デビルサマナー 安倍セイメイ 対 異世界の聖遺物 作:鯖威張る
星空の下の霊園に、白いコートを着た一人の青年が歩いている。
「ここもはずれか……」
昼間の間に太陽光で充電されたカンテラの明かりが足元に今自分がまさに感じている不安感を表すような漆黒の影を作る。
「早く見つけ出さないと、不味い事になる……」
焦燥の表情を浮かべて、空を見上げる。焦りのせいか、空にちりばめられた輝きは自分を嘲笑っているようにも感じる。
――とにかく動かなければ。
青年は地面を蹴り、走り出す。一括りに縛った長い黒髪と蝙蝠のマークの入ったコートを揺らしながら青年はその場を去った。
○
高町家で星命が目を覚ましてから一週間後、星命は市内のとある施設に足を運んでいた。
施設の名前は風芽丘図書館。海鳴市内でも有数の大きさの図書館であり、保有している書籍は児童書から専門書まで多岐に渡り、雑誌や新聞なども数十年単位で保管されている。
その図書館のとある一角で、学生服姿の星命が自分の身の丈ほどの高さまで積まれた膨大な歴史書と新聞をいくつもテーブルに並べ、それら一冊一冊を手に取っては、にらめっこをしている。
すわ何事かと星命の方を見る人間もちらほら見られるが、数分もすれば興味を失ったようで去って行くのが大半であった。
なぜ星命が図書館にいるのか、その理由は一週間前、星命が目覚めた翌日にまで遡る。
○
時刻は昼過ぎ、小奇麗なフロアにまばらに人が歩いている。ある者はフロア内の受付の一つに並び、またある者は青い制服を着た職員に調書を取られている。
海鳴警察署。海鳴市民の安全の守護の一端を担う、この市内の警察機構である。
その警察署のフロアの一角にある待合スペースに一人の男が座っている。
高町家の大黒柱、高町士郎であった。
士郎は一角にあるソファーの一つに静かに座っている、時折、左腕に巻いた時計をちらりと覗く様子からどうやら誰かを待っているようだ。
「わりぃ、遅くなっちまったな」
士郎の視界にベージュのトレンチコートに茶色のハンチング帽を被った初老の男が飛び込んできた。
「三十分の遅刻ですよ、風間刑事」
口に笑みを含めながら片眉をつり上げて言う士郎に風間と呼ばれた男は、硬いこというなよ、と笑いながら軽口を言った。
風間
昭自身も多少乱雑で反骨的な性格ではあるものの己の正義を貫こうとするその姿勢や、人情に厚い性格からわりと署内に限らず市民にも人気が高い。昔、士郎が要人警護の仕事をしていた時に知り合い、互いに所帯持ちとかわかってから意気投合し、それ以来の付き合いである。
「こっちも翠屋に戻らなきゃいけないですから」
「へっ、仕事場が愛の巣ともなればそりゃそうだろうよ」
鼻を鳴らしながら、風間は士郎の対面のソファーに座る。
「まぁ、とっつき合いはこの辺りにして、本題に入るか」
言いながら、風間がコートの胸ポケットから一冊の革のメモ帳を取り出し、ぺらぺらとめくる。
「結果から言うと、該当なしだとさ」
ところどころメモ帳から飛び出している付箋の中から一枚を選び出し、そのページを開いて風間が言う。
「つまり捜索願は出ていないんですか」
「ああ、悪いな。士郎ちゃんよ」
「いえ、こちらからお願いしたことですから」
実を結ばなかった結果に対して、風間がわずかに眉間に皺を寄せて詫びる。士郎が返事を述べた後、再びメモ帳に書かれた情報の続きを話し出す。
「一応、こっちでもちょっと調べてみたんだがな?」
「『アベ セイメイ』とかいう戸籍なんざ、平安時代にしかねぇのよ」
「平安?」
突然出て来た時代を表す単語に士郎が聞き返す。
「おう、あれだよ。平安時代に陰陽師やってたっていう」
「ああ、安倍晴明ですか。どうりで聞いたことあるような名前なわけだ」
聞き返した士郎にメモを見ながら風間が言う。会得がいったように士郎は手を打った。
「それでだ、もし完全に身元がわからねぇならこっち側で――」
「風間警部、星命くんの身柄をうちで預かれませんか?」
「あぁ?いや、別にかまわねぇよ。こっちとしても生活保護の書類を省けて助かるけどよ。なんかあったのかい?」
士郎の発言に、風間は一瞬目を丸くしたが、すぐに元の仏頂面に戻って理由を問う。
「実は星命くんの食べっぷりを桃子が痛く気に入ってしまいましてね」
「くくっ、全く奥さんも酔狂だねぇ」
士郎が話した理由があまりにも平和的だったので風間は忍び笑いを漏らした。あんなにおいしそうに食べてくれるならうちの子に欲しいくらい、とは桃子の談である。
「まぁ、生活保護で一人暮らしになるよりはマシかもな……」
微かに哀愁の漂う笑みを浮かべて、風間が呟いた。
「あいわかった! 俺が何とかしようじゃねぇか」
張り切るように風間が膝を叩いて立ち上がる。パン、と乾いた音が鳴った。
「ありがとうございます、風間刑事」
座りながらではあるが、士郎が風間に頭を下げる。
「言ったろ? 硬い事は言いっこなしだぜ、士郎ちゃんよぉ」
年季の入った笑い皺を更に深くしつつ、右手をぶらぶら左右に振りながら風間は去って行った。その後姿を見送った後、士郎も立ち上がり翠屋へと戻った。
○
「捜索願は出ていなかったよ」
夜の高町家の食卓に士郎の声が響く。
「そうですか……」
士郎の言葉に星命は俯く。自身に記憶があることを悟らせぬための演技でもあったが、見つかるはずも無いものを探させた徒労を士郎に負わせたためでもあった。
この時代の人間ではない者の捜索願など出るはずが無いことは星命にもわかっていたことだ。
「士郎さん、星命くんを預かる件。どうなったかしら?」
「ああ、風間刑事から承諾をもらえたよ」
頼んでいた事柄について桃子が士郎に尋ねる。笑みを浮かべながら士郎は首を縦に振った。
「事後承諾の形になって悪いんだけど星命くん、記憶が戻るか親御さんが見つかるまでウチに居るかい?」
「いいんですか?」
「構わないわよ、部屋も余ってるし、服もまだ恭也のものが取ってあるから」
「すみません、ご厄介になります」
士郎の問いに、星命が聞き返し、桃子は笑顔で快く承諾する。行く宛てもない星命は桃子達の提案に甘える事にした。
「家の中にずっといるのも窮屈だろうし、外で色々見て回った方が記憶も戻りやすいんじゃない?」
「……そうだな、そうしよう。明日から自由に出かけても良いよ。でも車とかには気をつけてくれよ」
長女の美由紀の言葉に士郎は顎に手を当て少し考えた後、美由紀の考えに賛同し外出の許可を出す。
「わかりました」
○
こうして、外出の許可を得た星命は昨夜のうちに街の探索に出していた式神で図書館の位置を把握し、情報収集のため足を運んだのだ。
その日より一週間、星命は毎日図書館へと通い、歴史書や新聞などを掻き集めて情報を集めていた。
この一週間の図書館での調査は、星命にこの世界に関する新たな疑問を沸かせていた。
(ここは僕のいた世界ではない?)
歴史書などを読むと大まかな史実は合っているが細かい箇所が自分の記憶の中の史実と異なるのだ。星命は大正二十年から来たがこの世界では大正は十五年までしか存在しない。
しかも記憶と違う点はそれだけではなかった。
(ヤタガラスも存在していない……)
ヤタガラスは悪魔絡みの事件の解決を専門に行う超國家機関である。小規模な事件であれば隠蔽も可能であるが、大規模なものになるととても隠し通せなくなる。このような場合は意図的に別の情報を流し、報道や記録を改竄させるのだが、そう思われるようなものも見つからなかった。
(僕が起こした帝都襲撃事件も無いな)
星命達一部の陰陽師が起こした【コドクノマレビト事件】の方も調べてみたが、その時期に帝都で大規模な事件は起きていない。【コドクノマレビト事件】は帝都全体を巻き込んだ大事件であったため隠蔽など不可能であると星命は踏んだのだ。
しかし、歴史書にはその時期には何も書かれてはいなかったのである。それは、事件そのものが起きなかった事を意味していた。 これらの事象から星命はここが自分のいた世界ではないと踏んでいた。
死亡したはずなのに別の世界で肉体が若返って今ここで生きている、謎は深まるばかりである。
(体内のマグネタイトも増大しているし……これはたぶんアメノオハバリのせいだろうと思うけど……)
不思議な事に悪魔召喚に必要な霊的エネルギーであるマグネタイトの総量も増えていた。しかし、これに対しては星命も心当たりがあった。
十四代目葛葉ライドウがクラリオンを倒した際、クラリオンの体内にあった黒く汚された膨大なマグネタイトを供倶璃の媛である串蛇が悪魔変身した神剣『アメノオハバリ』が浄化して帝都に降らせたのだ。
これにより、帝都への被害は最小限で済んだ。その時、蟲毒の丸薬を服用し、吸魔状態のアストラル体でそのマグネタイトを吸収してしまったことで星命のマグネタイトの総量が増えてしまったのでないか、と星命は踏んでいる。
(もうこんな時間か……)
星命が顔を上げ、近くにある壁掛け時計を見ると、時計の針は5時半を示していた。
傍に置いていた学帽を被り、星命は帰り支度のため机の上の資料を片付け始めた。 図書館での調査を切り上げ、星命は高町家への帰路に着いた。今夜の夕飯に対する期待に想いをを馳せて。
○
図書館を出た星命は、ある交差点を渡るために夕日を浴びながら歩行者信号が青になるのを待っていた。
交差点と言っても市街地からは離れている上に、あまり大きな道路ではないため人通りは全くと言っていいほどなく、閑静なものであった。
向かい側の信号機の下にも星命と同じく信号が変わるのを待っているのであろう二人の少女が談笑している。
一方は絹のような金髪を腰まで伸ばした少女で、その面立ちと髪の色から外国人であるようだ。話の節々で浮かべる笑顔からは活発そうな雰囲気が窺える。
もう片方の少女は清流のような黒髪をやはり腰の辺りまで伸ばしており、その髪色から頭につけた白いカチューシャが映えてとても良く似合っている。日本人らしいその顔つきと、おっとりとした雰囲気は幼いながらも大和撫子を髣髴とさせるほどのお淑やかさであった。
二人ともバイオリンケースのようなものを持っていることからおそらく習い事の帰りなのだろう。と、星命は当たりをつけた。
ヤタガラスの情報員であり、秘密結社コドクノマレビトの首領の座にいた星命は人を観察するのが癖になってしまっていた。この時も何の気なしに二人の少女を観察していのだが観察しているうちにあることに気がついた。
(白いカチューシャの子、マグネタイトが少し異質だな。限りなく人間に近いけど、少し吸血鬼系の悪魔に似た気配がする)
マグネタイトの読み取り、それはヤタガラスの情報部の人間には必須の技能である。身体から発せられる微弱なマグネタイトを読み取ることで、その体の特殊な性質などを把握する技術である。しかし、把握できるのはあくまでその身体の特殊な性質や体質のほんの一部だけであり、普通の人間からはほとんど何の情報も得られない。精々身体が好調か、不調かぐらいなものだ。
(悪魔に匹敵するほど異質でもないし、まぁ様子見かな)
星命がそこまで結論したところで星命の目の前の歩行者信号が青色に変わる。星命が横断歩道に足を踏み出したその時であった。
白のミニバンが赤信号にも関わらず、少女達のいる車線の横断歩道の上に止まった。
運転席以外の三つのスモークを貼ったドアが同時に開け放たれ、中から四人の男達が姿を現す。男達は全員覆面を被り、その顔を見る事は叶わない。
男達はまっすぐ少女たちの下へと向かい、その手を掴んだ。
「何すんのよっ!」
金髪の少女が声を上げる。男の腕から逃れようと自身の腕を精一杯引っ張るが、子供と大人の対格差によって逃れる事は叶わない。
「放しなさ――むぐっ!」
少女がもう一度声を上げようとしたが、その言葉は途中でくぐもった息へと変わった。別の男によって口に白い布を当てられたためだ。
最初はもがいていた少女だったが、しばらくしてその体から魂が抜けたようにだらりと男の腕にもたれかかった。
怯えるだけだった白いカチューシャの少女も、程なくして同じように布を口に当てられて気絶した。
気を失った少女たちをミニバンへと放り込みんだ後、男たちも乗り込み、ミニバンは走り去っていった。
「誘拐……か」
星命が走り去る車を眺めつつ、一人ごちる。
さてと、とひとり言を続けながら肩に背負った四角い鞄を漁る。
「見ちゃったからには放って置く訳にもいかないかな、見捨てたりなんかしたらいくら桃子さんの手料理でも不味くなっちゃうしね」
こうは言ったが、元々星命の持つ正義は弱者を救うための正義である。
故に、この場でか弱い少女達を見捨てるなどという行為は最初から選択肢にはない。
無論、この場で彼女たちを助ける事もできたが、星命の力はあまり人目について良いものでもない。人通りの少ない通りではあったが念には念を入れて慎重すぎるということはない。
そのため、誘拐であるからには人目に付かないところに監禁することを見越して、ミニバンを追跡した上で監禁場所で誘拐犯たちを叩く事にしたのである。
星命がバッグから晴明紋と呼ばれる五芒星の描かれた一枚の霊符を取り出す。
辺りに人の気配がないことを念入りに確認し、その霊符を空へと投げる。
「追え、式神」
星命が言うと、霊符が黒い一眼の梟へと姿を変え、車の去って行った方向へ飛んでいく。それを追って星命も走り出した――
○
夕暮れ時の高町家のリビングで高町家の大黒柱、高町士郎は悩んでいた。
「やっぱおかしいよなぁ……」
ソファーに座り、膝に肘を突いた手に顎を乗せて士郎は呟く。
その悩みの種とは高町家で預かっている安倍星命という少年の事であった。
「捜索願も出ていない、そもそもそんな人物が存在しない」
それはあまりにも不自然であった。
自分の愛娘と同じ年頃の子供が居なくなって、捜索願を出さない親がいるとは思えない。 しかし、実際警察には捜索願は出ていなかった。そして、風間の話では安倍星命という人物は存在しないことがわかった。
「やはり偽名か? 挙動も怪しいし、身のこなしも言葉遣いも異常すぎる……」
風間の情報から士郎は偽名なのではないか、と予想した。しかし、星命の記憶喪失である、という言葉も嘘とは思えなかった。
星命は高町家に置いてある文明利器を見るたびに近くに居た高町家の人々に聞いていたのだ。目を輝かせて尋ねるその様子は好奇心を丸出しにした子供にしか見えなかった。士郎自身も昨夜に洗濯機について質問を受けたのである。
しかし、それ以上に不自然な点があった。星命の姿勢と動作である。子供独特の不安定感が全く無く、その動作は一挙手一投足に至るまで流麗で、まるで名門の家の跡取りのような立ち振る舞いだったのである。そして、その口から紡がれる言葉も子供のものとは思えないくらい理知的なものに溢れていた。
「ううむ……」
士郎が考え込んでいると不意に、リビングにおいている据え置きの電話が鳴った。
「はい、高町ですが」
[士郎さん!? ちょうど良かった!]
士郎が受話器を手に取ると女性の声が聞こえてきた。
「忍ちゃんかい? 恭也に用なら――」
[いいえ、出てきたのが士郎さんで良かったです。恭也が聞いたらすぐにでも飛び出しそうだもの]
替わろうか、と言いかけた士郎の言葉を忍と呼ばれた女性の声は遮って否定した。
「どうかしたのかな?」
[実は、すずかと連絡がつかないんです。アリサちゃんの家にも連絡したんですけど、同じく連絡が取れないって]
士郎の問いに忍はできるだけ冷静に話す。しかし、その言葉の端々からは確かな焦りが感じられた。
[持たせている携帯電話のGPS機能で確認したんですけど、どうやら家とは反対の方向へ向かってるみたいで……]
「誘拐か……」
忍の話を総合した上で考えられる仮説を士郎が提示する。日が暮れかけている今の時間帯に子供が家路とは反対の方向に向かうとはとても思えない。
「恭也には俺から連絡しよう。出来れば足を用意してもらえるかな?」
[わかりました、すぐお迎えにあがります]
そう言って忍は電話を切った。士郎は受話器を置き、携帯電話を取り出すと電話帳に載っている自分の息子の名前を選び出し、通話ボタンを押した。
○
茜色の空に夜の帳が下りた頃、星命は山奥にぽつんと一棟だけ放置された三階建ての雑居ビルを近くの林から観察していた。
放置されてから幾月、幾年経ったかわからないくらいに荒れ果てたそのビルは夜闇と相まって、不気味な気配を漂わせていた。
(妙だな、先程の子よりも遥かに濃い吸血鬼のMAGを感じる)
(これは、もしかして……)
ビルの雰囲気とは別に、星命はその第六感からただならぬ気配を感じていた。
(念のため、手を打っておいた方がいいか)
星命は鞄から五枚、霊符を取り出し、空へと投げる。投げられた札はそれぞれ黒い梟にその身を変えて、それぞれバラバラの方向に飛んで行った。
それらの梟とは別に、一羽の梟がビルの方から星命の方へ飛んできた。
(中に居るのは五人、一階に三人、二階に二人か……)
ビルへの偵察に一羽、式神を放っていたのだ。式神からの情報を、吟味するように星命は思考する。
(さすがに子供の状態の僕一人で一度に五人を相手するのはかなり骨が折れる。その上人質が居る以上、一階から正々堂々は不味いな。それに不穏分子もある)
顎に手を当て星命は思考する。正面突破を敢行した挙句、人質を盾にされては目も当てられない。
それに先程ビルから感じた違和感、星命の予想が正しければそれは少女達を救助する上で最も厄介な存在になりえるものだ。
(見つからないに侵入して人質の確保を最優先……かな)
星命は着ている学生服の上から腕と腰にベルトを巻く。そして腰のベルトから垂れた別のベルトを左の太腿へと巻いた。
左腕と左太腿のベルトの弾帯に差し込まれた鈍色の封魔管が静かに月光を受け、銀色に輝いていた――
描写を色々増やしております。
ちなみに風間刑事の名前は刑事貴族を参考にしました。