久東俊作は学園艦のメンテナンスを担当する技師である。
幼いころ、学園艦という超弩級の艦船を見上げた俊作は、その威容に一目ぼれした。それ以来、俊作の夢は学園艦を造ることになった。後にそれが難しそうだとわかると、その夢は整備士へと移っていった。夢の形は多少変わっても、学園艦への憧れはそのままに俊作は時を過ごしていく。
学園艦は特殊な艦船ゆえ、その整備に必要な技術や知識は多岐にわたる。またその大きすぎる船体もあり、作業が短期で終わることはほぼ無い。そのため、その艦で一ヶ月以上生活することもままあった。必然的に拘束時間も多い、なかなかハードな仕事なのだ。
ちなみに大規模なメンテナンスは定期的に寄港して行っているし、航行中にはその学園の一部生徒たち(学園艦の運営に関わる専門科が存在する)がメンテナンスを担当している。にもかかわらず、なぜ俊作のような整備士が必要とされているかといえば、それは役割の違いであるといえるだろう。
学園艦の整備専門科の生徒たちはあくまで生徒であり、勉強中の身だ。その技術はいまだ成熟しておらず、中には生徒たちの手に余る事態も往々にして存在している。
しかし寄港にはまだまだ距離があったり予定が先だったりで、整備が間に合わない時。そんな時に、外部の学園艦整備士である俊作らに出番が来るわけだった。
ある程度のメンテナンスは生徒たちが。中規模のメンテナンスは外部整備士が。大規模なメンテナンスは寄港してドックにて。そのように学園艦はその巨体を維持して運営されているのだった。
俊作はかつて黒森峰の学園艦にてその整備士となるための研修を積み、最近試験にも合格して晴れて新人学園艦整備士となっている。
これまでは研修や試験勉強で時間が取れなかったのだが、合格して整備士となってからも各学園艦の間を短い時は一週間、長ければ一ヶ月以上飛び回る生活を送らねばならない。そのためなかなか恋人に会いにいく時間を作れないことが、目下の彼の悩みである。
そして、そんな俊作は今、ある学園艦の上にいる。
その名は、聖グロリアーナ女学院といった。
*
「お疲れ様です」
「ああ、いえ。ありがとうございます」
聖グロリアーナ女学院内に存在する施設の一つ、大食堂。こちらでは大カフェテリアなどとも呼ばれるそこに、俊作は居た。
グロリアーナでの仕事を終えた俊作を含めた整備士たちは、その労をねぎらいたいという学院側からの好意で食事をいただくことになっていたのだ。
こういった対応は実は結構あることだった。学園艦が大きすぎて忘れそうになるが、ここはあくまで海上なのだ。陸地とは違い、何かあった際にできる対処にも限度がある。そんな中において、もし艦の運営そのものに支障をきたす事態が起きた場合、それこそ大惨事にも繋がりかねないのだ。
であるから、それを未然に防ぎ艦の安全な運行を助けてくれる彼らに学校側は感謝を忘れないのだ。また学生を多数乗せている関係上、こうして人に対する感謝を明確に示すことは生徒の道徳教育的にも良いことだとされ、奨励されていたりもした。
そんなわけで、俊作はこうして食堂の長いテーブルの前に座り、出された紅茶に口を付けているのだった。
ちらりと目線を周囲に向ければ、他の整備士仲間たちの姿も見える。各自、談笑して楽しんでいるようだった。
ちなみにメンバーの大多数は女性で、男性は俊作を含めてもごく僅かだ。女学院という場所ゆえ、こういった学校に赴く際のメンバーは女性を中心に選出されるためだ。とはいっても、全体で見れば女性の学園艦整備士の数は男性より少ないため、女性のみとするのはなかなか難しい。男性がある程度混じるのは仕方が無いことだった。
カップから口を離し、ほうと息を吐く。
これでこの艦ともお別れか、と少し目線が遠くなった。
とりわけ思い入れが強い学校というわけではないが、それでも僅かとはいえ滞在していたのだ。愛着がないというわけではなかった。
特に、この学園の戦車道チームは全国でも名うての実力者だ。己の恋人のことを思えば、無関心にはなれなかったのだ。
「戦車道チームか……」
そういえば、仕事に集中していたからこの学校の戦車道を見てなかったな、と思い至った。
すっかり自分も戦車道が好きになっていた俊作は、戦車道がある学校に行けば何度か見学に行くようになっていた。しかし今回はまだ一度も見ていない。
残念だけど仕方がないか、ともう一度カップを持ち上げたそのとき。
ふと俊作の後ろを通り過ぎようとした靴音がぴたりと止まった。
「あら、戦車道に興味がおありなのですか?」
「え?」
突然かけられた声に、俊作が後ろを振り返る。
そこには聖グロリアーナの制服を示す青いニットセーターを着た少女が居た。顔を見れば青い瞳と視線が交錯し、金色の髪は美しく後頭部でまとめて結い上げられていた。
そしてその隣には、彼女より少し背が低い、赤みがかったブロンドの少女。そばかすが可愛らしいその少女もまた、観察するように俊作を見ていた。
俊作はその人物の正体に気づいて、僅かに目を見張る。高校戦車道を知っていれば、彼女の名前を知らない者は居ないだろう。
「聖グロリアーナ戦車道の隊長さん……ダージリンさん、ですか?」
「ええ、そうです。お初にお目にかかります。失礼ですが、お名前を伺っても?」
「あ、これは失礼しました。僕は久東俊作といいます。いきなり名前を呼ぶなんて、不躾でした」
「ふふ、気にしていません。改めて、聖グロリアーナで戦車道チームの隊長をしております、ダージリンですわ」
「オレンジペコと申します」
礼を欠く行為だったと俊作が謝ると、ダージリンはたおやかに微笑んで隣の少女と共に改めて名乗った。
「それより、私の質問にはお答えいただけませんか?」
「は……ああ、そうでしたね。まさか独り言を聞かれているとは……」
参ったな、と俊作は苦笑を滲ませつつ答える。
「返答はイエスです。実は、戦車道のファンでして」
「まぁ。若い男性には関心が低い武道と思っておりましたので、嬉しいですわ」
ダージリンが言葉通りに表情を綻ばせる。隣のオレンジペコもまた嬉しそうに微笑んだ。
ダージリンが言う通り、戦車道というスポーツは若い男性にはあまり馴染みがないものだった。何故なら戦車とは女性が乗るものであるため、基本的に男性が興味を向けることが稀だからである。
男性はそれよりも野球やサッカーなどの自ら体を動かして競う競技を好む傾向が強かった。同じ乗り物関係でもF1のほうが人気がある。やはり戦車=女性というイメージが二の足を踏ませるのだろう。
その辺りは戦車道の世界大会を誘致するなどして力を入れている政府もわかっていて、近年では見目麗しい戦車道チームの女性を雑誌の表紙に起用するよう働きかけるなど、てこ入れを始めている。少しでも戦車道への興味を持ってもらうための方策だった。
そんな背景があるからこそ、ダージリンとオレンジペコは俊作の言葉に驚きを示したのだった。
「いや、実は近い所に戦車道をやっている子がいまして。その関係で僕も興味を持って、すっかりハマってしまったんですよ。あなたのことも、その子から聞きました」
とても戦略的で凛々しくて凄い人だと言っていましたよ。そう付け加えて言うと、ダージリンはその言葉に、「あら」と少し驚いたように目を見張って気恥ずかしそうに頬を染めた。
「面映ゆいものですわね、他人の口から聞く自らの評価というものは……」
「私はダージリン様が多くの人に認められているのが聞けて嬉しいです」
隣から笑顔で言われ、からかわないで頂戴、と上気した頬で素っ気なく返すダージリンは俊作から見ても非常に可愛らしかった。
故に思わず微笑ましい目を向けていると、それに居心地の悪さを感じたダージリンは仕切り直しだと言わんばかりに、こほんと小さく咳払いをした。
「……それにしても、そのように評価していただけるという事は、その方は私たちと対戦したことがある方なのかしら」
「ええ。とても感謝していましたよ。本来自分たちの様な弱小校からの試合など断られて当たり前なのに、受けてくれたこと。そのおかげで前に進めた、と」
みほはよく言っていた。あの試合がなければ、きっと大会に出たところですぐに負けていただろうと。だから心から感謝していると。
そのことを思い出しながら俊作が何気なく口にした言葉に、ダージリンとオレンジペコはびっくりしたように目を見開く。
「……もしかしてそのお知り合いの方は、大洗の方なのでは?」
「あ、はいそうです。西住みほといって、大洗女子の隊長をしていて……って、ダージリンさんなら知っていましたよね」
対戦したこともあるし、曲がりなりにも全国大会で優勝したチームの隊長だ。目の前の彼女が知らないはずがないことに気付いて、これは余計であったかと俊作は気まずそうに頭を掻いた。
対してダージリンとオレンジペコは先程以上に驚きを露わにしていた。
「まさか偶然声をかけた方がみほさんのお知り合いなんて……」
「世間は狭いですねぇ……」
彼女たちにとって、西住みほという名前は特別なものだ。だからこそ、驚きもひとしおだった。
ダージリンとしてもあの模擬戦はどこかで強豪校として驕っていた部分が心にあったことを突きつけられた、反省の多い試合だった。
素人ばかりの集まり、すぐに片付くだろうと油断していたところに、たった僅かな隙から反撃に出られ、あわや負けるかというところまで持ち込まれたのだ。
口では全力と言っていたが、決して本気ではなかった。その驕りに気付かせてくれたみほに、ダージリンは感謝していた。
そして、みほ自身の人となりや、大洗チームの応援したくなる姿に、彼女自身もいつの間にかあのチームのことが好きになっていた。
それはあの時対戦していた全員にとって同じ事。聖グロリアーナの戦車道チームは、ある意味で最初の大洗女子チームのファンといえた。
ダージリンは驚きから立ち直ると、ふっと優雅に微笑んで俊作を見た。
「みほさんにお伝えしてもらえるかしら。また近いうちに、お会いしましょうと」
大会優勝を記念して行われるエキシビジョンマッチの話は、先日ダージリンに届いていた。もちろん、ダージリンは即日にOKの返事をしていた。
大洗にもそろそろ知らされることであろう。再び砲塔を交えるのが本当に楽しみだと、その時のことを思いダージリンの笑みにも力が入る。
当然、そのような試合があることを知らない俊作は、ダージリンの言葉を単にライバル校に向ける激励の言葉であると捉えて頷いた。
「もちろん。みほちゃんもきっと喜びます」
俊作としても、否やはない。これは今日の電話でいい土産話ができたぞと心を弾ませる。
その時、横で微笑んでやり取りを見ていたオレンジペコが「そういえば」とばかりに何気なく俊作に話を振った。
「みほさんのことを名前で呼ばれていましたけど、親しいんですね」
「ええ、まぁ。一応、付き合っていますので」
照れ臭くはあるが、隠すことでもないので俊作ははっきりと答える。
すると、途端に目の前の二人の表情が今日で最大の驚きを形作った。
「…………え?」
「…………え?」
何故かひどく驚いた顔になる二人に、俊作は首をかしげるのだった。
それからも話をする俊作だったが、聞く側である二人はどこか気もそぞろといった様子でその話を聞いていた。
「……ねぇ、ペコ。こんな言葉を知っていて? “心に愛がある女性は、常に成功する”」
「……ヴィッキイ・バウムですね」
よもやみほに恋人がいようとは思っていなかった二人は、何故か負けたような気持ちになり、若干ブルーな空気が胸中に満ちる。
特に勝負をしていたわけでもないのに、この先を越された感はなんなのだろう。みほのことを照れ臭そうに話す俊作に、ダージリンとオレンジペコは言い様のない動揺を隠しきれずに、常の様な格言のやり取りを小声で交わした。
愛だけが理由ではないだろうが、それがみほの力になっていたことは事実であろうから、その言葉も間違いではないのだろうと思いながら。
その後も少し雑談をして、二人と俊作は別れる。カフェテリアを出た二人は、本人の前では我慢していた溜め息を同時に吐き出した。
そして、ダージリンがキリッと凛々しく顔を上げて前を見た。
「……ふふ、さすがみほさんね。私も負けていられないわ」
「ダージリン様、目が泳いでいます。でも私たち、出会いがないですからね……」
「それは言ってはダメよ、ペコ……」
はぁ、ともう一度だけ溜め息を吐いて、二人はなんだかしょっぱい気持ちを抱いて歩き出すのだった。
*
「あれ? ダージリンさんから何か届いてる……」
「ダージリン殿からですか! ひょっとして戦車のパーツでしょうか?」
「さすがにそれはないんじゃないかな……」
「ですよねー。あ、開いてみますか?」
「うん。……あ、紅茶だ」
「さすがダージリン殿ですね! でも、どうしたのでしょう、急に」
「あ、お手紙もあるからここに書いてあるのかも。えーっと……『ごきげんよう、みほさん。ところで、こんな言葉を知っていて? “愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめることである”。そのような関係になれるよう、お二人の幸福を祈っていますわ』……。そういえば、俊作さん、聖グロリアーナで会ったって言ってたっけ」
「こちらはオレンジペコ殿からですね。『サン・テグジュペリですね。たまたまみほさんの彼とお会いしまして、お祝いをとダージリン様が仰ったので。同じくお二人の幸福を祈っております』だそうです」
「………………」
「って、どうしたんですか西住殿。手紙で顔を隠して」
「……な、なんだか改めて言われると、その……て、照れるよね?」
「西住殿、顔が真っ赤ですね。でも照れている西住殿も可愛いです!」
「も、もう、優花里さんー!」
みほの部屋にちょうど遊びに来ていた優花里と共に、突然届いたダージリンからの届け物を開けたみほ。
優花里にからかわれてみほは拳を振り上げて怒ってみせるが、顔が赤いために怖くは全くなかった。
今日も平和な大洗女子学園艦での一幕であった。
西住殿は軍神かわいい(確信)
今回はダー様ことダージリンさんのおわす聖グロリアーナでのお話となりました。
ちなみに学園艦の整備云々の話はオリジナルな妄想なので、話半分でどうぞ。
ちなみに一番最後の格言をふと思い出して、ダー様に言わせたいなぁと思ったのがこのお話の切っ掛けでした。
あまり長くなってもあれなので、短めに纏めてみました。
そして、実は何気にみほに全勝しているダー様。
ガルパンFebriによると、「大洗は奇策を用いるから質実剛健な黒森峰には強いけど、大局的な視点を持ってるダージリンに奇策が通用しないから聖グロに負けてしまい、聖グロは正攻法で攻めてくる黒森峰に戦力差で勝てない」という三竦みの関係にあるようで。
思わずなるほどと思ったものです。
それでは、またお目にかかれたらその時はよろしくお願いします。