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6月1日
最近、八神はやてはとてもご機嫌な様子だった。
図書館で出逢った同い年の女の子……月村すずかと友達になれたからだ。
いつの日からか半身不随となり、下半身が機能せず車椅子生活をして、両親を早くに亡くしてからは独り暮らしをしており、孤独感に苛まれていたはやては、図書館に行けば時々とはいえ友達とお喋りが出来る。
こんな嬉しい事はない。
広い家に独りきりの寂しさを、すずかという存在が癒してくれた。
今日も今日とて、すずかと図書館で好きな本を紹介したり、逆にお薦めな本を教えて貰ったりと、楽しい時間を過ごす。
本日は恋愛系の本だ。
「すずかちゃんは学校とかで好きな男の子とかは居るん?」
「うん、居るよ」
「へえ、どんな人?」
「う〜ん、女誑しかな?」
「はい?」
すずかの好きな人の特徴を訊いた筈が、とんでもない答えが返ってきた。
「私のお友達のアリサちゃんや阿弖那ちゃんに他にもシエスタさんとか、それこそ一杯の女の子に囲まれてるもん」
「うわぁ、すずかちゃんはそれでエエん?」
「それでも好きだから」
「ありゃりゃ、これ完璧に恋する乙女やね」
うっとりと頬を染めて、ポーッと遠くを視ている様は正に……というやつだ。
「そうだ! 折角だし今度紹介するよ」
「そら楽しみやね。すずかちゃんらを誑らかす、悪い男の子をこの目で見極めたるよ!」
「フフ、はやてちゃん。木乃伊取りが木乃伊にならないと良いね?」
意気込むはやてに、艶やかな笑みを浮かべながらすずかはそう言い放った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【八束神社】
神咲那美は八束神社の境内で落ち葉などを掃き掃除で集めていた。
現在は風芽丘高校三年生であり、今年で卒業をして現在は大学一年生の高町恭也とは先輩後輩の仲である。
嘗ては恭也を『良いな』と思っていた那美ではあったが、その想いが那美の内で育って告白に至る前に恭也が月村 忍 と付き合い出したと聞いて涙を呑んだ経験があった。
悲しかったが那美が出遅れたのは事実であったのだし、素直に二人を祝福した那美は姉の薫に想いをぶちまけた後で慰められたという。
薫もまた、那美と同じく恋に破れた乙女であるが故に。
最近では疎遠になりつつあった恭也と再び接する機会も有るのだが、忍と恭也がイチャイチャするのを見る度にチクリとサイズ72──一年経過で育った──の胸の奥が痛む。
「今日からは夏だし、矢っ張り徐々に暑くなってくるわね」
もう夕方だとはいえど、少し汗を掻いて上気している頬に少し潤んだ瞳も相俟って、可愛らしさの中にも独特な色気を醸し出す。
「最近、神社で妙な気配があるのよね。それに今は物騒だし……」
つい先日の事、強姦事件が発生した。
被害者は最寄りの大学に通う女子大生で、リスティ・槙原が曰く犯人が何故か割り出せないのだとか。
科学捜査で何の進展も無かった事から、人間が犯人ではない可能性もあると、苦々しい表情で言っていたのが印象的だった。
「人間じゃない……か」
那美は傍で寝ている小狐の久遠を見遣る。
久遠は見た目には小狐に過ぎないが、三百年くらい前から生きる妖狐であり、人に化ける能力で人間の少年に出逢って恋をした。
その少年が疫病を運ぶ災厄の原因だと神主が声高に叫び、無惨な殺し方をした事によって久遠は人間……取り分け神社の関係者を酷く憎悪して、タタリとなって神社仏閣を攻撃をし多くの人間を殺して回る。
表世界では単なる物語程度にしか思われてはいないが、妖怪はこの世界に存在しているし、それが人の世に仇を為す時には那美が所属をしている【神咲】の家も動く。
義姉の神咲 薫も鹿児島に帰って今は退魔士として腕を磨いているという、そんな世界に住む那美だからこそオカルト犯罪が存在する事も理解をしているのだ。
「あの、すみません」
「え? はい、何でしょうか?」
行き成り声を掛けられ、肩を震わせつつ吃驚した那美は声がした方を振り返る。
それは少女だった。
恐らく高校生くらいだろうか、艶やかな黒髪を背中まで伸ばしており、とても可愛らしい大和撫子とでも云えば良いだろう、とても清楚な雰囲気を醸し出している。
「此処の八束神社でしたか、どんな祭神を祀られているんでしょうか?」
「祭神……ですか? 実はよく知らないんです。私は仮の管理者ですし、恐らくは本来の管理者の神主様も知らないかと……」
「そうですか……」
少し残念そうな表情で頭を下げた。
「変な事を訊いてごめんなさい……私は天乃杜神社で巫女をしています瑞葉市乃と云います」
「え? 瑞葉さんって巫女さんなんですか?」
「はい、天乃杜神社は水神様を祀る神社だったんですよ」
「だった……ですか?」
「凡そ一六年前、祭神様は御役目を終えて天へと還られたそうです」
「成程……」
市乃が曰く、天乃杜神社はその昔に鬼の被害を治めるべく水神を招来、鬼神たる鬼の分身を神器の鏡で生み出して戦わせて右腕を落として封印したのだとか。
然し、一六年前に鬼神の復活を目論む鬼人が現れて水神の鏡を盗んだらしい。
それを祭神が天乃杜神社の巫女姉妹と、力を喪っていた祭神に代わり別の神社から助っ人に来たその神社の祭神、その護衛の女性、そして鬼人を家族の仇と付け狙う青年、更に一人の少年を加えて鬼人と戦ったのだとか。
祭神は最終的に少年へと自らの神氣を託して、少年が青年と巫女姉妹と共に邪悪な鬼人を退治したらしく、鬼神封印の御役目に括られた祭神は天に還ったのだという。
現在の天乃杜神社は巫女姉妹の内の気弱な妹の方が青年と結婚して継いだらしい。
そして二年前に天乃杜神社へと訪れた市乃は、何故かその神社に居たいと思い両親を説得すると巫女になったのだと語る。
「それから、私は神社仏閣を方々に色々と巡っているんですよ」
「そうだったんですか」
そういえば那美は業界で聞いた事があるのを思い出す。
一昔前、色々な地域にて妖怪変化が暴れ回った時期があり、その地域の退魔巫女が協力者を募って封じていたのだという事を。
「……
女子大生強姦事件、そして科学捜査が何故だか通用しない犯人……
若し、妖怪変化の仕業であるのなら有り得ない話ではないかも知れない。
ならば灘杜神社から退魔巫女を派遣して貰った方が良いのかも知れないと那美は久遠を見ながら思う、基本的に那美は戦闘行為は余り得意でなくその辺は義姉の薫の領分だったから。
霞ノ杜神社も在るのだけど彼処は那美の立場ではちょっと頼む事が出来ない、灘杜神社と霞ノ杜神社はとある理由で対立をしていてとても仲が悪いと聞く。
その理由というのが妖怪に対するスタンスの違いであり、灘杜神社は善良妖怪は保護すべきという妖怪との共存派、霞ノ杜神社では妖怪変化は全て殲滅すべきという妖怪殲滅派。
久遠が居る八束神社で、間違っても妖怪殲滅派である霞ノ杜神社の退魔巫女など呼べはしない。
その理由となるのが灘杜神社が動けば、つまり妖怪在りと霞ノ杜神社も動く可能性があるという事だろうか。
依頼しなければ来ないという可能性が高いが、それでも久遠の為に万一を考えてしまうと……
「ハァー」
「どうしました?」
「あ、いえ。すみません、ちょっとボーッとしてしまって」
「いえいえ、気にしないで下さいな」
微笑む市乃は同性の那美から見てとても綺麗だと思える。
「何かあるなら話してみてくれませんか? 力にはなれないかも知れませんが、話せば少しくらいはスッキリしますよ。神社ですけど懺悔でもするくらいの気持ちで」
「そうですね、実は……」
那美は市乃に現在、海鳴市で起きてる不可思議な事件の事を話してみた。
話を聞いた市乃は顎に手を添えて思案すると頷いて那美の方へと視線を戻す。
「成程、そんな事件が……確かに戦巫女を派遣して貰った方が良いのかも知れませんが、久遠ちゃんの存在が霞ノ杜神社にバレたら、タダでは済みませんね」
矢張り市乃も同じ意見だったらしく、灘杜神社に依頼するのも拙いと考える。
「最近、ギリシアを本拠地にして出来たっていう【聖域】に依頼が出来れば良いんですが」
「聖域!?」
「はい、確か聖域ではその手の依頼なんかも受けていると聞きます」
「聖域だったら伝手があります!」
「そうなんですか?」
「はい!」
聖域の長は那美の知り合いである。
それに少し前にプールに出たモンスターを斃すのに協力していて実力の程も判っていた。
薫を鹿児島から呼べれば良かったが、偶に旅へと出てしまっていて連絡が着かない。
霞ノ杜神社は勿論の事、灘杜神社にも依頼がし難い現実、那美は聖域に依頼するのも有りかもと思った。
「私の意見がお役に立ったなら良かったです」
一人で抱え込んでも碌な考えが沸かず、那美は改めて相談する事の大切さを学んだ気がする。
その後は市乃が今夜の宿をまだ決めていないと聞き、那美はさざなみ寮に連れていって一晩だけでも泊めて貰える様に槙原耕介と槙原 愛の夫妻を説得した。
槙原夫妻もさざなみ寮の住人も特に反対意見は出さず市乃が宿泊する事に……
夕飯を戴いた後、庭へと出た壱市乃海鳴市に入ってからというもの、ずっと感じていた昂りを抑えていた。
「どうしてだろう、この地に来てから胸がドキドキして高鳴ります……」
市乃は生まれて物心がついた頃か、ずっと無くしたモノを捜している。
若しかしたら……
「この地に捜し物が?」
市乃は未成熟で小さな胸が締め付けられる様な感覚に想いが逸らずには居られなかった。
「うん? あれは……」
ベランダで優雅に月見をしていると外へと出る那美の姿が在る。
「こんな時間に何処へ?」
那美を追い掛けて走った壱乃はすぐに追い付いてしまう。
「那美ちゃん!」
「え? 市乃ちゃん?」
二人は仲良くなった為にお互いを『ちゃん』付けで呼んでいる。
「こんな時間に、そんな物を持って何処へ?」
それは木刀ではなく真剣。
「ああ、日課なんですよ」
「日課ですか?」
「はい、家の流派の訓練をしてるんです」
那美が退魔の剣、【神咲一灯流】を修めている事は聞いていたが、こんな夜中に訓練しているとは流石に思わなかった。
「危険があるのですから、修業はやめておいた方が宜しいですよ? 少なくとも妖怪は夜中に現れますし、修業は日が落ちる前にする事をお勧めします」
「それは確かに……」
普段からやっている事だっただけに何も考えずに家を出た那美であったが、よく考えれば本当に単なる性犯罪でなく妖怪変化の仕業であるのならば可成りの危険性がある。
性犯罪は危険でないという訳でもないが、那美からすれば両親を殺した妖怪の方が恐ろしい。
ブルリ!
そう思うと夏になったばかりの今の気温でさえ寒気を覚えた。
「か、帰りましょうか」
「はい」
「明日、聖域の伝手を使ってみます」
「そうしましょう」
話も纏まり、那美と市乃が踵を返すと……
「イヤァァァァァッ!」
絹を引き裂くかの如く悲鳴が聴こえてきた為、那美と市乃はお互いに顔を見合わせて頷くとすぐ悲鳴の上が った方へと走る。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
はやてはご機嫌だった。
今日も今日とてすずかと愉しく図書館でデート……という訳でもないが、女の子として大好物な恋ばなが出来たのは嬉しい。
自分は生憎と下半身が不自由な身である為に、恐らくは恋人なんて出来ないのだろう。
だから寂しいけど友達のそんな話を聞けただけで少しは幸福な気分にもなれる。
『ゲッゲッゲ』
「え?」
はやては突然、聞こえてきた声にキョロキョロと辺りを見回す。
ズシャッ!
ナニかが落ちる様な物音に肩を震わせ、ソーッと音のあった場所を振り向く。
「ヒッ!」
其処には赤茶けた肌に、子供の如く身長、腹だけが異様な程出ていて素っ裸、股間には醜悪なるナニかがぶら下がっていた。
はやては図書館の霞ノ杜神社謹製、【妖怪事典】というもので見知っている。
「あ、あれは餓鬼か?」
ブラックジョーク的な本だと思って読んでいたが目の前のアレは確かに餓鬼と呼ばれる妖怪。
雑食で人間すらも喰らう餓鬼は、男なら生きた侭に肉を噛み千切り、女は捕らえて慰みモノにするとか。
それが明らかに一〇匹以上。
「イヤァァァァァッ!」
はやては得も知れぬ恐怖から涙目になって大きな悲鳴を上げるのだった。
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今回登場した瑞葉市乃は苗字に関しては兎も角としても、名前と立場は今は亡きエロゲーブランドの作品から出典です。
尚、復活した模様。