インフィニット・ストラトス ~迷い込んだイレギュラー~ 作:S-MIST
臨海学校が終わってから、晶の日常は急速に様変わりを始めていた。
その切っ掛けは、束が公開実験の時に言った資金集め。
言った本人は当然の如く自宅から出てこない為、接触可能な晶に面会の申し込みが殺到しているのだ。
だが、それも無理の無い話だった。
何せ篠ノ之束は独力でIS第四世代機を世に送り出した天才。そんな人間が資金集めをしてまで作る発電衛星。
一度稼動してしまえば、地球上のあらゆる情勢や環境に左右されず、安定した電力供給を実現する夢のようなプロジェクト。
しかも公開実験で成功している以上、必要とされる技術が既に完成しているのは誰の目にも明らか。
投資家達が躊躇する理由は何一つ無かった。
加えて窓口になるのは、世界最強の単体戦力であり、束が唯一言う事を聞く人間とまで言われている薙原晶。
発電衛星の計画に絡む事が出来れば、必然的にこの2人とのパイプも構築できる。
そしてもし薙原晶を篭絡出来たなら、篠ノ之束博士を手に入れたも同然。
「――――――って考える人間も、当然いるわよね。そこのところ、どう考えてるのかしら?」
昼休み早々にIS学園生徒会長、更識楯無に拉致された晶は生徒会長室にいた。
目の前の拉致した当人も昼食前という事は自覚しているのか、応接用テーブルの上には出前の寿司が置かれている。
「どうって言われてもな。俺が乗らなければ良いだけの話だと思うが?」
「本気で言ってるの? 貴方以上の交渉上手なんて幾らでもいるわよ。気付いたら上手く乗せられていたなんて状況がありえるのは、貴方なら説明するまでも無いと思うけど」
「この件で俺の傍に置く以上、それなり以上に信用のおける人間でないと話にならん」
「じゃぁ、いつまで1人でやるつもりかしら? 貴方が信用している人間なんて、そう何人もいないでしょう。あの引きこもり兎は横に放り投げておくとして、それ以外だとフランスとイギリスの代表候補生あたりよね。でもこういう事を手伝わせるには能力不足。百歩譲って他の代表候補生から選ぶとしても、ドイツの代表候補生だと思考が軍人的すぎて不適格。中国の代表候補生は、明らかに交渉事には向いてない。一夏君と箒さんも、交渉向きでは無いわね」
「・・・・・何が言いたい」
とは言ってみたものの、彼女の狙いは既に分かっていた。
というかこんな話をされたら、誰だって想像出来る。
「言わなきゃダメ? 結果が同じなら、求められた方がモチベーションって上がるものよ」
楯無が上目遣いで、可愛く晶を見上げてくる。
ついでにブラウスのボタンが幾つか外れているから、中々眼福の眺めだ。
が、こいつの場合は100%確信犯。
乗ったら大変な事になってしまう。
「誘惑のスキルを磨くのは結構だが、相手が乗ってきたらどうするつもりだ?」
「大丈夫よ。貴方以外にはしないし、触れさせる気も無いもの」
「男としてはこの上なく嬉しい台詞だな」
「感動した?」
「一応、俺も男なんでな」
「あら嬉しい。で、返事は?」
深い溜息。数瞬の思考。
能力的には全く問題無いどころか、恐らく望みうる最上級。
裏切りも、よっぽどの事が無い限り大丈夫だろう。
だが最大の問題は――――――考えるまでも無い。束との相性だ。
楯無を秘書として迎え入れた場合、割と冗談抜きで胃に穴が開くかもしれない。
しかし、えり好みをしている余裕が無いのも事実。
流石にスケジュールや資金の管理、戦闘に交渉の全てを1人でやれる自信は無い。
「迷ってるの? なら1週間、いえ3日、私を使ってみなさい。それで納得させてあげるわ」
「・・・・・いいだろう。やってみせてくれ」
「交渉成立。今後とも宜しくね」
「まだ“今後とも”、とは決まってないぞ」
楯無はクスリと笑った。
「いいえ。必ず選ばせてあげる。――――――それに私だってね、一緒に働くパートナーは選びたいのよ。女の体と権力にしか興味の無い男なんて嫌」
「俺はその嫌なタイプに入っていると思うが?」
「全然。だって貴方、一度だって私の家に興味を示した?」
「何度かお前を使わせてもらってるが?」
「“私を”であって“家を”では無いでしょう」
「当たり前だ。仕事を頼むのに人を見ないで何を見る。どんな名門ブランドだって支えてるのは人だろう」
楯無はこの言葉に、晶の事を改めて好ましく思った。
この男は常に本質的な部分を見ようとする。煌びやかな外見に惑わされない。
だからきっと、策謀渦巻く世界でも自分を見失わない。
「世の中にはブランドでしか、人や物の価値を計れない人間がいるのよ」
「それは理解しているが、もしかして、そう思われていたのか?」
「まさか。思ってたらこんな事言わないわ。貴方はそのままでいてね」
そう言って不意打ちのように、晶の頬に軽いキスをした楯無は、自身の頬を羞恥で赤く染めながら更に続けた。
「私は更識家当主だから、相手なんて選べないと思っていた。いずれお金と権力だけで相手を選ばなければならないと思っていた。それは仕方ないと諦めていた。でも、やっぱり嫌だった。だからハッキリ言うわ、薙原晶。私は貴方が欲しい。だから貴方の傍らに立つ。文句なんて誰にも言わせないし、場所を譲る気も無い。ただ貴方が困るから、私の反対側に引きこもり兎が立つのくらいは、許してあげる」
何とも過激な告白だった。
「俺は――――――」
楯無は人差し指をそっと晶の唇に当て、続く言葉を封じた。
「ストップ。貴方の答えは必要無いのよ。私がしたいからそうするの。いずれ私無しでは、いられなくしてあげるわ」
「・・・・・楽しみにしている」
この日、晶が教室に戻ったのは休み時間終了間際だった。
そして放課後、ある一定以上の情報網を持つ面会者達は、色々な意味で度肝を抜かれる事になる。
対暗部組織“更識”の長が、NEXTの秘書になっていたのだから。
◇
日も沈み、今日の予定を全て片付けた晶は束の自宅前にいた。
かれこれもう10分は、玄関前をウロウロしてしまっている。
傍から見たら完全に不審者だが、幸いこの辺りに一般人が来る事はない。
なので(ある意味)安心して迷っていられるのだが、更に10分が経過したところで、世にも恐ろしい冷たい声が聞こえてきた。
「・・・・・・・・・・いつまでソコにいるのかな? 入ってきたら?」
「あ、ああ」
玄関のロックが解除され、ドアが開く。
入るとオートでドアが閉じ、ガチャリとロックされた。
確かこの扉の材質は、GA社製
そんな思い出したくも無いデータが、脳裏に蘇る。
つまり逃げ道は・・・・・無かった。
背中を流れ落ちる冷や汗を自覚しながら、慣れたはずの廊下を恐る恐る進む。束がリビングのソファに座っていた。
テレビもラジオもついていない部屋は酷く静かだ。
「た、ただいま」
「うん。おかえり。何か言う事は?」
一瞬話さないでおこうという悪魔の囁きが脳裏を過ぎるが、そんな考えは焼却炉に放り込んで灰にしておく。
知られていないはずが無いし、黙っているのは、束に余りにも失礼だ。
ここはやはり、自分から話すべきだろう。一点秘密にしておきたい事はあるのだが・・・・・。
「あーーーーその、面会者数が多くて大変なので、更識楯無を秘書にしてスケジュール管理をやらせました」
「へぇ。勿論、今日一日だけよね?」
「い、いや。これから先――――――」
「ずっとなんて言わないわよね」
束の目がスッと細くなる。
ヤバイ。俺死ぬかもしれん。
「その、束には悪いと思ったんだが、能力的にあいつ以上の人材が見当たらなかったんだ。下手な人間にやらせたら大変な事になるし、他に信用出来そうな人間と言ったらフランス代表候補生のシャルロットなんだが、俺の傍らに置く以上策謀関係にも強くないと話にならない。本当に悪いとは思ったんだけど、ここで
「そんな事は分かってるよ!! ただまぁ、正直に話してくれたから許してあげる」
内心でホッとする晶。
だが次の瞬間、束は直球で抉り込んできた。
「――――――と言うと思った?」
「え?」
「お昼休み、何してたの?」
ダラダラと流れる冷や汗。
可能なら逃げ出したいところだが、ここは
玄関から出ない限り逃げられない。
しかし玄関は、先程施錠されてしまった。
「何って、生徒会長室に――――――」
「居たのは知ってる。でも出てきたの、随分遅かったよね? あの泥棒猫と何を話していたの? お昼休みが始まってすぐに連れていかれて、出てきたのが休み時間終了間際。あの部屋の盗聴対策は悔しいけどレベルが高くてね。調べられなかったんだ。だから教えて、ね」
ニッコリと笑う束だが、目は全然、全く、欠片も笑っていない。
「ちょっと、昼飯を一緒にな」
苦しい言い訳なのは、言っている本人が一番良く理解していた。
「ふぅん。他には何も無かったの?」
言いながら、冷たい眼光のまま束が近付いてくる。
どうしようか一瞬考えてしまったが、彼女が涙を浮かべているのを見た時、自然と口が動き始めていた。
「分かった白状する。手を出したよ。お前に悪いとは思ったが、迫られて断れなくて我慢出来なくて手を出した」
「何であんな女に手を出したのよ。私じゃ満足出来なかったの?」
束が更に詰め寄ってきた。
「そんなはずあるか。一番がお前なのは変わりないし、変える気もない。ただ、ちょっと情が湧いた」
「どんな風によ」
「その――――――」
そんな洗いざらい白状させられそうになった時、晶の懐から携帯からコール音が聞こえてきた。
初めは2人とも無視していたのだが、出ないでいると今度はメールの連続着信。
仕方ないので差出人を見てみれば、楯無更識。
メール内容は『引きこもり兎に繋いで。後、兎に「受けないなら負け犬って呼んでやる」って伝言をお願い』という怖すぎる文章。
握りつぶしたい事この上なかったが、傍らに束がいる以上、既にそれは不可能だった。
「あの泥棒猫!!!!!!!! いい度胸してるじゃない!!!!!!!!!!! 貸して!!」
晶の手から携帯が毟り取られ、楯無の番号がコールされる。
『どういうつもり?』
『どうもこうも、私の気持ちに整理がついたから宣戦布告しておこうと思って』
『なんですって』
『私はね、晶が欲しいの。だから傍らに立つ事にしたわ。そして貴女が彼を捨ててくれるなら、私にとっては好都合。ぜひとも捨てて頂戴。私が貰うから。1人になった貴女なんて怖くないわ』
メキッ!!
携帯が悲鳴をあげるが、助ける事は適わない。
『随分ふざけた物言いね』
『あらそう? 今の貴女にはお似合いだと思うけどね。だって貴女たしか、以前私にこう言ったわね。『肉体関係があるだけで、“繋ぎとめる”だなんて、まるで
『誰がガタガタ言うっていうのよ。私が心配してるのはね、貴女みたいな悪女に私の大事な晶が利用されないかって事なの』
『あら、利用してるのは貴女じゃない。自分の虜にして、好きなように使ってるんでしょう?』
『誰に口を聞いてるか、分かってるの、貴女』
声のトーンが氷点下にまで下がるが、相手も怯まない。
『勿論分かってるわよ。そしてね、彼が悲しむから一回だけ忠告してあげる。本当はアンタみたいな引きこもりに忠告なんてしたくないんだけど、このままだと容易く破滅するのが目に見えてるから今回限り忠告してあげる。だから良っっっく聞いておきなさい!!』
『なっ、何よ急に』
楯無の言葉に、思わず気勢を削がれる束。
『いい。篠ノ之束博士。今後表での活動が増えたら、表で活動するが故に避けられない事態がある。その度に感情を爆発させていたら、必ず付け込まれるわよ。そうならない為にはね、ドンと構えてなさい。悔しいけど彼は貴女にぞっこんなの。黙ってれば勝手に戻ってくるの。それを見せ付けてやれば良いだけなの』
『それと今回の、貴女の行動の何が関係があるって言うのよ』
『大有りよ。表で行動する時に私がサポートすれば、大抵の悪い虫は防げるわ』
『貴女が一番悪い虫じゃない』
『狙ってるのは否定しないわ。彼が欲しいのは本心だもの。でも博士にメリットが無い訳じゃないのよ』
『何よ』
『他の悪い虫は防いであげる。どう? 私に“だけ”気をつけていれば良いというのは、悪い話じゃないと思うけど。それとも有象無象の全てを警戒する方がお好み? 随分な手間だと思うけど』
『・・・・・・・・・・』
『沈黙は肯定と受け取っても良いのかしら?』
『そこまで言うのなら、お手並み拝見といこうじゃないか。泥棒猫』
『そう。認めてくれるのね』
『認めてないわ。ただ、丁度良い虫除けがあるから置いておくだけ』
束は返事を聞く前に通話を切った。
「・・・・・・・・・・晶」
優しい口調だが、何故か恐怖を感じる低い声。
「な、何だ?」
完全にビビッてる晶。
着ているシャツは既に、汗を吸って重たくなっていた。
「今日から、ここに住んで」
「え?」
「だから、今日からここに住んで。いっくんの白式も
「あ、ああ。じゃぁ、荷物を片付けに――――――」
と言って踵を返そうとしたら、腕を捕まれた。
「生活用品はここに全部あるし、授業道具は明日の朝取りに行けばいいよね。だから今日はもう、ずっとここにいるの」
こうして晶の日常は大幅に様変わりを始めたのだが、その切っ掛けとなった当人は今頃――――――。
◇
更識楯無は自室のベッドの中で、顔の火照りを止められないでいた。
行った行為と言った数々の台詞が、どうしても頭から離れてくれないのだ。
目を閉じれば生徒会長室の出来事が、そして束相手に切った啖呵が脳裏に蘇ってくる。
普段の自分からは信じられないような行動だった。
どうかしてると思う。
だけど、事態を静観するという選択肢は無かった。
束博士がああして表舞台に出た以上、薙原晶も出てくる事になる。
そしてあれだけの男だ。
寄って来る人間は腐る程いるだろう。
ここは何としても先に動いておく必要があった。
その考えに間違いは無い。
しかしあそこまで、自分の気持ちを曝け出す気は無かった。
だけど言ってしまったのは彼の、「当たり前だ。仕事を頼むのに人を見ないで何を見る。どんな名門ブランドだって支えてるのは人だろう」という言葉が切っ掛けだった。
聞いた時、この人なら家の権力に惑わされず自分を見てくれると思った。
そう思ったら、何としてでも欲しくなった。
圧倒的な暴力にも酔わない鋼の理性。暴力が必要な場面で躊躇わない判断力と実行力。
そして何より、外見に騙されず本質を見ようとする精神。
こんな超優良物件を他人に渡すなんて馬鹿げてる。
ちょっと経験不足のところもあるけど、そんなものは“私が”サポートしてあげれば良い。
その為に、彼の傍らという立ち位置を確保した。
束博士に惚れ込んでるみたいだけど、必ず私の方を振り向かせてあげる。
そんな事を思いながら、楯無は眠りについたのだった。
第52話に続く