【旧作】腹黒一夏くんと演技派箒ちゃん   作:笛吹き男

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【転】ブルー・ハイディング/レッド・エスケイプ

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 金、地位、性。

 古来より男と女を結びつける物はこの三つであり、中でも『性』は蛇の交わりに等しい。

 男は女の支配を夢見。

 女は男を惑わし喰らう。

 捕食者が捕食され、捕食される者が捕食する。

 つまるところ、シャルロット・デュノアは実の父と性的関係にあったという、ただそれだけのことだ。

 

 

 

 

 

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 シャルル・デュノアの登場はセシリア・オルコットにとっても予想外の出来事だった。

 確かにセシリアの活動拠点はイギリスであるし、貴族社会を牛耳るような影響力を持っているとは言えない。しかしIS関連に関しては他者よりも一歩もニ歩も先んじているという自負はあり、事実としてセシリアはIS委員会の一人に渡りを付けることに成功していた。

 そんなセシリアが事前情報を何ら掴めなかったのだ。

 

織斑一夏()にはあまり得体の知れない女と番になられても困りますし――――)

 

 シャルル・デュノアの経歴は、フランス政府によって完全に秘匿されていた。ただそれだけならば本国(イギリス)の諜報機関が頑張ればどうにかなるレベルだったが、そこにIS委員会が絡んでくるとなると話は変わる。IS委員会とは篠ノ之(しののの)(たばね)がISを世界に還元する際に使用した中継機関であり、その性質上一体何を隠し持っているか分からず、下手に突くと藪蛇となる可能性が高い。

 なにせあのISを生み出した“災厄”のことである。IS以外の発明品が無いとは断言できない。

 IS委員会と篠ノ之束の関係は実は不明瞭である。IS委員会の中でも特に上層部の人間は、一部では篠ノ之束と何らかの取引関係にあるのではないかと疑われていたりするが、残念ながら詳細は不明だ。セシリアが接触できたのは中層部の人間であり、流石に上層部の人間には近づくことはできなかった。

 シャルル・デュノアの事案にはIS委員会の上層部の意向が絡んでいる。それがセシリアの見解だった。

 

(織斑一夏と同室というアドバンテージを得て五日。そろそろこちらも何らかの行動を示さなければ、彼女たちに示しが付きませんわね)

 

 セシリア・オルコットは織斑一夏と協力体制を築くのとは別に、一年女子の中に自身の派閥と情報ネットワークを構築している。より効率的に織斑一夏の情報を仕入れ、織斑一夏との接触機会を増やすために作られたこの関係は、一応現状ではセシリアを中心としている。しかしそれはセシリアが一夏に近く、行動を起こせる立場であるからで、抜け駆けをしようとする“敵”に何の妨害も起こさないのではその地位を簡単に奪われてしまうだろう。

 セシリアは別にその地位に固執しているわけではないが、有用なのは確かであるし、シャルル・デュノアに対する横槍は、自身としても思っていたことだ。

 

(まずは、その性別から明らかにしてもらいましょうか)

 

 一夏に銃の特性を教えているシャルル・デュノアを眺めながら、セシリア・オルコットは思考する。

 場所はIS学園アリーナ。

 土曜日の今日は午後から自由時間のため、篠ノ之(ほうき)(ファン)鈴音(リンイン)を加えた五人はそれぞれISを着用しいつも通りIS訓練を行っていた。

 “篠ノ之箒”や“凰鈴音”、“セシリア・オルコット”らの“キャラクター性”によりIS基礎戦闘のいろはを理解できていなかった“織斑一夏”に、シャルル・デュノアは同性というアドバンテージと気配りキャラという特性を以って“織斑一夏”との良好関係を築きあげていく。時々、見計らった女子生徒が接触事故を起こすことで二人の仲の進展に調整を入れたり接触の機会を得ようとしたりしたが、シャルル・デュノアは意に介することなく“織斑一夏”との距離を縮めていた。

 セシリアはちらりと他の二人にも目を向ける。

 篠ノ之箒には入学以来特に変わった点はない。シャルル・デュノアが織斑一夏に睦まじくISレクチャーを行う様子を見て羨ましそうにしているのもいつも通りである。

 

(彼女からは最近、専用機について訊かれることが多くなってきましたわね。この調子でいけば、篠ノ之博士がそのうち用意するのではないでしょうか)

 

 そもそも“あの”篠ノ之束が妹である篠ノ之箒に専用機を用意していないことに引っ掛かりをセシリアは覚えていた。しかし、可能性としては篠ノ之箒自身が一度は断ったというのも大いに有り得る。篠ノ之箒が篠ノ之束のことをよく思っていないことは広く知られており、“そういう理由で”注目を集めることを嫌ったとしても可笑しくはない。だが現状では入学当初と違い、織斑一夏の周りは篠ノ之箒を除き専用機持ちで構成されている。そのことに対して篠ノ之箒が抱く感情は簡単に推測できる。いくら“人の心が理解できない”と言われる“災厄”であろうとも流石にそのくらいはできるであろうし、そうでなくとも篠ノ之箒の価値が相対的に下がるような事態を許すとは思えない。

 

(そろそろ、付き合い方を変えた方がいいかも知れませんわね)

 

 次に凰鈴音の方にも意識を向ける。

 一時期は織斑一夏の部屋に無理やり押しかけるなどかなり強引な方法をとっていた鈴音だが、最近では鳴りを潜め“織斑一夏包囲網”との協調も行なっている。先月のクラス対抗戦(リーグマッチ)において凰鈴音を抹殺しようとしたセシリアだが、それ以来“そういう事”には手を付けてはいなかった。

 

(凰鈴音の方は、暫くは様子見でも大丈夫でしょう)

 

 そして最後に、ドイツからの刺客を目に留める。

 ISを展開してこちらを、正しくは織斑一夏を睨みつけるラウラ・ボーデヴィッヒを視界に収め、セシリア・オルコットは思惑を巡らす。

 

(凰鈴音の例もありますし、彼女には踊ってもらいましょうか)

 

 右肩の大型レールカノン『ブリッツ』で威嚇砲撃を行うラウラに表向き憤慨しながら、セシリアは心の中で笑を浮かべた。

 

 

 

 

 

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 ラウラ・ボーデヴィッヒとの一幕の後、ISアリーナの閉館時間が訪れたことで一夏たちは今日の練習を終えることにした。

 そしていつも通り一夏を先に着替えさせようとするシャルルだったが、一夏はいつもより強引にそれを拒んだ。

 

「たまには一緒に着替えようぜ」

「い、イヤ」

「つれないこと言うなよ」

 

 織斑一夏にとってシャルル・デュノアが女であることは、ほぼ確定事項である。故に一夏が警戒しなければならないのは、『織斑一夏』がシャルル・デュノアの正体を知る“時期”となる。

 『織斑一夏』の設定上、自力でシャルル・デュノアを見破ることは不可能。『織斑一夏』がシャルル・デュノアについてその真実を知る手段は、不慮の事故か相手側の自白の二つだけだ。しかし後者の場合ペースを相手側に握られることになり、シャルル・デュノアと『織斑一夏』の間に固い友情が芽生えてしまう可能性がある。

 シャルル・デュノアの男裝がそれほど長く世間に通じるとは思えないし、彼女自身も思ってはいないだろう。目的の読めない女であるが、『織斑一夏』にとって最も致命的なのは、『織斑一夏』とシャルル・デュノアの仲が親友レベルに至った状態で男裝女子だとバラされることである。

 現在『織斑一夏』の周囲を固める女は、篠ノ之箒、セシリア・オルコット、凰鈴音、シャルル・デュノアの四名である。このうち最も『織斑一夏』との距離が近いのは凰鈴音であるが、男女の仲かと問われれば首を傾げるような関係だ。『織斑一夏』にとって凰鈴音はあくまで“親友”であって“異性”ではない。対してセシリア・オルコットは最初から“異性”として登場したが、『織斑一夏』という人間そのものとの距離はまだまだ遠く、二人を結び付けるには至らない。篠ノ之箒は幼馴染としての土台と、六年後しの再会による“異性”としての登場の両方をカバーしているが、空白期間が思春期真っ只中であることと篠ノ之箒が『篠ノ之箒』であるが故に、その実『織斑一夏』との“ずれ”が存在する。

 そのような中で男裝女子として『織斑一夏』と仲を深めたシャルル・デュノアが正体を明かせば一体どうなるか。その瞬間を劇的に演出されればされるほど、シャルル・デュノアは両者の特質を併せ持つことになり、先の三名の立ち位置を侵食するだろう。そして、現状一種の三竦み状態で保たれている均衡が崩れることとなる。全てはシャルル・デュノアに利する形で。

 しかし、それを快く思わない者も存在する。一夏と協力体制を築いているセシリア・オルコットは、一夏側の事情を踏まえた上でシャルル・デュノアに対して攻勢に出ることを提案したのだ。

 そして、一夏はその案に乗った。

 

「――――どうしてシャルルは俺と着替えたがらないんだ?」

 

 『織斑一夏』が事を起こすには下地が必要だ。シャルル・デュノアの正体がバレてしまうような“そういう雰囲気”を作っておくことで、織斑一夏は『織斑一夏』の仮面に隠れたままシャルル・デュノアへと攻勢に出れる。

 しかし肉体的接触可能な距離までシャルルに詰め寄ったところで、一夏は首ごと第三者によって引っ張られた。凰鈴音がこれ幸いと間接的にシャルル・デュノアへ手助けをしたからだ。

 

「はいはい、アンタはさっさと着替えに行きなさい――――」

 

 編入時の“先走り”の件以降、鈴音の立場は不安定であった。

 鈴音は当初、自分は“災厄”に殺されるものと考えていたため(もともと中国政府の傀儡として一夏に近づいた経緯から、篠ノ之束のことを警戒していたのだが、中学二年の冬にそれは決定的となった)、後先考えずに一夏に接触し、事態の打開を図ろうとした。そのため周囲との関係悪化は必然であり、鈴音の足場は急速に脆くなっていったのだ。実のところ鈴音はその当時先の生を内心で諦めており、それこそが後の事を考えなかった理由でもあった。

 しかしクラス対抗戦(リーグマッチ)において“災厄”から刺客を差し向けられた鈴音は、何の因果か生き残った。そして生き残ってしまったが故に、鈴音には生への執着が生まれた。それはごくごく一般的な程度のものでしかなかったが、家族を人質に捕られていることと“災厄”を常に警戒しなければならなかったことで疲弊していた凰鈴音は、あの日ベッドに眠る織斑一夏の顔を脳裏に焼き付けたことで“その先”を望んでしまったのだ。

 だからこそ鈴音は、崩れてしまった足場を固め直す。

 “先走り”によって一度孤立してしまった凰鈴音が一定の立ち位置と勢力を得るにはシャルル・デュノアという新たな異分子は都合が良く、また同じ“災厄”に狙われる者同士今後の為に連携をとっておきたいという思いもあった。

 そしてそんな鈴音を、一夏は複雑な思いで見つめる。

 織斑一夏にとっての最優先事項は“彼女”である。織斑一夏は“彼女”のために思考し、行動する。そこに疑問の余地はない。“彼女”と“それ以外の者”を天秤にかければ、迷いなく前者を選ぶのが織斑一夏という存在なのだ。

 だというのにクラス対抗戦(リーグマッチ)において一夏は迷い、そして“彼女”の意に反した。鈴音を助けたのにはもちろん、“篠ノ之束に殺人を犯させない”という目的があったことは事実だ。織斑一夏は“彼女”を信奉するが、決して隷属している訳ではない。織斑一夏が“彼女”を第一とするのはあくまで自分自信の意志決定の末であると、一夏は心に留めている。篠ノ之束は“天才”であるが故に、彼女の導き出した“神の理論”が地表の民には受け入れられないことがある。それを見極めつつ、“彼女”の意志に実現させるのが一夏の役目なのだ。だから表面上ならば一夏が“彼女”の意志に反することが間々ある。

 しかし、凰鈴音の件はそれとは違う。確かに篠ノ之束に殺人を犯させるべきではないが、それはあくまで直接的要因に限る。なにせ束ほどの存在が世界に影響を与えないはずがないのだ。IS登場により生じた世界変動の中で、間接的に束が人を殺しているのはほぼ確実と言える。そもそも人は皆、関わりの大小はあれど他者の生死に何らかの形で関わっているのだ。いちいち数え上げたところで意味はなく、篠ノ之束が直接殺人に関わらなければ、彼女が世界から人殺しとして扱われることはない。

 クラス対抗戦(リーグマッチ)において突如現れた無人機のISが篠ノ之束製であるという証拠がない限り、その無人機のISが凰鈴音を殺したところで、それは事故死に過ぎない。どれだけ世界の上層部に邪推されようとも明確なる根拠がない限り、“災厄”の報復を恐れる彼らはその推測を世界に浸透させはしない。だからこそクラス対抗戦(リーグマッチ)のあの時、一夏が鈴音を無理に救う必要などなかったのだ。

 故に、自分が凰鈴音を助けたのは私事なのだと織斑一夏は理解する。あの瞬間一夏の天秤は“彼女”ではなく“それ以外の者”に、強いて言えば織斑一夏に傾いたのだ。それは一般的には何ら不思議ではないかも知れないが、幼少期から“彼女”のために仮面を被り世界を騙すことを決意した織斑一夏からしてみれば、異常以外の何物でもない。

 しかし、そのことに気を取られている暇はない。凰鈴音など今の織斑一夏には不必要な物のはずなのだから、次の機会に切り捨てればいいのだ。それよりも今は、シャルル・デュノアの対処の方が一夏にとっては差し迫った問題である。そして他にも行動の真意を図りたい相手が、もう一人。

 

「あのー、織斑君とデュノア君はいますかー?」

 

 “フラグ”を建てた後に更衣室で一人着替えていた一夏に、扉の外からおっとりとした雰囲気を纏った女の声が投げ掛けられた。

 瞬間、一夏は改めて周囲の現状を再確認する。ここは更衣室。広さは教室半分ほど。時刻は夕方。室内には織斑一夏ただ一人。仄かに香る学生特有の汗臭さ。自身の立ち位置は扉から二メートル程。遅れてくるであろうシャルル・デュノアが到来するまで、これまでからすると二分ほど。篠ノ之箒、セシリア・オルコット、凰鈴音が外からここにやってくる確率は、先ほど外で窘められていたことから低いと判断。

 

(ふっかけてみるか)

 

「――――着替えは済んでます」

「そうですかー。それじゃあ、失礼しますねー」

 

 そう言って更衣室に踏み込んでくる山田(やまだ)真耶(まや)に合わせて、一夏は数歩前へ出る。

 互いに警戒心の欠片も見せることなく二人は近づき、あと一歩の距離にまで詰め寄った。

 男子の大浴場使用について説明する真耶の話を聞きながら、一夏は悟られないように目の前の女を観察する。

 山田真耶という女について一夏が知っていることはそう多くない。真耶は学生時代に日本代表候補生を務め、その冷静無比の戦闘スタイルから『鉄仮面』と呼ばれていた。しかし日本代表として十分な実力があったにも関わらず、その誘いを断りIS学園の教師となる。その際に今の『山田真耶』になったようであった。当時はまだ麗しい代表候補生を広告塔にするようなこともなかったため、候補生止まりの者たちの存在はあまり知られていないのである。

 山田真耶の変貌に疑問が残るものの、これまで一夏はそこまで彼女を注視はしていなかった。人の過去など探れば他者に理解できないものが一つや二つは出てくるものであるし、そもそもとして山田真耶は織斑千冬(ちふゆ)の“右腕”であったからだ。

 織斑一夏の行動原理は“彼女”を守ることである。それと志を共にする二人の同志の内の一人が、世界最強(ブリュンヒルデ)たる織斑千冬なのだ。その千冬が連れているのだから少なくとも山田真耶という存在は“彼女”の害にはならない。そう一夏は今まで考えていた。

 けれども、そんな考えは自惚れだ。世界を欺く仮面を付けているのが自分たちだけなど馬鹿げている。世界は織斑一夏にとって広大過ぎる。そのことを十年前のあの日、一夏は悟ったはずなのだ。

 だというのに、一夏はそのことを忘れていた。十年間『織斑一夏』の仮面を守り抜き、IS学園に入学できたことで、愚かにも“災厄”や“最強”と並び立っているような幻想を内心で抱いていたのだ。“彼女”の“騎士”の証である『零落白夜(れいらくびゃくや)』を受け継いだことで、一夏は内心で過大な自信をつけた。その時既に、セシリア・オルコットによって『織斑一夏』の仮面が破られていたというのにである。

 愚か、としか言いようがない。ここ一二ヶ月の自分を振り返り、一夏はそう自嘲する。しかし愚行もここまでだ。信じることができるのは“彼女”の関係者だけ。それを再び心に刻み、一夏は目の前の“敵”へと手を伸ばした。

 

「嬉しいです。助かります――――」

「い、いえ、仕事ですから――――」

 

 一夏に両手を握られた真耶が、頬を赤らめて取り乱す。かつて『鉄火面』と呼ばれた女の、初々しい若い女教師としての演技に付け入りながら、真耶の真意を読みとろうとする。

 “彼女”の“騎士”たる“最強”の片腕でありながら、必要以上に一夏へ接触を繰り返す女。間者たちへの牽制にしてはやりすぎであるし、そもそもその役割は篠ノ之箒が担っている。一夏の性感を刺激する行為を主としていることから考えても、真耶が単純に千冬の駒であるとは、最早一夏には思えない。だから一夏は、真耶の目的を知るためにここは敢えてこちらから性感刺激接触を行う。

 もちろん、これは諸刃の剣にもなりうる。しかし今回は“邪魔者”の存在によって、一夏自身がダメージを負う

前の状況打破が可能となるのだ。

 

「……一夏、何してるの?」

 

 予想通りに現れたシャルル・デュノアに、一夏は何食わぬ顔で振り返る。そして『織斑一夏』として対応しながら、釣り出された獲物へと密かに目を走らせた。

 

「一夏、先に戻ってって言ったよね」

 

 不機嫌さを全面に押し出すシャルルに、一夏は推測を確信へと変える。

 

(恋する男装少女というわけか。だが――――)

 

 こちらから先に仕掛けることで、シャルル・デュノアを『織斑一夏』の“片思いする友達”に押し留める。問題はシャルル・デュノアがどういう理由で『織斑一夏』に惚れるつもりなのかが分からないことであるが、『唐変木』を以てしてシャルル・デュノアの“女”を早急に殺すことが一夏の目的だ。

 

(『フラグ』は整えた。今夜にでもその化けの皮を剥いでやる)

 

 真耶に連れられて更衣室を後にしながら、残してきたシャルルを仕留めるべく一夏は腹の中で笑うのだった。

 

 

 

 

 

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 部屋に戻ってきた一夏はシャルルがシャワールームにいることを認識すると、クローゼットを開けてボディーソープの予備数を確認した。

 

(減っていない。――――まさか、誘っているのか?)

 

 昨日の時点でボディーソープは切れている。だというのに換えを持たずシャワールームへ向かうのはおかしなことだ。

 何故ならシャルル・デュノアは呆けた十代の少女ではなく、国家代表候補生だからである。そしてほぼ間違いなく男装少女なのだ。“ボディーソープを届けにきた『織斑一夏』に正体がばれる”ような危険を放置することはあり得ない。

 つまりこの現状が示すことは一つ。偶然を装って正体をバラすつもりなのである。

 

(っち、タイミングの悪い。だが、ここで引くことはできない)

 

 『織斑一夏』がシャルル・デュノアの正体を認知するにおいて関門となるのが、どのような根拠を以てシャルル・デュノアを女と認識するか、という問題である。最も確実なのは胸部と陰部を目視で確認することであるが、一夏が避けたいのも胸部と陰部を目視で確認することである。いくら『織斑一夏』が“ラッキースケベ”だとしてもその許される性的接触には限度があるのだ。そのまま押し倒されて一夜の過ちに至るなど、冗談ではない。故に性的接触を謀っていると思われるシャルル・デュノアを避け、シャワールームに向かうべきではない。

 しかし、事態はそれを許さない。既にボディーソープの入れ替えが必要であることを認識している『織斑一夏』を晒してしまった以上、それを覆すわけにはいかない。常に室内は監視されているというのに、シャルル・デュノアだけが監視装置を仕掛けていないということはないだろう。ここで下手に躊躇すれば、『織斑一夏』の綻びを見せることになる。

 そもそも一夏の計画としては、ボディーソープが既に入れ替えられていることに気づかない『織斑一夏』がシャワールームに向かい、擦りガラス越しにでもその造形を確認するなり下着等の物的証拠を見つけるなりするはずだった。それがまさかシャルル・デュノアが仕掛けてくるタイミングとかち合うとは、流石に一夏も予想していなかった。

 

(こちらに合わせてきたのか、それとも偶然か。どちらにせよ、やることは変わらない)

 

 例え性的接触を謀られようとも、そもそも男装少女の正体を暴こうとする時点である程度の覚悟はできている。そして現状を打破するためには行動は必須。

 だから。

 織斑一夏は、『織斑一夏』は、洗面所へと足を踏み入れる。

 

 

 

 

 

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 シャロット・デュノアという少女の経歴は至ってシンプルである。大IS企業デュノア社の社長とその愛人との間に生まれたシャルロットは、世間の目を逃れるため田舎での暮らしを教養される。そして母の死後は父親に引き取られ、デュノア社の非公式テストパイロットとして起用。その後経営悪化に陥った社の広告塔として、男性IS操縦者と偽ってIS学園に編入する。一般的とは言い難いものの、そこまで普通を逸脱しているわけでもない。広告塔としての手段が少々逸脱している点を除けば何処にでもある不幸話に過ぎない。

 この身の上話を『織斑一夏』が聞けば、共に親に振り回された者としてシャルロットの境遇を嘆き、デュノア社長に憤慨するだろう。

 そのことを想像して、シャルロットは頭の中で舌なめずりをする。そこにあるのは可憐な幸薄少女などではなく、獲物を前にした貪欲な蛇であった。

 シャルロット・デュノアは確かに妾の娘である。しかしだからといって排斥される存在とは限らない。ことこの件に関して言えば彼女は支配側の人間であった。

 そもそも事の発端であるシャルロットの母は、本来ならデュノア家などという名家と関わり合えるような身分の人間ではない。しかし彼女はその類まれな妙計を以て、“女”としての地位を確立していった。そしてついにはデュノア社長を性的に喰らうことに成功したのだ。

 しかし彼女の侵攻は一端そこで打ち止められる。その支配権拡大の様に危機感を覚えたデュノア夫人の尽力によって田舎に飛ばされた彼女は、復権する時に備えてひとまず次代の育成に専念した。その対象こそがシャルロット・デュノアであり、こうして生まれながらのハニートラッパーが誕生したのである。

 シャルロット・デュノアはハニートラッパーとして育てられ、その成長は母をも凌ぐものであった。そのことに彼女は歓喜し復権を狙うべく再び動き出すが、志半ばに病に伏しその生を終える。そうして庶民から世界的大企業の愛人にまで駆け上った女の人生に幕が下りたのであった。

 残されたシャルロット・デュノアはまだ後ろ盾がない“ただの妾の娘”であり、そのままではただの田舎娘である。しかしそこにデュノア社長が現れたことで事態は急変した。

 その頃には既に自身のかつての愛人が己を破滅させる魔性の女であったことをデュノア社長は理解していたが、その娘に罪はないとして孤児となったシャルロットを引き取りに来たのだ。夫人との間に子が恵まれなかったこともあり、彼はシャルロットに我が子の情を感じていた。

 だが、当のシャルロットにはそのような情など一切存在していなかった。ハニートラッパーとして育てられた彼女の思考は、如何にして男を喰らい自身を高めるかである。

 そうしてシャルロット・デュノアは、己の処女と引き替えにデュノア社長を喰らったのだ。

 

 

 

 

 

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 織斑一夏がシャルル・デュノアの正体を知って一時間が経過していた。

 互いのベッドに腰掛けて向かい合う二人の間には、困惑した空気が流れている。

 しかしそれも仕方がないことであろう。男子生徒のはずのルームメイトが、実は女子生徒だったのだ。それが胸部と陰部の直視によるものだと言うのだから、騙されていた方も騙していた方も気不味くなっているのである。

 もちろんそれはあくまで表向きの理由であり、沈黙の中においても一夏は警戒を怠ることはない。

 

(電気ケルトに仕掛けられた妙薬の及ぼす効果は微少だ。下手に意識すると『織斑一夏』の処理限界を越える。だが、だからといって素直に盛られるわけにもいかない)

 

 超科学の産物であるISを利用すれば、簡単な毒物検査も可能である。部屋に入った時点で『白式(びゃくしき)』が示した室内異常によると、電気ケルトの注ぎ口に妙薬が少しだけ仕掛けられていることが分かっている。しかし、それを指摘することは『織斑一夏』にはできない。なぜならIS精密機能の外部利用は、IS操縦者にとって高等技術の部類に足を踏み込むからである。

 それ故一夏がとれる回避行動は自ずと限られてくるのだが、それを簡単に実行することは浅はかと言えた。

 

(やはり妙薬はブラフか? 『織斑一夏』を探りにきているのだとしたら、ここで掛かっておくのも一つの手――――いや、駄目だ。いくら『唐変木』の『織斑一夏』とはいえ、妙薬に反応を示さないのは不味い)

 

 『織斑一夏』は確かに『唐変木』であるが、『不能』ではないのだ。薬物服用による強制性感刺激に無反応では、『唐変木』の設定に疑問が生じてしまう。それが避けるべき事態であることは言うまでもない。

 

(どちらにせよ、『織斑一夏』の性格上そろそろ緊張を解すためにお茶でも淹れるのが通例。ならば、それに乗じて処理をしてしまう方が無難か)

「お茶でも飲むか?」

 

「う、うん。もらおうかな……」

 

 その提案にシャルルはおずおずと承諾し、一夏は電気ケルトでお茶を沸かした後に急須へとそれを注ぐ。そしてそこから先に注いだ方の湯呑みをシャルルへと渡した。

 

「もう大丈夫だろ。はい」

「あ、ありがとう――――」

 

 一夏が湯呑みを差し出し、それを受け取ろうとシャルルが手を伸ばす。そして当然の結果として互いの手が触れ合ったことに、シャルル・デュノアは動揺を見せて手を引っ込めた。

 つまりは、湯呑み落下の誘導である。

 

(妙薬を警戒した? いや、最初からそれが目的で妙薬とは無関係? どちらにせよ――――)

 

 湯呑みを床に落として割らせるわけにはいかない。そうなればせっかくの“脱出手段”が無効になる可能性があるからである。それだけでなく、シャルル・デュノアの正体を問いつめる機会が後にずれれば、基本的に受け身の体勢で挑まなくてはならない一夏が不利になるのは自明の理である。

 一夏はシャルルが外に出ていかないようにするために、落下し始めた湯呑みを間一髪のところで掴み取った。しかし『織斑一夏』の反射限界に達したそれは、手元を狂わし中身が手に掛かってしまった。

 

「あちちっ。水っ、水っ」

 

 一夏は慌てて水道水で妙薬入りの茶を洗い流す。

 本来ならこの機会にISで成分分析をしたいところだったが、流石にシャルルの目の前でそれを行うわけにはいかない。ISの起動は身近にいれば互いに把握できてしまうため、シャルルがシャワールームから出てきてからは『白式』は使用していなかった。

 

「ちょ、ちょっと見せて――――」

 

 慌てたシャルルが一夏の腕を強引にとり、火傷の度合いを確認する。その際に自身の胸部をこれでもかというくらいに押し当ててくるが、そのことを一夏が気に留めることはなかった。何故なら、布越しの胸部接触よりも強烈な性感刺激が一夏を襲っていたからである。

 

(こ、こいつ……!)

 

 シャルル・デュノアが触れているのは織斑一夏の部位は手腕だけである。その上接触における運動は緩慢なものでしかない。しかしシャルル・デュノアは手腕の性感帯をポンポイントに刺激しているのであった。

 シャルルの指圧が、シャルルの胸圧が、一夏の手腕性感帯を悉く刺激する。性感帯を探る様子もなく最初からピンポイントに攻めてきたということは、シャルル・デュノアはこれまでの生活での観察のみで一夏の性感帯を把握したということだ。いくらISの補助があるとはいえ一夏の裸体を調査したわけでもなく、更に今この状況においてISは未使用なのである。恐るべき資質と言えた。

 

(これが目的だったか。『唐変木』を落とすための、外部刺激の性感刺激への変換――――まずいな……)

 

 『織斑一夏』は『唐変木』であるが、不感症ではない。そのため、性欲を伴わない肉体的快楽は『唐変木』のフィルターに引っかかることはない。つまり、シャルル・デュノアが与える快楽への過度な抵抗は、『織斑一夏』の限界を越えるということである。

 

「――――その…………なんだ。さっきから胸が、な。当たってるんだが……」

 

 普段の『織斑一夏』にしては少々直接的な表現でシャルル・デュノアをひとまず引き離した一夏は、冷めた湯呑みを再びシャルルに渡す。仕掛けられた妙薬は当然そのままであり、シャルルの湯呑みにはもちろん、一夏の湯呑みにも含まれている。一応はこの一杯程度で明確な効果を発揮する量ではないことが事前に分かっているが、その成分を実際に調べたわけではない。あまりにも強力過ぎるものを使えば“公に叩かれる”ため、決定打になるレベルの妙薬を使われることはないだろうが、もしものこともある。

 『織斑一夏』の『唐変木』は性欲安定剤によって保たれている。そのためセックスアピールはもちろん妙薬の類も『唐変木』の前では実際のとこと意味をなさない。しかし投与された薬物に対しては、いくら『唐変木』と言えども何らかの反応を示さなければならないのだ。一夏が湯呑みに口をつけるのを躊躇するのは当然である。

 この場において茶を勧めたのは一夏であり、シャルルはそれに与る形となっているため、お客の立場であるシャルルが先に湯呑みに口をつけるのが道理である。しかし、シャルルが身の上話をしやすくするために緊張を解すことが目的であるため、一夏が先に湯呑みに口をつけてみせるというのもおかしな状況ではない。つまるところ、ここでは一夏とシャルルのどちらが先に湯呑みに口をつけても構わない。

 ところがシャルルは戸惑うことなく湯呑みに口をつけ、中の日本茶を口に含んで咽の通した。唾で誤魔化した様子もないことから、妙薬に危険性がないことを判断した一夏も湯呑みに口をつける。妙薬が第三者の手のものであったとしてもシャルルがその存在に気づいていないということはない。何故ならシャルルもまた一夏と同じ高位IS所有者だからである。

 

「なんで男のフリなんかしていたんだ?」

 

 ようやく場が落ち着いたところで一夏がそう切り出し、本題であるシャルル・デュノアの“お涙ちょうだい”な身の上話が始まった。

 妾の娘として実の父親に道具同然の扱いを受けているシャルルの話を聞き、一夏は『織斑一夏』として怒りを露わにする。そしてシャルル・デュノアに“最後の夜”を迫られないように、彼女の居場所を作っておく。

 シャルル・デュノアは自身の正体がバレた以上IS学園にはいられないと口にしたが、そんなことは最初から分かっていることである。在学三年もの間性別を偽ることなど不可能であるし、そもそも一度でも身体検査を行われたらその時点で終わりなのだ。故に、シャルル・デュノアの計画はそのことを含んだものであるはずである。それに対抗するためにはシャルルの退学を防ぐのが効果的であり、一夏の挙げた案ならばシャルル・デュノアを“女”として遠ざけた上で、彼女の計画を破壊できる。もちろん危険因子を側においておくことになるが、男装女子という化けの皮が剥げたシャルル・デュノアならば、その危険性は周りの女たちと変わらない。ただ一つ誤算があったことと言えば――――

 

(奴の性感帯刺激の精度だけは予想外だった。だが、それだけならばいくらでもやりようはある)

 

 そもそもシャルル・デュノアが女として扱われるようになれば、一夏を狙う他の女達との衝突は避けられない。今までよりも肉体的接触は難しくなるはずなのだ。

 

「よく覚えられたね。特記事項って五十五個もあるのに」

「……勤勉なんだよ、俺は」

「そうだね。ふふっ」

 

 屈託なく笑って見せるシャルル・デュノアに一夏は『織斑一夏』として応えてみせる。十五歳の少女の笑顔に、心なしか一夏の心臓の鼓動が速くなる。シャルルの整った顔立ちを視線が上から下へなぞり、その無防備な首もとから開かれた胸元へと落ちる。

 その胸の谷間に引き込まれそうになっていた一夏だが、そこでふと我に返った。

 

(ばかな……。魅了されていたとでもいうのか? いや、妙薬が効いてきた可能性の方が高い。それともあの性感帯刺激に遅延効果でもあったのか?)

 

 とにかく、と一夏は視線を上げる。そこにはこちらを見つめるシャルルの瞳があり、自分を丸飲みしようと狙う大蛇の姿をその瞼の奥に一夏は幻視した。

 

「ん? どうしたの?」

「あ、いや……」

 

 このままではまずい、と一夏は反射的に靴の中に仕込まれた緊急発信機を作動させた。

 

「と、とりあえず、なんだ。シャルル。一回離れてくれ」

 

 IS操縦者達は互いに目の前の相手のIS起動を感知することができる。だからこそこの場においてはISを使用しない通信機が意味を為す。

 

「い、一夏、胸ばっかり気にしてるけど……見たいの?」

「な、なに?」

「………………」

「………………」

 

 沈黙の中、顔を赤らめたシャルルがゆっくりと体を屈めていく。着衣の襟が垂れ下がり、胸部に付随する乳房の白肌が露出する。そして迎え込むように開襟した首元へ吸い込まれそうになったところで、一夏の手配した横槍が部屋の外から投げ込まれた。

 

「一夏さん、いらっしゃいます?――――」

 

 

 

 

 

     6

 

 

 

 学年別トーナメントで優勝すると織斑一夏と付き合えるらしい。という噂を流した張本人はセシリア・オルコットであるが、彼女自身に優勝する意志はなかった。

 先のクラス代表決定戦とクラス対抗戦(リーグマッチ)においてセシリアは“災厄”の介入を強く認識している。それならば当然、次の学年別トーナメントでも何らかのアクションがあると考えるのが当然の帰結であろう。そしてセシリアはこの間の学年別トーナメントにおいて、“篠ノ之箒にとって邪魔となる凰鈴音の抹殺未遂”を目撃しているのだ。しかもセシリア自身、それに荷担してもいる。

 前回は凰鈴音のみが標的だったが、セシリアだって“災厄”から見れば邪魔者に違いない。『織斑一夏』ではない織斑一夏と関係を持っているとはいえ、それが逆に狙われる要因にならないとも言い切れない。シャルル・デュノアが男装女子であることは一夏の協力で確認がとれたので彼女が“二人目の男性IS操縦者”であるという理由で狙われる可能性はないことをセシリアは確信するが、一夏に仇為す者として狙われる可能性もあり得なくはなく、それに巻き込まれる可能性も無きにしもあらずといったところだ。

 つまるところ、セシリアは学年別トーナメントで目立つつもりなどなかった。できれば欠場したいところである。そしてそれに利用できそうな相手として目につけたのが、織斑一夏を敵視するラウラ・ボーデヴィッヒという存在であった。

 

「中国の『甲龍(こうりゅう)』にイギリスの『ブルー・ティアーズ』か。……ふん、データで見た時の方がまだ強そうではあったな――――」

 

 放課後の第三アリーナで表向き、学年別トーナメントに向けて特訓をしようとしていたセシリア・オルコットと凰

鈴音の二人に、ラウラ・ボーデヴィッヒが挑発する。

 ラウラの真意がどうであれ、彼女の様子ならば嬉々して自分たちの求める役目を果たしてくれるだろう。とセシリアは再認識し、鈴音に目配せした。

 学年別トーナメントにおいて“災厄”の介入を恐れているのは鈴音も同じである。いや、鈴音の方が恐怖していると言えるだろう。なにせクラス対抗戦(リーグマッチ)で暗殺されかけた本人なのである。“災厄”の魔の手から逃げたくなるのは当然だ。

 

「ああ、ああ、わかった。わかったわよ。スクラップがお望みなわけね――――」

 

 鈴音は打ち合わせ通りにラウラを煽り、場の雰囲気を荒立てていく。

 互いに牙を剥く中ラウラが一夏を侮辱したことで三人はIS戦闘へと入る。そして途中から一夏とシャルルを加えたこの戦いが“最強”の“生身”の介入によって終了する頃には、セシリアと鈴音のISは学年別トーナメントにでれないほどの損傷を負うことに成功したのだった。


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