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世界を圧巻したISの発明者として有名な
しかし、諜報目的で篠ノ之家、または
篠ノ之束によって“絶対”の防壁が築かれた二家。悪意を持って訪れようものなら、その者には“災厄”による報復が必ず訪れる。
少なくない諜報組織を使い潰すことで世界が得た教訓は、“篠ノ之束を刺激するべからず”、というものだ。
故に、篠ノ之
だがIS発表から四年後、二人を取り巻く環境に変動が起こる。
その年、篠ノ之束が成人した。
その年、それまで各国独自で育成していたIS操縦者の教育を公に引き受ける組織、IS学園が篠ノ之束の協力のもと日本に完成した。
その年、篠ノ之束が“467個目”を以ってISコアの製造を止めた。
束が何を思ってそのような行動をとったのか、それは彼女本人以外には分からない。事実としてはその年、篠ノ之束は“博士”としての活動を世界に還元することを止め、自身の妹である篠ノ之箒に重要人保護プログラムを受けさせることに同意したということだけ。
結果、篠ノ之箒は六年間に及ぶ移転生活を強いられ、世界の目は“篠ノ之”と“織斑”の二つに分かれることとなった。
世界唯一のIS開発者である“篠ノ之”と世界最強のIS操縦者である“織斑”。世界の注目は当然前者に偏り、後者は監視の目が緩くなる。しかし当然“世界最強”の称号はそれだけせ多くの間者を呼び寄せる。“篠ノ之”においては当然のこと、“織斑”においてもその周囲は各国が睨みを利かし、下手に近づくことはできない。
ところがそんな中で、とある一家族が“織斑”の周囲に現れる。
日本人と中国人の国際結婚をしたその家族は、日本国籍を取って普通に暮らしていた。そして偶々“織斑”の近くに引っ越してきたのだ。
いくら世界中が“織斑”の周囲を互いに牽制しているとはいえ、政府や企業と何ら関係のない人間の行動を縛ることはできない。特に今までは篠ノ之束を刺激することを恐れて積極的には動けなかった。以前からそこにある人間関係に割り込むことが一体どんな影響を“厄災”に与えるのか、それが分らない以上“篠ノ之”の周囲を、“織斑”の周囲を買収することは危険だったのだ。
しかし、状況が変わる。
篠ノ之束は“織斑”から離れ、何も知らない一般人が外から“織斑”の周囲に現れた。そしてその一般人の取り込むことができれば、その者は多大なアドバンテージを得ることになる。
それはとても危険な賭けだった。しかし各国が躊躇する中、中国だけがその一家を囲い込むことを決めた。
こうして僅か十歳にして、
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「よし、飛べ」
四月の下旬。セシリア・オルコットと織斑一夏による
ISの基礎知識を僅か半月で詰め込むという荒技を表向き終えたIS学園の一年生たちは、今度はISの基本動作を僅か半月で身に付けるという無茶振りを要求される。当然そのようなことが早々にできるはずもなく、IS学園入学の暗黙の条件としてISの基礎を抑えているというものがあることは明白である。
織斑一夏はIS学園入学当初、ISに関してほぼ無知で無力あった。しかし、
「何をやっている。スペック上の出力では白式の方が上だぞ」
春も終わりを迎えたある日の午後、空中に浮かぶ
IS学園一学年一組の本日のIS実習授業内容はISの基本的な飛行操縦であり、授業の始めに専用機持ちであるセシリアと一夏の実演が千冬に指示された。
一夏自身のIS機動時間はセシリアのそれと比べると無いにも等しいものだ。しかし、それにしても一夏のIS操縦技術の向上度合いは異常であり、“織斑一夏は実はISに精通している”という前提がなければ彼の特異性が甚だ極まって見えることだろう。事実、急上昇したブルー・ティアーズをぎこちない動作で追いかける白式の姿を見ている者たちは、一夏の成長ぶりに驚きを隠せないでいる。
「一夏さん、イメージは所詮イメージ。自分がやりやすい方法を模索する方が建設的でしてよ」
ISの急上昇、急下降に必要なイメージを思い浮かべて上昇した一夏の思考がプライベート・チャンネルを流れセシリアへと伝わる。傍受されても問題ないため、否、プライベート・チャンネルの中身を勘ぐられないように、わざとセシリアは一夏へのアドバイスを口頭で行った。
「そうは言われてもなぁ――――」
“織斑一夏”はIS知識についてまだまだ抜けがある。そのためISの飛行原理を理解はしておらず、ISでの実際の飛行時に非効率な飛び方をしてしまわなくてはならない。
けれども本当の織斑一夏は、ISの機動経験は別としてIS知識だけならば並のIS操縦者を軽く凌駕する。故にIS操縦において無意識に熟練者が行う微調整を、一夏もまた無意識に、そして意図的に行ってしまうことがありえるのだ。
そうなれば織斑一夏がISに精通していることが露見する確率が上がり、“彼女”が淘汰される危険が高くなる。ならばISに関して無知でいればいいかというと、そうも言っていられない。“織斑一夏がISと関わることは確実”であったため、いつの日か“彼女”を守る物理的な力が必要になったとき、織斑一夏が
織斑一夏は優秀すぎてはいけないが、愚鈍であってもいけない。
そんな一夏をサポートするべく、セシリアからプライベート・チャンネルで通信が入った。
『IS飛行に慣れておられない方はよく、急加速時の
一夏はIS自体に関しての知識は“彼女”のおかげで豊富だが、IS操縦技術に関する知識はまだまだ乏しいのが事実。IS操縦技術が軍事力に直結するようになった世の中において、ハッキング技術を有しているわけではない一夏がそれを手に入れることは至難の技であったからだ。
『――――どうも……』
口頭でセシリアとくだらない会話を交わしながら、一夏はプライベート・ネットワークを通して彼女に素っ気なく応える。
セシリア・オルコット。イギリスからやってきた国家代表候補生。均整のとれた身体によって作られる美貌は、貴婦人とでも言うべき貴さを漂わせる。一夏は今、そんなセシリアに脅されている状態だった。
――――『対等な取引を』
二週間前のクラス代表決定戦において、セシリアは一夏にそう持ち掛けた。
『織斑一夏』という仮面の存在を秘匿し、織斑一夏の手助けをするというのがセシリア・オルコットが施す内容。
そして、セシリア・オルコットにその子種を授けるというのが織斑一夏が施す内容。
本来なら今すぐにでもセシリアに迫られてもおかしくはない一夏だったが、彼女の言によれば成人するまでに事を成せばよいとのこと。セシリアが婚姻を迫ることはなく、自身以外の誰かと一夏が結婚しようとも気にしないというのが彼女の提示した譲歩だった。
セシリア・オルコットにとって大切なのは織斑一夏をイギリスに引き込むことではなく、オルコット家を守ることである。無理やりの婚姻を避けるためには、現状のところ織斑一夏を婿に迎え入れることが最も望ましい。
しかし、織斑一夏を手に入れることは非常に困難である。確かにセシリア・オルコットは織斑一夏のアキレス腱となる情報を手に入れた。けれどもだからといって一夏を自由にできるかと言えばそうではない。
織斑一夏は世界中からその身を狙われているのだ。仮に一夏自身がイギリスに所属する意志を示したところで世界がそれを認めないだろう。さらには強引な勧誘を行えば篠ノ之束を刺激する可能性もある。あくまで自主的に、平和的に織斑一夏に行動してもらう必要があるのである。
セシリア・オルコットが織斑一夏を夫に迎えることは難しい。かといって他の候補者に当たろうにもセシリアの行動は監視されており、先回りされて潰されるのが落ち。となれば、セシリアと一夏が結婚することなしに彼女に他の男が近づけなくする方法が必要となる。
そこでセシリアが目をつけたのが、本国から彼女に下された指令だった。
織斑一夏籠絡命令。可能であれば合法的にその精子を手に入れること。
織斑一夏の遺伝情報を手に入れるだけならば、わざわざハニートラップなど用いなくとも簡単にできる。抜け毛一本、皮膚の欠片一粒あれば、遺伝情報を入手することは可能なのだ。
それをせず敢えて正攻法で攻めるのは、一重に“災厄”たる篠ノ之束を恐れているからに他ならない。
篠ノ之束は裏で動き回る存在には容赦なく制裁を下すが、当事者たちの了解を以って行われたことには口を出さない。それを知っているからこそ世界は、あくまでハニートラップという正攻法で織斑一夏を手に入れようと画策しているのだ。
仮にセシリア・オルコットが織斑一夏の子供を妊娠すれば、イギリスは彼女を国に引き止めるためにあらゆる優遇を行うだろう。さらに、織斑一夏との同意の上での性交という実績があれば、セシリアが彼と結婚する可能性を消さないために彼女の未婚状態を維持させようとするに違いない。セシリアの全てがオルコット家を守ることであることを知っているイギリスとしては、彼女を自国に縛るために男を宛てがうよりも織斑一夏の妻つなる可能性を残す選択をすると、彼女は考えた。
当然、織斑一夏がセシリア・オルコット以外の女性と婚約することも大いにありえる。しかし、一夏の子供さえ確保できていればセシリアの目的は達せられるのだ。男性が複数の女性と関係を持っていても男性本人が著名人であればその性関係が一定のステータスとなることがあるのに対し、逆の場合はマイナスイメージにしかならないことがほとんどである。それは、ISが台頭してから経過した僅か十年という短い歳月では覆ることはない。ましてや世界は今、織斑一夏に種馬としての役割を期待してもいるのだ。一夏が誰かと結婚したぐらいでは、世界は一夏の確保を諦めないだろう。
現状、一夏とセシリアの取引は未だ行われてはいない。セシリアとしても一夏の子供を授かるのが自分だけでは自身の身が危険に晒されることを考えると、一夏には是非正式なパートナーを自分以外に作っておいてもらいたいところである。なんとセシリアは夏休みまで返答を待つという懐の広さを示したのだ。
しかし当然、セシリアは座して待つだけのなお人好しではない。そもそもの作戦であった“イギリス国家代表候補生セシリア・オルコットとしての織斑一夏籠絡任務”も同時に始めていた。
当初、セシリア・オルコットは織斑一夏と男女の中になることは不可能だと考えていた。同級生、そして同じ専用機持ちというアドバンテージはあるものの、篠ノ之箒や中国の刺客と比べればセシリアの立場はかなり弱いものとなる。
IS学園での生活は、『表向き』のものを演じる必要がある。それはセシリアや一夏、箒にだけ当てはまるというわけではなく、ここIS学園に住在する全ての人間に適用されるのだ。『表向き』の世界できな臭い動きを見せてしまえば、世界はそれを咎め制裁を施すだろう。それゆえに強引な織斑一夏への接触は悪手なのだ。もちろん、篠ノ之束に対する警戒も高い。
セシリア・オルコットが織斑一夏に近づくには理由が必要である。
世界を三文芝居とはいえ騙し、篠ノ之束を欺く方法で。
故に、“セシリア・オルコットは織斑一夏との恋に落ちる”。
クラス代表決定戦という“分かりやすい惚れた原因”が存在し、“
セシリアは偶然にも一夏の弱点を知るという幸運に恵まれた。けれどもそれだけで満足するようなことはしない。
だから、当初の予定通り“セシリア・オルコットは織斑一夏との恋に落ちる”。少なくとも、表向きは。
「一夏さん、よろしければまた放課後に指導してさしあげますわ。そのときはふたりきりで――――」
セシリアは嘘か
「一夏っ! いつまでそんなところにいる! 早く降りてこい!」
山田副担任のインカムを奪い授業妨害をするという篠ノ之箒の幼稚性をハイパーセンサーで確認したセシリアは、ふと一夏の方へと顔を向ける。
篠ノ之箒が織斑一夏によせる感情。その“分かりやすい”恋愛感情を一夏はどう扱うつもりなのか、セシリアは尋ねてみようかと一瞬考えた。
(いえ、確かに中国の方はそろそろ来ますが、下手にこちらが意識するのもよくないですわね。それに、その辺りは本人が一番分かっていることでしょう)
セシリアはプライベート・チャンネルを切り、思考が一夏に流れないようにして思考する。自分の心さえ騙し通せるセシリアならばプライベート・チャンネルを通して心を見透かされるような失態は犯さないが、かといって注意を怠ることもしない。
「――――では一夏さん、お先に」
授業を指導している千冬がISでの急降下の実演を二人に求め、セシリアは一夏よりも先に実行する。熟練者と未熟者のペアの場合は、熟練者が先に手本を見せるのが常であるし、その方が一夏のIS技術を強く印象付けることができるからだ。
事実、セシリアの後に急降下を行った一夏は地面に衝突するという失態を犯すものの、初心者とは思えない急加速を実演してみせた。急停止に慣れていないというのがいかにも初心者らしく、急加速をすぐにでも物にするというのが才能を感じさせる。
「馬鹿者――――」
千冬が一夏をそう評価し、そこからバカらしい寸劇が始まる。そして他の女子生徒たちも役者となってそれを演じる。
本人たちからすれば阿呆らしい一幕の末、授業はISの武装展開へと移る。
最初に一夏が実演するが数十秒かかってようやく成功させる。初心者が一分を切る段階ですでに素養は抜群なはずだが、千冬はそれを切り捨てる。しかし女子生徒たちの目にはやはり、一夏の“特異性”が垣間見えるのだった。
「セシリア、武装を展開しろ」
国家代表候補生であるセシリアの番になり、彼女は一秒以内の“それなりの”速さでスターライトmkIIIの粒子展開を行った。けれどもその銃口は横を向いており、武装展開から戦闘開始まで若干のタイムラグが生じる状態になっていた。さらには追加で求められた近接武装の粒子展開に十数秒も時間をかける、しかも武器名を呼称しての展開という大失態まで行ったのだった。
「――――お前は、実践でも相手に待ってもらうのか?」
千冬がセシリアを責める。それに対してセシリアは申し訳なさ一杯の表情で歯切れの悪い言葉を返すだけだ。国家代表候補生の面子は丸つぶれと言ってもいいだろう。
しかし、この自体がセシリア・オルコットの国家代表候補生としての立場を悪くするかと言えばそんなことはない。なぜなら、ISとは今や各国の軍の重要兵器であり、“自国の戦力を馬鹿正直に公表する”国など存在しないからだ。
セシリアがIS武装展開において非実践的な癖を付けてしまっているのも、近接戦闘に関して極端に苦手意識があるのも、全てパフォーマンスでしかない。これはもはや通過儀礼であり、IS学園に入学した国家代表候補生は皆態と失態を犯すのだった。そしてそれを女子生徒たちが責めることもない。“ISにはまだ不慣れ”な少女を演じる彼女たちには、それでも国家代表候補生は雲の上の存在だからだ。そして演技を抜きにしても、事実として国家代表候補生たちは雲の上の存在であると知っているからである。
そんな予定調和のIS学園の日常が、今日も表向き行われていた。
2
「織斑くん、おはよー。ねえ、転校生の噂聞いた?」
朝。一夏が教室の席に着くなり後ろの席の女子生徒が話し掛けてきた。
ベリーショートの髪に赤いカチューシャ、そして大きめの眼鏡をかけた少女。一見おとなしそうな少女の名は
「転校生? 今の時期に?」
一夏は既にセシリア経由で知っていた情報であったが、『織斑一夏』として驚いてみせる。
すると一夏の隣の席の癒子が首を伸ばして口を挟んできた。
「そう、なんでも中国の代表候補生なんだってさ」
「ふーん」
いつも以上に気をつけながら、一夏は癒子に応える。
以前朝の食堂で探りを入れられた時から、谷本癒子と同伴の岸原理子の二人は要注意人物として警戒していた。
今、一夏は四方向のうち二方向を防がれている。しかしすぐにセシリアが一夏の隣に来ることで彼女たちを牽制した。
「あら、わたくしの存在を今更ながらに危ぶんでの転入かしら」
セシリアは腰に手を当ててスペースを多めにとることで、癒子と理子を少し奥へと押しやる。そうすることで一夏の前三方向は完全に固められ、これ以上の介入を防ぐ状態となる。
けれどもその攻防に気づいた様子も見せずに一夏の後ろから、篠ノ之箒が強引に会話に割り込んだ。
「このクラスに転入してくるわけではないのだろう?」
箒の行動に癒子と理子は人の好い笑顔を浮かべ、歓迎の意を示す。
事態の流れを確認しながら、一夏は言葉を紡いだ。
「どんなやつなんだろうな」
そこからは“いつも通り”の会話が繰り広げられ、次々の一年一組の少女たちが一夏の周りに集まってくる。それでも一夏と接している四方向の内二方向をセシリアと箒が押さえているので、少女たちはくっつくほど接近することはなかった。
そうして始業開始時刻が間近に迫った頃、一年振りとなる軽やかな声が一夏の耳に届いた。
聞き覚えのない声にクラス中の女子生徒たちが教室の入り口に目を向ける。
そこにいたのは小柄な少女。IS学園の制服を改造して肩を剥き出し、腰まで伸ばしたツインテールはリボンで留めている。そして小型猛禽類を思わせる雰囲気。
凰鈴音が、そこにいた。
3
織斑一夏が凰鈴音と初めて出会ったのは六年前。篠ノ之箒が重要人保護プログラムによって住居を移転することになった後だった。
その頃には既に一夏は“仮面”を手にし、“魔女”の教えを実行できるようになっていた。
“魔女”が描いた『織斑一夏』の下地に、『織斑一夏』としての生活の中で追加要素を組み込んでいく。そして“織斑”に、“篠ノ之”に取り付こうとする大人たちが排除されていくのを眺める日々。そんな中で、一夏は鈴音に出会った。
初対面にして顔面を殴られるという状況に至った一夏だったが、今でもその理由は分からない。けれども、一夏は織斑一夏である。“織斑”である以上、どこでどんな恨みを勝っているかなど把握することは不可能なのだ。
出会ってから暫くすると、二人は“親友”とでもいうべき仲になっていた。その頃から鈴音が長期休暇期間に中国へ帰省することが多かったが、一夏はあまり考えないようにしていた。
織斑一夏にとって最も大切な存在は“彼女”である。“彼女”こそは至高の存在であり、“彼女”の笑みこそが一夏の至幸であった。織斑一夏の人生はその頃から既に“彼女”のために捧げられ、“彼女”があってこその『織斑一夏』という仮面だった。
けれども、当時の一夏は孤独でもあった。僅か十歳の子供が仮面を被り、世界を騙す。“災厄”と“最強”の守る箱庭の中だったとはいえ、一夏にかかる精神的負担は計り知れない。
だから、初対面で自分を殴りつけた鈴音に、一夏は心の拠り所を求めた。“織斑”を取り込もうと一夏に近づく者たちとの邂逅の中で、鈴音のような憎悪を直接向けられたことなどなかったのだ。“対等な存在”とでもいうべき者を、知らず知らずのうちに一夏は求めていたのかもしれない。
けれども、そんな甘い考えはいつまでも続けられない。儚い夢を壊す、事件が起こった。
織斑一夏誘拐事件。
三年前に人知れず起こり、人知れず解決された、“裏”の事件。己れの破滅さえ覚悟すれば、一時的にでも“災厄”と“最強”の手をすり抜けることができると証明されてしまった事件。
織斑一夏を守る“災厄”と“最強”は、“守り”には向いていない。彼らは基本的に“攻め”の適応者であるのだ。
もちろん、“災厄”と“最強”を敵に回した者に先はなく、必ず破滅する未来が待っている。しかし、それさえ覚悟できれば、一時的とはいえ“災厄”と”最強”の手をすり抜けることが可能なのである。
けれども、それでも“災厄”と“最強”の死角をつくのは容易ではない。
それはつまり、どこかに穴が生まれていたということ。そして考えられる分かりやすい穴は一夏のそばに確かにあった。
だからその日以来、凰鈴音の存在は『織斑一夏』にとっての親友になった。
そして織斑一夏にとっては――――――――
4
「待ってたわよ、一夏!」
昼の学生食堂で、凰鈴音が声を張り上げる。
セシリアと箒を連れて食堂に向かった一夏を待っていたのは、自信満々に仁王立ちする鈴音だった。
大声で元気娘をアピールし周囲を牽制する鈴音に、一夏は『織斑一夏』の親友として対応する。
その様子をセシリアは、やきもきする乙女を演じながら冷静に観察する。
(やはり、厄介ですわね。それに、何やら一夏さんとも因縁がありそうですし)
周囲の注目を集めながら一夏と親しく話してみせることで、鈴音はいきなり自身の立ち位置を確定させた。あまりにもの自然なその所業は、セシリアも舌を巻くほどだ。強引な展開であるはずなのに、『凰鈴音』というキャラクターがその歪を取り除く。もちろん、それは『凰鈴音』に合わせる『織斑一夏』が存在して初めて成り立つものである。
「鈴、いつ日本に帰ってきたんだ?――――」
「質問ばかりしないでよ。アンタこそ、なにIS使ってるのよ――――」
二人の会話はとんとん拍子に進み、一年振りの親睦を深め合うその様は見る者を暖かくさせる。
しかし。
(やはり――――)
感情の出自を探れるセシリアだからこそ感じる違和感を以って、『織斑一夏』と『凰鈴音』の関係だけではなく、織斑一夏と凰鈴音の関係性にセシリアは注目する。
その間にも事態は進み、箒が一夏と鈴音の間に割り込んだ。
「一夏、そろそろ――――」
セシリアも注意深く一夏と鈴音を観察しながら箒に続く。
「そうですわ! 一夏さん、まさかこちらの方と付き合っていらっしゃるの?」
鈴音の立ち位置をこの場ではっきりさせるために、セシリアはそう尋ねた。
それに対して一夏は冷静に否定し、鈴音は“恋する乙女”の返答を行う。
そのやりとりよって鈴音の立ち位置は完全に固定され、編入してきていきなり『織斑一夏争奪戦』においてセシリアや箒と同じ舞台に立つことが保証された。
セシリアの問いによって鈴音の足場が早々に固定されたが、遅かれ早かれそうなっていたのは確実。なのでセシリアの行動は失態などではなく、より強力なアドバンテージを取られる前に鈴音の立ち位置を固定させた、ファインプレーと言えた。
凰鈴音。
思春期を織斑一夏と過ごした少女。表向きは去年一夏と離れてから一年で国家代表候補生に成り上がったことになっているが、それを信じる者などこの学園にはいない。凰鈴音が最初から中国の刺客として織斑一夏の傍にいたと考えるのが当然であった。
つまり、『織斑一夏争奪戦』における強力な
(凰鈴音…………さて、どうしましょうか…………)
一夏と箒、そして鈴音と“表”の会話を繰り広げながら、セシリアは思考の海へと潜り始めた。
5
その日の夜。夕食も終えた時間に、一夏と箒が同棲する1025室に来客があった。
「というわけだから、部屋代わって」
篠ノ之箒にそう言ってのけたのは、凰鈴音である。
正直、一夏は鈴音がここまでするとは思っていなかった。
『織斑一夏』の同棲相手の問題は、大変シビアな事項である。
どこの国の人間が当たっても、必ず反発が引き起こる。利害調節機関としてのIS学園は、実質“篠ノ之束所属”といえる篠ノ之箒を織斑一夏の同棲相手にすることで反発を押さえこんだのだ。
そのような状況で、凰鈴音はその均衡を崩すような行動に出た。
当然、到底容認されることではないし、そのことを鈴音が理解していないはずもない。それでも『凰鈴音』のキャラクターを全面に出して堂々と押し通そうとするとは、流石に予想できなかったのだ。
確かにIS学園に集う少女たちは皆お気楽な役者を演じている。それでもあまりにも非常識過ぎれば、それを“表”から攻められる可能性がないわけではないのだ。事実はどうあれ、体面は体面で大切なのだから。
凰鈴音の行動はあまりにも突拍子過ぎる。
そんな鈴音と箒の対話を眺め、ようやく一夏は彼女の狙いに思い当たった。
(今すぐ俺を落とすつもりか)
織斑一夏を狙うハニー・トラップはIS学園に溢れている。しかし本来の目的を考えれば一夜の関係よりも持続的な恋人関係が望ましいのは事実。故に、一夏を狙う少女たちは確実に、着実にその包囲網を縮めてきているのだ。
世界の連携を崩してまでも一足先に一夏へと迫る鈴音。
なりふり構わず『織斑一夏』にアピールをし、周囲を威嚇しながら強引に事急ぐその様子を、一夏は冷たい心でじっと見つめる。
今回の行動で、鈴音はかなり強引に事を進める権利を得た。しかし、それは短期間であり強行すればいずれ世界の制裁を受けるだろう。
戦略的に考えて、利口とは言えない手口。ハニートラップが効かない『織斑一夏』を攻略するには、“唐変木”を乗り越える方法しか存在しないのだから。
一夏は鈴音の真意を探る。
だから、涙を流して駆けて言った鈴音をいつも通り『織斑一夏』としてただ見送った。
「馬に蹴られて死ね」
いつも通り“魔女”の言葉を、その身に浴びながら。