武神フクロにしたった~僕らの川神逃走記~   作:ふらんすぱん

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初顔合わせの因縁 2

 

 両者への応援の声が響く会場。

 リングの隅を走って移動する大きな影と小さな影。

 屈強な巨体をもつ日光を倒す術のない大和はひたすらに逃げまわる。

 その一方、脚の甲と甲、脛と脛、蹴撃の乾いた音が連続して鳴る。

 追い回す日光、追い回される大和、彼らが意図的に避けているリング中央で対峙する二人。

少し伸ばせば、ちょうど互いの脚が届く位置。

 双方、片足立ちで、胸の高さまで上げた脚を上下左右、変幻自在に繰り出している。

 防御はなく、あったとしてもそれは迎撃。

 飛んでくる脚を躱わすのではなく、蹴り落とす。

 相手より速く多く、そして強く。

 横に一歩移動すれば、労なく被弾を免れるがそれはしない。

 ただ、相手が己について来れなくなるまで回転を上げ続ける意地の張り合い。

 観客は大和達の追いかけっこを無視し、その戦いに息を呑む。

 

 最初に躓いたのは松永燕。

 慢心していたのだろう。

 勝敗を決めるのは自力だけではない。

 事前の情報収集、対策、そして相手によっては虚実を使い分けることによって、勝利を得ることもある。

 それを理解している燕だからこそ、本来ならばこんな茶番に付き合うことはなかった。

 だが、アシュラの露骨な挑発にのせられてしまったのだろうか。

 冷静さを欠いていたことは否めない。

 まだ本気ではない、がそれは相手も同じこと。

 そして今の時点で相手の底は見えていない。

 焦りもあったのか、ぶつかり合った蹴撃の反動を殺しきれず、体を崩してしまう。

 無防備な自分。背筋に氷柱が突き刺さる。

 続く衝撃に、防御と覚悟を備えた。

 

――アシュラの一撃が燕の腰に。

 

 それはとても優しく、蹴りではなく足裏でそっと押さえるもの。

 想像外の一撃のせいで、身構えていた燕は尻餅をついてしまう。

 手を、いや脚を抜かれたのはいつでも倒せるぞと格の違いを見せつけるため。

 戦いの最中、無様にも尻を地面につけた燕をアシュラは嘲笑っていた。

 

――もっとも素顔は分らず、仮面についたギミックなのか口元が不自然な鋭角に尖った笑みを三面に浮かべているだけなのだが。

 胸をそらし、こちらを指さしているのである。

 そう的はずれな予想ではないだろう。

 

――カチンときた。

 

 何でもない風を装い、燕はスカートに付いた汚れを払い落とす。 

 そして先ほどの戦いの開始位置に再び立つ。

 実力がわからないのかと呆れたようにアシュラが鼻で笑った――気がする。

 燕の脚が飛んだ。

 一撃が落とされ、二撃が弾かれる。

 余裕からかアシュラは常に先手を譲り、燕の蹴撃を狙い撃つ。

 

――燕は三撃目に踏ん張りをきかし、それまでの速度から回転を一段二段飛ばしで最高に振り切った。

 

 

 突然の変調。

 加速、最高速とこれまで燕を上回っていたアシュラの慢心。

 そこに付け込み、相手の虚を奪った。

 アシュラの迎撃に更にかぶせ、撃ちぬく。

 そして弾かれた脚が戻るまでの無防備な体。

 致命的な隙、絶好の機会だった。

 だから燕は当然――とても労るように優しく爪先で敵のバランスを崩してあげる。

 アシュラはリングに尻餅をつく。

 今まで固唾をのみ成り行きを見守っていた観客達が、その意味を理解し沸きあがる。

 

 アシュラはズボンを手で払い、走るのに支障はないかと地面を確かめるように幾度も踏みつける。

 格下と侮った燕に戴いた屈辱、アシュラは激怒しているように思えた。

 

――仮面の表情は当然笑ったままなのだが。

 

 恐らくギミックを動かす余裕もないのだろう。

 単純な速さ比べはここまで。

 相手の挑発には、十分な礼を返せた。

 ここからは力だけではなく、知恵、技を駆使した本当の戦いが始まる。

 悔しいが、速度で劣ることは認めざるをえない。

 戦いに必要な情報を燕は分析し、戦法を選択する。

 速さは重要だが、それだけに勝敗が左右されることはない。

 相手の力を素直に受け入れ、それでも燕は負けるつもりはなかった。

 

 

 

 リングの上を飛ぶように移動するアシュラと燕。

 片方は直線的に全てを無視し、そしてもう一方は流麗に流れていく。

 速度でいえば劣る燕。

 しかし最短距離を走るはずのアシュラは間合いを詰め切れない。

 それは地の利、リング上の障害物を燕が盾にしているからだった。

 もっとも、速度差は歴然。障害を避けるように動けば、燕は追いつかれていたことだろう。

 だがこの場において、燕の真似をしなければ追いつけないということを認めたくないのか、安っぽい矜持を守り、アシュラは頑なにそれをやめない。

 だから追いつく直前、またも障害物が燕とアシュラの間に入り込む。

 手を振って離れていく燕に、八つ当たりとばかりに、アシュラが障害物を何度も蹴る。

 その重厚な響きが大気を伝い、燕に届いた。

 

――これは厄介だねー、ほんと。

 

 余裕の笑みを貼り付けて表情を隠すが、頬を冷や汗が伝う。

 

――こういった顔芸をこなさなくていいのは便利だよね、私も今度からお面をかぶろうかな、っていやそれはないか。

 

 心中どうでもいい自問自答。

 いまさらながらに、パートナーに非戦闘員である直江大和を選んだことを反省する。

 もちろん、精一杯邪魔にならないよう努力してくれている大和を非難しているわけではなく、自分と敵の実力を見誤ってしまった燕自身についての反省だ。

 力に勝る者、技に長けた者、対してきた強者はことごとく討ち取ってきた。

 

 力には技を、技には力を、隙がなければ機転を活かし、つくる。

 だがここまで加速、最高速ともに差がある敵は初めてだった。

 燕から踏み込んでも、速さが足りず、相手に隙を見せてしまう。

 だから相手の踏み込みに合わせて、返し技を狙うのがいいのだが、それすらも成功するか怪しいほどの速度差。

 

 上手く行って相打ち、最悪なのはカウンターの失敗。

 合わせたはずの燕の踏み込み。それがそのまま燕自身に跳ね返ってくるのだ。

 

 当然、相手を翻弄するために先手を取ることにもリスクが高い。

 だから、今のところ敵の様子見の蹴撃から防御と逃げに徹し、燕はアシュラを観察していた。

 そしてわかったのは、おそらくアシュラが武道家ではないということ。

 それらしい構えはなく無形――と言えなくもないが、武道家の目からすれば、隙だらけ。

 

 達人の対極、姿勢がとにかく悪い。

 ただ歩くことだけで、武術の練度を測かることは可能だ。

 強さが、その無駄のない立ち居振る舞いに表れることは珍しくない。

 観客席で戦いを見ていた時にはさほど、読み取れなかった。

 だが目の前で対峙すれば、敵は、思いの外に無駄だらけ。

 それなのに、無駄に速いし、無駄に強い。

 

 今までに戦ったことのない相手。

 だからこそ燕は慎重になる。

 

――あれだね。短距離の世界王者ボルートの隣を、スカートを摘んだガラスの靴の女の子がスキップでぶっ千切っていく光景を見たら今の私とおんなじ気分になるかも。

 

 それでも真夏の陽光が燕の脳を湯立たせたのか、不利な状況もあいまって阿呆な思考が浮かんでいた。

 もっともその最たるは、目の前、交戦しているアシュラではなく、

 

「って、邪魔するんじゃないわい! また、逃げられてしまうじゃろうに」

 

 先程からアシュラの攻撃を物ともせず、マイペースに大和を追い掛け回している、リング上唯一の障害物だった。

 蹴撃をもらった尻を掻きながら、その大柄な体格で大和の後をついていく。

 

――場合によっては日光のほうが厄介な相手かもしれない。

 必死に逃げ回り息の荒い大切な相棒に感謝し、手を振り応援する。

 

「大和くーん、そのまま、もう五分ほど時間稼ぎよろしくねー!」

 

 その間になんとか勝つための算段をつける必要がある。

 燕の笑顔に、任せろと大和も顔を向け、手を振り返してくれた。

 やはり武神川神百代が目をかけているだけあって、頼りになる。

 燕は投げキッスも奮発した。

 照れたのか少し大和の顔が赤くなっている。

 それが年上の乙女心をくすぐり、こういったところが百代に気に入られているのかもと、実感する。

 

――そしてそれが隙になり、背後から伸びた手が大和の足を掴んでしまった。

 

「――ごめんねー、大和くん。私がセクシー過ぎたせいで――ううん、思春期の男の子の性欲をなめてたかもしれないよ」

 

 燕は己の魅力を最大限に発揮したウィンクで謝罪する。

 

「いや、ちょっと気を取られたくらいのことで、そこまで自分に自信を持たなくてもいいと思うんだけど」

 

 宙吊りになった大和は顔から赤みが抜けて、白けた表情になっていた。

 

――そう冷静に返されると、今度はツバメの顔が熱くなる。

 

「ふむ、なんじゃろう。こうも簡単に捕まってくれると、かえって申し訳ない気分になるのぅ。

やりなおすか? お色気ムンムン娘よ」

 

「おい、日光。僕と美の化身の戦いの邪魔をするな! お前らはリングの端に並んで体育座りでもしておけ!」

 

 追い討ちをかけるように絶対心の底からは思っていないだろう敵からの賛辞。

 

 

『姉さんが未だ気絶したまま動かないので、解説は久遠寺未有、一人で行わせてもらうわね。直江大和が捕まったことにより、ヴィーーーナスとアシュラの均衡が破れることになり、この状況でヴィーーーーナスの取れる行動は少ないわ。一転して追いつめられたわね』

 

『セクシー先輩! 頑張ってくれ。先輩の実力なら、そこからの逆転も可能だと義経は信じているぞ。――ああ! なんでそこで諦めたように頭を抱えてうずくまってしまうんだ!』

 

 声援が届かなかったのかと勘違いした後輩が、さらに大きな声で応援してくれた――べつに呼んでくれと頼んだわけでもないのに、律儀に連呼する――たぶんそれがツバメの助けになると致命的に勘違いしたままで。

 それに続いたのは、観客席にいる川神学園の生徒達。

 歴史上の偉人のクローンである義経の求心力は凄まじかった。

 わかりやすい悪役が敵であったことも手伝って、一般客にも伝播していく。

 真夏の空の下、セクシーだの女神だのと大合唱。

 

 別に容姿をほめられることに慣れていないわけではない。

 だが用法用量を守らぬ薬の過剰投与は思春期の少女の心には結構な毒になったり。

 

 会場の皆の心が一つになった瞬間、それ以外であるたった一人の少女の心がへし折れる音は燕にしか聴こえない。

 普段の飄々とした冷静さは見る影もなく、大観衆の視線から逃れようと、両掌で隠したその指の隙間から一粒雫が溢れる。

 

 これに動揺したのはリング内の男性三人。

 アシュラが日光を指差せば、己は違うと首を振り。

 日光がアシュラを指せばまた、手の平を振って否定する。

 そして二人の顔が宙吊りにされた大和に向く。

 

「――えっと、絶対に俺だけのせいじゃないと思うんだけど」

 

 尋ねるが、敵である二人が頷くはずがない。

 早くなんとかしろと、顎で燕を指している。

 味方だろうが、敵だろうが、大和はこういう役回りを押し付けられることが多いなと、ため息を吐いた。

 

 いつの間にか、地面にうつ伏せ、顔を押し付けて、耳を塞ぐという、完全外界遮断姿勢になっているパートナーにトボトボと近づいていく。

 そして背中をトントンと叩き、安心させるようわざとらしく明るい調子で言った。

 

「ああ、うん、ええっと――先輩は、とびきりセクシーですよ。自信を持ってください」

 

――試合の決まり手は、ローリングソバット。もちろん場外に吹っ飛んだ。

 

『アンタ達なんて、優勝して、エキシビションでモモちゃんにボコボコにされちゃえばいいんだ!』

 

 審判が試合終了を宣言した後に、泣きながら燕は走っていく。

 

――一撃をもらい場外に倒れる直江大和を残したまま。

 

 リングに残された消化不良の勝者は何やら深刻に話し込んでいた。

 

 

 

 

 決勝戦を前にして、選手控室は静寂を保っていた。

 それもそのはず、今この場にいるのは勝ち残った最後の一組のみ。

 予選、一回戦、二回戦は昨日に。

 準決勝は今日の午前中前半に、そして休憩を挟んでの決勝戦。

 過酷なツーデイズトーナメント。

 勝ち残った者も当然、無傷とはいかない。

 だが、それは敵も同じことか。

 

――そこまで考えて、それは楽観にすぎないと、椅子に腰掛けた黄金の髪の少女、クリスティアーネ・フリードリヒは首を振る。

 敵の試合は全て、備え付けられているモニタから観戦していたが、彼らに傷らしい傷はなく、それどころか、未だその恐るべき実力の全てを出し切ってはいない。

 己の不安が、無様に負ける姿を心に映し出す。

 

 それを振り切るため、腰に挿した愛用のレプリカレイピアを強く握った。

 本来のクリスならば、相手が強大だろうと、ここまで動揺することはなかっただろう。

 誇り高く、ゆえに、たとえ完膚なきまでに叩き潰されようとも、相手の強さに敬意を払うことができた。

 だが、今回ばかりはそうはいかない。

 己の正義を胸に掲げるクリスにとって、自らを悪と称するハグレ地獄コンビは絶対に相容れない敵である。

 だから実力を出しきった結果が、無様な負けでは、己が許せないのだ。

 それがのしかかる重圧となり、鍛えられていても、見た目通りの小さな肩に負担をかけている。

 

「――お嬢様、そろそろ時間です」

 

 傍らに立っている軍服に眼帯、赤髪の女性は普段は厳しい顔を緩め、心配そうにクリスを伺っていた。

 ドイツ軍中将である父の部下であり、そして姉代わりでもある女性。

 実力においては、クリスの一歩前を行く彼女も敵の強さを知り不安なのだろうか。

 

――いや、彼女は生粋の軍人。

 

 どんな困難な任務に赴こうとも、顔色を変えることはない。

 ならば、彼女の顔を曇らせているのは、きっと弱気な自分だった。

 彼女はいつもクリスの心を、そして体をクリス以上に大切にしてくれる。

 だからきっとこれからの戦いでクリスが必要以上に傷つくのを恐れているのだろう。

 

――家族を不安がらせることは、負けることと同様に許してはいけない。

 

 こちらの瞳を覗き込んでくる、マルギッテに強がりの笑みを返す。

 

――さあ、自分の誇りのために、そしてクリスの突然の笑顔に困惑する大切な姉のため、立ち直ろうではないか。

 クリスは不安を飲み込む。

 自分のわがままに付き合い、共に戦ってくれる彼女にこれ以上格好悪いところを見せる訳にはいかない。

 

「なあ、マルさん。奴らは、強い。もしかしたら拮抗することさえ、都合のいいことなのかもしれない。弱気な自分はさっきまで無様に負けることを不安に思っていた。でもそれはとても格好悪いことではないか――自分は妥協することにした。妥協することも時には必要だと、川神学園に転校してきて、直江大和から学んだんだ――マルさん、自分のわがままに付きあわせてしまって申し訳ないんだが」

 

「お嬢様! 例え負けたとしても、全力を出し切ってこそ得るものがあるのです! 一体何を妥協するとおっしゃるんですか? まさか適当に力を抜いて戦えば、それが格好いいとでも。

ああ、やはりあの者たちを暮らすうちに悪影響を受けてしまったのですね。もう日本にほんものの侍などいない――」 

 

 クリスの言葉に、マルギッテは珍しく横槍を入れた。

 なにやら日本批判まで始めたマルギッテをクリスは苦笑いを浮かべ、手で制する。

 

 そして告げた。

 

「――格好良く勝つことは敵の強さのまえには望めない。かといって無様に負けるなど自分は絶対に嫌だ。だったら残った選択肢は妥協して、一つ。――無様に勝つことにしよう! そう、全力を振り絞って、そして残った搾り滓をもう一度、精根尽き果てるまで握りつぶして。何度倒れても立ち上がり、格好悪く勝つことにした。うん! マルさん、自分たちの無様な姿は、観客に嘲笑われ、憐れまれてしまうかもしれない」

 

「――お嬢様、それでも私は貴方についていきます。それにお嬢様が無様であるはずがありません。なに、憐れむ者がいれば、その口にこのトンファーを突っ込んで黙らせます。嗤うものがいれば、中将殿にお願いして、ライフルの的にしましよう!」

 

 その言葉、眼差しに、クリスの肩が軽くなった気がする。

 

「――マルさんでも冗談をいうんだな。これも大和達の影響かな? よし、出陣だ、マルさん!」

 

 迷いはなくなった。長い金糸を靡かせて、クリスは颯爽と会場に向かって歩く。

 

 その背中を、『何が冗談なのですか?』と首を傾げながら、携帯の通話を切った従者が追っていく。

 決勝の時間を知らせるアナウンスが、控室内に、同時にドーム内に響いた。

 

 

 

 試合開始の合図を待つ観客席に川神学園の制服を着た集団が固まっている。

 別に席を指定されたわけでもないのだが、大半の学園生は律儀にそこに並んでいた。

 その一角、赤毛のポニーテールの少女が先ほど職員から配布されたチラシを熱心に読み込んでいた。

 

「ねえ、大和。九鬼の傘下の飲食店って川神だけでもこんなにあるのね。どこにしようか迷ってしまうわ――ってそうよね、訊いても答えられないわよね」

 

 本戦参加者に配られる、九鬼傘下の飲食店で使えるお食事券を手に、真剣に検討する川神一子。

 その隣に、包帯を顎に巻いた直江大和が座っていた。

 別にここまで大げさにする必要などなかったのだが、パートナーに見事に蹴り飛ばされた大和を面白がって友人の岳人や翔平が巻きつけたのだ。

 むしろ、怪我ではなくこの包帯こそ、喋ることを難儀にしていた。

 

 ちなみに試合の後、失神していた大和が目を覚ますと、すぐに燕から謝罪を受ける。

 大和の方も、あの対応は拙かった、そして試合に負けてしまった原因は自分が足を引っ張ったからだと頭を下げる。

 もし自分が日光に捕まっていなければ、燕を変に挑発なんてしてしまわなければ、それに対して、燕は。

 

『ああ、あれは仕方ないよ。まあ、あそこから逆転するための奥の手もあるにはあったけど、それは対武神用だからね。あんなコスプレ変態どもには、おいそれとは使えないんだよん! だから、まあ、負けも覚悟はしていたんだよ。なあに、私の目的は次の機会にさせてもらうよ』

 

 その目的については何も教えてくれなかったが、本当に気にはしていないようで大和は胸をなでおろした。

 その後は本戦に出場している仲間の応援に精を出し、決勝戦、最後まで残ったクリスとマルギッテの戦いを観戦することになった。

 

「ねえ、アタシはこの焼肉屋さんに行ってみたいんだけど、どう思う?」

 

 決勝戦はまだ始まらない。

 返事が出来ない右隣の大和を諦め、一子は左隣に尋ねた。

 ちなみに通路を挟んで大和の右には、己の職に対して先程から愚痴をこぼしては同意を求めてくる見知らぬ中年男性がいて居心地が悪い。

 

――南入出口からクリスとマルギッテがに入場する。

 

 決勝の相手は、大和達が負けたハグレ地獄コンビ。

 二回戦、準決勝と、ふざけた試合内容で実力の全てをさらけ出すことなく、駒を進めてきていた。

 その実力、肉男シリーズの仮装と面。

 鬼面との余りにもな符号に、逆に関連を疑ってもいいものかと大和は思案する。

 過去の活動やその隠匿性から、こういった表舞台を好む悪党ではないと思っていたのだが、認識を改める必要があるのかもしれない。

 だがこれだけでは奴らを鬼面だと断定するのには足りず、もう一手欲しいのだが。

 

――審判は時計を確認し、右手を高らかと上げる。

 

 まあ、あのところどころ横暴な姉にかかれば、証拠などなくても刑の執行は可能であると溜息を吐いた。

 

 

――クリスの咆哮が響き、彼女はレイピアを振り回した。

 

 思考に没頭していた大和の肩を一子が揺すった。

 

「ねえ、大和。試合が――」

 

「――ああ、始まったか。さて、ワン子から見てクリス達の勝算はどれくら――」

 

「終わったみたいなんだけど?」

 

 言葉の意味がわからず、大和はもう一度問いかけた。

 

 

『なんだ、これは! こんなの納得いくか! 自分がどれだけの覚悟をしてこの場にいると思っている! ええい、早く奴らを連れて来い! 不戦勝なんて無様な勝ち方なんて死んでもゴメンだ! それならばいっそ負けで構わん! なあ、マルさんも言ってやってくれ!』

 

『――お嬢様、先ほどと言っていることが違いすぎるのですが――いえ、なんでもありません。そこの職員! お嬢様が呼んで来いと言っているのです。早く控室まで行って奴らを連れて来なさい。さっさとしないとその言い訳しか出てこない口にトンファーをねじり込みますよ!』

 

 憤慨し、無理難題をふっかけるクリスに、とりなそうとする職員を脅しつけるマルギッテ。

 

「なんか、試合放棄で不戦勝らしいわよ。――大和、あの二人を止めなくていいの?」

 

 

――いつも以上に頭に血が上っているのか、一向に収まらないクリス。

 

『無礼者! お嬢様に手を出す者は、誰であろうと、この私が許さないと知りなさい!』

 

 そして、説得のため彼女の肩に手を伸ばした人の良さそうな職員がマルギッテのトンフアーに叩き伏せられる。

 それを目撃した場内の職員が次々とリングに集まってくる。

 そこは二人の独壇場だった。

 

『ぬう、たった二人にこの人数とは、それでもお前たちは侍の子孫なのか! こうなったなら、自分が根性を入れなおしてやる!』

 

 もう何に怒っていたのかも忘れているかもしれないクリスが暴れまわり、彼女を守るという大義名分があれば、一般人にも容赦のないマルギッテ。そしてこの暑い中、会場運営、交通整理、飲み物等の販売など頑張っていた職員さん連合との決勝戦が始まってしまった。

 

 

『ええっと、盛り上がってきた決勝戦。解説は引き続き、久遠寺未有と、私に負けて悔しさのあまり家で不貞寝中の久遠寺森羅に代わって』

 

『――川神学園三年生、川神百代でお送りします。おお、ビールの売り子さんが自らを犠牲にクリのレイピアを奪取したぞ。根性あるな!』

 

 ヒーローショーのごとく立ちまわるクリス達。

 盛り上がる観客。解説席ではしゃぐ姉貴分。自分も参加したそうに、こちらに許可を訴える一子。

 そして、川神という土地と、そこに住む人達とのずれに、ほんの少し絶望しかけた大和。

 

 もうどうにでもなれと自暴自棄になりかけた大和に、紙コップの飲み物が渡される。

 うつむいた大和を心配してのことだろう。

 一子と親しい後輩に礼を言い、冷えた麦茶を受け取った。

 今の状況で熱に浮かされていないまともな人がそばに居てくれたことに大和は感謝する。

 

「あの金髪の人って一子先輩の友達なんですよね? あんなに嬉しそうにはしゃいじゃって。あそこまで喜んでくれたら僕も譲った甲斐があったってものですよ」

 

 腕を組み、感慨深げに何度も頷く後輩。

 怒り暴れまわるクリスを見ての感想。

 感受性が違いすぎる後輩に大和は驚愕し、あまり交流のない彼を警戒するべきかと迷う。

 

――だが、その後に、お預けを食らって、お祭り騒ぎの戦いに加わりたいと我慢の限界を泣くように訴える一子と、よく目を凝らしてみれば暴れることでスッキリしたのか、溌剌とした笑顔になっているクリスと見比べ、別に警戒の必要はないと判断する。

 

――まともな人がそばに居て欲しいというのはそこまで叶わない望みだったのだろうか。

 

 再度、長いため息を吐いた大和の肩が叩かれる。

 それは、隣の中年男性の手だった。

 彼は言う。

 

「なあ、少年。気持ちはわかるが、元気を出しなって。社会に出ればわかるが世の中は理不尽だらけだ。おじさんもな、国を守るためにって今の職場に入ったんだが、現実はそうはいかない。本来の仕事とは関係ないものまで回されて正直、泣きそうな毎日だよ。でも、それでも、いつかは自分のやりたいことが出来る筈だと諦めずに頑張っている。辛いのは皆一緒だ。だから、少年もこの程度の理不尽で挫けちゃダメだぜ」

 

 そう流暢な日本語で慰めてくれた男性の言葉を大和は無視する。

 大和の頑なな態度にお手上げだと、外国人らしい大げさな仕草で、両手の平を横に差し出した。

 

――そうして軍服の男性は、日本では実銃の所持は認められていないので、恐らくモデルガンである狙撃銃をケースにしまい、二本指をぴっと立てて別れを告げる。

 

 先程まで観客席で、一人サバゲーごっこをしていたドイツ人は去っていった。

 試合場、職員の合体ダブルドロップキックがマルギッテを場外一歩手前までふっ飛ばす。

 盛り上がる会場とは裏腹に、再々再度の深く長い溜息を大和は吐いていた。

 

 

 




今回は、上下の 上部分。全てのオチとかは次の投稿です。
文字数は話の流れでを決めているので、長かったり、短かったりです。

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