朝起きて、珍しくカーテンの向こう側が明るいと思いきや、窓を開ければ滅多にお目にかかれない快晴が広がっていた。
なし崩し的にレッドの道のりを辿る事となり、居住地をシロガネ山に移して早数年。長らくこの地で暮らしてきたが、雲ひとつない青空など年に数回あるかないかの極地にとって、こんなに心躍る朝を迎えられたことがあろうか。
否、断じてない!
私は急いで着替えて、一目散に外へと飛び出した。
扉を開ければ、陽光を照り返しキラキラと輝く雪の絨毯が一面に広がっていた。それを見て疼く子供心を抑えられない。たまらず大の字でダイブした。
降り積もった雪は厚く、ふわふわと柔らかい質感により痛みは全く感じなかった。暫く感触を堪能していたが、今度はゴロゴロと横に転がり遊び始める。
「うひょぉおおお~!」
自然と上がるテンションに奇妙な声が出てしまうが、誰も聞いていないので気にしない。
転がり続けるのに疲れると、今度は仰向けになって両の手を空に突き出す。
「晴ぁ~れたぁ~! ……あっひゃひゃひゃ!!」
イントネーションは、花火の時のお決まり文句「た~まや~」を思い浮かべてくれれば問題ない。
自分で阿呆なことを言ったくせに、自分の言葉で大爆笑している私。なんとも滑稽である。暫く腹を捩じらせていたら、いつの間にか日差しが陰っていた。
太陽を背にして空から鳥ポケモンで下りてくる人物に、私は一人だけ心当たりがある。珍しい日に珍しいお客さんのご登場だと暢気に考えていたら、真横でサクサクと雪を踏みしめる音が聞こえてきた。それと同時に、視界を覗きこむように人影が現れる。
「よぉ。久しぶり」
「ひゃははっ……おや、そこにいるのはグリーンじゃないか……ブフォッ」
「人の顔見るなり噴き出すな。失礼だろうが」
「すまんすまん……っくく、笑いが止まらなくて……ぅひぃ」
「……ついに壊れたか。いや、元からか」
「君も大概失礼な奴だね」
腕を伸ばせば何も言わずとも引っ張りあげてくれるくらいには、私と彼の距離は縮まったのではないかと思う。ご丁寧にも背中についた雪まで叩き落としてくれるサービス付き。昔の面影が見当たらない紳士ぶりに、否応なしに年月というものを感じさせられる。思わず溜息が出てしまい、グリーンに変な目で見られた。
「笑ったり落ち込んだり、忙しい奴だな」
「思春期だからね。絶賛第二次成長中です」
「威張ることじゃないだろ。……そういえば、ジャンボの姿が見えないが」
「たぶん山にいると思う」
家の中にいたならば、私が飛び出した時に駆けつけるだろうし。まだ朝ごはんには早い時間だから、きっと日課の散歩だろうと推測する。
相棒は私と違ってまめな性格で、毎日のトレーニングを欠かさない。散歩と称しているが、その実態はシロガネ山を駆け巡り野生ポケモンとバトルをしながら一周してくるといったハードなものだ。此処シロガネ山の野生ポケモン達はレベルも高く、総じてジャンボとタイプ相性が悪いも関わらず、彼はすでにこの山のボス的存在となっている。本当に、どうしてこんなにアグレッシブに育ってしまったのだろう。
ジャケットのポケットに入れっぱなしにしてあったポケギアを取り出し、短縮でジャンボを呼び出す。数回の呼び出し音が鳴った後、相棒は電話口に出た。
『ピカピ?』
「おはよう。家の中にいなさそうだったから電話しちゃった。散歩中?」
『チャー』
「今どこらへん?」
問いかければ、山の中腹辺りから天空へ放出された雷光が見えた。
「あと半分ってところか。悪いけど、今日はそこで切り上げてもらっていいかな」
『ピカ?』
「聞いて驚け。なんと、グリーンが来ています」
『ピカチュ!?』
「わかったら早く帰っておいで。朝ごはん作って待ってるから」
『チャー!』
喜ぶジャンボの真意は、グリーンではなく彼の相棒に会えるからだと私は知っている。トレーナーと違い、相棒達は初対面から仲が良かった。今では親友と呼べるほどに。
今頃は全速力で家に向かっているだろう。こうしてはいられない。
「グリーンは朝ごはん食べた?」
「いや。朝一でかっ飛ばしてきたから」
「じゃあご一緒しましょう、そうしよう。決定~!」
「今日のお前、なんか気持ち悪いぞ」
「そんなこと言うと、おかずが納豆オンリーになるよ」
「頼むからやめてくれ!!」
どうしよっかな~、と意地悪く笑いながら二人で家へと向かう。
勝手知ったる他人の家で、私が台所に直行すればグリーンはリビングでテレビをつけて寛ぐ光景が出来上がる。
流れてくるニュースをBGMに、てきぱきと朝ごはんを作り上げていく。今日は和食が食べたい気分なのです。白米に味噌汁、焼き魚と昨日の煮物、おひたしに漬物。グリーンの嫌いな納豆は除外したから安心したまえ。
盛り付けていたら、玄関の方からカチャンと音がした。きっと相棒が帰ってきたのだろうと目星をつけて、料理の手を止めて自室からモンスターボールを取ってくる。居間に戻れば、グリーンがジャンボを撫でていたところだった。
「おかえり。ちゃんと手と足洗った?」
「ピッ!」
「よろしい。ご飯の前に、皆にも朝ごはん食べさせてきて」
「チャー」
ジャンボにモンスターボールを手渡すと、彼はポケモンフードを積んだ台車を引っ張って外へ向かった。
「俺、手伝いに行こうか?」
「大丈夫。一人で出来るよ」
うちの玄関は台車も通れるよう、一部がバリアフリーになっています。扉は台車に乗れば取っ手に手が届くし、ジャンボ一人で通るなら専用のドアがある。前世でいうペットドアのようなものだ。
「グリーンの方こそ、自分のポケモンたちのご飯はいいの?」
「俺は家出る前にあげてきた」
「朝ごはん此処で食う気満々じゃねえか」
「今更だろ?」
別にいいけどさ。
台所に戻って料理を運ぼうとすれば、グリーンが自然に手伝ってくれた。彼も慣れたもので、箸の位置など聞くまでもなく分かっている。
あっという間に朝食の準備は終わり、席につけば丁度いいタイミングでジャンボも戻ってきた。二人と一匹で手を合わせて、いただきますをする。うん、今日の味噌汁もいい出来だ。暖かい食事で幸せに浸っていたら、目の前に空になった茶碗が突き出された。
「おかわり」
「早っ」
「手料理とか久々すぎてヤバイ」
そういえば、ここ最近は忙しいってメールで言ってたな。トキワジムリーダーに就任して、オーキド博士の研究も手伝っていて、さらに自分の大学受験も控えているグリーン。とてもじゃないが、まともな生活をしているとは思えない。実家に帰ることもできない程忙しいくせに、彼は時たま此処にやってくる。論文に使うフィールドワークのためだと豪語しているが、山篭りをしている私の生存確認も兼ねているのだと私は知っている。今だからこそわかるが、こいつはツンデレだ。以前までは月一で来てくれていたのだが、今日の来訪は実に約一年ぶりだったりする。ちゃんと食べているのかと聞けば、いつもジャンクフードか栄養サプリで済ませているとか。成長期の、ましてや食べ盛りの男子がそれではいかんだろう。茶碗を受け取りながら、今度弁当でも差し入れてやるかと考える。
「大盛りにしてあげよう。たんとお食べ」
「増し増しで頼む」
「ラーメンじゃないんだから……」
それからあっという間に朝食はグリーンに食べつくされた。朝から三合炊いたのに炊飯器は空っぽだよ。どれだけご飯に飢えていたんだ、全く。
食後のお茶を入れて一息つけば、お互いに近況報告を始める。といっても、私の方はほとんど変わりない生活を送っているのだが。大半を聞き役に徹してしまう為、相棒は暇を持て余してしまう。いつもなら仲良く遊ばせているはずなのに、今日に限って彼は自分の相棒を出していない。どうしたのだろう。ジャンボも早く親友と会いたくて、グリーンに強請った。
「ピーカー」
「グリーン、そろそろイーブイ出してあげてよ」
「え? ああ、うん。そうだな……」
あまり気乗りしない様子で、グリーンはモンスターボールを出した。光に包まれて出てきた姿は、一瞬だけ姿を見せると瞬時にグリーンの背へと隠れてしまう。
私とジャンボはお互いに顔を見合すと同時に首を傾げた。どういういことだ。今のは……イーブイ、じゃないよね?
グリーンの方を見れば、何も言わない。いや、言えないのだろう。私たちをじっと見つめて、言葉を待っているようだった。仕方がないので私は相棒に問いかける。
「どう思う?」
「ピ~……」
「すごく……何だ?」
「ピッカチュ」
「成程」
「わかんねえよ!!」
ただの小芝居だ、そう怒るな。お約束というものだろうに。どうどうとグリーンを落ち着かせて、事情を説明させる。
「まず、そのこはグリーンのイーブイで間違いないんだよね?」
「そうだ。正確には、イーブイだったが正しい」
「てことは、進化したのか」
「やっぱりそう思うよな……」
隠れているつもりなのだろうが、以前の茶色いふさふさには到底見えない尻尾が、グリーンの背後に収まりきれず少々はみ出ていた。
一瞬しか見えなかったがその姿は前世知識を合わせても、見たことも聞いたこともないポケモンだった。
考えられるのは、ただ一つ。イーブイの新しい進化だ。
「いつから?」
「昨日の朝、起きたらもうこの姿だった」
「寝てる内に進化しちゃったのか。この反応は恥ずかしがってるというよりも、怯えているように見えるけど?」
「それが――」
最近は机にかじり付くことが多く、雑用を手伝ってもらうためにイーブイを出しっぱなしにして過ごしていたのだという。必然的に一緒の布団で寝ていたのが、朝起きて横を見たら見知らぬポケモンがいた。どう見てもイーブイには見えないが、イーブイでしかありえないと脳は答えを出す。博識だと思っていた自分ですら知らないポケモンの存在に戸惑いは隠せなかった。イーブイだったポケモンが起きて真っ先に見たものは、自分と距離を置くトレーナーの姿だった。
とにかくジムを当分の間有給で休み、オーキド博士に相談したりしていたらいつの間にかこの様に。人前に姿を現すことに抵抗をするようになってしまったと。
「それはお前が悪い」
「ぐっ……」
「驚くのも無理ないけどさ、イーブイだって自分の進化が不安になるのも当然だし。フォローが足りてない。蔑ろにしたのもいけない」
「蔑ろって、そんなつもりはない!」
「じゃあ、ちゃんと向き合ってやれよ」
「それができたら苦労はしないんだ……」
どういうことだ? 見てろとばかりにグリーンは思い切り自分の背後を振り返るが、それを察知したイーブイだったポケモンがカーテンの裏に隠れる方が早かった。
完璧に避けられてる。これは痛い、精神的にくるものがあるな。私が理由もなくジャンボにこれをやられたら激怒する自信があるぞ。
「……とまあ、こんな感じで。ジャンボの力を借りれたらなと」
「経緯は理解した。ジャンボ、GO」
「チャー!」
待ってましたと、満を持してジャンボがイーブイだったポケモンへと飛びついた。あれ、肉体言語でお話ですか?
最初はもみ合っていたが、すぐにおとなしくなると今度はジャンボがカーテンの裏に行き、何やらひそひそ話をし始めた。
それをグリーンと二人でどきどきしながら見つめる。相棒のことだ、上手くやるとは思うが随分説得に時間がかかっていたのでヤキモキしてしまう。
お茶を三杯おかわりすること30分。ようやくカーテンの裏からジャンボが出てきて、私たちにVサインを出してきた。ほっと安堵の息をつく。
「ピカ~」とジャンボが呼べば、イーブイだったポケモンがおずおずとカーテンの裏から出てきた。ようやくじっくりと見れたその姿は、なんというかもの凄く。
「可愛い。なにこの可愛さ、あざとすぎる」
「ピャ、ピャア……?」
「鳴き声までっ、これは反則でしょ!!」
「わかったからお前ちょっと黙れ」
サーセン。しかし、見れば見るほど愛しさしか沸かない。なんだか鼻の辺りの血流が激しくなってきているような気までしてきた。
穴が開くほど見つめていたら、ぽんと足を叩かれる。見れば、相棒が呆れた顔でティッシュの箱を持っていた。大丈夫、私にはお前が一番だから! でもティッシュは有難く貰う。
肝心のグリーンとイーブイだったポケモンとの仲直りは、呆気なく終わった。グリーンが開幕土下座をかまして許しを貰い、抱きしめればお互いに泣き出す始末。うん、もらい泣きでティッシュを使った訳じゃないよ。ほんとだよ?
「あのさ、傍観していて思ったんだけど。ずっと名前呼ばれないのって悲しくない?」
「ピャア」
聞けば肯定を示してくれた。それに対して、グリーンは困り顔を浮かべる。
「でも、こいつは未確認のポケモンでまだ名前がつけられていないんだ」
「別に種族名じゃなくていいじゃん。グリーン、ここでちゃんとした名前をつけてあげなよ」
「ちゃんとした名前?」
「世界で一つの、このこだけの名前だよ」
後にグリーンが悩みに悩みぬいてつけてあげた名前が数年後、図鑑に追加される事となるのをこの時の私たちはまだ知らない。