武神フクロにしたった~僕らの川神逃走記~   作:ふらんすぱん

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 着飾った蛇に、困惑する虎 (裏)

 決闘の日の朝は、雲一つなく強い日差しが、これから行われる戦いを後押ししていた。

 

 開始の時刻よりだいぶ余裕を持ち、紅葉の部屋の目覚ましがうなり声を上げた。

 

 ベッドの中から、手探りで時計を探し当て、時間を確かめる。

 

 準備に必要な時間は、イレギュラーな要素のことも考慮し、かなり取っておいた方がいいだろう。

 

 紅葉はさっさと制服に着替え、部屋を出た。

 

 リビングに向かうと、母が紅葉の朝食を用意している。

 

 父は休日出勤らしく、すでに朝食をとりおえ、玄関に向かうところだった。

 

 トーストにかぶりつきながら、片手で父を見送る。

 

 紅葉自身が他人と比べたわけではないが、親子の関係は良好なものだと思っている。

 

 朝食を三分そこらで食べ終えて、紅葉は台所に向かう。

 

 サラダ油とオリーブオイルを手に取り、どちらにしようか紅葉が迷っていると、母が不思議そうにこちらを見ていた。

 

 紅葉には判断がつかなかったので、どちらの油が必要ないのかを尋ねてみる。

 

 両方必要だという母の言葉に、それはそうなのだろうと紅葉は納得した。

 

 主婦として当たり前の答えを聞くと、紅葉の手の中にあるたかが食用油でさえ惜しくなってしまう。

 

 

 紅葉は代わりになる物がないかと、台所を見回した。

 

 すると、ゴミ箱の横にある缶が目に入った。

 

 母に聞くと昨日の夕食の天ぷらを揚げた後の廃油だそうだ。

 

 これならば惜しくはない。

 

 母が不思議そうに、石鹸でも作るのかと紅葉に尋ねる。

 

 そんなところだと返し、紅葉は廃油を缶ごとカバンに詰める。

 

 その他に、ハサミに、ガムテープ、荷造り用のひも、観戦用の菓子など適当に詰めていった。

 

 

 ――後はストッキングでもあればよいのだが。

 

 

 だが、母に借りるのも、お店で買うのも男子高校生である紅葉は遠慮したい。

 

 しょうがないので、黒のごみ袋を代わりにカバンに詰め込む。

 

 結局、紅葉が用意したものすべてが代用品になってしまう。

 だが、使用する相手を考えると妥当。

 

 ――いや、上等か。

 

 リビングの時計を確認。

 母に声をかけてから、少し急ぎ足で川神学園に向かった。

 

 

 ●

 

 

 紅葉が学園の正門につくと、すでに蛇神の家の黒い外車が止まっていた。

 

 最悪、学園外を探すことも覚悟していたので、手間が省けた。

 

 遠目でうかがう限り、車の中は無人。

 

 蛇神の子分である現鬼面の者は、すでに決闘の場であるグラウンドに集まっているのだろう。

 

 学園に来るのが少し遅かった。

 紅葉の計画を実行するには人の目が多いと都合が悪い。

 

 そういったことも考慮して、紅葉は早めの時間に登校したのだが。

   

 

 校門を抜け、グラウンドに向かう道の途中、大きい看板が立てかけられていた。

 

 

『鬼面御一行様 休憩所こちら 武器や貴重品等はこちらのロッカーにお預かりします。 最近学園などで、盗難被害が出ているので必ず、必ずお預けください。 大切に使わしていただきますのでご安心を』

 

 

 看板と云っても、適当に切ったダンボールに赤マジックと、子供の工作レベルの代物である。

 

 決闘の運営者は、やる気が無いのか、それとも人手不足で手が回らなかったのか。

 

 紅葉は矢印の方を向く。

 

 矢印のさす方向は、人気のない体育倉庫に続いていた。

 

 ――とても都合が良い。

 

 己の日ごろの行いの賜物だろうと納得し、人の気配を窺いながら、歩みを進めていく。

 

 紅葉は、規則正しく植えられた木の陰から、倉庫を確認する。

 

 そこには、面をかぶった手下共が蛇神を中心に、輪を作り何やら話し込んでいた。

 

 休憩所とあった割に、椅子の一つも用意されていないのか、全員地面に座り込んでいる。

 

 紅葉が耳を澄まして話を聞いていれば、内容は決闘のことではないようだ。

 

『おい、この暑い中、いつまで待たせる気だ! 何だ、奴らはパシリ一つ満足にできないのか。お前らの教育はどうなっている!』

 

 蛇神と面に刻まれた番号の若い奴らが、飲み物はまだかと騒ぎ、周りの者がそれを宥めている。

 

 飲み物ぐらいで、これほど騒ぎ立てているところを見るに、頭の成長は、ガキの頃からストップしているようだと呆れてしまう。

 

 待つ事に蛇神の短い堪忍袋の緒が切れたのだろう、二人のお面の手下を供に、紅葉の隠れている方へ歩いてくる。

 

 紅葉はカバンに手を入れる。

 

 口の端を吊り上げこっそり回り込み、彼らの後ろをつけていくのであった。

     

                 ●

 

 

 校舎の食堂の外にある自動販売機で、蛇神は飲み物を選んでいた。

 

 連れ立った二人は、先行させ飲み物を買いに行かせた者を探している。

 倉庫から、ここまで最短の道を移動してきたのだが、すれ違うことはなかった。

 だが、紅葉には関係のないこと。

 

 風が木々の葉を揺らす音と、短い生涯である蝉の求愛の歌、そして蛇神と取り巻きの話し声しか聞こえない。

 

 ――絶好の機会であった。

 

 蛇神の頭はこちらを向いていない。

 

 紅葉は軽くしゃがみ、爪先に力を込め、一息より短い時間で、蛇神との間合いを殺す。

 

 強い風が吹いた。

 

 蛇神は振り向いてすらいない。

 

 たった一歩、飛ぶように詰める。

 

 知覚外からの一撃。

 

 音もなく跳んできた爪先は、蛇神の脇にめり込んでいた。

 

 蛇神の両目が白一色に変わり、なすすべなく倒れ伏す。

 

 

 蛇神が地面に倒れ、その音で初めて、手下は紅葉に気付き、視線をくれる。

 

「お、おい、何だお前は! うちのボスに何をした!」

 

 紅葉は足の下で動かなくなった蛇神の頭を踏み潰し、彼らの反応を見る。

 

 一瞥した後に視線を下に戻し、愉快な顔で白目をむく蛇神にため息をこぼした。

 

「おい、早くボスから離れろ! 川神百代の手の者か! 畜生、此処まで直接的手段で来るなんて、――おい、いい加減、タバコの火を消す要領で、ボスの頭を踏みにじるな!」

 

 昔から特別に強くはなかったが、武神に喧嘩を売るのだ、何かしらの勝算あってのことだろうと推測はしていた。

 だが、この程度の不意打ちで、地面に顔の半分が埋まり始めている蛇神ではどうやっても武神に勝てそうにない。

 それに敵がいるのに問答無用で殴りかかってこず、律儀にこちらの反応を窺っている二人など、糞の役にも立ちそうにない。

 

 紅葉は改めてゴミ袋に空いた二つの穴から、彼らに視線を向ける。

 

「山賊です、身ぐるみを剥ぎにまいりました――とか言ったら素直に従ってくれてたりしなかったよね?」

 

 ちなみにこの質問は、二人組の足を払い、倒れた頭を交互に踏みつけながら、投げかけられた。

 

 ●

 

 

 

 近くの空き教室、そこで紅葉は次の行動を確認する。

 使用し、空になった廃油の缶は此処に置いていくことにする。

 

 剥ぎとった三人分の服も特に必要ないので、ゴミ箱に突っ込んでおけば問題ないだろう。

 

 流石に三人の高校生男子を運ぶのは疲れてしまう。

 

 なので、石蹴りのように、転がしならが運ぶ。

 紅葉は、教室にある時計を確認した。

 

 ――どれくらい時間がかかるものなのだろうか。

 

 パンツ一枚になった蛇神を、廃油をぶっかけ日当たりのよい木に縛り付けておいたのだ。

 

 今日の朝食のトーストに乗っかっていたベーコンは、フライパンですぐに色が変わったのだが。

 

 夜空の星にではなく、真昼の太陽に願いをかける。

 

 そして、呻きながら転がっている、蛇神の手下を見た。

 こちらも蛇神同様に、パンツ一丁である。

 だが、お面を外していないので、異様な見た目になった。

 

 ――とても関わり合いになりたくない。

 

 紅葉は彼らを変態だと思った。

 

 ちなみに面だけを残しておいた理由は特にない。

 

 顔と面の隙間に、指を入れ、つまんで剥がす。

 ゴム紐で、固定されていただけで、簡単に取れた。

 

 面を外せばそこいらの学生と何ら大差のない平凡な顔が出てきた。

 

 その顔を、もう一人の股間に挟み、ガムテープでぐるぐると固定する。

 そしてもう一人の顔も、相手の股間に固定した。

 

 ――特に意味はない。

 

 逆さまに向かい合い、顔を股にはさみあう形に固定された男たち。

 

 昔のように、悪戯をしてみたのだが、見ると、吐き気と殺意がわいてくるだけで、愉しくはなかった。

 

 ――これが大人になるということか。

 

 歳を取るとは、寂しいことなのかもしれない。

 

 紅葉は遠い日に笑っていた自分を思い出し、感慨にふける。

 

 その気分のまま、再び転がっている男共を見ればどうだろう。

 

 紅葉は不快になったので、蹴り飛ばした。

 

 

 こういった物の処理は、ミンチにして養殖場のアサリの餌とか、ダム建設のコンクリートの中が、一般的なのだろうが、紅葉にはそんなコネはない。

 

 ――時間もない。このまま、捨ててしまおう。

 

 

 だから、教室の隅にある掃除用のロッカーに目をつけた。

 

 

 ――勢いよく開けて、勢いよく閉めた。

 

 紅葉は、顎に手をやり、自問自答する。

 

 

 ロッカーの中には荒縄で縛り上げられている全裸の男が、二人ばかり詰まっていたように見えた。

 

 安らかな寝顔であり、パンツも穿いていない。

 学園でこのような行為を行うなど、かなり上級の倒錯者だった。

 

 二人は身動きができないように、完璧に縛られていた

 どうやって自身を縛ったのかわからない。

 だが紅葉にそのような趣味はないので思考を遮断する。

 

「――仲良くするんだぞ」

  

 ――ロッカーに二人を放り込み、見なかったことにし、次の目的地である演劇部に足を向けた。

 

 

 

 ●

 

 紅葉にとっては幸運なことだが、不用心なことに演劇部の部室は鍵が閉められていなかった。

 

 都合はよいが、学園生としては眉をひそめてしまう。

 

 隣接する衣装部屋に入り、紅葉は物色する。

 

 

 だが、十中八九あると踏んでいた目的の物が見つからない。

 

 棚のほうに目をやって、手を動かす。

 

 マネキンヘッドはいくつかあるのだが、目的に叶うものはない。

 

 妥協し、一番近いものに手を伸ばす。

 

 これにハサミを使って何とか代用するしかないだろう。

 

 ここで得られる必要なものは揃った。

 

 次に紅葉は購買に向かう。

 

 

 その途中、二階の廊下から見渡せる庭で、大柄な男がたき火をしていた。

 

 季節外れの焚き火に、紅葉は首をかしげる。

 

『なぁ、なんで、喋り方変えたんじゃ? ワシと被ってるじゃろう。特に一人称とかモロに。昔は俺って、言っとったのに。いや別に怒っとるわけじゃない。だからこのことにも悪気があったわけじゃない。じゃから、お前は許してくれるだろう、なあ?

 軽く炙るつもりだったんじゃが、思ったよりよく燃えることのなぁ。まぁ、頑張ったワシも手に少しヤケドしたわけだし、お互い様だ、なっ!――よし! 反論もない! ところでおまえ、なんか油臭いのう』

 

 新聞紙や雑誌類のインクの焦げるにおいの中、色黒の男は、太い木の棒にくっ付いている人間大の黒焦げの何かを前に独り言を話している。

 春になるといろいろな人が湧いてくる。

 

 陽気の良さも考えものである。

 

 

 

 

 購買に向かうも、休日のためか開いていない。

 

 たとえ開いていても紅葉が必要としているものは、男子が買うには度胸がいる。

 立ち止まって一度考えてみれば、財布の中の手持ちでは足りないかもしれない。

 

 三度、時計を見ると、決闘まで時間も余りない。

 

 ――仕方がないあるものだけで何とかしよう。

 

 紅葉は開き直る。

 

 だが、蛇神を縛り付けた木にたどり着いた時、そこに彼の姿はなくなっていた。

 

 ――断りもなしに、いなくなってしまうなんて。

 

 紅葉は理不尽に、腹を立てる。

 

 声を上げられないように鼻と口にガムテープを張り付け、縛る際には、関節も固定していたのだが、蛇神には足りなかったらしい。

 

 

 ――逃がさない。

 

 紅葉は、手下から奪っておいた面で顔を隠し、おそらく蛇神がいるであろう体育倉庫の休憩所に走った。

 

 

 休憩所、お面をつけた幾人かが、円になって誰かを囲んでいる。

 皆が皆、首を傾げていた。

 

 面で顔はわからないが、最初から休憩所にいた人間とは体格が違うことがわかる。

 

 面をしているので意味はないのだが、紅葉は何食わぬ顔で、とことこと近づいていく。

 

 円の中心、椅子に座っている人物を確認した。

 

 ――そして紅葉の予想通り、そこに蛇神はいた。

 

 紅葉も、首を傾げる。 

 

 

 ――シャツの下に明らかな詰め物をしているせいで大柄に見えなくもない上半身。

 

 ――浅黒いというか、墨色の肌は、香ばしい薫りがする。

 

 ――演劇に使うようなド派手なスカートを穿いて。

 

 ――足はきれいに剃り上げられ、ムダ毛がないことが逆に気色悪い。

 

 

 つまり、蛇神は変わり果てていた。

 

 だが、紅葉は不足感を覚える。

 

 ――紅葉は、最後のピースをはめ込んだ。

 

 演劇部で見つけた、舞台用のカツラを、そっと彼の頭に載せてあげる。

 

 

 ――場に賞賛の拍手が響いた。

 

 

 放送により決闘の時間がきたことが知らされる。

 

 蛇神の手下が、なぜ紅葉の行動を褒めるのか。

 

 そういった、特にどうでも良いことを、紅葉は気にしない人間だった。

 

 

      ●

 

 

 

 泣き顔の蛇神が、スカートをひらひらさせながらグラウンド中央に向かっていった。

 

 毛量が多いため、紅葉がカットした黒髪のカツラは、頭皮に直付けした接着剤のおかげで取れる気配がない。

 

 

 蛇神が、紅葉に求めてきた握手。

 求められると、断りたくなるので、紅葉は拒否した。

 

 紅葉の周りの蛇神の手下たちも断っていたのはすこし意外ではあった。

 

 ――いや、蛇神の命令を聞くやつなんて昔から少なかったっけ。

 

 意気消沈した蛇神は、グラウンドで武神との握手を交わすと、なぜか顔に生気が戻っていく。

 

 変化を怪訝に思ったが、学園長の号令がかかる。

 

 静まりかえる中、戦いは始まった。

 

 ●

 

 紅葉はこの戦い、すぐに決着がつくものだと見込んでいた。

 いつかの朝の登校中、河原で見た百代の戦う姿はひどいものであり、あの蛇神ごときでは一分も耐えられるはずがない。

 

 

 しかし、紅葉の眼前、グラウンドの中心、そこで一歩も引かずに拳打を叩きつけあう二人の姿があった。

 

 百代の高らかな哄笑、鈍い打撃音、そして蛇神の雄叫びが上がる。

 

 蛇神は拳を全身で受けながら、緩慢な動作で大振りの一撃を返す。

 

 意外なことに百代は其れを躱そうとはしない。

 

 蛇神の一撃を身体で受け止め、そして拳打を浴びせ返すだけだった。

 

 互いに守りを捨てた、技術のない子供同士の喧嘩。

 

 

 ――だけど蛇では虎には敵わない。

 

 紅葉は蛇神が負けると、確信した。

 

 根拠は単純。

 紅葉は、蛇神と百代、互いに当たった拳の数を数える。

 

 蛇神が一度、百代の腹を殴れば、その度、百代が三発、頭に、胸に、腹へと、拳を射し込む。

 

 手数において蛇神は分が悪く、時間が経つに連れその差が明らかになるだろう。

 

 百代が勝利した後のことを考え、紅葉は逃げ出せる準備を始める。

 

「これは、モモのやつ遊んでおるの」

 

 歓声の中、学園長のため息が、紅葉の耳に届いた。

 

 同じく聞こえたのだろう、先ほど煎餅を、持って行ったポニーテールの少女。

 

 川神一子が質問する。

 

 

 

「遊んでるってことは、お姉さまが勝ってるのね?」

 

 あえて百代は防御を一切してなかったのか。

 

 ハンディキャップを己に課すことで、格下との戦いを楽しんでいるということ。

 

 おそらく好戦的な気性であろう百代。

 

 学園長の言葉に紅葉は納得する。

 

「――いや、今有利な立場におるのは、蛇神じゃ」

 

 その意外な言葉に紅葉は驚き、そばで耳を立てた。

 

 

 ●

 

「どういうこと、お姉さまの拳のほうが多く当たってるのに。其れにあんな素人同然の大振りな攻撃がお姉さまより強いはずないし」

 

 一子のすぐ後ろで、紅葉は首を縦に振り同意する。

 戦いを楽しむのは強者の特権。

 だが、楽しみすぎて負けるなど、笑い話にもならない。

 

 

「なぜかわからんが、モモの気は減っておるのに、蛇神の気はひとかけらも減っておらんのじゃ。それに付いた傷が片っ端から治っていく。百代だけでなく、蛇神のものもな」

 

 

「じゃあ、お姉さまと同じように蛇神も瞬間回復してるってこと!」

 

 瞬間回復がなにかは想像もつかないが、其れは驚くべきことだったのだろう、一子が興奮し声を上げる。

 

 二人の戦いに目を向けると、拳が当たった後にかすかに光り、傷が消えていく。

 

 百代よりゆっくりであるが蛇神の物も同様に。

 

 紅葉は目元を拭い、もう一度確かめるように確認した。

 

 ――人間の傷はあのような速度で塞がるものだっただろうか。

 

 紅葉の疑問を無視して、戦いは続く。

 

「お姉さまが負けるはずない!」

 

 力強い言葉とともに、いつのまにか紅葉の横に一子がいる。

 

 一子は観戦に必死で紅葉を見ていない。

 だが彼女の手は、紅葉の摘んでいる煎餅袋から、煎餅を抜き取っていく。

 

 学園長の話を聞くため、紅葉は何時の間にか、百代の応援席にまで来てしまっていたのだ。

 

 

 ――これはまずいのでは。

 

 逃げるよう、逆のほうに体をずらそうとすると、そちらの方からも手が伸びる。

 

 バンダナを巻いた上級生らしき男性が笑顔で紅葉の煎餅をかじっていた。

 

 

 ――そしてその隣にずらりとお面をかぶった蛇神の手下たちも並んでいる。

 

 戦いのほうが大事なのか、武神の連れは、誰も文句を言わない。

 

 

 紅葉は気にしない事にした。

 

 

 歓声が響く。

 

 決闘に動きがあったのか。

 

 大きく五歩、距離を取った百代の右拳が肩から上に持ち上げられ、光を纏う。

 

 今日何度目か、紅葉はまた目を擦り、もう一度百代の方を見るが、光っていた。

 

 そして、グラウンド上、大地と平行にを白いレーザーがほとばしった。

 

 

 開いた口が塞がらない。

 蛇神の立っている方向に向けて地面が抉られている。

 

 

 ――人間の手からは、汗以外に、ビームが出る。

 

 その驚くべき事実。

 

 不思議なことにお面を付けているものと紅葉以外誰も驚いていない。

 

「やった、お姉さまの奥義がきまったわ! これでこっちの勝ちね! あなたたちも文句はないわね? って何やってるの手を突き出して?」

 

 ――汗しかでない。

 

 恥かしくなって顔をそむけると紅葉と同じように手をかざしているお面たちと目が合った。

 

 両手を使い、似たようなポーズをとっているバンダナの男、彼は百代側の人間だが、この事実を知らなかったのだろう。

 

 視線を向けるも、男のさわやかな笑顔にサラリと流され、紅葉は閉口する。

 

 

 ――蛇神もレーザーを受け蒸発したことだろう。帰るか。

 

 百代から一筆受け取ったことで、目的は果たされている。

 

 後は、犠牲になった蛇神のため、念仏の一つでも唱えながら、帰宅するのみ。

 

 紅葉は腕を上げ、体を伸ばし、息を吐き出す。

 

 ――死体が蒸発したなら、葬儀屋も手間が省けるな。

 

 他愛もないことを考えていた。

 

 だが、紅葉は武神の姿が光に飲み込まれ、思考を遮られる。

 

「お姉さま! あれは!」

 

 一子は、過ぎ去った光の後、制服が焦げて破れた百代が無事に現れたことを確かめると、次に光が飛んできたほうを見る。

 

 先程の百代の放ったビーム、そのせいで舞い上がった土煙が晴れ、一人の男が五体満足で現れる。

 

 光線を受けて蛇神に大したダメージはないらしい。

 そればかりか口元からプスプスと煙が上がり、淡く光をこぼしている。

 

 あそこから先ほどの光線を吐き出したのだろうか。

 

 今日の朝に紅葉がかるく蹴り倒し、しばらく踏んづけていた人物とは思えない。

 

 そこからは喧嘩ではなく、ただの光線の打ち合いになる。

 

 百代が撃てば、間髪入れることなく蛇神が撃ち返す。

 飛び交う光線は、熱量を伴っているのか、グラウンドを熱くしていく。

 温度だけではない。

 

 ぶつかり合い、弾けた光は、そこいらにクレーターまで残していた。

 

 観客は紅葉と鬼面、百代の身内を除いて屋上に避難しそこから試合を眺めてる。

 

 何度、打ち合いが続いただろうか。

 怒号の如き光線に気を取られ、避難することを忘れていた。

 

 煙が晴れ、乾いた笑いが響く。

 非現実的な光景のせいで、紅葉自身の口から笑いが漏れたと思っていた。

 

 だがそれは、徐々に音を大きくしていく。

 

 ようやくその笑いが、この景色を生み出した百代の物だと気付く。

 

 

「何がおかしい! お、お前はワシに追い詰められているんだぞ! 気でも狂ったか?」

 

 戸惑う蛇神、いやあれは焦っているのだろうか。

 蛇神の表情に余裕がなくなっている。

 

「ああ、それの、からくりが分かったんだ。この撃ち合いも、それを確かめるためにやったんだが。私と撃ち合える人間なんて、しばらくいなかったからなぁ。つい、興が乗って、楽しんでしまった。だけど、それもここまで。このままじゃ、千日手になってしまう。こんな手に最後まで付き合うようなお人好しに私が見えているわけじゃないんだろう? なのに、それを崩さずにこちらの自滅を待ったという事は、おまえの方に、もう隠し玉はないのかな?」

 

 百代は、少し期待するかのような顔で、蛇神に問いを投げる。

 

 だが、答えを返せない蛇神を見て、表情からそれを消す。

 

 

「そうか、残念だ。じゃあ、種明かしだ、蛇神。そんな技術は見たことも聞いたこともないが、珍しい。おまえ、私の放った気を自分の中に吸収していたな。それを己の身体強化や回復に回している。違うか?」

 

 百代の言葉。

 

 気というものは漫画でよくある、いわゆる気というやつだろうか。

 

 そうだとしても、紅葉に詳しいことは分からない。

 

 だが、蛇神の焦る顔色からそれが図星なのだと容易に想像がつく。

 

「だ、だから、どうした! そうだとしてもお前に勝ち目がない事にかわりはない。このまま削り合いを続ければ、お前の気で戦っているワシより先に、おまえの気が底をつく。なあ、そんな簡単な理屈もわからんのか? だが、少し待て。もし、今、白旗を振るならば、トドメは刺さん。そしてワシの女にもしてやる。どうだ?」

 

 蛇神が吠える。

 その内容は傲慢なものだったが、声音はまるで命乞いをしているように聞こえた。

 

 武神の言葉は止まらない。

 

「で、さらに、ネタばらし。実はお前、自前の気の量は大したことないんだろう。お、ますます顔が青くなったな、図星か。その上、一度に吸収できる気の量にも限界がある。しかも両手からしか気を吸収できないのかな。なんだ、欠点だらけじゃないか。おや、足が震えているぞ。反論があるなら絶賛受付中だ。まあ、反論があるのなら、まずその前に気弾を一発でも放ってもらうがな。――ふふっ、それすらできないんだろう? さっきの撃ち合い。おまえは私が放った後に続く様にしか気を放ってこなかった。いや、必ず私が二発目を撃つ前にだけだったか。つまり吸収できる量は一発分より少し多めといったところかな。それ以上は無理なんだろう。吸収して、放って、空になったタンクでまた吸収のサイクル。だから一発放ったお前には、わたしが注ぎ込んでやるまで、二発目を打つタンクは残ってない。――しかしそう考えると笑ってしまうな。だったら決闘が始まる前、おまえは、空っぽの状態で私の前に来たんだな。そりゃあ、涙目で握手を求める訳だ」

 

 最低限、徒手で戦うための力を百代から吸い取るつもりだったのだろう。

 

 だから朝とは違い、蛇神はこんなに打たれ強いのか。

 

 不意に、百代の笑いが消えた。

 

「なっ、なんのつもりじゃ!」

 

 瞬間、距離を詰め、日本の腕で、ガッチリと蛇神を抱きしめている。

 蛇神が焦る。 

 

 

 ――少しだけ羨ましい。

 

「そして、最後の欠点。打ち合い中にわかったが、おまえは口からしか大量に気を放つ事ができないだろう。ああ、ところで穴をふさいだ風船に大量に空気を送ったらどうなると思う。あれでもいい、カエルの尻にストローを突き刺して空気を送るやつ! ちなみに実験の結果を、お前に見せてやれないのがすごく残念で仕方ない」

 

 万力の片腕で蛇神を拘束し、もう一方で口を塞ぐ。

 

 蛇神の目が見開かれ、光るしずくが流れる。

 あれでは、降参を宣言することができない。

 

 周りのみんなが手を合わせているので、それに倣い紅葉も合わせる事にした。

 

 

『川神流人間爆弾 五連発』

 

 蛇神の音のない悲鳴のあと、世界に爆音が響いた。

 

 

 

       ●

 

 

 せっかく、用意したいつかの日の『衣裳』はすべて真っ黒な灰になった。

 役目を終えた彼らに感謝の祈りを捧げた。

 

 そして紅葉の眼前、残ったのは蛇神の亡骸だけだ。

 

「いや、そんなにお前のところの大将を死んだことにしたいのか?」

 

 これからのことを考えると幸いなことであるが、残念なことに蛇神は息を残していた。

 口から蒸気機関車のような煙を吹きだしたままピクリとも動かないが。

 

 蛇神の状態を確認した後、グラウンドの中心、さらにその真ん中で、バンダナが高らかに腕を突き上げる。

 

 響く歓声、拍手の嵐、そのどれもが彼らの勝利を讃えるものだった。

 

「ん、何か文句でもあるのか? ボスの敵討ちでもするか」

 

 武神は何故か嬉しそう。

 

 ――滅相もない、紅葉にそのような義理は一欠片もない。

 

 仮面を付けたままの紅葉は、恨みつらみは此処で清算しておきたいのだと、嘘偽りのない言葉を百代に告げる。

 

 

 そして引っ張ってきた蛇神の死体のようなものを彼女の前に放り捨てた。

 

 百代は紅葉を見て、死体を見て、もう一度紅葉を見る。

 理解が追い付いていないようだ。

 

 確かにこれだけではわからないだろうと反省する。

 

 ――それならば、できるだけわかりやすく。

 

 紅葉が準備を始めようとする前に、横のお面の大柄な男が蛇神の体を起こし、ボロボロになったシャツの前をを開き、腹を百代に向ける。

 

 なぜ紅葉の手間を男が省いてくれたのか。

 気にせず、それでも理解できない百代に、これまたお面の女が、どこで用意したのだろうか、出刃包丁を手渡した。

 

 そして告げる。

 

「さぁ、あの時の恨みもあるでしょう。ぐいっと、一思いにどうぞ」

 

 

 ―― 一歩足を後ろに引く武神川神百代。

 

 学園に入学して以来この女が歩を後ろに進めるところを初めて見た。

 

「ええっ、と、ん、んん、と。もしかしたら私の勘違いもしれん。つまり、だから、――お前ら私に、一体何を期待しているんだ?」

 

 武神は困惑しているようだ。

 右手に受け取った包丁を持ったまま。

 

 武神と、紅葉と、なぜか協力してくれている蛇神の手下。

 三者三様、思いが伝わらない。

 

 

 

 此処でようやく紅葉は、百代の気持ちを直感した。

 

 女性が魚をさばくときに死んだ魚の目が怖くて、できないという人がいるらしい。

 

 気を使い、蛇神の表情を遮るために、カバンから黒のゴミ袋をだし、丁寧に蛇神の頭を隠す。

 

 正解の確認を取る。

 

「いや、なんで全員こっちを見る。私はやらないぞ!」

 

 ――どこかに、齟齬があるはずだ。

 

 

 

 紅葉と、蛇神の手下たちは、互いに面を突き合わせ、思案する。

 だが答えは出ない。

 紅葉としては、蛇神を昔の因縁ごと、百代に葬り去ってほしい。

 そうすれば、決着が付き、百代と紅葉の精神も晴れ晴れとするはずなのだ。

 

 つまり紅葉は、誠心誠意、蛇神に死んでほしいだけなのだ。

 

 ――どうして、そんな簡単なことが伝わらないのだろう。

 

 

 言葉があっても意思疎通は難しく、両勢力とも動けず時が経つ。

 

 そんな沈黙の中、校舎の方から、男の声が響いた。

 

「騙されるな、そいつは偽者だ! 誰かそいつを捕まえてくれ!」

 

 男はブリーフ一枚しか履いていないほぼ全裸の変態であった。

 

 変態の指が紅葉達のいる方に向けられているのが、とても不本意で不愉快だった。


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