オリジナル作品の方も更新しているので暇つぶしに読んでくれると嬉しいです。
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文武だけではなく、礼節を重んじる川神学園。
そのせいか、学びを行う場である教室や、各武道場を、学期の初めと終わり、一年で計六回、大掃除する決まりになっていた。
昼休みを終え、午後からの時限分がそれらに当てはめられている。
といっても、学期末とは違い、学期初めはそこまで汚れてはいない。
早々に、自分の割当の特殊教室を終わらせた直江大和は、壁に背を持たれ、己の作ったリストに視線を集中させていた。
『ねえねえー、冬馬ぁ! ココロ、見なかったぁ? アイツ、ぼくらと同じ班なのに、どこにもいないんだよぉ』
道行く生徒の声も、気にはならない。
『そう言われれば、昼休みから、彼女の姿がありませんね。彼女は労働を好みませんが、寂しがりやなので、班行動には欠かさず付いてくるんですが、珍しい』
それは、大和の姉貴分である百代からの頼まれごと。
夏休みの武道大会で、姉の心を見事射止めた、灰かぶり姫の捜索状況を記した物。
あの大会以降、癇癪こそ起こさないが、じわりと百代の欲求不満が溜まっていく。
休み中、学校外からの百代への挑戦者はどれも手応えがないらしく、それもまた拍車をかけることになった。
機嫌が悪いからといって、周りに暴力を当たり散らすような、度量の狭い人ではない。
だが、恋人が見つからないそのストレスの捌け口が、弟分である大和に構う時間に変わっていく性癖。
それのどこが不都合だと云う者もいるかもしれない。
あのパワフルな百代のかわいがりは、心情的に良しでも、肉体が悲鳴を上げてしまう。
一日で、山へ、川へ、海へ。
休憩時間には、鼻歌を歌いながら、疲労で動けなくなった弟分をお手玉して遊ぶ姉。
それらに耐えきれず、一人で勝手に遊んでくださいとでも云えばよかったのか。
だが、そうすると、この年上は、幼児もかくやといった様で本気で拗ねるので、始末が悪い。
いい加減、私的な時間が欲しくなった大和は提案する。
己が、手をつくし、あの灰かぶり姫を見つけ出すと。
『お姉さんは、そう言ってくれると信じていたぞ、大和。それでこそ、夏休み中ずっと構ってあげた甲斐があるというものだ!』
ちなみに、これは、大和の提案を受けての百代の言葉。
姉の気遣いを知り、大和はその場に卒倒してしまった。
――こんなことなら、大会が終わってすぐの百代の頼みを素直に聞いておけばよかった。
あの時の大和は、百代をあの二人のお面の男に合わせると厄介なことになりそうだと、思案した。
それに加え、大会中に起きたごたごたで疲労し、面倒くさくなっていたため、そっけなく断ってしまったのだ。
――だが、姉とあのお面共を会わせる事によって被る面倒より、会わせない事による姉の機嫌の方が面倒くさい。
それを大和は改めて知った気分だった。
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「ねえ、それって、お姉さまに頼まれているやつよね? もう犯人は見つかったの?」
教室内のゴミをまとめた袋を抱えて、一子が尋ねてくる。
別に犯罪者を探しているわけではない。
「いや、まだ絞り込みの段階だよ」
あの大会で判明した重要な事実。
あのお面の男たちは、川神学園の学生服を着ていた。
つまり、川神学園に通う生徒である可能性が高い。
ガラスの靴のように、すぐに本人を特定できるものではないが、それに、百代からの情報を照らし合わせて、リストを調整する。
「あいつらの正体は、当たり前だけど、まず男子であること」
一子にもわかりやすいように、大和が説明をする。
「そして次に、おそらく武道経験者でないこと。だから、それ系の部活に所属している生徒は除外する」
大和はリストに赤いマジックで線を引き、名前を消していく。
「んー? なんで、言い切れるのかしら、あの人達、素人とは思えないくらい、とっても強かったわよ? 燕先輩に放った蹴りだって、とっても速くて強かったし」
あの準決勝を思い浮かべ 一子が疑問符を浮かべる。
「いや、俺にはよくわからないんだけど、姉さんがそう言っているんだ――とっ、それに、あの大会の日に、あの場所にいた学園生と、確実にいなかった人間を選り分けて」
大和の広い交友関係、それらの情報網を使って、所在を確かめられた者も除外していく。
それでもまだまだ多い。
「で、体格的にありえない人間も、消して」
あの二人より、極端に身長や体型が違う者にも赤線を引く。
日光くらいの大柄な体格であれば、すぐに特定できそうなものだが、川神学園内に限れば、、そう珍しい大きさではない。
「あ! 大和、わたし、ゴミを捨ててくるから!」
話の途中で切り、一子は集積所への道を元気よく走っていった。
その途中にいる男子生徒に向かって手を振っている。
――あれは、たしか、大会にも参加していた。
一子と仲の良いらしい後輩の名前を、大和は思い出そうとした。
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「奇遇ね。紅葉くんも、ゴミを捨てに来たの?」
一子は笑顔で挨拶をする。
紅葉の押す台車には、白いポリエステルの袋が鎮座していた。
「ええっと、そうですね。――まあ」
いささか歯切れが悪い。
が、一子は気にすることなく、紅葉の隣に並び歩き始めた
「ちょっと、そっちは集積所じゃないわよ? こっち、こっち!」
一子とは、反対に曲がる紅葉を慌てて呼び止める。
「また、紅葉くんに道案内してあげることになりそうね!」
一子は、方向音痴な後輩を微笑ましく思い、くすりと笑った。
「ええっと、面目ないです」
それが伝わり、頭を下げる紅葉もつられ笑みになる。
柔らかい雰囲気のまま、二歩、三歩。
四歩目で、一子が首を傾げた。
――『また』って、以前に、一子が紅葉を道案内してあげたことなどあっただろうか。
己の口から出た言葉を咀嚼するも、とんと記憶がない。
――ちなみに、一子の隣で紅葉も同じように、首を捻ってこちらを見ていた。
忘れたままでは、気持ちが晴れぬと、一子は、後輩に尋ねようとした。
だが、あることに気づき、疑問を忘れてしまう。
「あ、あの、紅葉くん、動いてない、それ?」
新たに湧いた疑問。
一子はそれを指差した。
――すごい勢いで、紅葉の台車のポリ袋が動き狂い始めていたのだ。
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突然の珍事に、一子は動揺する。
一子の指先が捉えたままの白いポリ袋は、依然として動き続けている。
突き抜けてこそないが、袋の内側から、手でも伸ばしているかのような形になっている。
一子の指先、ポリ袋、一子の顔、紅葉はそれらに順番に視線をやり、最後にポンと手をたたくと。
「てい!」
――おもむろに体をポリ袋に向け、思い切りよく、靴のつま先をめり込ませた。
ポリ袋が動かなくなった、まるで死体のように。
「――よし、これで止まりましたよ」
紅葉はそれを確認すると、また台車を押し始める。
一子もその後を追う。
――一子は止めろと指摘したのではなく、何故動いているのかと疑問に思っただけなのだが。
日本語の難しさを改めて知った。
並んで歩いて、また数歩、そうではないと一子は思い留まる。
「そうじゃなくて、ね。その、中身ってなんなのかなって」
「ゴミ、ですかね?」
一子の疑問に、間髪入れず答える紅葉。
だが、なぜか語尾が上ずっている。
「そうでもなくて、ええっと、種類っていうか」
ずばり何なのかと、問うたのに、返ってきた言葉は曖昧なもの。
相手が意図的に避けているなどとは、一子はつゆも思わない。
だって、真昼の、それも学園内で、後ろ暗い物を運んでいるなどある分けがない。
だったら、先程の袋の動きは何なのか。
教えてくれぬ後輩に、余計に中身が気になってしまう。
先輩後輩として、二人の仲は良好な物。
だから、やり取りも、詰問ではなく、謎々遊びのよう。
「うーん、『燃やしたらいけない』ゴミですかね?」
紅葉は少し考えてからそう答える。
不燃ゴミなのだろうか。
「いや、『埋めたら捕まる』ゴミになると思います」
それならリサイクルゴミや、資源ゴミなのか。
そうでもないらしく、困ったように紅葉は首を横に振る。
袋の中で動き出した点を考えると、機械のたぐいだろうか。
一子の友達であり、九鬼財閥が開発し、貸与されているクッキーのようなロボットかもと、思ったのだが。
「いや、そんな、高度な機械的なものじゃなくて、どちらかと言うと、もっと生モノな」
要領を得ない紅葉の答えに、一子も首を傾げる。
と、紅葉の携帯が音を鳴らす。
「あ、すみません。――と、あいつらからか」
画面を覗き、すぐに仕舞う。
「ん、よかったの?」
気を使わせたのかと、一子は尋ねる。
「ああ、待ち合わせに遅れるなよと、警告してきただけです。僕が一度も時間通りに着いたことがないから、よく送ってくるんですよ」
サラリと返されたので、サラリと流してしまいそうになる。
「――あ、あのね紅葉くん。気のおけない友達同士だろうと、遅刻は駄目。相手のことを大事に想うなら、待ち合わせ時間はきっちり守るべきだと思うわ」
だが、そこは先輩として後輩を導いてあげなければ。
紅葉のことを思い、忠告する。
言葉の後、先輩振ったことを紅葉が不快に思っていないかと、心配になる。
が、紅葉は呆けたように止まっていた。
「――一子先輩って、なんか、人間できてますよね。だから友だちが多いんでしょうね」
そして己の中で、咀嚼できたのか、感心し、しきりに頷いていた。
一子と紅葉の間では、たまにこういう事がある。
互いの常識が、重ならないこと。
そういう場合は、己を曲げることもないが、押し付けることも駄目だと、直江大和に言い聞かされている。
だが、今のように、紅葉が感心し折れることが多く、二人の関係に罅が入ることはなかった。
「そ、そんな、褒められても困っちゃうわ。って、そうじゃなくて、その中身が」
頬が赤くなるのを、顔の前で手を振り、誤魔化す。
が、すぐに気づき、話題を戻す。
けれど、お喋りが長かったのだろう。
「あら、あの子。おーい!」
一子が誰かに気づき、先を行く。
視界の先に、目的のゴミの集積場が、見えてきた。
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掃除場所は班ごとに割り当てが決められている。
割り当てられたのは、特別教室の並ぶ階の、空き教室の一つ。
埃がうっすらと溜まっている以外、あまり汚れていない教室。
班員の何人かで協力すると、すぐに掃除は終わった。
己以外の誰かがゴミを袋に集め、教室の外の台車の上に設置してくれていた。
そうなると、これは自分の仕事ではと、誰に言われるでもなし、少女は人気のない集積場まで台車を押して運ぶことにした。
「んで、そろそろ観念して、あの女の居場所を教えてほしいんだがよぉ、姉ちゃん」
そんな誠実な心の持ち主である少女――川神学園指定の制服を着た大和田伊予は、ゴミの集積場のすぐ横、部室棟の壁に、押し付けられるようにして背を預けている。
伊予は立ちはだかる人影から逃げようと身体をずらすのだが、壁に突き立てられた腕が遮り、横に進めない。
自分を壁に閉じ込めている相手が男であり、なおかつ王子様と評してもよい容姿の二枚目であったならば、話はロマンチックなものになるのだろうが、そうはいかない。
――なんだろう、デジャヴを感じる。
女は赤茶でパーマのかかった短い髪の毛先を弄んでおり、川神学園の制服であること以外、あの時と変わらない。
生まれてから二度目の、不良に絡まれるという経験をしているわけだが、伊予の愛読している少女漫画のように誰かが助けに来てくれるという都合の良いことは、ノンフィクションでは起こらないようだ。
――あの漫画はもう捨てよう。
伊予は拳を握りこみ、小さな決意をする。
「ったく、転入早々、人探しに駆り出されて、こっちも忙しいんだ。できれば、手が出る前に教えてほしいんだけどよう」
ちなみにその小さな決意は、たったいま、これっぽっちの役にも立たない。
となれば、妥当なところを一つ。
「あ、あの、もし暴力を振るうつもりなら、先生に」
「なん! だって!」
「――言いつけたりしたら、どう、なるんでしょうね?」
大きい声に怯え、何故か相手に尋ねてしまう。
「チクるまえに、お前をどうにかするしかないんじゃないかねぇ?」
女は答えてほしくない質問にはきちんと返してくれた。
女が微笑み、伊予もつられて笑う。
楽しくはない。
女の目は笑っていないし、愛想笑いの伊予の瞳は水気を湛えている。
で、そんな伊予の潤んだ瞳に、ある人影が映る。
その影に願った。
誰でもよいから、伊予を救ってもらいたい。
――誰でもよいと願ったが、実は誰でもよいというわけではない。
それは、眼の前の凶暴な女性の尋ね人で、伊予の級友で、今この場に来られると、とてもややこしい人物。
もちろん、親しい級友を巻き込めるわけがないと、女に見つからぬよう必死にサインを送った。
――でも、こっちに来るんだろうなぁ。
ちなみに、伊予に予知能力はない。
が、思ったとおり級友は、思った以上に軽い足取りでやって来てしまった。
「大和田さん。たしか、ゴミを捨てたら、すぐに行くから校門で待つ様に言いましたね? ちなみに、私は十分も待っていたわけですが、何か言うことがありますよね?」
級友は、携帯画面を向け、伊予への発信履歴と、時刻を確かめさせた。
休日の待ち合わせであれば、この級友は意外なことに、十分以上前から、待機している性分である。
そんな律儀な彼女を見て、伊予は息を吸った。
「委員長の、すっごい馬鹿! 時間を気にする位なら、もっといろんな事に気を使おうよ!」
「――えっ、何で、私、すごい怒られているんでしょうか?」
伊予のいつもより大きめな声に、困惑している級友。
そして伊予の顔と、携帯の時刻を何度も確かめている。
普段あげない大声で怒鳴ったことで、幾分か冷静になる。
で、その空気と勢いに乗じて、級友の手を取り、走り出そうとする。
もちろん、残ったもう一人がそれを許してくれるはずがないのだけど。
――伊予の腕が逆に引っ張られた。引っ張ったはずの級友に。
その隙に、女は回り込むようにして、二人の行く手を遮った。
そして愉しそうに、ニヤニヤと笑みが増した。
その笑顔と、泣きそうな伊予の顔を交互に確かめて、級友は云った。
――不穏当なことは云わないでほしい。
伊予は願った。
というか、級友の袖を引き、涙目で首を横に振り、訴えていた。
伊予は預言者ではない。
「――で、こちらの方は、大和田さんのお友達ですか? これは『どうも、初めまして』」
笑顔の級友と、笑顔が引き攣った女。
預言者ではないが、こうなることを伊予は知っている気がした。
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本当に忘れてしまったのか、ただの挑発なのか。
動揺を表さない級友の顔からは、判断できない。
だが、そのどちらであろうと、相手にとって同じ意味になる気がする。
「――で、大和田さん。こちらの方は、どちらのお山から? それとも動物園でしょうか?」
――しっかりと覚えていたようで、ということはさっきの言葉は挑発だった。
女の顔は笑ったまま、血管が切れそうなくらいに赤くなっている。
それでも笑顔を崩さないのは、挑発に対しての余裕のつもりか。
「――今日は先約があってねえ。だから、クラスと名前だけ抑えておけば、それ以上はしないつもりだったんだけどよお」
「あら、名前くらい構いませんよ? お返しに、あなたのお名前も教えてくれますか? ああ、もしないなら、私が付けてあげます。そうですね、太郎か、花子でいいですか?」
代表的な人名ではあるが、今どき、動物園の猿にも付けない名前を、臆面なく云ってのける。
伊予は、委員長の顔しか見えない。
それ以外は、怖くてみたくなどなかった。 だが、確認しないわけにもいかない。
恐る恐る見れば、女の顔からは余裕が消え、気の毒なほどに興奮している。
「でも、こ、こまで、舐められたんじゃあ、しょうがねえよな? なあ?」
二回ほど伊予の顔を見て確認する。
が、もちろんうなずけるわけがない。
女は己の制服の胸元に手を突っ込むと、中から短い棒を取り出した。
手に持ったそれを振ると、先が伸び、伸縮式の特殊警棒だと解る。
あれで殴られたら痛いんだろうなあと云うのが、伊予の感想だった。
迫った危機に、呑気に感想を付けている場合ではない。
謝っても許してもらえない気がするし、ここまで怒らせると、財布の中身をすべて差し出しても、駄目な気がする。
そして伊予の知る委員長は、謝らないし、小銭以上の金は出さない気がする。
つまり、八方塞がり。
非力な伊予に残った手段は、神頼みだけ。
誰でもよいから、伊予と委員長を救ってもらいたい。
目を瞑り、胸に手を当て祈りを捧げる。
『ななな、何をしているんですか! そ、そ、それ以上の、ぼぼぼ、暴力は、許しません!』
――誰でもよいと願ったが、実は誰でもよいというわけではない。
「ああん、このあたしに文句をつけるなんて、いい度胸だ――な?」
女が振り返るが、そこには誰もいない。
女が視線をこちらに戻すと、その後方、校舎の影から、顔だけが出てくる。
その顔は、よく見知った物。
伊予と委員長のクラスメート。
クラス全員をいじめている、恐ろしい女生徒。
――誰でも良いと願ったけど、なんで最悪な人選をしてくれる。
次からは具体的に注文をつけて願うことにしようと、伊予は中々に罰当たりな決心をした。