気づいたときには、虎の口の中
「なあ、あの動画視たか? ああ、あれだよ」
「昨日、投稿サイトにアップされてたやつだろう。 笑うよなあ、おどってる子供は何考えてるんだろうな?」
神奈川県川神市の川神学園一年C組の教室の何気ないクラスメイトの会話、これが不幸への招待状だったのだろう。
しかし、少年はそんな事とは露知らず久しぶりに戻ってきた故郷とこれから始まる高校生活に思いを巡らしつつ、母が作ってくれた弁当に舌鼓を打っていた。
「おい、アイツなんで朝のHR前に弁当広げてるんだ?」
「入学式から三日も経ってないのに、図太いよな。てかアイツ、後ろの席で刀持ったまま、独り言喋ってる女に気づいてないのか?」
弁当を食べ終わり水筒のお茶で一息つく。
少年の口から深いため息が出る。
――クラスに馴染めてない。
少年は以前に川神に住んでいたのだが、小学校高学年時に親の都合で転校、高校受験で悩み始める前にこれまた川神に戻ると父の宣告を受け、心の準備もなくこの学校に通うこととなった。
昔の顔なじみがいるかと探してみるも、ざっと見た限り知り合いはおらず、積極的に友達作りをすることはなく現在の状況にある。
そういった背景を無視し、孤立している大きな原因は他にあるのではと少年は考えていた。
遠巻きな視線。
はれものを扱うように、ポッカリと空いた距離。
そう、クラスメートは少年に恐れを抱いているようなのだ。
使い古された言葉で口にだすのも躊躇われるが、少年は昔、ここら辺りを根城にする不良集団の一員であった。
そのころの凄みが挙動や人相に現れているのか、彼の周りには誰も近寄ってこない。
少年としては高校生になったのだ、そういったものとは無縁な明るい青春を送りたいのだが。
「誰か、教えてやれよ。俺? 無理だ、見てみろよアイツ完璧にターゲットにされてるぜ。さっきからアイツに手が伸びたり引っ込んだりしてるだろ。――俺にはわかる、ありゃ、頸動脈を狙っている。なら、なおさら教えてやれって? おまえあの手がこっちに伸びてきたら責任とれんのか! アイツ、たしか、荒場だっけ? 諦めるしかない。手ぐらいは合わせてやろう」
「卒業アルバム、彼のとこだけ、空白になるんだね。可哀そうだよ」
誰か己の名を呼ばなかったか、辺りを見渡すと何人かすすり泣いている女生徒達がいる。
自分の容貌にそこまで人を威圧する要素があったことに、内心、落ち込んでいた。
地元で評判のカリスマ理容師に、切ってもらった散髪代は無駄な出費だったらしい――店主の頭が草木の生えぬ不毛地帯だったことに気づいた時点で引き返すべきだったと溜息を付く。
●
授業の終了を告げるチャイムが鳴り、彼の周りの空白にやっと人の体温が戻ってきた。
そのことに思った以上に胸があたたかくなり、終業の鐘に感謝しつつ、教壇に立つ教師の話を聞き流す。
そして事件はこの日の昼休み、彼がやはり食堂でひとり昼食をとっているときに起きた。
――のだが、後に『第二次仮面狩り事件』と呼ばれるこれについて語るには、彼が昔、川神に住んでいた時の事も話さなければいけないだろう。
この神奈川県川神周辺には、古くから武家の家系が多く根付いている。
武術の大家、川神院を筆頭に、多くの武の才を持つ者たちが、日夜鍛錬に励み、心を鍛え、礼儀を学んでいるという特殊な土地だ。
武家の子供たちは、両親や師の教えのもとで、健やかにまっすぐと育っていくのだろう。
だが、ここで一つ問題がある。
少し考えればわかることだが、稀に一般の家庭の中にも武の才を持って生まれる子がいるということだ。
親からの手ほどきはなく、まして師というものを持たない子供が、日に日に増していく己の力に酔いしれ、増長していくのを想像するのはとても容易い。
彼もそんな子供の一人だった。
ただ、彼の場合、ほかの奴に比べ少々知恵がまわったことで、ちょっと風変わりな小学生時代をおくることになる。
その日の彼は前日に気にいらない上級生のズボン狩りを行ったことで、母にこっぴどく叱られ、いじけていた。
この頃、彼は他者よりも優れた自分の力を自覚し始め、天狗になる一歩手前。
自分の部屋で小学生の少ない知恵を絞り唸っていた。
わがままを通したい、しかし両親に叱られるのは避けたい。
なら、だれも己を知らないところで暴れればいいのでは。
その時の少年はそれが最良の答えだと信じて疑わなかった。
紙幣が一枚入った財布片手に、電車に乗り、繁華街などで賑わう川神駅に遠足気分で向かったのだ。
その日から彼の遊び場、兼狩場は、川神駅周辺に代わる。
市内から出ると、少年の顔を知っているものはなく、やりたい放題である。
だが小賢しいことに、念には念を入れ、その当時、流行っていた筋肉男シリーズのお面を被っていた当時の自分に、成長した今でも舌を巻いてしまう。
しかし、もっと驚くことは、そんな賢しい子供が彼だけではなかったということだ。
不良中学生どもが集まる廃工場に、勝者の勲章としてズボンを求めていた少年は、近くの草むらで見つけた木の棒を片手に突撃する。
工場の扉を蹴破るとそこには不良どもからパンツすら取り上げた、牛男と米男の面を付けた少年達がいた。
しばしの沈黙。
お互い付けている面からおおよそを察する。 そして面の下、隠した素顔に笑みを浮かべ仲良く中学生いじめを開始、それ以来彼らは行動を共にすることになる。
顔も名前も知らない関係、その匿名性がかえって彼らの結束を固いものにしていった。
それに加え、一人で遊ぶよりも、大勢のほうが楽しいということもある。
そうして、彼ら三人は、川神一帯で名をあげ、高学年だけでなく、中学生すら避けて通るほどの地位に登りつめていった。
だが、同時に血気盛んな川上の子供に狙われる立場にもなった少年たちは、三人の中の知性派、米男の提案で、当時、川神最大の小学生ギャング『大蛇』と同盟を組むことになる。
三人の小鬼が、蛇の群れに紛れる。
こうして誕生したのが、子供たちに恐怖を持って語り継がれる武闘派極悪小学生『鬼面』である。
全ての団員はお面を付けること。
そして鬼面の幹部は数字を彫ったお面を身に着け、絶対的な権力を有していた。
支配地域は川神だけではなく、七浜、、松笠にまで及ぶ。
数字が若いほど上の階級であり、大蛇のリーダーでやくざの跡取り息子である蛇神が一番を、その補佐に二番、三番に米男、四番に牛男、五番には彼が、その後もずらずらとロクでもないガキどもが、力を求め、お面を付け悪童の仲間入りを果たしていった。
鬼面の活動は多岐にわたる。
傘下に入った学校の用心棒、従わない者たちに対する幹部による制裁、そして上納金を集めること、お面による匿名性でどこに潜んでいるかわからない団員達に皆は恐怖し、当時の川神の小学生は、これを暗黒時代と呼んだとか呼ばないとか。
これらの活動を当時小学生の二番と三番が提案、運営していたのだから恐れ入ってしまう。
●
全盛期の真っただ中、そんな鬼面にも、喧嘩を売ってくる奴はいて、暇つぶしに幹部連中で遊んでやることもあった。
そんないつもと変わらない一日だった、あの日の事。
その少女はどうやって知ったのか、鬼面の集会所に単身乗り込んできた。
武術を使い、強靭な肉体を持つ、今までの雑魚とは一線を隔する存在。
しかし一対一なら兎も角、武術崩れ迄いる幹部たちには敵うこともなく、少女は何度も地べたに叩き付けられる。
彼も自慢の足を使い、虚を狙い、彼女の延髄に蹴りをいれる。
そして崩れ落ちる少女。
何の事はないいつもの日常がそこにあった。
最初は、嘲笑だった。
しかし七度目の蹴りが延髄に、牛男が腕をへし折った後も幽鬼の如く立ち上がる少女に、少年の喉がカラカラに乾いていく。
戦いを端で眺めている幹部には、戦っている彼らが加減して、いたぶっているようにしか見えなかったかもしれない。
笑声の中、少年の胸中に疑念が浮かび上がる。
――こいつは、武術を収めたと豪語し、立ち向かってきては、跳ね飛ばされていった今までの雑魚とは違う。
もしやこの生き物こそが、本当の武術家なのではないか。
己はなんてものに喧嘩を売ってしまったのだろうか。
言葉にこそ出さなかったが、少年の額に流れる冷たい汗がそれを物語っていた。
所詮己達は傷つくこともなく勝利という甘い草を食んでいるだけの草食動物に過ぎず、折れた腕をいたわることもしないその少女の正体は、敗北も痛みさえ食い尽くす戦闘特化の雑食動物だったのだ。
強さというものを力だけで計ってはいけない。
それをようやく理解した彼等は、目の前で力尽き倒れていく彼女が立ち上がってこないことをただひたすらに願っていた。
「ははっ、私は負けるんだな。初めての体験だ。負けることはいいんだが、この楽しい時間が終わるのは残念だなぁ」
もはや焦点の合ってない瞳。
吐いた言葉は、決して強がりではない。
少女は折れた左足を無理矢理に伸ばし、支えにして立っていた。
「しかし、お前らの付けているのって、正義の味方だろう。これだと私が悪の親玉だな。んっ、それでもいいか。わたしがおまえらの――になってやるよ。この借りは絶対返すからな、楽しみにしてろ。私は楽しみにしておく」
倒れこむ少女、先の発言に対する幹部の馬鹿にした声が響く。
言い訳をさせてもらえれば、この年の子供は理性というものがあまり発達しておらず、馬鹿にされたりすると素直に怒りを表現することは珍しいことではない。
そして単純な小学生である彼らの眼前には、丁度、動かなくなった楽しい玩具が横たわっているではないか。
人並みの感性を持ち合わせていたのなら、恐怖を感じたものに、イタズラなど出来るはずがない。
が、戦って恐怖を感じたはずの幹部数人も、『奴は倒れている、俺たち勝った=俺たちの方が偉い!』という幼さ特有の思考で彼女に近づいていく――それは当時の彼も例外ではなく嬉々として少女に向かっていった。
幹部の一人の傀儡術という協力もあって。
その結果、『モヒカン頭で鼻にカールを突き刺した少女の無限ドジョウ掬い』という動画が世に誕生したのだ。
しかし、この出来事の後、やはり幼心にはトラウマであったのか、それとも報復を恐れたためか、あの場にいた幹部達は徐々に抜けていく。
一番と二番を残し、他の番号もちの幹部ははすべて入れ替えられた。
この時期に少年も抜け、すぐに引っ越しがあり、今、川神に戻ってきたというわけだ。
●
昼休みになり、朝、弁当を食べてしまったので、食堂に行く。
その短い道中の間にも、同級生や先輩にすら避けられていたのは、きっと気のせいだと、己をうまく騙すことはできなかった。
「まゆっち、はやく声をかけるんだ! 同じボッチ、すぐに打ち解けられるぜ! 」
「そうでしょうか松風。でもこうやって後ろにぴったり付いてるだけで、友達に見えたりしませんか?」
「まゆっち、背後霊に友達はできないと、オラ思う」
少年は思う、食堂につきカレーうどんを頼んだのが失敗だったに違いない
カレーの汁は服に付くと落とすことに労力がかかる、なので先程テーブルを離れた者が居たのもしかたのない事。
加えて誰も近寄ってこず、同卓につく者が居ないのも少年には一切の原因はない。
少年は、精一杯の言い訳を自分に与え、注意を、その丼の中にある黄色の液体に注ぐよう善処する。
「松風、荒場さんが泣いてませんか。カレーうどんはお嫌いだったのでしょうか?」
「いや、まゆっち。いつまで背後霊続けるつもりなんだ? ご飯食べようや」
彼がひとりさびしくご飯を食べていると、校内放送が始まった。
スピーカーからはこの学校、いや世界でも最強クラスの女性武術家であり、学園の三年生である武神 川神百代の軽快なトークが流される。
少年は実際に百代が戦っているところを見たことがあるが、目を疑うほどのでたらめな強さを持つ女性だった。
その上、スタイルもよく、容姿も優れているという二物三物与えられた、神に愛された人。
彼もひそかに販売されているブロマイドを購入していた。
「ああ~、ここでお知らせだ。昨夜ネットの動画サイトに『モヒカン頭で鼻にカールを突き刺した少女の無限ドジョウ掬い』という動画が流れたのを知っているだろう」
その動画の名前に、少年は首を傾げる。
それは、少年にとっての幼い日の思い出。
誰か元幹部の人間が流したのだろうか。
あの少女も、今はもう高校生になっているだろうことを思うと、少し気の毒だ。
「そしてこれは個人的に九鬼財閥に頼んで、わかった事なのだが、この学園のPCルームから投稿されたらしい」
流れる言葉の続きが気になり耳を傾ける。
「いやぁ、ついに見付けたぞ。うん、うれしくて笑いが止まらないぞ!」
詳細は語られないが彼女のファンとして機嫌がいいのは喜ばしいことであり、少年は笑みを作る。
『わたしがおまえらの――になってやるよ 』
「ああ、きっとまだわかってないんだろうなあ。」
勿体ぶる彼女の言葉。
「――久しぶりだな、正義の味方。わたしはデビル将軍だ!」
「松風、荒場さんがカレーうどんを吹きました。わたしはいったいどうすれば?」
「まゆっち、いい加減、昼食とろうや」
●
『うわっ! 先輩どうしたんですか? ソースかけ過ぎですよ、それ』
『おい、相撲部の一年がいきなりテーブルに突っ込んだぞ!』
『あんた、顔が死人になってるよ。保健室行ってきな!』
『うわ~ いつも冷静な委員長が泡吹いて失神してるぞ。 なんか興奮してきた!』
『その変態を委員長から引き離して、大和田さん!』
というようなちょっとした事件がその日の昼休み、学園のいたるところでみられた。