重厚な駆動音が空気を震わせる。
巨体が地面を噛みしめるように行進し、キャタピラの動きに巻き込まれた土塊が粉々に砕かれながら巻き上げられて、車体の後部へと飛ばされていった。
きゅらきゅら、と履帯から発せられる独特の金属音。正常な動作を継続中であることを示すその音が不意に止まると、今度はその上から鉄と鉄が擦られる音が生まれる。
それは、地面とほぼ水平に設えられた長い鉄筒。黒鉄色に陽光を反射する砲塔が回転していく音だった。
やがて、砲塔がぴたりと止まり、同時に全ての音が止む。
一瞬の静寂。直後。
「撃て」
鈴が鳴るような音で発せられた二音の命令から一瞬、あたりに轟音が響く。
その声を発した主、砲塔部分上部のハッチから上半身をまるまる外に出した少女は、目視にて砲弾が行く先を確認していた。
そして、その結果をしっかりと見届けると、気弱に見えるが整った相貌を笑みに崩した。
「命中確認。静止射撃とはいえ、この距離を三連続命中なんて、すごい華さん!」
ハッチから身を屈めて車内に声をかけると、彼女の足元に座っていた少女が振り返り、謙遜するように手を振った。
「大げさです、みほさん。今日は風もありませんでしたし、運もありましたから」
「それでもさすがですよ、五十鈴殿! 絶好調ですね!」
華の逆サイドで砲弾の装填を担当している優花里がその腕前を絶賛する。
みほとしてもその言葉には同意だった。確かにこの距離を当てられる砲手は多いし、超人的な腕前というわけではないだろう。しかし、戦車に触れてまだ一年未満であることと、ほとんど技術的な指導がなかったことを考えれば、その射撃センスは驚異の一言に尽きた。
幼い頃から戦車道に触れ、黒森峰という名門にいたみほだからこそわかる。だから二人の賞賛は心からのものだった。とはいえ、言葉を重ねても華は謙遜するばかりだろうと考えて、みほもそれ以上は言わなかった。
すると、今度は車内の前方から声が上がる。
「よーし、これで今度のエキシビジョンマッチもイケるかもね! えーっと、確かグロリアーナ女学院とプラウダ高校が組んで、ウチは、えっと……ち、ちは……?」
「知波単学園だ。……なんでもう忘れてるんだ」
「う、し、仕方ないじゃない。大会では対戦しなかったし……」
麻子の呆れ気味な突込みに、沙織はばつが悪そうに唇を尖らせる。みほたちはそんな二人の姿に微笑むのだった。
彼女たちが今いるのは、大洗女子学園の近くにある山の側。戦車道の練習に使われる場所だった。彼女らが使うⅣ号中戦車から離れた位置には、八九式やヘッツァーなど、みほたち「あんこうチーム」以外のチームの戦車の姿も確認できる。
今、大洗女子学園戦車道チームは全国大会優勝を記念して行われるというエキシビジョンマッチに向けた練習をしているところなのであった。
もちろん、会場は優勝校である大洗女子学園の地元、大洗。そして対戦相手はエキシビジョンに相応しく強豪校であり優勝経験校でもある、聖グロリアーナ女学院とプラウダ高校の連合チームだ。
無論、二対一というわけではなく大洗側も他の学校と組んでの戦いとなるのだが、二校の強さは身に染みてわかっている大洗女子のメンバーは、これは油断できないと気を引き締めて訓練に励んでいるのである。
そして、大洗女子と組むことになっているのが、先ほど麻子が言っていた知波単学園なのだった。
沙織は車中から車長席に立つみほを見上げた。
「ね、みぽりん。知波単学園ってどういう学園なの?」
「え? うーん……知波単学園とは試合で当たったことがないから、ちょっと覚えがないかな」
「そっかぁ。でも強い学校だといいよね。相手が相手だし……」
練習試合と準決勝の戦いを思い出しているのか、沙織がうへぇと渋い声をこぼす。
みほも二校それぞれとの戦いを思い起こせば苦戦の記憶が強いので、沙織の気持ちもよくわかった。
「確か、今大会では黒森峰戦で遠距離から苛烈な攻撃に晒されて苦戦されていましたね。知波単側は近づこうとしていたので、近接戦が得意な学校なのでは……」
「五十鈴殿が言うように、知波単学園は果敢に相手に切り込んでいく突撃スタイルが得意な学校です。かつては全国大会ベスト4に輝いた実績もありますね」
優花里がそう華の言葉に付け足すと、沙織の顔がパッと輝いた。
「すごい! それじゃあ、わたしたちが足を引っ張ったりしないように頑張らないとね!」
「うん」
みほは頷いて顔を上げる。そこには、自分たちと同じように練習に励む仲間の戦車の姿があった。
相手は聖グロリアーナとプラウダ高校。噂では継続高校にも打診していたというが、そちらは参加を見合わせてきたと聞いている。かつて黒森峰にいた頃に練習試合で継続高校の実力を間近で見たみほとしては、ぜひ味方になって欲しい高校であったが断られては仕方がない。敵に回らなかっただけ良かったと捉えることにする。
ただでさえ相手は強敵だ。こちらも大洗女子一校だけではないとはいえ、油断は禁物。沙織が言うように、間違っても自分たちが足を引っ張るようなことはないように頑張らなければならないだろう。
情けない試合を俊作さんやお姉ちゃんに見せるわけにはいかない。そう決意を新たにしたところで、ふとポケットの中の携帯がぶるぶると震える。
「? なんだろう」
携帯電話を取り出し、ぱかっと開く。
ぽちぽちとボタンを操作し、メール画面へ。受信フォルダから、最新のメールを選択し、開いた。
「え? ………………」
そのまま無言でボタンを何度か操作すると、みほは静かにポケットへと携帯を戻した。
「よーし、みぽりん。次はどうする?」
「………………」
「……あれ、みぽりん?」
返事がないため、沙織はみほを見上げてみる。
そして、ぎょっと目を剥いた。
何故なら、みほが眉尻を吊り上げて頬を膨らませていたからだ。
「……次は行進間射撃の練習を行います、その後は戦車機動の確認、その後は全員で集まっての模擬戦を行う予定です。絶対勝ちましょう」
「あ、はい……」
心なしか冷たい声音に、沙織はそそくさと自分の仕事に戻る。他の面々も常と違うみほの様子から下手なことは言わない方がいいと判断したのか、無駄口もなく静かに自分の行うべきことへと集中する。
きゅらきゅらと動き出すⅣ号戦車。その車長席から顔をのぞかせたみほは、むすっとした顔のまま先ほど届いたメールの内容を思い出していた。
送り主は恋人である俊作から。
内容は以下の通りである。
『まほさんからちょっと相談を受けて、たまたま会えそうなので会おうと思うんだけど、いいかな?』
きっと、何かの拍子に浮気だと勘違いされないように、ということなのだろう。事前にみほに許可を求めるメールだった。
もちろん、みほにとってもまほは大切な姉だ。しっかり者の自慢の姉である。その姉から相談があるというのだから、きっと姉は本当に困っているのだろう。
それがわかるから、みほは当然のように『もちろん大丈夫だよ。お姉ちゃんをよろしくね』と返した。
しかし、理性ではそう納得していても、感情がそれについてくるかは話が別なわけで。
たとえ敬愛する姉の為だとわかっていても、自分とはなかなか会えないのに、姉とはいえ自分とは別の女性と会っていると聞かされていい気分になれるはずもない。
(……俊作さんのばか)
故にみほはむすっとした顔をして、胸中でそう呟くのだった。
――その日の反省会。他のチームは、今日のあんこうチームはやけに攻撃的だった、とこぼしたという。
*
戦車喫茶、というところがまほから指定された待ち合わせ場所だった。
俊作もそういったカフェがあることは噂で聞き及んでいたが、実際に入るのは初めてである。戦車道といえば女性の競技であるため、利用客も女性が多く、男一人で入るにはなかなかに躊躇する客層であるためだ。
外から中を覗く限りでもやはり男性の姿が少ない。待ち合わせしているとはいえ、女性だらけの中に入っていくのは勇気がいるなぁ。そんなことを内心思いながら、意を決して俊作は入り口のドアを開いた。
からんからん、とベルの音が鳴り、「いらっしゃいませー」と女性店員の爽やかな声に出迎えられる。
俊作はその場で一度店内を見渡す。すると、奥の席に見知った顔を見つけることが出来た。男性一人のままでは居心地が悪すぎる。俊作は気持ち急いで、そちらへと歩を向けた。
「待たせちゃったみたいで、すみません。まほさん」
「いえ、私も今来たところですので」
小さく頭を下げつつ、まほがそう言って向かいの席に手を向ける。俊作は勧められるままにまほの向かい側へと移動して腰を下ろした。
そしてまずは注文をということで店員を呼ぶと、お互いにホットのコーヒーを頼む。店員が一礼をして去っていくと、俊作は「それにしても」と前置いて口を開いた。
「連絡が来た時は驚きました。確かに連絡先は交換していましたが、まさかこうして連絡をもらうとは思っていなかったので」
まほはそれを受けて、少し申し訳なさそうな顔になる。
「すみません、突然。みほと現在も親しく、それでいて私と繋がりがある人となると、あなたしか思い浮かばなかったものですから」
「いえ、お気になさらず。ちょうど今は仕事もひと段落したところでしたから」
実際、あと数日は俊作の予定は空いていた。そのため気にすることはないと伝えると、まほはそれにも少しだけ困ったような顔を見せた。
「あの、出来ればもう少し砕けて話していただいても構いません。私は年下ですし、年上の男性に畏まられるのも、その……」
それではこちらも恐縮してしまう、と、まほは申し訳なさそうな顔をしながらそう口にする。
俊作はそれを見て、これはこちらの気遣いが足りなかったと丁寧すぎた言葉づかいを内心で反省した。年下の子に気を使わせるようではまだまだだな、と頬を掻く。
しかし、俊作としても別段意図的にこのような口調になったわけではなかった。
「いや、すみませ……っと、ごめん。どうも最初の印象が強かったせいで、つい」
「最初の?」
「えーっと、まほさんが僕のところに乗り込んできた時かな」
俊作がその瞬間のことを思い起こしながら言うと、疑問符を浮かべていたまほの顔がはっとなり、白い頬に僅かな朱が走った。
「あ、あれはその……、我ながら少し気が急いていましたので。……その、忘れていただけると、助かります」
凛々しい顔のまま、少しだけ頬を染めた姿は、年相応でとても可愛らしい。
お姉ちゃんは本当は凄く可愛いんだよ、とみほが言っていたのが実感できる姿に微笑ましさを感じながら、俊作はまほが自分のところに訪れた時のことを思い出すのだった。
*
現在、黒森峰の学園艦では学園艦整備士を目指す大学生たちの研修が行われていた。毎年、各学園艦が持ち回りで担当することになるこの研修では、学園艦内にある整備士たちの宿舎がそのまま研修生たちに貸し与えられている。
艦内にある学園もあれば、街の中に宿舎があることもある。黒森峰では街の中にある少し年季を感じさせる寄宿舎が彼らに割り振られていた。
今年の研修生はあわせて十名程度。その中の一人である俊作は、一階にある談話スペースで一人、テレビ番組をBGMにして本を読んでいた。
その時、ふいに入口である硝子扉の前に誰かが立つ。目線を向けると、ちょうどその人物が中に入ってくるところだった。
俊作はその顔を見て目を見張る。何故なら、そこにいるのはこの黒森峰の誇る戦車道チームの隊長である西住まほであったのだ。
特に俊作は彼女の妹であるみほと最近になって交流を深めていることもあり、姉であるまほの登場には驚きを隠せなかったのだった。
切れ長の目が、談話スペースに座る俊作を見た。
「――失礼します。こちらに久東俊作という男性はおられますか」
凛とした澄んだ声だった。そして、その問いかけはこの場に唯一いる自分に向けたものであることは明白であった。
俊作は立ちあがると、本を閉じてテーブルに置く。
「えっと、久東俊作なら僕のことだけど……」
俊作がそう答えた瞬間。
まほから向けられる視線が、苛烈な炎を感じさせる厳しいものへと急変した。思わず俊作の背筋が伸び、緊張が互いの間に走った。
「……そうですか。私は西住まほといいます。西住みほの姉といえばわかりますでしょうか」
「は、はい」
俊作が頷くと、まほが小さく頷いて目が少し細められる。
「申し訳ないですが、少々私にお付き合いいただけないでしょうか」
確認の問いかけではあったが、その口調はどこか断定めいていて肯定以外の返答を許さないという意志が込められていた。
相手から発せられる威圧的ですらある迫力に、息を呑む。これは年下の女の子だと思って接すると痛い目を見そうだ、と気持ちを引き締めた。
「わかりました。出かける準備をしてくるので、少しだけそのままお待ちください」
内心で、みほちゃんのお姉さんにしてはキツめの子だなぁ、などと思いながら俊作はテレビの電源を消した。
連れられて来たのは、広い公園だった。いわゆる市民公園に近い造りをしており、緑あふれる広い園内には散歩コースや休憩所などが設けられているため、この学園艦に暮らす人々の憩いの場として親しまれている場所であった。
学園艦の側面に沿った場所にあるため、公園の端にある欄干の向こうにはひたすら海を望むことが出来る、絶好のデートスポットとしても有名な場所である。
しかし、そんな憩いの場所であるはずのところに連れてこられた俊作の顔はあまり晴れやかではなかった。誘ってきたのはとてもかわいい女の子だったというのに、だ。
喜べない理由としては、まず俊作には既に気になる相手がいるという事が一つ。そしてもう一つ、こちらが主な理由になるが、彼女がとても険しい顔をしているからだった。
いくらなんでも、そんな相手を前に無邪気にデートだなんだと浮かれられるほど、俊作の精神は図太くなかった。
そして、この状況を作り出した発端である少女は、公園の中ほどで立ち止まり、周囲に誰もいないことを確認すると、くるりと振り返ってその鋭い目で俊作を見据えた。
「――私は回りくどい事が苦手です。単刀直入に尋ねます。久東さん、あなたはみほとどのような関係なのですか?」
そう尋ねられた時、俊作が思ったことは「やっぱり」ということだった。
まほが自分を訪ねてきた時から、予想はしていたのだ。自分と彼女に直接の関係性はない。しかし、妹であるみほを通じてならば彼らの間に関係性は生まれるのだ。
なら、彼女がわざわざ訪ねてくる用事など、みほに関する事であるのは間違いない。そうわかったからこそ、俊作は彼女が危惧していることもすぐに察することが出来た。
(要するに、妹のことが心配なわけだ。このお姉ちゃんは)
彼女にしてみれば、妹が知らない間に男に引っかかったと感じても無理はないだろう。なにせ、みほはあの決勝戦以来、多くの批判に晒されて精神が弱っていた。そこに付け込まれたのではと不安になるのは当然である。
正直、俊作はみほのことを何を捨ててでも庇わなかった姉にあまりいい印象を抱いていなかったが、こうして気持ちのままに乗り込んでくる姿を見ればその印象はすっかりなくなってしまった。
むしろ今では、彼女には彼女の事情があったのだろう、と思えるほどになっていた。それは、みほを守る、という意志が今の彼女から強く感じられるからであった。
「……返答は、いただけないのですか」
と、俊作がそんな物思いに耽っていると、答えない俊作に尚更不信感を募らせたのか、まほの表情が更に険しいものになっていた。
俊作としても、全く覚えも予定もない濡れ衣で悪く思われたくはない。何より、相手はもっと仲良くなりたいと密かに思っている女の子の実の姉である。ここで悪印象を定着させるなどもっての外だった。
背筋を伸ばし、改めて目の前の少女に向き直る。
「いえ、答えます。僕とみほちゃんの関係は、友達、といったところでしょうか」
俊作自身の気持ちがどうあれ、少なくとも今の二人の関係を表すならばそうとしか言いようがない。
それゆえの正直な答えに、まほは少し疑わしげな目になる。
「失礼ですが、みほとあなたが知り合う機会があるとは思えません。一体どのように知り合ったのですか?」
「そうですね……。最初は、彼女が立て看板にぶつかりそうになっていたところを注意したのが出会いですか」
答えると、疑わしげな目の中に呆れた色が現れた。
「……みほ。あれほど周りをよく見ろと言っているのに……」
心なしか、肩からも若干力が抜けているようにも見える。やはりというべきか、みほが普段の生活で見せるおっちょこちょいなところは家族であるまほも了解している点であるらしかった。
まほも心の中で「ありそうだ」と思ってしまったのが、思わず表に出てしまったのだ。緊張していた空気も僅かに弛緩するが、俊作はとりあえずまほに安心してもらうためにも、このまま続きを話すことにする。
「えーっと、続けますよ?」
「ああ、すみません。お願いします」
まずは何より疑いを晴らすためにも、事実を話すことに専念する。
みほとの出会い。その時のみほの様子。みほから聞いた彼女の現状。たまたまなし崩し的に話をする事になり、その後偶然もあって再会してたびたび彼女の相談に乗るようになったこと。
それから相談以外にも会話が増え、時には一緒に出掛けるようになったこと。
その時のみほの様子、徐々に笑顔が増えていった事。
からかうと頬を膨らませて怒る姿に和んだ事。
最初の彼女からは考えられないほど明るい表情を見せてくれるようになった事。
やがて相談などなくとも会うようになり、他愛もない話が楽しい事。
その時間が楽しみになっている事。
彼女の笑顔が好きな事。
影響されて戦車道に興味を示すようになると、みほが熱心に教えてくれた事。
今ではすっかり自分の前では落ち込まなくなった事。それが嬉しい事。
と、そんなことをつらつらと話していると、いつの間にやら自分でも熱が入ってしまっていたらしい。ふと我に返った俊作がまほをみると、彼女は頬を上気させつつも何とも言い難い表情で立っていた。
「どうしました?」
「……いえ、その……どうも私の取り越し苦労だったようなので、安心したのです」
その割には、まほの表情は複雑そうだった。
後に俊作は、この時の気持ちを食事の席でまほから直接聞かされる。この時のまほは「何故自分はいま、妹との惚気話を聞かされているのだろう」となんとも微妙な気持ちだったのだという。
だが、それが逆に「これほど妹のことをよく見て考えてくれている人ならば、騙しているという事はないだろう」という信用に繋がったのだという。
なにしろ、とても楽しそうにみほとのやり取りを事細かに話しているのだ。そこまでは聞いていないというのに、みほの笑顔が好きだ、とまで言ってのけた辺りで、まほは疑う気持ちがほぼなくなったと俊作に語った。
当時、既にみほのほうは相手の男のことを憎からず思っていることをまほは知っていた。だからこそ焦って行動に移ったわけだが、まさか男のほうもベタ惚れとは思わなかった、とまほは笑う。
ちなみに俊作は無意識に出ていた言葉だったので気にすることもなく、そうなのか、程度で頷いていたのだが、食事に同席していた隣のみほは、それはもう顔を真っ赤にして俯いていたという。
閑話休題。
まほの内面ではこのやり取りで、少なくともみほを騙して何かしようということはなさそうだと一定の警戒が解けた。しかしながら、やはり信用しきれない所があるのは否めなかった。
まほにとっては、やはりいつまで経っても可愛い妹なのだ。そう簡単に心から信じて任せることなど出来ようはずもない。
自分がそうすることが出来るのは、きっとみほが将来選ぶ人だけになるのだろうとまほは思う。現段階では、目の前の男性がその人となるかどうかは定かではない。だからこそ、みほの全てを任せるという決断はまほには出来なかった。
けれど、本当にみほのことを好きでいてくれるのなら。一緒にみほのことをよく見て、守っていく協力はしていけるのではないかと思うのだった。
まほは真っ直ぐに俊作を見た。俊作も何かを感じ取ったのか、その視線を正面から受け止めて決して逸らさない。
「……みほは、私にとって大切な妹です」
「はい」
「ですが同時に、私は西住流の後継者でありこの学園の戦車道の隊長でもある。みほのことを最優先には出来ないこともあります」
「はい」
「……ですがそれでも、みほのことを大事に思う気持ちに変わりはない」
「はい」
そこでまほは、すっと息を吸い込んだ。
「……久東さん。あなたは、みほのことをどう思っていますか?」
「――好きです。異性として」
気恥ずかしさを押し殺し、俊作はまほの目を見たままそう告げた。ここは目を逸らしてはいけない場面だと、理解していたからだった。
まほはその答えを聞いて、ふぅと大きく息を吐き出した。その表情からは、どこか険がとれているようにも見える。
「……その言葉と、お気持ちを信じます」
ふっと小さな笑みを見せるまほに、俊作の気も緩む。しかし直後、まほの目が途端に鋭さを帯びた。
「ただし、万が一にもみほを泣かせるようなことがあれば、決して許しません。良いですね?」
「……はい」
怖い、とその眼光に思わず腰が引けそうになる俊作だったが、意地を張ってしっかりと直立を維持してみせた。
さすがは西住流の申し子にして、全国トップクラスのチームを率いる隊長。乗り越えてきた修羅場の数が違うのだろうな、と、このとき彼女が年下であるという意識がすっかりなくなった俊作であった。
まほは頷く俊作を確認すると、肩の力を抜いて向かい直る。
「……家もチームも、みほも。私にとってはどれも大切なものです」
まほは心の中で思う。けれど、全てを守りきることなど出来ないのだろうと。自分にはそんな大それたことは出来ない。謙遜ではなく、それが自分に出来る精いっぱいなのだとまほは思っていた。
雑誌やテレビは自分のことを天才だなんだと持て囃しているが、決してそんなことはない。実際に自分がしたいと願うことを自分は出来ていない。みほを守れてはいないのだから。
戦車道でも、必死に知識と経験と応用力を鍛えて、それを続けているから今の自分がいるだけだ。只人を凌駕するような閃きを、まほはついぞ手に入れられなかった。
――そうだ。むしろ、そう評されるべき者は……。
思い浮かんだのは、小さな頃から一緒だった自分の半身ともいえる存在だった。
悔しいが、才能とはあの子が持っているようなもののことを言うのだろう。
しかし、そんなあの子でも、自分のことを守ることは出来なかった。
彼女が自分で自分を守れず、まほは敗れたチームの維持と学園側への説明に加えてOGや後援者への対処等に手を取られてしまい、彼女を守れていない。
だからこそ、俊作の存在はまほにとっても一つの希望であったのだ。
本当なら何を置いても守りたかった妹を、守っていくために。
「今の私では、みほを守れません。チームを捨てることも出来ない情けない姉ですが……妹をよろしくお願いします」
そう言って真摯に頭を下げたまほに、俊作はしっかりと頷いて答えた。
「はい。僕にとっても、守りたい人ですから」
強くそう言い切った俊作に、顔を上げたまほは小さく笑んだのであった。
*
あの時のことを思い返すと、最初に威圧的だったことと脅された時に、年下の女の子を相手にするような対応をしない相手、と俊作の中でインプットされてしまったのだろう。そのため、今まほから指摘されるまで敬語で接し続けていたのだ。
俊作としては懐かしいなぁ、という程度であるが、まほにとってはかなり警戒して敵を見るように俊作を睨みつけていた自分の行いが、すっかり自分だけの空回りだったように感じられて、恥ずかしいのだという。
そのため、あの時のことを引き合いに出すと居心地が悪そうにするのであった。
その後、コーヒーが届くとそれを口に含みながら相談を兼ねたお喋りへと移行した。
それというのも、まほからの相談というのがほぼみほの近況に終始したからだ。
どうやら、まほは一人暮らしをしているみほのことが大層心配だったそうだ。黒森峰にいたころは互いに分担して協力し合い、私生活でたまに抜けたところがあるみほをまほがフォローしてきた。
転校した先となる大洗では本格的に一人となるために、実はずっと気にしていたのだとか。
しかしながら、わざわざ聞くことでもなく、黒森峰でのことがあって自分からは連絡がしづらかった。みほの友人たちに聞こうにも親しくないし、連絡先も知らない。
そのため、たまたま俊作にそういったことを聞いてみようと思い至ったのだという。俊作は頻繁にみほに会うわけではないが、連絡は毎日取り合っているからまほよりは詳しい。それでいてまほも連絡先を知っている人物だったので、適任だと思ったのだ。
思いついたが吉日、ということで連絡を取ったというのが顛末である。とはいえ、もし俊作に予定があるようだったらそれでいいとも思っていたらしいのだが、俊作の予定が空いていたので、こうして会うことになったのであった。
俊作は本格的な相談かと身構えていたので、若干拍子抜けではあった。しかし、それならそれで普通に話をするのも悪くはないかと思い直して、電話で聞いたみほの近況を話しながらのブレイクタイムとなったのだった。
コーヒーを片手に二人は、主に共通の話題であるみほを中心に会話に花を咲かせる。
まほさんはまほさんでどこか抜けているなぁ、と改めてどこか似たところがある辺り姉妹なんだなと感じながら、俊作はまほの言葉に相槌を打つのであった。
やがて二人のお喋りも終わり、お開きとなると、俊作は二人分のコーヒー代を払って外に出た。まほは恐縮して払おうとしたが、そこはやはり譲らない俊作だった。
先にまほが折れて、ご馳走様ですと一緒にお礼を述べて頭を下げる。それに、気にしないでと手を振って、それを合図にして二人は別れた。
遠ざかっていく背中を僅かな間だけ見ていたまほは、踵を返して歩き出した。
ほとんど思いつきのような自分の連絡に、まほは少し後悔していた。向こうも暇ではないだろうに、もう少し考えてから判断すればよかったと。
しかし、それでも俊作は応じてくれ、全く嫌な顔をすることなく来てくれた。それに、みほの話題が中心ではあったが、俊作との会話は久しぶりにまほにとっても楽しい時間だった。気負うことなく気軽に話せる相手は貴重だ。特に、しがらみのある人間にとっては。
みほのことを話す俊作の姿を脳裏に描く。本当にみほのことが好きなんだなと伝わってくるその姿は、まったく姉として嬉しいやら照れ臭いやら。
「……少し、みほが羨ましいな」
遠ざかっていった背中が閉じた瞼の裏に映る。
まほは曖昧な笑みを浮かべながら、ゆっくりとした足取りで帰路についた。
4DXはすごいぞ(小並感)
今回は以前に感想でも話が出ていた、まほが俊作に会いに行った時のお話です。
回想という形で出てきました。
実際の時間軸ではエキシビジョンマッチの前となっております。
まほは本当にお姉ちゃんしていていいですよね。
劇場版ではテレビ版以上にお姉ちゃんしていて、凄く良かったです。
それでは、また何か思いついたら書くかもしれません。
もし見かけたら、またぜひ目を通していただければ嬉しいです。
その時はよろしくお願いいたします。