『戦車道で学校を守った少女たち裏切られる』
そんなタイトルのニュースがネットを駆け巡ったのは、エキシビジョンマッチが行われてから数日後のことであった。
戦車道ニュースWEBにて取り上げられたその内容は、大洗女子学園の廃校問題が再燃したことを知らせるものだ。
曰く『戦車道では全くの無名校であった大洗女子学園大躍進の原動力となったのは、ただひとつ。優勝すれば学校の廃校が撤回されるというそのことである』。
『ところがその約束は無慈悲にも反故にされた。文部科学省学園艦教育局は、その約束事を「口約束」であるという言いがかりにも似た大人げない大人の事情で、その約束をなかったことにした』と綴られている。
そして、その後には『世界大会誘致やプロリーグに予算を増額して力を入れると言いながら、筋の通らない横暴』『当然、学生や一般市民からは怒りの声が上がっている』『これではどこからも信用を得ることはできない』『そんな中での世界大会など暴挙、世界に恥を晒す大会になるだろう』と辛辣な文章が続いている。
俊作は、その記事を読みながら、歯を強く噛みしめた。
エキシビジョンマッチが終わったその日の夜。みほから聞いたその衝撃的な話。こうして他者の手で文章に起こされているのを見ると、改めて間違いのない事実であることを強く認識する。
――俊作さん……わたしたち、頑張ったよね?
まるで縋るように呟かれたその言葉に、俊作は勢い込んで「もちろんだ!」と返した。みほたちの姿がどれだけ力強く、多くの人に影響を与えたか。どれだけ素晴らしい試合だったか。その思いがどれだけ貴かったか。
俊作はそれらを一つ一つみほに訴えていった。
けれど、彼にもわかっていた。どれだけ俊作がみほたちの努力と功績を讃えたところで、それは何の意味もないのだと。この現実を変える力にはなり得ないのだという事を。
しかしそれでも、虚しい事だとわかっていても、俊作はみほを慰めるために言葉にし続けた。
みほの涙を見たくなかった。悲しんでほしくなかった。そして自分たちが成し遂げたことを、無意味なことだったのだと思ってほしくはなかったのだ。他ならぬ彼女には。
それから、みほは少しだけ笑みを滲ませた声で「ありがとう、俊作さん」と返した。しかし、俊作は今にも叫びだしそうな気持ちで一杯だった。
みほが無理をしているのは間違いない。そんなこと、わかっているのに。
わかっているのに、それをどうにかしてやれる力が自分にない。その事実が、俊作には情けなくてたまらなかった。
「わたし、引っ越しの続きをしなきゃ」と幾つかの会話の後にそう言って、みほとの電話は終わる。
その瞬間、俊作は携帯をベッドに放ると、思い切り拳を床に叩きつけた。
「――くッ!」
下から苦情が来るかもしれないが、今はただ身の内に荒れ狂う激情を少しでも逃がすことが先決だった。
こんなことがあるか。彼女たちがどれだけ努力したと思っている。何もかもない状態から、手探りで進んでいくことが、どれだけ大変だったと思っている。決して通常であれば敵わない相手と目標、逃げてはいけない重圧、それでも彼女たちはやってのけたというのに。
――その決意を、想いを、その結果の喜びと幸せを、一体なんだと思っているんだ!
俊作はただ行き場のない怒りに身を震わせる。
しかし、何よりも。
何をしてでもこの結果を覆したいと思いながらも、決して自分にはそれをする力がない事こそが、一番俊作には堪えていた。
「……ちくしょうっ……」
ただの整備士であり、特別なツテなどない俊作に出来ることはあまりに少ない。
それが何よりも悔しくて、惨めだった。
*
みほたちがその事実を知らされたのは、エキシビジョンマッチが終わり、いざ大洗学園へと帰って来た時だ。
試合後、慰安と選手同士の親睦を兼ねたお風呂での交流の後。それぞれがそれぞれの学園艦へと戻っていった。その際、やけに大洗の学園艦の周囲に大型のトラックが多いことを不思議に思いはしたが、あまり気に留めることはなかった。
そしていざ学園に戻ってみれば、校門は封鎖。明かりは消え、町を見ても出歩いている人間は極端にいない。
これは一体どういう事なのだろう。疑問を抱く彼女たちの前に現れた一人の男、固めた髪に眼鏡と背広というビジネスマンのテンプレートのような格好をした男が、訳知り顔で立っていた。
どういうことかと問うも、その男は答えず、代わりにその背後にいた角谷杏から答えはもたらされた。
お風呂で和んでいる時、突然呼び出しを受けて先に退出していた杏。その彼女が誰よりも先に知らされた情報は、あまりにも彼女たちにとっては酷な内容だった。
――大洗女子学園、廃校の決定。
それを聞いて、誰もが呆然としたのは致し方がない事だろう。なにせ、彼女たちはそれを撤回するために全国大会に出場し、優勝したのだから。
当然、杏に質問をぶつけた。優勝すれば、それはなかったことになる筈だったんじゃ、と。
それに対して、杏は感情を押し殺したような顔で一言。
「……口約束は、約束ではないそうだ」
「そんな……!」
あまりの暴論に絶句する。それは、あんまりではないのか。
あの眼鏡の男。学園艦教育局の役人は、そう唐突に告げたのだという。しかも、既に引越しの手配は始まっており、学園艦の解体に関しても業者と話が進んでいると。
八月いっぱい、新学期を迎えることなく大洗女子学園は廃校。これは決定事項であり、もし反対するようならば大洗の学園艦に暮らす全ての人々の再就職は斡旋しない、と。
そんな、ご丁寧な脅しまでつけられた決定だった。
はじめは納得できないと騒いだ面々も、町の人たちを引き合いに出されては強く言うことも出来なかった。自分たちの我が儘で、全ての人の生活を狂わせるわけにはいかないからだ。
誰もが下を向いた。肩を震わせ、胸の内にどうしようもない感情を渦巻かせた。
大人たちの事情で、あれだけ必死に守った学校はなくなってしまう。頑張った事実すら、軽んじられて。
そのことを悔しく思わないわけがない。
しかし、現実問題として彼女たちに出来ることは何もなく。生徒会メンバーによる指示の下、彼女たちはそれぞれ荷物を纏めて家族と話すために解散したのだった。
みほが俊作に電話したのは、そうして部屋の整理に区切りがついた時だった。
あれだけ帰ったらすぐに話そうと思っていたのに、今の今まで忘れていたことにみほは驚いた。それだけ杏の口からもたらされた事実が衝撃だったのだ。
(俊作さん……)
携帯電話を取り出し、押し慣れた手順でボタンを押す。微かに震える手で携帯電話を握り直し、みほは耳に当てた。
『もしもし、みほちゃん?』
その声には、どこか明るい調子があった。きっと試合を見て、みほがどんな気持ちでいるのかを正確に察してくれていたからだろう。
確かに、みほは負けたとしても笑っていたに違いない。それをわかっているから、俊作の声も明るいのだ。
楽しくて嬉しかった気持ちを隠すことなく、俊作と笑い合えただろう。あんなことがなければ。
悔しい。
そう強くみほは思った。
自分の戦う姿を見て、これだけ感情を露わに喜んでくれる人がいるのに。
その喜びに「わたし頑張ったよ!」と胸を張って応えたいのに。
応援してくれてありがとう、と言いたいのに。
今のみほでは、心からそう言うことが出来ない。そのことがたまらなく悔しかった。
「……っ、俊作さん……あ、あのね……」
その気持ちが溢れて、声が上擦る。
きっと心配させてしまう。そうさせてしまうこともまた、悔しかった。
『……何があったの?』
俊作の声が真剣みを帯び、気遣うような色を持つ。
ああ、やっぱりこの人は優しいから。
そう改めて思った瞬間。みほはもう感情をこらえることはできなかった。
涙交じりに、自分が今置かれている状況を話す。何故こうなったのか、自分たちがしてきたことは一体なんだったのか。疑問が尽きることはない。
頑張ったつもりだった。そして結果を出したつもりだった。けれど、その結末がこれでは、一体これまでのことは何だったというのか。
その気持ちが、つい口をつく。
「……俊作さん。わたしたち……頑張ったよね?」
『もっ――! もちろんだよ! 誰が何と言おうと、みほちゃんも、大洗の皆も、精一杯に一生懸命に戦っていたじゃないか! それを否定することは、誰にもできないよ!』
それから、俊作はいかにみほが頑張っていたかをまくし立てた。黒森峰にいた頃から、大洗に転校して、それから全国大会に出場して、勝ち進んで優勝するまで。その全てを、俊作は見てきた。
直接ではない。けれど、たとえ離れたところにいようとも、みほたちの頑張りは一試合でも見れば伝わってくる。それが嘘であるはずがない、と。
俊作の言葉には熱があった。心の底からそう思っていると確信させられる、そんな熱だ。
みほは、それが嬉しかった。この人は例えどんな状況になっても絶対に自分のことを見ていてくれる。改めてそのことを感じさせられて、そのありがたみと幸福に胸の奥が温かくなる。
「……ありがとう、俊作さん」
『そんな……お礼なんて。僕には、みほちゃんが苦しんでいても、何も出来ない。こうして話すぐらいしか……――悔しいよ』
みほは苦渋を滲ませる声に、小さく首を振った。
「そんなこと、ないよ。わたし、すごく嬉しかった。わたしたちの頑張りは、やっぱり無駄じゃなかったんだって思えたから」
『みほちゃん……』
「だから、ありがとう俊作さん。話を聞いてくれて」
『そんな、そんなこと……』
「大丈夫、しばらくは新しい生活に慣れなきゃいけないから大変だけど、頑張るから。――あ、まだ引っ越しの続きをしなきゃ。それじゃあ……またね」
『……うん。またね、みほちゃん』
「うん」
携帯電話を耳から離し、通話を切る。
折りたたんでそれを制服のポケットにしまうと、そのままみほは立ち上がった。
荷物をまとめた段ボール箱の山。それらの横を抜けて玄関の扉を開けて外に出る。
向かう先は、学校だ。
役人によれば、自分たちの戦車はどこかに売られることになるという。この機会を逃せば、もうその姿を見ることはないだろう。
みほにとって、戦車は相棒であり大切なチームメイトでもあった。自分たちを語る上で、あの子たちの存在を欠かすことはできない。
俊作と話して改めてそのことを強く思ったみほは、学園に向かって走った。最後になるかもしれない戦車との時間を過ごすために。
そう思ったのは自分だけではない。辿り着いた先――学園の倉庫に戦車道チームのメンバー全員が集まっているのを見たみほは、そのことを知る。
そして、仲間たち全員が同じ気持ちでいたことが嬉しくて、みほは破顔してその輪に加わるのだった。
*
現在。
みほたち大洗の面々は戦車を移動手段としつつどうにか生活していると俊作は聞いていた。
売られるはずであった戦車が手元にあるのは、生徒会の面々が機転を利かせ、「いつの間にか紛失してました」という遺失物として書類を通したからだそうだ。実際にはサンダース校の協力で逃がすことに成功し、現在はそれを返してもらったのだという。
あんなデカい物どうやって紛失するんだって話だが、そこは野暮ってものだろう。俊作としても、彼女たちの一部ともいうべき戦車が無事であったことは喜ばしい事だった。
そして、みほたちは学園艦から大洗の町に降り、町内にある古い宿舎に泊まっているのだという。それぞれの転校先が整うまでの仮宿だそうだ。
そこで彼女たちは戻ってきた戦車を生活に利用しつつ暮らしているというわけだ。買い物の際には戦車を使うとか。戦車でコンビニに乗りつけるなど、なんともシュールな光景である。
しかし、何とか今はやっていけているということに、俊作はほっとしていた。
それならすぐさま彼女たちがどうにかなるということはなさそうだからだ。
しかし、いつまでもそのままではいられないだろう。いずれ、それぞれが転校していき別れていくはずだ。
きっとそれは、彼女たちの誰も望んでいないことだ。けれど、どうしようもないから受け入れているだけ。
それはあんまりだろう。それが俊作の偽らざる気持ちだ。
だからこそ、俊作は藁にもすがる思いで行動する。何が出来るかなどわからないが、それでも何か出来ることがないか探すことを止めたくはなかった。
その思いから、いま俊作はかつて自分が通っていた大学のキャンパスにいた。
何度となく昼食をとったり時間を潰したサロンの、テラス席。そこに腰を下ろしている俊作は、腕時計に視線を落とした。
彼は今、ここで待ち合わせをしているのだった。それは、自分には何も思いつかなくても、戦車道に詳しい者であれば違うかもしれないと考えたからだ。
こつこつ、と靴音が徐々に近づいてくる。その音が俊作のすぐ目の前で止まると、椅子を引いて靴音の主が向かい席に腰を下ろした。
俊作は座った人物を見た。最近はあまり顔を合わせていなかった、しかしゼミや講義を通じて友人となった後輩の姿がそこにあった。
「急に呼び出してごめんな、アズミ」
「いいんですよ。お久しぶりです、久東先輩」
ふわりとした茶色のミディアムヘアーを掻き上げつつ、戦車道大学選抜チームに所属する俊作の後輩――アズミはにこりと微笑んだ。
みぽりんは可愛い。OK?
今回は短く、ストーリーもあまり進んでおりません。
というよりは動きがないお話となります。
大洗女子学園に何があったのか、という周辺の状況説明が主となっております。
何はともあれ、劇場版を見た人間なら誰もが思ったであろうことです。
あの役人クズやん……と。
あまり人を貶めたくはないですが、あれはさすがに酷いですよね。
ちなみにニュース記事の中では、教育局と解体業者などとの癒着の疑いも掲載されていました。そんな疑いもある程もともと不透明であったのに、これではどこからも信用されない、という形で。
何はともあれ、大洗女子学園廃校の危機再びです。
これにどう関わっていくのか、またぜひとも目を通していただければ幸いでございます。