教会での訓練を終えた次の日。
「先輩!」
帰宅途中に野生のリオが現れた。
コマンド選択……逃げる。
回り込まれた。
エサを与える……自分で食う。
呆れられた。
「辛い、今日は早く帰って寝よう」
「ちょっと!」
リオはレイジーを掴んだ。レイジーのお肉を掴んで引っ張った。
それにより、レイジーは帰宅することができなかった。
「何か用?」
「今空いてますか? 空いているなら私の特訓に付き合って欲しいんですけど」
「残念ながら空いてません」
「お願いしますっ!」
ぱちんと手を合わせて頼み込む可愛い後輩。
普通なら、これで一発で落ちる。
特にレイジーのように、特に予定のない人間ならなおさらだ。
だが、怠け者の精霊に憑依されたレイジーはただ短く、
「嫌」
そう告げる。
さすがはレイジーである。
「え~」
「僕は人に教えるとかできないから。リオはリオの道を歩んでいけばいいと思うよ」
「何気に良い事言ってるけど、実際は?」
「面倒だから」
「先輩らしいお言葉です」
リオは大きく肩を落とす。
「そもそもなんで僕? ノーヴェさんがいるじゃん」
「ノーヴェ師匠は私達のことを考えて指導してくれます。それには感謝してるんですけど、ノーヴェ師匠は優しいから、言葉を濁したりする時があるんです。でも先輩ならダメならダメってはっきり言ってくれるから」
ノーヴェの優しさに感謝はする一方で、リオは小さな不満を抱えていた。
自分たちを傷つけないように言葉を選んでくれているのは分かるが、時には本当のことを伝えて欲しいとも思うのだ。
多感なお年頃のリオ達の指導はそう言った面で難しい。
だが、リオも道場で育った身だ。指導者の苦労はなんとなくだが分かる。
だからこそ、ノーヴェの負担にならないようにリオはレイジーを選んだ。
「私、先輩の事を尊敬しているんです」
「それは頭の病院に行った方が良いよ。末期だ」
自分が正常からどれだけ外れているかをレイジーは理解している。理解したうえで、それを受けいれている。
そんな自分に対して尊敬など全く縁遠い言葉を口にする少女をレイジーは本気で心配する。
そう言えば、この少女は頭がおかしい奴だったんだと、会って間もない頃を思い出した。
「ぶーぶー。だって先輩は凄いじゃないですか」
「確かに僕以上のお腹周りをしている学院生はいないね」
「そこじゃないですっ!」
ばしっとリオの手がレイジーのポッチャリに直撃するが、鉄壁とされる分厚い脂肪がリオの手を弾き返した。
「本当に尊敬してるんですよ」
リオは頬を膨らます。
「しょうがないなー」
珍しくレイジーが折れた。
あまり気にしてないとは言え、向けられる好意は素直に嬉しい。
それで過労働が発生するようなら、断固として拒絶の意志を示すが、後輩の相手をするくらいなら良いかと了承することにした。
(頭がぱーんしてるし、下手に追い払って何かされるくらいならここは頷いておく方が良いかな)
などとかなり打算的なことまで考えているが。
「で?」
「でとは何?」
「ここはどこですか?」
「マイハウス。そしてマイルーム」
レイジーがそう言うと、リオは無言でお腹の肉を引っ張った。
無理もない。
練習に付き合ってくれると言ったのだから、リオとしてはジムのような施設に行くと思っていたのだ。
それがどうだ?
やって来たのは、レイジーの部屋だという。
想像していたゴミ屋敷ではなく、割と整頓されているところは素直に驚いたが、なぜここにやって来たのかを考えてしまうと怒りの感情がふつふつとわき上がってしまう。
これはつまりあれだ。
騙されたのだ。
「練習に付き合ってくれるって言ったのに……」
恨めしくリオが言う。
「だから、ここに来たんだよ」
「はい、ウソっ! 先輩はここでダラダラするだけなんでしょっ!!」
怒りの感情を爆発させたリオはレイジーの太っ腹を「この、この!」と叩き始めた。
リオは勘違いをしている。レイジーはそう思ったが、普段の自分の行動を思い返せば、リオが誤解するのも無理はないとも思った。
「落ち着いて」
すとんと落とすようにリオの眉間に手刀を繰り出す。「う~」と涙目で睨むリオを無視して、レイジーはベッドの前に座るよう指示を出す。
大きなテレビがそこには置いてあり、レイジーがちょこちょこ操作すると映像が映し出された。
「さっきノーヴェさんに送ってもらったリオとヴィヴィオの模擬戦の映像。ストラトスやコロナとのもあるけど、とりあえずこれが一番分かりやすい」
「あれ? もしかして、ちゃんとした練習?」
「これ以上うるさくすると、追いだすよ?」
「あ、嘘です、嘘です。静かにしてます」
リオは慌てて、姿勢を正す。
画面に映し出されたのは合宿3日目に行われた子ども組の模擬戦だった。
なのは監修の下、子供たちに指導役としてフェイトが混ざって模擬戦をいくつか行ったのだ。
「あの時も言ったけど、リオの格闘技は正直言ってお粗末。初等科にしては良いのかもしれないけど、インターミドルに出てくる選手相手では全く話にならない」
「ぐすん」
リオが膝を抱える。
「それで、何が拙いかをこっちの映像と比べてみよう」
画面を2分割すると、左側にリオとは別の戦闘映像が映し出された。
リオも見たことがない人物だ。
「去年のインターミドル男子の優勝者。リオと同じ魔力変換持ちの格闘タイプ」
拳に炎を宿し、敵を殴りつけ吹き飛ばす。戦闘スタイルはシンプルだが、動作の一つ一つが正確で速い。
確かにとリオは思う。
これを見てしまえば、隣で流されている自分の動きはひどく拙く見えてしまった。
「ここを見て」
リオとチャンプが似た攻撃を仕掛ける部分でレイジーは映像を止めた。
「リオは春光拳特有の身体の連動が巧い。
「先輩、よく知ってますね」
「僕がインターミドルに出た時に春光拳の使い手が出るって噂で聞いたから、調べて映像を何本か見たんだ」
へぇ~と言いながらリオは相づちを打った。
「でもこの映像みたいに、決まった動きでしか威力を乗せられないから、ヴィヴィオみたいに目の良い人間にはなんとなくで避けられてしまう。右足の踏み出しで左突きが繰り出される、みたいな感じで意外とバレちゃう。逆にチャンプの拳は、愚直に見えるけど、その実、重心の取り方が巧すぎて、予想と違う攻撃に見える。観戦者からすれば、ただの左ストレートだけど、この対戦相手の反応を見る限り、右側頭蹴りを予想したんじゃないかな。意識がそっちに行っているように見える」
(……凄い。映像で見ただけなのに、私の癖やチャンプの動きの本質と対戦相手の思考までちゃんと読んでる)
レイジーの観察眼にリオは改めて感心した。
部屋を見渡せば、棚には映像を収めたであろうDVDが何本も並んでいる。なのはやフェイトのような管理局でも凄腕で通っている者から、ミッドで開かれる魔法戦競技の映像が数十本はラベルを見て分かった。
(いつも、部屋でゲームとかテレビを見てるって言ってたけど、先輩が見てるのってもしかして戦闘映像なんじゃ……)
「ヴィヴィオも分かりやすい型をしているけど、近代格闘技の利点である型の多さでそれをカバーしている。ある程度までは次の攻撃の予測はできるけど、確実にこれだと断定はできないね。でもリオは違う」
レイジーはリオが掌底を放とうとした動作でいったん映像を止めた。
「この後、右足を踏んで後方にバク転」
レイジーが再生ボタンを押すと、画面に映ったリオは指摘された通りの動きをした。
「掌底に使った剄を次の動きに繋げられないから、後方に回避。本来ならもう一歩踏み込んで左腹部に蹴りを入れなればいけないのにそれができずに退避。リオにはこう言った部分が多すぎるから相手側は怖くない」
子ども組三人の中で、もっとも力を有しているリオであるが、それはあくまで、いちにのさんで力を発揮した時に限られる。
その攻撃も読みやすいから躱されやすい。
レイジーがリオの格闘術は残念と評したのはこれの所為であった。
とてつもない力を生み出す春光拳ではあるが、今のリオでは十全に使いこなし切れていないため、動きが単調になってしまうのだとレイジーは再度リオに告げた。
「魔力変換の雷で強制的に身体能力を底上げしてるんだろうけど、魔力操作が不十分だからフェイトさんのように消えるわけじゃない。反応される。格闘戦の得意じゃないコロナは別としても、ヴィヴィオに軽々と反応されるのはさすがにまずいよ。ストラトス相手に一発で吹き飛ばされているのはそう言うこと」
アインハルトとの模擬戦の映像を見せながら、レイジーはタメ息を吐いた。
「私、春光拳に向いてないのかな……」
小さい頃から学んで来た技術が扱えていないと指摘され、リオは少し自信を失いつつあった。
ここで気遣いができる人間なら励ましの言葉の一つもかけてあげるのだが、レイジーは淡々と結論だけを述べる。
「YESでもありNOでもあるかな」
リオは不安そうな顔のまま、レイジーを見た。
「さっきも言ったけど、剄の使い方だけは普通に巧い。一部分だけを切り取れば、春光拳のお手本となるものだと思う。例えば、これ」
ノーヴェとの組手の映像だった。
練習のため、ノーヴェが受けに徹していると分かりきっているから、リオも大胆に攻めている。
相手の攻撃が来ないと分かっている分、多少危険となる場面でも引かずに攻撃を繰り出せていた。
「左足の踏み込みを上手く使って側面への回り込み。自然な動きだからノーヴェさんの反応がやや遅れた。この後に雑になったせいでクリーンヒットは与えられなかったけど、もしここでもう一回剄を使えていたら、有効打になっていたと思うよ」
「でも、ノーヴェ師匠との組手は私が攻めるだけだったから……」
「うん。だからYESでもありNOとも言ったの。リオは春光拳の真髄である剄を使うことに才能を持っているけど、春光拳を使う上で必要不可欠な技の繋ぎが下手すぎる。プラスかマイナスで言えばマイナスだね」
「あぅ」
しゅんと小さくなるリオ。
「だから、この繋ぎの部分をどう克服するかが、リオの課題であり、春光拳に向いているのかどうかの答えになる。克服できれば向いているし、できなければ向いていない」
爆発的な力を生み出す春光拳。力比べ選手権であれば、リオは世界チャンピオンになれるかもしれない素質を持っている。
だが、それを格闘技に当てはめるとイコールではない。リオは格闘技としての春光拳を全くものにしていなかった。
「僕が言えることは身体の使い方を覚えましょうって事くらいかな。リオはバランスが悪すぎる。重心移動が下手だから、動作に無駄が出るし、それをカバーするために動きが大きくなって遅くなる。つまりは雑魚」
「うぅ~また雑魚って言われた~」
膝を抱えて丸くなる。
すすり泣く声が隣から聞こえるが、レイジーは全く気にしなかった。
「ということで、これとこれを目に焼き付けて体に覚えこませて。お前はこうやって動くんだって言い聞かせながらね。体捌きが巧い人の映像だから」
「…………」
「そんな期待した目で見られても僕は教えられないよ? 僕は近接戦闘を理解できるけど、実践できるわけじゃないから」
「ノーヴェ師匠と相談します……」
「うん。それじゃ、ご帰宅をお願いします」
「言いたいことだけ言って、可愛い女の子を追い返すなんて、先輩は鬼畜です!」
「どっちかって言うと家畜なんだけどね。見た目的な意味で」
少女に非難されるという本来なら耐えがたい攻撃を軽く流して、「ばいばい」と手を振った。
キッと睨みつけ、小さく涙を溜めるリオは何度か振り返りつつも、最後にはお礼を言って部屋を後にした。
「さてと、ラストサムライと砲撃魔の戦いでも見よう。粉砕、玉砕、大喝采の大血戦だからな」
リオが帰った後、レイジーはベッドに横になった。彼の放課後は大抵DVD鑑賞だったりする。
■
時として、人は抗えない波に襲われることがある。それを回避するには普段の行いを良くし、神様にアピールするしかなかった。
その点で言えば、自分は大丈夫だと自信を持って言えるレイジーだったが、彼の思いとは裏腹に神様は試練を与えた。
つまり、面倒な状況になったということだ。
「ディリジェントさん?」
「レイジーさん!」
虹彩異色なんてなかなかお目にかかれない瞳を持つ少女達。二人であるところがポイントが高い。
「#$%#%&&WW」
「未知の言語を話して誤魔化さないでくださいっ!」
ばんっという音とともにレイジーの机が揺れた。
たださえ、見た目から評価の決してよろしくないレイジーが、このクラスで最も優秀と言っても過言ではない人間に詰め寄られている。
後輩もセットとなれば、明らかに問題行動を起こしたのだろうと周りの人間は理解した。
ストーカーでもやったのかと、周りからちらほらとささやかれ始める。
「怒ってる人間との接し方が分からない……人間だもの」
「怒ってません」
その言葉通り、少女は努めて冷静であろうとしていた。残念ながら拳は力強く握られているのだが。
「レイジーさん、リオにコーチングしたってホントですか?」
「ううん、してない」
「リオがレイジーさんから参考資料のDVD借りたって言ってたんですけど」
初等科の少女は自分が頼んだときはすぐに断ったのに~と不満そうに友達から聞いた内容を告げる。
「まあ、ちょっとだけね。組手してとか言って来たら追い払ったんだけど」
「そこはレイジーさんらしいです」
少女は納得する。
「というか、二人はなぜ? ストラトスは同じクラスだから良いとしても、ヴィヴィオはわざわざ中等科まで来て」
「だってリオが自慢するんですもん」
ぷく~と頬を膨らませる少女。普段、子供とは思えないような理知的な考え方をする彼女であるが、やはり見た目通りの部分もあるらしい。
「別に僕と模擬戦をしても得るものなんてないでしょう? すぐ終わるし」
「いえ。自分がどれほど成長したのかを測るためにはディリジェントさんは打ってつけの相手です」
「いや、それは対策を講じただけで、成長したわけじゃないから。だから気にしないで。僕はコーラを飲むからさ」
カバンの中からコーラを取りだすと、ぷしゅっと蓋を開けてごくごくと飲みだした。
会話のキャッチボールを魔球で行う気のようだ。
「あのー」
レイジーが大暴投を放つ中、少し興奮気味のヴィヴィオとアインハルトに話しかけてきた子がいた。
「あ、いいんちょー。この二人を何とかして」
レイジーは救援投手の登場によって、バトンを渡すことにした。
ユミナ・アンクレイヴ。アインハルトとレイジーのクラスで委員を務める女の子である。
清楚な雰囲気を持ちつつも、人当たりの良い性格であるため、男女から人気が高い子だ。
レイジーは「いいんちょー」と呼んでいる。
「なんか最近、ストラトスさんとレイジー君ってよく話してるよね?」
「ううん」
「クラスでは一番話していますね」
二人は全く違う答えた方をした。
「えーっと、アンクレイブさんは――」
「ユミナでいいよ。私もアインハルトさんって呼ばせてもらっていいかな?」
「は、はい」
少し詰め寄ったユミナにアインハルトは赤面する。そんな彼女を見てユミナはニッコリと笑った。
「それで質問は何かな?」
「ユミナさんは、ディリジェントさんと親しいのですか?」
「うーん……どうだろう?」
人差し指をあごに当てながら、ユミナは視線をやや上に向けていた。本人も良く分かっていないらしい。
「いいんちょーはよくコーラをくれるから良い人。このクラスで一番好感度が高い」
「私の価値ってコーラなんだ……」
苦笑するユミナ。
「ユミナさんは気配りが上手なイメージがありますね。あまりお話をしたことがありませんでしたけど、そういう光景を何度も見ました」
「アインハルトさんからそう言われると照れるな~」
「ヴィヴィオ、そろそろ昼休みが終わるから帰った方が良いよ」
「あ!」
時計を見たヴィヴィオは、ぺこぺこと頭を下げて、教室を出て行った。
「レイジー君って意外と周りを見てるよね」
「気遣いができる子なんです」
「ディリジェントさん、嘘はよくありません」
普段から相手を傷つけるような発言をしているレイジーに気遣いなど無縁の言葉。
「寝る」
「でも、次の時間はシスターアンジェラの作法の授業だよ」
「寝れない……」
こと礼儀ということに関して学院一厳しいと噂されるシスターの名前を聞いて、レイジーは嫌そうに突っ伏した。
「それで、ディリジェントさん、今日の放課後は空いてますか?」
「空いてません。それに会話が繋がってない」
「それを貴方には言われたくないです」
確かに普段から脈絡のない会話をするのはレイジーの方だが、だからといってアインハルトがその手法を使っていいわけではない。
説明を求めようとしたレイジーだが、アインハルトという人間の面倒くささを考慮して彼女に返答するようなことはしなかった。
だが、そこで終らせなかった人間がいる――ユミナだ。
「あ、やっぱりアインハルトさんもレイジー君の事知ってたんだ」
「ということはユミナさんも?」
あまり格闘技に興味のなさそうなユミナだが、えへへと笑って説明する。
「私は格闘技ファンなの。まあ、やる側じゃなくて見る専なんだけど。レイジー君はたまたま去年のインターミドルを見てて印象に残ってたんだ。圧倒的だったもん。ただ本戦まで行ったので途中棄権しちゃったのは残念だなーって思った。あのまま行けば絶対に優勝できたよ」
ユミナが称賛するが、レイジーは特に反応を示さなかった。ハァ~とあくびをするばかりである。
「同じ学校だって分かって今年同じクラスになったから、ちょっと話してみようと思ったんだけど、レイジー君はこれでしょう?」
レイジーの普段の態度を指摘したものなのか、レイジーの体型を指摘したのかは定かではない。
ただ、ユミナは制服のズボンからこぼれた腹の肉を優しく掴んでいた。
「本物のレイジー君になって欲しいなって思うよ。実際に正面で見たとき、吹いちゃったもん」
「その気持ちは分かります」
てへっと笑うユミナに、深く頷くアインハルト。
それからレイジーのことで二人が盛り上がろうとした時、担当のシスターが入って来て話はお開きになった。
「じゃあ、放課後に続きを話しましょうね」
「はい」
「僕を巻き込まなければどうでもいい」
まあ、レイジーの願いは叶わないわけだが……。