ため息を大きく吐いた。
「レイジー・ディリジェント選手、イービル・ノート選手。一回戦を始めますので、B会場にお越しください」
世の中狭いものだ。レイジーはそう思った。
二週間前に負けた相手。審判のミスによるもので、その試合結果自体は無効になったが、レイジーにとって因縁のある相手だ。
それが、まさか別の大会で、しかも一回戦から当たるなんて、作為的なものを感じなくもない。
だが、そんなマンガみたいな展開はないかと、気にすることをやめてレイジーはぱちんぱちんと頬を叩いて気合を入れた。
会場に着けば、すでに相手がリング上で腕組みをしながら待っていた。
前回のようなミスを避けるために、レイジーは審判に自分の状態が不正にあたらないかを確認した。
返答は不正にあたるかも知れないであった。
なんでも、匿名でそういう訴えが事前にあったということで、術式を組んでいない変身魔法は、魔力付与という扱いになるのではないかと疑問の声が上がった。
基本的に自分に魔力負荷を掛けて試合に臨む輩はいないので規則などはなかったのだが、疑わしきものは罰せよという扱いになってしまった。
だから、レイジーは素の状態でリングに上がることになる。それをレイジーにとってマイナスだと感じているのか、対戦相手であるイービルは不敵な笑みを浮かべていた。
「久しぶりだね、レイジー君?」
「どうも」
「その姿を見るのは久しぶりかな」
試合開始前のたわいのない会話。だが、イービルはニヤニヤと笑うばかりだ。
「レイジー君は防御に自信がないのかな? だから、あんなみっともない格好をして試合に出ていた」
「まあ、そうですね」
イービルは挑発のつもりだった。ポッチャリ体型のレイジーがみっともない格好というか見た目なのは事実で、否定できることではない。相手が厭味の一つとして言っているのがわかるので、特に腹立てることはない。そんなことは何度も言われてきたのだから。
だが、レイジーの態度がイービルには面白くないようで、小さく舌打ちをしている。
防御力を下げられて困っている、そんな顔を彼は見たかったようだ。
「両者、準備は宜しいか?」
審判が試合の開始を促そうとしている。
レイジーは普段通りに小さく頷き、イービルは微笑むようにして頷いた。
どこか作ったように見えるのは、彼の嫌な部分が表に出てきてしまっているからだろう。
「君の出方は分かっているよ」
そう言ったイービルは立ち合いの位置から少し後ろに下がった。あまり下がりすぎると審判に注意を食らってしまうため、注意を受けないギリギリのラインまで下がったのだ。
イービルは距離が取りたかった。少しでもレイジーの攻撃を受けるまでの時間を稼ぐために。
そして半身になる。これでレイジーからの攻撃を受ける面積が大きく減った。
さらに、側面を守る盾をデバイスとして展開する。レイジーとの対戦のために準備していた戦闘スタイルだ。半身になっていた彼の体が完全に隠れるほどその盾は大きかった。さらに言えば形状も特殊だ。
突き出るような先端が顕著で、螺旋の跡でもあればドリルと言ってもおかしくはない。レイジーの攻撃は一点集中型なため、誘導弾のように左右からの攻撃などと言ったものはない。
点を点で壊す。レイジーの攻撃が蹴撃であるのに対して、先端の尖ったイービルの盾はレイジーの攻撃を四方に拡散しながら崩すことができる。
蹴撃が盾にぶつかった瞬間、空気の塊がバラバラになってしまうのだ。そうなってしまえば、レイジーの攻撃はイービルに届かない。
イービルは笑う。勝った、これは自分の勝ちだと。
彼の戦い方は、相手によって柔軟に対応できるその器用さにある。魔力量は決して優れておらず、エースと呼ばれるような存在ではないが、生まれ持った器用さと狡猾さで相手によってスタイルを変化させることができる。
すべての能力が一流には及ばないが、二流を超える。一流と呼ばれる相手にも、相手が苦手なスタイルで戦い勝利をもぎ取る。
彼を知る者は言う、魔力さえあれば超一流になれたのにと。
この世界は技術だけではどうしようもないことがある。どんなに優れた技術を持っていようと、Sランク魔導師の砲撃には無意味だ。魔力が拮抗しているなら、まだやりようがあるが、イービルの魔力はBランク。どうしようもない才能の差が存在する。
周囲から、残念な才能、二流の中の一流と囁かれ、鬱屈した日々が続いていた。若くして、世界の現実を知った彼は歪み、そして妬むようになった。
反則をしてでも一流に勝ちたい。
彼の心の中にあるのは、それだけだった。
イービルがレイジーを初めてみたとき、大した存在ではないと思った。だが、そんな彼はインターミドルの都市予選を容易く突破し、理由は不明だが、本選を棄権した。
訳が分からなかった。
自分に持っていない魔力と言う才能を持っている少年が、一流と呼ばれる相手を容易く薙ぎ払う。レイジーが地区予選で下した相手の中には、一昨年の優勝者も含まれており、当大会でも優勝候補筆頭だった。
誰もが思った。彼が優勝するだろうと。
だが、その予想を裏切り、レイジーは棄権と言うふざけた行為で大会を去っていった。
許せなかった。反則行為までして、勝利という栄冠を掴もうとしている自分をあざ笑うかのような行為が。
絶対に負かしてやろうと思った。例え、反則と言われようとも、必ず敗北の文字を突き付けてやろうと思った。
少年が次にどんな大会に出ても良いように、各大会の出場リストをくまなくチェックした。
インターミドルから約一年後だったが、根気強く探した甲斐があった。
少年が出場しようとしたのは、地元の、しかも公式戦とも言われないような小さな大会だ。賞金が出ると言っても、他と比べれば微々たるものであった。
イービルにとって賞金は二の次だ。彼にはレイジーに負けという現実を叩きつけることが大事なのだ。
そして、一年ぶりにレイジーを見て感じ取った。ああ、これは普通にやっては勝てない。
そう思わせるほど、レイジーはより速くなっていた。だから、審判が素人という点を有効に使って勝利をもぎ取った。
落ち込んでいるレイジーを見て、溜飲が下がる思いだった。
その勝敗は取り消しになったが、レイジーを落ち込ませただけで気分はよくなった。
そして、またレイジーを大会名簿で見つける。またやってやろうという気になる。邪魔してやろうと思う。
前大会では準備不足で、使用を諦めたが今回は時間もある。準備を整えて、少年に今度こそ完全な敗北を与えてやる。
イービルは目の前のレイジーを見ながら、ニヤリと笑う。
レイジーがイービルの心の内を見抜くことができれば、ドン引きすることになるだろう。
逆恨みだと思うだろう。
そもそも、ルール違反を犯している時点で、何をどう言っても、正当性などない。
気持ち悪いのでお引き取りくださいと、声を大にして叫んでしまうかもしれない。
知らぬが仏とはよく言ったものだ。
大会に出てくるものすべてが立派な志を持っているわけではない。
単純に勝利と言う栄冠を欲している者、レイジーのように金銭を目当てにしている者、イービルのように相手が嫌がるのを見て喜ぶもの、色々だ。
だが、どんな理由があれ、等しく勝敗は着く。レイジーとイービルの勝負もそうだ。
そして、思いが強い方が勝敗を決定するというのなら、レイジーに対して意味の分からない嫌がらせを本気で行おうとしているイービルの方が勝つのかもしれない。
「それでは、試合開始っ!!」
意識を失う、それだけは分かった。自分が何をされたのかは全く分からなかったが、少なくとも目の前が真っ黒になっていくのは分かった。
イービルの失敗は、レイジーを甘く見たこと。その一点に尽きる。
レイジーの全力の攻撃を受けきれるものなど、世界中探してもそう多くはない。
「イービル・ノート選手、戦闘不能により、勝者、レイジーディリジェント選手っ!」
イービルが用意した策は、あっけなく散った。
特殊な形状な盾は、まるで巨人の一撃を食らったように、アルミ缶のごとく押しつぶされていた。
その衝撃をまともに体で受ければ、意識を失うのは当然なのかもしれない。
実力が違った。言ってしまえば、それまでだが、レイジーに労いの言葉でもあれば、イービルも救われたかもしれない。だが、そんなことは起きない。
「コーラ飲みたい、人間だもの」
レイジーはぽつりと呟いた。これをイービルが聞いていたら……。
†
「くっ!」
アインハルトは苦戦していた。試合開始の合図と同時に駆け出す。相手のゴーレム生成を潰すための策としては当然だ。
だが、その強襲は、部分生成という器用な一手で潰される。
巨人すべてを生成するのではなく、右腕だけを生成し、それを魔力を使って操作する。
走り出してしまっていたため、カウンターの形になりあっさりと一撃をもらってしまう。
上手く両腕をクロスさせて防御体勢を取ったが、相手の攻撃は予想以上に速くて重い。そのまま後方に吹き飛ばされて、相手との距離を空けてしまった。
「叩いて砕け、ゴライアスっ!!」
少女の声を聞いた時には、もう遅かった。石の巨人ゴライアスが、その姿を現した。
「行って!」
リングを揺らしながら、巨人がアインハルトに襲い掛かる。だが、彼女は慌てなかった。努めて冷静に巨人を見据える。
相手は巨大なれど、動きは鈍重。懐に入ってさえしまえば、なんとかなる。
それに、自分の最大の武器は攻撃力だ。石の巨人程度なら、破壊することも可能。
アインハルトは一つずつ頭の中で、戦略を組み立てていく。自分よりもはるかに大きいものが腕を振り上げながらやって来ているのだ、普通なら恐怖を感じる。
だが、彼女にそれはなかった。
振り下ろされた巨大な拳をしっかりと見つめて、サイドステップで華麗に躱す。
その勢いを利用し、踵を起点に回転を始めて素早くターン。相手の懐に完全に入り、足元までやって来た。
ちょうどその時になって、もう一つの拳が横からアインハルトに襲い掛かる。
それに気づいた彼女は、膝に力を入れて、得意技の一つを繰り出した。
「覇王――断空拳!」
巨人の左腕が少女のか細い腕とぶつかった瞬間、内部で爆発が起きたかのように四散した。
会場が大いに沸き立つ。
片腕を失った巨人は、とても弱弱しく、戦意を失っているようにも見えた。
(おかしい。コロナさんはどこへ?)
巨人の操り主、コロナがアインハルトの視界から消えた。巨人への対応を優先してしまったため、小柄な少女を見失ってしまっていた。
首を振って確認するが、コロナの姿は見えない。
(つまりは――)
アインハルトは上を見上げた。そして、見つけた。ちょうど野球のピッチャーが投げ終わったような、そんな体勢の彼女の姿を。
飛来する小さなクリスタル。コロナから投げ出されたそれはアインハルトに真っすぐ飛んでくる。
攻撃なはずはない。この程度でアインハルトがどうにかなるとはコロナも思っているわけがない。
狙いは何か、そう考えてアインハルトはハッとしてしまった。
「集え、ゴライアスっ!!」
咄嗟の反応でアインハルトがクリスタルをかわす。それを見越していたかのように、コロナが大きく叫ぶ。
片腕を失って、今にも崩壊しそうだったゴライアスが、本当に壊れてしまった。
否。
そうではない。バラバラになったゴライアスが、まるで合体ロボットのように中心に向かって集まりだす。
中心、この場合はクリスタルだ。コロナの魔力をため込んだクリスタルに、ゴライアスであった破片が、集まろうとしていた。
これは拙い。
アインハルトは状況を理解したが、逃げ場がない。ゴライアスを破壊するために、懐まで入り込んでしまっている。加えてゴライアスはアインハルトよりもはるかにでかい。手を伸ばせば簡単にアインハルトまで届いてしまう。
回避は困難。故に彼女の選択は迎撃に回ることだった。
「行きますっ!」
迫りくる石弾。クリスタルに集まっているだけなのだが、そのクリスタルが彼女の足元にあるのだ。つまりはアインハルトに襲い掛かってくることと同義。
コロナは空中で体勢を整えて、アインハルトの後方に回っている。彼女の逃げ場を完全になくそうとしていた。
背後のコロナを警戒しつつ、アインハルトは飛来物に拳を素早く繰り出していく。
シュ、シュ、シュ
魔力が通っているとはいえ、所詮はただの石の塊。少し拳を魔力で纏えば、どうと言うことはない。
アインハルトの足元には粉々になった石くずが転がっている。
コロナの作戦は見事であったが、火力が足りていない。アインハルトを倒すにはもう一手が必要だった。
「再召喚! 叩いて砕け、ゴライアスっ!」
アインハルトには珍しく、焦りの表情が浮かんだ。分かっていた。当然、この程度で終わるわけがないのだと。この程度の作戦で自分を倒せると思っているなどと、コロナを過小評価する気はアインハルトにはなかった。
どこかのタイミングでゴライアスが来る。それは分かっていた。それでも、自分の全力の一撃を繰り出せば、破壊、そして無防備になったコロナへの直接攻撃が可能となる。
少なくともアインハルトの頭の中ではそうなる予定だった。
だが、それを崩したのがコロナだ。
ゴライアスの再召喚は、アインハルトを巻き込むように起こっている。
アインハルトの体を地面から這い出た土が覆うように纏わりつく。
包み込むように見えなくもないが、その実、圧迫されて身動きが取れない。
ゴライアスのちょうど腹部に当たるところに、手足を引っ張られるようにして拘束されたアインハルトの姿が見えた。
「これでとどめです!」
部分生成。コロナの右腕にはゴライアスの巨腕があった。魔力を十分に注ぎ込んだのか、ハア、ハアと息切れを起こしていたが、最後に一発を打ち込む余裕は残っている。
身体を捻るようにしてアインハルトは抜け出そうとするが、ゴライアスの身体から離れることができない。
覇王流を完全にものにしていない彼女では超密着状態から高威力の攻撃を放つことなどできないのだ。
つまり、手詰まりとなる。
「必殺、ロケットパーンチ!!」
できれば、この技で倒してほしいと、コロナに作戦を授けてくれた先輩の願いをコロナは叶える。
渾身のロケットパンチがアインハルトの全身に襲い掛かり、防御体勢を取れなかった彼女は容易く意識を失った。
アインハルトが初めてコロナに負けた瞬間だった。
†
「ねぇ、どう声を掛けたら良いかな?」
「うー? 普通にすれば」
「で、でも昨日試合に……」
「負けたの? 相手は?」
「聞いてないの? コロナちゃんだよ」
知らされた事実に、ピクリとレイジーの肩が反応した。そう言えば、対策とまではいかないまでも、それらしいことを話したなと、今になって思い出す。
「レイジー君、何かしたの?」
「ううん、してない」
なんとなく面倒そうになると思い、レイジーは何もなかったと平静に努めた。
「そういえば、コロナちゃんがレイジー君にアドバイスをもらったって」
「え、初耳だけど?」
話し相手、ユミナの誘導尋問にレイジーは完璧な対応をした。早々漫画のように騙されたりはしないのだ。
じとっとレイジーを見るユミナだったが、レイジーが無表情を貫いたので、本当に何もなかったのだと気にしないことにした。
「変な事聞いてごめんね、私の勘違いだったみたい」
「いいんちょーだって間違うことはあるよ、どんまい」
「なんかレイジー君に励まされると、モヤモヤするね」
「かなり失礼」
二人が漫才をしている中、アインハルトは窓の外をぼーっと眺めている。昨日の敗戦を気にしているようで、無表情なれど、悩んでいるのが一目でわかる有様だった。
友達でもあるユミナは心配して声を掛けようとしているのだが、どう声をかけて良いか分からない。それでレイジーに助言を求めたわけだが、聞く相手を間違えているため進展はなかった。
遠くで見ていることしかできない。
「レイジー君、アインハルトさんに何か、言ってあげられないかな?」
「99%の努力と1%のひらめきが天才なら、100%の怠惰は怠け者だと思うんだ」
「まさしくその通りで疑いの余地はないんだけど、アインハルトさんに掛けてあげる言葉ではないよね」
「ならストレートに負けたんだと心を抉ってみる」
「それをしたら、私は友達じゃいられなくなるよ」
ユミナは苦笑した。
「しょうがない、こうなったら寝よう」
「それはいつものことだよ」
結局二人は――正確には一人――解決策を見つけることができなかった。
悩む少女を見守ることしかできない。
前半はなんとなく書いてしまいました。これから先も彼が出てくることが……