武神フクロにしたった~僕らの川神逃走記~   作:ふらんすぱん

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紅葉は夕陽に散る

 

 モニターを背にメイドが立ち、教えを請う生徒のように紅葉達男性陣が並んで椅子に座り彼女の話を聞いている。

 彼女の主人である未有は飽きたのかそれとも顔を隠すことの無意味さにようやく気付いたのか、仮面を外し素顔を晒していた。

 未だに仮面を付けたままメイドは主が素知らぬ顔でそれを外したことにようやく気付き、裏切りと羞恥を隠し己の仮面も外し何事もなかったように紅葉達に説明を続ける。

 

「えー、それであなた達が戦うことになるであろう森羅様の推薦されたペアがこちらになります。右にいる女性がナトセさん。久遠寺家で執事兼護衛を任されていてムエタイの達人、敵のエースです。彼女の足技は軽くコンクリを蹴破るので注意してください」

 

 正体を脅しの材料に取られ、戦うことを後ろ向きに同意した二人は右耳から入ってくる彼女の情報をしっかりと左に流していった。

 

『それで、次に紹介するのは私の最愛の弟である上杉錬! 彼女のパートナーを努めており、特にこれといった武術は習っていません。しいて言うなら喧嘩殺法といったところでしょうか。ナトセさんより実力は劣るものの負けん気は人一倍です。後遺症の残る怪我等は負わせないように優しく注意してあげてください――えっ、うるさいですか? じゃあ私の話をちゃんと聞いてくださいね』

 

 二人の気が入っていないことに気付いたのだろう、どこからか取り出した拡声器をメイド服の裾に放り青筋を立てた笑顔を上げる美鳩。

 彼女を怒らせたことと、澄んだ女性の声も度を超えた音量があると不快になることを理解した紅葉は質問を返し空気を落ち着かせようとした。

 

「いや、対戦相手なんだろ。たとえ大怪我をさせたとしてもそこは不可抗力ってことで目を瞑ってもらうしかないんじゃないかな? それに弟さんを怪我させないように僕らが配慮しても何のメリットもないしね」

 

 同意するようにスキンヘッドの男、岳蘭も紅葉の言葉にしきりに頷いてる。

 二人の反応はあらかじめ予想していたことなのだろう美鳩は眉一つ動かさずに告げる。

 

「はい、それはわかってます。ですがこれだけは約束してもらわないとこっちも困ってしまうんですよ。錬ちゃんに万が一のことがあったら、私がただじゃおきませんから、ここは気持よく了承して頂けないでしょうか?」

 

 迫力のない精一杯の怒り顔を作り二人に警告をよこす美鳩に失笑が出る。

 そこいらの野良犬にすら抵抗できない彼女の細腕でいったい自分たちに何が出来るというのか。

 紅葉と岳蘭は顔を見合わせ、嘲笑を堪えるように頷きあった。

 

「んんっ、なんじゃ。そこまで弟さんが大事なら、条件次第じゃ引き受けてやらんこともないん――」

 

「ああ、確かに私のか弱く美しい白磁の腕ではあなた達に出来る事はありませんね。ですから、錬ちゃんに万が一のことがあった場合は、精一杯心をこめて呪うことにしましょう」

 

 何かしらの譲歩、自分たちの利益を得ようとするさもしい岳蘭の言葉を遮り美鳩は静かに、確かな響きを持った声で宣言する。

 それまでと何ら変わらない口調、まるで軽い用事を済ますように発せられた言葉に紅葉の理解がようやく追いついた時、二人は大声を上げて笑った。

 

「くくっ、呪いって。いやぁ、それでいいならいくらでも呪ってくださいよ。僕らは一向に構いませんよ。大体、いまどきそんなオカルトを信じている奴なんているんですか?」

 

 紅葉の笑顔に、それ以上に満面の笑顔を美鳩が返す。

 

「ですが私のような弱者に出来る事なんてそれくらいしかありませんから。神様が聞き届けてくださるように、しっかりと作法を守って、白装束を身に纏い丑の刻に参ることにしましょう」

 

「いや、だからそんなことをしなくても、僕らに報酬を――」

 

「この思いを込めて手作りをした藁人形で……」

 

 いつの間にか彼女の手にある藁人形。

 

「だから呪いなんてわしらには――」

 

「三百六十五日、雨の日も晴れの日も――」

 

「ちょっと僕達の話を」

 

「あなた達か私の寿命が尽きるその日まで、一日も欠くことはなく――」

 

 無言になる二人。

 暑くもない室内で汗一つない彼女の髪が一房口元に張り付いている。

 いつの間にか紅葉達に近づいた美鳩が睨めつけるように二人の顔を覗きこんでいる。

 無表情に変わった彼女に背筋が寒くなり紅葉は目を逸らし大柄な岳蘭の陰に隠れようとする。

 それを許すまいと右腕を使い紅葉を己の正面に追いやろうとする岳蘭。

 

 

 次いで出た美鳩の再度の要請に崩れ落ちるように二人は同意を返した。

 

「あ、もうそんなに怖がらないでください、冗談ですよー。私だって呪いなんてもう信じてませんから。でも、お二人が説得を快く受け入れてくれて良かったです!」

 

 彼女の発言を聞き咎める気力すら紅葉には残っていなかった。 

 

 ●

 

「これで森羅様や久遠寺家の方の紹介は終わりです。あっ、これはもう必要ないですから返しておきますね」

 

 室内の冷えた空気の流れるままに美鳩の説明は終わってしまった。

 不平一つこぼさない紅葉達のおかげか、美鳩の言葉を遮るものはなく久遠寺姉弟の顔や、危害を加えてはいけない旨など注意事項がなされていった。

 その終わりに渡された己の髪がいつ採取されたのか、何に使用されるはずだったのかが気にになり紅葉の思考は停止してしまう。

 

「美鳩、まだベニのことを話していないわよ。彼女で使用人を含め久遠寺家全員の顔を教えたことになるわね」

 

 美鳩の講義の間、部屋の端の椅子に座り姉と弟は優雅に紅茶を楽しんでいた。

 彼女の指摘にまだ講義が続くのかとうんざりした表情を浮かべる紅葉と岳蘭。

 

 やる気のなくなっていく二人を鼓舞するよう手を叩き、必要以上に明るい声で美鳩は仕切りなおす。

 

「はーい、モニターに注目、って、映りませんね。んー、故障でしょうか? では口頭で。彼女は赤い髪のちょっと目付きの悪い女の子で、錬ちゃんと同じ久遠寺森羅様付きのメイドで朱子、通称ベニちゃんです。ちょっとお金に汚いところもありますが基本的にいい子ですよ。我が愛しの弟の恋人でもあります。あ、注意事項があります。彼女は私の愛する錬ちゃんの恋人なんですから――」

 

 先程から何度も繰り返す危害を加えるなという美鳩の戒めの言葉に二人はげんなりした。

 美鳩の言葉が全て終わる前に紅葉は気のない返事を入れようとする。

 

「顔を合わせ次第死なない程度まで精神的危害を加える事を許可します」

 

 それは美鳩が許可していい問題では無い気がするのだが、疑問に思いながらも頷く二人。

 

「できれば、錬ちゃんと積極的に別れるように仕向けてくれるとなお良いです。成功した場合は報酬も用意してますので頑張ってください!」

 

 両拳を胸の間に持ってきてこちらを応援する美鳩にどうしたものかと紅葉達は首を傾けた。

 仕えるべき主とその家族、そして同僚には手を挙げぬよう真摯に説得されたのだが彼女だけは別口で構わないのだろうか。

 頭を抑え小さな彼女の主人が近寄ってくる。

 

「――美鳩、二人の仲はもう認めたんじゃないの? 錬が幸せになるなら身を引くって言ったじゃない、いい加減諦めなさい」

 

 主人の諫言を受け、美鳩は口をとがらせた。

 

「でも、恋人にはなりましたが、まだ結婚すると決まったわけではないですし。まだ私にもチャンスがある筈です。天に祈るのは人事を尽くした後と決まってますし」

 

 尽くすなと主にお叱りを受け不本意であはるのだろうが彼女は同意する。

 そのやり取りを椅子に座ったままの優が落ち着いて眺めている辺り、久遠寺家にとっては日常の光景なのだろう。

 本当に朱子が憎いのなら紅葉たちにしたように美鳩が彼女を呪っている。

 落ち着いた美鳩と当日の打ち合わせや、自分たちの正体についての配慮を話しあい終了する。

 朱子の顔だけがわからないのは不安だが、現状紅葉達の正体を知っているのはここにいる人間のみ。

 そろそろ他の使用人や家族が帰ってくる時間になったので顔見知りになるのを避けるために話し合いを切上げるしかない。

 

 

「あぁっ、そうです。ベニちゃんの写真がありました。顔だけですがしっかり写ってます」

 

 そう言って美鳩が取り出した顔写真に皆の表情が曇る。

 確かに小さい写真ではあったが、解像度は悪くなく彼女の人相までしっかりわかる。

 目つきの鋭くなった表情は怒っているのか、写真うつりは悪くないので、何もこのような顔で撮ることもないだろうに。

 

「美鳩、あなたオカルトは信じていないんじゃなかったの?」

 

「はい、ですから『もう』信じてません!」

 

 主の疑問にハキハキと答える美鳩は確かにおしとやかなメイドに見える。

 彼女の明るい言葉が響き終わると再び室内を静寂が包む。

 美鳩の出した朱子の写真に問題はなかった、表情もこの怒り顔が彼女の持ち味と言えないこともない。

 

 ――ただし彼女の右手にある藁人形の頭に朱子の写真が貼り付けられていなければ。

 

 

 

   ●

 

 観客の歓声、花火の上がる音、七浜スタジアムは熱気に包まれる。

 空は快晴、青空が広がり、神奈川近辺の武闘系のイベント事は雨天で中止になることは殆ど無い。 

 若獅子タッグトーナメント本選開始の号令がかけられ、スタジアムの四方にある選手入場口から予選を突破した選手たちが次々とリングに入場してきた。

 そのたびに黄色い声援や野太い声、冗談交じりな下品な野次まで飛ぶ始末。

 今日この時ばかりは川神で年中無休で営業されている老舗の菓子屋ですら暖簾を下ろしている。

 観客席の中にある解説席には武神こと川神百代と、松笠に住む著名人である指揮者の久遠寺森羅やその他数名がゲストとして呼ばれていた。

 選手たちは誰も予選を勝ち抜いたことによる自信からか、年かさが低いことを感じさせない面構えをしている。

 歓声に手を振って応え中央に移動するのは川神一子。

 少女は相棒であり幼馴染でもある源忠勝を後ろに歩いて行く。

 視線の先にはこれから競い合う強敵たちを見据え、早くも入れ込んでいる。

 後に続く入場コールの響く中、選手の中に見知った顔を見つけ、忠勝に断りを入れ彼らの方に走っていった。

 知り合いの内一人は黛由紀江、一子の仲間たち共通の後輩である彼女は剣聖黛十一段の娘でその実力は直接目にしたことはないが百代の言では相当なものだとのことでここにいるのは不思議ではない。

 ただ、もう一人は違う。

 一子個人の後輩でつい最近交流ができ自分を慕って相談事を持ち掛けてくる彼、荒場紅葉がここにいることに首を傾げてしまう。

 一子の知る限りの情報や彼の相談事から推測するに余りこういった荒事に長けている印象ではなかったのだが予選を通過したのだそれ相応の実力を持っていたのだろう。

 後輩二人は談笑し、由紀江はぎこちないながらも笑顔を浮かべている。

 共に友人の少なさを嘆いていたことを知っている一子は嬉しく思った。

 

『ところで一子先輩。パートナーの姿が見えませんけど、どの方ですか?』

 

『えっと? 一子先輩ならあちらの方にいらっしゃいますよ。そういえば自己紹介がまだでしたね。私は黛由紀――』

 

『――すいません人違いです』

 

 己の名前が耳に入り挨拶を交わそうと近づくのだが、直前に紅葉が由紀江にお辞儀をし足早に離れていってしまった。

 由紀江は目を点にし虚空を見詰めており話しかけ難いので、離れていく紅葉を呼び止める。

 紅葉はこちらの顔を確認すると、頭頂部からつま先までを舐めるように観察する。

 なぜそのような視線をこちらに向けるのか疑問ではあったが、性的な意図を含まない視線であったために一子は訝しがるが気にしないことにした。 

 由紀江との悶着が気になり声をかけたことを説明する。

 

「えっと、あなたが一子先輩よね? いえ荒場くんに声をかける知己の人間はあなたしかいないって言うからちょっと勘違いしちゃったのよ」

 

 えらく他人ごとである紅葉の言葉と、語尾が少々女言葉であることが耳に入り一子は指摘する。

 

「そ、そんなことはないわ――だぜ。私、じゃなくて僕はいたっていつも通りですよ!」

 

 風邪でも引いたのだろうか、声がまるで若い女性のように高くなっている。

 それとも彼の不審の原因は、一子がなにか機嫌をそこねるような言動でもしてしまったせいではと心配になる。

 紅葉の表情が先程からピクリとも変化せず無表情を貫いている事も拍車をかける一因だ。

 

『――そうですよね。初めて話しかけたのに、やけにフレンドリーに対応してくださるなとは思ったんです。人違いですか、その方はそんなにも私に似ているのでしょうか。似た容姿の彼女にはいて、なぜ自分には友人がいないのでしょう。――生まれて初めてです、松風。こんなにも人を妬ましいと思うのは』 

 

『まゆっち、気持ちはわかるけど、殺気を放ち過ぎだぜ。周りのライバルは愚か、パートナーのむさこっすも逃げていったぞ』

 

 なんだろう、一子に悪寒が走る。

 振り返ってみても少し離れた所に由紀江がいるだけで、他の出場選手はこちらを見ていない。

 気のせいと判断し再び視線を紅葉に戻す。

 

「あの紅葉くん、なんだかこの間学校であった時よりもだいぶ痩せたようだけど、大丈夫なの? 本選は予選と違ってみんな強い人ばかりよ。アタシも紅葉くん達『大爆弾コンビ』とあたったら手加減なんて出来ないし、体調が悪いようなら棄権しても全然恥ずかしいことじゃないのよ」

 

 一子は彼に実力がないと侮辱しているわけではなく純粋に気遣っていた。

 それも無理からぬこと。よく観察すればわかるが、紅葉の腕はまるで格闘などしたことのない女性の腕のようにやせ細ってしまっていた。

 足なども普段の彼と比べると一回りも二回りもしぼんでしまっている。

 決して引き締まっているとは表現できないそれが、一子より高い身長であるはずの彼をとても小さく見えさせている原因でもあるのだろう。

 普段よりも視線を下にずらしながら話す一子は熱心に忠告する。

 

「大丈夫ですよ、一子先輩、彼の体調は絶好調らしいわ。先程の言葉も荒場くんにしっかり伝えておきます。あなた優しい子ね――ところでなぜ手を引っ張るのかしら?」

 

 一子は紅葉の手を掴んだまま救護室は会場内のどこにあったかを考える。

 紅葉は錯乱状態にあるようで自分のことをまるで他人のように話していた。

 彫像のような無表情、急激に痩せ細った身体、自我を保てていないこと。

 このままでは危険であると医学をかじったことすらない一子にも容易に理解できた。

 

「あらら、ちょっと待って下さいね。もう、からかっちゃダメですよ、紅葉くん。川神さんが本気にしちゃってるじゃないですか!」

 

 焦る一子に声をかけてくれたのは頭髪をすべて剃り上げた黒い肌の男性だった。

 彼の言葉で、紅葉が己を騙していたことに気付いた一子は抗議の視線を向けた。

 

「あぁ、そうね。ごめんなさいね、一子先輩。ちょっとおふざけが過ぎたようだったわ、だぜ。

僕の体調は全然大丈夫!」

 

 その言葉を証明するように両手を振り回し一子に見せてくる。

 ここまで本人が強く希望するならば野暮は言えない。

 不調があればすぐに棄権をするように伝えこの話は終了した。

 

 一子と紅葉のパートナーであるだろう彼には面識が無いため、話に区切りがついたタイミングで二人は自己紹介をする。

 岳蘭と名乗った彼も川神学園の男子制服を着ていたので尋ねればやはり一子の後輩であった。

 体格は大柄で、紅葉の頭が彼の顎先にも届いていない。

 武人の性か、こういった頑強な肉体を観察する癖がついてしまっている一子は見上げるように確認する。

 これだけの体格を誇るのならばやはり投技などが得意なのでは、戦うことになったら要注意だと心に刻みつける。

 ただ上半身の頑強さに比べ、それを支える脚が細すぎる異様な体つきをしており、不気味さがある。

 それにはじめに話しかけられた時から彼は真横を向いたまま一度もこちらに視線をよこさない。

 にも関わらず一子の言動を理解しているふしが見受けられるということは視野が相当に広いことを意味していた。

 

「岳蘭、いい、人と話すときはしっかり相手の顔を見て話しなさい。とても失礼だし不自然よ」

 

「え、何を言ってるんですか? 私はしっかりとお二人の目を見て――あ、ちょっと待って下さいね。今レバーを」

 

 紅葉が彼を注意するとゆっくりと岳蘭の首が回転する。

 錆びついた歯車が出すきしむような音が一子の耳に入り二人に尋ねてみるのだが、気のせいだと返される。

 音は観客の大きな声援ですぐにかき消されてしまい、出所の確認はできなくなる。

  

「ふう、しかし暑いですね。熱が籠もってしょうがないです。もう汗だくで、こんなの早く脱いでしまいたいですー」

 

 暑さに不満を言う岳蘭だが、一子は腑に落ちない。

 彼が着ているのは学園指定のシャツ一枚でそこまで熱が篭るものではなく、それに一滴の汗も彼の肌には浮かんでおらず、しかも愚痴を垂れ流す彼の顔に満面の笑みが張り付いていることが増々一子を疑問の中に落としこんでいるのだ。

 

『さぁ、次は私、久遠寺森羅の推薦するチーム。久遠寺家の執事であり、刀のような切れ味を誇る足技のナトセと、鍛えられた鋼の信念を持つ男、上杉錬の足刀ーズだ!!』

 

 解説席の森羅の口上と共に最後の出場者が入場する。

 入場してきたのは男女の二人組で背中に『森羅』と綴られた山吹色の派手な道着を着こなしリングに駆け込んできた。

 彼女の容姿が美しいために男性の野太い声援が響く。

 女性の靭やかな走りに一子が感心していると隣からも黄色い声援が聞こえてきた。

 

「きゃー錬ちゃん、凛々しいですー。ああ、今すぐ結婚を申し込んで、初夜を迎えたいほどに愛おしいです!」

 

 隣の岳蘭の発言に一子の時が止まった。

 彼の発言を正確に理解するために紅葉と目を合わせ確認をする。

 

「――ええ、彼は上杉錬のことを愛しているわ。そうよ、彼はホモなの。偏見を持つのは構わないけど、どうか秘密にしてあげて。なかなか理解を得にくい性癖なのだから、人に知れることは避けたいのよ」

 

 どこかやけくそ感の漂うなげやりな口調ではあったが、納得し一子は同意する。

 だから終始女口調であったのかと腑に落ちるものがあった。

 確かに同性愛は日本ではあまり浸透していないが、一子はそんなこと程度で友人づきあいを考えなおすような愚かな人間でない。

 ただ、このような大勢の観衆の集まる会場であんなに大声で愛を叫ぶのは不味いのではなかろうか。

 そう伝えたのだが紅葉は掌を振り、諦めたように何もしない。

 事情があるようなのでそれ以上深くは踏み入れず一子ははがゆく思う。

 出来ることならこの後輩たちが偏見に晒されないことを少女は切に願った。

 

 

 ●

 

 すべての出場者が出揃い、会場の大型モニターにトーナメント表が映し出された。

 皆が一回戦の己の相手を確認し視線を交わし火花を散らす。

 一子は初戦が仲の良い友人でも後輩二人でもないことを安堵し、意識的に闘志を燃やし対戦相手に目をやろうとした。

 

『ふむ、どうやら妹の推薦したチームはいないようだな。なに私だけではなく妹の久遠寺未有も推薦したチームがいたのだがどうやら予選を通過できなかったようだ。これでミューたんは罰ゲーム確定だな。さぁ、思う存分可愛がってやることにしよう』

 

 久遠寺森羅の発言、微笑ましい姉妹の仲間睦まじさに自身も姉を持つ一子の気勢が削がれてしまう。

 再度、闘志を上げようとする一子を無視し、それは起こった。

 

 選手入場口から、白い炭酸ガスが大量に吹き上がる。

 皆が注目し徐々に晴れる霧の中、二人の人間が仁王立ちをしていた。

 一体何者なのだろうか。

 二人は観客の視線を意に介さず、堂々とゆっくりとした足取りで一歩一歩リングに近づいていった。

 

『僕は宣言する、我ら『ハグレ地獄コンビ』もこの大会に出場させてもらう!』

 

 スピーカーで増幅された彼らの声が流れる。

 驚くことに、しんと静まり返った観客たちの中から彼らに対しての声援がちらほら聞こえてきた。

 逆に女性の物はほんの雀の涙ほどしかない。

 大会運営の一人である川神学園の長でもある川神鉄心はマイクを取り芝居がかった口調で彼等に問うた。

 

『じゃが、おぬし達はエントリーすらされておらんじゃろ? それに勝ち残ったものは皆実力のあるものばかり、そこに正体の定かでない者を入れるなどという道理があろうはずもなかろう!』 

 

 大型モニターの中に映る一子の祖父でもある鉄心は毅然とした態度でそれを拒否した。

 一子は祖父の力強い言葉を聞き、モニターの中のカメラ目線の鉄心に尊敬の視線を向けた。

 地獄コンビの二人は共に精巧な仮面を装着しており、正体はわからない。

 先ほど発言した男は阿修羅に似た三面の物を装着していた。

 その後ろに控えていた彼よりも大柄な身体の男は額に太陽のマークを付けた石を組み合わせた仮面を付けて、腕組みをし笑い声を響かせている。

 

『なるほど、ならばわしらのために席を譲ってもらうとするかのぅ。一組、このトーナメントに相応しくない弱体チームがおるようだし丁度いいわ。――お前らのことじゃ、大爆弾コンビさんよ! わしらと戦う度胸があるならついてこい』

 

 日光の男が挑発するように紅葉達を嘲笑い相棒を連れ会場の出口に走って行く。

 これに我慢がならなかったのか、一子の静止も聞かず、紅葉達もその後を追いスタジアムから姿を消した。

 呆然とする会場の空気を動かしたのは映像が切り替わったモニターだった。

 

 画面に映った景色に一子は見覚えがある。

 よく山ごもり修行をした川神市の山中であった。

 助けに行きたいが山道のため車が入れず、ゆうに三時間はかかってしまう

 生い茂る木々に囲まれた花畑で夕日に照らされた二組の男たちが対峙している。

 既に戦いは終盤に達しているようなのだが、紅葉達は傷だらけであるのに対し、アシュラ達は無傷。

 肩で息をしている彼等に勝ち目があるように見えない。

 一か八か紅葉達が呼吸を合わせ同時に飛びかかった。

 捨て身攻撃が通じる相手ではない事は二人にもわかっているはずだがもはやそれしか手がなかったのか。

 一子は息を呑む。

 飛びかかった二人の内、紅葉はアシュラの蹴りで空を舞い、岳蘭は日光男に捕まってしまう。

 アシュラ自身も飛び上がり空中で下向きになった紅葉の胴体を両足で挟み固定しそのまま落下、迎えるは抱き潰すようにサバ折りを極めている日光であった。

 

 『秘技 地獄のカスタネット!』

 

 落下する紅葉の頭と拘束された岳蘭の頭部が勢いのまま衝突する。

 一子は悲鳴を上げることすら出来なかった。

 余りにもな衝撃のせいで、紅葉の身体は縦に裂け、岳蘭の首がもげてしまう。

 

『ふむ、これで僕達の出場は問題ないな。他の出場選手がもっと歯ごたえがあるように祈るよ。このゴミどもと違ってな!』

 

 仮面達は親指で首を掻っ切る振りをする。

 その非道な行いに、大切な後輩の尊厳を踏みにじったことに一子の中の何かが壊れた。

 

 ほとばしる感情のまま走りだそうとする彼女の前に立ちはだかる影があった。

 一子のタッグパートナーである忠勝だ。

 

「タッちゃん、なんで止めるの。アタシは絶対あいつらのことを許さない、それに今行けばまだ紅葉くん達の命は助かるかもしれないのよ! それでもアタシを止めるっていうの」

 

 一子の声は怒りを押し殺した小さなものであった。

 なぜ幼なじみでありいつも自分の味方であった忠勝が行く手を阻むのか。

 もう手遅れだとでも言うのか、それは一子にも理解できる、だが納得はできない。

 これがなにも出来なかったという事実から目を逸らすだけの逃避であることを認められない。

 押し通ろうとする一子に忠勝は空を指差す。

 つられて、一子も空を見上げるがただ青い世界が広がっているだけだった。

 

「一子、どうやってあそこまで行くつもりだ?」

 

 次いで出た忠勝の言葉を一子は咀嚼する。

 手段として一番近い道路に出て、タクシーを拾い山の手前で降り、歩いて行くしかないのだがどうしても時間がかかってしまう。

 

 ――何かが腑に落ちない、解答ではなく設問がわからないことに一子の勢いが急激に弱まる。

 

 最後にモニターを見るように忠勝が促してくる。

 映っているのは赤い夕陽が照らす中、二人が花畑から遠ざかって行くところ。

 アシュラ達はバラバラになった紅葉達の前を通り過ぎる。

 無惨にも引き裂かれた少年の身体からは大量の白い綿が飛び出していた。

 一子は無言になった。

 そして周りの人間の様子を伺い始める。

 映像の最後には力強い筆文字のテロップが流れていた。

 

『撮影・監督 久遠寺未有 協力 九鬼広報班 題字 川神鉄心 』

 

 一子は周りの人間の反応を確かめた後、掌で顔を隠すように覆った。

 忠勝は言葉を探しているのだが適切なものが見つからないのだろう口をモゴモゴと動かしたまま何も喋らない。

 

『ええぃ、なんと卑劣な奴らか! このクリスティアーネ・フリードリヒが正義の名の下、成敗してくれる! 行くぞ、マルさん!』 

 

『お嬢様、どうか落ち着いてください! それとどうか声を潜めてください、お嬢様の純粋さが周りの連中にばれてしまいます!』

 

 少し離れた場所にいる友人とそのお付の赤髪の女性を見て、自分もああだったのかとますます一子の顔に血が集まっていく。

 そして一子は一番大事なことに気付いた。

 忠勝の制服の袖をそっと掴み囁く。

 

「――タッちゃん、この前ランニングの途中でとっても美味しいお肉屋さんのコロッケを見つけたの。良ければ大会が終わった後、一緒に――」

 

「――誰にも言わないから安心しろ、一子。それとまだ誰にも気づかれていないから、素知らぬふりをして突っ立ていりゃばれねぇよ」

 

 察しが良く気立ての良い幼馴染を持ったことを感謝した一子は開会式の最中ずっとぎこちない笑顔を浮かべ棒立ちだった。

 

 若き獅子達の戦いが始まる。

 


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