西住みほの恋物語   作:葦束良日

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西住みほの恋物語・劇場版4

 

 

「なんだか、久しぶりだな……」

 

 物心ついた時からずっと見てきた、大きくて古い木造の門。その奥へと続く由緒ある家屋へと続く入り口となるそれを見上げて、みほは感慨深く呟いた。

 

 みほが現在いる場所は、大洗の町ではない。彼女は今、その出身地でもある九州は熊本に戻ってきていた。

 それというのも、大洗女子学園から新しい学校へと転校する際に必要な書類に保護者の署名と印鑑が必要だったからである。

 しかしみほは、門の前に立ったはいいが中に入ることを躊躇していた。それはやはり、母との確執が未だに尾を引いているからであった。

 

 みほにとって、母であるしほと顔を合わせるのはとても気まずいことだった。なにせ、母の教えを体現する黒森峰で十連覇を逃す原因を作り、その後文字通り逃げ出し、かと思いきや大洗にて戦車道を再び始め、西住流とはまた違うみほが信じる戦車道を貫いて黒森峰に勝利を収めたからだ。

 それも、対戦時の隊長はみほの姉でもあるまほ。つまりは西住流の後継者筆頭だ。

 見ようによっては、みほの行動は西住流に対する痛烈な皮肉とも取れるのである。

 みほは母がどれだけ西住流に心血を注いできたかを知っている。だからこそ、みほが帰りづらいと感じてしまうのも無理はない事だろう。

 

 それでも、書類のこともあるし一度帰らなければならないとなった時。迷わずみほは帰省を選んだ。郵送という手段はとらなかった。

 それはやはり、どこまでいってもみほとしほの関係は母と娘であるということであるのかもしれなかった。

 

「みほ」

 

 門の前で佇んでいると、不意に声を掛けられてみほはそちらに顔を向けた。

 そこには犬の散歩をしていたのだろう、首輪から繋がったリードを手に持ち、リラックスした格好で歩く姉、まほの姿があった。

 

「お姉ちゃん」

 

 まほは少し早歩きでみほのもとへと歩いてくると、犬の頭を撫でながら立ち止まった。

 そして、僅かに周囲に視線を走らせた。

 

「? どうしたの?」

「いや……彼はいないのかと思ってな」

 

 まほの言葉に、みほは小首をかしげる。何故ここで俊作さんのことが出てくるのだろう、と。

 そんなみほに、まほは少し悪戯っぽく笑いかけた。

 

「てっきり私は、みほが母さんに彼を紹介しに来たんだと思ったんだがな」

「ふぇっ!?」

 

 想定していなかった姉からの言葉に、瞬時にみほの顔が赤くなる。

 その想定通りの妹の反応に、まほは「冗談だ」と笑って門の扉に手を掛けた。

 

「ほら、入るんだろう? おかえり、みほ」

「うー……もぅ。――ただいま、お姉ちゃん」

 

 まほの冗談に頬を膨らませるも、しかしそれも長続きはしない。

 優しく微笑まれて手招きを受けると、みほもまた同じように微笑んで、久しぶりの我が家へと足を踏み入れるのだった。

 

 

 

 

 

 勝手知ったる家の中を、まほの後をついて歩いていく。

 途中、ふすま越しにしほがまほに声をかけた時は心臓が止まるかと思ったみほだったが、まほはみほのことを「学校の友人」だと誤魔化した。しほとみほの複雑な胸中は、まほも当然わかっている。それゆえの配慮だった。

 それから実家での自室へと案内されたみほは、まほから書類を渡すように言われて素直に渡す。そのまま「待ってろ」と言われて部屋の中に佇んでいると、やがてまほは帰ってきた。

 その手に、母の名前と印鑑が押された書類を持って。

 

「お姉ちゃん、これ……!」

 

 母が書いてくれたとは思えない。ならこれは、まさかまほが代筆したもの?

 そんな驚きを込めて目を向ければ、そこには片目をつぶって指を口に当て、「しー」とそれ以上の言葉を止める姉の姿。

 葛藤の末に実家に帰ってきて、それでも母との微妙な関係に踏ん切りがつかないみほの心中を、まほは気遣ってくれたのだ。

 その気持ちが嬉しくて、みほは笑みを浮かべて「ありがとう」と返したのだった。

 

 

 

 ――それから、二人は部屋の中で幾らか話をした。

 みほが大洗での生活や何気ない日常の出来事を話せば、まほも黒森峰の今と戦車道でのチームの出来などについて話す。

 みほが友人と遊んだ事を話せば、まほはチームメイトの成長を話す。みほがボコの魅力について語れば、まほはぎこちなく頷いて賛同を示す。みほが戦車道の話をすれば、まほも戦車道の話をする。

 そこまで話して、突然みほは小さく噴き出した。まほの表情が困惑に変わる。

 

「どうした? 私は何かおかしなことを言ったか?」

「ううん。でもお姉ちゃん、戦車道の話しかしないんだもん」

 

 言われて、はっとなるまほである。

 これまでの会話の中で話したのは、黒森峰での戦車道活動のこと、チームの事、チームメイトの事ばかりだ。そのことを思い返し、まほはわざとらしく咳をした。その頬は僅かに赤い。

 

「し、仕方ないだろう。私にとって、もう戦車道は生活の一部なんだ」

「うん、わかってるよ。だから、お姉ちゃんらしいなぁって思って」

 

 みほの顔には穏やかな笑みがあった。自分がよく知る姉の姿と、見慣れた自分の部屋と。それらを前にして、みほは急速に家に帰ってきたんだなぁという気持ちを抱いていた。

 幼い頃、二人で泥まみれになるまで戦車と共に遊びに出かけた記憶を思い出す。黒森峰の頃にはそんなことを思い出す余裕もなかった。色々なしがらみを知った二人は、いつしかあの頃の二人のようには振る舞えなくなっていた。

 しかし、今は違う。ただただお互いを思いやって戦車を好きでいられた、あの頃。その時の気持ちが蘇り、みほは懐かしさと嬉しさがない交ぜになった不思議な気持ちに身を浸していた。

 

 しかしながら、みほがそんな気持ちでいることなどまほは知る由もない。まほにしてみれば、みほの柔らかく包み込むような微笑みは、子供を見守る母親のものであるかのように思えたのだ。

 しょうがないなぁお姉ちゃんは、と言われているかのようにすら感じる。それを気恥ずかしく思ったまほは、意趣返しのつもりで口を開いた。

 

「その、みほは変わったな。強くなったし、前よりもっと可愛くなった」

「ぇ、ええ!? そ、そんなこと……」

「それはやはり、か、彼氏が出来たからか?」

「ぇえっ!? い、いいいきなり何を言うの、お姉ちゃん!?」

 

 戦車道の天才にして、力強く他を圧倒する西住流の後継者。決して屈しない鋼のような精神を体現する、黒森峰の総隊長。西住まほ。

 そんな自慢の姉が、何やら興味を覗かせた顔で自身に迫ってきて質問をぶつけてきている現実に、みほは混乱していた。

 

「私だって、人並みに恋愛に興味はある。だが、周囲にそういった話題を振れる者がいなかっただけだ。この際だし、みほに聞いてみようと思ったんだ」

「き、聞くって、な、何を……?」

 

 恐る恐る問いかけると、まほはごくりと唾液を嚥下して勿体ぶる。

 一体何を聞かれるのかと、更にみほが戦々恐々としていると、いよいよまほの表情が真剣みを帯びて、その重い口が開かれた。

 

「……キスとは、レモンの味がするというのは本当なのか?」

 

 ――お姉ちゃーん!?

 

 あまりにも予想外のところから飛んできた質問に、みほは思わず叫びだしそうになった。

 今どき小学生でも信じていなさそうな定説である。それを疑ってはいるものの未だに信じていることにみほは驚きを隠せなかった。

 

 確かに自分たちは昔から戦車漬けの生活をしていたし、それは高校になってもそうだった。生まれた家のこともあり、同年代の子たちよりも様々な知識や経験が日常の中で足りない部分が出てくることも、これまでになかったわけではない。

 しかし、その辺りはみほの場合、漫画やテレビ、インターネットや雑誌などから自然と知識を獲得して世間一般での常識を身に付けていった。

 それが普通のことだろうし自然の流れだと思っていた。だから言わずとも、まほもそうだろうと意識することもないほどに漠然と思っていたのだが……。

 

 ――そういえば、お姉ちゃんって漫画読んでたっけ?

 

 ふと思い返せば、あまりそういったシーンを見たことはない。歴史書や戦車道の関連書を読んでいる姿は容易に思い出せるのだが……。

 となれば、読んでいたとしてもかなり頻度は少ない。そしてテレビやネットものめり込むほどに見ることはない、と言っていた。雑誌も、基本的に戦車道に関係するものが多く、漫画雑誌やファッション誌は読まなかったはずである。

 そこまで思い出して、みほはひょっとして、とついに疑いを持つ。自らの姉は、実はちょっと天然なのではないだろうか、と。

 

「えーっと、確かにファーストキスはレモン味っていうけど、特別、その……そうとは限らないよ?」

 

 とりあえず何か答えねば。そう思ったみほは、問いかけに対してそう答えた。

 誰も彼も同じ味なわけがないのは、理解できることだろう。みほがそう思った通り、まほはやはりそうかとばかりに納得気だった。

 

「それじゃあ、みほの場合はどうだったんだ?」

「えぇっ!?」

 

 まさかの返しに、動揺を露わにするみほ。

 しかし、まほにじっと見つめられて、みほは視線をあちこちに泳がせながらもその視線の圧力に耐えられなかった。

 

「わ、わたしは、その……えっと…………………………こ、コーヒー……かな?」

 

 みほはもう第三者がこの場にいれば、見ている事すら可哀想になるほどに真っ赤になってそう答えた。

 身内からいきなりこんなことを聞かれて答えなければならないなど、苦行でしかないのは当然である。

 ちなみに、コーヒー味なのは、直前に俊作が飲んでいたためだ。二人きりで俊作と話をしている最中、ふと互いの目が合って、何故か話は途切れ、無言となった時。どちらからともなく自然と、そうなっていたのだ。

 もちろん、みほにとってファーストキスであった。そんな懐かしくも嬉し恥ずかしい記憶を呼び起こされ、何だか顔が熱くなってきたみほである。

 

 対してまほはまほで彼女も少し恥ずかしそうに聞いていたが、同時に興味深そうに頷いてもいた。

 

「なるほど……。しかし、キスか……」

 

 神妙な顔で、キスか……とか言うの止めてほしい。みほは火照った顔を手うちわで冷ましながら、そんなことを思った。

 

「みほも、やることはやっていたんだな」

「その言い方はやめて!?」

 

 いささかならず誤解を招きかねない表現に、たまらずみほは待ったをかける。

 しかし、当のまほは首を傾げて不思議そうにするだけだった。

 

 ――うちの姉が純粋すぎて辛い。

 

 いつも頼りになる自慢の姉だが、この世に完璧な人間など存在しない。

 その普遍的な事実を再確認したみほなのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからも暫く話した後、気がつけば大洗へと帰る時間になっていた。

 みほは改めてまほに感謝を伝え、まほは「家族だろう、気にするな」と笑う。それにみほも頷いて笑い、西住の邸宅を後にしようとしたところで、まほから送っていくと提案される。

 それに甘えることにしたみほは、じゃあ駅まで、とお願いした。まほは頷くと、家の中にあったⅡ号戦車を動かして家の前につける。

 みほは早速中に乗り込み、それを確認したまほは駅に向かって戦車を発進させる。二人にとっては思い出深い地元の田んぼ道を、小刻みな振動に揺られながら二人は進んでいった。

 

「……懐かしいな、昔はこうしてよく遊びに行ったものだ」

 

 まほが運転しながらそんな言葉をこぼす。

 車内から顔を出していたみほは、その言葉を聞いて昔と変わらない故郷の景色に視線を向けた。

 

「……うん。懐かしいね」

 

 脳裏に去来する、幼い日々の記憶。まだ純粋に世の中の全てを楽しんでいられた頃の記憶だった。

 二人で遊んだ日々は、今でも掛け替えのない思い出だった。その情景を思い出しながら遠くの景色を見るみほの頬を風が撫でては通り過ぎていった。

 

「――大丈夫か? みほ」

 

 その時、ふとまほが問うたのは、とてもシンプルな言葉だった。

 けれど、その中に込められた意味は多種多様である。少なくともみほには、まほが様々な心配から発してくれた言葉であると、すぐに察せられていた。

 大洗女子学園の廃校問題、それに伴う転校、環境の変化。友人との別れ、これからへの不安。

 それらをひっくるめた上での、言葉だった。

 

「――うん、大丈夫」

 

 だからみほも、それらの意味を全て理解した上で答えを返す。

 そこに諦観や絶望はない。ただ真っ直ぐに未来を見る気持ちだけがあった。

 

 みほは、このまま大洗女子学園が終わるとは思っていなかった。きっと、あの人が終わらせない。そう戦車道チームの多くが思っていたのである。

 生徒会長、角谷杏。

 彼女が今、大洗の臨時宿舎にいないということこそが、希望を持つことへと繋がっていた。

 彼女が何をしているのか、誰も知らない。けれど杏のことを信じているのだ。きっと、あの人ならば何とかしてくれるだろうと。

 だから、みほは諦めない。きっと来るであろうチャンスのために、心から諦めるような真似はしないのである。

 どんな問題があろうと、そこにチャンスがあるのなら。その時に、きちんと全力で立ち向かえるように。

 みほは大洗女子学園の未来を諦めていないからこそ、そうまほに答えられるのだった。

 

「そうか……やっぱり強いな、みほは」

「そんなことないよ。ただわたしは、あそこで皆と一緒にいるのが、わたしの“やりたいこと”だから」

 

 だから、頑張った。だから、今も諦めない。言うなれば、これはみほの我が儘だった。

 けれど、いつか彼は言っていた。「やりたければやればよくて、やりたくないならやらなくていい」と。一見無責任な言葉だが、その判断をするにはまず“自分がどうしたいか”をはっきりさせていることが前提である。

 自分は一体何がしたいのか。それを考えた時、みほの頭に浮かんだのは大洗女子学園での、皆と過ごす時間だった。

 それがみほの正直な気持ちであり、望みである。それがわかったなら、あとはその未来を目指して信じ続けるだけだ。それがみほの“やりたいこと”だから。

 

 ――俊作さん、わたし頑張るから。

 

 いつも自分のことを応援してくれている大切な人。今回のことを、まるで自分の事のように怒り、悲しんで、悔しさを露わにしていた優しい人。

 俊作は大洗の人間ではない。だから当然、沙織、華、優花里、麻子、皆のように同じ場所で一緒に戦うというわけではない。

 けれど、みほは例え戦場に彼が立っていなくても、一緒に戦ってくれていると考えていた。自分と彼の気持ちが一緒で、二人が勝利を願っているのなら。それはきっと、一緒に戦っていると同義なのだと信じていた。

 俊作はその事を歯がゆく思っているかもしれないが、みほは同じ気持ちでいてくれることだけでも十分すぎた。負けるな、と願ってくれるだけで力になる。それは確かなのだから。

 

 そして、俊作は今、みほたちの置かれた状況に憤ってくれている。みほも同じ気持ちだ。

 だから、今もきっと自分たちは一緒に戦っているのだ。

 

 ――もしチャンスが本当にあるのなら、わたしは……。

 

 みほは広く澄み渡った蒼穹を見上げて、決意を新たにする。自らのやりたいことのために、戦うことを。

 

 

 

 

 

 そして、大洗にみほが戻って数日。ついに杏が彼女らの元に戻ってきた。

 その手に“大学選抜チームと対戦し、勝利すれば今度こそ廃校は撤回される”という、文部科学大臣、学園艦教育局局長、戦車道連盟理事長、大学戦車道連盟理事長、高校戦車道連盟理事長の名前が書かれた念書付きの確約を携えて。

 その知らせを受け取った全員が歓喜の声を上げる。大洗女子学園の存続は、まだ首の皮一枚で繋がっている。その現実を知って喜ばないわけがない。ようやく見えた希望に、誰もが興奮を露わにした。

 

 そしてそんな中。みほはついに明確になった目標をしっかりと見定めて、真っ直ぐ前を見て拳を強く握るのだった。

 

 

 

 

 




西住姉妹は最高なんだよなぁ(恍惚)

今回はみほが転校の書類のために帰省した時のお話でした。
姉妹の会話を書いてみましたが、まほさんがあんな感じなのは本作における私のイメージですので、あしからず。

そしてようやく大学選抜チームとの対戦が決まりました。
劇場版の後半戦に入りますね。

ちなみに最後に出てきた念書の方々ですが、大学戦車道連盟理事長は島田千代さん。愛里寿のお母さんですね。高校戦車道連盟理事長は西住しほさんです。
更に文科大臣含めたあれだけのお歴々に話を通した会長って、やっぱりすごいです。

それでは、次話もぜひともよろしくお願いします。

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