【起】クラスメイトは全員間者
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十年前、この世界に女性にしか操作できない究極のパワード・スーツ、『インフィニット・ストラトス』、通称『IS』が発表された。一斉コンピューターハッキングを受けた世界各国の軍事基地から日本に向けて放たれた2341発ものミサイルを全て駆逐した謎の兵器として世間に知れ渡ったISは、その存在が公になるやいなや、瞬く間に世界を圧巻した。現行の科学兵器を何世代も先行する最強の兵器。唯一の欠陥、『女性にしか扱えない』という特徴を持つものの、ISは世界の軍事バランスを変え、女性はその地位を大幅に向上させた。
世界はISが支配し、ISは女性だけが使用できる。それが世界の常識だった。今、この時までは。
「――――ちょっと君、ここはIS学園の試験場よ。部外者は立ち入りきん――――え? うそ? 動いてる…………」
後ろで聞こえる女性職員の驚きを耳にしながら、件の少年、
(やはり、そうきたか)
他人にバレないように一人納得する一夏に、興奮した女性職員は肩を掴み詰問する。
「これ……どういう事? 君は一体、何者……?」
(何者もなにも、世界最強のIS乗りが
「さあ……俺にもさっぱり……」
一夏は笑いたくなる本心を隠し、いつも通りの『織斑一夏』を演じる。自らの姉がその力を世に示した時から張り付けている仮面は、そう易々と外れはしない。世界を変える事態を前にしても、それをあらかじめ予想していた一夏にとって、『織斑一夏』を崩すには値しない。
そう。全ては、想定通りに。
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IS学園とは、日本に作られた、IS操縦者を始めとしたIS関係者を育成するための高等教育機関である。同樣の施設は他国にも存在するが、どれもIS学園には及ばない。またIS学園に関しては、外部組織からの介入を受けない、という一種の独立国として認めるような条例が国際法で定められているため、良き学舎として世界にその門戸を開いている。もちろん、それは表向きであるが。
裏では各国の密命を受けた少女たちが日夜暗躍する策略の世界。他国の介入を受けないとされるIS学園自体も、世界の調整役として何らかの融通を常に通さなければならない。
けれども実質IS学園に送られてくるのは年端もいかない少女たち。まだまだ精神は未熟であるし、色々失敗もする。そもそも各国がIS学園に見出している価値は社交場としてであり、現実は十代少女たちの花の楽園となっている。自国の虎の子は自国で育て、他国との繋ぎ役となる予定の者たちをIS学園に送る。これが世界の実情であり、現状であった。
しかし、今年は少し違う。
一月半ほど前に突如として現れた世界最初の男性IS操縦者。希代の存在がIS学園に入学するということで、各国は如何にしてその男子、
最も確実なのは、IS学園にエージェントを派遣し、彼と同級生になるということ。あわよくばその子種を手に入れることができれば織斑一夏との関係性は強固なものとなる。けれども、これまでの経験から織斑一夏にハニートラップが効かないことを身を以て知っている各国としては、子種の件は望み薄だと期待はしていない。
となると取るべき策は、織斑一夏との良質な友人関係。そしてそれならば、IS学園に派遣されている少女たちは問題ない。そもそもとして彼女たちの役割は各国の顔繋ぎなのだから、男子一人それとなく交遊を深めることぐらいやってのける。
但し、障害はある。
例えば
例えば
例えば他国の学生たち。彼女たちはライバルというわけだが、如何せん数が多い。
けれども中にはこの障害を掻い潜ることのできる存在もいる。各国はそういった少女たちを、場合によっては虎の子を改めて投入したかったが、事が発覚したのはIS学園入学手続きが終わったあと。ほとんどの国が悔し涙を飲みながら、IS学園に在住する自国の少女たちに指示を送る中、余裕を見せている国もあった。
その筆頭は当然日本。そもそも織斑一夏は日本人であるし、いくらIS学園が国際的に開かれているといってもその生徒の半分が日本人である。IS学園自体も日本にあり、IS学園で使用される言語も日本語なのだから、その余裕は当たり前と言える。
そして次はロシア。現在IS学園の一部を取り仕切っている生徒会の代表、つまり生徒会長は生まれは日本人であるが現在の所属はロシアであるのだ。
そして最後はイギリス。代表候補生という立場と麗しい容姿を兼ね揃えた少女が運良くIS学園で織斑一夏の同級生となることができたのだ。他国に一歩も二歩もリードしたと言える。
実は中国がこっそり祝杯を上げているのだが、今はまだ動きを見せず。
フランスとドイツが逆転の案を練っているが、未だ知られず。
様々な思惑の下、IS学園は新たな一年を迎えようとしていた。
それはここ、一年一組の教室も同じである。
例年に対して男子が一人紛れ込んでいるという違いはあるものの、入学式を終えた今、順調にスケジュールをこなしている。
諸事情により遅れているクラス担任に代わって副担任がホームルームの指揮をとっていた。
副担任の名前は
あっちにふらふら、こっちにふらふら。時折、そのつぶらな瞳に涙を溜めて。まるで子供が大人の振りを頑張ってしているように、教壇の上でおろおろしながら生徒たちに自己紹介をさせている。
そんな彼女を見て、少年、織斑一夏は手に入れていた情報との齟齬に頭を抱えていた。
(な、なんだあれは? あれが教師だと? それも、かつて『鉄仮面』と呼ばれた元日本代表候補生だと?)
ありえない、と一夏は口の中で呟く。
一夏が入学前にネットで調べた真耶の現役時代の実践データからは想像もつかない性格の彼女。確かにIS学園の内情に関する情報は厳しく規制されているし、IS関係の情報は軍事情報と同等の扱いを受けている。山田真耶という女が本当に目の前のような人間である可能性もないことはない。
しかし、それを鑑みても余りにギャップが激しすぎる。
確かな違和感。一夏はそれを考察する。
(いや、仮にも姉貴の信頼する部下だ。あの人畜無害そうな顔はおそらくは仮面。強面や軍隊上がりが多いIS学園の関係者の中でああいった顔を見せることで、一般人上がりの学生のメンタルケアや、生徒の本音を聞き出す役目を担っているのだろう。だとすればとんだ名女優だ)
さすがは姉貴の選んだ女だ、などと納得しつつ、そういえばこのクラスには“魔女”がいたな、と本人の方に視線を向ける。
(女優同士、この副担と気が合うかもな)
などと考えていた一夏は、いつの間にか自己紹介が進んでいたのか両目を潤わせる真耶に何度も名前を呼ばれていた。
突然の大声に慌てて意識を戻した一夏だったが、焦って声が裏返ってしまう。
そんな一夏に真耶は更に動揺を見せ、まるで震える子羊のように様子を窺ってくる。
「あっ、あの、お、大声出しちゃってごめんなさい――――」
そこから続く真耶の怯えた声。予想外の事態に一夏の頭は混乱する。
(くっ。この女、一体どういうつもりだ!? 俺を孤立させる気か!? 泣かれでもしたらさすがに不味いぞ)
いくら『鉄仮面』と呼ばれる冷酷無比な女だとしても、このクラスの中では山田真耶は小動物のような可愛い教師である。そもそも『鉄仮面』の名は姉から直接聞いたものであり、一般的ではないのかもしれないことに気づいた一夏は、真耶の真意を探りながら状況打開の策を練る。
しかし与えられた時間は僅かしかない。とにかく、入学早々副担任を泣かした世界で唯一の男性IS操縦者などという不名誉な称号を得ないために、一夏はひとまず好青年を装って真耶を宥めることにした。
一夏が被る『織斑一夏』の顔。その仮面の下から吐き出される偽物の言葉で、うろたえる副担任を一夏は相手する。
しかし敵もさるもの引っ掻くもの。目の前の一夏の両手を掴み、詰め寄ってくる(一夏の座席は教室の最前列の真ん中だった)。演技だとは一切思わせないその所業に一夏は抵抗を諦める。真耶の方が一枚も二枚も上手だと分かったからだ。
(おのれ。俺を使って自分のキャラを確立させるつもりか。ふっ、やってくれるじゃないか。完敗だよ。さすがは姉貴が認めた女だ。開幕早々この俺を出しにするとはな。だがまあ、仮にも姉貴のことだ。俺に害ある者を寄越すことはないだろうよ)
一夏は真耶の手を解き、立ち上がった。
「えー……えっと、織斑一夏です――――」
必要最低限の自己紹介。名前を名乗り、挨拶をするだけの簡潔なもの。
客観的に見て、あまり良いものではない。それまでのクラスメイトたちは少量ではあるが自己アピールをしていたし、世界で唯一の男性IS操縦者である一夏の最初の言葉には、教室中が、強いては世界が注目しているのだ。
そんな最初の一言を、一夏はまるで関係ないとばかりに捨てた。
「………………」
教室中を、驚愕と共に沈黙が支配する。何かの聞き間違いかと一夏を見詰める少女たち。
しかし、一夏がそれに応えることはない。なぜならそれが『織斑一夏』という仮面なのだから。
織斑一夏は織斑千冬によって世間から遠ざけられ、一男子として育てられてきた。故に、その性格は姉の影響で一男子として見れば大変喜ばしいものとなっているが、世界の情勢に疎くISについては一般常識すら十分ではない――――ということになっているのだ。
一夏が『織斑一夏』である以上、一夏は自分の現状を正しく認識していてはいけない。そしてこれまでの十年間の間に作り上げてきた『織斑一夏』の性格と行動パターンから、このような行動をとったのだ。
だから、一夏は更に続けた。
「以上です」
それまで気を張りつめていた幾人かの少女があまりの事態に、がたりと椅子を鳴らす。けれどもそれは仕方がないことだ。織斑一夏に関する情報は、一切の間違いなく本国に届けないといけない。IS学園内で簡単に録音機材を使えるはずもなく、こんな場面での一夏の発言を誤って国に伝えたら大変である。しかも、周りの国と比べて自国だけそんなへまをしたとなると、世界の笑い者だ。少女たちの中でも一部の、エージェントとしての訓練を受けていない、本来は“ただの”IS学園の生徒になるはずだった少女たちは、その重圧によって精神を削られていたのだった。
「あ、あのー……」
後ろから聞こえてくる真耶の遠慮した声。
それを聞き流しながらクラスメートたちの反応を確認していく。
驚く者、呆れる者、見詰める者。それぞれの様子を簡単に振り分け、一夏はこのクラスメートたちと彼女らの母国との関係を大まかに把握する。といってもその道のプロというわけでもない一夏の推測など当てになるものではないが、それでも意識する切っ掛けにはなるだろうし、間違っている情報は随時訂正していけばいい。今この瞬間は、最初の枠組みを簡単にでも作ってしまうことが大事なのであって、そこまでの正確性を一夏は求めてはいなかった。
一夏はクラスを見回す。そして数人に脳内でチェックをつけたところで、自身の身の異常に気づいた。
「いっ――!?」
目にも止まらぬ速さで降り下ろされた出席簿。それは一夏の後ろからであり、一高校生の身には防ぐことは叶わず、そもそもとして存在に気づくことすらできない。
それは一夏も例外ではなく、あくまで一高校男児程度の身体能力しか持たない彼は、突如襲いかかった頭痛に思わず素を晒してしまう。しかしそれも一瞬のことであり、すぐに取り繕った『織斑一夏』の顔でアホらしいギャグを飛ばす。
当然の如くそれは受け入れられず、センスのないボケに対する突っ込みは二度目の出席簿アタックとなって一夏に与えられた。
(くそっ。こんなキャラ設定にしたばっかりに。これもそれも、あいつのせいだ!)
じんじんと痛みを訴える後頭部を両手で抱えながら、一夏は地元の友人に対して毒を吐く。ある程度『織斑一夏』という仮面に愚かさが必要だったとはいえ、害にしかならない設定が増えたのは大体その友人が原因であったりした。
悶絶する一夏の後ろで、襲撃者、織斑千冬が自己紹介と担任としての抱負を述べる。
そうして、教室は一般人を装う少女たちと本当に一般人の少女たちの歓声によって包まれた。
2
記念すべきIS学園での最初の授業が終わり、一夏はあくびを堪えながら肩を回した。
先ほどの授業内容はIS基礎理論。それも基礎中の基礎であり、IS学園に入学するのなら予め知っておくべき知識の確認であった。
当然、一夏が分からないわけがない。実姉に世界最強のIS操縦者を持ち、幼馴染みに世界唯一のIS開発者を持つ一夏である。ISに関する知識はそこいらのIS関係者よりも豊富だ。
しかし、それを表に出すわけにはいかない。『織斑一夏』がISに精通していることを知られてはいけないのだ。
ISは女性にしか使えない。ISは男性には使えない。それがISにおける大前提であり、世界の常識となっている。
けれどもそこに織斑一夏という例外が現れた。男性でありながらISを扱うことのできる唯一の存在。
だが、そんな一夏に疑惑の目を向けている者がいる。なぜか。それは織斑一夏の人間関係が特異過ぎるからだ。
ただ、それを表だって口にする者はいない。現在の織斑一夏の代名詞、世界で唯一の男性IS操縦者という存在が
このような世界情勢の中で、仮に織斑一夏がIS知識に詳しく、IS操縦が卓越していた場合、世界はどう思うだろうか。
ISと関われないはずの男性がISに深く関わっている。もちろん、操縦者でないIS関係者の中には男性も少なからず存在するが、ISを動かすことのできない男性の手腕が信じられるまでにはかなりのハードルを越える必要がある。そのために世の男性たちは長い時間を掛けるのだ。故に、男性がIS関係者となることはほとんどない。
現在、織斑一夏は十五歳である。そんな子供がISと深く関わり合うなどというのは、特殊なケースを除いてまずあり得ない。ISはスポーツの一面を持っているが、その根本にあるのは兵器であり、軍の、国の重要機密である。いくら織斑一夏が織斑千冬の弟であり、篠ノ之束の幼馴染みだとはいっても、今の段階でISに精通しているはずがないのだ。
であるのに、世界唯一の男性IS操縦者の肩書きを持つ一夏がISに詳しければ、それは一つの仮説を人々に思わせる。
織斑一夏がISを動かせるのは、篠ノ之束がそうなるように設定したからであり。
織斑一夏がこの時期にそうなったのは、予め決められていたことなのであり。
織斑一夏はそのことを最初から知っており。
ISが男性に反応しないのは、織斑一夏を優遇するためび篠ノ之束が仕組んだことなのではないのか。
そう世間に確信されてしまえば、篠ノ之束は、名実ともに世界の敵になってしまうだろう。篠ノ之束だけではない、その妹の篠ノ之箒も、そして篠ノ之束の唯一の友人織斑千冬と、その弟である織斑一夏も、世界に淘汰されてしまうだろう。
そうならないためにも、一夏は今日もこうして『織斑一夏』の仮面を被るのだ。愚鈍であり、その後急激な成長を遂げることで、『織斑一夏』という
回した肩を撫で、一夏は次の授業の準備をする。
隣から視線を感じていた一夏は、その露骨さから視線の主が一般生徒であると判断した。ならば、『織斑一夏』が自身に向けられる視線に気づいても不思議はない。一夏がそちらに目を向けると、肝心の彼女は顔を背けてしまった。なかなかに初々しい反応である。
(女が皆こんな子だったらいいのにな)
一夏は自身と最も関わり合いが深い同年代の女子を思い浮かべ、胸の内でため息を吐く。
そして予想通りに、彼女、“魔女”が目の前に現れ声を掛けてきた。
「……箒?」
“魔女”の名を口にしながら、一夏は彼女を観察する。
雰囲気は古き良き日本男児。現代風に言うならバリバリのキャリアウーマン。触れれば切られる、などと幻覚を見せるような刺々しさ。十年前の彼女から、
一夏が“魔女”と呼称する彼女、篠ノ之箒は、
といっても廊下に出ただけであり、それ以上教室から離れることはできない。今の十分休みの間であるし、故意か偶然か、二人の周りには少女たちの包囲網が敷かれているからだ。
最重要人物の織斑一夏と要重要人物の篠ノ之箒の第一次接触は、大観衆の前でもって行われた。
世界の重鎮たちへと繋がる彼女らが見つめる中、“魔女”はコミュニケーション能力の乏しさを披露し、一夏は『織斑一夏』として対応する。
その中で嫌な予感を感じながら、チャイムの音と共に教室へと戻るのだった。
3
(やりやれ、放課後について考えていなかったのは俺のミスだな)
二時間目の授業を受けながら、一夏は先ほどの十分休みを思い返していた。
“魔女”と“仮面”の三文芝居を繰り広げながら、あの時一夏は周りを観察していた。各国の少女たちが一体どう動くのか。それを知るにはちょうどよいデモンストレーションとなったのだ。
(ミーハーを全面に出した野次馬根性の集団戦法でこられれば、身動きすらとれないぞ)
世界は織斑一夏を手に入れたいが、織斑千冬と篠ノ之束を警戒して強硬手段をとることを避けている。IS学園の生徒たちを通して織斑一夏との接触を図ろうとする各国だが、実行担当の少女らも決して自由に動けるというわけではない。そんな彼女たちが一体どのような方法をとるか。
一年一組に紛れ込むことができた者は比較的織斑一夏との接点がある。しかしそうでない者たちは放課後の時間を狙うしかないのだ。
更に一夏にとって都合が悪いことに、本物の一般生徒たちが興味本位で行動した場合も放課後に攻めてくる。
おそらく一夏の住まい等では過度な接触ができないようにされているであろうから、実質織斑一夏との関わりを求めるのならば放課後に襲うしかない。十分休みの野次馬の比ではないだろうし、十分休み程度の規模だったとしても一夏には物理的に捌き切れない。
ならば、どうするか。
(さっそくだが、先ほどの借りを返させてもらおうか)
一夏は机の上に積まれた五冊を教科書をおもむろに開き、隣の生徒に意味ありげに目をやった。
するとさっそく反応を示し、おそるおそる言葉を交わしにくる。
二三適当に対応し、それでも教卓からは目立つように顔を動かす。
そうして、獲物が引っかかった。
「織斑くん、何かわからないところがありますか?」
教科書を読み上げていた真耶が一夏を見る。
その姿は完璧で、新米教師さながらの雰囲気を全身で作り出している。果たして誰がこれを嘘だと確信できるだろうか。誰が演技だと断言できるだろうか。
しかし、それこそが織斑一夏の前では
(確かに、あんたのその演技は脱帽ものだ。――――だが、だからこそ役者であるあんたは誘導ができる)
「先生!」
「はい、織斑くん!」
「ほとんど全部わかりません」
............。
教室中を支配する重苦しい沈黙。
あまりの事態に一瞬固まった真耶は、演技か素か。
けれどもそんなことは関係ない。一夏は既に投了したのだから。
「え……。ぜ、全部、ですか……?」
ISとは兵器である。高度な専門知識が要求される、現行最大級の精密兵器。IS操縦者が必要となる知識がIS整備者のそれと比べて霞むような量だとしても、それでも膨大な知識を一つの抜け落としなく理解している必要があるのだ。IS学園の生徒たとは入学の時点で既に膨大な量の知識を得ている。IS学園の授業では基本から入るといっても、IS学園に入学するためには入試試験の時点でかなりの知識が必要とされるのが現実だ。たった三年でISという世界最強の兵器担い手を作る学校である。そこに在籍する生徒に求められる水準としては当然と言える。
そんな中で、織斑一夏は無知を晒した。ISに関して何もわからない、などとほざいてみせたのである。
もちろん、男性である一夏がISの知識が欠落していても何らおかしなことはない。世の男性にとって、ISという存在は壁の向こうのものなのだから、何ら問題はなかったのだ。
しかし、ここはIS学園。ISを学ぶ世界最高峰の高等学校。IS知識の欠如など断じて認められない。 かといって織斑一夏を退学にはできない。けれども、授業進度はIS知識有りの前提で進められる。
ならば、取る道は一つだけだ。
「――――入学前の参考書は――――」
「――――間違えて捨て――――」
千冬と一夏の一幕を終えて、遂に真耶が口を開く。
「――――わからないところは授業が終わってから放課後教えてあげますから――――」
(とった!)
教師による織斑一夏への個人指導。IS知識が欠けている『織斑一夏』への対策としては最も妥当な案。それを山田真耶が行うことは一種の牽制となる。
(それであんたがどんな状況になろうと、俺の知った凝っちゃないがな。まあ、何とかするんだろうさ)
山田真耶が『山田真耶』である限り、落ちこぼれの生徒を誰か他人に任せることなどできない。自ら手助けするその性格を演じる内は、織斑一夏の補修授業を担当するのは自明の理。
こうして、織斑一夏は放課後の安全を手に入れたのだった。
4
イギリスからの刺客が動きを見せたのは、二時間目の休み時間だった。
セシリア・オルコット。イギリス代表候補生にしてイギリス名門貴族現当主。イギリスの第3世代試作機の実働実験を担当するほどの実力の持ち主であり、麗しい美貌と知性を兼ね揃えたイギリスの未来の顔繋ぎ役。IS操縦者としての能力も破格ではあるが、それよりもその政治手腕を買われている少女である。
十二歳のときに両親が他界してから、その身一つでオルコット家を守り抜いた鬼才。各国とのコネクション作りのために専用機を引っさげIS学園へとやってきた彼女には当然、織斑一夏籠絡の指令が下っている。
しかし、織斑一夏にハニートラップは通用しない。正確にはハニートラップで
織斑一夏にはハニートラップは通用しない。しかし、女としての長所が使えない程度、セシリアには大した痛手にはならない。セシリアは別に女スパイという訳でもハニートラップ専門の工作員でもない。セシリア・オルコットという少女は、その“人間性”を以てイギリスの権力闘争を生き抜いたのだから。
作戦は最初から決まっていた。本国から仕入れた織斑一夏の資料から編み出した策。本来なら最初は様子見をしたいところであったが、一ヶ月後には中国の刺客もやってくる。情報通りならば、かなりの強敵となるとセシリアは考えている。だからこそ、先手必勝。入学式当日、まだ誰も織斑一夏の近くに寄れないこの時期に、セシリアは攻める。
「ちょっと、よろしくて?」
できるだけ、偉そうに。
別に織斑一夏を苛立たせても構わない。
別に織斑一夏に嫌われても構わない。
必要なのは局地的勝利ではなく大局的勝利。
(さて、踊っていただきましょうか。わたくし、セシリア・オルコットの
セシリア・オルコットが織斑一夏の女になることは難しい。
けれども、セシリア・オルコットが織斑一夏の
織斑一夏と世界で初めて真剣勝負を交わした間柄として、セシリア・オルコットは彼と確かな
その為の下準備として、セシリアは一夏に話し掛けた。
そして結果は予想通り。
織斑一夏が『織斑一夏』である限り、IS関連の事情には疎い。セシリアのことを知らなくても不思議はないのだが、彼女はそうは振舞わない。はっきり言ってその言動は、周りのクラスメイトたちからみても嫌な女に見えるだろう。しかし、それが今後マイナス影響を与えることはほとんどない。何故なら、ここにいる少女たちは皆分かっているからだ。これが、セシリア・オルコットによる織斑一夏の攻略作戦であると。
順調な滑り出しを感じながら、セシリアは今後の作戦に思いを馳せる。種は撒いた。後は、然る時まで丁寧に水をやって育てるだけ。
しかし、世界はそう甘くはなかった。
「――――再来週行われるクラス対抗戦に出る代表者を決めないといけないな」
三時間目開始そうそう、教壇の上でそう告知した千冬。
何でもないことのように言い放たれたが、その内容はセシリアを動揺させるに十分だった。
何が? クラス代表の選出がか?
当然違う。その存在を知らなかったのは、織斑一夏くらいなものだろう。
セシリアが、クラスの少女たちが驚いているのはそうじゃない。
(そんな……早すぎる……)
クラス代表は毎年、入学一週間後に決められる。ある程度クラスメイトの人と柄を把握してから選出されるのであり、だいたいがIS適性の高い少女が選ばれるといっても、一週間という期間は今まで不変だったのだ。
それが、ここにきてまさかの変更。
(まさか、わたくしの策が見破られた!? いえ、そんなことはないはず。仮にそうだとしても、この方法では根本的な解決にはなりえません。ならばどうして? もしかして、織斑一夏を逸早くクラス代表にすることで学園側に何らの益が生じる……?)
セシリアが考えを巡らしている間にも、状況は刻々と変化していく。
織斑一夏がクラス代表に挙げられ、それで決定しようとしている。
(種はまだ植えたばかりですが、仕方ありません)
意を決し、セシリアは戦いの狼煙を上げた。
「待ってください! 納得がいきませんわ!」
織斑一夏の当選に反対し、代わりに自分を勧めるセシリア。
その際に日本に対する、織斑一夏に対する暴言を吐き散らす。決して一夏が無視できないように。決して一夏に逃げられないように。
代表候補生としてあるまじき態度ではあったが、それが国際問題になる心配はない。
IS学園に所属する学生は、如何なる組織の制約も受けない。つまり、いくらセシリアが問題発言をしようとも、それはセシリア・オルコットという若干十五歳の小娘の世迷い言であり、イギリスという国家組織とは何の関係もないと判断されるのだ。
もちろん、実際のところIS学園の生徒はそれぞれの母国に縛られているし、学園内で大きすぎる問題を起こせば国際問題になる。しかし、たかが暴言の一つや二つくらいでは、個人の問題として学園内で処理されるのだ。そして、そのことを外部に漏らした者は、国際法違反の罪に問われることになる。
セシリアの発言に一夏が噛みつき、そこから二人は口論にもつれ込む。
内容は幼稚そのものだが、互いに勢いだけはあり。
上手く盛り上がったところでセシリアはカードを切る。
「決闘ですわ!」
ISによる模擬戦の提案。
千冬の妨害を内心では心配していたセシリアだったが、そんなことはなく彼女の要求は返事二つで承諾された。
(ここまでは想定通りですわね)
千冬が今後の予定を話しているのを聞きながら、セシリアは勝利の余韻に浸る。
織斑一夏との確かな関係を持つための、セシリア・オルコットによる
5
一日の授業が終わり、放課後を迎えた。
やはりと言うか、当然と言うか、織斑一夏が在籍する一年一組には外から大勢の少女たちが集まってくる。その様子を気だるそうに見ていた一夏だったが、当初の予定通り真耶が現れたところで机に伏した身体を起き上がらせた。
補修授業についてのことだろうと考えていると、どうやら別件らしい。
「――――寮の部屋が決まりました」
(ほう。一体何処に押し込む気なのやら)
IS学園は外部からの支配を受けないという名目上、生徒は全員寮生活をすることとなっている。しかし、実質女子高であるIS学園には、男子生徒を受け入れる用意はなく、一夏には当分の自宅通学が言い渡されていた。
(まあ、妥当なところは姉貴と同室か)
生徒と教師の同室は教育機関としては問題があるだろうが、一夏の境遇と千冬の実力を鑑みれば決して悪い選択ではない。ただ、各国の御偉いさんたちは納得しないだろうが。
織斑一夏の寮生活において、各国の首脳陣が望んでいるのは自国の女子生徒との同棲だ。もちろん、教育機関であるIS学園にとっては認められるものではないが、利害調整機関としてのIS学園としては何らかの譲歩を引き出す必要がある。
そういう裏事情を伝えられるはずもなく、真耶は一夏の耳元で表向きの事情を話す。
「――――一ヶ月もすれば個室の方が用意できますから、しばらくは相部屋で我慢してください」
真耶の甘い息が一夏の耳にかかり、ふわりと鼻孔に彼女の香りが広がる。一夏に乗り出すように口を近づけている真耶は、柔らかい双丘の先端で彼の背中を軽く擦り、耳たぶに軽く触れる。
真耶の顔が見えない一夏だが、その小悪魔な笑みを想像することはできる。いつもの頼りなさを捨てた、妖艶な微笑み。その耳に触れるか触れないかのところで蠢く彼女の唇に全神経が集中されてしまい、嫌でも“女”を意識せざるを得ない。
(こっ、この女…………!?)
確かに、織斑一夏にハニートラップは通用しない。しかしそれが織斑一夏に性欲がないことには繋がらない。
一夏は健全な十五歳の男子なのだ。肉体は煩悩に忠実であり、性欲は三大欲求としてその身に宿っている。
だが。
それでも。
織斑一夏にハニートラップは通じない。
「――――荷物は一回家に帰らないと準備できないですし、今日はもう帰っていいですか?」
一夏の冷淡な声が、真耶に向けて放たれた。
6
一夏に与えられた部屋の番号は1025。どうやら千冬や真耶と同室というわけではなく、女子生徒と一緒のようだった。
(へぇ……)
IS学園は教育機関としてではなく、調整機関としての選択をしたらしい。だがそれはそれで、興味深いことではある。周囲との摩擦をどうやって取り除いたのか。
一応、一夏にも一つだけ案が思い付く。できればそうではなく、純粋無垢な少女だといいなとあり得ない夢を抱きながら、一夏は1025号室の扉を開けた。
中は独特の湿気で覆われており、シャワーの音が聞こえる。けれどそれも、一夏が部屋に入ってきたのに気づいたのか止まり、浴室の扉が開く音がする。
「ああ、同室になった者か――――」
その声を聞いて、一夏はそれが誰だか瞬時に理解する。
間違うはずがない。
(っく、やられた……)
すぐにその場から逃れるべく身体に命令を送る一夏。
しかし、それよりも先に。
「――――私は篠ノ之――」
“魔女”、篠ノ之箒は現れた。
白いバスタオル一枚で申し訳程度に隠された豊満な肉体。十五歳の日本人としては破格のバストとヒップ。撫で肩を伝う滴はその曲線美を描き、太股の内側へと流れていく。ポニーテールは解かれ、水を含んだ黒髪が彼女の白さを際立たせる。
男をその気にさせる女の色香こそ出してはいないものの、“魔女”がその気になればそれすらも容易に操ってみせるのだろう。
言うならばこれは“魔女”の挨拶。
『篠ノ之箒』という役を演じる“魔女”からの、『織斑一夏』という仮面を被る“
IS学園は如何なる組織の指図も受けない。
果たして誰がそれを信じきれるだろうか。
少なくとも、ここにいる“魔女”と“
IS学園にいる限り、箱庭に閉じ込められている限り、二人は世界から監視される。
一時も休まるときはなく、一時の休息もなく。
二人は世界を騙さなければならない。
真実を隠すために。
可愛い“彼女”を守るために。
“彼女”が世界の敵にならないように。
織斑一夏は『
篠ノ之箒は『