デビルサマナー 安倍セイメイ 対 異世界の聖遺物 作:鯖威張る
「それじゃ、洗いざらい話してもらおうか」
士郎が言い放った声が静寂に包まれた室内に響く。
「わかりました、今から言う事は全て真実です。信るか信じないかはそちらにお任せします」
士郎の言葉に星命が返す。
そこは月村邸の応接間。星命は今、その中央に位置する場所にあるソファーに座っている。
目の前にある長方形の小さなテーブルを挟み反対側にも三脚ほど星命の座るものと同じ一人掛けのソファーが並んでおり、そこには星命から見て左からそれぞれ士郎、忍、恭也が座している。
――なんだか学校に編入する時の面接試験に似てるなぁ……
前の世でヤタガラスの任務で弓月の君高等師範学校に編入した時に同じような形式で面接試験があったのを星命は思い出していた。
もっともその時は校長、教頭、生徒指導教諭の三人であったが、生徒指導教諭の髪型が鬼の二本角ように尖っていて笑いを堪えるのが大変だったことを覚えている。
それはともかく。
――さて何から話そうか……
少し思考して、星命が口を開く。
「まず、記憶喪失と言うのは嘘です。そして僕はこの世界の人間ではありません、大正二十年の帝都からきました」
「大正二十年? からかってるのかしら、ここ日本で大正は十五年までしかないわ」
星命の発言に対し、忍が棘のある言い方で返す。
「事実です。残念ながら証明できるものはありませんが……」
「いや、それなら一部納得がいく。俺達にテレビや洗濯機、電子レンジのことを詳しく聞いてきたのは覚えていなかったのではなく知らなかったからか」
「はい、その通りです。図書館での調査の結果、おおまかな歴史は同じですが、年号や起きた事件、事象などが所々違っていました。その事から僕は別の世界へ飛ばされたと判断しました」
証明するものが無いと言った星命に士郎が納得したように言う。渡りに船と星命も肯定し、自分の仮説を披露する。
「別の世界か、いつもの俺ならとても信じないだろうなぁ……」
両手を組んだ士郎がしみじみと呟く、普段であればそんSF染みた話など信じる事はないだろう。
しかし、自分達がつい先ほど経験した超常現象は夢でもなければ幻でもない。
既に常識など通じないのだ。
「では、君が使っていたあの不思議な術はなんだい?」
士郎が尋ねる。
「あれは陰陽術です。陰陽師 安倍 晴明はご存知で?」
「ああ、平安の陰陽師だったかな? 君と同じ名前のようだが、もしかして……?」
風間から聞いた話を思い出しながら士郎は答える。
「いえ、僕はその本家の末裔の嫡男です。星命という名前も先祖である安倍晴明にあやかってつけられました」
「皆さんにお見せしたのは『九字護身の法』と『神寄せ』ですね」
「これは違うのか?」
恭也が自身の左手首に巻いてある符を突きだして尋ねる。
「その札に限っては厳密には陰陽道ではなく仏教の方面のものですね。仏教の孔雀明王の陀羅尼を簡単に書き写したものです。あまり強くはないですが、厄払いの効果があります」
「まぁ、陰陽道自体が異なる様々な宗教思想の集合体なので全く違うとも言い切れないのですが……」
古来より、孔雀は毒蛇や害虫を食べる有益な鳥とされており、それが神格化したのが孔雀明王であるといわれている。
その為、孔雀明王には人々から災厄や痛みを取り除く力があるとされており、その真言や陀羅尼にも同様の効果があるとされている。
その為、呪いを受けた恭也の腕から魔を祓うために星命は即興で孔雀明王の陀羅尼を書きつづったのだ。
「九字護身の法はその名の通り、九字を切ることで身を守る結界を張るものです」
修行僧とかがよくやってるあれか、と恭也が相槌を打った。
「また、神寄せは風水の力を用いて近くに居る悪魔を式神を霊媒にすることで自分のいる場所へ呼び寄せる術です」
「アクマ? アクマってあの悪魔?」
忍が星命に尋ねる。
「はい、悪魔とはいわゆる魔人や女神などの伝承に描かれている人ではない力を持つ異形の者達のことです」
「そして、それら悪魔達と契約を交わし、召喚・使役する術のことを悪魔召喚術と言います」
「見せたほうが早いですね」
星命が立ち上がり、太腿のベルトから管を引き抜き、左の何も無い空間を向く。
「召喚、クルースニク」
言い終わると同時に管が緑色に輝き、光が人の姿を形作る。光りが収まると、そこには先ほどのビルでも見た蝙蝠のマークの入った白いコートを羽織り、黒髪を背中まで伸ばした青年が立っていた。その長い髪は根元の辺りで一本に束ねられている。
敢えてトウダではなくクルースニクを喚んだのは火災を心配しての事だというのは言うまでもないだろう。
「そして、その悪魔召喚と使役を生業とする者たちをデビルサマナーと呼びます」
「では、そこの……クルースニクさん? も、悪魔なのか」
士郎が尋ねる。
「はい、クルースニクはスロベニアの伝承に伝わる光と善のヴァンパイアハンターです」
ヴァンパイアハンター、と聞いた一同が全員一様にビクリとその肩を震わせた。
その様子を見て、星命はくつくつと笑う。
「大丈夫ですよ、クルースニクが相手をする吸血鬼はクドラク、すなわちビルの中で戦った銀髪の吸血鬼だけです。クドラクを倒せるのはクルースニクだけですから」
クドラクは白い羊膜を飲んだクルースニク以外に倒されると、後に更に強力となって復活するのだ。
そのため、星命はビルの突入前に放った式神にクルースニクの捜索をさせ、トウダが時間を稼いでいる間に神寄せで喚び出したのである。
「ひとつ、お伝えしなければならないことがあります」
ぽつりと星命が呟く。その神妙な面持ちから、周囲の空気も引き締まる。
「忍さんのご親戚である月村安次郎さんはおそらく、もうこの世にいません」
「なんだと?」
星命の発言に恭也が怪訝な声を出す。敢えてその声に応えず星命は話を続ける。
「クドラクは狡猾な悪魔です。おそらく、クルースニクからの追跡を逃れるため、吸血鬼の気配を持つあなた方の一族の人間と成り代わり、気配を隠していたのでしょう」
『木を隠すなら森の中』を地で行く作戦であるがその効果は絶大であった。
実際、クルースニクも散在する吸血鬼の気配でクドラクの捜索が難航していた。もし、星命に神寄せで呼ばれなければ見つけることは難しかったであろう。
「ですが、自身がその姿を取るのに本物を生かしているはずがありません」
「……だから、安次郎はもうこの世にいないと?」
「はい」
下級の悪魔か、知能の低い悪魔であればいざ知らず、上級の悪魔、それも狡猾なクドラクともなれば自身が成り代わった人間をそのまま放置しておく事は考えにくい。
確実に自分と変身元の人間が鉢合わせにならない方法、それは変身元の人間の抹殺である。ほぼ間違いなくクドラクは安次郎を抹殺していると、星命は睨んでいた。
「複雑ね、今まで色々と嫌がらせをされてきて怨んだこともあるけれど、本当に死なれるとなんだか気分が悪いわ……」
手の甲を瞼に被せ、天井を仰いで忍は溜息を一つ吐いた。
その直後何かを思い出したようにあっ!と声を上げた。
「思い出した! デビルサマナー……お婆様から聞いたことがあったのよ、遥か昔に悪魔を操り日本を霊的に守護する役割を持つ者達と組織があったと。でも七十余年前の世界大戦中に忽然と姿を消したと聞いたけど……」
心のもやが晴れた事で興奮した忍がテーブルに身を乗り出して一息に捲くし立てる。
――デビルサマナーがいた? でも歴史資料には何の痕跡もなかったはずだが……
忍の言葉に星命の脳裏にまたもや疑問が浮かぶ。
「私がご説明しましょう」
星命の様子を見ていたクルースニクがその疑問を汲み取り、長らく閉じていたその口を開く。
「七十余年前の世界大戦で、この世界の大多数のデビルサマナーが命を落としました。それによって世に蔓延る悪魔達に対して、対処が回らなくなり始めたのです」
「戦争開始から十年後のことです。生き残ったデビルサマナー達はこれ以上悪魔を現世に跋扈させないために、異界から現世の行くための道を封印したのです」
そこまで話したところで星命が「待った」と声をかける。
「世界各地の異界との接点に結界を張って閉じるためには強大な力が必要だ。その力はどこから持ってきたんだい? まさかとは思うけど……」
星命が真剣な顔で尋ねる。この世の異界全てを封じるにはそれ相応のエネルギーがいるのだ。
星命もその力を手に入れる方法のいくつかは知っていたが口に出したくはなかった。こういった手合いの呪術はその求める力の大きさに比例して求める側が差し出すものも大きくなるからだ。
それを汲み取ったクルースニクは肯定の意を示すように頷き。星命の質問に答える。
「お察しの通りです、生き残ったデビルサマナーのほとんどが『人柱』となって結界を作りました」
「やはりそうか……」
帰ってきたクルースニクの答えに星命が顔をしかめた。できることなら一番聞きたくはなかった方法である。
「人柱って?」
一人と一柱の意図が読めず、忍が尋ねる。
「簡単に言えば生贄です。地面に掘った穴に複数の人を生き埋めにしてそこに結界を張り、埋められた者達の魂と肉体の力によって結界をより強固にする呪法です」
「な……っ!?」
星命の説明に忍が驚愕の声を漏らした。他の面々も、星命とクルースニク以外の全員が驚きに目を見開いている。
「戦争であれば、死人はいくらでも出ますから魂と肉体の確保も容易です。そこにデビルサマナーほどの霊力を秘めた存在が入ればかなり強力な結界になります……」
全員が固まっている中、星命が頭を垂れて呟いた。場を静寂が支配する。
「話を続けます」と、クルースニクが沈黙を破った、全員の視線がクルースニクへと戻る。
「結界が張られ、数十年間は悪魔が人間の前に現れることも悪魔の力が現世に影響を与えることもありませんでした。ですが、十年前からこの海鳴市周辺の結界が綻び、異界から現世へ悪魔が行き来できるようになったのです」
「最初は結界の綻びが小さい上に開くのも一年に一回程度で、いたずらをする下級悪魔が出入りする程度だったのですが、ここ十年の間に綻びの回数も大きさも増え続けて先日、ついに比較的上位の悪魔であるクドラクが異界から飛び出していきました」
「この周辺だけ? 理由はわからないのかい?」
「残念ながら、皆目見当も付きません」
星命の質問に、クルースニクは首を横に振りながら答える。星命は別の質問をクルースニクにぶつけることにした。
「随分と詳しい所まで知っているけど、どうしてなのかな?」
「それは人柱になったサマナーの中に私が契約したサマナーが居たからです」
「そのサマナーはここ海鳴市の出身で、デビルサマナーを束ねるある組織に所属していました」
「そのサマナーの名とその組織の名前は?」
星命の問いに答えるクルースニクに星命が更に質問をぶつける。
「サマナーの名前は十四代目 葛葉ライドウ。所属していた組織の名前は超國家機関 『キンシ』」
「なんだって!?」
星命の顔が驚愕に歪む。帰ってきた名前は元の世界のかつての友のものであった。
「『ヤタガラス』じゃなくて『キンシ』なのが唯一の救いか……」
超國家機関の名が黒き烏ではなく金の鷲であったこと、それはこの世界が星命のいた世界ではない証拠。
その為、死んだのは自身の親友ではなく赤の他人であること、それが星命には救いであった。
年代として考えれば生きているはずはないが、生き埋めになって死んだなどと聞きたくはない。
――なるほど、記録が見つからないわけだ。
星命は皮肉げに笑った。存在する組織が違えば隠蔽する事実も改竄する事件も違う。ともなれば歴史書程度でその存在を見つけるのはほぼ不可能であったという事である。
「ああ、置いてけぼりにしてすみません。取り合えず僕の説明は以上です、他に何かありますか?」
取り合えず脱線に脱線を重ねた話を元に戻すことにし、星命は目の前の三人に声をかける。
まるで現実味の無い話を聞いた忍達は言葉も出ない様子だったが沈黙を破って士郎が声を出した。
「つまり、これから先もその悪魔達がこの海鳴市に出てくるのか?」
「そのようですね」
星命が答える。
「お願いがあるんです士郎さん、もしよろしければこのまま僕を高町家に置いて頂けないでしょうか?」
「このままでは、海鳴は害意を持つ悪魔たちの蔓延る魔の都市となってしまいます。僕も悪魔召喚師としてこの町に巣食う悪魔たちを放っておくわけにはいきません」
星命が嘆願する。星命自身、悪魔達に罪もない弱者である海鳴市民が蹂躙されるところなど見たくはないのである。
「だから、事情が知れてるうちに居るのが都合が良い、か……良いのかい? 陰陽師で悪魔召喚師とはいえ、君はまだ子供だろう?」
星命の提案に困ったように士郎は返す。困ったとはいっても星命を預かる事にではなく、星命がまだ幼すぎる子供であるということにである。
「ああ、そのですね……今はこんな姿をしてますが、一応前の世界では十代後半で高等師範学校の書生をしてたんです」
部屋の時が止まった。一瞬の静寂が永遠に感じられる。
「……一応聞くけど、本当?」
「ええ、まぁ……」
忍が聞くとを星命は苦笑しながら肯定する。
忍自身は半信半疑といった様子であったが、一週間の間に星命の行動を見ていた士郎と恭也の心中では疑いよりも納得の心持が勝った。
安倍晴明の末裔という名のある一族の嫡男、それも十代の後半の青年ともなれば、人一倍礼儀作法も文武も優れている事だろう。星命の異常な身のこなしと理知に満ちた言動の謎が今、氷解した。
「ということは、俺たちと同年代ってことになるのか」
「そういうことですね」
恭也の漏らした言葉に星命が返した。
こほんと忍がわざとらしく咳をして、不敵な笑みを浮かべながら口を開く。
「こちらからもお願い……というか依頼があるのだけれど、あなた来週からすずか達と同じ小学校に通ってすずか達を護衛してもらえないかしら? 戸籍と学費はうちが用意するわ」
「何を勝手な事を」
「こんな事件があった後だもの。すずか達に、護衛をつけたいのよ。どうせ雇うなら私的にも、公的にも護衛ができる人が良いじゃない? それに彼も事情を知ってる」
恭也が口を挟むが忍はそれを理詰めで突っぱねた。
「それは……そうだが」
歯切れ悪く恭也が呟く。正論なだけに返答に困り、ちらりと星命の方を見た。
「わかりました。そのお話、お受けしましょう。こちらとしてもこの世界の常識を学び直す必要がありますから」
忍の提案に星命は少し考えた後にそう答えた。
「決まりだな、それじゃ星命くん今後ともよろしく」
「ありがとうございます士郎さん」
士郎が締めくくり、星命は士郎に感謝を言った後、小さく礼をした。
コンコンコン。
と、不意に部屋の戸を叩く音が聞こえた。
「失礼します」
外から女性の声が聞こえ、戸が開くと扉の置くから一人のエプロンドレスを着たメイドが姿を現した。
「どうしたの?ノエル」
「はい、そちらのお子様をすずかお嬢様がお呼びです」
ノエルと呼ばれたメイドは恭しくお辞儀をしながら忍からの問いに答える。
「僕を?」
自分の顔を指差し星命が尋ねる。
「すずかに夜の一族のことを説明するよう言ってあるの」
「そういえば僕も悪魔のことを話さないといけないな」
そう言って星命は席を立った。立ち上がったところでふとあることに気が付く。
「あなたが説明したほうが早いんじゃないですか?」
星命が忍に聞く。
「あの子も夜の一族の一員よ。いざという時には自分で片をつけれるようになってもらわないと」
「なるほど、僕はついでの稽古台といったところですか」
本来であれば裏の事情を持つもの同士である上に、星命は既に大体の事情を知っている。
そのため、別にすずかから話を聞く必要はない。しかし、そのままでは一族の一員としてのすずかの成長がない。
よって自分を説明の第一号の練習台にしようという魂胆なのだろうと星命は予測した。
「そう思ってもらって構わないわ……お願いね」
――あれ?
星命の脳裏に一瞬違和感が掠めた。一瞬だけ、忍の顔がとても切なそうに見えたのだ。
「まぁ、良いでしょう。それじゃ家政婦さん、案内をお願いします」
「承知しました」
星命の言葉をノエルは優雅な礼で返した。
その後ノエルの後に続き、星命は応接室をあとにした。
「……いいのか?」
「なにが?」
恭也の問いに忍が答える。
「なにがって……あいつたぶん知らずに行ったぞ」
「そうね」
「わかってるなら、なぜ言わないで行かせたんだ?」
責めるような、困ったような声で恭也は続ける。
「アリサちゃんも一緒にいることを」
恭也のその一言を聞いて、忍はその口元に薄く笑みを浮かべた。
○
――聞いてない。
星命は心の中で呟く。
ノエルに通された部屋はお洒落な子供部屋であった。
小さな天幕つきのベッドに白木を見事にしつらえたドレッサー、その隣には小さな本棚が幾つも並べられており、その上にはいくつもの猫のぬいぐるみが置かれている。
その部屋の中央、他と同じ白で合わせられた小さなラウンドテーブルを二人の少女が囲んでいる。
言わずもがな、誘拐された二人、月村すずかと、アリサ・バニングスの両人である。
二人とも、どういう風に言葉を交わして良いかわからず、仕方無しに沈黙を貫いているようだった。
――良く考えれば彼女もあの場に居たのだから月村家の秘密の一端には触れてるのか。
一度真っ白になった頭を奮い起こし、思考を建て直す。
『お願いね』
静かになった星命の脳裏に忍の声が響いた。
――なるほど、そういうことか。
――稽古というのは単なる建前。本当の目的は友人である異国人の少女に秘密の共有をさせることだ。
星命は理解する。あの時、忍がした切なげな表情は少女達二人の仲を案じてのものだったのだ。
――そして、僕に緩衝の役割をしろと。
二人の少女の間に亀裂が入らぬよう、星命を緩衝材代わりに投入することで様々な意味での彼女達の心のショックを緩和させようということなのだろう。
「あんた、いつまでそこで突っ立ってんの?」
考え込む星命に訝しげな金髪の少女の声と視線が刺さった。
「ああ、すまない失礼するよ」
声に応えて、星命は部屋の奥へと進む。
ふと、テーブルの下で震えている、あるものが星命の眼に入った。
震えていたのは、足だった。
カチューシャの少女、月村すずかの膝下まで伸びた紺のスカートから覗く足が、小刻みに震えているのだ。そして、その足の震えを抑えるように両手を膝の上に乗せているようだが、震えが治まる気配はない。むしろ、その震えが肩まで伝染しそうな勢いであった。
――緊張をほどくのが先かな。
見ているこちらが緊張しそうなぐらいに竦みあがった少女の表情を見ながら星命は口を開く。
「自己紹介がまだだったね、僕の名前は星命、安倍星命だ」
「……月村すずかです」
「アリサ・バニングスよ」
それぞれの名前を言い終わった後、アリサが大きく息を吸い込んだ。
「あんたあの時、一体どこから出てきたのよ! っていうか、あの剣は何!? なんで蛇の怪物を出せるの? あとあのミイラ男は一体何者なの!?」
一息に、物凄い剣幕と勢いで星命に捲くし立てる。長らく守っていた気まずい沈黙は幼く、活発な性格を持つ彼女には相当に堪えたようだ。
つまり、八つ当たりである。
「ええっとだね、まず君達の前にいきなり現れたのは隠形術、という術を使ったからなんだ」
「おんぎょうじゅつ?」
「そう、姿や気配を隠す術だよ。こんな風にね」
言い終わると同時に霞の中に消えるが如く、星命の姿が消失した。
『消えた!』
二人の少女が同時に驚きの声を上げる。
少しして、以前の時と同じように霞が晴れるようにして星命が姿を現した。
「これが隠形術、僕ら陰陽師が使う陰陽術のひとつだ」
それでもって、と星命が言いつつ、サイドポーチから一枚の霊符を出す。
星命がその符を握ると符から柄と刃が伸び、一本の直刀へと変じた。
「剣の方もその符術のひとつさ、他にも式神を使役したりもできる」
「すごい、本当に小説とかに出てくる陰陽師みたい」
すずかが言葉を漏らす。その顔には既に先ほどのような緊張はなく、見たこともない星命の術に目を輝かせている。
「じゃあ、あの大きなヘビみたいなのもその…おんみょうじゅつ? なの?」
「それは悪魔召喚術だよ、悪魔というのは――」
アリサが頬に指を当てて尋ね、星命は士郎達にしたのと同様の説明を始める。
「――それでさっきのミイラ男はスラブ伝承の吸血鬼ってわけさ」
「悪魔って本当にいるのね……」
「……」
腕を組んでいうアリサがいうが、すずかは何も言わずに俯いた。
「二人には、伝えなくちゃいけないことがあるの……」
搾り出すような声が、耳に届く。
すずかの声であった。
「わたしたちは夜の一族っていう吸血鬼の一族なんだ」
「人間の血を飲まないとあまり長生きできない替わりに普通の人よりも力が強かったり、足が速かったりするの」
「さっきのクドラクっていう悪魔と同じ、吸血鬼なんだ……」
眼に涙を貯めてすずかはこぼすように呟いた。
「誤解をさせたことを、先に謝っておくよ」
「え?」
静かに頭を下げた星命にすずかは疑問符を返す。
「たしかに君達は吸血鬼の一族だ。だが、決して悪魔に分類されるものではない」
「僕ら、悪魔召喚師の関係者でもそういった異能を持つ人は多いんだよ。実際僕の知り合いにも『半分吸血鬼化した人間』っていうのがいるからね」
帝都の筑土町の地下に悪魔実験施設を構える狂気科学者の顔を脳裏に浮かべて、星命は言う。
「でも悪魔は悪魔、最初に言ったとおり伝承の存在でしかない」
「じゃあわたしたちは悪魔じゃないの?」
「うん、君達は異能はあるけど人間だ。僕が保証するよ」
微笑んで、星命は一度、頷いた。そのまま、隣の椅子に座るアリサの方を向く。
「さて、キミはどうする?」
「ど、どうするって何よ……?」
戸惑っているのかその口調には先ほどのような覇気がない。
「友達が自分の秘密を告白したんだよ? なら告白された友人としてはその秘密を一緒に背負うべきなんじゃないのかな?」
温和な笑みで諭すように星命が言う。
「そ、そんなことあんたに言われなくてもわかってるわよ!」
星命の言っていることの意図を察したのか、アリサはすずかの座る椅子に向かって歩み寄り、すずかの両手を自分の両手で包むように握る。
「吸血一族だろうと何だろうとすずかはすずかよ、私はずっとすずかの友達よ!」
「うん…! ありがとう、アリサちゃん」
感極まってか、泣き出してしまった二人を遠めに、星命は眺めていた。
――君の悲しみも共に背負おう。それが、自分と星命との繋がりだ
かつての友に言われた言葉が頭の中で何度も反芻される。
――背負うと言われたとき、何よりも嬉しかったんだよライドウ君。
あの時、自身の長年の血と涙の計画を利用されたことと、蟲毒の世への嘆き。
二つの悲しみを共に背負うと言ってくれた彼の言葉は何よりも救いとなった。
だからだろう、文句も言わずに以前なら歯牙にもかけなかったこんなお節介を焼いているのは。
ただ、星命としてもすずかには救われて欲しかったのだ。悲痛に話す彼女の顔に今際のきわの自分を星命は重ねて見ていた。
――この世界にもあるんだね、蟲毒に屈しない人の可能性が。
星命の言葉を聞いて、脇目も振らずアリサはすずかの手を取った。
迷う事もなく即座に友人の手を取ったのだ。子供ゆえの純粋さがなせる業であったかも知れないが星命にとってそれは些細なものであったのだ。
アリサが示した行動は、星命に自身の最期に差し伸べられた手を思い出させた。
抱き合いながら涙する少女達を尻目に、星命はおもむろに部屋を出るために踵を返す。
――もう一度、友達で居たいと言ったら彼は怒るかな?
戸を潜りながら星命は考える。敵として戦った以上、面と向かって仲直りするのは少々気恥ずかしい。
そんなことを考えている自分がおかしくて星命はつい自嘲する。
そんな機会などもうないというのに。
――いや、彼の事だ。たぶん何も言わなくても傍にいてくれるのかもしれないな。なんていったって彼は……
――お人好しだからね。
確約はないが妙に確信めいたものが星命の心の中にはあった。
これからは彼のお人好しを少し、真似してみるのもいいかもしれない。
そう思いながら、星命はそっと、ドアを閉めた。
○
「勘よ」
「は?」
応接間に恭也の間の抜けた声が上がった。
「私達と同じ年代なのに妙に場慣れしてるような気がするの、達観しすぎてるような……だから、すずかとアリサちゃんの事も上手く納めてくれそうな気がしたのよ」
年頃が同じにも関わらず、悪魔を倒す事に戸惑いはなく、多くの人間が人柱になったというのに自分達ほど動揺しなかった星命に忍は疑念を抱いていた。
「それはそうだが……デビルサマナーで、安倍家の嫡男ほどの人間なら普通なんじゃないか?」
妙に達観している、というのには恭也も同意見だった。
だが、それは星命の身の上を考えれば納得のいくことでもある。
「それを言われたら何も言えないわね、でも何か引き込まれるような感じがしたのよ」
少し唇を尖らせながら、忍は言う。
悪魔召喚師で名家の嫡男ともなれば、夜の一族である自分と同等かそれ以上にしがらみも多いだろう。
だが、それとは別に言い知れぬ不気味さを忍は星命に感じていた。
「それだけで星命に任せたのか?」
「そうね、彼の人格試験というのもあったけれど」
「……もしかしたら彼、物凄い過去を抱えてるのかもしれないわね」
あの小さな体にどれほどの過去が詰め込まれているのか。
忍の中では、これから肝試しをする子供のような好奇心と不安の火が灯っていた。