西住みほの恋物語   作:葦束良日

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西住みほの恋物語・あふたー4

 

 

 その日、西住みほは朝から上機嫌だった。

 

 

「フーンフーフフーン、フフーン――♪」

 

 満面の笑みで小気味よくパンツァーリートを口ずさむみほの姿は、普段の彼女を知っていれば驚く他ないほどに浮かれている。

 机に座り、教科書と筆記具を鞄から取り出している間もその様子が変わることはなく、クラスメイトたちはそれぞれ困惑して互いに顔を見合わせた。

 そして、やがて彼女たちの視線は一点に収束する。視線の先にいるのは、沙織と華。みほと同じく戦車道を履修して同じ戦車に乗るチームメイトであり、同時に親友と言ってよいほどに親しい二人だった。

 

 クラスメイト達の視線は、「どうして機嫌がいいのか聞いて!」と雄弁に語っていた。複数のそんな眼差しに晒された沙織と華は、自分で聞いてみればいいのにと思いながらも頷いて、みほへと近づく。

 沙織と華も、あんなに喜びを露わにするみほを見ることはなかなかない。二人もその理由は気になっていたのだ。

 

「おはよう、みぽりん」

「おはようございます、みほさん」

 

 まずは無難に朝の挨拶。すると、みほは顔を上げてぱっと笑顔を見せる。

 

「おはよう! 沙織さん、華さん!」

 

 向けられた笑顔に、おおぅ、と沙織が僅かに後ずさる。輝くような笑顔に、まるで目が眩んだかのような錯覚を覚えたからだった。

 その横で、華が淑やかに片手を頬に当てながらみほに問いかける。

 

「みほさん、今日はご機嫌ですね。何かいい事があったのですか?」

 

 華の口からその疑問が出された瞬間、教室中の生徒たちが耳を一斉にみほたちのほうに向ける。

 全員がその口から出てくる言葉に注目しているとは知らず、みほは喜びの感情そのままに口を開いた。

 

「えへへ、実はそうなんだ。明日、大洗に寄港するでしょ?」

「ええ。エキシビジョンマッチも、もうすぐですからね」

 

 既に、大洗女子学園の全国大会優勝を記念するエキシビジョンマッチまであと数日と迫っていた。開催地である大洗では着実に準備が整えられていたが、既にほぼその準備は終わり、あとは他校を迎えるだけになっているという。

 大洗女子学園は主催地の学校として、大洗町でそれらの準備を行ってくれた人たちを労うために一足早く現地入りすることになっているのだった。

 

 その日が明日。華も沙織も当然ながら、この学園の生徒全員がすでにその事は知らされていた。

 では、久しぶりに陸地の上にしかない大型のショッピングモールに行き、ショッピングできるのが嬉しいのだろうか?

 

 クラスメイト達が自分に当てはめてそう考えたその時。

 笑顔のまま口に出された理由は別のものだった。

 

「実は俊作さんも今、大洗の整備士宿舎にいるんだって! 明日、一緒にいようって約束したんだ!」

 

 俊作とは、みほの彼氏である久東俊作のことである。沙織と華はもちろん知っているし、俊作のことは知らなくても、みほに彼氏がいるという事はクラスでも周知の事実であった(普段の会話の中から察せられたため)。

 ちなみに、その名の通りに女子校である大洗女子学園では彼氏持ちの生徒は極端に少ない。たとえば戦車道チームにおいても現在彼氏持ちなのはみほだけであり、このクラスにおいてもそうであった。

 

 みほが喜んでいる理由を語った瞬間、クラスメイトたちは「そういえば西住さん、彼氏いたねー」と和やかに会話しながら納得した様子を見せた。

 が、中には「ちっ」とか「彼氏、ほしいなぁ……」とか「私いるし。画面の中に」などとこぼす者もちらほら。その表情に浮かぶのが嫉妬と羨望と諦めであるのは言わずもがな。

 ちなみに舌打ちをした少女は友人に肩を軽く叩かれて慰められていた。

 

 なお、一番羨んだ顔をしていたのは華の隣にいる沙織である。

 

「まぁ。それはみほさんが笑顔になるはずですね」

「わ、わかっちゃいますか? 華さん」

「ええ、もちろん」

 

 そりゃ鼻歌まで歌っちゃってたしねぇ、とクラスメイトは心の中で思ったが、口に出さないのは恥ずかしがり屋のみほを思っての優しさであった。

 そんなクラスメイト達の視線が実は集中している中で、それに気がついていないみほは、はぁと溜め息をこぼして少しだけ天井を見上げた。

 

「早く明日にならないかなぁ……」

 

 本当に待ち遠しそうにそう呟いたみほに、華と沙織は顔を見合わせて苦笑する。

 これから大洗と知波単のチームは聖グロとプラウダのチームと戦うのだ。優勝校としては挑戦を受ける側になるのだろうが、そんな気持ちは誰にも更々なかった。こちらが挑戦する気持ちで戦わなければ、きっと勝てないだろう。

 かつてのように大洗女子学園の存亡がかかっているというわけではないが、それでもやはりやるからには勝ちたい。そのためには、みほの力が不可欠である。

 であるから、せめてこの数日ぐらいはリフレッシュしてもらいたい。二人は頼りになる隊長の緩んだ笑みを見て、そう考えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 しかし、翌日。

 朝一番にかかってきた電話に出たみほは、予定変更を余儀なくされた。

 

「えっ……風邪?」

『うん。ちょっとその、油断しちゃってね。ごほっ、はは、見事に風邪をひきました』

「わ、笑い事じゃないよ。……大丈夫?」

『そこまで心配するようなほどじゃないよ。37.8度。ただ、外に出るのは厳しいから、今日は一緒に出掛けられないと思う』

「……うん、残念だけど、しょうがないね」

『ごめんね。ごほっ、この埋め合わせは絶対にするから』

「ううん、気にしないで。体を温かくして、ゆっくりしてね」

『うん。ありがとう』

 

 それから二言三言、短く言葉を交わし合って、みほは携帯電話から耳を離した。

 

 大きな溜め息がついその口から漏れる。

 

 みほは本当にこの日を楽しみにしていたのだ。普段、他の学園艦に長時間勤務しては移動を繰り返す俊作と、大洗女子学園で勉学に励むみほ。二人が会える日はそう多くはない。

 であるからこそ、たまたま二人が同じ場所に揃ったこの日はみほにとっては待ち望んだ日だった。もちろん俊作にとってもそれは同じであった。

 しかし、まさか俊作が体調を崩してしまうとは。こういう時、みほは学生である自分が少し煩わしくなる。自分も社会人なら、もっと自由な時間が取れて、会いに行けるのにと思ってしまうのだ。

 ともあれ、風邪を引いてしまったのなら仕方がない。みほは学生寮の自室の中、既に着替えた私服のままベッドの縁にぽすんと腰を下ろした。

 

「……大丈夫かなぁ、俊作さん」

 

 ぽっかり時間が空いてしまったみほだが、頭に浮かぶのは結局俊作のことしかなかった。

 風邪を引いて寝込んでいる彼のことを考えると、きゅっと胸が締め付けられる。何か出来ることはないかなと考えてしまう。

 

 しばらくそのままぼーっと天井を見つめていたみほは、やがてその視線を下ろして正面のテレビの横に置かれたボコのぬいぐるみを見つめる。

 ボコと無言で見つめ合ったみほは、やがて「よし」と呟くと立ち上がるのだった。

 

 

 

 

 

 その頃、俊作は学園艦の整備士たちに割り当てられた宿舎の一室にて分厚い布団をかぶってベッドの上に寝転がっていた。

 一人一部屋が許されているため、俊作は好きにこの一室を使っていた。テーブルの上には読みかけの雑誌や飲みかけの水が入ったコップが置きっぱなしになっている。これもどうせ自分一人しかいないから、という開放感からくる不精であった。

 しかし今、そんな俊作の部屋には彼以外にも一人、人の姿があった。

 

「あーあー、次の日が楽しみすぎて当日風邪ひくとか。遠足前の小学生じゃねぇんだから」

「ごほっ……う、うるさいな」

 

 布団から顔を出して、俊作は半目でその声の主を睨む。

 そこには、呆れたような顔で床に伏せる彼を見下ろす同僚の姿があった。

 その同僚は、テーブルの上に広げられたままになっている雑誌を一瞥する。開かれたページには、大洗女子学園の全国大会優勝を称える内容と、その記念として開催されるエキシビジョンマッチの紹介が載っていた。

 彼はおもむろにその雑誌を手に取って、俊作の前で掲げてみせた。

 

「せっかくエキシビジョンマッチの時期と被って大洗に来れたんだ。これで試合を見逃したらお前、一生悔やむぞ!」

「ごほ、ごほ。まぁ、お前ならそうだろうなぁ」

 

 勢い込んで言う友人に、俊作はしみじみと返した。

 目の前の同僚は何を隠そう、戦車道のファンだった。男性においてはなかなか珍しい趣味であるといえる。

 しかし、だからこそ彼と俊作は意気投合したのだった。みほの影響で、それまでさして興味がなかった戦車道にハマっていた俊作は、整備士仲間の中に戦車道のファンがいると知って大いに喜んだ。

 それは向こうにとっても同じようで、これまで同性で詳しく戦車道について語り合える存在はいなかったのだという。

 結果、二人は急速に仲良くなり、今ではすっかり気心の知れた仲となってしまっていたのだった。

 少なくとも、こうして看病に来てくれるほどには仲良くなっていた。

 

「ったく、しょうがねえな。とりあえず薬と飯だな。今日は医者はやってねえし、市販で両方とも何か買ってくるわ」

「あー……悪い」

「気にすんな。にしても、彼女と会えるってだけで風邪ひくぐらいに舞い上がるとは、純だねぇ」

「ぐ……」

 

 実際、舞い上がっていたのは事実なので俊作は思わず言葉に詰まった。

 

「どうせ今日の夜は燃え上がる予定だったんだろうが、ま、残念だったな」

 

 そう言って下世話に笑う同僚に、俊作はたっぷりの苦悩と苦々しさを織り交ぜた顔になった。

 

「……そんなわけないだろ。相手は高校生だぞ」

 

 言ってから、俊作はしまったと思った。風邪でつい意識が弱くなってしまっていたらしい。普段であれば口にしないであろうことを口走ってしまったのだから。

 案の定、目の前の友人の顔が驚愕に染まる。そして玄関へ向かおうとしていた体を反転させて、ベッドまで戻ってきた。

 

「は、え、マジ? お前、高校生と付き合ってるの?」

「……まぁ、そうなる、かな」

 

 出てしまった言葉はもう呑み込めない。渋々ながら俊作はその問いかけを認めるしかなかった。

 頷くと、彼は「そりゃ今まで教えてくれないわけだ」と納得したように肩をすくめていた。

 

 一応はもう成人して社会に出ている大人が、未成年の学生とそういう関係になっている。それに対して純粋な愛情ゆえだと理解してくれる者は世の中に多くない。邪推する者も当然いるだろう。

 それがわかっているから、俊作は今まで彼女の関係者で彼女が知る人間以外に自分との関係を明かしたことはなかった。それは余計なところからの干渉を彼が嫌ったからであった。

 

 俊作のそんな心情を理解したのだろう、今まで教えてくれなかった恋人の情報を聞いた彼は、「安心しろ、言わねぇから」と約束をしてくれる。俊作はそれに、「悪い、助かる」と返してほっと安堵するのだった。

 

「さて、と。ちょっと衝撃の情報はあったが、とりあえず薬と飯買って来るわ。試合までには治してくれなきゃな。一緒に見る奴がいないのはつまらねぇし」

「ありがとう、頼む」

 

 改めて俊作が感謝をすれば、相手はひらひらと手を振って玄関へと向かう。

 

 それと同時に、ピンポーンと来客を告げる電子音が部屋の中に鳴り響いた。

 

 何か荷物でも届いたのだろうか。覚えがない俊作であったが、誰かが来た以上は出迎えなければなるまい。そう思ってベッドから降りようとする俊作を、目の前に突き出された手が止めた。

 

「いいって。俺が出とくよ」

「悪い」

 

 言って、彼はそのまま玄関に向かっていく。

 そして「はいはい、どちらさ――……ま?」という何とも珍妙なお迎えの言葉と共に誰かと応対していた。

 何かあったようだと思った俊作は、だるい体を押してベッドから降りると彼の後を沿うようにして玄関へ向かう。

 扉を開けたまま固まっている彼の後ろから顔を覗かせる。そして、俊作もまたその来訪者を見て驚いた。

 

「あ……よ、よかった。ここ、俊作さんのお部屋って聞いてたのに、違う人が出てきたから……」

 

 視線の先で、大人しめのワンピースとカーディガンに身を包んだ少女があからさまに胸を撫で下ろす仕草を見せる。

 

「みほちゃん……?」

 

 名前を呼ばれ、みほは手に持ったバケットを胸元で掲げながら、はにかんだように笑った。

 

「風邪をひいてるなら苦しいかな、って思って……その……き、来ちゃった」

 

 どことなく申し訳なさそうに微笑んで言う姿は、あまりに俊作が知るみほそのもので、目の前にいるのが当人であると実感する。

 そのとき、俊作の心にまず生まれたものは安心感であった。次いで嬉しさ、その次に感謝の気持ちが生まれ、俊作の心がみほへの気持ちで満たされていく。

 風邪を移す可能性や世間体を考えるなら喜んではいけないのだろうが、心に嘘はつけなかった。弱っているところにこれは卑怯だ、と俊作ははにかむみほに手を伸ばした。

 

「わ、わっ」

 

 その頭を撫でてから、俊作は「ありがとう」とまずは告げた。

 

「来てくれて嬉しいよ」

「ほ、本当? うん、ならよかった」

 

 えへへ、と照れ臭そうに笑うみほは問答無用で可愛かった。俊作はこみ上げる気持ちを誤魔化すように、こほんと咳払いをする。

 それを体調不良による咳だと思ったのか、みほの表情が僅かに陰る。

 

「大丈夫? あ、中に入らせてもらってもいい?」

「え? あ、うん……」

 

 つい了承の返事をした俊作の隣に立ち、「お邪魔します」と言いながら靴を脱ぎ始めるみほ。それを見て、俊作は追い返すのも何だし、と言い訳をしてみほを部屋の中へと招待することを決める。

 とりあえずは、と固まったままでいる友人の肩を強めに小突いてから、俊作はみほを連れて部屋の中へと戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

 その後、我を取り戻した友人は「なんで西住みほ選手がここに!」とか「お前の彼女って西住選手かよ!」と散々騒いだ。高校戦車道も勿論チェックしていた彼は、当然みほのことも知っていたのだ。

 「ファンです!」と困惑するみほの前で宣言していた彼だったが、その後何か質問をするでもなく、「あとで話を聞かせろよ!」とだけ言い残して帰っていった。

 色々と話したい事や聞きたい事があっただろうことは俊作にもわかる。それでも、久しぶりに彼女に会う俊作の事を考えてくれたのだ。つまりは気を使ってくれたのだろう。そのあたり、本当にいい奴であると思う俊作であった。

 

「えっと……俊作さんのお友達、だよね?」

「うん。戦車道のファンでね。それで話が合ったんだ」

 

 馴れ初めと言うほどでもない友人との出会いを語れば、みほは嬉しそうにそうなんだと頷いた。

 戦車道はかつて茶道・華道と並ぶ淑女の嗜みであり、ステータスであった。しかし、それも今は昔。今でも両者と並び称されはするが、その実態は比べるべくも無く落ち込んでいた。

 競技人口は減り、認知度も下がり、名ばかりの武道となっていたのは間違いない。

 まして、男子にとってともなれば言わずもがな。関心を示す者は稀であった。

 であるから、みほは一人の戦車道を愛する者として、こうして男の人でも戦車道を好きでいてくれる人が居る事が嬉しいのだった。

 

「ほら、俊作さんは寝てて。無理をしちゃダメだからね」

「あー、うん。了解」

 

 ベッドを指差して促され、俊作は若干重い足取りでベッドの中へと戻っていく。単に体調が悪いだけではなく、彼としては家主としてみほを持て成したかった。その気持ちが動作を鈍らせているのだ。

 しかし、それで無理をして心配をかけては本末転倒。それがわかるから、俊作は大人しくベッドに横になるのだった。

 横になった俊作を確認したみほは、よし、と満足そうに笑う。そしてふと落とした視線がテーブルの上に広げられたままになっている雑誌に向かい、「わっ」と焦りの声が飛び出した。

 俊作はその視線を追って、みほの反応に納得する。彼女が見たページは、彼女へのインタビューが掲載されたページだったからだ。

 俊作は小さく笑う。

 

「普段はあまり雑誌は買わないんだけどね。こればっかりは迷わず買ったよ」

「うー……恥ずかしい。なんだかわたし、偉そうなこと言っちゃってるし……」

 

 みほは熱くなった頬を冷まそうと、両手を頬に当てていた。

 偉そう、という言葉を聴いて、俊作はベッドから僅かに身を乗り出してテーブルの雑誌を指先で引き寄せた。

 

「えーっと、ああ、これとか? 『わたしには出来る確信がありました』って。記事の小見出しに書かれてるやつ」

 

 確かに偉そうともとれるが、これはあくまで一部を抜き出してピックアップしたからだ。インタビュー記事で該当部分を読むと、『全員が同じ目的に向かって、一生懸命でした。わたしたちの学校をなくしちゃいけない、って必死でした。そのことを知っているから、わたしには出来る確信がありました』となる。

 このあたり、いかに一目で読者を引き込むかに重きを置く編集ならではといえるだろう。まぁ、悪意ある編集といえるほど酷くはないので、ある程度は仕方がないのかもしれない。

 

「まぁ、みほちゃんは実際に偉い立場だったんだから。ね、西住隊長?」

「や、やめてよぉ、もう」

 

 からかい混じりに俊作が言えば、みほはくすぐったそうに体を揺らして困ったような顔になる。

 みほとしては、あくまで全員で勝ち取った結果であると思っているから、こうして自分だけが評価されることに抵抗がある。そのうえ、本人が前に出たがらない性格なので、過度に持ち上げられると恐縮してしまうのだった。

 尤も、俊作はそれを知っていてからかっているのだが。けれどまぁ、何事もやりすぎはよくない。このあたりで勘弁してあげようじゃないか、と気を抜いたところで。

 

「ごほっ、ごほっ」

 

 体が思い出したように不調を訴え始める。つい、みほが傍にいることで無意識に強がってしまっていたようだ。

 気を抜いた途端にこれとは。自分の体のことながらもどかしく思う俊作であった。

 

「ほ、ほら、無理はしないで。ちゃんと横になって」

「あ、うん」

 

 大人しく従い、枕に頭を預ける。きちんとした体勢で布団に入っただけで、なんだか楽になった気がする。それだけ日ごろの疲れが溜まっていたのかもしれない、そんなことを思った。

 

 取り留めもない思考に意識が傾き、徐々に眠気に襲われてぼうっとしかけてきた時。ふと、額に触れるひんやりとした感触に、俊作の意識は半覚醒してその感触の元を目で辿る。

 それは、自分の額に乗せられたみほの手であった。

 

「んー……熱は、そんなに高くないかな?」

 

 どうやら、みほは手を額に当てることで自分の体温を確かめているらしい。

 そう判断した俊作は、重たくなってきた意識に逆らうようにして瞼に力をこめた。

 額に乗せられていた手をそっと掴む。

 

「あっ、ごめんね。ちょっと今の体温だけ確認したくて……」

 

 うつらうつらしていた俊作を見ていたからか、みほは自分の失敗を詫びた。

 対して、俊作は胡乱な思考のまま口を開いた。

 

「……なら、手よりも額のほうがわかるかも……」

「え……――きゃあっ!?」

 

 俊作に軽く手首を引かれ、それを予期していなかったみほの体勢が簡単に崩れる。

 掛布団を挟んで俊作の上に倒れ込んだみほは、手首を掴まれたまま身をよじらせた。

 

「し、しゅ、俊作さん!?」

「……額で測ってくれないの?」

 

 驚きと焦りと恥ずかしさとで赤くなっていたみほだったが、その言葉を受けて更にその色が濃くなる。

 重なり合った体勢のまま、身をよじるのを止めたみほは、存外近くにあった俊作の顔をじっと見つめる。

 もともと内気なみほにとっては刺激が強すぎる現状に、顔に集まる熱は収まるところを知らない。心臓がどきどきとなる五月蠅い音を聞きながら、恥ずかしさのあまり潤み始めた瞳を俊作に向けて、みほは僅かに上体をその顔に近づけていった。

 瞼を震わせながら目を細め、徐々にお互いの顔が近づいていく。ゆっくり、しかし着実に。自分からそうしているという事が、みほは自分でも信じられなかった。

 しかし、そんな思考はすぐに意識の外に追いやられる。みほはまるで吸い寄せられるように俊作の顔へと自身のそれを近づけていき――。

 

 ――やがて、互いの額は軽くこつんと合わさった。

 

「……どう?」

 

 俊作が問いかける。

 その吐息がみほの長い睫毛を震わせた。

 

「……ぁ……、――っ!」

 

 瞬間、今お互いの状況がいかに危なげなものであるかをみほは認識してしまう。一気に耳まで真っ赤になったみほは、勢いよく顔を上げて転がるようにベッドの脇に降りると、体を丸めて座り込むのだった。

 自身に背を向けて座る恋人に、横になったまま俊作は顔を向けた。

 

「……どうだった? 熱はあった?」

 

 それは意地の悪い質問だった。俊作自身、そのことは自覚していた。

 しかし、みほの可愛らしく恥ずかしがる姿を見て、つい聞きたくなってしまったのだった。

 その声音にあるからかい混じりの空気を感じ取ったのだろう。くるりと俊作に振り返ったみほは、林檎のような顔で半泣きになりながら、俊作に怒った。

 

「――ぅう、ば、ばかぁっ!」

 

 残念ながら、迫力はあまりなかったが。

 それを受けて、ごめんごめん、と謝りながら、もう一度枕に頭を預ける俊作であった。

 

 

 

 

 

「――ん……」

 

 ふと、目を覚ます。そして、それによって初めて俊作は自分が眠っていたことに気がついた。

 体にあった気怠さはだいぶなくなっている。視線を窓に移せば、まだ日は出ていて空も赤くはない。時計を見れば、午後の四時。記憶にある時間がお昼前であったことを考えれば、随分と長く寝てしまっていたようだった。

 

「あ、起きた?」

 

 かけられた声に、その声の主の姿を探す。

 目だけを動かして見た先には、本を読んでいたらしいみほがベッド傍のテーブルの前に座って俊作のことを見ていた。

 本を閉じて、テーブルの上に置く。そしてベッドの横で膝立ちになると、微笑んだ。

 

「体は? 大丈夫?」

「……ああ、うん。だいぶ楽になったみたいだ」

「よかった」

 

 そう、心底嬉しそうに笑う姿に、俊作の心はギュッと締め付けられた。

 そして衝動的に、手を伸ばしかけた。

 手を伸ばして、肩を掴み、その身を抱き寄せて自分のものにしたい、そんな衝動。それを、ぐっと心に力を入れて抑え込んだ。あくまで自身の内の中で。

 それは俊作がみほを想えばこそ、決めたことだった。

 

 みほには、高校生として、戦車道の選手として、やるべきことが沢山ある。だからこそ、成人男性と肉体的な関係があるなどという、ともすれば大問題となりかねない可能性を生むわけにはいかなかった。

 付き合っているという事だけでもかなり危ないのだ。それでも、やはりそこは誤魔化したくはないと二人で決めたからこそ、その一線だけは守るつもりだった。

 たとえお互いの気持ちがそれ以上を望んでいたとしてもだ。

 

 俊作は、無言でみほに手を伸ばして、その頬を撫でた。

 みほもまた何も言わず、それをただ受け入れて、その上から手を重ねた。

 

「――好きだよ、みほちゃん」

「――うん。わたしも」

 

 二人は穏やかに笑い合った。

 

 ――幸せだな。

 

 そんな気持ちが、等しく二人の心に満ちていた。

 

 

 

 それから、みほは持ってきたバケットから作って来たというサンドイッチを俊作にご馳走してくれた。

 友人である武部沙織という少女に教わりながら作ったというそれは、ただのサンドイッチというにはとても凝っていて、具の種類も多くこだわっているように見える。

 

 体の調子が良くなり、寝てばかりいた俊作のお腹は既に空腹を訴え続けている。すぐさま一切れ掴んで口の中に入れると、口内全部を使って頬張った。

 不安と期待が入り混じった表情で、みほが「ど、どう……かな?」と問いかける。それに対して、俊作はしっかり味わってから呑みこむと、満面の笑みで「めちゃくちゃ美味しい! 最高!」と親指を立てるのだった。

 ほっと息を吐いて「よかった」とこぼすみほと、テーブルを挟んで向かい合いながら、二人はサンドイッチを口に運んでいく。

 

 互いの近況を話し、ふざけ合い、笑って、からかわれては、拗ねて、謝って。最後にはもう一度笑って。

 そうして気がつけば、時刻は午後の七時を回っていた。外も徐々に紫色を帯び始めている。女の子が一人で帰るにはギリギリの時間と言えるだろう。

 

 俊作はみほに送っていくと申し出たが、病み上がりであることと、大洗駅が近い事からみほはその気遣いを断った。それよりも暖かくして寝てほしい、と言って聞かなかったのだ。

 仕方なくそこは俊作が折れて、部屋の前での見送りとなる。空になったバケットを持ったみほは、靴を履いて、玄関の扉を開けた。

 外に出たみほに代わって俊作が扉を抑え、二人は部屋の中と外の境界で見つめ合った。

 

「……応援、絶対に行くよ。頑張って」

「うん。俊作さんが見ていてくれるなら、百人力だよ」

 

 俊作が言い、みほは笑った。

 それから、お互いに言葉を探して無言の時間が訪れる。

 次に何を言おうか。けれど、結局二人はいい言葉が思いつかずに、顔を見合わせて苦笑した。

 

「じゃあ、またね。あとでメールするよ」

「うん。今度はちゃんと、その、で、デートしようね」

「うん。次は絶対にそうしよう」

 

 そう約束をかわせば、ぱっと顔を明るくして、みほは一歩扉から離れた。

 それが合図となって、俊作は手を胸の前まで上げて横に振る。みほも手を挙げて振りながら、宿舎の出入口に向かって歩き始める。

 階段の前に着いてもお互いに手を振っていた二人だったが、みほが階段を下り初めて姿が見えなくなると、俊作は振っていた手を下ろして、部屋の中へと戻って扉を閉める。

 そして、そのまま扉にもたれかかって、ふーっと長い息を吐き出した。

 

「あー……危なかった」

 

 弱ってるところに看病に来てくれるとか反則、笑顔やばい、マジ俺の恋人って天使、可愛すぎてやばかった、と口々に漏れ出す心の声。

 風邪で意識のブレーキが緩んでいたこともあったのだろうが、実はかなりギリギリな場面があったことに、俊作はショックを受けると同時に自分を褒めていた。よく踏みとどまった、と。

 しかし、同時に新たな不安が生まれたことも、俊作は理解していた。

 

「……高校卒業まで、耐えられるかな……」

 

 これまでは大丈夫だと自信を持って言えたが、この日、ちょっぴり自分に自信がなくなりかけた俊作なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、寝る前。

 軽食を取り、薬を飲んで、歯を磨き、さぁ後は寝るだけだとなったところで、俊作は携帯電話にメールの着信があることに気がつく。

 みほからだろうか、と思って携帯を手に取って確認すると、そこにあった送り主の名前は恋人とは違うものであった。

 

「……アズミか」

 

 それは、大学の後輩からのものであった。内容は、最近あまり連絡してなかったですが息災ですか、というもの。

 そういえば学園艦の整備士と正式になってからは忙しくて、大学の仲間とはあまり連絡を取っていなかったと俊作は初めて気がついた。

 これは申し訳なかったなと思いつつ、仕事も順調だし大丈夫だ、と返す。すると五分後に再び着信があり、また今度お会いしましょう、隊長も寂しがっていましたよ、と返ってきた。

 その文面を見て、そういえばと俊作は後輩に紹介された小さな女の子を思い出した。

 

「……戦車道の隊長をやるって言ってたっけ、あの子」

 

 アズミの後ろに隠れるようにして、挨拶を交わした女の子。その後少しはマシになったが、どこか内気で前に出るタイプではなかった。そのあたり、今思うと少しみほに似ていると俊作は思った。

 飛び級で大学に入った幼いながらもかなりの才媛で、今は後輩も所属しているという戦車道チームを率いているとか聞いた気がする。

 当時は聞き流してしまっていたが、今なら戦車道の話を興味津々で聞ける自信がある。そう考えると、なかなか悪くない。

 

 俊作は、また今度な、とメールを返す。そして携帯電話をテーブルの上に置いてベッドに入り、静かに瞼を閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 




みぽりんは天使、はっきりわかんだね。

エキシビジョンマッチ直前のお話です。
あとはもう劇場版の話に入っていってしまうので、もし続きを書くとすれば劇場版になりそうです。
手元に資料がないのが劇場版は痛い。まぁ、印象には残りまくっているので問題ない気もしますが。

そんなわけで、あふたーの4でした。
また今後ともよろしくお願いいたします。

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