もう何なんだとレイジーは思った。
「コロナ、これ教えて」
「これはここをこうすると……」
「アインハルトさん、すみません、ここを教えてもらえますか?」
「ヴィヴィオさん、ここの計算を間違っているので答えが合わないだけです。やり方は合ってますよ」
なぜ、自分がこんな所にいなければいけないのか、レイジーは本気で思った。
「ディリジェントさん、ボーっとしている暇はありませんよ」
目の前に広がる本の壁。学院に設けられた図書室という聖域。読書は漫画と言い切るレイジーにとって今まで関わりを持たなかったこの場所に腰を落ち着けているという現実を受け入れるのはなかなか難しい。
「……なんで僕はここに居るんだっけ?」
「それは私が帰ろうとする先輩を強襲して、ここに連れて来たからです。ちなみにアインハルトさんはヴィヴィオとコロナが行きました」
ニコっと笑うリオがレイジーには忌々しく見えた。
中間試験が近い為、赤点を取って補習などという拷問を受ける気がなかったレイジーは自宅で平均そこそこの勉強はする気ではいた。
しかし、現実には図書館という牢獄に連行され、初等科、中等科でも優秀な生徒で通っているアインハルトやヴィヴィオ達と共に勉強することになってしまった。
すでに自分よりも賢いであろう後輩三人と、比べることすら失礼に値するアインハルトと同じ勉強をさせられている。
同じ勉強というのが気を付けなければならないところだ。
テストは満点を狙うのが当然と考えてそうな優等生軍団に、50点を取れば赤点はないと考えるおバカさんが付いていけるわけがない。
加えて、周囲からの「あの人、何?」という奇異の視線が向けられる。
美少女達と勉強をする肉ダルマ、明らかに異質だ。
そういった違和感に周囲が反応するのはもっともで、ちらちらとレイジーに対する視線が向いている。
勉強という苦痛と周囲から囁かれる精神的な苦痛が二重になって襲う。
帰っていいですかといつ切り出してもおかしくはなかった。
「そう言えば、レイジーさんとアインハルトさんはテストが終わった後の連休に予定がありますか?」
帰ろうと思っていた時に、ヴィヴィオからそんな話が振られる。
「私は鍛錬をするくらいですね」
「親戚の家にちょっと」
面倒を察知する能力に長けるレイジーはヴィヴィオがこれからどんな会話をするのかだいたい予想が出来ていた。
だからこそ、先手を打ったのだ。
「実は私達は合宿をする予定なんです。アインハルトさんたちも一緒にどうかと思いまして」
「合宿ですか? 私は……」
「あ、ちゃんとノーヴェも来ますし、他にも優秀な魔導師の人たちも来るんですよ。訓練用の施設とかも有って、かなり練習になると思います」
優秀な魔導師という言葉を聞いてアインハルトの食指が動いた。
訓練施設があるということは訓練をするということである。彼らの訓練、あわよくば模擬戦を行えれば自分のレベルアップにつながる。
レイジーは面倒だと思った。そして自分の判断が正しかったとホッとした。
事前にこちらの予定――嘘であるが――を伝えているのだから断っても、なんら問題にはならない。
連休をふかふかベッドで過ごすという素晴らしき計画が潰されることにならなくて安堵した。
「それは良いですね。レイジー、貴方も行ってきなさい」
急に背後から聞こえた声。その声だけで背筋がぴんっと張ってしまう。
奴だ、奴が来たと脳内で警笛がけたたましい音を鳴り響かせた。
だが、時すでに遅しである。
「あ、シスターシャッハ」
ヴィヴィオがレイジーの背後に立つ女性、シャッハに気づく。
教会所属でかつこの学院の卒業生でもある彼女は教鞭を取ることがある。彼女に限らずシスターや神父が教鞭を取ることもあるので、別段彼女がここに居ることに対して驚きはない。
だが、レイジーは違う。驚かないという点では他の面々と同じだが、受け入れるという点で全く異なっている。
振り返ることすらしない。
この状況を切り抜ける最善の方法は一体何なのかと必死になって考えていた。
(逃げる、捕まってから説教。言い訳をする、この場で説教。嘘をつく、アーメン)
選択肢はすべて潰された。
「貴方は予定などないでしょう?」
「親戚の方に――」
「貴方が外出なんてしないことは分かっています」
「ごめんなさい」
シャッハの威圧感にレイジーは敗れた。
「折角のヴィヴィオからのご厚意なのですから、素直に受けるのが紳士ですよ、レイジー」
「シャッハちゃん、僕面倒そうなことは大嫌いなんだ」
「ぶっちゃけすぎです。皆さんが苦笑しているでしょう。そう言ったところを直さないと大変になるとずっと言って来たでしょう!」
「今のところ、大変になってないから大丈夫」
「そうですか……」
すっと流れるような動作でシャッハが腕をまくった。
後ろを振り返ってはいないが、音で何をしているのかは分かった。
レイジーは考える。
(このまま行けば確実に実力行使……いや、待て、閃いた)
「と思ったけど、やっぱり参加するよ、合宿」
「…………」
シャッハが無言でプレッシャーをかける。理由の説明を求められているのだと、レイジーは空気で察した。あまりしゃべるのが好きではないのだが、この場を乗り切るために口を動かした。
「ここで何を言っても強引に話を進めるのがシャッハちゃん。最悪、両親を使って来ると言う可能性がある。お小遣いを減らされたら買いたいゲームも買えないからね。素直に言うことを聞くよ」
「……企みがありそうですが、良いでしょう」
心の中でガッツポーズをするレイジー。自宅でゲーム三昧という道は断たれたが、それは合宿先でやればいいだけの話。腹痛でもなんでも使って部屋に引きこもれば良いのだ。
ニヤけそうになる顔を必死に隠して、レイジーはヴィヴィオ達の提案に了承した。
レイジーは知らない。
そんなレイジーの性格を完全に読み切って、シャッハがとある人物に面倒を頼もうとしていることを。
赤点をとって補習を受けていた方が、まだ平和だったということをこの時のレイジーは分からなかった。
■
52、63、47、50、78と並べられた数字。赤点はなく平均点の前後をうろついた。特に目立った成績もなく、上位20名が載せられる成績優秀者の欄に名前があるわけもない。
とりあえずは終わった、レイジーはそんな感想を抱いてから、次の事を考える。
旅行先は異世界、カルナージ。そこで四日間の時を過ごすことになる。
待ち合わせの場所に行くと、ノーヴェとアインハルトが居た。少しばかり会話して、移動する。
向かう先は高町家。ヴィヴィオの家であるが、そこで一旦集まってから次元空港に向かう手はずだ。
ヴィヴィオの家が分からないレイジーとアインハルトはノーヴェに案内をお願いしたのだ。
「ディリジェントさん、今回の旅先ではよろしくお願いしますね」
「うん」
「手合せをお願いできますか?」
「無理」
運転座席の後方で繰り広げられた会話は約5秒で終了した。「お前らもう少し仲良くなれよ」とノーヴェが運転しながら呆れた声を出していた。
高町家に着くと、ノーヴェが二人を先導し呼び鈴を鳴らす。「はーい」と綺麗な声が聞こえ、現れたのは「今まで美人って何百回言われましたか?」と尋ねてしまうほどの美人さんだった。
そして、レイジーは「あれ?」と違和感を覚えた。
「ノーヴェ、いらっしゃい。それに、アインハルトとレイジーで良かったかな? いらっしゃい」
「フェイトさん、お世話になります」
「お世話になります」
ノーヴェに合わせて、アインハルトがあわあわしながら挨拶した。
しかし、レイジーはこてんと首を傾げる。首周りのお肉が豊富すぎて、ほとんど動いていないが。
「フェイト・テスタロッサ・ハラオウンさん?」
「あ、うん。私達、どこかで会ったことがあったかな?」
レイジーが急に名前を呼び出したので、フェイトは記憶をたどったが、彼女の優秀な頭脳を持ってしてもメタボな少年など記憶にはない。
記憶から抹消したという可能性はあるが。
「会ったことはないです。僕が知っているだけです」
「お前も年頃の男らしい反応があったんだな。フェイトさんは管理局でもかなり美人で通ってるから分からなくもないけどさ」
ノーヴェが茶化すと、フェイトはほんのり頬を赤くしながら苦笑する。ただレイジーはノーヴェの言葉に対して反応はしなかった。
「そういうのとは違う。ただ戦い方を参考にした人ってだけ」
「え?」
レイジーが珍しく自分の事について話し出した。
「身を削るような思いで体を鍛えようと決心した7歳の時……」
「引きこもりからすれば、外出は辛いわな」
ノーヴェは正しくレイジーの言葉を理解した。
「親戚のシスターに
レイジーに後光が差す。
そして神からの啓示を告げた。
「速いもん勝ち」
「んまあ、間違ってはいねえけど、お前の言い方だとなんかしょぼいな」
「ということでサイン下さい」
「意外とまともな趣味持ってんだな」
どこから取り出したのか、ノートとペンを取りだすとフェイトに渡す。
フェイトもこう言うことを頼まれるのが初めてではないようで、ささっと書いてレイジーに渡す。
(オークションでいくらになるかな?)
あまりにも最低な事を考えるレイジーであった。戦い方を参考にしたと言っても憧れの存在ではなかったようだ。
「フェイトママー、玄関で何を……」
フェイトが客の応対に出て行ったきり、戻ってこないことを心配したヴィヴィオがトタトタと走って来た。
アインハルトとレイジーが来ていることが分かるとぱっと笑顔になって二人を中に招く。
ヴィヴィオに案内される形でリビングに入ると、そこにはリオやコロナ、そしてヴィヴィオの母、高町なのはがいた。「あれがビーム使い」とレイジーは自分の記憶にある映像を即座に思い出していた。
「あ、いらっしゃい。二人がアインハルトちゃんとレイジー君だね」
「アインハルト・ストラトスです」
「ども」
二人はぺこりとなのはに向かって頭をさげる。
そんな二人を見てニッコリと笑うなのはは、ずいっとアインハルトの元に近づき彼女の手を取った。
「格闘技強いんだよね? 凄いね!」
「あ、あの……」
勢いのある人間があまり得意じゃないアインハルトはおろおろとするばかり。
見かねたヴィヴィオが二人の間に入り、なのはを諌めた。
「なのはママ、アインハルトさんは物静かな方だから」
「あ、ごめんね」
「い、いえ」
ヴィヴィオに手を引かれ、アインハルトはリオ達の元に行く。
「レイジー君はシスターシャッハの知り合いなんだよね?」
興味の対象を娘に奪われてしまったなのはは標的をレイジーに変更する。
なのはの言葉を正しく理解したレイジーの脳細胞が「拙い、拙いぞ!」と警報を発令した。
「今回の合宿でレイジー君の面倒を見るようにシスターシャッハにお願いされてるんだ。頼りないかもしれないけど、これでも管理局で戦技教導官を務めているから、心配しないでね」
「いや、あまり関わらないでくれた方が――」
「あは、シスターシャッハの言った通りだね。レイジー君はすぐに遠慮するって言ってたよ。大丈夫、人に物を教えるのは好きだし、迷惑とかじゃないから。私も全力全開で頑張るよ」
ぐっと胸の前で拳を握り、決意表明をするなのは。張り付けた魔力脂肪の所為で表情変化はなのはに伝わらなかったが、その脂肪に隠された下の表情筋は大きく引き攣っていた。
(やめて、やめてください、やめてっちゃ、やーめて、どれを言えば止めてくれるかな)
ビシビシと伝わってくるのがなのはの善意。
シャッハもそうであるが、決して悪意があるわけではない。自分のために頑張ろうとしていることが分かるからこそ、面倒なのだ。
レイジーが何だかんだでシャッハの言うことを聞くのはそう言った心からの善意には弱いからだ。譲れないことはあるが。
仮病を使うことを決めて、この場では一応を了承しておく。
部屋に引き籠るのも大変だと改めて実感した。
「ダラダラしたい、人間だもの」
合宿先であるカルナージに着くと、レイジーは早速行動を起こした。
「痛たたたた」
お腹を押さえて苦しみ出す。
ヴィヴィオ達子ども組は純粋にレイジーを心配し、レイジーを大分理解しているノーヴェは呆れてタメ息を吐いた。
「これは拙い。四日ほど部屋で寝てないと治らない」
「仮病を使うならもう少しうまくやれよ」
「ノーヴェさんに腹痛者の気持ちは分からない。この苦しそうな顔を見て」
「脂肪が分厚すぎて表情の変化なんてわかんねぇよ」
レイジーは仮病、放っておけと大人組は目的地に向かって足を進める。
(このままここでのた打ち回るのも……ダメだ、サバイバルなんてできない)
付いて行くしかないとわかり、レイジーは諦めモードで先を行く大人たちの後を追った。
しばらく歩くと、大きめの建物が見える。『オフトレツアー御一行様』と掲げられた旗が無駄に風でなびいていた。
「いらっしゃい、皆さん」
「メガーヌさん、お世話になりますね」
なのはがそう言うと、フェイトやスバルが後に続いて挨拶を済ませる。
今回の宿泊先の主であるメガーヌはニコニコしながら一人ひとりの様子を確認していく。
「あ、ルール~!」
メガーヌを少しだけ小さく女性が現れると、ヴィヴィオが勢いよく駆けだした。
そのままがばっと抱き着くヴィヴィオを受け止めた女性は優しく頭をなでた。
ルーテシア・アルピーノ。メガーヌの娘である。
今回なのは達が合宿先にこの無人世界カルナージを選択したのは何も宿屋があるからではない。
彼女、ルーテシアは才能の宝庫と言われており、魔法はもちろんのこと、建築やデバイス製作、さらには古代ベルカについての豊富な知識といったなんでもござれの万能人間なのである。
陸戦魔導師用に築かれた訓練場や大人子供問わずに楽しめる巨大なアスレチック、適当に掘ったら出て来たと言われる天然の露天風呂など各種設備がここには取り揃えられている。
合宿地としては申し分ない。
「すみません、体調がすぐれないので休んでて――」
「よし、チビ共は川で遊ぶぞ。レイジー、お前も強制参加だ。アインハルトもこっちで良いな?」
「は、はい」
「僕は嫌だ」
「なら大人組に混ざって特訓することになるけどいいか?」
「わーい、川遊びだー」
特訓という言葉にレイジーはすぐさま拒否反応を示す。
「よし、着替えて川に集合!」
「はーい!」