榊に任せる事にします」
「はっ! 承知いたしました」
悠陽の言葉にその場に居た何人かの者が苦い顔をする。 悠陽に、そして一任された榊に対する感情は様々だ。
しかし、悠陽に近しい者達は心の内にその成長を期待する気持ちが有った。 その気持ちに応えるように悠陽の言葉は続く。
「榊。 言わずともこれは、我が国の未来の行く末に関わる重要な選定です。 限られた国土と資源の無い我が国が身を立てるには、知識や技術を持った者を育てる事こそが肝要。 ロンデニオンの技術を学び得る為に、その先人たる者の選定には官のみ拘らず、民間からも有望な者を用いて決めるように」
「大任をお任せくださり恐悦至極にございます」
日本帝国という国は、良くも悪くも官の体質が世界大戦時から殆ど変わらずに色濃く受け継がれている。 第二次世界大戦の敗北を受け、表向きには民主主義の体制を受け入れているものの政の場に民間の者が入るのを嫌う傾向があった。
その体質、体制の象徴たる悠陽はそれでは勝てないと考えている。 有能な者は貴賎を問わず貪欲に取り込む大国アメリカには勝てないと。
広大な国土と資源を持つ大国と渡り合うためには質で渡り合うしかない。 官と民に拘って有能な人材を育てられねば、何れはこの国に斜陽が差すのは必定。
現段階ではアメリカという国に張り合うためのモノが帝国には無い。 しかし、好機が訪れた。
ロンデニオンの登場により、この世界にとって未知の技術に触れ学ぶ機会…
アメリカと同じスタートラインから始める又とない好機。
ここで差を付けられる訳にはいかない。
寧ろここで差を付ける事が出来れば、その国益は計り知れず。 それによって得た国力の増加はBETAから国民を護る力となる筈。
この国の未来を… やがては人類の新しい未来(せかい)を切り拓く者を育てる為にも…
「ここから創めましょう。 新しい日本の… いえ、人類の礎を…!」
会議を締め括る最後の言葉。 悠陽の宣言を受けてその場に居合わせた者の多くは力強く頷く。
悠陽の宣言に頷く者も、そうでない者も、その場に居た全ての者達は新たな始まりを確かに感じていた。
その日の夜。 京都御所の一角に置かれた斯衛の駐屯地にて、一つの戦いが在った。
片や、青い塗装が施された帝国斯衛の最新鋭試作機・武御雷。 片や同じく青い塗装の施された単眼の鬼神。
両機供に二刀の構え。 鋭き切っ先と重厚な刃が睨み合う。
「行くぞ、紅蓮!」
「参られい、御大!」
先を取るわ青き御雷。 帝国五摂家が当主の一人が操る機体。 迎え撃つは帝国の武神が操りし鬼神。 跳躍ユニットの爆発的な推力を繊細に操り、地表を滑るように疾駆して鋭い斬撃を放ち、単眼の鬼神は避けること無く手にした無骨なる剣で受け止める。
「これを受けるかよ…」
「然り」
最新鋭の跳躍ユニットと、同じく最新鋭の炭素繊維で編まれた駆動部位を持つ武御雷の全力を乗せたカーボン製長刀を、セラミック合金の剣で正面から受け止めた鬼神は両断どころか揺るぎもしなかった。 それどころか、跳躍ユニットを噴射させて押し込もうとする相手を、単純な力押しで押し返して行く。
最新の技術で織り込まれた炭素の繊維が、間接部でブチブチと切れていくような幻聴が聞えてくるようだと思いながらも、瞬時に後ろへと後退。 肩透かしを食らった相手がバランスを崩す事に期待をかけるが、目の前の相手は危なげなく持ち直す様を見て苦笑を洩らす。
「それは反則であろう」
「某もそう思いまする」
ぶんっと一振りした剣を構えなおし、攻め手が変わり鬼神の猛攻が始まる。
嵐の様な剣戟を武御雷は時に避け、時に長刀で受け止めるが、その度に機体各部や長刀が負荷を受け、モニター内の機体コンディション表示が赤く染まって行く。
「どうしろと言うのだ…?」
呆れながらも武御雷を操る手を休めないが、打開策が浮かばない。 苦し紛れに放った突きが鬼神へと伸びるが、寸前で打ち返されて半ばから折られる。
残った一刀で追撃をかけようとするが、こちらが振りかぶった時には既に二剣が交差するように武御雷の首へと添えられていた。
「…参った」
この場合、相手の機体の性能を讃えるべきなのか、シュミレーションとはいえそれを僅か十日ばかりでここまで使いこなした御仁を褒めるべきなのか、判断が苦しいところだった。
空気の抜ける音が響く中、二つの筐体のハッチが開いて二人の男が姿を現す。
シュミレーター室の他の筐体と同じ物からは、引き締まった体に黒をベースに青いラインが入った強化装備を着た男が、もう一つの最近ロンデニオンから送られた筐体からは、隆々たる筋肉の逞しい体が赤と黒の強化装備をはち切れんばかりにした初老の偉丈夫が。
ヘッドレストを外した男は汗で額に張り付いた前髪を後ろに撫で付けつつ偉丈夫に向かって苦笑を洩らす。
「少しは加減したらどうだ、紅蓮?」
「それは失礼に当たると存じ、全力で行かせて頂きましたが?」
「減らず口を… 大したものだな?」
「左様ですな」
「…変わるか?」
「変わらねばなりません。 少なくとも殿下は変わることを望んでおられる」
紅蓮のその言葉に、苦笑から自虐めいた笑みへと顔を変えて男は僅かに目を俯かせる。
暫しの沈黙が二人の間に流れ、やがて俯かせた目を決意で細めた視線を紅蓮は正面から受け止め、それにしかと頷き返した。
「なれば、我らのすべきはただ一つ。 殿下のお志に沿うように動くのみ。 ふっ… そのくらいして見せねば、大人としての甲斐性があまりにも無さ過ぎる」
「まことに」
そう言って二人は静かに、そして固く手を握り合った。