武神フクロにしたった~僕らの川神逃走記~   作:ふらんすぱん

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 虎の物忘れ

 ●

 

 午後の授業、公家言葉が口癖である教師の退屈な歴史の授業は、右から左に抜けていく。

 

 教科書を開いてはいるが、ノートは白紙のままだ。

 

 少年の頭から昼休みの事が離れない。

 まさかあの少女が川神百代だったなんて。

 わかっていれば、初めて会ったあの時、お茶でもお出しして丁寧な対応ができたのに。

 

 ――混乱しているのだろう少年の頭の中、ありえない考えが浮かんでは消え、浮かんでは消える。

 

 とにかく、己の正体は、絶対にばれてはならない。

 

 

 万が一、露見すれば、この学園での未来は灰色にあるいは、真っ赤な鮮血に彩られることだろう。

 

 ――だいたい誰だ、あの映像を流したやつは。

 

 少年の胸中、見知らぬ犯人に罵倒を叩きつける。

 

 その見知らぬ誰かのせいで自分は、死ぬか喰われるか、といった状況なのに。

 

 沈んでいく思考の中、妙案が浮かぶ。

 

 百代が血眼になって探しているのは、少年ではなく、あの動画の配信者なのだ。

 それならば、一刻も早く、そいつを見つけ出し、牙を研いでいる武神に生贄としてささげれば、こちらまで被害が及ぶことは無いだろう。

 己に対してとても都合の良い見解。

 

 授業が終わり、放課後を告げる鐘が鳴るのと同時に、カバンにすべて教科書類を詰め込み足早に廊下に出る。

 

「まゆっち、今だ。ボッチ野郎を下校に誘うんだ。グズグズするな! 」

 

「よ、よ、よろしければ、一緒に」

 

 女性の声が聞こえた気がする。

 

 

 誰か己に声を掛けてくれたのだろうかと、後ろを振り向くが誰もいない

 

 ――寂しさのあまり、幻聴まで聞こえるようになってしまった。

 

 

「まゆっち、なぜ死角に回り込む」

 

「ち、ちがうんです、松風。荒場さんが急いでおられるようなので」

 

「なので?」

 

「先に御用事がお済みになった後の方が、お誘いするのに不都合がないかと」

 

「思うから、放課後もストーカーを続けるんだな?」

 

「――ハイ」

 

 大体、恐怖の対象である少年に声を掛けてくれる、奇特な方がいるはずもない。

 それは、心理的なものではなく、物理的に証明されている。

 放課後だというのに、少年がいるために、誰も通ろうとしない教室入口によって。

 悲しくなるので、少年はそれ以上の思考を止める。

 

 ●

 

 

 

 仕切り直し、B館の三階にあるPCルームに足を向ける。

 

 熟考する必要もなく少し考えれば、わかることだ。

 

 あの放送によると、動画は学園のPCルームから送られたと百代は言っていた。

 

 つまり、そこに何らかの痕跡、あわよくば、犯人につながる物があるかもしれないということだ。

 いや、そんな曖昧なものでは無く、少年には確信に近いものがあった。

 

 なぜなら、教室に近づく一歩一歩、その中に何か大きなものの存在を感じ取っていたからだ。

 

 それを掴み取るため、教室のドアを開け放つ。

 

 

 

「ん、おい、大和! また来たぞ。これで何人目だ?」

 

 教壇の上で胡坐をかいている武神がいた。

 

 

 ――少しではなく、よく考えれば、誰よりも犯人を捜している百代がここにいるのは当然のことである。

 

 背中に流れる冷たい汗が少年には不快でたまらなかった。

 

 

 ●

 

 教室に入り、百代と目があった時は生きた心地がしなかったが、幸いな事に、少年以外にも、多くの野次馬がいたことで、目をつけられることはなかった。

 

 安堵の吐息が漏れる。

 野次馬の者と目が合い微笑むと、向こうも微笑み返してくれる。

 

 彼としては、武神に対する隠れ蓑として利用している立場だけに少し心苦しい。

 

 しかし、こんなに大勢の人間だけではなく、百代本人がいては、動画の犯人探しは難しい。

 

 今日のところはおとなしく帰った方がいいのではないか。

 

 少年が迷っていると、教室の前方、教壇から手をたたく音が聞こえ、皆がそちらに注目する。

 

 たしか、百代に大和と呼ばれていた連れの男だ。

 

 細い体にあまり男っぽくない顔が、特徴といえば特徴だろうか。

 

 皆が百代の横の彼に目を向ける。

 

「一応聞いておくけど、皆、なんで、授業が終わってすぐ、この教室に来たのかな?」 

 

 少年の顔が、引きつる。

 

 ――こんな時こそ平静を装わなければ。

 

 気持ちを落ち着け、行動する。

 

「まゆっち、なぜ彼らは、みんな空を見ているんだろう。UFOでも見つけたんだろうか?」

 

「さ、さぁ?」

 

 そして次にとるべき行動を決まっていた。

 

「わぁ~~、すごいです! わたし、こんな合奏きいたことありません」

 

「揃って口笛を吹いて、彼らはどこにむかっているんだろうなぁ?」

 

 なぜか己のものに重なる形で響くそれを不可解に思うが、それより先に前方から発せられる寒気が、少年の思考を凍結させる。

 

 

 

「すこし、黙れ!」

 

 百代は、合奏を止めるように手を一叩きした。

 

 その一言で、教室に静寂が戻る。

 

 百代が静かに苛立っているのがわかり、誰も口を開けない。

 

 少年だけではなく追従する視線が問題の解決を武神の知己である大和に向ける。

 

「姉さん、少し落ち着いて。えっとじゃあ、手前にいるあなたから聞いてもいいですか?」

 

 武神をなだめ、大和が主導権を握った。

 

 そのおかげで少しの猶予ができた。

 

 その時間を使って、なんとか言い訳をひねり出そうと少年は頭をひねる。

 

 どうしたのだろう。

 最初に指名された男子学生が何も喋らぬまま立ち尽くしている。

 

 もちろん、少年以外の人間は言い訳する必要はないはずなのだ。

 

 一年の廊下では見たことがないので、上級生なのだろう。

 

 白であるはずの男。

 

 なのに男は、先ほどから流れる汗を、ハンカチで何度もぬぐって、動揺しているように見えてしまう。

 

 

 

 そうすると、獲物を見付けた猛禽類の瞳で、百代がにじり寄っていく。

 

 自分のせいで彼が疑われているのだろうか、罪悪感が胸を突く――のだが、代わりに捕まってくれるのなら、それはそれとしておくことにした。

 

 男の肩を百代が掴み、少年が掌を合わせ、感謝をささげようとしたとき

 

「――大ファンのAV女優、腐乱研子の期間限定、時間限定の特別配信を見ようと思ったんだよ、悪いか!」

 

 最初はか細い声で、続きは大きくなっていった。

 

 さすがにこんなカミングアウトに何も言えないのか、

 

「あ、ああ、それは邪魔をしたな。――えっと、確か学園のPCには、プロテクトがかかっているからそういうのは、視れないと思うんだが」

 

 

 弱気な声。

 百代も女性だからなのか、ああ、わかったと言って出ていく彼を呆然と見送ることしかできなかった。

 

 肩で風を切って出て行った漢の背中が見送られる。

 

 少年はその背中にひらめく。

 

 

 

「――実は僕もAVを見に来たのですが、そういうことなら帰らせてもらいます。では」

 

 少年は胸を張り、堂々とドアに向かう。

 

 先ほどの漢の鏡である正直者な上級生には、悪いが彼の言い訳を利用させてもらう。

 

「松風、これは、見ないふりをして帰りましょう。」

 

「おう、ナイスまゆっち。その年で母の優しさを使えるなんて、成長したな」

 

 

「私もAVを見に来ました!」

 

「ええっ! 委員長、女の子でしょ! 何言っているの?」

 

「う、うるさいですよ、趣味は人それぞれです、いけませんか? なら私は先に帰らせてもらいます。付き合ってくれてありがとう、大和田さん」

 

 

「待ってよ、置いていかないでよ~~」

 

 

 少年が去り、次に女生徒が数人教室を出る。

 

 その後も続々と続くAVを見るために来ただけだと主張が続く。

 

 そうなると、さすがの武神も気持ち悪いものを見る目で道を譲る事しかできなかった。

 

 

 ●

 

 

 

 

「ところで、姉さん。最初に聞いておくべきだったんだけど、探してる奴って、どんな顔をしているの?」

 

 疲れた様子の大和が尋ねたこと廊下で足が止まる。

 

 

 ――それは重要である。

 

 話によっては、逃げ回る必要がなくなるかもしれない。大体、メインで戦っていたのは、四番と幹部数人だけだ。

 

 

 少年は、不意を突いて延髄に蹴りを数度入れただけなのだ。

 

 そんな程度のことで恨まれてたら、死んだ後、天国に行く人間が減少し生まれ変わりの循環に支障をきたす。

 

 ――眉毛だって、片方しか剃ってないのに。

 

 それは復讐を試みるには十分な理由ではあるのだが、少年は不満を募らせていた。

 

 もし、これで、恨みを買っているのが己だけなら、どんな手を使ってでも、奴らを道連れにしなければ、気が済まない。

 

 そう思い、教室前の廊下で止まった。

 

 開いたドアから中をそっと覗き、百代の次の言葉に耳を澄ませる。

 

 

 

「皆さん、パントマイムのように固まっていますが、如何なさったのでしょう?」

 

「――」

 

「松風、あなたまで固まる必要はありませんよ」

 

 

 

 

百代が中空を見ながら、指で何かを書き出すような仕草をする。

 

 

「顔は、あれだ。仮面をしていたからわからないが。特徴はだな、そう、風のように速い足を持っていた」

 

 

「うわぁ~~、松風、荒場さんが倒れ」

 

「それと、私でも敵わないほどの腕力で」

 

「てないぞまゆっち。なんとか持ち直したぞ」

 

「髪型はきれいな黒のロングヘアー」

 

 

 

 最初は自分の事かと思い、肝を冷やしたのだが、一体、誰の事を言っているのだろう。

 

 

「ああ、当時小学生なのに高校生よりも大柄で豪奢な体と、浅黒い肌、短めのスカート、きれいな足が印象的だったな」

 

 

「姉さん、それ、本当に実在するの? どんな小学生さ!」

 

 

 そのような気色の悪い子供が存在するのだろうか。

 

 

「ああ、当時小学生だった私と、一対一で互角の戦いを繰り広げた猛者だ」

 

 なおも否定の念が少年の中にもたげるが、一対一という言葉に閃くものがあった。

 

 

「皆さん、何かいいことでもあったのでしょうか? 小さくガッツポーズをして」

 

「まゆっちも空気読んで、しとけ」

 

 唸り、必死に昔の記憶を引っ張り出そうとする百代を見て疑念は確信に変わる

 

 そういえば、あの時の戦いの終盤、百代は目の焦点が合っていなかったのではないだろか。

 

 少年の延髄への蹴りが効いたのか、百代の記憶が正しくインプットされてない。

 当時の自分に喝采の声を上げそうになるもグッと飲み込む。

 

 百代の脳内で、戦った鬼面の幹部の特徴を混在し記憶しているのではないか。

 

 これならば、特に警戒する必要もなかったなと、少年は笑みをこぼす。

 

 

 結局、その日はそのまま、帰宅。

 家で、母が作ってくれた季節外れの鍋物を食べ、悩みの種がなくなったと、居間で寛いでいた。

 

 

 そしてよく考えたら、動画を上げた犯人であり、恐らく元幹部が締め上げられれば、百代が戦った相手の誤解が解け、きっと鬼面の幹部である自分に矛先が向かうであろうことに気がついた。

 

 

  ●

 

 

 そのことに気づいて数日後、何とかしようと、犯人捜しをするも、さしたる手がかりもなく、そのために寝不足になり、いつもの登校時間よりだいぶ遅れてしまった金曜の朝の事だった。

 少年が元幹部であることはばれておらず、もちろんボロを出すような、目立つことはしないと誓う。

 だが、あの川神百代が、自分のことを探し回り始めている。

 それは、あまり心穏やかなものではなかった。

 

 

 

 気が重い少年は自慢の俊足で、多馬川沿いの道を、登校するために疾走していた。

 

 ――のだが、右を見れば、白馬に乗った金髪の外国人が、左を見れば、メイド服を着た者が引く人力車が並走している。

 

 ――道を間違えてしまったか。

 

 首を傾げ、見回すが、いつもの通学路である。

  

 では、何を間違えたのだろうか。

 

 

 しばし、考えるも何も浮かばず、馬の外国人を見るも、さっきから『ジャパニーズ飛脚だな、後で写真を撮ってもいいか? 父様に送るんだ』などと大きな声で話しかけてくる。

 

 制服を着ていることから、川神学園の生徒なのだろうが。

 

 あの学校、馬での登校を許可していたのかと、生徒手帳を確認しようとするが、ポケットにはなく、家に忘れてしまっていた。

 

 それならばと、反対側を見る。

 

 金のジャケットを着た男性が、『そこな庶民、なかなかやるではないか』、と引かれる人力車の上で言っているのだが、それ以上に、こちらを凝視、睨みつけていくるメイドが気になる。

 

 追い抜いてしまったことが、彼女のプライドをいたく傷つけてしまったのだろうと推察する。

 

 ついでに異様な集団から抜け出すために速度を落とそうとすると、少年以外の人に聞こえないほどの小声で、『おい、アタシはお情けで勝つなんていう、みっともないことされたら、オマエの学園生活、灰色にすっぞ!』と脅してくる。

 

 だから少年は、ここから逃げ出せずに、並んだまま、学園に向かっているのだ。

 

 道路を走り続けると、やがて学園が見えてきた。

 

 

 始業の鐘はとっくに鳴っているので、もう急ぐ理由は無いのだが、この集団から抜け出すため、一速あげ、城門に似せて作られた校門を抜ける。

 

 だが、思惑も無視し、両隣には速度を上げしっかり付いてきてる人たち。

 

 

 学園の教室の窓から生徒たちの視線が集まっていた。

 

 馬と人力車と走る人の組み合わせ。

 図らずも、少年は目立ってしまう。

 

 目立つことも悪いが、何より、全校生徒に、このメイド服と、馬と、人力車に乗って高らかに笑い続ける変人と、同類に見られているのは、我慢できない。

 

 同じような状況に追い込まれれば、みなそう思うだろう。

 

 そんな奴を見たら、少年は三年間笑いものにする。

 

 

 だから今すぐに大声で弁解したい。

 

 だが、変人たちはそうではないらしい。

 

 

 彼等は先ほどから全校生徒に向けて高々と名乗りを上げている。

 

 馬に乗って走るという奇行後も、誇らしげにしている少女。

 額に傷跡がある、どうやら学園の関係者だったらしい金ジャケットの男。

 

 その両名とも、弾けるような笑顔だった。

 それを見た少年の顔は、引きつっていた。

 

「どうした、貴殿の番だぞ。しかし、自分の馬より速いなんて、さすがサムライの国だな」

 

 クリスと名乗った金の髪にリボンの少女。

 

 変人でもこれだけ美人なひとに褒められると気分がいいなど、数少ない良かった探しを始める少年。

 

 そのため聞き流していたのだが、聞き間違いにして、そのまま校舎に足を進めることにする。

 

「どうした庶民、車を引いていたとしてもあずみに勝ったのだ。誇るがいい」

 

 そういって、何かを促していくるのは、人力車の上で腕を組んでいる男。

 

 少年は無視し登校しようとするのだが、メイドがワイシャツの襟を掴み離してくれない。

 

「早くしろ、じゃないと英雄さまが、登校できないだろうが」

 

 

 少年には理解できないルールがあるようだった。

 

 人殺しのような眼で睨まれ、納得したわけでないが、少年はしぶしぶ前に出た。

 

 

 羞恥にまみれた顔で、全校生徒に向かっての自己紹介を強制された。

 

 この日、川神学園に『荒場 紅葉(あらば もみじ)』の名が本人の意思とは関係なく知られる事になる。

 

 なお、その日から、クラスメートの彼に対する扱いが少し優しくなったことに、彼は気づいていない。


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