武神フクロにしたった~僕らの川神逃走記~   作:ふらんすぱん

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再会、懐かしい場所にて

 学校の正門前に止まっていたタクシーに乗り込んだ三人。

 紅葉とスキンヘッドが争うことを危惧したのか、久遠寺が二人の間に座り込んだ。もっとも、紅葉の心中ではなぜ己の正体が露見したのかと自問自答が続き喧嘩どころではない。

 なので反対側のシートで同じように熟考するスキンヘッドの様子にも何の疑問も抱けず、唸る紅葉の横で楽しそうにこちらを眺めている上級生の顔に全く心当たりも浮かばない。

 今日の昼食時に物欲しそうにこちらのステーキを見ていた飢えた女子生徒に施しをした以降の記憶が曖昧なことに何か関係があるのだろうか。

 必死に記憶をさらっていたのだが、面倒くさくなり直接尋ねてみたところ、昼の出来事と久遠寺は関係がなく、その上で食堂はキレイに使えと叱責を受けた。

 悶々とした思いを抱えながら、どうこの状況を乗り越えるか普段余り使っていない脳細胞を稼働させたものの、そう都合の良い解決策が出てくるはずもない。

 なにかいい案がないかと外の景色に目を流していると久遠寺に肩を叩かれ目的地に着いたと知らせを受けた。 

 

 ●

 

 目的地は七浜市の高級住宅街。その中で両隣の家よりもひときわ広い敷地を持つ屋敷だった。

 久遠寺の話によるとここに紅葉たちに用のある人間がいるとのことだ。

 紅葉に何処か懐かしさを喚起させる洋風建築であり少しの間立ち止まってしまう。

 案内され開いた門扉は紅葉の価値観では理解できない豪勢な作りになっており、玄関までの距離が長い。

 目に鮮やかな花壇があり、この屋敷の使用人なのか眼帯をつけた若い女性が土をいじっていた。

 

「わぁー、久しぶり! 二人共大きくなったね、私のこと憶えているかな? あっ、優さまもお帰りなさい、未有さまが、帰ってきたのならすぐに来るようにと言ってましたよ!」

 

 

 こちらに気づくと手で土を払い小走りに近づいてくる。

 肌の色や顔付きから日本人ではないと判る女性、海外旅行未経験の紅葉の知り合いであるはずがないのだが、親しげな笑みを浮かべ、成長を測るためか、自分の頭上に当てた手を紅葉の額に持ってくる。

 全く憶えのない親近感に戸惑ってしまうが、そこは日本人らしくこちらも憶えてますといった体で握手を交わす。

 彼女の温かい手に自然と頬が緩んでしまう。

 隣にいるスキンヘッドも握手を交わし微笑んでいることから紅葉達は共通の知り合いなのだと判断するがこちらの男にも見覚えはないようだ。

 

『なぁ、僕達って知り合いだっけ?』

 

 女性に気付かれぬよう小声で問うもスキンヘッドも首を傾げるだけだった。

 いつの間にか玄関の扉が開かれその先にいる久遠寺優が二人を呼びつける。

 名残惜しげに手を振る女性に頭を下げ屋敷に入り、階段を登り二階へ。

 内装は西洋的で家具はどれも高級感が漂っていると紅葉はかしこまってしまう自分に気づいた。

 それは情けないと己を奮い立たせ背筋を伸ばし、廊下の一番奥の部屋に足を進めた。

 

 ●

 

 先に部屋に入った優は部屋の暗さに顔をしかめている。

 電灯は点いておらず、窓から入るはずの陽光は閉めきったカーテンによって遮られていた。

 最後に入室したスキンヘッドが扉を閉めると、どこに誰がいるのかも確認できなくなってしまった。

 これではどうしようも出来ないではないかと、壁際に電灯のスイッチを探すのだが、それより早く部屋の中央にスポットライトが照らされる。

 紅葉たちが好奇の目でそちらに注目する。

 丸い光の中、二人の人間がいる。

 一人は裾の長いメイド服の女性。色素の薄い髪は光の下であれば宝石の如き光を放っていただろう。長く細い髪の頭頂にヘッドドレスがメイド服と一緒にその存在を主張している。

 彼女は付き従うように一人の女性の後ろに控えていた。

 ならばメイドの前、アンティーク椅子に座している小柄な影が彼女の主人なのだろう。

 金色の髪をリボンで左右に束ねたその姿から、紅葉たちよりも年若い人物だと推測できる。

 短い足を組み頬杖をついたその姿は、身長の低さも相まってこちらの警戒心を削ぎに来る。

 だが、警戒を解くことは出来ない。

 たとえ、紅葉たちのほうが腕力で勝っていることが明らかであろうともこの手の人間には油断を見せてはいけない。

 自分の屋敷に人を呼びつけ、顔を仮面で隠すような変人奇人には。

 

「あら、やだ美鳩。この子達、予想以上にドン引きよ。あと、そこの弟、他人のふりをするのはやめなさい」

 

「だから言ったじゃないですか、さすがにこれはないって。姉弟揃って拾ってもらった恩がなければ私も雇用契約を破棄するレベルですー」

 

金持ちという人種はどこかが壊れているらしい、紅葉の頭の中、たまに学園の廊下ですれ違うメイドを連れた男の事が連想された。

 

 ●

 

 部屋の明かりが点けられても、重い空気は残されたまま。

 両手を叩き合わせ注目を集めた部屋の主は気を取り直し紅葉たちに視線をよこす。

 

「フッ、よく来たわね。そんなに緊張せず楽にして頂戴。念の為に確認するけど、あなた達が元鬼面の四番と五番で間違いないのよね? って物凄い勢いで首を横に振っているのだけど」

 

「未有姉さん、こいつらで間違いないから話を進めて」

 

 必死になって否定するのだが優には確信があるらしく紅葉の抵抗は却下される。

 優の言葉に頷き主は盛り上げの演出のためか、拳を握り語気を強くする。

 

「優、私はあなたの姉の才色兼備な久遠寺未有でないわ、勘違いしないで頂戴! そうね、こうしている間にもうら若き美女の、知性と教養を兼ね備えた彼女の純潔があの悪魔の手に落ちようとしているのよ! そういったことは警察に? 無駄よ、家の中とは違って敵は外面だけは頑健に取り繕っているのよ! 彼等もその偽りの仮面に騙され取り込まれてしまってるわ」

 

 未有と呼ばれた主人は我こそは正義とばかりに握った拳を天に翳す。

 お付きのメイドは彼女の動作に合わせ横で玩具のラッパを吹いているのだが、それがひどく胡散臭い。

 ラッパの音に区切りがつくと未有は指を鳴らす。

 再び部屋が暗闇に落ち、彼女の後ろの壁に映像が映し出された。

 そこに写っていたのは黒髪の女性、烏の濡れ羽色とはよく言ったもの、彼女の美しい長髪はその鋭くも妖艶な光をたたえた瞳によく合っている。

 その容姿は男女の違いはあれ隣の優によく似ている。

 画面の中の彼女はひどく立腹なようで何かを叫んでいるのだが音声が無いため内容は窺い知れない。

 

「そう、この悪魔の名は久遠寺森羅! あろうことか実の妹である久遠寺未有をはめた張本人よ! 言葉巧みに未有を誘導し、今度開催される若獅子タッグトーナメントで賭け事を取り決めた。かわいそうに薄幸の美女である彼女は、お互いの推薦する選手を出場させより目立ったほうが勝者だなんてふざけた内容での勝負を受けてしまったの。まぁ、より上位に残ったほうが目立てるのだから、強いに越したことはないわよね。この女は自分が賭け事を提案したのだからと久遠寺家で強さと何より経験を備えた執事長の大佐を譲ると言ってきたわ。聡明な未有の事、普段なら不自然な彼女の譲歩。森羅の企みに気付いていても可笑しくないのだけど、森羅付きのメイドが彼女のジュースにアルコールを混ぜるといった蛮行に出たため、勝負を受けてしまったのよ!」

 

 その時の怒りを思い出したのか、第三者を装っているはずの彼女の声がだんだんと大きくなる。

 お付のメイドは初めの内は団扇で扇いでいたのだが、いつの間にか懐から出した小型の扇風機にその任を譲渡している。

 

「結果として大佐を取ったのだから次は自分の番だとこの家の警備の二番手であるナトセをその手中に収めることを成功させた。問題は大会へのエントリー時に起こったのよ。九鬼の大会本部曰く、アブラッギシュな髭がダサい中年はこの大会に出場する権利がないそうよ。――そう、あの女は初めから年齢制限があることを知っていて最強の手札を自分に残したのよ。慌てて抗議したのだけど取り合ってもらえるわけがなく、後の祭り。家族が顔を合わせる食事の時間毎に罰ゲームのプランを愉しそうに説明してくれたわ」

 

 彼女の結わえた二束の黄金の髪がぶんぶんと振り回される。

 ちょうど斜め後ろに控えていたメイドがシャドウボクシングの要領で躱したり叩いたり遊んでいる。

 

「急遽、私が擁する選手を見つけなければいけなくなったわけだけど、久遠寺家が誇るナトセを超える実力者なんてそう簡単に見つけられる伝手なんてあるはずもなく悲嘆にくれていたの。暗中模索する未有に手を差し伸べてくれたのは誰であろう。そこにいる愛する弟。彼があなた達に白羽の矢を立てた」

 

 指をさされた優に視線が向けられる。ようやく、話が見えてきた。

 どこで知ったかはわからないが、そのナトセに対抗する為に鬼面幹部であった紅葉を求めているということか。

 面識がなくとも鬼面の幹部という肩書にはそれなりのものがあったのだろう。

 切羽詰まった彼女が今学園で噂になっている彼等に力を借りようとするのも頷ける。

 改めてかつての自分たちの影響力を思い知る。

 だが、学園で正体を露見するような迂闊な行いをしていないはずである。

 優の人相にも憶えがなく、ならば彼もまだもみじの正体に確信を持っていないはず。

 これはカマをかけているに違いない。

 

「何を勘違いしているのかはわからないけど僕は鬼面についてはほとんど何も知りませんよ。噂話には疎いんです。――誰も話しかけてくれないから。それに、つい最近武神川神百代が彼等を潰したばかりで、もう誰も残っていないんじゃないかな。いや僕も決闘は見ましたが、名前ばかりで大した連中じゃない――」

 

「あぁ、違うわよ、そんな偽者連中に用はないの。それにあなた達を呼んだのはネームバリューに惹かれたわけでもないわ。美鳩!」

 

 紅葉は発言するたびに逃げ道が塞がれていく錯覚を覚える。

 美鳩と呼ばれたメイドは映写機を操作し場面を早送りする。

 

「おぉ、久遠寺森羅! 確か、七浜フィルハーモニーで常任指揮者の。わし芸能人に会うのは初めてなんじゃが後でサインを貰えんかのぅ?」

 

 横にいたスキンヘッドが映像の中の彼女を食い入る様に見つめた。

 確かに地元の放送局が良く彼女のことを映していた。

 映像の中の彼女は今よりか幾分か若く、そのせいか紅葉は彼女が久遠寺森羅であると気づくのに時間がかかったのだろう。

 壁に映し出された森羅は大きく口を開け、身振りで誰かに指示を送っている。

 テレビの中の彼女は冷静沈着であり、ここまで取り乱す事は珍しいように思える。

 もし紅葉がこの場にいれば颯爽と彼女を助け、熱い抱擁を受けることが出来たかもしれないと他愛ない妄想が浮かぶ。

 

「美鳩、なぜこの二人は気持ち悪い笑顔を同時に浮かべているのかしら? 確かに姉さんの取り乱した姿はなかなかに滑稽ではあるのだけれど」

 

「私の愛する弟もたまにこんな表情を浮かべる時がありますが、健康面に問題はないので無視しちゃってください」

 

 カメラアングルが引いていき、森羅の全体像が映しだされる。

 その時点になって紅葉はようやく彼女が激怒している理由に気がついた。

 簡単な話である。

 空から降ってきた生卵が彼女の頭頂部で粉々に砕けていることに文句をつけているのだ。

 

「あの、なんで窓から空をみあげているんですか? 今は映像に注目してないと未有さまがスネちゃいますよ」

 

 卵が降ってくるような異常気象でないことを確認し再び映像に。

 

「美鳩、もっと全体が映るようにしなさい。まぁ、これであなた達が選ばれたわけはわかったわよね?」

 

 未だ理解できない紅葉は画面の隅々まで確認する。

 

「――そう、あなた達が久遠寺森羅に敗北の二文字を刻んだ人間だからよ」

 

 紅葉は画面右上、屋敷の屋根の上を疾走する面をつけた幼い少年が森羅に向かって生卵を投げつけている映像を見つけ石になった。

 その横でやはり画面右下を指さし固まっている大男と目があった。

 

 

 ●

 

『ナトセ! 早くそいつを拘束しろ! この久遠寺森羅に働いた無礼、絶対に贖わせてやる! 五体満足で帰れると思うなよ!』

 

 森羅の気勢は燃え盛る炎のごとく、再生された彼女の声は美貌に釣り合いのとれた美声。

 紅葉は心の中、声援を送り画面上の少年の無事を祈る。

 出来ることなら障害の残らないお仕置きにしてあげてほしい。

 屋根伝いに走る中華麺男の面をつけた少年は両手いっぱいに食料を抱えて先程ナトセと呼ばれた女性に追い掛け回されている。

 

『ほら、君。それは私のジャーキーだから返してくれないかな? ちゃんと謝れば森羅さまはやさしい人だから許してくれるよ。私も一緒に謝ってあげるから――』

 

『ナトセ、いいぞ! うまく相手を油断させたな。いまだ、八つ裂きにしろ!』

 

 賢い麺男はナトセの嘘を見破り、仕返しだとばかりに走りながら食べ終えたバナナの皮を森羅に投げつける。

 卵の白身が垂れてきた右半分、左にはバナナの皮がべっとりと張り付いていた。

 

「未有さま、彼等の顔色が真っ青になっていきますね」

 

 モニタ内、森羅の顔は真っ赤になる。

 美鳩の確認を、映像に喰い付いた主は爆笑して聞いていない。

 

『ぬおぉぉ、スペシャルな私をここまで追い詰めるとはなんというパワー。お主なかなやるな!』

 

 野太く威勢のいい声を上げている執事服姿の中年男性。

 男性は立派な皇帝髭を携えており服の上からでも判るしっかりとした筋肉質な体格を誇っている――のだが彼の上に跨がり逆エビ固めをかけている牛男の面を付けた少年がいる状態で、余裕を魅せつけ髭を整えるのは間違っている。

 

『フッ、スペシャルな男はいついかなる時でも余裕をなくさな、腰がァァァ!!!』

 

 余裕を見せたことが気に入らないのか、跨がった牛男が男性の髭を引っこ抜こうと身体を倒すと、男性の腰がますます曲がることになった。

 

 久遠寺家の住人にとって阿鼻叫喚といった光景を尻目に笑い疲れ満足したのか未有は説明を続ける。

 

「これがあなた達が呼ばれた理由、納得した? で大会について話したいんだけど」

 

 まだ足掻ける、紅葉は己を奮い立たせる。

 なぜこの家を襲ったのか当時の記憶を紅葉は思い出せない。

 だが彼女たちに捕まった記憶はない、ならば素性は明らかになっていなはずだ。

 

「はぁ、いい加減認めろよ、お前たち。ここまで来てなんで希望が残っているって確信した顔ができるんだ!  ――もういいや、これが逃げ切れない理由になるだろ」

 

 そう言って優が懐から取り出した物は、映像の端っこ、久遠寺家で一番大きな木の枝に乗ってことの成り行きを見守っていた少年がつけている米男の面と寸分違わないものだった。

 

 

 ●

 

 優の出した米男面を手に取り確認する。

 顎先と裏側の額部分に数字の三が刻印されており確かに米男のものであると確認できる。

 だが、それだけでは納得出来ない事柄がある。

 

「そうじゃ、例えお前が米男だとしても、なぜわし等の素性を知っておる? わしらは互いの本名は愚か素顔さえもしらん筈じゃぞ」

 

 そう紅葉達は初めての出会いの時から既にその顔を面で隠していた。

 紅葉が鬼面幹部で素顔を知っているのは最初の会合の時に素顔を晒していた『大蛇』のボスである蛇神だけである。

 当時の二番は用心のためか顔を隠していたし、あとから入った幹部連中も基本二番が面接をした後、面をつけてからの目通りとなっている。

 紅葉達の素性を把握しているのなら優が米男だということは矛盾している。

 

「いや、お前たちとつるむようになってからすぐに、うちの執事に後をつけさせた。だって、友達の顔がわからないなんて不安だろう。いざというときに優位に立つためにはなるべく多くの弱味じゃなくて情報を握っておかないと」

 

 優の言葉はなるほど納得出来るものであった。

 確かに紅葉にも手段があれば同じことをしていただろう。

 首を縦に振り肯定する。

 

「あら、いやだ、あれで納得してしまったわ。普通に顔を見せ合って仲良くなるという選択肢はないのかしら? ――私の弟の友達が少ない理由を垣間見た気がするわ」

 

「クルックー、そういえば、優さまが屋敷にご友人を連れてきたことがありませんね。私も納得しましたー」

 

 

 関連して紅葉はまた一つ思い出す。

 久遠寺家にいたずらをしかけると決めたのは米男だったはずだ。

 この家の身内が発案者ならかわいいイタズラで済むかもしれない。

 

「ん、ああ、気にすることはない。このイタズラは、夢姉さん、俺の三番目の姉が長女にひどい仕打ちを受けたことが発端なんだ。横暴な長女を懲らしめるためにやったことだからお前らが気にすることはなにもないよ」

 

 こちらの心情を慮ってくれた優に紅葉は気が楽になる。

 これでこの事件は過去の笑い話へと風化したのだろう。

 安堵する紅葉の眼前、優の肩を叩き画面を見ろと促す彼の姉。

 

 画面が米男の座る木の枝に。

 その隣丁度見きれていた反対側の枝が映るように移動する。

 

『ナトセさーん、早く助けてよ~。うぇ~ん、もしかして夢、ナトセさんに嫌われてるのかな? ううん、そんなことないよね。ナトセさんは夢の専属執事だし、仲良しだし。――でもじゃぁなんで夢を無視してあの子を追いかけてるのかな? 夢が目立たないから忘れてしまったんじゃぁ――あ~ん、どっちにしても悲しいよー』

 

 反対側の大きく太い枝にはロープで逆さ吊りにされているピンクの髪の少女の姿があった。

 

 

 映写機から女性のすすり泣く声が室内に響く。

 

「いや、ちがうんだ」

 

「何が違うの優? 大切な姉を、私の可愛い妹を逆さ吊りにしている正当な理由があるなら聞きましょうか?」

 

 詰め寄る小さい姉に狼狽する弟。

 紅葉は風向きが変わったことを実感し、メイドが入れてくれた紅茶をスキンヘッドとともにご馳走になっている。

 優の顔が姉である森羅によく似ているなと他人ごとで二人の言い合いを眺めていた。

 

「そう、夢姉さんキャラが薄いし! これが未有姉さんみたいにキレイで存在感がある人なら俺も絶対こんなひどい目に合わせなかったよ」

 

 理由になるのかわからない言い訳と姑息なおべっかを使うかつての仲間を指さし笑う紅葉と牛男――とメイド。

 世辞が功を奏したのか、未有は微笑し映写機を弄る。

 胸を撫で下ろす優にこのまま今回の頼み事も流れてくれないかと紅葉は願った。

 

『そうだ! 実はナトセさんは夢の才能を信じていて、この苦境から見事脱出することを願っているのでは。よし、夢はやるぞ~』

 

 ロープに吊るされたまま体を前後に揺らす三女。

 振り子の要領でどんどん揺れ幅が広がっていくわけだが、まさか回転して枝の上に飛び移れるなんて馬鹿な考えはしていないはずだ。

 

『あれれ~届かない、うーんだんだん気持ち悪くなってきた。でも夢は諦めないよ! 夢を信じてくれたナトセさんや久遠寺家の皆のためにも!』

 

 結構な馬鹿だった。

 逆さ吊りにされた上に前後に揺れたせいか、急速に彼女の顔色が悪くなっていく。

 誰か彼女を止めるものはいないのかと紅葉がやきもきすると、彼女の愚行を制止する声が届く。

 

『夢、いくらやってもそれじゃあ意味が無いわ。血が登った頭に遠心力でますます血液が集まるし、振動で枝が折れそうになってるわ、止めなさい』

 

 救いの主は彼女のすぐ隣にいた。

 

『夢、あなたより身体の弱い私はもうダメかもしれない。姉さんと仲直りしてしっかりこの久遠寺家を守って――いって――』

 

 ――救いの主は彼女のすぐ隣に同じように吊るされていたりした。

 

 室内を沈黙が支配する。

 

「──友よ。こうして会えることが出来て嬉しいぞ!」

 

 突然、優がその両手を広げた。

 不自然なまで満面の笑顔で旧友二人を強く抱きしめる。

 紅葉も牛男もやはり不自然に大きな声で再会を祝う言葉を口にした。

 感動の再会、拍手の嵐、全米が泣いた、三人は泣かなかったし、メイドも主人も泣かない。

 

「――もしかしてあれでごまかしたつもりなのかしら? あれ、おかしいわね。私の弟って確か、入学以来ニ年間、成績上位十番以内から落ちたことがないはずなんだけど」

 

 抱き合った三人の視線のみが器用に彼女たちの方を向いている。

 涙一つ流れない感動のすすり泣きが浸透した。

 

「はぁ、やっぱり姉さんに似てるんだわこの子。楽しくなると見境がなくなるところとか。頭が良いくせに少々お馬鹿なところとか」

 

 肺の奥底から深いため息を吐く次女。

 

「はい、そうですね『お三人』ともよく似てらっしゃいますー。私は前から気づいてましたよー」

 

 得意気に胸を張るメイド。

 抱きあう男たちの中、紅葉は気色悪いから早く止めてくれることを願っていた。




久遠寺森羅……有名な指揮者で久遠寺家の当主。 久遠寺未有……その妹、小さい
久遠寺夢……その妹の妹、目立たない。 大佐……髪型と髭がサリーちゃんのパパ
南斗星……眼帯、ムエタイ


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