決闘の日から数日、友人が出来ないこと以外は平凡な日々が続いていた。
あの日以来、転校、不登校の生徒が増えたらしいが、その原因については、その関係者全員が揃ってって口を閉ざしている、というまことしやかな噂が生徒の間で流れたらしい。
らしい、というのは、廊下での立ち話がたまたま間接的に耳に入ってしまったのであって、友人のいない紅葉には詳細がわからないからである。
物騒な噂が流れる中、紅葉といえば、苦労の末に手に入れた免罪符を振りかざし、教室の下位カーストで革命を起こすことを考えもした。
だが、もともと人付き合いが多い方ではない紅葉にとっては、面倒くさくもあった。
週末の自宅、居間に家族三人がくつろいでいる。
母は三人分の緑茶を入れ、それぞれの手元に置いた。
ちゃっかり自分の前にだけ、皿に盛られたおはぎを置くが、いつものことなので父と息子はそれを咎めることはない。
テレビには紅葉と同年代のアイドルグループが、番組の撮影中に動物園の虎に噛みつかれ重傷だという何とも言えないニュースが流れている。
BGM代わりに流しているだけなので三人の内の誰も言及することはない。
父はテーブルに載せたノートPCとにらめっこをしていた。
昔なじみの裏通りなどをうろつき、見つけた明日の日雇いのバイトのスケジュールを確認し終えやることのない紅葉は、父の態度に興味を持ち尋ねてみた。
「ああ、これかい。明日、お上が発注した大規模な工事の入札日なんだよ。僕の会社は直接関わっているわけではないんだけどね。興味があるのかい?」
普段、父の仕事に興味を示さない息子が示した珍しい行動に、父は懇切丁寧に、且つ、簡潔に説明してくれた。
十中八九、九鬼財閥の関連会社がとることが決まっているそうだ。
九鬼といえば、社会生活を送るまでの猶予期間であり、経済に何の関心のない高校生でも、認知している大企業である。
本来であれば、正当に、提示金額が最も近い入札をしたものに工事が発注されるものなのだが、建設業界の昔からの慣習により、横のつながりが果てしなく広く、昔ながらの地盤が固い九鬼に決まりなんだと父は言う。
無駄に価格争いをすることにより利益が減るのを防ぐためである。
すでに、決まっていることに、父は頭を悩ませていたのだろうか、そう問えば、PCの画面を指で軽くたたく。
画面を覗くと、小難しい肩書を背負ったおっさんのコラムが表示されていた。
文章をざっと斜めに読むと、九鬼の他に、霧夜カンパニーの名が記されていた。
九鬼と同じく霧夜も一般に広く認知されている。
どうやら明日の入札に対しての記事らしい。
実質この二大巨頭の争いになると、筆者は語っている。
父も同意見なのだろう、画面を畳み、紅葉の疑問に答えてくれた。
「ああ、確かに、明日の入札の勝ちは九鬼に決まりなんだ。なのに、霧夜が名乗りを上げているのをみんな、疑問視しているんだ。霧夜の歴史は九鬼ほど古くなく、そのうえ、川神に顔が利くわけでもない。二つの企業が顔を出せば、みな九鬼に尻尾を振るだろう。そんなことは霧夜もわかっているはずなのに、今回の入札に臨んでいる。そこに一抹の疑念が残るんだ」
父は眉間にしわを寄せ、霧夜について話してくる。
成り上がりの霧夜。
紅葉は知らなかったが、数代でぐんぐんと業績を伸ばしていく彼らは、業界でそう揶揄されている。
豊富な資本を盾に強引に、禿鷹の如く根こそぎ奪っていく。
時にはネタを使い脅し、時には実弾をばらまき、そういった汚さから、そう呼ばれるようになった。
事実、数多くの会社を彼らは乗っ取り、悪名をはせている。
だからこそ狡猾で、端的に表して負けず嫌いの霧夜がこの入札にいるのは不可解であった。
実弾をばらまこうにも、血族の信頼で固められた九鬼には、そして忠義で結ばれた傘下には効果が薄く、脅しにも、それ相応の対策がとられているため、意味はない。
霧夜はジョーカーを隠している、そう父は目を輝かせ息子に語る。
――なんだ、只の好奇心なのか。
一家の大黒柱が真剣な顔を晒していたので、もしや、我が家に影響のある事なのかと真剣に聞いていたのだが、当てが外れた。
母は、長年の付き合いから、そのことに気付いていたのだろう、話につき合わされる前に、キッチンの方に消えていた。
まだ話したりないといった父に、明日のバイトが早朝であることを理由に、紅葉は席を外す。 去っていく息子に意気消沈した父を見かねたのか、お盆に酒とつまみを載せた母が紅葉と入れ替わりに居間に入っていった。
大黒柱の話を息子が半分、母が半分と受け持つ、いつもの土曜日が過ぎて行った。
●
電気が通っているのかすら不安になる田舎風景が続く。
早朝、いや深夜といった方が正しいだろう、駅近くのコンビニに集合し、そこから、ワンボックスに乗り、どんどん山奥に入っていく。
集落につくと、活気にあふれる老人たちが紅葉達、アルバイト勢を迎えてくれた。
かやぶきの屋根の下、老人たちが草を刈り取るのを、老婆が漬けた沢庵をつまみながら、眺めていた。
いかにもな田舎に、深呼吸をし、空気を味わう。
この集落は、過疎にも負けないといった意気込みを感じさせる。
刈入れが終わったそばから横の小屋で、箱詰めにされた物を大切に少年は背負う、これもまた大きな箱に入れられていた。
ここまで運転してきたバイト先の人間がそれぞれに地図を配り、注意事項を説明し、移動の手段である自転車を小屋から出した。
紅葉は地図に書かれた経路、目的地を確認するとロードバイクに跨り、一路、川神市を目指しペダルを踏んだ。
●
時刻は正午をまわったところ、雲が出ているため日差しは強くなく、風もあるのでサイクリングには最適だ。
自慢の脚のお蔭で、十一時ごろには川神市に入る事が出来た。
決められたルートを走らなければいけないのでもう少し時間がかかると踏んでいたのだが、杞憂に終わったようだ。
ママチャリ等とは、速度が違うこの自転車に、バイト代が出たら通学用に買うのもいいかもしれないと、紅葉は心の中で検討する。
悩む少年の視界のさき、前方の道を走ってくる顔見知りがいた。
彼女は川神学園で数少ない紅葉の知り合いだ。
確か、二年生だったはず、向こうはこちらにに気付いていない。
失礼のないように大きめの声であいさつをする。
紅葉に気付いたのか、溌剌とした彼女は休日にもかかわらず学園指定の体操着を着ていた。
快活に返してくれたのだが、少年の顔を確認すると彼女の顔が曇る。
「ええっと、確かクリが転校してきた日に一緒に登校して来た子よね? ごめんなさい、アタシ、名前を憶えてなくて」
彼女はポニーテールを垂らし、頭を下げる。
本当に申し訳ないといった様子の彼女に紅葉も慌ててしまう。
別段、失礼といったことでもないのだ。
紅葉が道に迷っていた時に、たまたま居合わせた彼女が丁寧に道案内をしてくれた、只それだけの事の――はずだ。
一生懸命に、そして彼女の大切な時間を、初対面の紅葉に使ってくれた事、それが嬉しかった。
寂しい学園生活を送っている少年には、とても大きな変化であったのだが、彼女にとっては日常の一つでしかなかったのだろう。
それが、悲しいという事はなく、出会ったばかりの人だろうが、かわらずに優しさを注ぐ彼女の人柄に、逆に期待してしまう。
「えっと、あなたが迷子に? 御免なさい、憶えてないわ。――うん、でも大丈夫! 今度は忘れないから、じゃあ改めて、アタシは川神一子、二年F組よ 一子って呼んでくれていいわ」
そういえば、紅葉も名前は覚えていなかった、いや、もしかしたら互いに名乗っていなかったのかもしれない。
頼りにならない自分の頭をかるくたたき下げる。
「一年C組、荒場紅葉です、よろしくお願いします一子先輩!」
一子はなぜか頬を紅潮させていた。
彼女は大きな動作で胸をたたくと、とびきりの笑顔で宣言する。
「何かあったら、すぐにアタシのところに来るといいわ、この川神一子『先輩』が全部解決してあげる! どんと任せなさい!」
彼女の言葉に、学園で初めての人とのつながりが出来たことに気付く。
その幸運をしっかり噛みしめた。
感動している紅葉に、彼女は申し訳なさそうに、別れを告げる。
日課のジョギングの途中だったそうだ。
腰に巻かれた紐の先、三つの自動車用の廃タイヤが繋がっている。
休日にこのようなことをしているという事は、彼女は部活にでも所属しており、その訓練なのだろう。
尋ねると、武術の修行の一つだと話してくれた。
武術という単語と川神という名字からまるで、百代を連想させるが、そんな偶然があるはずもなく、こちらもバイトの配達時刻が決まっているため、あいさつを交わし別れる。
今日はもしかしたら今年始まって以来のラッキーデーかもしれないと笑顔を浮かべる紅葉。
そういえば記憶の中では、彼女に道案内してもらった筈なのに、肝心の目的地が思い出せない。
出会いのインパクトが強すぎて、細かいことを忘れることはおかしいことではない、と自分に言い聞かせた。
●
川神市内は変人が集まりやすいのだろうか、休日の昼、紅葉は色々な人とすれ違う。
メイドの格好をした、メイドらしき何かや、執事の格好をした、執事のような何か。
一人二人なら本職の方かもしれないが、こうもすれ違うと大半が、まがい物に見えてくる。
一部の金持ちや、特殊な嗜好の方を除いたら、後は趣味の人が大半だといわれる業界のため、今日見られる大量の彼らも偽者に違いない。
紅葉に理由はわからないが、そういったイベントでも開催されているのだろう。
担いだ箱が、ぶつからないよう、慎重に目的地に自転車を走らせる。
市街からだいぶ離れ、ガラの悪い連中がたむろしている工業地帯、ここが配達の目的地だ。
バイト自体、ここで声をかけられたものである。
揉み手で近寄るかつらの男に高額の日雇いがあると声をかけられた。
もともとそれが目的で散歩していた紅葉は二つ返事で了承、提示された額の大きさにやはりここで探して正解だったと手をたたく。
鬼面時代に、蛇神が吹聴しているのを横で聞いていたのだが、それが役に立つとは思わなかった。
老人たちが働いていたのを考えるとそこまで、胡散くさいバイトではないのかもしれないと、考えなおす。
バイトの額が額だけに、あやしい仕事かと睨んでいたので、いささか拍子抜けだった。
一子と別れて十分ほどで地図に書かれている小汚い事務所に着いた。
自転車が一つも止まっていないことから、少年が一番乗りなのだろう。
挨拶をし、正面の扉をあけ、中に入る。
事務所の中は、所々に汚れが目立ち、余り仕事をするのに良い環境とは言えない。
机やいすがひっくり返り散乱しており、昼間から床で寝ている所員までいる。
眉を顰め、起きている人はいないのかとあたりを見回す。
奥の部屋から、灰色のYシャツを着古した軽薄そうな男が男が姿を現す。
年のころは三十前半といったところか、短めの髪に、血の気が薄くどこかくすんだ灰色の肌。
男はこちらに気付くと、へらへらした薄っぺらい笑みを張り付け近づいてくる。
「ああ、兄ちゃん、この事務所はさっきつぶれたたんだぜ、何か用でもあったのかい!」
言葉と同時に男の右ストレートが紅葉の顎めがけ放たれた。
それをしっかりと認識してから、振り上げた少年の左足の裏が男の拳を受ける。
男はそれが意外だったのか、口笛を吹き口の端を緩めた。
「やぁ、わりぃな、蚊が飛んでたんだ、兄ちゃん。ブンブンとなぁ」
それは奇遇だ、紅葉の足の裏にも大きなハエがくっついている。
このまま潰しても構わないだろう。
男はがたいが悪いわけではないが、かといってたいしてよくもない。
身長も紅葉とあまり変わらず、服装から考えるに、街のチンピラふぜいといったところだ。
ヤクザならあとが面倒だが、彼らは身なりにはきちんと気を遣い、それをステータスの一部としているので、目の前の男がヤクザではないと明確な根拠になる。
意外に力持ちなのだろうか、紅葉の脚を押し返すことは出来ないが、その場で持ちこたえ拮抗を保っていた。
「おい、何遊んでんだ? 商品の積み込みが終わったぞ。あんだ、おまえ、ここの組員か? にしちゃ、ちょいと若いな」
争う二人をそのままに左奥の扉が開き、長髪の若い男が顔を出す。
黒のタンクトップに長髪、むき出しの方には刺青が施されている。
男は精悍さと野生の溢れる顔をゆがめ紅葉を見た。
ズボンのベルトを締め直して、少年の方に歩いてくる。
「おい、竜兵。亜巳と天の方から連絡が届いたぞ。こっちも退散だ。にぃちゃん、そういう訳だから勘弁してくれねえかな?」
そういった男の腕が収められ、紅葉は同時に足を引く。
奥から出てきた男は用心棒だろうか、この中年の男性よりも余程そういった暴力の匂いが漂っている。
鬼面のメンバーは当時、猛威を振るっていた弊害か、その無敵さ故に、相手の実力を図るといった能力が退化してしまった。
そのために観察と思考から、彼等の実力を判断しなければいけない。
若い男は薄着のため鍛えられた肉体が分かりやすい、今もこちらを威嚇していることから、自分の力に自身があるのだろう。
とすると、単純な喧嘩屋か、もしくはボクサーか空手やくずれの可能性がある。
他の格闘技はそれらに比べるとマイナーになるので路上の喧嘩で使う者はまず居ない。
そしてこの事務所に転がるブチのめされた輩がいることから、相当な強さだと考えられる。
それにもう一人のチンピラにしか見えない男も長髪の男以上ということはないが、軽くとはいえ紅葉の圧力を迎え撃ったのだ、警戒した方がいいだろう。
蹴り足を後ろの下げ、いつでも飛びかかれるようバネを蓄える。
こちらが戦闘態勢に入ったことに気づいたのか若い男のほうが口の端を釣り上げる。
「やめろ、竜兵、お前じゃ逆さになっても敵わねえよ。なんせ全力じゃないとはいえ俺の拳を受け止めたんだからよ」
開戦のゴングは、大物ぶった振る舞いをする男によって止められた。
力関係が下にあるのか、長髪の男がしぶしぶといったていではあったが素直に引く。
紅葉はそれ見て、彼等の関係が、ヤクザとボディガートのようなものだろうと推測をつけた。
「なぁ、あんたも悪かったな。ちょっとこの事務所を潰している最中でよ、気が立ってたんだ、許してくれよ。ん、ところであんたはなんの用でここに来たんだ? 関係者以外は頼まれても入ってくるような奴はいないと思うんだが」
潰れた、その言葉をもう一度聞き、軽く力が抜ける。
先ほど聞いたのは空耳ではなかったようだ。
バイト先の事務所が潰れたら、どこで給金を貰えばいいのだろうか。
少年は今日半日の労働が無駄になるかもしれないと途方に暮れる。
こちらを見ていた中年の男が尋ねるので事情を話すと、気の毒にと笑いながら肩を叩かれた。
その言葉に向ける紅葉の殺意を気にするでもなく、彼は近くに倒れていたスキンヘッドの血まみれの男の腹を蹴った。
剃り上げた頭の男が倒れたままか細い声でしか喋れない事に文句をつけながらも、バイト代の話をつけてくれている――なんと優しい人なのだと紅葉は感動する。
中年もといジェントルマンは事務所の机から分厚い封筒を見つけると紅葉に放ってよこした。
「ああ、それがバイト代だとよ。ただ、お前さんの分を抜いたらこっちに返してもらえるか。その金も俺らの儲けになるんだからよ」
紳士の暖かい言葉に異存があるはずもなく封筒の中身を確認する。
三十枚の紙幣が入っている、たしか紅葉以外の人間が九人おり、一人頭三万円が今日のバイト代になるはずだった。
十五枚を封筒に残し彼に返す。
さあ、帰ろう、少年は労働の喜びである元気を握り締め、心地よい疲労感に酔いしれる。
「なぁ、そう、早足で帰ることもないだろう、ちょっと待ってろ、おみやげもつけてやるよ」
呼び止められたことに驚いたが、気にせずに紳士は奥の部屋に入っていく。
この上おみやげまでもらってしまっては申し訳ない、紅葉は遠慮しつつも、勇んで受け取るため男に続く。
部屋にはいると1.5m四方の箱が三つ置いてある。
一つを除いて紅葉が持ってきた箱と酷似していた。
「さぁ、運試しだ、好きな箱を選びな! ただし家に帰るまで絶対に中は見ないこと、そのほうが面白いだろう」
紳士は笑顔を浮かべ、こちらの答えを待っている。
改めて箱を見る、デザインに関して言えば正直ふざけているとしか言えない。
共通しているのは妙に凝った意匠、石造りをしているように見えるが、紅葉の運んだものと同様に軽い素材を偽装したものであるのだろう。
箱の中央に星座のシンボルが描かれていることが、真剣味を感じられない最たる原因だ。
因みに少年の持ってきたものにはペガサスが描かれており、こちらの三つにはそれぞれ、天秤、獅子、蟹が描かれている。
バイトの説明で警察に職務質問された際は、ギリシャから来たので日本語がわかりません、と言って走って逃げるように指示を受けている。
よく考えると潰れるべくして潰れたのだなと紅葉は納得した。
男に急かされ、箱のほうを見ると二つばかし蓋がずれ、中身が覗けるではないか。
一目見れば気付きそうなものだがどうしてか男はそれを指摘しない。
これは好機、しめしめとほくそ笑み中身を確認する。
一つ目の箱はいらない、中身はモデルガンだった。
最近のモデルガンらしく本物志向であり、おそらく火も出るし、弾も飛び出すのだろうから、一介の高校生には必要ない。
二つ目の箱の中身は、小麦粉の原料の葉っぱが大量に詰められている。
グラムあたり数万円するという高級な小麦粉が取れるのだろうが、料理は、母の領分なので関係ない。 中毒性も怖いので遠慮する。
とすると三つ目しか無いのだが、蓋が開いていない。
開いていないのだが、中身は容易に想像がつく。
この一つだけが白い発泡スチーロルで出来ており、蟹のイラストもプリントされたものだ、十中八九、蟹が入っている。
大きさからいって四、五杯はあるか。
家族でわけあっても十分な量であり、紅葉はこれを選んだ。
選んだ瞬間、男性の笑みが濃くなったが、一緒に喜んでくれたのだろうと少年は気にも留めない。
蟹の入っているであろう箱を背負い事務所を出るとき中年がサングラスとマスクをくれた。
ここらあたりは空気が悪いので付けていくように忠告される。
礼を言い、ついでに気になっていたことを尋ねてみた。
彼らが、債権の取り立て業者か何かなのかと。
「ああ、金目の物を回収するという点では似たようなもんさ。まぁ、借金のないところからもしっかり実力で頂戴するっていう珍しい仕事さ」
それはたしかに珍しい。何事にも専門職というのがいるものだ。
中年の言葉を聞いて感心する紅葉に、長髪の男が爆笑して頷いている。
蟹の礼を言い、勤労の励ましの言葉を送り事務所を後にした。
今夜はごちそうだ、高鳴る鼓動のままに家路を急いだ。
●
少女の話をしよう。
九鬼財閥の次女であり、容姿に優れ、才を授かり、歳の離れた兄姉の愛情を受けた少女の話を。
彼女は努力家であった、故に才に溺れることなく将来はどの分野においても一角の人物になるだろう。
彼女は人を見抜く目を持っていた、故に未来において彼女の傍には優秀なものが付き従うことだろう。
彼女には優しさと一途さがあった、だから将来良き伴侶に恵まれることだろう。
そう、未来においては。
今、現在の彼女の小さな背とその手では掴める物があまりにも少なすぎた。
いや、それでも同年代の者に比すれば、多くはあれ、少ないということはないだろう。
しかし彼女の才の一つである慧眼からすれば、掴んだものはあまりにも小さいように思えた。
自分を受け入れてくれた九鬼家の人間に返すには微々たるものにすぎないと。
彼女は九鬼当主の妾腹の子であった。
かと言ってそのことを気にしている人間は居ない。兄も姉も惜しみない愛情を注いでくれ、父も義理の母も卑下することはないと紋白に言い聞かせた。
故に彼女は深く恩を感じる。
彼女に送られた愛情に見合った何かを探さずにはいられない。
子供はただ享受するだけで良いのだ。ただ与えられたもの血肉とし、健やかに育つこと、それこそが何よりの恩返しになるのだ。
賢い彼女はそれが理解できるほどに大人であったが、それを我慢できない程度に子供であった。
だから幸せな少女、九鬼紋白は今日も己が研鑽に精を出すはずだった。
そう、手足を縛られ、光一つ射さない暗闇の中でなければ。
紋白は思う、今、自分がどういう状況にあるのかを。
麻酔を嗅がされたのか、気づいた時には後ろ手を縛られ猿轡を噛まされているため助けを呼ぶことも出来ない。
油断は確かにあった。だが、紋白の傍には九鬼の従者部隊最強のヒュームが控えており、彼の警護を突破できるはずがない。
老人でありながら、その強さは衰えることなく金の髪をなびかせ、幾つもの敵を屠ってきた。
ならば、考えられる結論は一つ彼にミスがあったのではない。紋白がなにか失態を犯したのだ。
そう結論づけ、猿轡の上から歯を食いしばる。
自分は家族の足手まといになった、慚愧の念が心細い心中に広がる。
涙が頬を伝わり、乾く暇もなくまた流れる。
今日は姉の仕事の大事な入札の日だ。
紋白を誘拐した者の目的はそれの辞退に違いない。
それに気づくと紋白の中に火が灯った。
失態を恥じる気持ちより、誘拐された事実より、たった今、危機的状況にあるのが自分だけではないことに。
大切で尊敬する姉の道すらも阻まれようとしていることに、少女の心が燃え上がる。
そうだ、時間を知らなければ、入札の時間がまだ過ぎていないことを願う、そして隙をつき逃げ出し、九鬼の人間に無事を伝えるのだ。
姉のために、いいや自分のため、家族のため、絶対に切り抜けてみせる。
決意した少女の頭上から光が射す。
突然の光に丸まったからだを震わせ、紋白は恐る恐る天を見た。
誘拐した一味の人間が戻ってきたのか、紋白は震えを意思で抑え、勇気を振り絞る。
兄妹の顔を胸の支えにし、これから行われるどんな辱めや拷問にも耐えてみせると、少女は覚悟する。
光が当てられたことで気づいたが紋白はとても狭い場所に閉じ込められていた。.
頭上から覗き込むサングラスの怪しげな男が、紋白の手と足を指さし呟いた。
「一杯しか居ないのか、足は四本しか無いし、爪もない。味噌は父さんたちが食べるとして、まあ、これだけ大きければ満足いくまで食べれるかな? 大味じゃないといいけど」
――自分は食べられてしまうのだろうか、拷問による死も覚悟していた少女であったが、食人主義の異常者を前に、胸に灯した火はとても小さいものに思えた。
紳士=釈迦堂さん
おじいちゃんおばあちゃんの仕事=葉っぱを育てるお仕事です