怠惰を求めて勤勉に   作:生物産業

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第四話 かっちーんと恐怖

 再戦の日がやって来た。

 少女アインハルトはこの日を心待ちにしていた。

 

「ディリジェントさんに雪辱を果たします」

 

 ぐっと胸の前に握り拳を作り、固い決意をその胸に抱いて少女は部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

「わりぃ」

 

 気分は高揚していた。自分よりも強い相手、それを倒すことで自分が高みに登ることができる。

 そして、今日はその日であった。

 だが、ノーヴェによって告げられた内容は、少女にとってあまりにも残酷なことだった。

 

「ディリジェントさんが来ない……?」

「ああ。なんでも父親の結婚式とかで」

 

 ノーヴェから告げられたその内容に絶句する。そして、それ以上にノーヴェに対して本気で疑問を抱いてしまった。

 

「ノーヴェさん、親戚の結婚式ならともかく、自分の父親の結婚式なんて嘘以外の何もでもありません」

「いや、私もそう言ったんだが、再婚して舞い上がってる父親を祝福したいって言うからさ……」

「ディリジェントさんのご両親が離婚されていたのですか?」

「知らないから、困ったんだよ。こういう話題だと聞きづらいだろ?」

 

 確かにとアインハルトは納得した。

 そして心の中でノーヴェに謝罪もした。バカではなかったのだと。

 

(まさか、そこまで見越した虚言ということですか? やはりディリジェントさんは侮れませんね)

 

 アインハルトはレイジーへの評価を上方に上げた。

 

「まあ、アイツが来なくてもヴィヴィオと戦ってくれよ。なんか朝早くから猛特訓していたみたいだからさ」

「今回は全力で来てくれるようですね」

 

 ヴィヴィオが特訓してきたという言葉を受けて、少し沈んでいた気持ちを引き締める。

 一度は勝った相手だが、それゆえに負けは許されない。

 自分は覇王の血を引く者。例え、模擬戦であっても敗北することなど有ってはいけない。

 

 救助隊の訓練にも使われる廃倉庫。すでにノーヴェが隊から許可は取っている。

 誰に気兼ねなくやれる状況で、観客もいる。

 猛特訓を行ってきたという情報も得ているアインハルトは結構やる気があった。

 

 対するヴィヴィオはアインハルトに見えないようにタメ息を吐いていた。

 

(うぅ~、ここ数日、山に行って帰るだけしかしてない……)

 

 特訓をしようとヴィヴィオが決心したのは約一週間前。それからレイジーという男に振り回されて無駄に時を過ごしてしまった。

 目の前でメラメラと闘志を燃やしているアインハルトを見ると、申しわけない気持ちでいっぱいになってくる。

 

「クリス」

 

 ばしっと一発頬を叩いて気合を入れる。今から自分の全力をぶつけるのだ、余計なことを考えている場合じゃないと、バリアジャケットを展開する。

 大人モードと呼ばれる変身魔法を使い、自分の姿を大きく成長させた。

 

「武装形態」

 

 アインハルトも準備を整える。彼女もまた変身魔法を使い自分の姿を大きく成長させた。

 対面する二人はバリアジャケットを纏っているものの、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる立派な成人女性。初等科4年生と中等科1年生などとは初めて見る人物であるならまずわからないだろう。

 

「ルールは相手を戦闘不能にするか、参ったと言わせた方が勝ち。射撃もバインドもありの完全戦闘。ただし明らかな危険行為があった場合は私が止めに入るからな」

 

 審判を務めるノーヴェの言葉に二人が小さく頷いた。

 

「――始めっ!」

 

 その瞬間、二人が激突する。

 ほぼ同時の突撃。距離にして5Mがたったの一瞬でゼロに変わる。

 先攻はヴィヴィオ。深く落とした膝により、下から上へ伸びあがるようにアッパーを見舞う。

 それを冷静に見ていてアインハルトはアッパーの軌道を右手で逸らすと、無防備を晒したヴィヴィオの右側腹部へ回し蹴りを繰り出す。

 拙いと思ったヴィヴィオ。だが、奇妙な感覚に襲われる。

 

(あれ、遅い?)

 

 自分に近づいてくる蹴りの脅威を感じ取るも、どこかゆっくり見えるその攻撃にヴィヴィオは違和感を感じていた。

 アインハルトが手加減しているとも考えたが、試合開始前の彼女の雰囲気からそれはないと判断する。

 なぜ? というのは頭に残ったが、これなら防げると右足を上げてアインハルトの蹴りを防ぎそれと同時に支えていた左足の力を抜いてわざと吹き飛ばされた。

 

「驚きました。完全に入ったと思ったのですが。猛特訓してきたというのは嘘ではなかったようですね」

 

 距離を開けたヴィヴィオに称賛の言葉を送る。

 

(ごめんなさい。山登りしかしてないんですっ!)

 

 心の中で泣きながらアインハルトに謝る。

 だが、それと同時に先程の攻撃が加減されたものでないということも理解した。

 

(でもなんでだろ? 何もしてないのに、私って強くなった?)

 

 いやいやと首を振る。何もせずに強くなれるなら、今までの努力は何だったのかとその考えをすぐに捨てた。

 

(私がしてたことなんて、山登りとレイジーさんの練習を……あ!)

 

 そこで気づいた。

 そうだ、あの人だ。あの人の尋常でない足の動きをずっと見続けて来たから自然と蹴りに対する反応が早くなっていたのだと理解する。

 

「無駄じゃなかった……」

「努力に無駄なことなんてありませんよ?」

 

 微妙にかみ合ってない二人のやり取りだが、ヴィヴィオはホッとする。

 この一週間、自分の目を実は鍛えていたんだと言い聞かせる。無意味な時間を過ごしていないのだと、全力で否定する。そうでなければ悲しくて泣いてしまう。

 

「行きますっ!」

「ええ」

 

 

 

 

 その後の戦いは結局地力で勝るアインハルトが勝利した。だが、終始自分の攻撃に反応してきたヴィヴィオには驚きを隠せなかった。

 前回戦った時よりも確実に速い動きで攻撃しているのになかなか直撃を与えられない。

 それが焦りとなり一発もらってしまった点は反省しないとと思いつつも、一週間で見違えるような向上を見せたヴィヴィオにアインハルトは少なからず興味を持った。

 

 彼女の努力と熱意に敬意を表し、気絶しているヴィヴィオの元に近づき寝ていた彼女の手を取った。

 

「初めまして、ヴィヴィオさん。私はアインハルト・ストラトスと申します」

「それ、起きてる時に言ってやれよ」

 

 ノーヴェが笑いながらそう言うのだが、「恥ずかしいので嫌です」と頬を染めながらアインハルトは拒否した。

 それを見ていた周りの面々が小さく笑う。

 

「とにかくヴィヴィオさんを治療できるところへ」

 

 そう言ったアインハルトがヴィヴィオを背負う。ヴィヴィオの友達のコロナとリオが「よろしくお願いします」と笑顔で頼んだが、アインハルトは恥ずかしくて二人から顔を背けた。

 逸らした先ではノーヴェがニタニタ笑っていたのだが、何も言ってこなかったので、キッと睨みつけるだけで終わってしまった。

 

「後はあのメタボか」

「……さすがにそれは失礼じゃないかと」

「いや、たぶん面と向かって言ってもアイツは気にしないと思う。反論するのが面倒とか言いそう」

「……容易に想像できます」

「お前は学院でアイツと同じクラスなんだろ? 話とかしないのか?」

「以前、試みようとしたんですけど、ディリジェントさんは休み時間中は机に突っ伏して寝ているんです。昼食時なんかもいつの間にか居なくなっていてなかなか話す機会というのが……」

 

 ノーヴェとアインハルトは歩きながらレイジーという人物について話し合った。

 

「誘っても来ねえからな。食事をちらつかせても、面倒さが勝った瞬間に拒否するからな」

「そうですね。私も約束を果たそうとお誘いしようとしているのですが、会話が成立しないので」

「アイツぐらいの歳の男ならお前みたいな女の子から話しかけられたら狂喜乱舞しそうなもんだけどな」

「それは私が褒められてますか?」

「まあな。アイツを振り向かせられないすげぇ美少女だと思うぞ」

「バカにしてますか?」

 

 アインハルトは、むっと怒りを示したが、ノーヴェに頭を撫でられてうやむやにされてしまう。

 

「ったく、メタボ野郎について頭を悩ませないといけない日が来るとは思わなかったぜ」

「私も異性の人にここまで真剣に悩んだことはなかったかもしれません」

「その部分だけ考えると、私達、もの凄く女の子してるよな」

「否定はしません」

「でも一切、恋愛系に発展しなさそうなのはなんでなんだろうな」

「……格闘技に生きているからです」

「アインハルト、素直にアイツに問題があると言ってやれ」

「そ、そんなことは思ってません!」

「じゃあ、アイツが付き合ってくれって言ったら付き合うのか?」

 

 年下をからかうノーヴェはいやらしい笑みを浮かべていた。

 

「何を言ってるのでしょうか?」

「……お、おう」

 

 無表情だった。無表情すぎた。ゆえにノーヴェは後退してしまう。

 アインハルトの、「は?」というメッセージの籠った眼光がノーヴェを下がらせたとも言う。

 いくら過去の記憶を持って生きているとは言え、アインハルトも年頃の女の子だ。

 実際そうであるかは別として、油ギッシュな見た目をしているレイジーを受け入れるには彼女たちの関係はあまりにも浅すぎる。

 興味のある異性という意味では間違ってないが、それはあくまでもレイジーを一人の格闘家として見た場合であって、そこに恋愛が絡むようなことは断じてない。

 

「う、う~……う? うう?」

「起きたんならまず人間としての言葉をしゃべれ」

「な、なな、なんで!?」

「ヴィヴィオさん、あまり耳元で叫ばないでくれると助かります」

「あ、すみませ――そうじゃなくて、なんで私がアインハルトさんに背負われて!?」

「お前が無残に散ったから」

「散ってないよっ!」

 

 気絶から目覚めたヴィヴィオ。元気そうだと分かり、アインハルトは彼女を背中から下した。

 

「まぁ、それだけ元気なら心配なさそうだな」

「うぅ~なんか恥ずかしいっ」

 

 ほんのりと頬を染めるヴィヴィオの頭をノーヴェが優しく撫でた。

 アインハルトは普段通りのヴィヴィオを見て、少しばかりホッとしていた。

 アインハルトを見るたびに赤面するヴィヴィオだったが、時間も経つと気持ちに整理がつくようで、ようやく平常モードで話せるように回復した。

 

「そう言えば、ヴィヴィオ? お前、どんな特訓をしてきたんだ? やたらと攻撃に対する反応が良かったけど」

 

 審判をしながらヴィヴィオの変化に疑問を持っていたノーヴェは直接聞いてみることにした。

 

「うー」

 

 ヴィヴィオが唸る。ちらりとアインハルトの方を見て首をプルプルと振った。

 明らかに挙動不審なヴィヴィオにノーヴェが落ち着けと、優しく肩を叩いた。

 

「……実は」

 

 ヴィヴィオは語る。

 朝早く山を登っていた事。レイジーを観察していた事。それだけで一週間近く過ごしてしまった事。

 そして、「ごめんなさい」とアインハルトに謝った。

 

「謝ることはありませんよ。ヴィヴィオさんは確かに成長していました。なるほど、ディリジェントさんの動きを見ていたからこその反応だったのですね。納得です」

「ア、アインハルトさんの動きも速かったですっ!」

「それでもディリジェントさんのスピードには及ばないということが分かりました」

「うぅ」

 

 ちょっと意地悪してしまったかと、アインハルトはヴィヴィオの頭に軽く手を置いた。

 アインハルトがそんな行動を取るものだから、ヴィヴィオは一人おたおたし始める。「可愛いらしい方」と表情には出さなかったが、アインハルトは微笑んでいた。

 

「ただ、おかしなことがあるんですよね」

 

 再三調子をおかしくしていたヴィヴィオだったが、立ち直るとすぐ、思い出したかのようにレイジーの事について語りだした。

 

「私が見ていたレイジーさんの訓練はずっと同じだったんです」

「自分で考えたメニューをこなしているだけじゃねぇのか?」

「ううん。レイジーさんがやってたことは岩に向かって蹴りを放つだけだった。その速さは驚いたけど、それ以外の練習は見なかった。ずっと倒れるまで蹴り続けていた」

「蹴りの練習だけなのですか?」

「はい」

 

 アインハルトもノーヴェもその事について考える。一人の訓練であるが故に対人を想定しての練習は難しいというのは想像がつく。

 だが、そうであっても蹴りのみというのは異常だ。防御は無理としても回避訓練などはできるのだから、それを混ぜてメニューを組むのが普通だ。

 

「もしかして、蹴り以外の練習が面倒だからとか言わねえよな?」

「…………」

 

 ヴィヴィオとアインハルトは沈黙した。

 

(ディリジェントさんなら……)

(レイジーさんなら……)

((あるかも))

 

 結局、考えはまとまらなかった。

 

 ■

 

「ディリジェントさん」

「zzz……zzz」

 

 寝ているクラスメイトに話しかけるアインハルトだったが、机にうつぶせになる少年は微動だにしなかった。

 最初はためらったが、やはり話をしておきたいと寝ているレイジーの肩を軽く揺する。

 

 その様子を見ていたクラスメイト達は、「え、ストラトスさんがあの……」や「デブ専?」等、好き勝手に話しだしていた。

 その声が聞こえていたが、特に親しくもない人間にどう思われようと気にしないアインハルトはレイジーを起こすことに集中した。

 

「んん……んーん?」

 

 揺すられたことで目を覚ましたレイジーは机に突っ伏したまま、首をくいっと動かして視線を自分を起こした人物、アインハルトの方に向ける。

 

「こんにちは?」

 

 昼時のあいさつとしては間違いなかったが、寝ていた人間にこのあいさつはどうなのだろうかと考えてしまったため、疑問形になった。

 

「…………」

 

 何かを考えて数瞬、レイジーは向けていた視線を再び自分の腕に戻し、目を瞑った。

 その態度に少しばかりムッとしたアインハルトはちょっと強めに肩を掴む。

 

「……何?」

 

 視線を向けることはせず、レイジーは尋ねた。この人はきっと怠け星の怠け族なんだと自分に言い聞かせたアインハルトはその状態のまま話すことに決めた。

 

「今日の放課後はあいていますか?」

「ません」

「ノーヴェさんが焼肉パーティを開いてくれるとの事なのですが?」

「行きます。行かせてください」

 

 ばっと起き上がったレイジーはアインハルトの手を取って懇願した。

 それを見ていたクラスの一部からは奇声が、また別の方からは歓声が上がった。

 

「トレーニング後ということですが」

「……トレーニングが終わったら参加する」

「トレーニングに参加しない者には食べさせないとおっしゃっていました」

「……わかった」

 

 網の上で踊る上カルビが頑張ってと応援していたため、レイジーは断腸の思いでトレーニング参加を表明した。

 

「では、放課後。ヴィヴィオさんたちも御一緒すると思うので、待っていてくださいね」

「うん」

 

「牛、豚、ドラゴン」ぶつぶつと呟くレイジーはそのまま夢の世界に旅立って行った。そんな彼を見てアインハルトはハァーとタメ息を吐く。

 

「私は何をしているんでしょうか?」

 

 少女の悩みは尽きない。

 

 

 

 

 放課後になって、レイジーは行動を起こした。

 すべては焼肉のためだと、動こうとしない自分の身体に鞭を打って、教室を出ていく。

 昇降口に着けば、既に授業が終わっていたのか、ヴィヴィオ達が待っていた。

 レイジーの姿を見てニッコリと笑ったヴィヴィオはすぐさま駆け寄って来た。

 

「レイジーさん、アインハルトさんはどうしたんですか?」

「星になった。さあ行こう」

「勝手に人を抹消しないでください」

 

 レイジーの後を追って来ていたアインハルトは背後から声をかける。その声には少しばかりの怒気が含まれていた。

 

「さあ行こう」

「少しは話くらい聞いてくださいっ!」

 

 マイペースと言えば聞こえがいいが、実際はただの自己中。そんなレイジーに苦笑する初等科の面々と表情を歪ませる中等科の少女。

 歩くたびに上下に揺れるバラ肉が先頭を進む。

 そんな彼に並ぼうとヴィヴィオが小走りで隣まで行き、レイジーに話しかけた。

 

「レイジーさん」

「お肉は大好きです」

「聞いてませんよ~」

「……何?」

「そのテンションの下がり方は、私としてはちょっと傷つくんですけど……」

「何?」

 

 少女の負った心の痛みなど知らんとばかりに、レイジーは用件だけ話せと促す。

 

「実はですね、シスターシャッハが――」

「シャッハちゃんは死んだんだ。死者の話はしないことにしている」

「死んでませんよっ!」

 

 明らかに動揺を見せるレイジー。そして、ヴィヴィオはその理由が考えるまでもなく分かっていた。

 真面目と怠惰、まったく真逆の性質を持っている二人に問題がないなんてことがあるだろうか? いやない。

 

 特に素行不良の人間を許すようなタイプではないシャッハはレイジーにとってまさに天敵と言える。

 そんな名前が挙がってしまえば、彼が挙動不審になるのはヴィヴィオにも簡単に理解できた。

 

「……僕、今日、焼き肉食べたら死ぬんだ」

「なんでそんな絶望感漂ってるんですか!?」

 

 顔を真っ青にしたレイジーががっくりと肩を落とす姿に、さすがのヴィヴィオも焦った。

 シャッハが襲ってくるわけではないと必死にレイジーを説得し現実世界に引き戻した。

 

「レイジーさん、シスターシャッハが苦手なんですね」

「だって、シャッハちゃん、怒ると怖いから」

「でも、ちゃん付けなんですね」

「一度、シャッハおばさんと呼んだら叩きのめされた。それ以来ちゃんで通している」

 

 シャッハは従姉であるため叔母ではないのだが、そこのところがよく分かっていないレイジーは初めて会ったと時にそう呼んだ。年齢が離れていたとは言え、シャッハが初めてレイジーに出会った時は青春時代真っ只中である。おばさんと呼ばれてキレても仕方がない。

 

「……そ、それでですね、シスターシャッハからレイジーさんが特訓していることを教えてもらったんです。それで、失礼だと思ったんですけど、その特訓を私、見てたんです」

「へぇー」

「怒らないんですか?」

 

 自分の訓練を勝手に覗いていたことを咎めないのかとヴィヴィオは尋ねたつもりだったが、返って来た答えは無関心だった。

 

「別に」

「もしかしたら、レイジーさんの技の秘密を知ってしまったかもしれないんですよ」

「知られてどうこうなるようなもんでもない」

 

 だからどうしたと言わんばかりのレイジーはあくびを掻くだけだった。

 

「じゃ、じゃあ、図々しいかもしれないんですけど、レイジーさんの技の秘密を教えて――」

「ヤダ」

「で、ですよねー」

 

 あははと乾いた笑いを浮かべるヴィヴィオ。聞き耳を立てていたアインハルトやリオ達も同様だった。

 

「それじゃあ、質問良いですか?」

「…………」

「無言で拒否するのやめてください」

 

 本気で嫌そうな顔をしたレイジーに対してヴィヴィオはうっすらと涙を浮かべてしまった。

 

「ヤダ」

「うぅ~」

 

 明確に拒否されてヴィヴィオは完全に怯む。年上でそれほど親しくもない相手。人当たりの良いヴィヴィオは、大抵の人間と上手くやっていける。

 だがそう言う器用さがあるからこそ、相手が話をしてくれないという経験があまりない。

 拒絶される事に慣れていないので、涙をこぼしそうになる。

 だが、それに待ったを掛けたのが頼れる先輩、アインハルトであった。

 

「ディリジェントさん、あまり下級生を苛めるのはいけませんよ」

「苛めてない。話すのが面倒だっただけ」

「質問に答えてあげるくらい良いのでは?」

「質問を断るくらい良いと思う」

 

 間違ってはいない。

 だからこそ、アインハルトはそのまま引いた。「アインハルトさん!?」とヴィヴィオはしょんぼりする彼女に駆け寄った。頼れる先輩時間、わずか10秒。

 

「先輩は練習とか好きなんですか?」

 

 そんな中、純真無垢な笑顔を浮かべたリオがレイジーに話しかける。

 実家が道場をやっているということもあり、ヴィヴィオから聞いたレイジーの訓練に興味があったようだ。

 

「大嫌い」

「えー。でも、毎日やってるんですよね?」

「嫌いな事を嫌いと言っているだけの生活は許されなかっただけ」

「よく分からないです」

「嫌いなのとできないのとは違う。好きだからと言ってそれができるわけじゃないのと同じ」

「つまり、嫌いだけどできるからやってると?」

「うん」

「でも、それってつまらなくないですか?」

「楽しいことだけやれる生活ができないから仕方ない。だから嫌なことでもやるしかなかった」

「まぁ、そうですよね」

 

 勉強にしろ、仕事にしろ、自分が望んだことができるというのはなかなかまれである。望んだことを望んだとおりに実現できる人間が才能のあるものなのだ。

 少なくとも、レイジーにはそう言った才能はなかった。

 

「先輩、センターに着いたら私と組手してくれませんか?」

「「え?」」

 

 声を上げたのはレイジーではなくヴィヴィオとアインハルトだった。

 自分がやりたかったのに先を越されたという単純な思いが声となって出てしまったのだ。

 

「…………」

 

 アインハルトとヴィヴィオを見る。そしてレイジーは少しばかり考えてから、「いいよ」と了承した。

 

「な、なら私もっ!」

「是非、私も」

 

 はいはいとヴィヴィオは手を上げて、アインハルトはずいっと前に出た。

 

「一日一回しか人と戦えない病気なんだ」

「はい、それ嘘!」

 

 べしっとリオがツッコんだが、鉄壁とも称されるレイジーの肉布団がそのツッコミを無効化した。

 お肉を叩くなとリオの方に視線を向けると、リオはなぜか怒っていた。

 鋭い観察眼でレイジーはその意味を理解し、タメ息を吐いた。

 

「先輩の考えたことを当ててみましょうか? ヴィヴィオとアインハルトさんと戦うのと私と戦う方で私の方が楽だと思ったんですよね?」

「うん」

「かっちーん」

 

 迷いのない返答にリオの目に炎が宿る。

 

「絶対にそのお腹に16連コンボ決めて見せます」

「どうぞ」

 

 だって魔力の塊だもんとはレイジーは言わなかった。

 

 

 

 区民センターについて早々、リオは着替えを済ませ入念なアップを開始した。

 やはり舐められたというのが彼女の格闘家としてのプライドに火をつけてしまった。

 対するレイジーは学院指定の体操着にゆっくりと着替える。着替えを終えるとノーヴェの元に向かい、練習後の焼肉パーティーについて相談しようとしていた。

 

「それは後だ。今はきっちり練習しやがれ」

「分かった」

 

 短く答えると、レイジーはぶよんぶよんとお肉を弾ませる。その光景を見ていた周りの人間はクスクスと笑いだす。

 場違いだ、口には出さなかったが彼らはそう言っているのだ。

 

「先輩、よろしくお願いします」

「おー」

 

 間の抜けた返事がただでさえ苛立っているリオを余計に苛立たせた。

 ノーヴェが審判として二人の間に入る。コート中央に引かれた二つの線。立ち会いの位置を示したその場所に二人が構えをとって立った。レイジーはだらんと腕を下げているが。

 およそ5M、それが二人の距離だ。

 そしてレイジーの勝利への必要条件。

 

「射撃なしの格闘技オンリー。3分1ラウンドで良いな?」

 

 リオはしっかりとレイジーはかすかに動いたと分かる程度で頷いた。

 

「――始めっ!」

 

 その言葉と同時にリオは吹き飛ぶことになる。

 レイジーたちの事を知らない観客たちは驚愕の表情を浮かべた。

 

「――!」

 

 だが、あらかじめ予想していたリオはしっかりとガードをしており、アインハルトが食らったような場外負けにはならなかった。

 

「スポーツ格闘技なら僕は負けない」

「ぐっ!」

 

 ガードしているその上から強烈な攻撃が何重にもなってリオに襲いかかる。

 レイジーは何もしておらず、リオが苦悶の表情を浮かべるだけ。傍から見ている人間にはそうとしか見えないが、アインハルトやノーヴェと言った実力者はレイジーの足の動きをかすかに捉えていた。

 攻撃方法を事前に知っていたのも大きかった。

 

(速ぇ。マジで速ぇな。普通に見えねぇ)

(足下を注視してようやく残像が見える程度だなんて)

 

 二人の感想はそれぞれ称賛するものであった。

 防御に徹し、踏ん張っていたリオの足が徐々に浮き始める。止まることのない連続攻撃。始まって1分と経たないが、リオが防御以外の動作を行うことができなかった。

 

(痛い、痛い、痛い)

 

 ガードしている腕がじんじんと痺れだし、脳に警告を発するのをリオは感じていた。

 終わる時は来る、そう信じて持ち堪えているが、それも限界に近い。

 踏ん張っていた膝は力を失くし徐々に伸び始める。

 

「きゃっ!」

 

 とうとう吹き飛ばされてしまったリオはそのまま場外まで蹴り飛ばされて敗北を喫した。

 

「……疲れた」

 

 汗一つ掻かずにレイジーはそう呟いた。

 

「リオ、大丈夫か?」

 

 うつぶせのまま起き上がってこないリオを心配したノーヴェが急ぎ足で駆け寄る。

 だが、リオの肩が小さく震えているのを見て、ノーヴェは抱き起すのを躊躇った。

 

 何もできずに敗れる。格闘家としてこれ以上に悔しいものはないのはノーヴェにも分かる。

 自分の力を一切見せることができずに敗れるのは、今までやって来たすべてを否定されたような気分になるからだ。

 敗北が格闘家を強くする、道理であるが、敗北が格闘家を弱くするのもまた事実だ。

 

 フォローを間違えれば、立ち直れない可能性があると感じ、ノーヴェは悩んだ。

 師の真似事をしているが、こういったメンタル面への配慮というのは経験が物を言う。だが、ノーヴェにはその経験があまりにも乏しい。

 こんな時に何も出来ない自分に苛立ちつつも、ノーヴェはリオの肩に優しく手を置いた。

 

「大丈夫か?」

 

 ありきたりだなとノーヴェは思う。

 だが、それしか言うことができなかった。

 

「す……い」

「リオ、怪我でもしたか?」

 

 ズキズキと感じる腕の痛み。

 久しぶりの感覚をリオは思い出した。

 格闘技を始めた頃は、当たり前の感覚。上達するにつれて薄れて行ったものだが、それが今確かに腕にある。

 

 何もできなかった。

 

 開始と同時に攻められるだけだった。事前情報がなければガードすることすら不可能だった。

 圧倒的な力量差、自分とレイジーの間にはそれだけの差があることを実感した。

 

 お世辞にもトレーニングしているとは言えない体。練習嫌いを公言し、自分と違って格闘技を好いているようには見えなかった。

 物ぐさな態度もあってか、舐められていたことに怒りを感じ、本気で倒すつもりだった。

 

 だけど、完敗した。

 悔しかった。自分の今までの努力を完全に否定されたような感じがした。

 

 でも、それは違う。

 

 彼は言った。「嫌なことでもやるしかなかった」、その言葉の意味を自分ははき違えていたのだ。

 嫌々やっているのだから身に付いてはいない、そう思っていた自分をリオは恥ずかしく思う。

 ヴィヴィオは言っていた。「ずっと同じ練習を倒れるまでやっていた」、そう言っていたのだ。

 

 同じ練習しかしないのは彼が怠け者だから、そう決めつけていた。だからこそ、大事な部分、倒れるまでやっていたという部分に気が回らなかった。

 

 自分がぶっ倒れるまで練習をしたことが一体どれだけあっただろうかと考えると、なんてバカなことを考えていたのかと思う。

 そしてその差がいま如実に表れているのだ。

 悔しいと思う反面、純粋に凄いと思った。身体が自然と震えるほどに。

 

「凄いっ! 凄いよっ!」

 

 目を輝かせたリオはバッと起き上がるとレイジーの元へ走っていく。

 予想外の反応を見せたリオにノーヴェは呆気にとられてしまった。

 

「先輩、凄いです。何がどう凄いとかは言えないんですけど、凄いんですよっ!!」

 

 ほらほらと痣がついた腕を見せながら、嬉しそうにリオが飛び跳ねる。 

 それを見たレイジーは思った。

 

(この子、頭のネジが外れてる……)

 

 試合をする前は怒っていたはずだ。バカにしたような態度を取ったのだから、怒っている理由くらいレイジーにだってわかる。

 だがしかし。

 試合を終えた途端のこれだ。540度回って自分への評価が好転している。

 

 ボコボコにされて喜ぶ人間をレイジーは二次元という空想の世界でしか知らなかったため、完全に引いてしまった。

 面倒嫌いを公言する彼が珍しくリオという少女の将来を心配してしまった。

 

「お、落ち着いて」

 

 びくついた手でリオの頭を押さえる。当事者二人以外からすれば、頭を撫でているように見える。微妙にレイジーの手が震えているのが撫でている動作に似ているのだ。

 

「にゃは~」

「…………」

 

 猫のような声を上げるリオにぶるっと鳥肌を立てるレイジー。この子はヤバい、そう感じ取った。

 この状況を脱するには年上に頼るのが一番だ、そう考えてすがるような思いでノーヴェの方に視線を向ける。

 

「まあ、仲良くなって何よりだな」

 

(ええ~!!)

 

 あまりの事に声にならなかった。年上は意外と頼りにならないのだとこの場で学んだ。

 

「先輩! 私のフォーム見てもらっても良いですか!?」

 

 ゆさゆさお腹の肉を揺らされるレイジーは人生で初めての苦難にどう対応していいか分からず呆然とするのだった。


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